全55件 (55件中 1-50件目)
初めての新国立劇場です。ホームページより拝借新宿の隣の初台という駅に直結のビルになっていました。メインになるのはオペラやバレーを上演するOPERA PALACE。ホームページより拝借他に中劇場と小劇場があってさらにオペラシティという超高層ビルの複合施設になっています。超現代的なビル群ですが、間にはいくつもの水場(浅い池)が設えられていて、ビル風のせいか水面に漣が立って涼しげでした。OPERAPALACEでは現在二期会がオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を上演中でした。ホームレスページより拝借他には小劇場と中劇場があって、現在は小劇場で文楽、中劇場で歌舞伎の「夏祭浪花鑑」が上演されています。昨日も書いた通り、わたしは文楽を拝見しました。文楽鑑賞教室で、上演されたのは伊達娘恋緋鹿子と夏祭浪速鑑でした。昨日、伊達娘恋緋鹿子を、江戸の娘お七が恋人に会いたさに街に火を放つ話と書きましたが、あれはわたしの勘違いでした。正しくは、恋人が家の名誉のために探していた剣を取り戻したお七は、その剣を検分に間に合うようにこの夜のうちに恋人に渡そうと、木戸を開かせるために火事を知らせる半鐘を打つ、というものでした。降り頻る雪に手や足を滑らせ、転げ落ちそうになりながら火の見櫓の梯子を登っていく場面は、人形劇である文楽ならではの見せ場です。文楽鑑賞教室で上演するのに最適な作品だと感じました。このあと、夏祭浪花鑑の上演となります。長くなりましたので、続きはまた明日。
2024.09.08
コメント(7)
「文楽令和6年9月東京公演」なのですけれど、いつもとは少し違って、文楽鑑賞教室です。はじめに文楽とは?みたいな説明があって、三業(太夫、三味線、人形遣い)の仕事?役割り?のお話があって、それから代表的な演目を二段くらい上演するという段取りで、説明を担当するのも出演者も若手から中堅どころの技芸員さんがほとんどです。明日はどなたが解説されるのかしら、楽しみです。上演される演目は「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひかのこ)」と「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」。伊達娘は八百屋お七の、火事になれば思う人に会えると思い込んで街に火をつけてしまうという、あのお話です。放火をしたお七が、髪を振り乱して櫓にのぼり半鐘を打ち鳴らすという派手な場面。演じるのが人形だからこその演出が楽しめる作品です。夏祭浪花鑑はわたしの大好きな演目の一つです。内容的にはどちらかというと暗いお話なのですが、なにわの夏祭りなので、だんじり囃子がずっときこえているのです。このお囃子がもう本当になんともいえないのです。それにしてもなぜ今頃夏祭り?と思ったのですが、今回の九月公演は新国立劇場で上演されるのですが、同じ時期、同じ劇場で歌舞伎の公演も行われていてその演目もご覧の通り。文楽と歌舞伎は同じ演目が結構あるのですが、比べると両者細かいところが違っていたりするらしいのです。両方見られるようにセット券も販売されているそうで、知っていたら両方見てみたかったなあ。残念!
2024.09.07
コメント(5)
ご無沙汰しております。相変わらず忙しい日々を過ごしていますが、時間がないというよりはパワー不足でブログを書くことができませんでした。旅行の写真がほとんど整理できていないというのもあるのですが、3泊4日の旅行で体力が思いの外削られていたようです。そんなことを言いながら、今日はお出かけ。というかずっと前からチケット予約をしていたので、止むを得ずでもあるのですが、文楽の定期公演で、今回は半蔵門でなく北千住に向かっています。国立劇場が建て替えて閉場したので、今回からは色々な劇場に行くことになります。今日はシアター1010です。どんな風か楽しみです。
2023.12.09
コメント(5)
この間、ちょっとショックな記事を読みました。何度か書いている国立劇場の解体、再建のことです。来月(2023年10月)に解体工事が始まり、新しい劇場を建設して、再開場は約7年後の2029年秋、劇場のほかにホテルやレストランの入った複合施設になる予定と聞いていました。ところが、その予定が、何だか怪しい雲行きになっているらしいのです。国立劇場の再整備等事業というそうですが、去年その事業者の選定ということで入札が行われたけれど不調、というかありていに言えば、応札する会社がなかったのですって。つまり入札ゼロ!なので、日本芸術文化振興会では、要求?条件?を変更して、この夏改めて入札を行ったそうです。この度は参加企業は数社あったたものの落札には至らず、その後価格についての話し合いが行われたけれどやはり決まらなかったとのこと。最近、2025年に開催予定の大阪万博のことがテレビなどで取り上げられていますが、会場の建設が進んでおらず、参加を表明していた国はたくさんあったのだけれど、パビリオンの建設はまだ全く進んでいない、というかほぼゼロだとか、そんな話ですよね。 その主な原因は資材費、建設費の高騰だと言います。 国立劇場も同じようなことらしいです。建築費の高騰が目に見えているので、利益が出ないどころか建設費が落札金額を超えてしまうのではないかというゼネコン各社の危惧がその背景にあるようです。それでも、10月には解体が始まるというので、国立劇場はもう休業に入っています。この記事の通りならば、解体しただけでしばらく放置されてしまうかもしれませんし、そうなったら7年後の再開も計画倒れになりかねません。もし再建されて再開されたとしても、7年どころじゃなく10年とかもっとずっと先になってしまうかも。国立劇場で定期的に公演を行っている芸能のうち歌舞伎は新国立劇場、文楽は北千住のシアター1010を会場に予定しているそうですが、その間ずっとそこで公演ができるのかどうかわかりません。そういう心配もあるけれど、もし新しくなった国立劇場お披露目が10年も先になっちゃったら、わたし、行かれるかしらってそっちの方が心配です。10年後、生きてるかどうかもわからないけれど、たとえ生きていても出かけることができないかもしれないし、観劇自体出来るのかどうか。。。そんなふうに思うと、国立劇場、建て直さなくてもいいんじゃない?と思えてきます。狭くて通路は狭くて幕間の移動にも不自由するくらいだし、前に大柄な姿勢のいい人が来られたら舞台が半分見えなくなってしまうような座席配置だし、夏は炎天下、冬は凍えながら、雨風に耐えて開場まで待たなくてはならない構造で、直してほしいところはたくさんありますが、それでも外観は素敵だし、特に不具合もなさそうに思えました。あれなら、建て直しでなく、改装、改修でもいいんじゃないかと思うのです。10月に取り壊しを始めるって言うけど、それ、少し待ったほうがいいのじゃないかしら?日本芸術文化振興会さん、ここは再検討も考えた方がいいかもしれませんよ。
2023.09.29
コメント(6)
今日は孫のお宮参りで、亀戸天神にうかがいました。九月半ばというのに真夏日との予報で、熱中症も「厳重注意」という中、13時からのお祓いの予約、十分に対策して急がずゆっくりと出かけていきました。そのお話はいずれ書くことにして、今日は、先週見た文楽のことを書いておこうと思います。菅原伝授手習鑑は、天神様菅原道真にまつわる作品なので、何やらご縁を感じます。観劇当日は大型台風が去って晴れてくれたのは嬉しいけれど夏の暑さが戻ってきた日で、用意しておいた秋のワンピースはやめて、真夏の格好でお出かけしました。この日観劇した第二部は15時開演、18時10分終演という長丁場でしたが、前の週の第一部同様、いえそれ以上に密度の濃い、力の入った舞台をて、文楽の素晴らしさを堪能しました。演目は、寿式三番叟と菅原伝授手習鏡の最終章。寿式三番叟は能舞台のような松羽目を背景に、7人の太夫さんと7人の三味線さんが並び、格調高い謡と共に、翁、千歳(せんざい)と2人の三番叟が登場し、五穀豊穣、子孫繁栄、天下泰平、国土安穏を祈り、舞います。桐竹勘十郎さんの翁の威厳と存在感は言わずもがな、吉田簑紫郎さんの三番叟も人形に隅々まで血が通っているかのような躍動感、とても良かったです。切場語りの太夫さん3人が肩を並べての謡も見事でした。中でも呂大夫さんは、これまで理知的というかクールという印象があったのですが、大変力強い義太夫で終始圧倒されました。続いて菅原伝授手習鑑(四段目、五段目)です。北嵯峨の段の後の寺入りの段、寺子屋の段は有名で上演される機会も多い一方、五段目の大内天変の段は1972年以来の上演だそうで、もちろんわたしも拝見するのは初めてでした。「北嵯峨の段」梅王丸の女房春、桜丸の女房八重が世話をする菅丞相の御台所の隠れ家、正体不明の山伏が中を伺う様子を訝しんだ春が、家移りの相談に出かけたあと、時平の配下が襲ってきます。八重は薙刀で応戦しますが多勢に無勢、命を落としてしまい、再び現れた山伏が、御台所を連れ去ります。「寺入りの段」菅丞相の元門人武部源蔵の寺子屋に、息子を入門させたいと小太郎という男の子を連れた女性がやってきて、息子を預け隣村に用事をしに出かけていきます。寺子屋では近在の子供たちが賑やかに(喧しく)、学んで(遊んで)います。緊縛した不穏な雰囲気の漂う中、子供達の無邪気な様子に観客たちの心も和み、笑い声も聞こえてきます。「寺子屋の段」源蔵夫婦は時平から菅丞相の息子菅秀才の首を差し出すよう命じられ困り果てていましたが、寺入りした小太郎が見目よく育ちも良さそうなのを見て、菅秀才の身代わりにしようと決めます。源蔵は心を鬼にして小太郎の首を打ち、菅秀才をよく見知っていることから首の検認役として遣わされた松王丸に差し出すと、意外にも松王丸は菅秀才の首と認め、役人に預けて去っていきます。入れ替わりに隣村から小太郎の母が戻り、源蔵が母も手にかけようとした時、松王丸が戻ってきて、小太郎は自分の息子で、母千代は女房であると告げます。松王丸は菅丞相の世話で時平に仕える舎人となったため、時平が菅丞相を陥れたことで恩と忠義の板挟みとなり、時平に忠義を尽くしつつ菅秀才を救い出して菅丞相の恩義に報いるには、息子小太郎の首を替え玉として差し出す以外に方策はないとの思いに至ったのでした。また、菅丞相が「松王丸が恩を忘れるなどあり得ない」という思いで詠んだ歌が、菅丞相の敵方に与することになったおかげで世間に「他の兄弟は忠義者なのになぜ松王丸は?」という意味だと誤解されたことも気に病んでいました。主人の幸せを願って恋の仲立ちをしたことで菅丞相失脚の原因を作ってしまったことを悔いて切腹して果てた三つ子の弟桜丸の非業の死を深く悼む胸の内も吐露します。それまでただガサツで傍若無人な荒くれ者としか見えなかった松王丸が、小太郎の忠義と父に対する世間の誤解を解いた孝行を讃え、偉いやつだと泣き笑いをする様は観客の胸を打ち、涙を誘います。力強さと哀切さを併せ持つ吉田玉助さんの松王丸、素晴らしかったです。母千代が、覚悟の上とはいえ忠義のために我が子の命を捧げる苦しみ悲しみを訴えるクドキも呂勢太夫さんの独特の声音と相まって胸に迫りました。「大内天変の段」都で天変地異が相次ぎ、宮中でも落雷や火事、不慮の死が続いたことから、菅丞相の怒りを鎮めようと加持祈祷が行われ、齋世親王、菅秀才、苅屋姫が参内します。菅秀才は死んだと思っていた時平は驚き、菅秀才を捕らえさせますが、捕らえた部下は落雷で命を落とし、時平の両の耳からは蛇が現れます。二匹の蛇は桜丸と八重の亡霊に変身、時平を打ち据えて姿を消すと菅秀才姉弟がとどめを刺します。菅秀才の菅家相続が天皇より認められ、菅丞相は京都北野の天満宮に祀られ皇居の守護神となりました。藤原時平を遣うのは、わたしの贔屓の人形遣い吉田玉志さんでした。怖い顔をした悪役でしたが、相変わらずキレの良い動きで、ワルイ時平をたっぷり楽しませていただきました。
2023.09.18
コメント(4)
9月になりましたね。2023年も残りあと3分の1になりました。さしもの暑さも少しだけ後退の気配が見えてきて、数日前までは朝目を覚まして寝室を出た瞬間にムワーッと耐え難い熱気に襲われた(寝室は一晩中エアコンが緩くだけど入っているので)ものだったけれど、ここ2ー3日はエアコンの効いていない部屋にも朝はほんの少し涼しい空気が流れているような気がします。そんな今日、9月2日土曜日、文楽8.9月東京公演の第一部を見に行ってきました。この公演が、今の国立劇場での最後の文楽公演になります。来月いよいよ再建のための解体が始まるそうで、そこから予定では6年余りは都内の色々な劇場での間借り公演となるようです。初代国立劇場とのお別れを惜しむさよなら公演として、文楽を代表する作品のいくつかが上演されてきましたが、最後の公演では数十年ぶりに「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」が2公演にまたがって全段通しで上演されました。今日はその最後の公演の第一部で、三段目全てと四段目の前半を観劇しました。ー公演パンフレットより拝借ー菅原道真が、左大臣藤原時平の讒言で九州の太宰府に配流された史実を元にした作品で、5月公演では左大臣家、皇室、道真家にそれぞれ仕える三つ子の兄弟の争い、道真の娘と帝の弟斎世宮(ときよのみや)との恋、それを利用して道真を追い落とそうとする藤原時平の策謀により道真は太宰府へと流されたことが描かれました。今日は三段目の、車曳の段、茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段、そして四段目の天拝山の段の上演でした。この内、茶筅酒、喧嘩、桜丸切腹は以前の公演で見たことがありましたが、あとは粗筋として知ってはいたものの初めて見る段で、特に上のポスターにもなっている天拝山の段は、(HPより拝借ー天拝山の段、飛び梅が一夜にして太宰府の安楽寺に飛んできたエピソードを描くシーン。黒い牛の背に腰掛けてお寺に参る道真です。)それまで、上の写真のような穏やかな人物として描かれていた道真が、藤原時平の帝位奪取のための謀略を知って別人の如く荒れ狂い、祟り神となっていく様が描かれており、吉田玉男さんの迫真の人形遣いが見られて、本当に感動しました。車曳きの段では、お気に入りの人形遣い吉田玉志さんが藤原時平で登場。(HPより拝借)この写真は、三つ子の兄弟のうち道真に仕えていた梅王丸(右)と、斎世宮に仕えていた桜丸(左)が、主の恨みを晴らそうと藤原時平(中央)に殴りかかるけれど、時平の眼力に気圧されてスゴスゴと退散するシーンです。時平を遣っているのが玉志さんです。堂々たる貫禄の時平でした。その後の桜丸切腹の段では、大好きな竹本千歳太夫さん(義太夫)と富澤富助さん(三味線)のコンビの名演に久しぶりに接し、至福のひと時を味わいました。この公演でとても心に残ったことがもう一つ、それは若手の技芸員さんたちの成長でした。元々、文楽の世界は世襲制ではなく、演者さんたちは文楽とは縁もゆかりもないお生まれで、物心ついてから文楽に興味を持ち、この世界に飛び込まれたという方がほとんどだそうで、今は技芸員の多くが養成所の出身だそうです。今年はその養成所の新入生募集に応募がなかったというニュースが新聞にまで載って、それはコロナ禍の影響ということも聞いてはいたもののとても心配なことでした。けれど、今回の公演では初めてお顔を見る人形遣いさんがいらしたり、義太夫の大夫さんも今までは大勢で並んでいた方がしっかり一段を語らせてもらっていたり。プログラムで配役を見た時は大丈夫?と心配になりましたが、実際の舞台では大丈夫どころか大役に応えている姿が見られて、ちょっとうるうるしちゃいました。もちろん舞台に立てるのは養成所を修了してからも、何年もの厳しい修行を重ねた後のことだと思いますが、これなら今年一年くらい養成所にブランクがあってもきっと大丈夫!と思いました。他の出演者の皆さんも、どなたをとっても本当に熱演で、しかも大作で長丁場でしたから、見てるだけのわたしの方が、なんだかすっかり疲れてしまいました。でも、来週はまた元気に第二部を拝見する予定。まだまだお楽しみは続きます。多分来週も仕事方面では恵まれない日々を過ごすことになると思いますが、その週末に控える至福の時を頼みに頑張ろうと思います。
2023.09.02
コメント(14)
皆さんの予想を裏切った先日のワクワク。わたしが野球観戦ですものね。そりゃびっくりされたことでしょう。ほんとに楽しい時間でしたが、戻ってみれば悪夢のような時が待っていました。わたしが原因を作ったあのトラブルは幸いにも無事回避できたのに、めでたしめでたしの大団円とは行かず、なぜかトラブルが起きるのですよね。極め付けは、昨日、支給された原料が注文の仕様に合わず製造不能となってしまったことでした。原料約500kg返送です。届いた原料を一度開梱して、製造する機械に部品を組み付け、機械の調整や設定をし、製造作業を始め(できないという結論もすぐに下すわけではなく、散々ねばった挙句)製造を諦めるまでほぼ1日、機械も部品も作業場もそのあと綺麗に清掃、ここまで全部タダ働きです。送り返すにも梱包もし直すわけだし。それだけでも無茶苦茶なのに、その原料を手直しして送り直してくるんですって。製造し直しです。500kgを製品にして発送するには最低4日はかかるのに、今月中どころか来月半ばまでスケジュールがいっぱいで空いてる日なんか見当たりません。尚且つ急ぎだと宣う。なんじゃそりゃ?です。もちろん腹が立ちますが、ここまで来るとあまりにメチャクチャで笑えてきます。明日からは週末なので、笑ってしまった勢いで、そのことは忘れて過ごすことにしました。だって、実はまだワクワクが続いているのです。今度のワクワクは、皆さんの予想を裏切らないアレです。はい、昨日から始まっております。本当に本当に最後のさよなら初代国立劇場文楽公演です。前回から引き続いての菅原伝授手習鑑、通し上演。わたしは明日は第一部で、その三段目と四段目の前半を見ます。待ちに待った人間国宝認定を受けた吉田玉男さんは菅丞相の役で、もう1人のお気に入り吉田玉志さんは憎まれ役の藤原時平で登場です。もう楽しみで楽しみで、ワクワクが止まりません。せっかくなので思い切り楽しんで、悪夢じゃない夢を見てきます。頑張るのも悩むのも週明けからで十分ですよね。お休みの日にクヨクヨ考えても、なんの役にも立たないんですものね。。
2023.09.01
コメント(10)
8月に入って初めての日記です。大変ご無沙汰いたしました。この暑さですから、元気にとはいきませんが、ともかく大過なく過ごしておりました。8月も半ばを過ぎ、楽しみにしていた5連休も過去のものとなってしまい、この過酷な夏を乗り切るモチベーションを見失いかけていましたが、今日久しぶりにパソコンを開いて見つけた文楽のお友達からのメールで、わずかながら気力を取り戻しました。良いニュースが二つも入っていたのです。その一は、8月31日に始まる文楽の9月公演のチケットが取れたというお知らせでした。何度か書いていますが、現在の国立劇場は建て替えのため、今年10月に一旦閉館となります。9月公演は昨年9月から開催されている「さよなら初代国立劇場公演」の最後の公演になります。一、二、三部と三公演ある全部を見たかったのですが、都合がつかず第一部と第二部の菅原伝授手習鑑をみることにして、チケットをお願いしていました。超大作ですので、前回の5月公演から引き続いての通し上演になっています。前回もでしたが、あらすじとして知っているだけで滅多に舞台にはかけられない段が実際に上演されるのを見られるのはとてもラッキーなことで、なかなか味わえない感激です。感激の観劇なんちゃって😅。もう一つは、わたしが迂闊にも知らなかっただけなのですが、先月、文楽人形遣いの二代目吉田玉男さんが、人間国宝に選ばれたことを知らせてくださったのです。文楽は昨今世代交代の時期を迎えていて、三業(太夫、三味線、人形遣い)のどのパートでも人間国宝の大御所が引退されたり逝去されたりして、元々地味なこの芸能が、さらに話題性を欠くものになってきていたのです。そんな時、人形遣いの吉田和生さんが、そして一昨年には桐竹勘十郎さんが人間国宝に認定されました。我らが玉男さんもすぐに人間国宝になられると思っていたのに、昨年は認定されず、それでも今年、先月7月に認定を受けたとのことで、遅いよ!と思いつつやはり嬉しくて、雀躍りしたい気分です。師匠の初代吉田玉男さんが、「六十代の芸、七十代の芸、八十代の芸がある」と仰ったと、記者会見で言われていましたが、二代目の玉男さんは今69歳、六十代の芸を評価されての認定と思うと、本当にちょうどいいタイミングという気がしました。玉男さんは、もともと、亡くなったブロ友のwakkoさんがとっても応援していらして、彼女の導きでまずnaominさんが、そしてnaominさんがブロ友だったわたしを引っ張り寄せてくださったことでわたしまでも、一緒に応援するようになったのです。今日、そのニュースを知って、最初に思ったのはwakkoさんのことでした。きっと彼女もお空の上で雀躍りしていらっしゃるだろうなあ。「遅いわ!待ちくたびれちゃったわ!!」と笑う彼女の声が聞こえたような気がしました。
2023.08.16
コメント(8)
初代国立劇場さよなら公演として、今回(5月)と次回(9月)の公演で「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)の全段(5段)通し上演が行われます。国立劇場HPより拝借菅原伝授手習鑑は、「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」と並ぶ三大名作の一つと言われる作品で、人形浄瑠璃の黄金期を開いたと言われています。(5月公演パンフレットより)この作品は、学問の神様とされる菅丞相(かんしょうじょう:菅原道真)が藤原時平(ふじわらのしへい)の陰謀で九州の太宰府(だざいふ)に左遷され、怨霊となって天変地異をもたらしたという伝説を題材として、当時大阪で三つ子が誕生し話題になったことを物語に盛り込みながら、忠義を尽くす人々の姿や、親子の別れを描いています。初演は1746年8月、翌年2月まで続演されるほどの大当たりだったそうです。人形浄瑠璃として初演された2ヶ月後には歌舞伎も初演され、そちらも大当たりをとったそうですから、大阪では数ヶ月もの間、同じ演目の人形浄瑠璃と歌舞伎が上演されていた訳です。翌年には江戸でも上演されて大当たりとなり、8ヶ月も続演される人気ぶりでした。Wikipediaには、「学問の神として広く崇敬を受けていた天神様こと菅原道真の姿を見せたこと、また三つ子を貴族が使う牛車の牛飼いとして配置し、庶民にも貴族の政争の影響が及ぶ様を描いたこと、そして劇的な展開を備えたことにより、大当たりをとった」と書かれていました。14日は第一部でその初段を拝見しました。 この段は上演されることはあまりないので、わたしは初めて見られて、とてもよかったです。(公演パンフレットより)この日は、四列目の真ん中より少し左という、とんでもなく素晴らしい席がゲットできて、お人形も人形遣いさんも仕草から表情までよーくみえてものすごく濃い観劇をさせていただきました。応援する吉田玉男さんが遣われる菅丞相はすごい貫禄で、ため息が出ました。その上、もう1人の大好きな人形遣いさん吉田玉志さんがまさにぴったりはまり役、武部源蔵で出演されていました。久しぶりに拝見することができ、お得意の立ち回りも見られてとても嬉しかったです。今回の5月公演は第一部が初段、第二部が二段目の上演です。今回の公演については、来週第二部を見ますので、その後にまた書かせていただきますね。
2023.05.15
コメント(6)
昨日は春一番が吹くかもと言われていましたが、暖かかったものの、そこまでではなかったようです。そんな中、着る物に迷いながら国立劇場に出かけました。3時15分開演で終演は18時過ぎ。今回は珍しく友人と3人での観劇なので、終演後しか野さんで食事をするつもりで、帰る頃は寒いかしらと迷ったのです。友人2人も同じだったようで、暑い!と言いながら着膨れて来ていました。この日の演目はこれまた近松門左衛門の時代物の名作「国性爺合戦」でした。主人公の和藤内は、明から日本に逃れた鄭芝龍(日本での名は老一官)と日本人の妻の間に生まれた子で、長崎の松浦というところに住んでいました。ある時そこに明の皇帝の妹の栴檀皇女を乗せた船が漂着します。栴檀皇女から話を聞き、韃靼の攻勢に明が窮地に立たされていると知り、和藤内は明朝を再興しようと、父母と3人で唐土に渡ります。老一官には二歳の時に乳母に預けて唐土に残した娘があり、この娘が五常軍の甘輝将軍の妻になっていることから、娘の錦祥女を頼って甘輝と手を結び、その力を借りようと考え、3人は二手に分かれて甘輝の館を目指します。道すがら、和藤内は天照大神のお守りの力で巨大な虎(これがお茶目でやたら可愛い!)をやっつけて勇猛果敢ぶりを発揮し、現地の将兵たちを次々と服従させていきます。やがて甘輝の居城につき門前で出会った3人は甘輝との面会を求めますが、不在とのことで門前払いをされているところに、日本と聞きつけた錦祥女があらわれます。しかしよそ者は城内に入れてはいけないという韃靼の掟のため男性2人は追い払われます。3人の願いを錦祥女が甘輝に取り次ぎ、承諾が得られれば白粉を溶いた白い水、拒否された場合は紅を溶いた紅い水を堀に流す約束をして、老母のみが小手高手に縛られて場内に招き入れられます。やがて甘輝が帰館し、錦祥女が甘輝に3人の願いを伝えると、甘輝は先祖は明の臣下だから和藤内に味方すると言いながら、いきなり刀を抜いて錦祥女を殺そうとします。母がそれを押し留めると、韃靼の大将である甘輝は和藤内の討手を命じられていると言い、妻の身内だから見逃して味方についたなどと言われたら面目が立たないので、まず妻を殺してそれから和藤内の味方をするというのでした。妻が生きている以上仲間にはなれないというので、錦祥女は堀に紅い水を流します。その赤い水を門外で確認した和藤内は城内に暴れ混み、甘輝と立ち回りを演じようとしますが、その時、錦祥女が現れ、胸に刺さった刀を見せ、自分は死ぬので和藤内の味方をしてほしいと甘輝に頼みます。堀に流したのは紅を溶いた水ではなく自らの血だったのです。甘輝はそれを知って妻の願いを聞き入れ、和藤内の部下となるらことを承知します。そして和藤内の名を国性爺鄭成功と改めさせ2人とも立派な装束に着替えます。それを見た母は錦祥女を見殺しにして継母の自分がながらえては日本の恥だと言って、錦祥女の刀で自分の喉を突き、息絶えます。和藤内と甘輝は韃靼を倒し、大明国を再興することを誓い合います。この後、ふたりの将軍は韃靼王を追放し、韃靼に寝返った裏切り者李蹈天を討ち取って明の再興を果たします。鄭成功は実在の人物で、侵略者に力強く抵抗して勝利を勝ち取った英雄として、今でも中国、特に台湾で絶大な人気を誇っているそうです。華やかで、笑いあり、涙ありの壮大な演目、一緒に行ったお友達もとても楽しんでくれて、もちろんわたしも楽しませてもらいました。吉田玉佳さんの和藤内、とても良かったです。吉田玉助さんの甘輝将軍も、キリッとしてかっこよかったです。実はこの役、ダブルキャストで、前半の日程ではわたしの大好きな人形遣いの吉田玉志さんでした。このところタイミングが悪くて玉志さんをほとんど拝見できていないので、ぜひ見たかったのですが、玉助さんの惚れ惚れするほどカッコ良い甘輝将軍が、残念さを吹き飛ばしてくれました。この日は、夫が内心楽しみに待っている(らしい)いつもの切腹最中だけでなく、売店でとても可愛い絵葉書を見つけたので、自分自身へのお土産も買えました。その絵葉書はまずこちら。歌舞伎の仮名手本忠臣蔵、ニャンコバージョンです。そしてもう1組歌舞伎ねこづくし。人気絵柄セットですって。猫好きさんにはたまらないのじゃないかと思って、下のセットをしか野さんの女将さんにもお土産にしたら、案の定、ものすごく喜んでくれて、わたしも鼻高々でした。
2023.02.20
コメント(6)
今日は暖かくて良いお天気でした。 あの寒かった昨日の翌日だなんて思えないくらいでしたよ。 そんな中、文楽を見てきました。 令和5年2月公演第一部「心中天網島」、遊女紀伊國屋小春と紙屋治兵衛との心中を題材にした近松門左衛門の名作です。 あらすじは恐らく皆様ご存知でしょうけれど。 治兵衛は28歳、妻子ある身で遊女小春となじみになりますが、小春の抱え主から会うことも手紙も禁じられ、次に会えた時は心中すると約束しています。 そんなある日、小春は侍に呼ばれて河庄という茶屋に行きます。その噂を聞きつけた治兵衛がやって来て、格子窓から座敷をのぞくと、小春が侍に本当は死にたくないので、なんとか力を貸してほしいと相談しているのが聞こえます。 小春に腹を立て逆上する治兵衛。しかしこの侍の正体は治兵衛の兄の粉屋孫右衛門で、兄の説得もあり、治兵衛は心中をやめ、小春とも別れることを決めて、これまでに交わした起請文をお互いに焼くことにします。 こうして家に戻った治兵衛でしたが、小春が嫌っていたはずの恋敵の太兵衛に身請けされると聞き、小春に騙され、太兵衛にコケにされ、世間の笑い者にされると悔し涙にくれます。 その話を聞いた女房のおさんは、小春に手紙を書いて夫と心中しないでほしい、夫を死なさないで欲しいと頼んだこと、小春は、頼みを受け入れるが、太兵衛とは添わない、添うくらいなら死ぬと返事を寄越していたことを打ち明け、 小春を死なさないでほしいと、家中の金をかき集め、不足分の足しにと箪笥の中のありったけの着物を風呂敷に包んで治兵衛に渡します。 治兵衛はおさんと別れるつもりはないものの、小春の身請け話を阻止するために出かけようと身支度を整えます。 そこに訪れたのはおさんの父親です。治兵衛の格好と、娘に持たせた嫁入り支度がそっくり入った風呂敷包みを見て、治兵衛の改心は見せかけと断じ、嫁入り支度を取り返し、おさんを連れ帰ってしまいます。絶望した治兵衛は心中を決心して茶屋大和屋で小春と密会、深夜、茶屋の外で落ち合った2人は、明け方、網島の大長寺へたどりつきます。 おさんへのせめてもの義理立てとして別々の場所で死のうと、小春を治兵衛が殺し、治兵衛は水門で首を括りました。今日の公演では、幕が開くと最初の段の太夫さんは豊竹睦大夫(とよたけむつみだゆう)さんでした。 実はこの方、亡くなったブロ友のwakkoさんのお気に入りで、それでわたしはもう胸がいっぱいになってしまいました。 治兵衛を遣ったのは吉田玉男さんで、この方もwakkoさんが大変応援していらした方です。 勇壮な武将を遣うことも多いのですが、今公演の治兵衛は金持ちの優男です。 以前見た時には、そのダメンズっぷりばかりが気になりましたが、今回玉男さんの治兵衛には上方の「エエトコのぼん」「若だんな」のいいところとダメなところ、格好の良さと情けなさといった表と裏、明と暗が丸ごと全部自然に表現されていて、じれったさと愛おしさが同時に湧き出てくるような、そんな気がしました。 次の段は、わたしのイチオシの切り場語り(落語で言ったら真打みたいな?)竹本千歳大夫(たけもとちとせだゆう)さん。このところなかなか拝見する機会に恵まれず、久しぶりに拝見する舞台でした。 今回も素晴らしい語りを聞かせてもらいました。 特に、治兵衛の兄粉屋孫右衛門が、小春の心変わりの真の理由は治兵衛の女房おさんの頼みだったと知り、それを治兵衛には知らせまいと誤魔化すために大笑いをする場面では、笑っていながら心の中では泣いていることがはっきりと伝わる語りが本当に素晴らしくて、なんだか鳥肌が立ちました。 頂点を極めたとも言える千歳大夫さんですが、進化を続けておられることを感じ、弛まぬ努力があってのことと感動しました。1人で出かけていたので、その感動を分かち会える人がいなかったのがちょっとだけ残念だった、でも大満足の文楽鑑賞でした。
2023.02.11
コメント(4)
今朝、出かける支度をしている間、テレビをつけていました。見るともなくNHKのニュースを流していたのですが、「え?今なんか言った?」という感じで何かが耳をとらえました。画面を見ると文楽、物語の舞台で初上演とあります。そういえば、昨日見た作品「本朝廿四孝」が10月に諏訪大社で奉納上演されたとどこかに書いてあったのを昨日読んだ!と思い出しました。画面の像はこの作品の最も有名な登場人物のひとり、八重垣姫(長尾謙信の娘)のようです。八重垣姫が恋人の、父の宿敵武田信玄の息子勝頼の命を救おうと諏訪大社の神の使いである狐の力を借りて凍った諏訪湖の上を渡って危急を告げに行く、まさにその場面を表しています。しばらくすると昨日見てきた文楽「本朝廿四孝」の一場面が映りました。ただ、その八重垣姫を遣うのが吉田蓑紫郎さん、義太夫が豊竹芳穂大夫さんで、昨日の舞台とは違っていました。蓑紫郎さんは昨日は敵役の斎藤道三で、不適な面構えの爺さんでしたから、えらい違いです。10月に行われたこの上演をなぜ今頃伝えるのかは見逃して分かりませんでしたが、東京で文楽に魅せられ新聞や雑誌に記事を書いていた右側の女性が、旅館経営を継ぐために郷里の諏訪に帰り、女将として働く間、ふるさとを舞台にしたこの作品を諏訪大社で上演したいと願ってきたそうです。その願いが、知り合いの人形遣い吉田勘彌さん(左側の人)達の協力を得て実現したということだそうでした。そんなニュースを見て、昨日の舞台を思い出しながら、明治神宮の庭の特設舞台で見た日本文楽なども思い出し、劇場とは違ったロケーションで文楽を見せてもらうのも楽しいものだと思い、また上演されるようなら是非見に行ってみたいと思っていました。
2022.12.12
コメント(9)
奥州安達原って安達原の鬼のお話?というコメントをいただきました。安達ヶ原の鬼婆の話、有名ですものね。でも、今回の安達原は今の福島県二本松を舞台にした鬼にまつわる能の演目「黒塚」(観世流以外はそう呼ぶそうです)ではなく、11世紀の源義家(八幡太郎義家という呼び名の方が有名?)による奥州攻めを題材に近松半二が書き上げた超大作の、歌舞伎とか文楽の演目「奥州安達原」です。鬼婆が出てくる能の安達ヶ原を彷彿とさせる内容の段(一つ家の段)も確かにあり、そこからこのタイトルもつけられたらしいのですが、物語世界の中心は鬼ではなく、奥州の大豪族、安倍一族が時の中央政権に抗い東北に独立国を打ち立てようと起こした前九年の役と、それを打ち砕こうとする八幡太郎の奥州攻めという、非常にスケールの大きな、いわば大河ドラマです。その大きなスケールのお話の中に、親子兄弟姉妹、夫婦、孫、恋、野望、謀略などなど多種多様な人間臭いしがらみやドラマがこれでもかと詰め込まれています。ハナシが大きすぎ、その上濃密かつ細密すぎて、それをまとめるのにただ今わたくし四苦八苦しております。で、それとは別に、わたしの早とちり。国立劇場が建て替えられるので、今回が今の建物での最後の公演と書いてしまいましたが、それはわたしの早とちり、間違いでした。建て替えすると言うことは本当、間違いありませんけれど、今回が最後というのが違っていました。文楽は、もう一度、12月の公演が今の建物で開催されるそうです。今日パンフレットを見ていたら、12月公演のお知らせが載っていて、会場が東京 国立劇場(小劇場)となっていました。↓ここです。新しい建物は同じ場所に建て直すらしく、工期は7年の予定だそうです。長いですね。わたし、大丈夫かしら?新しい国立劇場が完成した時、それを見られるのかどうか、そこまで自分の足でいかれるのかどうか、不安になります。完成までは、別の会場で開催されることになるそうで、12月の次の東京公演は通常通りなら2月ですが、その公演については告知がまだですので、会場がどこになるのかわかりません。7年という長丁場、ずっと同じ会場で出来るのかしら?毎回会場が変わるのは億劫です。出来ればずっと同じところで、それが我が家からのアクセスの良い場所でありますようにと願っています。
2022.09.16
コメント(6)
早いもので今年も折り返しを過ぎ、七夕も終わって7月9日になりました。壁にかけている文楽カレンダーが6月のままだったことに気づいたのでひと月進めて7月にしたら、夏らしく「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の一場面が出てきました。歌舞伎でも文楽でもとりわけ有名な演目の一つで夏の定番と言える作品です。左は吉田玉男さん操る団七九郎兵衛、物語の主人公で振売の魚屋さんです。生来義侠心が強く侠客に憧れている若者、今なら「心の真っ直ぐなヤンキー」?右は、団七の女房お梶の父親で、三河屋義平次。団七とは逆に金に汚い、お金のためなら何でもしちゃうワルい老人です。時は難波の夏祭りの夜、団七はその義侠心ゆえに金に汚い義父・義平次をふとした弾みで傷つけてしまい、親殺しだ逆さ磔だとののしる義平次を殺してしまいます。この写真は、事件が起きる直前、義平次が団七に罵詈雑言を浴びせ、団七が歯を食いしばって我慢している場面だろうと思います。この後、陽気な祭囃子の音を背景に、闇の中での乱闘場面、殺害場面が続くわけですが、それが凄惨なのに何とも美しく、背後に流れる陽気で賑やかなチャカチャン・チャカチャン・チャカチャン・チャンチャンという祭囃子の軽快なリズムが胸を揺さぶります。そして団七の有名なセリフ、「悪い人でも舅は親。親父殿、堪忍してくだんせ」。親殺しは大罪だったこの頃。義平次のセリフにもあるように、同じ殺人でも罪は一等重かったし、人倫としても許されない罪だったのですよね。その重さに打ちひしがれる団七を人形遣いさんは見事に表現します。あー、皆様に舞台をぜひ見ていただきたいわ!わたしの説明なんかでは全然爪の先ほども伝わりませんから。ここで少し見られます。こちらで団七を遣っているのは桐竹勘十郎さん、義平次は、吉田和生さんです。お二人とも人間国宝ですよ!YouTubeでも、「夏祭浪花鑑 文楽」で検索すれば、いくつか名人の舞台が見られます。ここまで書いて改めて、カレンダーの義平次が気になりました。これ、どなたかしら?ムム、もしかして、もしかして、顔がくっつくほど近づいて写真の下の文字を読んでみると、あー、やっぱり!そんな気がしたのよ!!ほら!と言っても、何のこっちゃと言われてしまうでしょうけど。。。玉男さんの次に大好きな吉田玉志さんが義平次を遣っていらしたのです。でも、ひどいですよね、玉志さんの片眉毛と髪の一部しか写ってない!いつどこの舞台だったのかしら?でも、それがわかったからと言って今から見る術はありません。舞台は一期一会。改めてそう思いました。
2022.07.09
コメント(9)
少し前ですが、お仕事お休みして文楽東京公演第2部を見てきました。演目は「競伊勢物語(はでくらべいせものがたり)」です。今回公演のパンフレットから、表紙の写真をお借りしました。wakkoさんが応援していらしたご縁でファンになった吉田玉男さんが今回遣われる紀有常です。写真は第二部のクライマックスの場面でした。今回、この吉田玉男さんが本当に素晴らしくて!いつも重厚というか、抑えた動きや表情が特徴な玉男さんですが、今回の紀有常は、いつもと同様派手な仕草はないのに、それでもなお滲み出て、胸に迫ってくるものがありました。この作品、あまり頻繁に上演されることはないそうで、今回東京では35年ぶりの上演なのだそうです。そして帰り道に、ご一緒した方からお聞きしたのですが、玉男さんはこの紀有常の役に大変思い入れがおありとのこと。あー、だからなのね!その思いが客席にまで伝わっていたのかも!!と、一同納得したのでした。舞台は、在原業平の伊勢物語を下敷きに物語が展開します。帝の2人の皇子の帝位争いに巻き込まれた人々のお話です。玉水淵の段京都に絹の布を売りに行った若夫婦、信夫と豆四郎が峠の茶屋で休んでいると、役人が来て玉水の淵が近頃ひどく鳴動するのは三種の神器の一つがが沈んでいる為なので、淵の一帯には誰も立ち入らないこと、背いたものは死罪と触れて行きます。実は在原業平の家臣である豆四郎は主人のために御宝を手に入れようとします。それを察した信夫は豆四郎とはぐれた振りをして、一人で玉水の淵に向かいます。先にやってきて御鏡を引き上げた銅鑼の饒八(どらのにょうはち)の隙を見て、闇に紛れて鏡を奪います。しかしその時揉み合いの中で饒八に片袖を引きちぎられてしまいます。春日村の段信夫の家では帰りの遅い豆四郎と信夫を、信夫の母の小よしが案じています。豆四郎が先に戻り、信夫が戻っていないことを知り、信夫を疑い、あやしみ、腹を立てます。そこへ饒八が信夫の片袖を法外な値段で買えといってきます。訳がわからない豆四郎が断って追い返そうとすると、信夫とよく相談しろと袖を置いて饒八は帰って行きます。一休みしようと奥に入った豆四郎と入れ替わりに、身分の高そうな武士が小よしを訪ねてきます。紀有常という公卿で、小よし一家が陸奥にいた頃、身分を隠して太郎助と名乗り隣に住んでいたのです。はったい茶を飲みながら昔話に興じ、この日が命日の小よしの夫を偲びます。やがて有常が体を休めに奥の間に入ると、ようやく信夫が戻ります。疑い、怒る夫に鏡を渡すと豆四郎は大変に喜びますが、饒八が袖を買えと言った真意は、夫婦が金を払わなければ代官所に信夫を売るつもりであると気づきます。娘が死罪になれば小よしも罪に問われるとの夫の言葉に信夫は勘当されようと様々なわがままを言いかけますが、小よしは歯牙にもかけません。そのやりとりを陰で聞いていた有常が現れ、生まれたばかりの時に小よし夫婦に預けた実の娘である信夫を返してほしいと言います。小よしは最初怒り、断りますが、そこへ代官所の役人が信夫を捕らえにきます。饒八が密告したのです。小よしは役人に渡すくらいならと娘を有常に返すことを承知し、有常は役人を追い返します。信夫が有常用意の打ち掛けに着替えると小よしは娘夫婦の出世を喜びます。しかし、有常は、斎宮として伊勢にいるはずの帝の娘の身代わりとして信夫の首を(!!)差し出すつもりでした。しかも、斎宮となっているはずの姫は伊勢にはおらず、有常の娘と世を偽って都で育ち、在原業平と恋仲になって、帝位争いに巻き込まれて都から逃げ、今はこの家に匿われているという、もうめちゃくちゃ且つなんだそれ!な展開になっています。美しい衣装に着替えた娘の髪を直してやりながら(それが一番最初の写真の場面です)有常は刀を抜きます。信夫は驚愕しますが、帝のために死んでくれと頼まれ、このやりとりを聞いていた豆四郎が死装束に身を包んで現れたことで覚悟を決めます。有常は夫婦二人の首をはねます。その時奥に匿われていた業平と井筒姫も現れ二人の非業に涙を流します。有常は様子を窺っていた饒八が、業平を匿ってたことを都に言い付けてやる!と駆け出すのを小柄を投げて刺殺し、二人の首を携えて都に戻って行きました。って、自分で書いていて、あまりの無茶苦茶さに恥ずかしくなるのですけど、でもこれをいかにもな様子のお芝居にしてしまうのですから、文楽恐るべしです。しかも、見ているわたしたちは、ありえなーい!と思いつつ、人形が演じていることも百も承知で、それでもなぜか感動して、涙も出たりしてしまうのです。一番無茶苦茶な有常の説得力ありすぎな演技は、やはり玉男さんの技なのですよねー。いやー、まいりました。追記この日は、このほど切り場語りを許された、わたしの大好きな千歳太夫さんが、春日村の段の切りでした。この方、東京深川のご出身だそうで、大阪の芸能である文楽の中でも、ことさら関東出身者には敷居が高いと思われる義太夫をそこまで極められるのって大変なことだったと思います。この日も、持ち前の少ししゃがれた声で切々としたクドキを聞かせていただきました。そしていつもご一緒の三味線、富助さん。千歳大夫さんの語りがどんどんヒートアップして行くのを、傍でギューッと引き締めるようなクールさが持ち味ですが、時々、ググッと迫ってくる熱いところがあるのです。このギャップも魅力です。本当に最高のおふたりだと改めて思いました。
2022.05.29
コメント(12)
ようやく観劇レポートが出来上がりました。アップします!パンフレットより拝借。義経千本桜より鼓を打つ静御前。文楽令和四年五月東京公演第一部、まず開幕前に恒例の三番叟の披露があり、短い休憩を挟んで幕が開きました。伏見稲荷の段です。源義経は、兄頼朝に謀反を疑われ討手を差し向けられますが、和解の道を残す為これ以上の衝突を避けようと都を落ち、亀井六郎と駿河次郎の2人だけを従えて伏見稲荷の森まで逃げてきました。一行を追って都を出た静御前が追いつき、そこへ武蔵坊弁慶もやって来ます。正室卿の君や家臣の武将が命を捨ててまで和解を図る中、弁慶が鎌倉からの追手を殺してしまったために兄との和解が困難になったことを義経は許さず、弁慶を扇でさんざんに打ち付けます。しかし、主君の命が危ういのに手をこまねいてはいられなかったという「泣かぬ弁慶」の涙交じりの言葉に胸を打たれ、今は力の強い同行者が1人でも多く必要だと弁慶を許します。けれども静の同行は許されません。都にとどまるようにと命じる義経に静は泣いてすがり、義経は後白河法皇より拝領の初音の鼓をのちの再会までの形見と預け、それでも聞かない静を木に縛りつけて発って行きます。そこに義経の追手が姿を現し、鼓とともに静を引っ立てようとしますが、間一髪、佐藤忠信が現れ、敵を倒して静を救い出します。義経一行は戻ってきて、忠信との久しぶりの再会を喜び、義経は手柄を誉めて、忠信が源九郎の名を名乗ることを許し、鎧を与えて静の守護を頼みます。なおも義経の後を追おうとする静でしたが忠信に留められ義経を見送ります。次の段は道行初音旅(みちゆきはつねのたび)、華やかな道中物です。都に残った静ですが、九州に向かった義経たちが嵐で船を流され今は吉野にいるという噂を聞き、吉野を目指して旅立ちます。床にずらっと並んだ大夫さん、三味線さんは皆さんそろいの桜色のお衣裳、静を遣う吉田蓑二郎さんも鮮やかな桃色の袴で、まさに桜の吉野という設えです。静が一休みして初音の鼓を打つと忠信が姿を現しました。前の段から登場していた佐藤忠信は、実は狐の化身で偽物です。この狐の忠信を遣うのは、先ごろ人間国宝になられた桐竹勘十郎さんでした。狐忠信が舞台に現れるときは、狐から忠信へ早変わり。勘十郎さんらしい鮮やかな変化ぶりで、その都度勘十郎さんのお衣裳も早変わりです。そして忠信の、武将らしい凛々しい所作と、狐の動物らしい所作も、一瞬で見事に切り替わり、客席は大いに楽しませて戴きました。(パンフレットより拝借。静が鼓を打った時の忠信の狐っぽい仕草。人形の姿かたちは忠信ながら、勘十郎さんのお着物の柄は狐火。勘十郎さんのニヤリが見えそうです。)舞台の上では、静と忠信が人目に付かない道のわきに鎧と初音の鼓を立てて義経に見立てその姿をしのんでいます。忠信は静に、平家との戦いの様子や、兄信継の雄々しい戦い振りを勇壮な語り口で話して聞かせます。こうして二人で助け合い励ましあいながら吉野までたどり着きます。川連法眼館の段(かわつらほうげんやかたのだん)床には初め義太夫の豊竹呂勢太夫(とよたけろせたゆう)さんと三味線の野澤錦糸さんが登場。わたしには久しぶりの呂勢太夫さんでしたが、とってもお上手になられていて(って、エラそうでごめんなさい)声も少し変られたような気がして、ちょっと感激しました。錦糸さんはいつもの貫禄で飄々と。義経一行は船が難破して九州へは行き着けず吉野の山に逃げ込み、一帯の僧侶を束ねる川連法眼に匿われています。義経と法眼は若い頃共に兵法を学んだ仲間でした。その館に義経を訪ねて佐藤忠信が現れます。義経は再会を喜び静の様子を尋ねますが、忠信は知らないと言います。壇ノ浦の合戦の後母の看病のため国に戻り、母の没後自身が破傷風になり、ようやく回復してやってきたので、帰国以来義経に会うのは初めてだというのです。(館に現れた忠信-中央-を詰問する家来たち、パンフレットより)義経は疑い、家来たちは忠信に詰め寄りますが、その時静と忠信の到着が告げられます。入ってきた静は忠信の姿を見て驚きますが、話を聞くうち、実は一緒に旅をする間、忠信にはおかしなところがあったと言い出します。義経たちは忠信の詮議を静に任せて去り、1人になった静が鼓を打つと偽忠信が現れ、問い詰める静御前に素性を打ち明けます。桓武天皇の時代、旱魃に苦しむ農民たちを救うため、千年生きた狐の夫婦を捕らえてその皮で鼓を造りました。その鼓を日に向かって打つと、たちどころに雨が降り始め、農民たちが初めて喜びの声を上げたので、鼓は初音の鼓とよばれることになりました。偽忠信はこの、鼓になった狐夫婦の子だというのです。(パンフレットより、姿を現した狐忠信。)鼓が禁中にある内は近寄れなかったが、義経に下賜されたので、少しでも近くにいたい一心で忠信に化けてそばに寄り添っていたと話します。静の打つ鼓の音に様々な両親の声・言葉を聞いていたけれど、今の音は「お前のために忠臣忠信が大将の不審を買っているから、これ以上迷惑をかけないで国へ帰れ」と聞こえたので、また別れ別れになるのは悲しいけれど大将から賜った名前を胸に帰るといいます。そして、親を慕い、孝養を尽くしたい気持ちと、数百年慣れ親しんだ妻や子を置き去りにする悲しみや離れている彼らの身の心配との板挟みになる苦しさを嘆き、やがて姿を消します。一部始終を聞いていた義経は狐を呼び戻そうと鼓を打たせますが、子どもと別れた悲しみのためか鼓は音を出しません。その親心に心を打たれた義経は、幼くして父を亡くし、せめてもと尽くした兄には憎まれ見捨てられた我が身を思って涙を流します。その嘆きに心を打たれた狐が一声泣くと、その身を包んでいた霞が晴れてきます。姿を表した源九郎狐に、義経は改めて鼓を与えます。感激した狐は、今夜この山の僧たちがこの館を襲おうと企てていると告げ、その折りには自分が守ると約束して、鼓を持って去っていきます。そして、そのとき!なんと、狐忠信を遣う勘十郎さんの体にロープがつけられ、お人形ともども宙に浮きあがり、ゆっくりと幕の内へと消えて行きました。思いがけないこの宙乗りの仕掛けに客席は大興奮。いつも静かな東京の観客たちには珍しく、声こそ出ませんでしたが、まるで、アンコールを期待するかのような盛大な拍手がいつまでも続いていました。勘十郎さんは、きっと舞台の裏でガッツポーズを取られていたのではないかと思ってしまいました。最後に余談なのですが、狐ではない忠信を家来たちが取り囲んでいる写真をパンフレットからお借りしましたが、実はこれは今回の舞台ではありません。でも、忠信を遣っていらっしゃる吉田玉志さんは、わたしの好きな人形遣いさんの一人なので、載せました。第一部のレポートは以上です。長々書いてしまい、さぞご退屈されたことと思います。最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
2022.05.18
コメント(9)
朝、メールチェックのためにパソコンを開いて、ブログもチェックしようと開いたらアクセス数が1993990でした。出かける時間で忙しかったのですけど、数分間待って、スマホでスクショを撮りました。1993991アクセスです。遅刻しそうになりながら待つほどのものではないでしょ!と言われそうですね。でも、大丈夫、遅れませんでしたから。何にって、今日は平成4年5月文楽東京公演の初日で、わたしは第一部を見に行こうとしていたのです。10時30半開場。少し前に劇場前に着きました。5月公演の楽しみ。国立劇場裏手の街路樹、ハンカチの木に白いお花が今年も咲いていました。まだお花が少ないので、なんのこっちゃの写真ですが。国立劇場に行くと、何を見てもwakkoさんのことを思いまします。5月公演をご一緒できると、その度に今年も咲いたわねといいあったものでした。初日のせいか、今日はお着物の方がたくさん。どうやら申し合わせてお着物でいらしたグループも。今回は、着物リメイクかもと思うお洋服を着ていらっしゃる方も数人お見かけしました。わたしもそうだったのですが。今日拝見した演目は「義経千本桜」でしたが、この中にひとつ、特大の吃驚な趣向が仕掛けられていました。もちろん上演中の写真撮影は厳禁ですので、お写真などはお見せできませんが、源九郎狐・忠信の桐竹勘十郎さんが、なんと宙乗りをされたのです。満員の観客は大拍手の幕切れでした。文楽ですので、もちろんカーテンコールなどはありませんが、あんなに最後の拍手の終わらない公演は初めてでした。コロナ禍で中止や人数制限が続く中、演じる方も見る方も不完全燃焼な日々でした。お着物の方の多さ、満員の客席に、観客もこの日をどんなに楽しみにしていたかがよく表れていると思いましたが、この度肝を抜く演出は、そんな観客の期待に応えようという勘十郎さんらしいサービス精神全開の素敵なプレゼントでした。
2022.05.07
コメント(6)
遅くなりましたが、先日の文楽鑑賞レポートの続きを書かせて戴きますね。良かったらお付き合いください。平成4年2月文楽東京公演第三部、平家女護島に続いての演目は、「釣女(つりおんな)」でした。松羽目物と言われる作品のひとつで、狂言を下敷きにしており、幕が開くと能舞台のように良い枝ぶりの大きな松が背景になっています。最初に大名が登場して自己紹介。「かやうに候ふ者はこのところの大名にござる。」お決まりの台詞ですね。そして、美しい妻を授かりたいので西宮の恵比寿神社に詣るから、太郎冠者も供をするように言います。ふたりが神社について祈願をすると、西門の一の階段にいる女を妻にするようにというお告げがありました。喜び勇んで西の門に行くと、一本の釣竿が落ちています。釣好きの恵比寿様、これで妻を釣れと言っておられるのだろうと大名が釣り糸を投げると、美しい姫が針にかかります。さっそく祝言をする二人を見て、太郎冠者も美しい妻を得ようと糸をなげます。すると、こちらの針にも娘がかかります。太郎冠者は喜び浮かれて、夫婦になったら一緒に花見をしよう、雪見をしようと言い立て、喜んだ娘は結婚を承知します。ところが、被り物を取ると大名の釣りあげた姫とは大違いのユニークな顔立ち。がっかりした太郎冠者は逃げ回りますが、娘は太郎冠者の言葉をたてにとり、追いかけます。てんやわんやの中で、太郎冠者は隙をみて大名の美しい妻を盗んで逃げだし、怒った大名と娘はその後を追いかけて行きます。妻になる女性を釣竿で釣り上げるっていうのはないでしょ!と言うのは現代の考え方なんでしょうか。シュールな作品の多い文楽ですが、これは狂言が下敷きになっているとのこと、つまり狂言の世界もなかなかにシュールなのかもしれません。今発表されたら、いろんな方面から大ブーイングを浴びそうな作品ではありますが、とは言えわたしも、太郎冠者に釣り上げられた娘に同情しつつ、身につまされながらも、大笑いしてしまいました。印象的だったのは、太郎冠者の人形を遣ったのが吉田玉助さんだったことでした。一際背が高く立派な体格の玉助さん、スケールの大きな芸風で、キリッとした武者の役などを遣われる印象が強かったので、太郎冠者で登場されたことに驚きました。でも、ひょこひょこと歩き、剽悍な身振り手振りでちょっと小狡く下世話な太郎冠者を、軽妙に、そして楽しげに演じる姿を拝見して納得。人形遣いさんにとって(というか、多分大夫さんも)、得意な役、はまり役だけでなく、さまざまな人物、役柄を表現するのはきっとすごく楽しいことなのでしょうね。小品でしたが、中身の濃い時間をたっぷり楽しませて戴きました。
2022.02.22
コメント(8)
昨日も書きましたが、ワクチンの副反応もおさまったので、雨の中、文楽鑑賞に出かけました。前日までコロナ感染者が出た影響で休演していたのですが、この日から再開で、幸いにもちょうどこの日の予約が取れていました。予約は第3部で、演目は「平家女護島(へいけにょごのしま)」と狂言「釣針」を下敷きにした「釣女」でした。「平家女護島」は近松門左衛門の傑作と言われているそうです。歌舞伎にもあるので、ストーリーはご存じという方も多いでしょうが、あらすじは。。。清盛の横暴を憎み平家転覆を企みて鬼界ヶ島に流罪となった俊寛・成経・康頼の三人は、島で厳しい暮らしを強いられていましたが、成経は島に住む海女千鳥と結ばれ、それを喜ぶ俊寛と康頼の前で祝言の杯を交わします。それを見て、俊寛は都に遺した妻・東屋を思うのです。そこに大きな船がやってきて、建礼門院の懐妊を祝って恩赦が行われたことを知らせます。ところが赦免状の中には俊寛の名だけがありません。俊寛は打ちのめされますが、船の中からもう一人の上使が現れ、俊寛にも恩赦が降ったともう一通の赦免状を見せます。四人は喜んで船に乗ろうとしますが、上使の瀬尾は通行手形は三人なので、千鳥は乗せないと言い、また、俊寛には、妻・東屋が平清盛の意に背いたため死んだことを告げます。千鳥は嘆き憤り命を絶とうとしますが、俊寛が船から降りてきて、船に乗せてやるから待てと言います。そして、上使瀬尾の刀を奪って斬り殺してしまいます。妻のいない都に戻っても仕方がない、自分は上使を殺した新たな罪に拠り島に残るので、千鳥を含めた三人で船に乗り都に行くようにというのです。俊寛を島に残し、赦免船は出港します。思い切ったつもりでも望郷の念は消えず、俊寛はよろぼいながら島の突端の岩に上り遠ざかる船をいつまでも見送ります。これ、今回の公演のパンフレットの表紙ですが、俊寛が高い岩の上に立って遠ざかる船をみつめる場面です。下手を向いていた岩がいきなりぐるっと回って正面向きになり、観客は手を頭上高く上げて船を見つめる俊寛と向き合う形になります。わたしは、その切ないまでの強い眼差しに胸がいっぱいになりました。といっても俊寛、人形なので表情が変わるわけはありません。何が起きたの?と思いました。俊寛の人形を遣ったのは吉田玉男さん。玉男さんが俊寛に何かをさせたのは間違いないのです。この俊寛と玉男さんを近藤さんに見ていただきたかったと強く思いました。この日の玉男さんのことを、Wakkoさんならなんて仰るのか、是非是非お聞きしてみたいと思ったのです。もうひとり、こちらはわたしがそっと応援している人形遣いさん、吉田玉志さんは、今回は憎まれ役の上使瀬尾を遣われました。憎たらしくてで不細工なおじいさんでしたが、玉志さんが遣うと、実直というか役目に忠実なだけの、不器用なまでに融通の利かないヤツに見えて、ホントは悪いヤツじゃないのかもと、自分に執りなしてしまいそうになりました。浄瑠璃は豊竹呂太夫さん。どちらかと言うと男っぽく、クールな感じの太夫さんと言う印象を持っていたので、この演目にはぴったりかなと思いましたが、呂大夫さん、そんなわたしの思い込みを軽く飛び越えてくれて、妻がもうこの世に居ないと知った俊寛の悲しみと狂気が胸に深く沁みました。千鳥の珍妙なさつま訛り(ウソくさ~い😅!だってね、「りんによぎゃってくれめせ」とかいうんですよ!!)も大変可愛く語ってくれて、笑いました。笑う場面じゃないので、一生懸命抑えて、苦しかったです。あれやこれやと見所いっぱいで、長丁場を楽しませていただき、本当によかったです。この後の釣女は、滑稽な場面も多く、大変楽しく拝見しましたが、ご紹介はまた日を改めてさせていただきますね。
2022.02.15
コメント(12)
9月11日土曜日に文楽東京公演第3部「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」を見に行ったので、早くそのことを書こうと思っていながら、もう一週間が経ってしまいました。 できれば、別の日にでも第1部の双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)も見たかったのですが、予約した時点ではコロナがどうなるかも予想がつかなかったので、今回は人形遣いの吉田玉男さんが出演される第3部だけ予約しました。 今公演では沼津の段、伏見北国屋の段、伊賀上野敵討ちの段の上演でしたが、偶然にも沼津の段に、三味線の竹澤宗助さんが前、義太夫の竹本千歳大夫さんが後と、わたしの大好きなお二方が出演されて、ラッキー!と大喜びでした。 宗助さんの三味線はまるでロックみたいで、ぐわ〜〜ん(じゃなくて、ベンベンですが)と心身に迫って来ます。 そして千歳さんの義太夫は感情の乗り方が半端じゃなくて、特に子どものセリフの部分とか、くどきといって、女性が切ない胸の内を切々と訴える部分などは本当に引き込まれてしまいます。 浪花の娯楽である文楽で、浪花言葉の義太夫をあれだけ情緒豊かに語られるのに、実は東京深川のお生まれというのですから、驚きます。 この作品、伊賀越道中双六なんていう題名なので男女の道行きのオハナシかと思いましたら、「伊賀上野鍵屋の辻の敵討ち」と言う実話をもとに書かれた作品だそうなのです。「荒木又右衛門の助太刀で有名な」というのがその仇討ちのキーワードだそうで、わたしは微かに聞いたことがある気がした程度でしたが、ああ、あの!と頷くブロ友さんもおいでになるかも知れません。本作にはその荒木又右衛門は唐木政右衛門、仇を打つ渡辺数馬は和田志津馬、敵の河合又五郎は沢井股五郎として登場します。 沼津の段では、年老いた荷運び人足(雲助)の平作とその娘お米(遊女瀬川)が偶然出会った旅の商人十兵衛と語り合ううち、3人が行き別れた親子兄妹であり、父娘はお米(瀬川)の夫志津馬の側に、十兵衛は志津馬の父の仇澤井股五郎の側にと、敵同士となっていたことがわかります。そのため十兵衛は父娘のもとを去りますが、平作は敵の居場所を知るために十兵衛の後を追い、腹を切って命と引き換えに居場所をお米に知らせます。 次の伏見北國屋の段の舞台は、京都伏見の旅籠北國屋です。志津馬は目を病みその世話を瀬川がしています。そして隣の部屋には怪しい武士がいて2人を伺っています。その武士は盗み聞きで、隣の部屋の若者が志津馬であると確信すると、医者を買収、志津馬は薬のせいで目が見えなくなります。勝ち誇った武士(実は仇の伯父)が澤井股五郎の居場所を口にすると志津馬は立ち上がり全て計略だったことを明かします。医者も志津馬の家来で偽医者でした。騙されてペラペラ喋ってしまったことを悟り逃げ出した武士を追おうとする志津馬を、飛び出してきた十兵衛が止め、志津馬は十兵衛を仇の一味!と袈裟斬りにして、尚も駆け出そうとします。 ところが、そこへやって来た唐木政右衛門が、十兵衛は股五郎の今後の旅程を知らせてくれたのだと伝えます。十兵衛は卑怯な股五郎に味方したことを悔いて、政右衛門に股五郎の計画を全て明かし、志津馬の刀にかかるつもりでやって来たのです。 全段の平作といい、この段の十兵衛といい、どうして死なないとならないかな?そんなことが死を選ぶ理由になるかな?と現代の人間は思いますが、それが彼らの、ひいてはその時代の人々(観客たち)の倫理観というか、価値観、判断基準だった様です。 この2人の場合は、彼らが自分の命と引き換えにしたものがそれに値するかどうかは別として、その行動には彼らなりの理由があったとわたしたちにも理解できたし、数ある文楽作品の中では、受け入れやすかったと、劇場を後にして駅に向かう道すがら同行の皆さんもそうおっしゃっていました。 今日の作品は、わかりやすくて後味も悪くなくて良かったわねって。 これは裏返すと、文楽の筋って、理解も納得もできない、すごく変で後味が悪いものが少なくないということなのです。 わたしたち、この頃の人々とは、同じ日本人なのにずいぶん変わってしまっているのでしょうね。 話を舞台に戻します。最後の伊賀上野敵討ちの段では、志津馬たちは十兵衛の情報をもとに股五郎一行に追い付きます。志津馬は家来や政右衛門の助太刀を得て、見事、父の仇股五郎を討ち果たします。 政右衛門(荒木又右衛門)はやたらに強くて、股五郎に何人味方がついていても自分1人で全て引き受けるから志津馬は股五郎1人を相手にすれば良いと告げますが、本当にその通りの強さでした。立て役の得意な吉田玉男さんに遣っていただきたかった役でしたが、今回は吉田文司さんが、かっこよく決めていらっしゃいました。 我らが吉田玉男さんは、この舞台ではなんと十兵衛を遣っていらしたのです。 志津馬に斬られてしまって、びっくり!ですよ!! でも、生き別れていた父と妹に厚い情をかけ、義理あってのこととはいえ卑怯な股五郎の一味になったことを悔い、それでも味方を裏切った行為を命をかけて償うという強さも併せ持った十兵衛を、静かに、温かい人物として表現されていたのがとても印象的でした。 その、伏見北國屋の段の太夫さんは竹本織大夫さんでした。 織太夫さんの美しい声とハッキリした口跡で、最初はうぶな若者2人の不用心な覚束なさ(「ほら、立ち聞きされてるわよ!」的なことを言ってあげたくなる様な危うさ)と、怪しい武士のふてぶてしさ、腹黒医者の憎たらしさがわかりやすく描かれますが、志津馬の目が見えるとわかってからは情景が180度裏返ります。この反転も、また、織太夫さんの義太夫のおかげでキッパリ鮮やかに伝わってきました。 それも、今回気分よく帰ってこられた一つの理由かもしれません。
2021.09.18
コメント(6)
桐竹勘十郎さんは文楽の人形遣いさんです。 正確には3代目桐竹勘十郎ですが、その勘十郎さんが、このたび人間国宝に認定されたそうです。 やはり人間国宝でいらした2代目桐竹勘十郎はお父様で、師匠の吉田簑助さんも人間国宝でいらっしゃいます。 箕助さんは今年4月に引退されたので、もう一年認定が早かったら、人間国宝師弟の共演が見られたのにと、残念に思いました。 お父様の2代目勘十郎さんは、立役(男役)を専門に遣われたそうで、一方師匠の吉田簑助さんは、当代一の女方遣いでいらした方。 一般の文楽の人形遣いさんは、立役、女方のどちらも遣われますが、主役級の人形を遣われる方は、立役か女方かどちらかに決まっていることが多いようです。 というのは、立役と女方とでは所作や表現の仕方が違うのはもちろんですが、人形を遣う時に使う筋肉やその使い方も違うそうなのです。男女どちらも遣うということは、それぞれに違う二通りの体、筋肉の使い方をマスターしないといけないということでもあります。まして主役級の人物ともなれば、適当に演じることなど許されませんから、やはり、一方の道を極めるというか、男性か女性か、どちらかを専門にされるようになるのだと思います。 では、3代目の勘十郎さんは?というと、立役、女方どちらも遣われるのです。それどころか、狐忠信(義経千本桜)や玉藻前(玉藻前曦袂-たまものまえあさひのたもと-)のような獣や妖怪まで実に幅広く、しかもどの役も「勘十郎の〇〇」にしてしまうという深さです。 これは器用という言葉の遥か上を行くすごいことなのじゃないかと思います。 文楽では、一体の人形を人形遣いが3人1組で操るということは皆様ご存知だと思います。 3人にはそれぞれ担当があって、足遣いは足を、左遣いは左手を遣い、首(かしら)と右手を遣うのが主遣い(おもづかい)です。 軽いものでも10kgはあるという人形をほぼ1人で支え、持ち上げるのも主遣いです。 人形は大きさにも差があり、当然ですが、大人の男性である立役の人形は大きく重いといいます。 舞台下駄を履いて、この人形を右手一本で支えつつ、首の表情を変え、左手で細かい動作を表現する主遣い。 勘十郎さんは小柄な方なので、お父様は、立役を遣われることの多かったご自分ではなく、女方を遣われる吉田簑助さんの弟子にと決められたのではないかと思います。 けれど、その小柄な勘十郎さんはお父様の足を遣い、左を遣いながら立役の技を身につけ、師匠の箕助さんからは弟子として女方の遣い方を学び、お父様の想定を良い意味で大きく外してみせた様です。 それは、もちろん才能、天才だったのでしょうし、もちろんすごい努力の賜物でもあったでしょうけれど、勘十郎さんの舞台を拝見していると、それ以上に、文楽が大好きで、いろんな役を遣うのが面白くてたまらないからなのじゃないかしらと思えてならないのです。 それくらい、舞台の上で勘十郎さんは楽しそうなのです。 別に嬉しそうに笑っていらっしゃるわけではありません。むしろ無表情に、仏頂面(失礼!)で舞台に立っていらっしゃるのですけど、その何処かから、「どう、楽しくない?面白いよねえ!?」っていう声が聞こえてくるのです。 ここ数年、文楽の世界では人形遣いさんだけでなく、三味線さん、太夫さんと、三業の全てで人間国宝の素晴らしい技芸員さんの引退や逝去が続き、その上去年からはコロナ禍の影響で休演も相次ぎ、文楽全体が盛り上がらない気分に覆われている様な感じでした。 今年の春には文楽界の宝である箕助さんの引退も報じられ、本当に寂しい思いでいっぱいでした。 そんな中でのこの度の勘十郎さんの人間国宝認定は本当に心浮き立つ嬉しいニュースです。 まだ、68歳という若さですから、これからどんどん弾けてくださるのだろうと、もう期待でいっぱいです。 あとは、立役の人形遣いで勘十郎さんとおない年の吉田玉男さんも早く人間国宝に認定していただいて、一昨年人間国宝になられた吉田和生さんと3人で切磋琢磨しながら、文楽を引っ張っていってほしいと思います。
2021.07.18
コメント(9)
息子の発熱で狼狽えて数日飛んでしまいましたが、2021年文楽カレンダーの後半6か月分をご紹介します。 ではまず、7月から。 七段目 祇園一力茶屋の段(おかる=吉田簑助、遊女になっています) 7段目では、大星由良之助が師直方の目を欺くために祇園で遊びまくると言う有名なエピソードが描かれます。 生臭ものを食べてはいけない主君の命日に、師直の家臣の前でわざとタコを食べて見せたり、師直に内通している裏切り者の斧九太夫(勘平に殺された斧定九郎の父)を殺したり、実は仇討ちをする気満々の由良助は敵も味方も騙しまくって着々と準備を進めていきます。 上の写真は、由良之助が1階の廊下に出て密書を読んでいるのを、酔って2階で休んでいたおかる(遊女になり、この日は由良助に呼ばれて一力茶屋へきていました)が覗き見している場面です。 簑助さんの遣う人形は、生きているとしか思えないほど、所作の一つ一つが意思や感情を伝えてきます。そして、どの役も清楚にして色っぽく、その圧倒的な美しさから目を離せなくなります。 8月も七段目から。 祇園一力茶屋の段(おかる=吉田一輔、寺岡平右衛門=吉田玉志) おかるを身請けするために由良之助が奥へ行くと寺岡平右衛門かやってきて、おかるに命をくれと頼みます。平右衛門はおかるの兄で塩冶家の元足軽。仇討ちに加わりたいけれど由良之助にはぐらかされています。由良之助はおかるに密書を見られたため身請けして殺そうとしているのだから、自分が殺して仇討ちの仲間に加えてもらうと言うのです。おかるは夫の寛平が切腹したことを知りませんでしたが、平右衛門から聞かされ、自害しようとします。それを知った由良之助は平右衛門と勘平を同志に加えます。平右衛門の玉志さんは、実はわたしのお気に入りの人形遣いさんです。立役(男性の人形)専門らしいのですが、彼が遣うと、どんな役でもスッキリと清潔感のある人物に見えてきます。派手ではないけれど凛とした勁さを感じるのは、玉志さんのお人柄ゆえかもと思います。 9月は 八段目 道行旅路の嫁入(戸無瀬=吉田和生、小浪=吉田一輔) この段は仇討ちから少し離れて、大星由良之助の息子力弥と加古川本蔵の娘小浪の結婚の話です。 二人は許嫁でしたが、塩冶家取り潰しで縁談も流れてしまいます。悲しむ小浪を見かねた母の戸無瀬は、供も連れず二人で鎌倉から京の山科の大星家まで東海道を下る(だから富士山な訳です)、その旅路を描きます。 次の九段目の悲劇と対照的に明るく軽い場面です。 10月は 九段目 山科閑居の段(左から 大星由良之助=吉田玉男、大星力弥=吉田玉佳、妻お石=吉田勘彌、加古川本蔵=桐竹勘十郎、妻戸無瀬=吉田和生、娘小浪=吉田一輔) 戸無瀬と小浪は山科の大星家にやってきて、祝言をと望むが、由良之助の妻お石に断られ、どうしてもと望むのなら、殿中で師直に斬りかかった判官を止めた本蔵の首を差し出せと迫ります。 そこへ虚無僧姿の加古川本蔵が現れ、お石に罵詈雑言を並べたため、力弥が怒りの余り本蔵を槍で突いてしまいます。苦しい息の下で本蔵は自分が主君を守ろうとして賂を贈ったことで塩谷判官に矛先が変わり、また、本蔵が止めたことで判官はことを果たさないまま切腹となったことを謝り、詫びの印に自分の首を婿に与えるとつたえます。そして、婚礼の引き出物として、高師直の屋敷の図面を力弥に与えました。 力弥と小浪は婚礼をあげ、由良之助は力弥を置いて一晩先に仲間のもとへ旅立ちます。 11月は 十段目 天河屋の段(左から女房おその=吉田文昇、天河屋義兵=吉田玉也、大星由良之助=吉田玉男) 塩冶家の御用商人だった天河屋義兵は大星たちの仇討ちを助けようと準備を進めています。 そのために迷惑がかかることを恐れ、奉公人や女房に暇を出し家に帰らせていました。夜になり、大勢の捕手が押し寄せてきて、義兵の息子よし松を人質にとって、大星たちに頼まれて武器を調達し鎌倉に送ろうとしていたことを白状せよと迫ります。この時に、天河屋義兵が捕手達に向かって吐いた啖呵が有名な「天河屋義兵は男でござる。」のセリフです。女子供を責めるときの様な真似をするなと言う意味で、子ども可愛さに、違うことをそうだと嘘をつくことはできないというわけです。この捕手は大星の命令で、義兵を試すために塩冶家の家臣たちが扮していたものでした。こうして由良之助たちは義兵を信じるに足る者として、討ち入りの合言葉を「天」「河」とすることに決め、船で旅立っていきます。 いよいよ最後、12月です。 十一段目 花水橋引揚より光明寺焼香の段(矢間十太郎=吉田勘市、原郷右衛門=吉田文司、桃井若狭之助=吉田玉助、大星由良助=吉田玉男、大星力弥=吉田玉佳)師直の屋敷では由良之助の放蕩を信じ、酒宴を催していましたが、その晩に浪士たちは討ち入り、高師直の首を取ったのです。一同は師直の館を引き揚げ、判官の墓所のある光明寺へと向かう途中、花水橋で桃井若狭之助と出会います。労をねぎらう若狭之助。由良助たちは若狭之助と別れていきます。 まさに粗筋で、途中をだいぶ端折ったのでわかりにくかったと思いますが、長かった忠臣蔵、これで幕となります。 お疲れ様でした。
2021.01.11
コメント(6)
年末に表紙だけお見せした文楽カレンダー、今年は12ヶ月分12枚の写真で「仮名手本忠臣蔵」を通しで楽しめる趣向です。ちょっと季節外れになってしまいましたが、ご紹介したいとおもいます。12ヶ月はかなりのボリュームなので、今日は前半をアップします。粗筋も書いていきますので、御用とお急ぎで無い方はそちらも読んでみてください。では、お付き合いください。一度アップしていますが、やはり表紙から。大序 鶴が岡兜改めの段です。この作品は江戸時代の赤穂事件を(江戸幕府の勘気に触れないように)鎌倉時代に置き換えて発表されました。大序では塩谷判官(浅野内匠頭)が高師直(吉良上野介)に対して刃傷に及ぶことになる、おおもとの事柄や事情が描かれます。1月は二段目 本蔵松切の段もともと高師直と悶着を起こし刃傷沙汰も辞さない程憤っていたのは、塩谷判官と同じく師直を補佐する役目を命じられた桃井若狭之助でした。本蔵(加古川本蔵)はその家老です。本蔵は主君と師直の諍いを知り、若狭之助が師直を成敗すると息巻くと、諌めるどころか松の枝を切って、こんな風にあっさりやっちゃいなさいと焚き付ける始末です。ところが本蔵は、この後師直の屋敷に駆け付け大枚の賄賂を差し出します。そのおかげで師直は怒りを若狭之助に向けることができなくなり、塩谷判官が八つ当たりをされる羽目になります。2月は三段目 殿中刃傷の段。(左が塩谷判官=吉田和生、右は高師直=桐竹勘十郎)高師直は実は塩谷判官の妻顔世御前に横恋慕しているのですが、顔世御前が自分になびかないこともあって塩谷判官を理不尽になじり続け、塩谷判官はとうとう我慢ならず師直に切りかかってしまいます。傷ついた師直に尚も斬りかかろうとする塩谷判官を羽交い絞めして止めたのは、加古川本蔵でした。カレンダーには取り上げられていませんが、この大事件が起きている間、たった一人お供をしてきた早野勘平は、用事にかこつけて訪ねてきた恋仲の女中おかると2人殿中を抜け出し、なんと情事にふけっていました。殿中に戻りもならず、詫びも叶わず、勘平はおかるとともにおかるの親の家に落ちてゆきました。3月は四段目 塩谷判官切腹の段(左は大星由良助=吉田玉男、右は塩谷判官=吉田和生。義太夫=豊竹咲太夫、三味線=鶴澤燕三)家臣や妻顔世御前の願いもむなしく閉門が命じられ、塩谷判官は切腹することになります。判官は国元から家老の大星由良助(大石内蔵助)が戻るのを待ちきれず腹を切りますが、由良助がようやく戻り、判官は「やれ、由良助待ちかねた」と言ってのどを掻き切ります。映画などでは、待ちかねたぞ、内蔵助!という、あの場面ですね。4月は四段目 城明渡しの段(大星由良助=吉田玉男)主君を失い、城を明け渡すことになり、家臣たちは険悪な様相ですが、由良助が判官が自らののどを切った刀で師直の首を取ろうというと納得し、主君の仇を討とうと決心して家臣たちは城を立ち去ります。5月は五段目 二つ玉の段(早野勘平=吉田和生)大事な時にしくじりをした早野勘平は、おかると共におかるの実家で猟師をして暮らしていました。そこへ昔の同僚千崎弥五郎が通りかかります。仇討の仲間に加えてほしいと頼む勘平に弥五郎は仇討ではなく石碑建立の資金を集めているとごまかします。勘平はその謎かけに応え五十両を用立てようと決心します。山賊に身を落とした元塩冶家家臣 斧定九郎が、老人を殺して金の入った財布奪います(有名な「縞の財布に五十両」です!)が、その定九郎をイノシシと勘違いして勘平が撃ち殺してしまいます。息があるかと抱え起こした定九郎の懐に五十両を見つけた勘平は、仇討の資金にという天恵と独り決めして、飛ぶように去ります。6月は六段目 早野勘平腹切の段(左から与市兵衛女房=吉田蓑二郎、千崎弥五郎=吉田玉勢、早野勘平=吉田和生、原郷右衛門==吉田玉也、義太夫=豊竹呂勢太夫、三味線==鶴澤清治)前段で定九郎が襲ったのはおかるの父、与市兵衛で、勘平がお金が必要と知って、おかるを祇園に身売りさせ、半金の五十両を受け取っての帰り道でした。勘平が手に入れた金は舅のものだったのです。その金も不忠義の駆け落ち者からは受け取れないと返されてしまいます。舅を殺して金を奪ったと母親にも同僚たちにも責められ、進退窮まった勘平は腹を切りますが、与市兵衛の遺体を調べると、命を奪ったのは鉄砲傷ではなく、刀で斬られた傷であるとわかり、勘平の舅殺しの濡れ衣は晴れます。しかし勘平はもはや虫の息。勘平は、仇討ちの有志に名を連ねることを許されます。前半はここまでです。あらすじも読んでくださった方は、おつかれさまでした。後半を続けてアップしますので、またご覧くださいね。
2021.01.05
コメント(17)
昨日は文楽鑑賞教室を見に行きました。 今回も、文楽にあまり馴染みのない方達も気軽に楽しめるような、ストーリーがわかりやすく見て楽しい作品が演目に選ばれていました。 一つ目は舞踊系の作品で「二人禿(ににんかむろ)」。赤い着物を着てキラキラのかんざしを挿した女の子、廓の禿が2人で、羽根つきをしたり手毬をついたり、仕事は楽じゃないと愚痴を言い合ったりします。舞踊作品らしく、床には4人の太夫さんと4本の三味線。煌びやかで楽しい演目でした。 間に人形遣いの吉田玉翔さんの解説を挟んで次の演目は「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」の「葛の葉子別れ(くずのはこわかれ)」、陰陽師安倍晴明が、父安倍保名と信田の森の白ぎつねとの間に生まれたという伝説が元になった作品です。 信田の森で保名に命を助けられた白ぎつねは、その恩返しのため、許嫁の葛の葉姫に化身して大怪我を負った保名を介抱し、その後妻として共に暮らしていました。安倍童子と名付けられた子どももいましたが、そこに真の葛の葉姫とその両親が訪ねてきます。狐は保名と子どもとの別れを決意し、元の狐の姿に戻り姿を消します。 童子は母を慕って泣き叫び、保名も狐であっても息子の母だし自分の妻だと言います。しかし障子を開けると襖に狐の書いた会いたければ信太の森に訪ねて来なさいという歌だけが残されていました。 そこに保名を殺して葛の葉姫を奪おうと男たちが暴れ込んできますが、保名は機をバラバラにして投げつけるなど、狐が力を貸したかのような日頃にはない働きぶりで、悪者たちはあるものは逃げ、あるものは命を失って、1人もいなくなりました。 保名は葛の葉姫、童子を伴って信太の森に狐を訪ねていきます。 狐といえば桐竹勘十郎さんの名が思い浮かびますが、今回の舞台で狐の葛の葉を遣ったのは豊松清十郎さんでした。 とても清楚で清十郎さんらしい狐さんでした。 そして、保名を吉田玉男さん。 勇壮な武者はそれはもうかっこよくて、まさに玉男さんの真骨頂と感じますが、不器用で優しすぎる弱い男が妙にリアルに迫ってくる、最近の玉男さん。昨日の保名はダメ男ではないけれど、心にちょっと弱いところがあるのがとても実在感を持って伝わってきました。 文楽作品は発表当時と現代の倫理観や常識の違いから登場人物の振る舞いや生き方、筋立てに納得のいかないことも多いのですが、この作品ではその違和感がほとんどなく、むしろ狐の健気さ潔さに共感を覚え、保名の愛情の深さが胸に染み、とても爽やかな気分で、劇場を後にしました。 そうそう、この日は楽しみにしていた国立劇場名物のお土産もゲットできて、さらに満足でしたっけ。 切腹最中です。 このもなか、餡子の中にお餅が隠れています。 餡子好き、お餅大好きの夫にはドストライクのお土産。時々品切れなのか売店にない時があるのですが、そんな時は夫の表情が心なしか寂しげです(😅)。
2020.12.06
コメント(19)
今日、スマホを開いたらなぜかこんな↓記事が目に飛び込んできました。 うまくリンクを貼れないのだ長いけれど全文コピペします。 ざっと斜め読みでもしていただけたら幸いです。 *** 国立文楽劇場、企画公演「ザ・グレイト文楽」で再開へ (ここにポスター?の写真があったのですが、残念ながらコピーできません 「ザ・グレイト文楽」 4月8日以降、コロナ禍で本公演の中止が続いていた国立文楽劇場(大阪市中央区)で10月21、22日の2日間、企画公演「ザ・グレイト文楽」が開かれる。特別企画「無伴奏チェロのための『BUNRAKU』」では、人形遣い・桐竹勘十郎とチェリスト・宮田大が登場。11月の本格再開を前に贅沢な和と洋の夢の共演が繰り広げられる。 「BUNRAKU」は、作曲家・黛敏郎が日本の三大芸能のひとつ、文楽の世界を西洋楽器のチェロで表現した楽曲で、チェリスト・宮田 大をゲストに迎え、太夫の語りや三味線の音色を彷彿とさせる旋律に合わせて勘十郎が「関寺小町」をイメージした演技を披露する。 チェロの音に合わせ舞う「関寺小町」と、後の太夫・三味線と演じる「関寺小町」との見比べや、チェロと太棹三味線の音楽表現比べは文楽ファンやクラシック音楽愛好家にとってまたとない垂涎の機会だ。 本公演を前に勘十郎は「(コロナ禍で)何百年も大阪で守り育てられてきた芸能が無くなってしまうはずがございません。体力、気力を落とさないよう、できることを少しずつでもやっておりますので、大阪での文楽再開、ぜひとも無事につとめたいと思っています。まだまだ不安な毎日ですが、私たちのお芝居が以前と変わらずつとめられていたら、温かい拍手を頂戴いたしたいと思います」とコメント。また、宮田は「なかなか演奏する事のできない国立文楽劇場で、日本と西洋の芸術が一つとなり、他では味わえない勘十郎さんとの一期一会の再共演がとても楽しみです」と大阪での文楽再開へ熱い思いを語った。特別企画公演後、「花競四季寿」を上演する。 *** ポスターの写真は二世桐竹勘十郎さんとおそらくチェロ奏者の宮田大さん。できれば見に行きたいけれど、10月21日22日って平日なんですよね。 それに会場は国立文楽劇場、つまり大阪です。 是非ここで文楽を見たいとずっと願ってきた場所ではありますが、新幹線か飛行機での往復、宿泊が不可欠です。 2ヶ月後の状況を正確に推測することはできないにしても、少なくとも、今より格段に良くなっているだろうとはとても思えません。 殊に最近の大阪については、楽天的にはなれない報道が相次いでいるという状況もあります。 東京大阪間じゃあ車で送迎を頼むなんてできないし、ツアーバスでも企画してくださる方がいらしたら、なんとか休んで行っちゃうのだけど。。。 やっぱり、無理ですね。 でも、行きたいなあ。はあ😩。
2020.08.22
コメント(19)
12月14日土曜日、先週に引き続き東京国立劇場にいきました。12月文楽公演「一谷嫩軍記」(いちのたにふたばぐんき)観劇のためです。14時開演なので、半蔵門線に乗る前に軽くお昼をしておこうとパン屋さん「浅野屋(錦糸町テルミナ店)」のイートインスペースへ。このお店の食パンとかフランスパンが好きでたまに買うのですけど、この日はサンドイッチとアップルジャムのたっぷり入った紅茶を戴きました。サンドイッチもパンが美味しいので格別です。でも先を急ぎますので、ゆっくり味わってもいられず、ササッと食べて地下鉄に乗りました。半蔵門に着き、電車を降りようとドアの前に立つと、ホームドアの向こうに見覚えのあるお顔が見えました。なんと、前の日記に書いた人形遣いの吉田玉男師匠、午後の舞台には出演されないので、今日はもうお帰りのようです。玉男さん、とってもオトコマエでいらっしゃるのですけど、お顔をまじまじ眺めたりなんか致しません!さりげなくすれ違いました。そう言えば、吉田玉女さんだった玉男さんが、師匠の初代吉田玉男さんのお名前を継がれた二代目吉田玉男襲名披露の公演の演目がこの一谷嫩軍記でした。その頃わたしはブロ友のnaominさんに誘って戴いて文楽を見始めたばかり、まだ2回目か3回目だったでしょうか、何もかも目新しくて、文楽の理不尽な筋運びすらすごく新鮮で、というか、毎回「え~~なんでそうなるの」と思うばかりで、居眠りするどころか、最初から最後まで目を爛々と光らせていたことを思い出します。考えてみると、翌年の国立劇場開場50周年記念公演の出し物も一谷嫩軍記でした。この時は40年振りという初段、2段目、3段目の通し狂言でした。(一谷嫩軍記は、実は五段目まであるのですが、三段目までが並木宗輔の作品、しかも絶筆ということもあって、その後の段(別の戯作者が書き足したものだそうです)とは別扱いなんだそうです。一谷嫩軍記は、平家物語の「敦盛最後」にも描かれた、一ノ谷の合戦で熊谷次郎直実が無官太夫敦盛を討った物語です。源氏の侍大将熊谷次郎直実が、弱冠16歳の平敦盛を討ち取ったことで世の無常を悟り出家したという話は世に広く知られ、能や舞にも(のちには小学唱歌にも)なっていました。この物語を、戯作者並木宗輔が、直実が首を刎ねたのは平家の公達敦盛ではなく、敦盛と同じ16歳の我が子、小次郎直家という、全く違うお話に作り変えてしまった、それが一谷嫩軍記でした。三段目での衝撃のどんでん返しに、この時代の観客たちはどれほど驚いたことでしょうか。平家物語を読んだことがある、内容をよく知っているという人より、その反対の人の方が断然多い現代と違い、「直実は敦盛を殺した犯人だ」というのはその時代の一般常識だったに違いありませんし、なにより、人々はお芝居のしょっぱな、組打ちの段で、直実が敦盛の首をはねる場面を目撃しているのです。しかも、横恋慕する平山何某に刺され近くの物陰に倒れていた、敦盛の妻である玉織姫が直実の声を聞いて瀕死の状態であらわれ、「もう目も見えない!」と言いながら刎ねられた敦盛の首を掻き抱いて息絶えて、観客は若い二人の悲恋に涙を絞り。。。結果、彼らの中で敦盛の死は確定事項となります。でも、実はその時彼女は「目が見えない」のです。これが伏線で、三段目に見事回収されるわけです。更には、桜の若木の前に義経が立てさせた「この桜の枝を切ってはならない」という制札の文言「一枝を切らば一指を切るべし。」、これに込められた義経の命令・・・若木を敦盛に見立て、彼を斬るのなら一子を切れ・・・も熊谷によって三段目で解き明かされます。とはいえ、それだけだったら当時の人たちでさえ、「なんてむごい命令!」とか「主に命令されたからというだけでわが子を殺す親がいるだろうか?」などと反感や疑問を持ったに違いありませんが、そういう観客も納得させてしまうような伏線が、やはりお芝居の初めに仕込まれています。それは敦盛の父経盛が実は敦盛は後白河法皇の落胤であると明かす場面です。つまり、平家が滅亡し、幼い安徳天皇が亡くなれば、敦盛が天皇になるかもしれないということなのです。それを知った義経は敦盛を討ってはならないという命令を熊谷にこの制札で伝えたということ、もちろん熊谷もそれを知ったから、泣く泣くわが子を討ったわけなのです。現代のわたしたちにはわが子を殺す理由にはなりませんが、当時の人たちは納得したのでしょう。熊谷直実が出家するのも、敦盛を切ったからではなく、実は主の命令とは言えわが子の命をわが手で絶ったことが理由なのだと、改めて深く頷いたことでしょう。こんな風に、あちこちにたくさんの伏線が張られ、のちにそれがしっかりと回収されていて、まるで良くできたミステリーのような作品です。細部までシッカリ作りこまれていて、ここまでされたらもう何も言うことはない、気持ち良く騙されておこうと、わたしが当時の観客でも大きな拍手を贈ったことだろうと思います。さて、今回の一谷嫩軍記です。拡大して見て戴くとわかりますが、今回の舞台は小次郎直家の出陣から始まっています。これが直実、今回の舞台では吉田玉助さんが遣っています。こちらは襲名披露公演の時の吉田玉男さんの熊谷です。義経の首実検を受けようと、敦盛と偽って小次郎の首を持って本陣に行こうとしているところに、義経が熊谷の陣屋に首実検をしに来て、熊谷がご命令通りにしましたよと示すために制札を引き抜くという場面ですね。この後、出陣の支度をすると言って裏に入り、出てきた時は、墨染の衣で有髪の僧の姿となり、有名な「16年は一昔。夢であったなあ」というセリフがあるのですが、ここは、3度目の今回もやはり胸が熱くなり瞼がじわっとしてしまいました。
2019.12.18
コメント(18)
先週の金曜日のお出かけは実は文楽で、年に一度開催される文楽鑑賞教室でした。 土日や昼の部は学生生徒向けで、まずそういった団体から予約をとるようで、良い日の良い時間にはもうチケットが売り切れていたので、夜の「社会人のための文楽鑑賞教室」を拝見したのです。と言っても学生向けのものとプログラムは変わらないようで、人形遣い、太夫、三味線の三業の説明もきちんとされ、若手さん中心に文楽も上演されました。 ここにもあるように伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)火の見櫓の段と平家女護島(へいけにょごのしま)鬼界が島の段。 伊達娘恋緋鹿子は、有名な八百屋お七に題をとった作品で、火の見櫓の段は中でもクライマックスです。 火事のためお寺に避難したことから寺小姓の吉三郎と恋に落ちた八百屋の娘お七。 吉三郎は主君が盗まれた刀を100日のうちに取り戻さないと切腹しなくてはならない羽目に陥っています。 その刀を盗んだのは、お七の親に家の再建費用を貸していて、それをたてにお七との結婚を迫っている武兵衛です。使用人の盗み聞きからそれを知ったお七は武兵衛から刀を盗み、吉三郎のもとに届けようとしますが、町の木戸が閉まる刻限となり、行かれません。 お七は、火事を知らせる半鐘が鳴ると避難のために町木戸が開放されると思いつき、嘘で半鐘を鳴らしたものは捕らえられ、極刑に処せられることを知りながら、降りしきる雪の中、凍える手足を必死で動かし、滑る梯子を何とか上り切り、半鐘を打ち鳴らします。 (文楽のお七さんは、放火をしたのではなく、火事だと半鐘ならしただけということになっています。) ほんの短い一幕ですが、筋立てもわかりやすく、振り袖姿で何度も滑りながら梯子を上るお七の姿が人形浄瑠璃ならではの演出で楽しめました。 このあと、文楽の魅力の解説があり、平家女護島の上演です。 これは、平家物語、源平盛衰記などを基に近松門左衛門が書き下ろした作品で、鬼界が島の段は通称「俊寛」と呼ばれ、二段目の後半にあたる部分だそうです。 俊寛僧都たち3人は平清盛への謀叛を企てた罪では最果ての島、鬼界が島に流され、食べ物にも事欠く苦しい生活を送っていますが、そんな境遇の中、丹波少将成経は島の海女千鳥と恋仲になり、結婚しようとしていることを仲間に打ち明け、酒はないので水で杯を交わします。 そこに3人の恩赦を知らせる船がやってきて、大喜びで4人で赦免船に乗ろうとしますが、船に乗れるのは3人だけと言われてしまいます。 嘆きあう4人に上使の妹尾は俊寛の妻が清盛によって殺されたことを告げます。夢に見ていた妻との都での暮らしが叶わないと知った俊寛は、自分は残るので代わりに千鳥を船に乗せてくれるように妹尾に頼みます。 しかし妹尾に断られてしまい、俊寛は妹尾の刀を奪い取って切り殺します。そして自分は上使を殺した罪でこのまま島にとどまるので、千鳥を連れて行くようにともう一人の上使に頼み、船を見送ります。 けれども船が動き出すと俊寛はやはり強い望郷の想いに苛まれ、手を振り声の限りに船を呼び続けます。 のパンフレットの写真は最後のシーンで、船に向かって返せ戻せと手を振りながら叫び続ける俊寛の姿です。 俊寛って、野心家で強いけどズルくて食わせ物というイメージでしたが、この作品の俊寛は、強くて優しく温かい、とても人間味を感じる俊寛でした。 この日は、俊寛僧都を吉田玉男さんが遣っておられました。 なんだかとっても不思議なのですが、玉男さんは人形に、何か目につくような細かい動きや特別な仕草なんかをさせたりする方ではないのに、それなのに、玉男さんが遣うと、なぜかただの○○(役名)じゃなくて玉男さんの○○っていう印象がはっきり残るのです。 それってどういうことなのか、わたしにはまだよくわからないのですけど。。。とにかくそういうわけでこの日の俊寛も、見事に吉田玉男の俊寛なのでした。 また、この日、桐竹勘十郎さんが遣っておられた海女千鳥にも、近松さんのたょっと特別な思い入れが見られたような気がしました。 千鳥は、文楽のヒロインらしく、初々しく可憐であると同時に、海女らしい気の強さも持った女性ですが、近松さんは、この千鳥さんの素朴な島の娘としての一面も描きたかったようで、それが千鳥が恋人成経から流人仲間?の俊寛と康頼に初めて紹介される場面に現れています。 床本を見ると、『。。。父様よ娘よむぞうか者と、りんによぎやつてくれめせ」というセリフがあるのですけど、最後の「りんに~~」は、可愛がってくださいという意味の島言葉だとパンフレットに注釈がありました。 鹿児島弁も島に行くとその島独特のなまりがあって、さらにわかりにくくなるそうで、わたしにはの言葉は初耳でした。 でも、その前の「むぞうか者」は特に注釈がなかったけれど、夫の郷里の霧島市でよく耳にしていた言葉で、「むぜ」、「むぞ」、「むぞか」、「むぞがっ」などいろんな言い方をしますが、鹿児島弁で可愛いっていう意味の言葉だと思いました。 近松さん、しっかり取材していらしたんだなあと感心する半面、これを見た当時(江戸時代)の大阪の人たちは意味が分かったのかしら?と首をかしげつつ、ちょっと笑ってしまいました。 そして、さすがに勘十郎さん。 そんな、ただ若くて綺麗なばかりではなくてちょっと訛っていたりもする、人間味のある「千鳥さん」を、わたしたちにしっかり見せてくださいました。
2019.12.15
コメント(12)
まとまったものを書く時間がなかなか取れないので、またまた端ネタですが、ずっとほしくて、でも見つからなくて、ほとんど諦めていたものがこの間ゲットできたので、それをアップしたいと思います。ツメやんズの一人、腰元の浅黄ちゃんです。3人で一体の人形を遣うことが大きな特徴の人形浄瑠璃ですが、端役の群集や兵士、子ども、腰元などは頭だけで身体も足も手もない人形が使用されます。こういう人形はツメ人形と呼ばれて、まだ、脚遣い、左遣いとしても舞台にあがれない修行中の人形遣いさんが一人で遣います。美男美女揃いの文楽人形の中で、よく言えば親しみやすく個性的な顔立ちのツメ人形たちにスポットを当てた文楽グッズがツメやんズというシリーズです。この子はその中の携帯ストラップの仲間のひとりです。先日、明治神宮の鳥居前で開催された「にっぽん文楽」に出掛けた時、会場の端っこに設営されたテントの売店で見つけたのです。国立劇場に行く度に売店を覗いては探していましたが出会えなくて、ここで会ったが百年目とばかりに即買いしました。可愛いでしょ?わたしのスマホ、この子の仲間たちでとても賑やかなので、もうふやさないと決心していたのですが、この可愛さの前にはその決心も無力でした。その賑やかな仲間たちの中で、この子はまだご紹介していませんでしたよね。「こども」ちゃん、唐子頭がとりわけお気に入りです。目のあたりが擦れたのか、ウィンクしてるみたいになっちゃいましたが、そこがまた可愛くて、なんか悪戯をしてコラァとか言われて、右手で頭を掻き掻き、片目を眇めて「でへへ」とか言ってるように見えませんか?この子たちを企画制作して販売していたNPO法人「文楽座」は3月いっぱいで解散してしまいます。もう、仲間が増えることはないのかしら?そう思うとなんだか寂しいです。最後の最後にご縁があって手元にやってきてくれたので、大事にしないとと思っています。出会いの場となった「にっぽん文楽in明治神宮」は、国立劇場で見るのとは趣の違う、お楽しみいっぱいの催しで、早いうちに時間を取ってレポートしたいと思っていますが、ご一緒したnaominさんは早々にレポートされていますので、興味がおありの方はこことここを見てください。
2019.03.27
コメント(15)
前の日記に書きましたが、夫は普段食事のあとはリビングでテレビを見るのですが、エアコンのスイッチを入れて温まるまでの時間が待てなくて、最近キッチンのテーブルにおいてある小さなテレビに寝るまでかじりついているので、わたしはブログを更新する暇がありません。 ラップトップなんだからわたしがリビングに持ち込めばいいとは思うのですけど、台所でいろいろなことをしながら細切れにPCを入力するので、時間も無駄、電気も無駄で、何よりその2-3mの移動で、何を書こうと思っていたのだったかわからなくなってしまったりして、結局更新が滞ります。 そんなわけで、先日、じぇりねこさん、まるさんとのオフ会のあと、国立劇場で文楽公演第3部の「ひばり山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)」」の内「中将姫雪責(ちゅうじょうひめゆきぜめ)の段」と「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」」の内「阿古屋琴責(あこやことぜめ)の段」を観たことを書いた時、詳しくはまた今度と書いたままになっていました。 その時に簡単に粗筋などは書きましたが、大変に素晴らしい舞台だったので、自分の心覚えのためにももう一度詳しく書いておきたいと思います。 あまり興味がないという感じの方は、今日はスルーしてくださいね。 「ひばり山」は、奈良の當麻寺に伝わる蓮糸の曼陀羅にまつわる物語で、その主人公中将姫は日本古来のスーパーアイドルらしく、20代の若さで極楽往生したと伝わり、當麻寺ではその極楽往生の有様を練供養として千年以上も演じ続けているそうです。 蛇足ですが、有名な漢方薬に「中将湯」というのがありますが、あの商品にもこの中将姫にまつわる逸話があるようです。 この日の演目「中将姫雪責の段」は、先日も書きましたが、いわゆる継子いじめものです。 あらすじはー 長屋王子は今上天皇を弑して自分の息子を天皇に即位させ、権力を得ようとしています。 中将姫の父で右大臣の藤原豊成はこれを阻止しようとしていますが、豊成の妻、姫の継母で、王子の息子春日丸の乳母だった岩根御前は、その企みに加担しています。 岩根御前は中将姫を憎んでいたこともあって、企みを知られたと思い白状させようとしますが、中将姫は母をかばい、口を割りません。 業を煮やした岩根御前は仲間の大弐広嗣と謀って中将姫に罪を被せ、その調べの最中に死んだことにしようと企み、雪の中、上着も剥ぎ取り、奴二人に姫を割り竹で打たせます。 むごい拷問で姫の命も危ういかと思われましたが、ふたりの女房が喧嘩のふりをし、姫がそれに巻き込まれて死んだふりをして、姫は窮地を脱します。 岩根午前と大弐広嗣は姫が死んだと思い込み逃げてしまったそので、そのすきに3人でひばり山へ逃れるため出発しようとしていると、豊成卿が現れ、岩根御前の企みは知っていたが、天皇を守るために岩根午前を止めることはできなかったと、大義のために娘を犠牲にする親の辛さを切々と語り、二人の女房に娘の身を託します。 毎日のように報じられる「親の虐待によって命を落とす子どもたち」が、虐待する親をそれでもやはり心の底では慕っているという姿と、自分は死んでも母をかばおうとして、女房てが継母の企みを明るみに出して姫を救おうとするのを固く禁じさえする姫の姿が重なって、涙が出て仕方ありませんでした。 そういう現実があるからか、父親豊成卿の言い種は言い訳にしか聞こえず、「こんなにダメダメなのに、それでも姫はそんなあなたを愛しているのですよ。恥を知りなさい。」と心の中で詰ってしまいました。 分かっていて娘を見殺しにする父の辛さを、豊成を遣う玉也さんはとてもよく表現されていたと思いますが、いかんせんタイミングが悪い。 現代だったらあなたは逮捕です、という悪態が胸の内から溢れそうでした。 中将姫を遣ったのは人間国宝の吉田簑助さんでした。 初々しく清楚ながら大変に芯の強い中将姫を、素晴らしく繊細に表現されていました。 ただ、歩みや動きがやや弱々しく感じられて、体調が少し心配になりました。 後半の演目「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」は、清盛の敵を討とうと頼朝を狙う、神出鬼没の平家の武将景清の馴染みの傾城阿古屋をとらえた源氏の武将が、景清の居場所を白状させるため拷問にかけるお話で、その詮議を担当する代官重忠が奇想天外の拷問方法を考え出し、観客はその拷問を楽しませてもらうという趣向でした。 この段のヒロイン阿古屋の人形遣いは、主遣い、左遣い、足遣いの3人全員が頭巾をかぶらない「出遣い」で、主遣いが桐竹勘十郎さん、左遣いが吉田一輔さん。足遣いは多分勘十郎さんの息子さんかしら?一輔さんは、中将姫雪責の段で中将姫を助ける女房桐の谷を遣ったばかりでの再登場で、びっくりしてしまいました。 阿古屋はこれまでの重忠の自分に対する処遇に心打たれていて、景清の行方を知っているなら言いたいけれど、知らぬことは言いようがない、いっそ殺してもらいたいと言います。 重忠はこれほど言っても白状しないなら拷問をすると言って、阿古屋に琴を弾かせます。 阿古屋は琴を弾きながら景清の名を歌詞に入れて景清を想う心を歌います。 実際の琴は床で、鶴澤寛太郎さんが弾いています。 その曲に合わせて阿古屋の頭と右手を勘十郎さんが、左手を一輔さんが操ります。 手の動き、指の動き、頭と体の動き、どれもが曲とぴったり合って、また。好きな男と会えず、その行方も知れない阿古屋の悲しみがちょっとした表情からにじみ出ます。 琴の調べと阿古屋の歌をじっと聞いていた重忠は「行方は知らないのか。知らないなら知らないとして、景清とのなれそめは?」と尋ねます。 五条坂の傾城である阿古屋が、清水の観音様に毎日お詣りに来ていた景清と、顔見知りから親しくなり馴染みとなったけれども平家の都落ちで縁が切れたと語ると、重忠は今度は三味線を弾けと言います。 阿古屋は三味線を弾きながら夫と別れた寂しさ、虚しさを歌う歌を唄います。 重忠は、「そんな暗い別れをかこつ歌はもういい。」と止め、「だが、西海の合戦で命を拾い、近頃はまた折々に都に姿を現す景清と、度々会っているのだろう」と尋問します。 阿古屋が、「平家の世であった時でも周囲に気を遣っていた方です。まして日陰の身となった今は、格子と編笠越しに、元気だったか、はい、あなたもとたった一言だけ、お別れをいう暇さえありませんでした。落ちぶれた身は哀れ。」というと、重忠は「なるほど。では、胡弓を弾け。」といいます。 阿古屋は、胡弓を弾きながら「多くの名所の美しい景色も時が過ぎれば夢が覚めたように消えてしまう。化野、鳥辺野の火葬の煙は絶えることがない。これが人の世の真実だ。」と景清との交わりのはかなさを歌います。 重忠は感動して、「阿古屋の拷問は済んだ。景清の行方を知らないことは明らかなので、解き放つ。」と宣言します。 阿古屋を自ら拷問にかけて何としても景清の行方を白状させようとしてこの場に来ていた岩永左衛門はこの判決を承知せず、そこで重忠は、「阿古屋が偽りを申し立て、曲がった心で弾いたのなら、琴、三味線、胡弓のどれも音色が乱れ狂ったはずだが、この度の演奏には、どの曲にも音の乱れはなく、メロディもリズムも合いの手もどれも正しく、知らないから知らないと言ったというのが真実だということが顕れていた。だから詮議は終了とした。」と説明をします。 これを聞いた岩永は一言もなく引き下がります。 実はこの岩永、最初は「拷問だなどといいながら、実は自分の楽しみのためだろう。」と憎まれ口を利いていましたが、曲が進むごとに首を振ったり、手あぶりの火鉢のふちをたたいて拍子を取ったり、阿古屋の芸に惹き込まれ浮かれた様子になっていきます。 観客は、寛太郎さんの見事な琴、三味線、胡弓に合わせて桐竹勘十郎さんと吉田一輔さんが操る、頭、身体、右手、左手の鮮やかで表情豊かな阿古屋の動きと、吉田文司さんの操る軽妙な岩永左衛門の動きに、左を見たり右を見たりと大忙しでした。 一方の重忠は、ある曲では腕を組んだり、またある曲では立てた刀の上に重ねた手に顎を載せたりと少しずつ姿勢を変えるだけで、演奏の間はほとんど身動きせず、ただ聞き入っているのです。 人形遣いは吉田玉助さんでしたが、阿古屋と岩永の眼を惹く素晴らしい動きに左と右を挟まれて、これはこれでとても難しいのだろうと、エラそうに言ってしまいますが、いわゆる難役ってヤツなんじゃないかと思いました。 短い演目でしたが、とっても濃い内容で、本当に堪能しました。 次回は、東京では5月の公演になりますが、名作「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」、15年振りの通し上演になるそうです。 全部見たいと思うと、1部、2部を通して1日がかりの観劇になるようで、さあどうしようかと、今から悩んでいます。
2019.02.24
コメント(11)
2月9日、文楽座学を拝聴した後、国立劇場小劇場で2019年2月文楽東京公演第1部を拝見しました。 演目は「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」から石部宿屋の段、六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川の段です。 お半長右衛門と言えば有名な心中物の狂言ですからご存知の方も多いと思いますが、38歳の帯屋長右衛門と14歳の信濃屋のお半との心中物語です。 捨て子だった長右衛門は、5歳の時に子どものなかった「帯屋」夫婦の養子となり、38歳の今は妻のお絹ととも帯屋の主として暮らしています。 5歳まで長右衛門を育てたのが、隣家の信濃屋の主でお半の父親でしたから、二人は隣同士の家で兄妹か叔父姪のように育ったのです。 伊勢参りの戻り道、お半は遠州の得意先から戻る長右衛門と出会い、同じ宿に泊まります。 その夜半、お供の丁稚長吉がしつこく悪さを仕掛けてくるといって長右衛門の部屋に逃げ込んできたお半が部屋に戻らないと言い張るので、長右衛門は仕方なく自分の布団に入れてやりますが。。。 お半を探しに来てその現場を見てしまった長吉は、悔しがって、腹いせに長右衛門が遠州のお殿様から研ぎに出すようにと預かってきた名刀を自分のわき差しとすり替えてしまいます。 京都では、養父繁斎の後妻おとせの連れ子儀兵衛が、長右衛門を追い出して、お絹もわがものにし、帯屋の主の座に収まろうと、長右衛門とお半のことをお絹に告げ口し、お半から長右衛門にあてた手紙をお絹に見せます。そこには「長様参るお半より」と書いてあります。 お絹は儀兵衛をうまくあしらって口をつぐませ、お半に恋慕する丁稚長吉には、自分とお半は言い交した仲で、手紙の長様とは自分のことだと言い張れば、恋を成就させてやると、お金も与えて約束させます。 後妻おとせは、わが連れ子儀兵衛可愛さから、血の繋がらない長右衛門を疎み、何かとつらく当たります。繁斎が窘めても聞くどころか、長右衛門が受け取っているはずの為替100両が入金されてないのを問い詰めるついでに自分がくすねた50両も長右衛門に背負わせようと口汚く責め立てると、その尻馬に乗った儀兵衛も、お半とのことを言い立て、お半からの手紙を読み上げます。 長右衛門をかばい続けてきた繁斎も、子どものようなお半との仲については小言をいいます。 ところがお絹は手紙の長様は長吉だと言い、儀兵衛は長吉を連れてきて問いただしますが、言い含められている長吉はそれは自分のことで、お半は自分の女房だと言います。 帯屋の家の中はこれで落ち着きますが、長右衛門はお絹に感謝しつつも、遠州の殿様の脇差の紛失もお半が妊っていることもお絹に打ち明けられず、命を以て償うしかないと心を決めています。 そこにお半がやってきます。諦めるので最後に顔を見たかったというお半に、長右衛門は自分のことは忘れて縁談を招致するように言い含め、人目があるから早く帰れと急き立てます。 お半は出ていきますが、様子がおかしいと門口に出てみると、桂川に身を投げて死ぬと書かれた書置きがありました。 それを読んで、15年前芸子と心中の約束をしたものの臆して自分だけ死にきれなかったことを思い出し、罪滅ぼしに一緒に死のうと長右衛門はお半のあとを追いかけます。 お半を背負って桂川にたどり着いた長右衛門はもう一度お半に生きながらえるよう説得しますが、お半は頑なに決心を変えず、二人を探す声に追われてさらに上流に向かっていきます。 座学の講師でいらした勘市さんいわく、江戸時代にあまりに心中が流行ったので、文楽や歌舞伎でタイトルに心中という言葉を使うことが禁止され、心中の場面を描くことも禁じられたため、この作品では二人が上流に向かって消えていくところで幕となっているそうです。 最初の2段は人形遣いさん3人ともが顔を出さず黒子さんが遣っていました。 状況説明、前振りというか、悲劇のおおもとの事情が語られる段だからかもしれません。 3段目の帯屋の段では、お半を豊松清十郎さん、長右衛門を吉田玉男さんが遣い、義太夫は前を豊竹呂勢太夫さん、三味線は人間国宝の鶴澤清治さん、切をやはり人間国宝の豊竹呂太夫さんと三味線を鶴澤燕三さんが務めました。 連れ子の儀兵衛がお半からの手紙を読み上げ長右衛門を陥れようとしますが、その手紙を滑稽に読み間違えたり、お絹が長様とは丁稚の長吉のことだというのに「あの洟たれの長吉がお半と!?」と言って大笑いをしたりするのを、人形の玉佳さんも良かったですが、何といっても義太夫の呂勢太夫さんが迫真の「笑いっぷり」で、わたしもつられて随分笑ってしまいました。 切の咲太夫さんの重厚な語り口は、後半の義父繁斎が継母のことはそのうち何とかするから後のことを頼むと長右衛門に言い聞かせる場面、お絹が真心を伝える場面、長右衛門がひとりになってやはり死ぬしかないと男泣きに泣く場面など、長右衛門の状況が抜き差しならないことが心にしっかりと沁みました。 豊松清十郎さんのお半は、清楚で小娘ながらきっぱりと心を決めた強さも感じられ、吉田玉男さんの長右衛門はもうじれったいくらいに不器用で誠実な中年男の姿が哀れを誘い、つい心を寄せてしまいました。 道行朧桂川の段は、竹本織太夫、豊竹睦太夫など5人の大夫さんと、竹澤宗助さん以下5人の三味線さんが並び、織太夫さんのお半は可憐に哀切に、睦太夫さんの長右衛門は男らしく、宗助さんの三味線は相変わらずかっこよくて、道行なので、賑々しくとはいきませんが、随分と豪華に楽しませていただきました。 勘市さんの講義は、わたしの知識が足りないせいで、十分に消化できてはいませんでしたが、観劇の中で、あ、ここのこと!と感じる場面もあって、それもまた楽しい気持ちにさせていただきました。 午後の早い時間に終演で、この後は家に帰ってのんびりのつもりだったのが、前々日に息子がヤッチマッタことがあって、それの後始末がようやくこの日に完了するということで、連休中に何とかしておかないと後々困るため、仕方なく雪がちらつく中仕事場に直行で、最後の部分の人手のいるところを、ちょこっとですがお手伝いして、終わらせてきました。 おかげで昨日は家の中を片付けるつもりが、半日ぼんやり寝てしまいました。 今日は、その残りを片付けて、夕方から新宿に出かけます。 また雪が心配ですが、まあ、元気に美味しいものを戴きに行ってきます。
2019.02.11
コメント(14)
昨日は文楽鑑賞の日、文楽座学の日、そして燃やせるゴミの日でした。早めにアラームをかけて起きだし、前夜用意しておいた雪仕様の服に着替えて、コーヒーをセットしてゴミをまとめ、コーヒーを淹れた滓を回収してゴミ出しに。玄関を開けるとどうやら何か降っている様子。表の道路へのドアを開けると。。。雪です‼️昨日の予報では降り始めは午後って言っていたのに、明け方から降っていたようで、昨日から出してあったらしいゴミ袋は、パウダーシュガーを厚めに振ったような塩梅です。寒いけど、服装はこれで大丈夫そう。家に戻って夫を起こして朝御飯。今の家は、どこの駅にいくにもバスに乗らないとなりませんので、雪に弱い東京の交通機関、遅れを心配して食べたテーブルはそのままで家を出ました。8時15分、地面はまだ濡れた状態ですが、街路樹の枝や葉には雪が積もってうっすらと白くなっています。気が急くので久しぶりの雪景色の写真も撮らずに停留所に向かうと、タイミングよくバスが来て地下鉄の駅へ。地下鉄を乗り継いで半蔵門に着き、地上に出ると雪は降っておらず道や木に積もってもいません。これ幸いと国立劇場の裏手にある伝統芸能資料館3階のレクチャー室へ。ここで、本日の第1部の演目「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」をテーマに、文楽技芸員(人形遣い)の吉田勘市さんを講師に文楽座学が行われるのです。講師の吉田勘市さん文楽についての講義というのは、わたしには初めての経験で、すごく楽しみにしていましたが、勘市さん、お話がとてもお上手で、しかも予想のはるか上をいく博識さ。義太夫の歌詞の出典から歴史、地理、登場人物のキャラクターや言動の解釈、そして観どころ、聴き所まで、あちらに跳びこちらに跳びしながら、汲めども尽きぬ泉のように面白いお話が湧いてきて、その知識の広さと深さに感銘を受けました。ここにおいでの方たちは、今日の第1部はもちろん、2部も3部もご覧になるのでしょうからと、他の演目のお話までどんどん飛び出して来て、1時間がアッというまでした。そして、もう一つ感心したのは、勘市さんだけでなくこの日参加していらした方たちの文楽に対する造詣の深さで、勘市さんのかなり踏み込んだ解釈の仕方だったり細かい場面の説明だったりにも、打てば響くように反応される方がたくさんいらしたのです。他の作品や作者との関連について話されても、「ハイハイ、それね。」「あぁ、そのこと!」みたいな方がたくさんいらっしゃいました。質疑応答の時間を設けてくださったのですが、その時の質問も、よほど観たり勉強していないと出来ないようなものばかりで、質問の内容を理解するのさえ大変でした。座学の受講はもう少し後でと思っていたと書きましたが、それは、前の日記に書いたような時間がないという理由だけではありませんでした。 文楽に初めて触れてから数年しかたたず、鑑賞歴も浅いわたしには時期尚早、もう少しいろんな作品に触れ、知識も得て、それからにした方がよいと思ったからでもあったのですが、その通りだったと感じました。これが最後のチャンスということで、無謀にもというか、図々しくも受講してみたのですが、続けてほしいという声はやはり多いようで、次回5月の東京公演の座学は開催予定とのことでチラシが配られました。 続けてくださることを希望はするものの、わたしにはまだ敷居が高いような気がして、次回の参加は決めかねています。そんなこんなでレクチャー室を出ると、なんとまあ、すごい降りです。国立劇場前庭。写真だとあまり降ってるようには見えませんが、それでも、拡大していただくと、下の方に降っている雪の粒が見えます。一番ひどかった時は、レースのカーテン越しに窓の外を見たみたいでした。さほど積もってはいないけれど、ちょっと東京とは思えない景色ですね。この後は11時開演の2019年2月文楽東京公演の第1部、「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」を拝見します。続けて書いてみたのですが、こんな時間になってしまったので、文楽のお話は明日に回して、今日はここで一度アップします。文楽はこの前に第3部も拝見していて、これがまた圧巻のすばらしさでしたので、是非ご紹介させていただきたいと思っています。どちらもまたまた長くなりそうですが、よろしくお願いします。
2019.02.10
コメント(4)
文楽5月東京公演第2部「彦山権現誓助剣」(ひこさんごんげんちかいのすけだち)、消えてしまったのと同じには書けませんでしたが、当日のあの臨場感はやっぱりムリなので、諦めてアップします。この日上演されたのは全11段という,超大作の六段目「須磨浦の段」から「瓢箪棚の段」、「杉坂墓所の段」、そして九段目「毛谷村六助住家の段」までの4段でした。明治までは大人気の狂言で、全11段通し上演がたびたび行われていたそうですが、なにしろ11段、尋常でない長さです。お弁当からおやつ、飲み物、つまみにお酒まで持ち込んで、桟敷で寝転んでみることもできたと聞くその頃と違い、イスに座って観劇するようになった昭和以降には、ほとんど九段目「毛谷村六助住家の段」のみの上演にとなり、通し上演は国立劇場で1975年に行われたくらいで、今回の4段続けての上演も半通しと呼ばれる珍しいことで、平成12年以来、18年振りのことだそうです。さて、お話です。6段目からですので、なかなかわかりづらいと思いますが。。。須磨浦の段同僚の京極内匠の闇討ちにあって殺された、長門の国の剣術指南役吉岡一味斎の次女のお菊は、息子の弥三松(やそまつ)と若党の友平と3人で敵討の旅をしています。お菊が疲労困憊で、体調もすぐれないのを気遣って、友平が前の宿へ籠を雇いにいっている間に、浪人姿の京極内匠が通りかかり、国にいるころからお前に惚れていた、ここで会ったのは神の導きとお菊に迫ります。お菊は、弥三松を葛籠に隠し、京極に気のあるふりを装いながら隙を見て打ちかかりますが、あえなく返り討ちにされてしまいます。その時友平が戻ってきますが、時すでに遅く、友平は息絶えた菊のそばで敵のものらしい守り袋を見つけ、弥三松も葛籠の中から助け出します。*****吉田勘彌さんのお菊は、内匠に横恋慕されるほど美しく、病身で弱々しいけれど、友平に帰国を勧めらると、たとえ返り討ちにあっても敵を追うと言い張る凛々しさもあって、殺されてしまう哀れさが際立ちました。京極内匠は吉田玉志さん。強くて暴力的で、色にもお金にも汚く、根性は曲がり切っているという、物凄くアクの強い悪役が、玉志さんだと、ものすごい感じじゃなく、さらっとクールで、もう一枚皮を剥ぐと中に別の人物が潜んでいるかもと思わせます。どちらもとてもいい配役です。それと義太夫では、若くてイケメンの咲寿太夫さんが甲高く良く通る声で子どもの弥三松をやっていらしたのが、ピッタリなんだけどなんだかおかしくて、床を見ると笑えてしまいました。瓢箪棚の段山城の国小栗栖(おぐるす)。京極内匠はばくち打ちを装い、いかさまばくちをして往来で稼いでいます。一味斎の上の娘で、お菊の姉のお園は、敵がそんなに近くにいるとも知らず、夜になると近くの神社で夜鷹のふりをして、京極を探しています。そこへ弥三松を、お園の泊っている宿に預けた若党の友平がやってきます。妹お菊の最後を聞いて嘆くお園に、友平は犯人の守り袋を手渡して腹を切り、いまわの際に守り袋から落ちたへその緒を池に投げ込みます。すると、不思議なことに、池の水が逆巻き、水煙の中でお園の懐の千鳥の香炉が啼き声をあげたのです。それを、自分を呼ぶ声だと思ってやってきた京極内匠は、水煙を見て、山崎の合戦で敗れこの地で命を落とした明智光秀の亡霊だと言い、色々思い合わせて自分が実は光秀の子であったと悟ります。そして、久吉(秀吉)が光秀の首を洗ったその池に、光秀が隠した名剣蛙丸でを探し当てます。剣の気を受けて蛙の声もお園の香炉の啼く声も大きくなり、不思議がりながらも立ち去ろうとする京極内匠の前にお園が立ちふさがり、お互いに相手を知らないまま、二人は刀をめぐって争い始めます。争ううちに剣は傍らの瓢箪棚にはね上げられ、内匠が棚に上り、それを追ってお園も棚の上に。二人の争いは互角の様相、どうやらお園さん、女性とはいえ、大変な遣い手のようで、剣が折れると今度は鎖鎌(!)で相手の太刀を受け止めます。お園はその太刀を見て、敵と思い当たり、月明かりの中後を追っていきます。*****お園は、吉田和生さん。いつもはいい女房みたいな落ち着いた役の多い和生さん、お園は珍しい役のような気がしますが、このはっちゃけた娘さんの生真面目さや女らしさが際立つようで、とても好感が持てました。このお園と京極内匠の立ち回りがすごいのです。二人で瓢箪棚の上で争う内、いきなり玉志さんが人形もろともその棚の上から飛び降りるのです。皆さん思わず息をのみ、一拍遅れて拍手していました。玉志さん、涼しい顔で、すご~~い!!それともう一つすごかったのが、奥の鶴澤藤蔵さんの三味線でした。前に、確か忠臣蔵の時だったか?三味線がまるでロックのようでしたと書いたことがあったの覚えていらっしゃるでしょうか。藤蔵さんを見て、すぐに、あ、あの時の!と思いました。今回もすごく熱のはいった演奏で、まさにロックでした。義太夫の津駒太夫さんも、その力のこもった三味線に全然負けてなくて、こちらはしっかり義太夫でしたが、あの気迫に太刀打ちできるロッカーもなかなかいないかもしれません。杉坂墓所の段いつものように亡き母の墓を参っている六助。そこへ四十九日だからと、村の男たちが山仕事の合間にやってきます。明日の五十日の念仏の約束をして男たちが帰っていくと、老婆を背負った浪人風の男が通りかかり、六助の名を聞くと、六助に勝てば五百石の知行を与えるとの高札を見たので、剣の試合をして自分に負けてくれるように頼みに来たと言います。老いた母への孝行のためだと涙ながらにいうのを聞いて、六助は今まで負けたことなどないが、母への孝のためなら負けましょうと承諾します。親子と別れ六助が水を汲みに行っている間に、墓所の前を通りかかったお園の連れの佐五平は、京極内匠の一味、門脇儀平と仲間に襲われます。連れていたお菊の息子弥三松を小屋に隠しますが、佐五平は切られてしまいました。そこへ戻ってきた六助は賊をやっつけますが、深手の佐五平は、身振りで弥三松を頼むと手を合わせたきり何も言い残すことができずに息絶えてしまいます。名を尋ねても国を尋ねても泣くばかりの幼い弥三松に困り果て、六助は家にに連れて帰ります。*****六助は吉田玉男さん。六助って本当に強くて、佐五平を襲ったやつらをやっつけたのも、どうしたかといえば、体をひとひねりするだけで投げつけて気絶させ、気付いたのを引き倒し、岩にブチ当て、挙句に谷に投げ捨てちゃう。その間、佐五平に泣いてすがる弥三松を抱き上げ、あやしたりしています。気は優しくて力持ちを絵にかいたような人で、悪い奴には恐ろしい程の強さですが、弱いものや仲間にはめっちゃ優しく、なおかつとんでもなく人がいいのです。先週見た玉男さんの慈悲蔵も親孝行な善き人でしたが、それでも彼はお腹の中に秘めたものがあり、忠義のためには自分の子を殺し、兄が逃げられないように手裏剣で傷つけたりもします。ところがこの六助さんは、どうやら善人も善人、まるで秋の青空のようにスコ~~ンと、底も天井もないかのような人のよさです。それはもう危うい程ですが、玉男さんの六助には危なげも頼りなさもなく、もう気持ちよいばかりなので、舞台上の善き人に安心して寄り添っていられました。毛谷村六助住家の段毛谷村の住処に戻ると六助は勝ちを譲る約束をした微塵弾正と立ち会い、約束通り負けてやります。弾正は人が変わったような傲慢な態度を取り、扇で六助の額を打ちます。村人たちも強いと信じていた六助が負けてあからさまに失望を口にしますが、六助は気にも留めず孝行の手伝いができたと満足気です。弥三松の着ていた血まみれの小袖を洗って門の外に干しておくと、ひとりの老女が泊めてほしいとやってきます。とにかく休んでいきなさいと家にあげると、いきなりひとり暮らしなら親子にならないかと言い出し、お金も持っているし、足りなければ金儲けの方法も知っていると言います。首をかしげながらも奥で休ませ、仏壇に念仏を唱え鈴を鳴らしていると、弥三松が外から戻ってきて、母を恋しがって泣いています。六助、思わず駆け寄り抱き上げてもらい泣きです。泣くのはやめて太鼓で遊ぼうと誘うと、弥三松は眠たいから寝ると言ってコトンと寝てしまいます。その時、門口に怪しい虚無僧が現れ、弥三松の小袖に見覚えがあると手を伸ばしたところに、近所の男たちが、泥棒だとつかみかかりますが、逆に尺八で叩きのめされ逃げていきました。六助が気付いて出てきながら偽虚無僧だとなじると、笠を脱ぎ捨てて、家来のかたき!と打ちかかってきます。それは、虚無僧に身をやつしたお園でした。門口の小袖を見て、六助が佐五平を殺して金を盗み、弥三松まで。。。と思ったのです。筒に仕込んだ短刀で切っ先鋭く切りかかるのを、無刀の六助は躱し、それをお園が追い、争っていると、眠っていた弥三松が起きだし、「伯母様」と駆け寄りました。六助が杉坂でのいきさつを説明し、お園の誤解が解けます。そして、六助が名乗ると、お園は驚きながら六助をうっとりと見つめ、妻がいないことを確かめると、自分が妻だと言い出し、夕飯の支度をはじめます。親になりたい人が来たかと思えば今度は妻ですから、どうしたことかといぶかしく思い、仔細を尋ねると、以前、父の一味斎が、豊前国毛谷村の六助という剣術に優れた若者を将来お園と結婚させて吉岡家を継がせようと会いに行ってきたと言ったというのでした。許嫁のことも、一味斎の死も知らなかった六助は仰天しますが、お園は敵討に旅立つ前に盲目の弟が自害したことや妹も切り殺されたことなど、辛かったことを打ち明けます。それを聞いた六助も、一味斎から兵法印可の巻物を賜ったことを思い出し、落涙します。そこへ先ほどの老女が奥から出てきて、自分が一味斎の妻であることを告げ、一味斎の形見の刀を六助に差し出しました。六助は刀を戴き、お園と三々九度を交わします。そこへ木こり仲間が板戸に遺体を乗せてやってきます。それは斧右衛門の母親で、むごい殺され方をしていましたが、六助には、それが過日微塵弾正が母といって背負っていた老婆だとわかりました。それを見て、微塵弾正の嘘に気づいた六助は怒り心頭。微塵弾正の名を聞いたお園親子も、京極内匠の流派は微塵流で、年齢や人相も一致することから、微塵弾正は敵の京極内匠に間違いないと気づき、一刻も早く敵を討ちに行きたいといいます。しかし六助は、真剣で勝負する前に、自分がこの前の意趣返しに木太刀でぶちのめすので、そのあとに敵討をすればよいと言います。三人は身支度を整え、弥三松もつれて、小倉の領内へ出かけていきました。*****この段では、最初床が無人で、三味線さんも大夫さんもいないのです。六助の家の前で役人たちが見詰める中、弾正と六助の試合が始まり、終わってようやくドンデンが回り、睦太夫さんと勝平さんが現れました。先週の織大夫さんがテノールなら、睦太夫さんはバスバリトンといった趣の、男らしく力強い義太夫です。前半の「押しかけ養母」のあたりの、玉男さんの六助の、善き人をはるかに超えた桁外れの天然ぶりが、男らしくきっちりと語る睦太夫さんのまじめそーな義太夫でさらに可笑しみが増し、くすくすと何度も笑ってしまいました。このあたりの呼吸って、大阪っぽい演出なのじゃないかなあと思いながら。後半の義太夫は千歳太夫さんで、千歳さん大好きなわたしですけど、ひいきを抜きにしても、それぞれの人物を丁寧に表現していて、とっても良かったのじゃないかと思いました。まず、幼子の弥三松。母を慕って泣いたりぐずったり、そうかと思えば、太鼓で遊ぼうと誘ってあやす六助に、「おりゃ眠たい、寝さしてほしい」と言ってコロンと寝てしまうあどけなさが可笑しくて可愛くて、何百年たっても子どもって変わらないっものなのねと胸が熱くなりました。それからお園。偽虚無僧といわれていきり立ち、家来と甥の敵と思い込んで六助に打ちかかるお園と、その男が許嫁の六助であると知って急にかいがいしく女房ぶりを発揮するお園、そして旅立ちから今までの苦労話を掻き口説くお園。おかしくも、可愛くも、涙ぐましくもあるいろんな顔を、実に印象深く語り分けていました。和生さんのお園も良かったです。女ながらに武芸に秀でた、元気で強気で力持ちの、少し薹の立ったお嬢さんが、六助という許嫁にあった途端に、あらら、甲斐甲斐しくも色っぽく、優しげな女性に豹変します。苦労話をしながらしてみせる後ろ振りというのかな、こういうのです。ネットから拝借してきた、これは桐竹勘十郎さんですが、女っぽいでしょ?こんなところも見せるんですよ。さっきまで虚無僧姿で短剣振り回していた女性が。。。って思うと余計にきゅんとしますよね。そうかと思えば、六助と三々九度を交わすのですけど、その辺にある盃での三々九度、オトコマエにもぐいぐいと一気にお酒を飲み干すお園のあっけらかんとした姿もまた笑いを誘います。和生さん、やはりいろんなひきだしをお持ちなんだと改めて感心しました。六助はといえば、そんな弥三松も、お園も、母親のお幸も、近所の木こり仲間たちも、誰をも疑わず、良いように解釈して受け入れる底抜けの天然ぶりと、小気味よい程の一本気さが、千歳太夫さんの語りから愛情たっぷりに伝わってきました。天下の達人一味斎が婿に迎えて跡継ぎにと決めただけのことはあって、超一流の武芸者らしい凛とした趣もありながら、その「底抜けの天然ぶり」がすごく自然で温かく、う~ん、これならお園さんが惚れちゃうわけだわと思いました。清々しいまでに自然で天然な青年の、文楽の登場人物には珍しく、世間だの義理だのに縛られない、からっとした明るさに、観客からも自然な笑みや哄笑が生まれていました。玉男さんの人形も、真っ直ぐで、気持ちがよくて、だけどしっかりと一本筋は通っていて、深みのある人柄の六助を、あっさりと表現していて、とっても良かったです。こんな素晴らしい舞台を見せていただくと、次の九月公演が本当に待ち遠しくなります。昨日、劇場の設計が。。。なんて不満を言いましたが、これだけ楽しませていただいたのですから、わたし、もとは十分とってましたね。
2018.05.25
コメント(20)
ゴールデンウィーク直前のお仕事トラブルに見舞われ、その後遺症と連休の祟り、得意先のK社さんの無茶ぶりに散々振り回されたmamatam社でしたが、連休明けの一週間で何とか状況が旧に復し、来週からは、いつも通りの忙しさに落ち着きそうです。そのテンヤワンヤの最中には、自宅PCのインターネット接続の不具合に悩まされたこともありましたが、それもすっかり落ち着いてくれました。先週はわたしもそりゃもうすごく頑張りました。件のトリプルトラップのあおりで手を着けることができずず、やむなく延期していただいていた経理の締め作業を、3月4月の2か月分やっつけ、昨日、会計事務所から先生に来ていただいて月次監査をしていただきました。といっても1か月後にはまた同じ作業をするのですが、とりあえずはホッと一息です。で、今日は久しぶりの半蔵門、国立劇場です。前回に引き続き今月も襲名披露公演で、今度は人形遣いさん、5代目吉田玉助さんの誕生です。新玉助さんは三代目吉田玉助さんのお孫さんにあたる方だそうですが、お父様の吉田玉幸さんが早逝されたため準備していたのに四代目を継ぐことができなかったので、今回亡父に4代目玉助を追贈し、ご自分は5代目を襲名されたということです。今年の文楽界は、年の初めからの相次ぐ襲名公演の一方、2月には義太夫の始太夫さんが急逝され、この5月公演の直前には先年引退された人間国宝の竹本住太夫さんの訃報が報じられ、と、禍福は糾える縄の如しを地で行くような様子です。ロビーにも訃報が掲示されていました。(手前が住太夫さん、奥が始太夫さんです。)明治、大正の隆盛期から一転、戦争の影響もあって、消えかけたこともあった文楽の灯を必死につなぎ続けてくれた方たちが引退されたり亡くなられたりと、このところ不安な話題も多い文楽の世界でしたが、吉田玉男さん、豊竹呂太夫さんに続いての、その下の世代である前回の織太夫さん、そして今日の玉助さんので襲名で、未来へと続く道をはっきり見せてもらえたように思いました。玉助さんはまだ52歳という若さ。先日襲名された織太夫さんも同年代です。安定した力を身に付けつつも、まだまだ伸びしろもたくさんありますね。本当に楽しみだと思います。さて、先走って語ってしまいましたが、今日は小劇場入り口につくと、ゆるキャラ<くろごちゃん>が出迎えてくれました。係りの方がいらして、一緒の写真も撮ってくださったのですけど、アハハハ、笑ってごまかしておきます。記念にストラップ買ってきちゃいました。だけど、大きいんですよね、このくろごちゃん。この前買った妖狐ちゃんも結構な大きさなので、もうスマホには付けられないし。。。何に付けようかな。などといっているうちに幕が開きます。まずは「本朝廿四孝」です。今回のオハナシは、かなり支離滅裂な筋立ての多い文楽の中でも、迷走ぶりは過去最高レベルで、何とか整理してあらすじを書きましたが、わたしも十分お腹に落ちるまでは入ってない感じなので、読んだ方たちにはきちんと伝えられている自信がありません。読んでいてイヤになっちゃったら、写真だけご覧になって、字のところは飛ばし読みしてくださいね。なにしろ長いことも長くて、めちゃくちゃ入り組んでいるのです。全五段の大作のうち、今日はその中の3段が襲名披露の口上を挟んで上演されます。新玉助さんが遣う「横蔵」は、父が得意とし、祖父が襲名披露狂言で遣った役だそうです。お話はNHKの大河ドラマでも取り上げられた山本勘助が主人公なのですが、その「山本勘助」がたくさん登場して、例によって文楽の世界、わけがわかりません。甲州と越後の国境の野原に、慈悲蔵さんという人が捨て子をしに来ます。子どもを捨てるのはつらいけど、これは自分が母に孝行するためなんだそうです。その子のおくるみには「甲州の住人山本勘助」と札がつけてあります。えッ、慈悲蔵じゃなくて勘助?どうして??と頭の中が???でいっぱいになります。赤ん坊を最初に見つけたのが、甲州武田(信玄)家の執権高坂弾正の妻唐織。武田家に山本勘助を仕えさせることができたら夫の手柄になると連れ帰ろうとしますが、そこに越後長尾(謙信)家の執権越名弾正と妻入江が登場、長尾家も山本勘助が欲しいのでそれを阻止しようとします。さらに高坂弾正も登場。すったもんだの末、甲州武田チームが赤ん坊を連れ帰ります。次に幕が上がると、舞台には揃いの牡丹色の裃姿のお歴々がずらりと座っています。五代目吉田玉助襲名披露の口上です。今回は、舞台上には、御大吉田簑助さんをはじめ、和生さん、玉男さん、勘十郎さん、簑二郎さん、玉也さん、玉輝さん、玉佳さん、玉誉さん、玉翔さん、玉勢さん、玉志さんと、今回は全員人形遣いさんです。なので、苗字は勘十郎さんの桐竹を除いてみんな吉田さん(笑)。玉男さん、和生さん、勘十郎さんの温かい祝辞があって、華やかな中にも和やかで、とってもいい感じでしたよ。そして狂言は「景勝下駄の段」へ。舞台は田舎家の前。そこは山本勘助の家ですが、当の山本勘助は今は亡く、名を継ぐ者が決まるまではと妻が山本勘助を名乗って暮らしています。慈悲蔵さんは近所でも孝行者と評判のこの家の息子。この家にはもうひとり慈悲蔵の兄横蔵もいますが、こちらはとんでもない無法者で、近所中の女に手を出しまくり、弟の女房には自分の息子の面倒を見させる一方で、弟の子は捨てて来いと命じ、母にも我儘を言い放題。でも母は、横蔵に肩入れして可愛がり、慈悲蔵には冷たく当たり、川で捕ってきた魚を勧めても欲しがらず、真冬に裏の竹藪で筍を掘ってくるように言いつけます。この時物陰から長尾謙信の息子景勝が現れ、横蔵を家来にしたいと伝えます。母は不在の横蔵に代わって承諾し、固めの品を受け取ります。この段は、義太夫が竹本織太夫さん、そして三味線は人間国宝の鶴澤寛治さんでした。織太夫さんは、相変わらずの美声と豊かな声量で、ここに至っても未だなんだかよく筋のわからないオハナシをしっかりと聞かせてしまい、わたしはうっかりとオハナシについていってしまいます。織太夫さんの半分くらいしかないように見える寛治さんは、そんな織太夫さんを温かく包み込みながらさりげなくリードする、まるで孫と祖父のように見える組み合わせでした。そして話はいよいよ大詰め、「勘助住家の段」です。玉助さんの横蔵が帰ってきます。今回のパンフレットの表紙のお写真をお借りしましたが、二人はこんな風で上が慈悲蔵、下が横蔵。横蔵は見るからに悪人顔でしょ?横蔵は戻って来るや、母親に悪態をつき、炬燵がぬるいと文句を言い、弟の嫁にもちょっかいを出しとやりたい放題。そんな横蔵を甘やかす母。慈悲蔵は竹藪へ向かい、雪の中で筍を掘っていると何故か白い鳩が何羽も集まってきます。兵器のある場所に鳥が集まるという言葉を思い出し、母に頼んでも渡してもらえなかった父山本勘助の軍法書一巻が埋めてあると思って掘っていると箱が出てきます。そこに横蔵がやってきて、箱を取り上げようと大立ち回りになりますが、母もやってきて、慈悲蔵を裏口の見張りに行かせます。横蔵が掘り出した箱を母に渡すと、母は長尾景勝から預かった白装束と刀を横蔵に見せ、景勝の家来となり、腹を切れと言います。景勝が横蔵を家来にするのは、容貌がよく似た横蔵を自分の身代わりにして切腹させ、幕府に差し出すためだというのです。それを聞いた横蔵が逃げようとすると、手裏剣が飛んできて脚に刺さり、逃げられなくなった横蔵は刀を取って目に突き刺し、これで似た顔でなくなったから景勝の家来にはならず、父の名を継いで山本勘助になると宣言します。そして、長尾家家来直江山城助を呼ぶのですが、現れたのは、正装姿の慈悲蔵でした。慈悲蔵は長尾のため、景勝の身代わりに兄の命を取ろうとしていたのです。横蔵改め勘助は掘り出した箱から足利家の旗を出して、息子の次郎吉は実は足利義晴の忘れ形見であり、次郎吉と足利家を守ることを武田信玄と約束したことを打ち明けます。勘助の忠義と孝心は中国の廿四孝にも勝ると母は勘助を見直し、軍法の一巻も勘助に与えようとしますが、自分は父の名を継ぐだけで良いと、これまでの孝行の褒美に母方の名を継ぐ弟に譲ります。武田と長尾、敵と味方に分かれる兄弟は、戦場での再会を約束しました。というわけで、最後にやっといろんな意味が分かってカタルシスが訪れましたが、正直訳が分からず、途中ちょっと辛いところもありました。最後の勘助住家の段で、玉助さんの横蔵が、玉男さんの慈悲蔵と大立ち回りをが演じるあたりから横蔵の動きが素晴らしくて、皆さんが揃ってスケールの大きな立て役にと仰るのがよ~~くわかり、改めて楽しみな人形遣いさんだと感じました。義太夫は、前が呂太夫さん、後が呂勢太夫さんで、どちらもとてもとてもすばらしかったのですが、後の三味線の人間国宝鶴澤清治さんの三味線が、もう圧巻としか言いようがなく、床については、それで頭がいっぱいになってしまいました。この後は、義経千本桜の道行初音旅でした。ひな壇が設けられた舞台に、牡丹色の裃を付けた三味線さんと大夫さんたちがずらっと並んで座り、豪華な音の饗宴を楽しみました。人形は、静御前の豊松清十郎さんと狐忠信の桐竹勘十郎さん。清十郎さんの静は、可憐で清楚、勘十郎さんの狐はすばしこく、可愛くもあり、忠信への早変わりは、人形だけでなくご自身も、白地の裃から黒地に金のシックで派手な裃へと、楽しませていただきました。途中静が投げた扇子を忠信が受け取る場面があるのですけど、場内一瞬息をのみ、「とった!」とホッとして思わず拍手をしてしまいました。ひとつ驚いたというか嬉しかったのは、景勝下駄の段が終わってロビーに歩いていくと、最後列にどことなく見覚えのある小柄な男性がいらして。。。考えたら。。。引退された嶋太夫さんでした。お元気そうでした。そしてロビーでも、たぶんロバート・キャンベルさんらしい方や、スピードワゴンの井戸田さんらしい方をお見掛けしました。襲名披露公演の初日って、やっぱり格別なのかしらって思いました。4時間半の公演が終わり、今日は朝から帰りに寄ろうと決めていたお店があったので、寄り道。それがタイトルの山本道子の店。焼き菓子のお店なんですけど、宝島社のビルのおとなり、半蔵門のイギリス大使館の真ん前にあります。うっかり行き過ぎて坂の下まで行ってしまい、えっちらおっちら戻って買ってきたのが、こちら。焼き菓子はうっかりしていたら、夫につまみ食いされてしまって、残ったのはこれだけでした。下は焼き菓子を包んでもらっている間に見つけてしまったジャム2種。ルバーブジャムがあったので思わず。って、思わずの割には2種類ともちゃんと買ってる!
2018.05.12
コメント(15)
府中市民の守り神様大國魂神社をお詣りし、安養寺さんにもお寄りして、再び府中駅に戻りましたが、途中ちょっと迷ったりして、駅に着いたのは待ち合わせ時刻の16時ちょうどでした。待ち合わせのKさんとHさんを探しましたが、見つけられずにうろうろして、結局お二人に見つけていただきました。少し遅れてしまいました、久しぶりにお元気なお顔を見られて嬉しさでいっぱいになりました。3人で軽くお食事をしながらたくさんおしゃべりをして、会場に向かうと、府中芸術の森劇場はずいぶんと立派な劇場で、前庭では、薄闇の中、紅白の梅が芳香を漂わせつつ今を盛りと咲き誇っていました。この日の第2部(夜公演)は、超有名なあの作品「曾根崎心中」です。先ず解説から始まりました。義太夫の豊竹咲寿太夫さんと字幕(Mr.G.マーク)の掛け合い。なかなか洒落た演出です。「文楽初めての方?」との問いにかなりの数の挙手があり、ちょっと驚きましたが、興味はあっても国立劇場の定期公演は敷居が高いとで感じる方、以前のわたしもそうでしたから分かりますが、そういう方には、身近な場所で開催され料金も少しお手軽なこういう地方公演は良い入り口になるのでしょう。手を挙げた中の何人かは、次回の定期公演には半蔵門まで足を運ばれるかもしれません。大阪人らしくシャレの利いた咲寿大夫さんの粗筋紹介と解説で、会場の雰囲気もずいぶんほぐれてきたところで開幕です。文楽用の小屋ではないので、太夫さんと三味線さんの座る床は即席で、くるっと回るドンデンではなく黒子さんが幕を上げています。なんだかほほえましいです。でも、お話は心中モノの代名詞ともいえる曾根崎心中ですからほほえましいどころではありません。幕が開くと、そこは生玉神社の境内。正式には生國魂神社ですが、大阪の人たちからは親しみを込めて、「いくたまさん」と呼ばれる神社です。(近松の銅像もあります。)このいくたまさんで、主人公の徳兵衛とお初が偶然顔を合わせます。徳兵衛は吉田玉男さん、お初は吉田和生さんです。お初は遊女、徳兵衛はなじみ客で今は恋仲の二人。でも徳兵衛は、店の主人でもある伯父に目をかけられ有難迷惑にも姪との結婚をおぜん立てされていました。徳兵衛がその話を断ると、義理の母に渡した結納金を全額返して大阪から出て行けと言われてしまいます。一度握ったお金は絶対離さないという義理の母(いますよね、こういうヒト!)から何とかお金をもぎ取って大阪に戻った徳兵衛からその話を聞いたお初はいいます。「大阪から締め出されたって、わたしがなんとかするし、どうしても会えないようになったら死んじゃえばいいんだから、まずおじさんにお金かえしちゃいなさいよ。」楚々とした風情の19歳の遊女は、実は何ともたくましい浪速女なのでした。でも、伯父でもある店の主人に逆らい、持参金付きのお嬢様との結婚話を断って、遊女である自分と添い遂げようとしてくれている徳兵衛の思いに応えたいという、それはお初の心意気でもあるのかもしれません。そんないい女お初に引きかえ、徳兵衛(25歳)のおバカさ加減は、どうしたことでしょう。なんと徳兵衛、その大事なお金を親友(と思っていた)九兵衛に貸してしまっていたのです。数日後には必ず返すと約束した九兵衛は、ありがちなことに姿をくらまし、返してもらおうにも会うことすらできないと言っていると、なんとも都合よく九兵衛がそこを通りかかります。町の衆を引き連れてほろ酔い機嫌の九兵衛に借金返済を求めますが、金など借りてないととぼけられ、それならと徳兵衛が証文を見せると、九兵衛は、その証文に捺してある判はその日付の前日に紛失したものだから、これは徳兵衛が詐欺を働こうとでっち上げた偽証文だと言います。九兵衛を親友だと思い、すっかり信用していた徳兵衛はようやく騙された、諮られたと悟り、九兵衛に殴り掛かりますが、逆にコテンパンにやられ、こうまで巧妙に仕組まれては身の証も立てられないからもう死ぬしかないと、涙ながらに去っていきます。ここで一度幕が下り、床も交代。次の天満屋の段は、義太夫がわたしの好きな竹本千歳太夫さん、三味線は名コンビでダンディな豊澤富助さんで、mamatamさんテンション上がりっぱなし。これは、今回の公演のパンフレットの表紙なのですが、左側の大きな写真は、まさにこの段。とっても有名な場面です。天満屋に連れ戻されたお初は沈み込んでいますが、朋輩の遊女たちは徳兵衛の悪いうわさで持ちきり。その時店の外にやってきた徳兵衛に気づいたお初が外の様子を見るふりをして出ていくと、身の潔白を証すことは無理だから、死んで九兵衛に思い知らせると徳兵衛が告げ、そんな徳兵衛をお初は裲襠の裾で隠して店の中に入らせ、縁の下に入れて、自分はその上に腰かけ裾で徳兵衛のいる縁の下を隠します。それが上の写真です。そこへ九兵衛が現れ、お初や朋輩の遊女に徳兵衛の悪口を言いまくります。縁の下でそれを聞いていきり立つ徳兵衛を足先で押し鎮め、「あんたも友達だったらそんな憎まれ口きくもんじゃないわ。あの人のことは良く知ってるけど、そんな悪い人じゃない。優しすぎるから騙されたんでしょ。でも、証拠がないんだから仕方がない、もう死ぬしかないけど、覚悟が聞きたいわ。」と独り言みたいに言うお初に、徳兵衛はその足首を取って喉笛を撫で自害するつもりだと伝えます。ここでちょっと豆知識。文楽では、女性のお人形には、一般的に足がありません足は、足担当の人形遣いさん(足遣いさん)が、着物の内側にこぶしを当て、それでひざを表現することで表し、この上の写真みたいに足先が見えることは基本的にはありません。なので、この段のこの場面、本当に特別で珍しい場面といえます。お話に戻りますね。それを聞いた九兵衛が「徳兵衛が死んだりするはずがない。もし死んだらオレがかわいがってやるよ。」と言うのへ、「あら、ありがとう、この毛虫野郎。わたしを可愛がるならあんたも殺すわよ。徳様なしでも生きていられると思われてるなんて心外。情けないわ。わたしも一緒に死ぬわよ。」と、お初は啖呵を切ります。あ、この辺は浪花弁じゃないと多分雰囲気出ないのでしょうが、mamatamには浪花弁は使えないので、ご容赦を。なおも憎まれ口をききながらも這う這うの体で逃げ出す九兵衛、楼主も朋輩も、間が悪そうに早仕舞いと床に就くのを待ちかねて、二人はやっとの思いで店の外へ出てきます。死への道行きの始まりです。ここでまた幕が下り、床が回り(って回らないけど)、いよいよ天神森の段。今度はお初を先日襲名披露を終えた竹本織太夫さんが語り、徳兵衛は豊竹睦太夫さんが語ります。この段では、徳兵衛は先ほどまでの情けない色男ではなく、何となく男らしいカッコよさを漂わせていて、睦太夫さんの低くて太い声がぴったりです。もう一人、先ほど解説をされた超イケメン豊竹咲寿太夫さんも並んでいます。三味線も3人です。そして、太棹三味線が響くと、のっけからあの有名な語り、「この世の名残り、夜も名残り。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足づつに消えていく夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり。」ここ、もうね、しびれました。この後は、人魂におびえたり、今年は二人とも19と25の厄年で祟りまで一緒だなんて、縁の深さの証拠かしらと甘えたり、自分の死後に噂を聞くであろう両親を思いやって泣いたりと、19歳の若い娘らしい様子ものぞかせるお初を和生さんがしおらしく控えめに、一方、死ぬと決めたらなんだか急に凛として男らしくなった徳兵衛を玉男さんが持ち前のカッコよさで決められて、それはそれはため息の出るような美しさでした。文楽の記事の最後は、いつも書いてしまいますが、「なんでそうなるかなあ」と頭の中はこのセリフでいっぱいなのに、お人形の美しさや表現の巧みさに感動し、太夫さんの語り口と声のすばらしさに胸がいっぱいになり、音に触れそうな気がするほどの三味線の迫力を満喫して、疑問符はすべて不問に付した上、満足感でいっぱいの心で会場を後にするmamatamなのでした。
2018.03.14
コメント(9)
昨日は、夕方から文楽の2月東京公演の第3部に出かけました。出かける前にテレビのスイッチを入れたら、偶然オリンピック男子フィギュアスケートのフリーの試合が行われているところでした。あちこち動きながらのテレビ観戦でしたが、羽生選手と宇野選手の演技は前に座ってしっかり見ました。羽生選手、後半疲れが出たのか少し危ういジャンプがありましたが、転倒も手を突くこともなく、しっかり滑りきり、本人も満足そうで、点数を見た時はさすがと思いました。宇野選手は、逆に最初のジャンプが失敗で、やはり若いし、オリンピックの重圧に耐えきれないのかなと思ったらそのあとのジャンプを見事に成功させて、それからは一気呵成、あの若さであのメンタルの強さはただモノではありませんね。ショートの失敗が響いて表彰台には上がれませんでしたが、ネイサンチェン選手のフリーもすごかったですよね。男子FSの得点を見てみると、技術点に限って言えば羽生選手はトップ3に入らないという驚愕。ネイサンチェン選手はもとより宇野選手も技術点では羽生選手より上だというのです。平昌以降の男子フィギュア界、どんどん変わっていきそうですね。さて、スケートのお話はそのくらいにして、文楽第3部は「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」。初演の評判がいまいちでそれ以後上演が絶えていたのを、明治になって坪内逍遥が取り上げ、歌舞伎で再演されて大絶賛されたという作品です。文楽での再演は戦後になってからだったそうですが、何度も映画化もテレビドラマ化もされているので、粗筋はご存知の方が多いと思います。でも、一応ご紹介させてください。野崎参りの人でにぎわう参道の茶店で油屋、豊島(てしま)屋の内儀お吉が娘とともに休んでいると、同じ町内の油屋河内屋の息子与兵衛が、悪そうな仲間と一緒に現れます。自分が誘っても来なかった馴染みの女郎が、別のお客の供で野崎参りに来ると聞き、メンツが立たないと、待ち伏せしに来たのです。放蕩放題の与兵衛に、お吉は、両親にあまり苦労を掛けないようにと説教をし、娘を連れてお詣りに行きます。そこへ会津のお大尽に連れられた女郎たちがやってきて、3人はお大尽と喧嘩になり、通りかかった代参の武士の衣服に泥水がかかってしまいます。仲間も女郎、お大尽も逃げ出し、与兵衛一人が取り押さえられます。一行の中にいた伯父の山本森右衛門に手打ちにすると言われ、与兵衛は悲鳴を上げて平謝りの命乞い。流血沙汰は参詣の穢れになるとの言葉でとりあえず難を逃れた与兵衛は、戻ってきたお吉に助けを乞い、お吉も着物を洗ってやったりと世話をしますが、夫七左衛門に叱られ、与兵衛は置き去り、何とか大阪に戻ります。その少し後、大阪の河内屋に与兵衛の兄太兵衛が訪れて、継父の徳兵衛に、与兵衛の野崎参りでの一件が原因で森右衛門が浪人したと告げ、継子だからと遠慮しないで与兵衛を勘当したほうがいいと言って帰ります。与兵衛は、病に伏せっている父親違いの妹に亡父の霊が降りたふりをさせ、妹に婿を取らせず与兵衛に家を継がせれば病は治るという嘘をつかせたり、伯父森右衛門が主の金を横領したのでその穴埋めに必要だと継父に金を求めたり、それが嘘だとわかっている継父が金を出さないと殴る蹴るの暴力、真面目になるという約束を信じて嘘までついたのにと泣く妹も足蹴にし、そこに戻ってきた母親が意見をすると、実の母親にも手を出し足を出す有様。たまりかねて継父の徳兵衛はとうとう与兵衛を勘当します。その数日後の端午の節句、豊島屋でお吉が娘たちの世話をしていると櫛の歯が欠けてしまいます。集金から戻った主の七左衛門が金を棚に収め、再び出かける前に立ったまま冷酒を飲むのを野辺送りの酒でもあるまいしとお吉が叱ります。この後に起きる事件を暗示して観客は不穏な空気を感じます。七左衛門が出かけたのを門口で確かめた与兵衛が豊島屋に入ろうとすると、継父の徳兵衛の提灯が見え、与兵衛は物陰に隠れます。徳兵衛は勘当したものの与兵衛が気になり、お吉と七左衛門の夫婦に頼もうとお金を持ってやってきたのです。そこへ母のお沢もやってきて、徳兵衛を非難しますが、その懐から銭と粽が落ちます。二人とも与兵衛を見捨てることができないのです。二人が去るのを見て与兵衛が入ってきて、今のやり取りを見て、涙が出たと告げます。お吉が二人の置いていった銭を差し出すと、この日が返済の期限の借金のある与兵衛は、これでは足りないので豊島屋の集金した金を貸してくれと頼みますが、お吉は主人の留守に金は貸せないと断ります。それなら油を貸してくれと頼まれ、お吉が油を桶に汲んでいると、と、与兵衛は背後から与兵衛が切り付けようとし、油に映った刃の光を見たお吉が、逃げながらお金はあげるから助けてというのを無慈悲にも殺してしまいます。そして、事件から35日目の逮夜の晩、七左衛門の目の前に天井から血まみれの紙が落ちてきます。書いてあることの意味も分からず、書き手の名前も書いてないけれど、与兵衛の字だとその場の人々の意見が一致します。与兵衛がお吉殺しの犯人に違いないとその場の人たちが言いあっているところに与兵衛が現れ、似た字を書く人間など世の中にたくさんいる、そんなものは証拠にはならないと言い、大立ち回りの挙句逃げようとしますが、門口に、事件の時与兵衛が来ていた着物を持った太兵衛と伯父の森右衛門が捕り方とともに待っていました。犯人は与兵衛という世間の噂に心を痛めた森右衛門が、逃亡させようか、自害を進めようかと盛り場をあちこち訪ね歩いても、行く先々で行き違いになって会えないでいるうちに、とうとう検非違使に疑いをもたれてしまったのだから、もう運の尽きだというのです。お吉を殺して奪った金、与兵衛はその金を貸してもらえたらご恩は死んでも忘れないなんて言ったくせに、結局大阪の盛り場を遊び歩くのに使っていたのです。そして、森右衛門が着物に酒をかけると着物に朱の血潮が浮かび上がり、さすがの与兵衛も観念し、縛につくのでした。 現代でも新聞、というより週刊誌かワイドショーでお目にかかりそうな、「あるある」事件で、与兵衛は、与太郎と名前を変えたほうが良いんじゃない?と思うほどの頭の悪さです。今回は、そのどうにも救いようのない悪ガキの与兵衛を吉田玉男さん、ちょっと綺麗な近所の優しいオバサン(お姉さん?)のお吉を吉田和生さんが遣われました。玉男さんは、キリっとした男前の武将を重厚に。。。という印象が強くて、このどうしようもないアホボンというか、あかんたれの与兵衛をどのように。。。?と興味津々で拝見すると、意外にもちょっと不器用そうな、どこか可愛げさえある与兵衛が舞台にいたのでした。山場の、与兵衛がお吉を殺す場面の立ち回りは、油屋の店先で二人が必死に暴れるわけですから床は油まみれで、二人して滑りまくるのですが、これ、人間の演じる歌舞伎や映画だったらさぞ凄惨な場面に描かれるのでしょうけど、人形が演じる文楽では殺そうとする男と殺されまいと逃げる女が舞台の半分くらいを右に左につ~~~い、つ~~~いと滑っていくのが、なんだかおかしくてたまらないのです。思わず笑いがこみあげ、でも、ここ笑う場面?とこらえていたけれど、舞台の玉男さんはなんだかとっても楽しそうに滑っているし、何よりどうも、玉男さんも笑っていらっしゃるみたいなのです。もちろん文楽のお人形遣いですから表情を表に出すことはしないはずなのですが、そう見えて仕方ありませんでした。和生さんのお吉は、本当にお隣の奥さんという感じ。綺麗で優しくて、さっぱりした気性の、良い奥さん。アホボンの与兵衛に優しくするのも、老いた両親に同情し、アホボンにも温かい気持ちを持っているからなんだろうと感じられます。これ、和生さんのお人柄かもしれません。今回は与兵衛の妹おかちを吉田簑助さんが遣われました。病人の役で、あまり動くこともなく、筋の中で大きな役ではないのですが、簑助さんのおかちは15歳の小娘なのに無存在感たっぷり。ちょっとした肩の動きや、手ぶりなど、普通なら動かないところでお人形が何かを伝えて来るような気がするので筋に関係がなくても思わず目を向けてしまいます。本当にすごい人だなあって思います。豊島屋油店の段で、与兵衛がお吉に心を入れ替えるというようなことを言うのですが、これが本気か口だけか、答えは太夫の語り口にあるはずと解説に書いてあったので、呂太夫さんの重厚な義太夫を一生懸命聞きましたが、少なくとも、今は本気で言ってるという語りに聞こえました。だけどやっぱりアホボンなので、のど元過ぎてもその思いを熱いまま持っていることができなかったのでしょう。 呂太夫さんのおさえたというか、理性的な語り口は、この熱い、厚い一幕を一歩引いてまとめるような不思議な魅力があり、引き付けられました。次の豊島屋逮夜の段は、対照的な呂勢太夫さんの語りでした。やや高い声音、張りのある、しっかり押し出すような語りは、わたしの耳にはとても心地よく響きました。相方の宗助さんの(わたしにはまるでロックのように聞こえる)三味線も、とても力強く、短いけれど緊迫感あふれるこの一幕を楽しませてくれました。とても力の入った舞台で、思わずご紹介も長くなってしまいましたが、もっとちゃんとしたご紹介を読みたい方は国立劇場のHPをどうぞご覧になってみてください。綺麗なお写真付きです。ただ、リンクがうまく貼れません。あとでもう一度トライしてみますが、ご覧になりたい方はhttp://www.ntj.jac.go.jp/topics/kokuritsu/29/2127.htmlをコピペしてサイトに跳んでください。
2018.02.18
コメント(11)
11日に文楽2月公演を拝見したこと、日記にも書きました。第2部の初めのプログラム「花競四季寿」で義太夫が。。。と書いてしまったのですが、それ、どうもこの↓せいだったようです。2月文楽(出演者)に関するお知らせ豊竹始太夫が2月10日に急逝しました。生前 皆様方からいただきましたご厚誼に感謝申し上げますと共に謹んでご報告申し上げます。なお、第二部『花競四季寿』の床は下記のとおりです。 豊竹睦太夫 野澤喜一朗 竹本津國太夫 鶴澤清丈 竹本小住太夫 鶴澤寛太郎 竹本碩太夫 鶴澤清公 鶴澤燕二郎 (平成30年2月13日)2月10日は2月公演の初日で、始太夫さんはその開演前の楽屋で体調が悪くなり、その日に亡くなられたようでした。報道はされていたのかもしれませんが、わたしは気付かずに、11日の公演を拝見し、その翌々日の13日の朝にふとスマホを見てネットニュースでそのことを知りました。身体の大きな、ヤンチャ坊主のような風貌の、大変お元気そうな方でしたので、信じられない思いでスマホのモニターを見つめてしまいました。もしかして、と気づいたのは帰宅してからで、プログラムで確かめたら、やはり「花競四季寿」の出演者に始太夫さんの名があったのです。5人の太夫さんで語る演目として、お稽古され、仕上げてこられたものを4人で上演されていたのですから、おかしくて当たり前なのでした。心無いことを書いてしまったと、後悔しましたが、後の祭りです。昨日、コメント欄に投資部長さんもその影響では?と書かれていて、やっぱりそうよね~~と思った次第。出演者の方々は、きっと皆さんすごくショックをうけておられるでしょうが、中でも同じ演目に出る予定だった4人の大夫さん、5人の三味線さんの動揺は並大抵ではなかったと思います。そしてわずか50歳の若さで、急な病に楽屋で倒れ亡くなられた始太夫さんは、どれほど心残りでいらしたことでしょう。豊竹始太夫さんのご冥福をお祈りします。
2018.02.14
コメント(5)
文楽東京2月公演が昨日始まりました。今回の公演は、八代目竹本綱大夫の50回忌追善公演、豊竹咲甫太夫さんの六代目竹本織太夫襲名披露公演でもあります。会場の国立劇場小劇場はさぞ華やかだろうと、会場に向かう地下鉄のなかでワクワクしていました。国立小劇場到着。写真撮りました。正面に回ります。紅白の梅の花越しの国立劇場。中にはいると、ロビーに織太夫さんの襲名のお祝いと綱太夫さんの追善の、これなんていうんでしょう、祭壇?織太夫襲名を祝う生花。豪華です。今日は欲張って第一部「心中宵庚申」と、第二部襲名披露「花競四季寿」「口上」「摂州合邦辻」をみました。心中宵庚申は、大好きな千歳太夫さんの語りが聞けて大満足。玉男さんの半兵衛、勘十郎さんのお千代は哀しいというか哀れで、でもとても美しくて、惚れ惚れしました 。千代の父親が吉田玉也さん、夫と若い頃ご縁のあった方で、お元気そうな姿を見られて嬉しかったです。第二部は文楽が初めてという友人と一緒でした。最初のプログラム「花競四季寿」は万才と鷺娘で、鷺娘の義太夫のアンサンブルがいまいちで、お人形がとても美しく舞っていただけに、人形遣いの吉田文昇さんが少し気の毒な気がしました。そのあと、咲甫太夫さんと、その師匠で綱太夫さんのご子息でもある豊竹咲太夫さんのお二人だけが舞台に上がられての追善公演と襲名のご挨拶。咲太夫さんの口上がとても素敵でした。口上のあとは摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)。実は、咲甫太夫さん事六代目織太夫さんは文楽の三味線の家系に生まれた方だそうで、弟さんと伯父様が現役の三味線方でいらっしゃいます。特に伯父の鶴澤清治さんは人間国宝です。合邦辻では、中、切、後と分けた最初の「中」が、義太夫竹本南都太夫さんさんと三味線が弟さんの鶴澤清馗さん、「切」が師匠の豊竹咲太夫さんと伯父様の鶴澤清治さん、「後」が竹本織太夫さんと鶴澤燕三さんという、大変豪華な床でした。咲太夫さんと清治さんのコンビはもう言うまでもありませんが、織太夫さんと燕三さんは、さすが襲名披露公演と、納得の大熱演でした。さて、舞台は僧の合邦さん夫婦の家での法事の場面から始まります。どうやら一人っ子と長いこと音信が絶えており、夫婦は死んだと思っているけれど大っぴらに供養できない事情がある様子。そうしているうちに玄関に若い娘の訪れがあり、それが死んだと思っていた二人の娘玉手御前でした。奉公に出ていた家で妻がなくなりその後添えに望まれて嫁いだのに、継子の俊徳丸を恋慕して、後を追って家を出、行方が分からなくなっていたのです。邪な恋を諦めて、尼になれと迫る両親に玉手御前はけんもほろろ、拗ねて、駄々をこね、あまつさえ、親なら自分の恋に力を貸して俊徳丸の行方を一緒に探すのが当然と言い募ります。こういう女性をやらせたら勘十郎さんの右に出る人はいないんじゃないでしょうか。しかつめらしい顔を崩さぬまま、でもなんだかとても楽しそうにお人形を遣っておいででした。第1部のお千代に続いて第2部でもヒロインの玉手御前を使う勘十郎さん、かなり大変だろうと思いますが、これだけのはまり役では、彼にやってもらうしかないでしょう。投資部長さんが、少し前に「勘十郎さんの玉手御前が楽しみ」とブログで書いていらっしゃいましたが、まさに仰る通り。どうぞ楽しんで来てくださいね。お話はどんどんと思いかけない方向に進んでいき、何故か合邦さんの家に隠れ住んでいた、病で目が見えなくなっている俊徳さんとその許嫁らしい浅香姫が出てきて、母親に奥の納戸に引っ張りこまれていた玉手さんも現れ、大騒ぎになりますさらに無茶を言い、恋敵の浅香姫を突き飛ばして大暴れする玉手に業を煮やした父の合邦が切り付け、玉手は苦しい息の下から、話が終わるまでは絶対にこの刀を抜くなと言いながら、実は家督を継ぐことになった俊徳丸に嫉妬した兄が命を狙っていることを知り、どちらも継子である兄弟の、兄には人殺しをさせないため、弟は命を守るため、俊徳丸が家から出ざるを得ないようにしたと語り始めます。俊徳丸の病も実は自分の飲ませた毒が原因で、毒を飲ませた同じ盃で自分の生き血を与えればその毒を消せるため、ずっと後を追っていたというのでした。なかなか無茶苦茶な、というか、ご都合主義の筋立てですが、人形さんたちの迫真の演技(?)と大夫さんの体力を使い果たすほどに熱のこもった義太夫に、気付けば物語の世界にずっぽりと引き込まれていたmamatamでした。和生さんの合邦、勘壽さんの女房もいい味でしたし、他にも、玉佳さんの入平とか、一輔さんの俊徳丸とかも地味にいい感じで、本当に堪能させていただきました。今回初めて文楽を見た友人も、これが実に乗りの良い性格で、あの、何ともファンタスティックな文楽の世界にすんなり入り込み、いや~~、良かったわ~~を連発していました。第2部の終演は5時10分で、そのまま帰ろうと思っていましたが、興奮しすぎたかお腹がすいたと友人が言い出し、ほとんどのお店が定休日の日曜日の半蔵門でようやく見付けた中華料理屋さんで、軽くお食事をして帰ってきた二人でした。
2018.02.11
コメント(21)
昨日、お見せした「金毛九尾妖狐」ちゃん携帯ストラップ、国立劇場の売店で買ったのですが、NPO文楽座という、人形浄瑠璃振興を目的とする非営利団体が企画販売している、ツメやんというゆるキャラを使ったフィギュアシリーズのひとつです。ツメやんっていうのは、妖狐ちゃんの後ろの黒いモノ、これ文楽の人形遣いさんらしいのですけど、この人形遣いさんとツメ人形のペアのことで、いろんなツメやんがシリーズで販売されています。Ya○○〇のサイトで販売されているツメやんズグッズの写真がありましたので、ストラップではありませんがお借りしてきました。クリアホルダーです。こちらも、ya○○〇で販売されています。ステッカーだそうです。ツメやんズの感じ、わかっていただけましたか?さて、それでは、ツメ人形とは?その説明をする前に、文楽=人形浄瑠璃というのが、日本の伝統的な人形芝居で世界的にも珍しい三人で一体の人形を遣う三人遣いの人形劇であることはご存知ですよね?そうなんです、人形浄瑠璃の人形は、基本的には3人一組で動かすのですが、一人で使う人形も登場します。上の写真にあるような、腰元とか、商家の女中さんや、村人、雑兵、子どもなどの、まあ、言ってしまえば端役のお人形です。これらの端役人形が、その「ツメ」と呼ばれるお人形です。主役や重要わき役系のお人形に比べるとサイズも小さく、これといった仕掛けもない、シンプルなものだそうです。人相も、美男美女とは決して言えないものばかりですが、どれも実に個性的で愛嬌がありますね。わたしは実は腰元ツメやん(クリアホルダーのちょうど真ん中の柄)のストラップが欲しくて売店に行ったのですが、売っていなくて、代わりにこの妖狐ちゃんを見つけて連れて帰ってきました。台紙の裏の自己紹介には、「妖狐です。自慢は金毛、特技は七化け インド、中国、日本をまたにかけての暗躍三昧 何度退治されても復活し、国家転覆を企み 飽くなき挑戦を試みる七転八起九尾の狐 お見知りおきを」と書かれています。前回の東京公演では、桐竹勘十郎さんが、玉藻の前と彼女にとりつく金毛九尾の狐を(早変わりアリで)それはそれは楽しそうにやってらっしゃって、そのことからもわかるように、厳密にいうと、妖狐ちゃんはツメ人形ではありません。だからツメやんシリーズでは番外扱いになってるみたいで、「ツメやんプラス 金毛九尾の妖狐ちゃん」と名付けられていました。売店には、ツメやんズとは別シリーズの床やんズというのもあって、何故かネコさんが裃を着けて三味線を弾いてたりするのですけど、見たら端から欲しくなってしまいましたが、スマホにストラップをつけるのがわたしは超苦手で、そんなにたくさんは携帯にストラップを付けられないし、次に国立劇場に行くまでに他に提げるところを考え付いたら、その時は何人か連れて帰って、妖狐ちゃんにお友達を作ってあげたいと思います。ちなみに、一番上の写真の妖狐ちゃんの上の方に、はかま姿の鬼の面のストラップ、横向きになっちゃってますが、ご覧になれます?これは、この前九州に行ったときに訪ねた高千穂神社で夜神楽を見た記念に求めたもの。確か、天照大神が閉じこもってしまった天の岩戸の扉をこじ開けて今の戸隠神社まで放り投げたと言われる田力男命のフィギュアだったと思います。これもブサ可愛くてなんだかとっても気に入っています。でも、ストラップって、提げ緒のところが擦り切れて落ちてしまうことが多くて、気が付くとなくなってるんですよね。今まで気に入っていたストラップをいくつなくしたことか。妖狐ちゃんについてるストラップは、かなりしっかり頑丈にできているんですが、それでもやはり糸を編んだものなので、チェーンなどのようなわけにはいかないでしょうから、落とさないように気をつけなくちゃと思っています。以上、蛇足でした。
2017.12.18
コメント(9)
昨日、文楽鑑賞教室を見てきました。昨日は土曜日のせいか、高校生らしい制服姿ほとんど見えませんでしたが、若者(大学生?)と先生のグループは何組もいらしたようでした。今回で49回目を数えるという文楽鑑賞教室、この日のプログラムは、「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら) 渡し場の段」上演のあと、太夫、三味線、人形遣いという三業の解説「文楽の魅力」、そして「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく) 新口村(にのくちむら)の段」という構成でした。日高川入相花王は、道成寺に伝わる安珍清姫伝説をもとにした作品で、渡し場の段は、道成寺に逃げ込んだ安珍を追ってきた清姫が、渡し船に乗せてもらえないばかりか船頭にすげなくあしらわれたことで怒り心頭。。。というお話です。怒涛渦巻く夜の川に、怒りと嫉妬のあまり無謀にも振り袖姿のまま飛び込んだ娘が、蛇体となって泳ぎ渡るというすさまじい場面を、床に5人の太夫さんが並び、三味線も5本という大迫力の舞台で堪能しました。短くてしかも有名な場面なのでわたしでも粗筋を知っていたこともあって、字幕をあまり見なくても義太夫が耳に入ってきて、人形の動きに集中できてとてもよかったです。この場面は、少し前に朝ドラのクレジットに桐竹勘十郎さんの名前が出てびっくりしたというお話の時ご紹介した、「ガブ」(ここです)が登場する作品の中でも最大級に有名で、綺麗なお姉さんから鬼への変わり目を目撃するのを楽しみにして行ったのですけど、この日は文楽鑑賞教室ということで、一般客用のチケットは数が限られていたようで、最後列に近いお席だったため(オペラグラスも持っていくのを忘れてしまい)変身の場面をしっかり見ることができなかったのはちょっと残念でした。でも、前の方にいらした学生さんたちは、きっとしっかり驚いてくださったことでしょう。オバサンは次の機会にきっちり見せていただくことにして、昨日は、彼らのための教室だったのですから、それで良しとしましょう。この後の解説「文楽の楽しみ」は、三業の若手の技芸員さんたちが、実演を交えながらわかりやすく説明してくださいました。わたしには、特に寛太郎さんの三味線の解説が興味深かったです。そして最後が、人形浄瑠璃「傾城恋飛脚 新口村の段」。近松門左衛門の名作「冥途の飛脚」を、その没後に改作したものだそうです。真っ白な雪景色の中、豊松清十郎さんの梅川がとても清楚で健気で、綺麗でした。忠兵衛の父孫右衛門は吉田玉男さんでした。息子の犯した罪の重さに慄き、息子に代わって牢に入れられた養父のために早く捕まってほしいと言いながら、自分が縄をかけることはとてもできないし、そんな姿を見るのもつらいと涙する姿に、客席のわたしも思わず涙ぐんでしまいました。床には、小住大夫さんから、呂勢大夫さん、そして千歳大夫さんと、わたしの好きな大夫さんばかりが登場してくれて最高でしたし、三味線も清公さん、燕三さん、富助さんという豪華版で、短い時間でしたが、大変に楽しめました。今回の本公演「ひらがな盛衰記」は拝見しませんでしたが、いつか見るときの予習のためにパンフレットを買い求め、ついでにこんなものも。こんなもの その1クリアホルダーです。こちらは「曾根崎心中」の、超有名な一節ですね。そして、その2携帯ストラップ、お名前は「ツメやんプラス 金毛九尾妖狐ちゃん」です。これについては、いっぱいお話したいのですけど、これからまた、いつものお墓参り兼お食事に出かけることになっていて、今年最後のしか野さんデイなのです。というわけで、詳しいことはまた後日。でもって、本日はこれまで。長々お付き合いありがとうございました。
2017.12.17
コメント(9)
朝ドラってご覧になりますか?NHKで月曜日から土曜日まで毎朝15分放送されている15分の連続ドラマですが、ほとんどテレビを見ないわたしが、これだけはほとんど欠かさず見ています。これの前のニュースの間に朝ご飯の支度をして、天気予報が始まる前に食べ始め、朝ドラが終わるころに食べ終わって、テレビのスイッチを切るのが、mamatam家の朝の行動パターンです。そんな、朝の掛け声代わりの朝ドラを、いつもの通りボケっと見ていたら、冒頭のクレジットの中に「文楽人形主遣い 桐竹勘十郎」という文字を発見。えっ、何?といつになく真剣に見ていると、お決まりのヒロインに対するイケズの場面でした.。鈴木京香さん演じる船場の御寮さんの顔が、突然こうなったのです。このお人形が、文楽人形で、これを遣っているのが桐竹勘十郎さんということのようです。たった数秒のこの場面のために勘十郎さんを。。。テレビとはなんとも贅沢なものという気もするけれど、たった数秒の1場面だからこそ、勘十郎さんのキレの良い人形遣いが必要なのかもしれません。それからはしばらく勘十郎さんの名がクレジットに現れなかったのであれっきりなのかと思いましたが、今朝(10月31日)また発見。商売敵に婿入りするとお店をやめた番頭さんとその商売敵の御寮さんが挨拶に来た場面で、双方にこやかに嫌味の応酬をし、商売敵が帰った後で、鈴木京香さんの笑顔がまたこのお人形にチェンジ!きゃあ~~、出たぁ!やったぁ!!ステキ!!!この首(かしら)、ガブっていうそうですが、白塗りの綺麗なお姫様(娘さん)の首に仕掛けが施されていて、一瞬で鬼に変わるのです。有名なのは「道成寺」として有名な安珍清姫の清姫さんでしょうか。安珍のもとに行くため川を渡ろうとするけれど舟を出してもらえず、清姫は蛇に変身して川を泳いで渡ります。その時に、綺麗な姫様が一瞬にして口が裂け角の生えた鬼女に変わるのですが、これが、わかっているのに、もうすごくドキッとしちゃうんですよ。次はいつ見られるかしら。楽しみです。
2017.11.01
コメント(14)
文楽5月公演の事が尻切れトンボになったままで、気になっていました。少し気が抜けてしまいましたが、続きを書かせて戴きますね。6代目豊竹呂大夫襲名披露口上の幕が開くと、舞台には、大夫部はもとより、三味線部、人形部の錚々たる技芸員さんが並び、圧巻。わたしの大好きな千歳大夫さんも、呂大夫さんの同期とのことで後列に座っていらっしゃいました。呂大夫さんは4代呂大夫さんのお孫さんとのことで、歌舞伎で言うなら御曹司ですが、世襲制をとらない文楽らしく太夫さんになるつもりはなかったようです。都立小石川高校を卒業され東大を目指していらした(って、なんという優秀さ!)のを、おじい様の弟子にあたる5代目呂大夫さんに、おじい様の通夜の席で大夫になれって勧められ、一転。竹本春子大夫さんに入門されたのは20歳になってからだったそうです。(以上ネット情報でした。)先日書いた玉也さんと夫とのご縁も、もちろん文楽の外の世界でのことでしたし、文楽は、この道一筋という方がもちろん大部分なのでしょうが、寄り道されたり、わき道からコースチェンジしてはいられたりする方が意外と多い世界のようです。さすが庶民派の芸能、文楽の面目躍如という気もしたりします。舞台上では、人間国宝の三味線方鶴澤清治さんや同期入門の桐竹勘十郎さんのユーモア溢れる祝辞に会場が和みました。そして、いよいよ、多分呂大夫さんが語りたいと選ばれた4段目です。先ずは寺入りの段。義太夫は、呂勢太夫さんです。こちらは若手というか中堅のホープで、低い音から高い音までよく通る、大変艶っぽいお声の大夫さんです。寺入りというのは、寺子屋への入門の事のようで、師匠が出かけて不在のため悪たれたちがやりたい放題の大騒ぎをしているとある寺子屋に、母に連れられた男の子がやってきます。このお母さん、勘十郎さんが遣っていましたので、松王丸の奥さん、お千代さんらしく、ということは子どもは松王丸の息子ということのようです。ほとんどを若手の黒子さんが一人で人形を遣う、寺子屋の子どもたちの悪童振りがメチャ可笑しく、中で吉田玉翔さんが遣う「よだれくり」という男の子が、まるで我が息子の子ども時代を見るようで、また、玉翔さんがこのよだれくりを本当に可愛いと思って遣っていらっしゃる様子なのがまたおかしくて、この可笑しさ賑やかさは、その分だけ大きな悲劇の前触れなのだろうと思いながらもたっぷり楽しませていただきました。母親は、師匠が留守と分かると、隣村に用事があると、子どもを預けて出かけて行きました。そしていよいよ寺子屋の段です。前を呂大夫さんが、切(後半)を、切場語りの咲大夫さんが語ります。戻ってきた寺子屋の師匠竹部源蔵は、教え子達の悪たれぶりにいつになく落胆していますが、入門してきた小太郎を見て、喜びます。それは、今日の外出が、失脚後も菅丞相を目の敵にしている藤原時平の家来、春藤玄蕃からの呼び出しで、菅丞相の家臣だった源蔵が菅丞相の一子菅秀才を匿っているという噂を聞き、その首を差し出せと言ってきたからなのでした。菅秀才の顔を知っている松王丸が首の検分役ということで、身代わりの首を差し出そうにも、近郷から集まってきている子どもでは流石に無理と思って落胆していましたが、小太郎を見て、松王丸の子と知らない源蔵は、小太郎の首ならごまかせるかも知れないと考えたのです。しかも、母親のお千代さんが戻って来たときは、彼女も。。。とまで言っています。なんてことでしょうを30回ぐらい言いたくなるような筋立てですが、鬼でも蛇でもない源蔵夫婦、苦しみながらも心を決めます。そこに松王丸と玄蕃がやってきます。この段では、悲劇の主人公となるはずの、吉田玉男さんの松王丸は、衣装が違うせいだけでなく、3段目とどこか違います。あの、「頭が悪くて根性も悪い」松王丸とは別人のよう。風格すら漂います。お人形は同じなのに、どう違うんだろう?と頭を傾げましたが、そこは玉男さんの技としか言えないのでしょう。松王丸が村の子どもたち全員の顔を改めて、菅秀才ではないことを確かめてから帰らせ、さあ、菅秀才の首を差し出せと迫ると、源蔵は奥に引っ込み小太郎の首をとって、松王丸に見せます。松王丸は、その顔を見て菅秀才に間違いないと言い切り、体調が悪いため暇をもらったと言って去って行きます。この場面、本当に胸に迫りました。お人形が演技してるのですよ、もう、ホントに。玄蕃は首を受け取り意気揚々と引き揚げました。そこに母親が戻ってきます。源蔵が刀を抜いて切りかかると、母親は身を逃れ、小太郎は立派に身代わりの役を果たしたかと問うのです。源蔵と妻の戸浪が驚いていると、そこにまた松王丸が姿を現し、菅丞相の歌「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」という歌を口にして、菅丞相の恩に報いようと、息子の小太郎を菅秀才の身代わりにさせるため今日入門させたのだと語るのです。息子の死に涙しながらも、菅丞相の御台所と菅秀才を対面させ、源蔵夫婦に二人を託します。そして、夫婦は、君主の子を弔う振りで白装束となり、我が子の亡骸をかごに載せさせ、去って行きます。おわり!現代の感覚しか持たないわたしたちには、色々と物申したい展開もありましたが、それでもやはりついつい引き込まれ、目頭が熱くなる場面も多々あり、さすがに文楽の三大名作と言われる作品だけはあると心から思った舞台でした。ちなみに、三大のあと二つは、義経千本桜と仮名手本忠臣蔵だそうです。
2017.06.05
コメント(9)
すぐに感想を書くつもりだったのがいつの間にか一週間もたってしまいましたが、先週の土曜日文楽5月公演に行ってきました。今回は豊竹英大夫(ハナフサダユウ)さんの、六代豊竹呂大夫襲名披露の記念公演。ロビーには、たくさんのご祝儀がディスプレイとして展示されていました。高校時代の友人に声をかけて3人で観劇しました。襲名披露の口上をぜひ見たかったので、第一部を拝見しました。舞台はまず寿柱立万歳から始まりです。三河万歳の太夫さんと才三さんが江戸にやってきて、立派なお店が軒を連ね、富士山や上野のお山?を望むお江戸の街で家々の繁栄を祝う万歳を披露するといういかにもおめでたい演目でした。鼓と扇を持って歌い舞うのですが、まるでその小さな鼓から音が聞こえてくるような太夫さんの鼓の演奏っぷりが素晴らしくて、あれも人形遣いさん(桐竹紋臣‐もんとみ‐さん)の技なんだろうなあって、感心してしまいました。太夫さんがいきなり鼓をぽ~~んって才三さんに投げ、それを才三さんが鮮やかにキャッチ!なんていう場面もあり、受けてました。短い休憩の後、いよいよ菅原伝授手習鑑です。菅原道真の失脚事件は有名ですが、その事件にまつわるたくさんの人々の色々な人生模様が描かれている大作で、四段目まであるとのこと。今回は、三段目と四段目の内の、梅王、松王、桜丸の三つ子が中心となる5段が演じられるとというので、一応ネットであらすじは読んで予習して行ったんですが。。。いや~~こんがらかりました。茶筅酒の段は、三つ子の老父四郎九郎の古希の祝いに、まだ姿を見せない三つ子に先立って、その妻たち、八重、千代、春がやってくるのですが、ここからすでにもう頭は混乱。最初に表れた八重さんは年若らしい振袖を着ているので区別がつきます。春さんと千代さんは顔も衣裳もそっくりで、お人形を見ただけではわかりませんが、千代さんの人形遣いが桐竹勘十郎さんなので、見ている内に役名を覚え判ってきます。ただ、誰が誰の妻なのか、それがさっぱり覚えられないのです。この3人が義父の祝い膳の用意をするのですが、誰が誰の妻かはわからなくても、3人の個性がすごく細かく描かれています。お八重さんは、若くて可愛いけどお料理は苦手らしくすり鉢で味噌を摺りはじめるんだけど、鉢がグリングリンと動いてそのうちお千代さんのところに飛んで行ってしまいます。お八重さんは井戸端でお米を研いでいます。この仕草が、とても人形とは思えないリアルさです。お千代さんは包丁を取り出して大根を刻むのですが、これが速い!細かい!!大根も庖丁も本物のようで、しかもあまりに包丁さばきが上手で、客席からは感心のあまり却って笑いが上がります。このお千代さんのところにすり鉢が飛んできて、お千代さんは味噌擂り係をお八重さんと替わってあげます。お千代さんがとんとんとんとんとリズム良く千切りにしていた大根を、同じ包丁を使っているのに、お八重さんは、リズムもドカンドカンなら、大きさも、まあ、おでん種?と言いたくなるサイズ。このくすぐりにも笑い声が上がります。一方お千代さんは、擂粉木にくっついた味噌を鉢の縁でこそげ落としてから摺りはじめたりして、お料理上手でしっかり者のお姉さんタイプっていうのがすごく良く表れています。お千代さんを遣っていたのが、先程も書きましたが、桐竹勘十郎さんでした。勘十郎さんって、こういうのをものすごく楽しそうになさるんですよ。時々、舞台から、こういうのは如何です?みたいな目でこちらを見ていらっしゃるような気がすることがあります。もしかしたら、いたずら好きというか面白がり屋さんかもしれませんね。義父四郎九郎役の人形遣い吉田玉也さんは、実は十代の終わりごろ夫とホンのちょびっとご縁のあった方です。親しかったわけではないそうなので、個人的には面識もないのですけど、なんとなく親しみを感じてしまいます。東京の公演にはあまり出られないのですが、今回は舞台に上がっている時間が長くたっぷり拝見できました。三つ子の息子たちに深い愛情を持っているけど、口を開けばお小言ばかりの頑固おやじを見事に演じていらっしゃいました。ドンデンが回って次は喧嘩の段。父が氏神詣りに行っている間に、三つ子のうち松王丸と梅王丸が登場。主君菅丞相の左遷で浪人中の梅王丸と時の左大臣藤原時平に仕える松王丸は先ごろ喧嘩騒動を起こしたばかりで、この日も顔を会わすや否や口論を始め、とうとう取っ組み合いになり、父が大事にしている庭の桜の木を折ってしまいます。この段では、若手の大夫さんで、クールなイケメンの豊竹咲寿大夫さんが顔を真っ赤に染め、立ち上がらんばかりの大熱演。松王丸、梅王丸が米俵を担ぎ上げて投げ合う場面(これには度肝を抜かれましたけど)があったりして、派手な見せ場の多い段ですから、そりゃあ大夫さんも力が入るでしょう。訴訟の段氏神詣りから戻った父四郎九郎改め白大夫に、梅王丸松王丸が書きつけを渡します。梅王丸は菅丞相の流された島に行く許しを願いますが、行方の分からない丞相の妻子を探す方が大事と許しは得られません。松王丸は勘当を願い出、白大夫は許しますが、親子の縁を切って思う存分兄弟と闘うためだろうとなじり、二組の夫婦を追い払います。桜丸切腹の段4人がいなくなると隠れていた桜丸が表れ、切腹をすると言います。菅丞相に多くの恩を受けながら、没落のきっかけを作ってしまったためだと言います。白大夫は早朝やってきた桜丸からその決意を聞き、止められないかと氏神詣りの折占いをしてみたけれど結果は芳しくなく、家に戻れば桜の木が折れていたのを見て、これは止めることができないと桜丸に刀をわたし、鉦をたたいて念仏をとなえます。その鉦と念仏がだんだん弱々しくなり、白大夫も力を失って身体がふらつきます。義太夫の文字久大夫さん、人形の玉也さんの渾身の演技と感じました。桜丸は命を絶ち、妻の八重も後を追おうとしますが、いぶかしく感じて物陰で様子を伺っていた梅王丸夫婦がそれを止めます。桜丸は吉田蓑助さんでした。いつもたおやかな女人形を遣われる蓑助さんが、あまり動きのない静かな役とは言え男の人形を遣われるのは珍しいと思います。大変哀切な桜丸で、さすが蓑助さん、すごい存在感でした。白大夫は八重を梅王丸夫婦に託し、自分は菅丞相のお世話をするため、菅丞相の流された島に向かって旅立ちます。口上後半に移る前に、襲名披露口上がありました。大夫部はもちろん、人形部、三味線部の錚々たる技芸員さんが金屏風の前に揃いの衣裳できらびやかです。あ、ごめんなさい。途中ですけど、続きはまた明日。
2017.05.27
コメント(7)
第2部、昨日の続きです東海道を、西に歩く旅支度の母娘連れは、加古川本蔵(高師直に賄賂を贈り刃傷事件のきっかけを作ったあのご家老さんです)の妻戸無瀬と娘小浪で、小浪は力弥の許嫁でした。塩埜家の断絶のためうやむやになっている縁談を進めようと鎌倉から京山科の大星家を目指して旅をしています。希望と不安がないまぜの道行きですが、背景の書き割りがパタンパタンと富士山から琵琶湖に変わったり、奥を行く大名行列が見えたり、一休みした戸無瀬の煙管から煙が出たり、母と子の赤面モノのガールズトークがあったりと、この「道行旅路の嫁入りの段」は、緊迫した後半のちょっとした息抜きになっています。一方、こちらは京山科の大星家、雪転し(ゆきこかし)の段です。祇園からたくさんの取り巻きを連れて大星が雪玉を転がしながら帰宅します。由良助は一杯機嫌で寝てしまいますが、取り巻が帰って静かになると起き上がり、力弥と仇討の相談を始めます。あまりのんびりしていては忠義の心も雪のように融けてしまうと焦る力弥に大星は、転がしてきた雪玉を連判の47人にたとえ、自分たちは主なしの日陰者だが、雪玉も、日陰に置いておけばなかなか融けないものだと諭します。ん~~ん、なるほど。そしていよいよ「山科閑居の段」。戸無瀬と小浪が大星家に到着し、祝言を申し出ます。大星の妻お石は家老と浪人の家では釣り合いが取れないので縁組はなかったことに、と言います。そう言い放ってお石が席を立ってしまうと、縁組がかなわないのならふたりとも死のうと戸無瀬が刀を振りかざします。すると、婚礼の準備を整えたお石が戻ってきますが、婚礼の引き出物として加古川本蔵の首を差し出すようにと要求します。そこに、先程から玄関前で尺八を吹いていた虚無僧が「首をあげよう」と入ってきます。それは加古川本蔵でした。首がどうのこうのは武士の言いぐさ。主人の敵をとる気もなく遊興にふけって大酒を飲む奴の言う事じゃないでしょう。日本一のアホの鑑だね。息子も蛙の子は蛙だろう。婿なんてこっちからお断り。小賢しい生意気な女め。と、大星から力哉、お石にまで言いたい放題の悪口雑言をまき散らし、お石にも暴力をふるう加古川を、激昂した力弥が槍で突きます。とどめを刺そうとした力弥を部屋に入ってきた大星が止めます。これは加古川の計略だ。婿に殺されて本望だろうというのです。本蔵は、大星の振る舞いが相手の気を緩ませ、時間を稼いで人数を集めるための計略だと見抜いていました。そして、今の大星たちの立場に自分がいたかもしれず、賄賂を贈ったことも、刀を抜いた塩谷判官を止めたことも、全て自分の過ちだったと言います。しかもそれが娘の縁談を妨げることになってしまった今、この首を婿殿に差上げようと思ったというのでした。それを聞いて、大星は、仇討ちを遂げようという本心を告げ、そののちは他家への士官はせずに自分たちも果てる覚悟を示します。それを見て、力弥と婚礼をあげても、必ずすぐに後家になる運命の小浪の行く末を慮っての破談だったと、戸無瀬と小浪にもようやくわかります。本蔵は苦しい息の下、師直の屋敷の図面を引き出物として差し出し、図面はあっても雨戸を破るのは至難だと告げます。しかし大星は庭の竹を使って戸を外す仕掛けを見せ、本蔵は「これ程の忠義と計略を持つ素晴らしい家老がいながら、塩谷判官はどうしてあんな浅慮(浅きたくみ)をしたものか。本当に残念な方だ」と嘆きます。本蔵の死の後、この図面さえあれば討ち入りは出来ると本蔵の虚無僧装束を借りて大星は堺に向けて出立します。先程いよいよと書きましたが、この山科閑居の段は、登場人物全てが胸に重いものを抱えて大変緊迫した場面が続きます。力弥以外の人に嫁ぐ気はないと言い張る小浪、血がつながらないからこそ娘の思いをかなえてやれないのなら死を選ぶと思い詰める戸無瀬、討ち入りの後、たとえ許されても自害するであろう夫と息子の心を知って、小浪の行く先を思えばこそ夫であり父である加古川本蔵を罵ってまで縁組を拒む力弥の母お石、さらに主君のためを思い、塩冶判官のためを思いながらすべての行動が裏目に出て、強い後悔に苛まれる加古川本蔵、その本蔵の命を賭した肩入れにとうとう本音と秘策を明かす大星由良助。人間ですら難しい、これらすべての人物の想いの裏と表を、文楽人形の、小さな仕草で表現してみせる人形遣いさんの技術は素晴らしいものですが、たった一人で余すことなく語ってみせる太夫さん、それに息を合わせてサポートする三味線方さんの芸にも本当に感動しました。屈指の難曲と解説にありましたが、その通りだと思います。わたしの一番の気に入りの太夫さんである、千歳太夫さんが前段を語りました。情感豊かで、舞台の上の人間模様にすっかり引き込まれてしまう語りでした。三味線は豊澤富助さん。わたしは三味線の事は全くわかりませんが、何か包容力というようなものを感じさせる三味線でした。次は、天河屋の段。歌舞伎やドラマでは天乃屋利兵衛ですが、文楽では天河屋義平です。堺の商人、天河屋義兵の店先。夜。船頭と偽って店を開けさせたのは、塩谷浪士たちのために討ち入りの武器を調達している咎を言い立て長持ちの中を見せろと迫る捕り方達でした。義平はこの長持ちの中のものは、ある大名の奥方から注文を受けた品物だから開けたらあんた方もただじゃすまないよと言い張り開けようとしません。捕り方は幼い息子を人質に取り、開けなければ殺すと迫りますが、義平は開けろと言われた長持ちの上にどっかと座り、捕り方を女みたいなとせせら嗤い、命なんか惜しくない、息子も突いていいぞといいます。そして、そこであのカッコいいセリフが、出ました!!「湊堺の町人の、男の中の男一匹、少しは知られた顔面(つらおもて)、天河屋の義平は、へへ、男でござる。」捕り方は、それ殺してしまえと詰めかけますが、その時長持ちから出てきたのは大星由良助でした。大事を前に、町人である義平が本当に信頼に足るかを信じきれないでいる同士のため、不本意ながら義兵を試したと、疑ったことを詫び、寸志を受け取ってほしいと言います。義平はそれを金貨だと思い、気を悪くして投げ返しますが、そこから出てきたのは、大事が漏れるのを恐れて離縁した妻への去り状と、再縁はしないという証に髪を降ろしたための妻の切り髪と櫛笄でした。大星は二人の立派な心映えを褒め、復縁を勧めます。そして、義平の忠義に応え、討ち入りの際の合詞に「天」「河」を使うと約束して東に向かいます。この段だったと思いますが、三味線がね、すごかったんですよ。まるでロック。ギュ~~ンとか言いそうで。で、三味線さんの合いの手もメッチャ気合が入っていて、もうカッコいいのなんの。ただ、見るところが多すぎて、この方だったかどうか、よく覚えてないのです。この段はああいうひき方が普通なのかどうか、CD買って調べたくなりました。さて、映画となどと違って、文楽には討ち入りの場はないのです。最後は「花水橋引揚の段」。見事師直を打ち取った四十七士が菩提所へと引き上げてくる場面です。馬に乗った桃井若狭介が駆け付け、義士たちを褒め、追手がきたら自分が留めておくと約束します。大星は、「これは有難し忝し。ご厚意受ける今の身のやがてお礼は冥途より。さらば」と言い、桃井と別れて行きます。かっこよすぎますね。あ~~、お疲れ様でした。終わって外に出るともちろん真っ暗。冷たい風が吹き抜けていました。でも、興奮してたのか私はあまり寒さも感じず、幸福な思いで家路につきました。最後の最後まで長~~い日記にお付き合いさせてしまい申し訳ありませんでした。今年のブログはもちろんこれが最後です。皆様良いお年を。来年もよろしくお願いします。追加そう言えば、今年の紅白のトリ、石川さゆりさんの天城越えは文楽とのコラボだとの投資部長2さんから情報提供がありました。ぜひ見てみたいとは思いますが、本日も相変わらず夫がテレビの前でずっと格闘技を見ています。見られるかな?
2016.12.31
コメント(13)
先週の土曜日に第2部を見てきました。開場前の慌ただしいアップにコメントをくださった方、ありがとうございました。忘れないうちに中身もアップしておきたいと思いつつ、なかなか思うに任せません。第2部の公演時間は約5時間でした。休憩は2回ありますが、合計で1時間もありません。その間に、お腹塞ぎのお弁当を食べたり、トイレに行ったりちょっと歩いたり腰を延ばしたり、2カ所ある売店を視察したり、パンフレットも買わなくちゃ、買ったら読まなくちゃ。。。なわけですから、なかなか大変です。なんて言ってますが、公演は素晴らしかったです。わたしは前回パンフレットを購入していましたから、会場までの地下鉄の中で予習をしていきました。4時半開場というので、naominさんとは4時15分にお約束しました。わたしは絶対に遅れちゃいけないと緊張して、4時5分前に着いてしまいました。何しろ1部と2部のお客さんの入れ替え時間も15分ほどしかありません。そんな風に慌ただしいと、なんだかトイレにも行きたいような気がしてきて、開場を待っていたドキドキの中にはそれも含まれていました。そんなこんなで席に着くと待つ間もなく幕が開きました。そこは祇園の一力茶屋。ここから最後まで、もう見せ場の連続というくらい第2部は見ごたえがありました。祇園のお茶屋さんなので、色んな音曲が聞こえてくるという訳で、普段は文楽では聞かれない長唄みたいな歌や太棹でない三味線の音も聞こえてきます。そこに高師直(吉良上野介の文楽バージョン)と内通している裏切り者の家老斧九太夫(山崎の段でおかるさんのお父さんを殺してお金を奪った斧定九郎の父親なんです!悪者の親は悪者ってわけ)が、高直の家来伴内と連れだってやってきます。由良助が本当に遊び呆けているのか、探り出してやろうという魂胆です。二人が2階に上がっていくと、今度は大星がなかなか仇討の腰をあげないことにいら立った塩冶藩の浪人3人が、大星の本心を確かめようとやってきます。仇討なんて面倒なことしない!と言い放つ大星に、3人は情けない家老の首を持って帰って他の浪士たちに見せると詰め寄りますが、そこに寺岡平衛門が登場。ここで舞台下手に豊竹咲甫太夫さんが現れ、床本(文楽の台本)も見ずに、というか床本を載せる見台を置く場所もない場所にいきなり仮説の床が現れるわけなのですが、平衛門の役を語り始めました。文楽では、太夫さんと三味線方さんは、並んで、舞台上手の客席寄りの「床(ゆか)」という場所に座ります。忠臣蔵は、ひとりの太夫さんが一人の役を語る掛け合いの形式をとる段が多く、そういう時は床に何人もの太夫さんが座り、満員です。そのせいか、この段では、下手に平衛門専用の仮設の床が出来ていたのでした。電車の中で読んだ解説にそう書いてあったので、平衛門役の太夫さんがその頃にその辺に現れることは分かっていたのですが、でもやっぱりビックリしました。で、咲甫太夫さんの平衛門、もともと張りのある良い声の太夫さんが、語るというより全身で演じるような熱演で、直情径行の平衛門が見事に表現されていました。平衛門は、足軽という軽い身分ながら、どうしても仇討の列に加わりたく、大星に会って頼もうとやってきたのですが、大星は酔って寝てしまったので、手紙だけおいて平衛門は退場。そこに力弥がやってきて、顔世御前から手紙を渡します。大星はそれを読もうとしますが、斧九太夫が座敷に入ってきて、この醜態は、仇討ちをしようという本心を隠し世間の目をくらます策だろうと言い、策でないなら塩冶判官の命日の今日、生の蛸を食べられるだろうと迫ります。大星はその蛸を平気な顔で食べますが、疑い深い九太夫は、縁の下に隠れ手紙の中身を知ろうとします。大星は手紙を読み始めますが、向かいの棟の2階で酔い醒ましをしていたおかる(身売りしたおかるはこの一力茶屋で遊女になっていたのです)が鏡を使ってそれを覘きます。それに気づいた大星は、おかるを階下に呼び寄せ、惚れたから身請けをすると言いだします。しかも、数日だけ夫婦の振りをしてくれたらあとは好きなところに行って良いというので、おかるはこれで実家に帰って夫勘平とまた暮らせると喜びます。おかるは父親が殺されたことも、自分が家を離れたあとで夫の勘平が切腹して果てたことも知らないのです。大星が、身請けの金を払いに部屋を離れた後に平衛門がやってきます。平衛門はおかるの兄で、ここに来る前実家に寄り、父と勘平の死を母から告げられています。一力茶屋にやってきたのは、おかるに会い、このことを知らせなくてはならないという思いもあっての事でした。父と夫の死を知り、身も世もなく嘆くおかるに、平衛門は斬りかかります。おかるから身請けの話とそのいきさつを聞いた平衛門は、密書を見られたおかるを大星は身請けして殺すつもりだと言い、いずれ殺されるのならいっそ自分が討ち、それを手柄に仇打ちの一味に加えてもらうと言うのです。そこへ戻ってきた大星がそれを止め、平衛門を仲間に加える、そしておかるには、仇を討つことなく死んだ夫の代わりにと、縁の下に潜む九太夫を刺し殺させます。大星は、主君の命日に生魚を強いた九太夫にひどく腹をたてていて、宇治川へ投げ込めと、平衛門に命じます。おかるは、人間国宝の吉田簑助さんが遣っていました。初めの内の遊女らしい俗っぽさ、遊女に身を落としてもなお夫勘平を想ういじらしさ、夫と父の死を知った嘆き、悲しみ、夫の遺志を受けて生きて行こうと決意する強さ、それらが、まるで人間が演じているかのように 生々しく表現され、溜め息が出ました。また、桐竹紋十郎さんが、この段では平衛門を遣われました。いかにも足軽らしい、軽妙さと力強さ、飾らない優しさ、情愛の深さが感じられる素敵なそして紋十郎さんらしい平衛門でした。九太夫を宇治川に投げ込んでこいと命じられる場面では、頭の上に九太夫を持ち上げる、文楽ならではの演出で、「シテコイナ」と言うちょっとおどけた掛け声と共に駆け出していくのがとても印象的でした。第2部、ここまで書いてもまだ最初の段だけです。今日はこの辺にします。長々お付き合い、ありがとうございました
2016.12.30
コメント(9)
今、入り口前で開場を待っています。ワクワク😃💕です。
2016.12.17
コメント(12)
今月の文楽公演、第一部を見に行ったのは先週土曜日、ちょうど一週間前でした。ブロ友さんの多くはご存じの通り、わたしが文楽を見始めてからまだ2年ほど、回数は10回になるかならないかで、いわばズブのシロート、初心者です。初心者ですから、通し狂言を見たのは今回が初めてでした。全段を半分に分けて、前半を第1部、後半を第2部とまる一日掛けての通し上演です。先週は前半の第1部を見ました。10時30分開演、16時終演。いや~~、長かったです。ズブのシロートは、ビックリでした途中、上目蓋と下まぶたが、まるで磁石で出来ているかのように引き合う危機を何度か潜り抜け、辛うじて眠りの国への境を越えずに踏みとどまった6時間でした。大序と2段目は討ち入りに至る事件の発端や経緯の説明となる場面で、人形も、配役表に名前の載っている正規の人形遣いさんでなく、黒子さん3人で使われていたりします。多分半分練習ってことでしょうかね?太夫さんや三味線方さんも、舞台の上の方にある御簾内(みすうち)で、多分若手の方が、顔を出さずに(配役表にも名前が出ずに)演じられるところがありました。浄瑠璃だけが流れていたり、逆にお人形の演技だけで浄瑠璃なしの場面があったり、ちょっと緩むけれど、こういう前置きや伏線はチャチャッと解説で読んで、実際に舞台に載るのはさわりだけっていうのより、やっぱりこういう風にじっくりたっぷりみられる通し狂言はいいなあって思いました。今まで知っていた忠臣蔵はドラマや映画の、つまり史実に近い江戸時代のお話でしたが、文楽の忠臣蔵は、足利尊氏の時代に、場所も江戸城内ではなく、鎌倉鶴岡八幡宮に遷されていました。登場人物の名前も替えられています。尊氏は将軍位についた後、鶴岡八幡宮を造営し、そこに敵の大将で源氏の末裔新田義貞が天皇から賜った兜を収めるため弟の直義を派遣します。直義の饗応役が塩冶判官(えんやはんがん)と桃井若狭助(もものいわかさのすけ)、その二人の指導役が高師直(こうのもろのう)です。最初、師直は若くて身分の低い若狭助に事ごとにつらく当たり、とうとう我慢ならなくなった若狭助があわや刃傷沙汰に及びそうになります。この辺りで浄瑠璃は「運強く、切られぬ高師直」とか歌い、あぁ、やっぱり師直は(きら)上野介!って、観客は思う寸法です。ということは、若狭助が内匠頭?と思いますが、そこに絶世の美女顔世御前が登場します。この美人、塩冶判官の奥さんです。ここからお話は妙な展開になります。師直がこの美人妻に横恋慕し、恋歌を送りますが、見事にふられてしまうのです。辛うじて刀を抜かずに帰った若狭助は、家老に明日はあいつを絶対切ってやる!と告げます。家老は、じゃあ、もう、バッサリ綺麗に殺っちゃいなさいなんて焚き付けますが、殿が自室に引っ込むや否や、馬を仕立てて高家へ行き、師直に袖の下をつかませます。師直は掌を返したように若狭助におべっかタラタラ。若狭助は戸惑いながらも、もうこのくそ親父を斬るわけにもいかなくなります。師直もお金をもらっちゃあ、若狭助をいじめるわけにはいきません。なにやらムカムカしているところに顔世からは肘鉄、その断りの手紙を持ってきたのは何と夫の塩冶。顔世は塩谷には何も知らせていないのに、邪恋を夫塩冶に知られたと勘違いした師直は、フラれた腹いせも、若狭助をいびれなくなった鬱憤も全部まとめて、今度は塩谷に向かってとんでもない悪口雑言を浴びせます。最初は気でも違ったの?といなそうとしていた塩冶も、師直の悪役ぶりに最後には頭に血が昇り、刀を抜いて追いかけ回しますが、物陰に控えていた賄賂家老の加古川本蔵に取り押さえられてしまいます。ここまでくれば塩冶判官が内匠頭ってもうはっきりわかります。 で、この役名、浅野家の赤穂藩は塩で有名、吉良家は高家という役職?だっことからの命名に違いないと、mamatamさん鋭い!とか自画自賛していましたら、それだけでなく、なんと、このお二人、まさに足利時代の実在の人物だそうで、しかも、人物設定の背景となっている太平記に、そっくりそのままのシチュエーションで登場するらしいのです。WIKIに載っていました。どこが鋭いんだか。もの知らずもいいとこじゃん!!と自分に突っ込みを入れつつも言い訳すると、このオハナシ、上に書いた以外にも、話の組み立てから、設定から何から、からくりがいっぱいなのです。お話の筋に戻りますが、門の中と並行して、門の前でも、小さな事件が起きていました。不本意にも師直から恋歌を贈られた顔世御前、心中は「止めてよ!わたしにはダーリンがいるのに、アンタ(みたいなエロおやじ)になびくわけないでしょ!!」と突き返したい気持ちでいっぱいですが、そんなことしたらダーリンの出世に差し支えるのではと思い悩み、新古今和歌集から「わたしには夫がいます。もう一人の夫なんて。。。」という歌を書き写し、夫から師直に渡してもらおうと、この書状を腰元のおかるに届けさせます。さて、このおかるは、塩冶判官に随伴して直義の御殿に登城している早野勘平の恋人です。勘平を呼び出してもらって書状を渡し、勘平は塩谷にそれを渡しますが、ふたりはチャ~~ンス!とばかり無断で城を抜け出します。「逢ひびき」ですね。この、ちょっとしたおさぼりが二人の人生を大きく変えてしまいます。二人が門の前に戻ってみると、主人は網かご(罪人を乗せるかご)で屋敷に運ばれたと聞かされ、その屋敷におめおめと戻ることもできず、勘平は死ぬしかないと思い詰めます。でも、おかるに説得され、おかるの実家で謝罪の叶う機会を待とうと決心します。そして、これが、先日あらすじをご紹介した5段目6段目のおかるの身売り、勘平の切腹と言った悲劇につながっていきます。閉門を命じられた塩冶判官の屋敷には、幕府の上使が到着します。上使を迎えた塩冶は切腹の沙汰を覚悟し、羽織の下に白小袖に裃の死装束をまとっていました。最期に由良助との体面を望みますが、叶わぬまま、塩冶は切腹をします。その時由良助がようやく到着します。塩冶は切腹に使った刀を由良助に与え、無念を伝えます。この「塩冶判官切腹の段」は「通さん場」というそうで、舞台の緊張感を妨げないように客席の出入りが出来ないことになっています。トイレにも行けないので、別の意味で、すごく緊張しました。塩冶判官の遺体が運び出されると、家臣たちはまるで追い立てられるように、城の明け渡しを求められます。由良助も形見の刀を手に、無念を晴らす決意を胸に屋敷を後にします。いやぁ、この場面が何とも胸に沁みました。由良助の人形は、吉田玉男さんが遣われます。玉男さん、いつも立ち役というのか、勇壮な男性のお人形を遣われることが多くて、大立ち回りの場などは、本当に迫力で、お人形もまるで生きてるみたい。思わず拍手したくなってしまいます。ところが、この日の圧巻は、この城明け渡しの段での、由良助の重厚な一人芝居でした。玉男さんがお人形を遣っているというより、玉男さんのお芝居をお人形が表現しているみたいな。。。う~~ん、そんな言い方じゃわかりませんよね。上手く表現できません。いつもとは違うんだけど、今回もとっても良かったと、まあ、そういうことです。次の5段目、6段目は、おかるの実家に身を寄せた早野勘平の悲劇が話の中心になります。あらすじは、12月2日に書いたので、ほぼあっていました。6段目の最後で、勘平の義父殺しの疑いは晴れ、血判状に名前を連ねる仲間として認められたので、早野勘平は仇討の同士ではあるけれど、四十七士ではないということがわかりました。これで前半の紹介が終わり。読むのも大変だったでしょうが、見るのはもっと大変でしたよ。もちろん、1部、2部通しての公演ですから、舞台に上がる方はもっと大変なのだから、愚痴言っちゃいけませんけどね。実は翌日から軽い腰痛が出てしまい、先週はずっとなるべく暖かくして過ごしたのでだいぶ良くなり、昨日、今日とゴロゴロ、いえ、横になって腰を休めることに専念したら、ほぼ治りました。来週の土曜日は、後半の第2部を見にいきます。ご一緒するnaominさんも腰痛持ちでいらっしゃるので、二人して、合間にはしっかり腰を伸ばそうとか、そのためにはお弁当と飲み物は持参しようとか、打ち合わせています。とにかく冷やさないように、カイロを持って行こうかとか、グダグダ、まとまらないけど対策考え中です。
2016.12.11
コメント(6)
Google Doodleのロゴ探し、ご協力いただいてありがとうございました。チャンドラ ボースさんのは、後ろの窓?棚?の枠が、まんまGoogleでした。不思議ですね、教えて戴いて、そのつもりで見ると、ホントに一目瞭然。わかったことも不思議だし、これどうしてわからなかったの?ってそれも不思議。わからないと思っていたものが、一瞬でわかった!に。。。まるでオセロのコマが一気にひっくり返る時みたいな快感でした。そんなどーでもいいことを言ってるうちに12月ですよねえ。mamatam社もいつもの12月になってきました。今年は、注文量は多くないのですけど、急ぎというか、納期がメッチャ短い注文が多いです。だから、忙しさが変なのです。原料が入った日に製造して、当日か翌日に出荷なんていう注文が多いので、原料が届くまで気持ちだけはイライラしながら体はヒマ~~。それが、原料が届いたとたんに忙しくなり、結局残業とか、そんな感じです。これ、どうにも精神衛生に良くないです。だけど、仕方ないですね。今月来月は極力イライラしないように自分も周りも宥めながら過ごそうと思います。そんなストレスフルな毎日を、明日は癒してもらえそうです。明日は文楽12月公演の初日なのです。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、今年は国立劇場50周年という記念の年です。その記念公演ということで、今年は歌舞伎も邦楽も力の入った舞台を見せてくれるようですが、文楽も前回9月公演は一谷嫩軍記を、そして今回12月公演はなんと仮名手本忠臣蔵を全段通しで上演してくれます。仮名手本忠臣蔵って、多分日本で一番有名な舞台劇だろうと思うのです。ふと思い出しましたが、昔々、歌舞伎教室というのを見に行ったときの演目が確か忠臣蔵でした。お軽勘平のお話でしたよ。おかるが、若き日の坂東玉三郎さんで、綺麗だった。それになかなか印象的な舞台だったのでしょうね、なんとなく筋も覚えています。お軽さんの実家に身を寄せ、猟師に身をやつした勘平さんは、討ち入りの仲間になるために?お金を工面しようとしていました。それを知ったお軽さんは身を売ってお金を作ることにして、お父さんがその内金をもらって真っ暗な山道を家に向かって歩いています。するとその時いきなり強盗が現れ、殺された挙句お金を奪われてしまいます。その強盗がね、白塗りに、黒紋付きの着流し。「縞の財布に50両」ってヤツですね。(演劇博物館さんからお借りして来た画像です)多分多くの方が、あ~~これ知ってる気がする!って思われたんじゃないでしょうか?で、この強盗(斧?九郎とうろ覚えでしたが、斧定九郎ですね)、勘平さんの撃った鉄砲に間違って当たって死んでしまいます。勘平さん、最初はど~~しようとか言っていますが、お財布を見つけて、ラッキ~~と持って帰ってしまいます。夜の山道なので自分が殺したのが誰だったかわかりません。でも家に帰って、お父さんがお軽さんの身売りのお金50両を縞の財布に入れて持ち帰ったと知り、義父を殺してしまったとビックリ仰天。で、切腹したんだけど、あれ?じゃあどうして早野勘平は四十七士に入っているんだろう?40年も前の観劇の記憶なので、自分で筋作っちゃってるかもしれませんね。明日確かめてきます。ともあれ、40年もたっても、このくらいは覚えているのですから、忠臣蔵ってよっぽどよくできたドラマ(脚本)なんでしょうね。驚いたことに、歌舞伎でも、50周年記念公演として、同じ「通し狂言仮名手本忠臣蔵」を上演するのだそうです。歌舞伎の方は、全段を3部に分けて、10月から12月の3か月かけて通し狂言を上演するとのこと。一方文楽は、大序(一段目)から11段目までを2部に分けて、なんと一日で全段を演じるのです。わたしたちは、明日は、第1部を観劇します。第1部は大序から6段目までで、10時30分開演で終演は多分16時ごろ。わたし、身体が持つかしら?途中で眠りの精に誘われちゃわないかしら?とちょっと心配です。何しろ文楽の筋立てって、勘違い行き違い筋違いのオンパレードですから、居眠りなんかしちゃうとよくわからなくなりそうなんですよね。頑張らないと。それにね、上に書いた縞の財布に。。。だけでなく忠臣蔵って有名なせりふがいっぱいあるんですよね。天野屋利兵衛は男でござるとかね。聞き逃したくないし、そういうのがどういう場面で聞けるのか、あ、出てきた、出てきた!って胸の中でほくそ笑むのが今から楽しみなんです。因みに7段目から11段目までの第2部は16時30分開演、終演は21時30分ごろのようです。この第2部は12月17日に見に行く予定です。こちらは高野山にもご一緒したnaominさんと、またご一緒できます。気の合ったお友達と一緒に見ると、楽しさも面白さもひとしお。17日はそれも含めて、また楽しみです。
2016.12.02
コメント(16)
13日の日曜日、あいにくの雨の中、文楽12月公演を見に出かけました。観たのはは、第2部のプログラム、奥州安達が原と紅葉狩りの2本。今回は若手・中堅の技芸員さんたちを中心にプログラムを組んだ公演のようでした。驚いたのは、幕開けの奥州安達原 朱雀堤(しゅしゃかつつみ)の段では、人形遣いさんが主遣いも含めて全員黒子姿だったこと。プログラムにもお名前が載っていません。奥州足達原は、前九年の役で戦った源義家と安倍貞任・宗任兄弟が主役のお話ですが、この朱雀堤の段は、主役を巡る人々の人間模様が描かれていて、それを若手の人形遣いさんたちが精一杯演じていました。この若い技芸員さんたちを豊竹咲甫太夫(さきほだゆう)さんの浄瑠璃と竹澤宗助さんのお三味線がきっちりサポートして盛り上げていました。次の環の宮明御殿の段は、打って変わって有名な見せ場が多く、プログラムにお名前は載っているもののやはり若手・中堅の技芸員さんの熱演が目立ちました。その中では、わたしの大好きな竹本千歳太夫さんの、超有名な「袖萩祭文」の口説きが素晴らしく、その熱演に客席から声も飛んでいました。袖萩祭文は、旅の男と駆け落ちをし、その夫とも生き別れて物乞いに身を落とし、病のために盲目となった袖萩が、父が命にかかわる危難に瀕していることを小耳にはさみ、顔合わせできる立場ではないことを十分承知しながら矢も楯もたまらず様子を探りに父が留守居をしている帝の弟環の宮の明(空)屋敷に、幼い娘に手を引かせやってきますが、心ならずも頑なに拒絶する両親に、物乞いなら物乞いらしく歌を語れと言われて、苦しい胸の内を切々と訴える場面です。千歳太夫さんの嫋々たる語りに、すっかり引き込まれました。次の紅葉狩りは、長野県の戸隠を舞台にした鬼女もので、浄瑠璃の太夫さんが5人、お三味線が5人、うち2人はお琴も弾かれるという賑やかさでした。この舞台も超有名どころの出演はありませんでしたが、お三味線は野沢錦糸さん、浄瑠璃は更科姫(鬼女)の豊竹呂勢太夫さんが大部隊を引き締めていたようです。人形では、吉田勘彌さんが、更科姫(鬼女)を遣われ、鬼の正体を現してからの毛振り(というのだと思いましたけど)がすごい迫力で、客席からは歓声と拍手が湧いていました。あ、ここまで書いたのは、ど素人のmamatamの印象ですので、見巧者の方がご覧になっての感想は全然違うかもしれません。見当違いなことが書いてあってもどうぞご容赦ください。この日は、12月という時候のせいもあったのか、素晴らしいお着物のお客様が多くて、あちらに見惚れ、こちらをうっとりでため息が出てしまいました。わたしは前回アップした袴みたいなパンツを履いていったのですが、図々しいわたしもさすがにちょっと冷や汗でした。さて、文楽公演の後はお楽しみの「二代目吉田玉男感謝の忘年会」でした。ブロ友naominさんのお誘いで文楽に出会ったわたしでしたが、そのnaominさんを誘ってわたしたちのお世話をしてくださるのがnaominさんのブロ友さんのwakko-chanさんです。この方は、文楽のそして吉田玉女(よしだたまめ)さんこと二代目吉田玉男さんの強力な応援団でいらして、この忘年会にも、wakko-chanさんがいらしたおかげで参加が出来たのでした。今年、名人と言われた初代吉田玉男師匠の名跡を継いで、二代目吉田玉男を襲名された玉男さんとその一門のお弟子さん、近しい技芸員さん(大夫さん三味線方さん)が、本公演中の忙しい中、わたしたちを楽しませるべく大奮闘してくださいました。この日の様子は、naominさんが詳しくレポしてくださっているので是非ご覧になってきてください。感動して、笑って、美味しいものを戴いて、美味しいお酒を戴いて、きっと一生に一度だろうと思う贅沢な忘年会を心から楽しんで、雨も上がった中、傘を忘れることもなく、口元緩みっぱなしで帰宅したmamatamでした。
2015.12.14
コメント(7)
昨日に続いて今日も残業で、先程ようやく帰ってきました。今日の残業は肉体労働だったのでくたくた。16日のお出かけ報告の続き、書いておいたのを、後でチェックしようと思っておいておきましたが、その元気がないので、そのままアップします。文楽鑑賞を終え、文楽をますます好きになったような気分で劇場を後にし、その歴史に触れたあと、玉男さんの襲名記念の写真展が開催されているという、白金台の瑞聖寺(ずいしょうじ)に向かいます。その写真展は、商業写真家として活動する傍ら、舞台芸術をテーマに文楽の技芸員の方の写真を撮り続けていらっしゃる渡辺肇さんという方の作品で構成され、玉女さんが玉男さんになられたという意味の「転女成男(てんにょじょうなん)」のタイトルで開催されています。こちらは読売新聞の記事です。半蔵門線を永田町で南北線に乗り換えて白金台駅で下車。勘のいいnaominさんのおかげで迷うこともなく、お寺の入り口に。右側に見えている赤いお花は、ブラシの木です。まっすぐな参道を山門に向かうと、立派な鐘楼が見え、その向かいに会場がありました。会場の壁に貼られていたのは、今回の公演の演目「一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)」での、玉男さんと熊谷次郎直実のダイナミックなお写真でした。中に入ると、舞台の上の、また楽屋裏での玉男さんがいっぱい。撮影していいですよとおっしゃっていただいた数枚の大きな写真パネルをご覧に入れますね。スマホでは写せないものもあったので、一応写った分だけですが。転女成男のタイトルが大きく見えるお写真。タイトルの左側は、以前楽屋で見せていただいた、舞台下駄を履いていらっしゃいますね。どちらもめっちゃ凛々しい玉男さんと直実。そして、こちらは、以前拝見した、絵本太功記の武智光秀(明智光秀)&玉男さんのツーショットです。これらのお人形の着付けをなさるのも人形遣いさんのお仕事だそうで、楽屋で真剣なお顔で、針と糸を操って人形に着付けをされるお写真もありました。なんと布団針の目に6本もの太い木綿糸と通して、その太い糸と針で衣裳を縫い付けていくとマネージャーさんが説明してくださいました。1点、素晴らしい動画が展示されていて、僅か2-3分の短い作品なのですが、美しい映像と完成度の高い音楽、そして人形と玉男さんの動きのカッコよさがすべてぴったりとかみ合って、素晴らしく見ごたえのある作品になっていました。この写真展だけのために制作された作品と伺って、なんともったいないと、naominさんと二人、ため息をついてしまいました。存分に映像美を味わって、外に出てみると、改めてそこは素晴らしいお寺でした。このご本堂の脇にある寺務所にインターフォンがあったので、ドアにカーテンがかかっていましたが、図々しくピンポンして、ご朱印をお願いしてみると、品の良いご婦人が出てこられて、快くご朱印を書いてくださいました。すごく達筆ですね。こちらは「山手七福神」のうちの布袋様をお祭りしているそうで、このご朱印は布袋尊のものでした。出来ればこちらのご本尊様のものも欲しかったのですが、もしまた伺う機会があったらお願いしてみたいと思います。思いがけずご朱印までいただけたので、大満足して、いよいよお腹を満たしに参ろうかということになりましたが、白金なんて、やたらお高そうなイメージで、最初は腰が引けて、電車でどこかに出ましょうかと言っていました。でも、南北線も三田線もなじみがなく、どこの駅に行ったら手ごろなお店があるか、やはり見当がつかず、思いついて、お得意のナビウォークで現在地の近くで、予算内でお店があるかって検索をかけてみたのです。そしたら引っかかったのが、イタリアンのCafe La Boheme でした。ナビに導かれていってみると、この日は店内は貸し切りで、結婚式だけれど、テラス席ならOKとのこと。雨模様だったけれど、ふらないことを念じながら、腰を落ち着けました。お料理を頼み、呑兵衛の二人らしく赤ワインのボトルを頼んで、乾杯。どのお料理もおいしくて、大満足でした。そのうちとうとう雨が降ってきて、大きなパラソルをテーブル脇に広げていただいて、まだ飲み食べ続けた二人でした。だって、食べ物だけじゃなく、naominさんとのお話も、どれもこれも美味しくて、じゃなくて面白くて、雨ぐらいではとても止められものじゃないのです。食べて、飲んで、おしゃべりして、まだまだいくらでも続けられそうでしたが、お互いに明日もあるので、お開きにしました。naominさん、またぜひ遊んでくださいね。
2015.05.19
コメント(4)
明日は、またブロ友のnaominさんに声をかけて戴いて、文楽を見に行ってきます。naominさんやそのブロ友さんたちが応援していらっしゃる人形遣いの吉田玉女さんが、師匠の名である吉田玉男さんを襲名された記念の公演です。(その記事はこちら)きっとすごく張り切っていらっしゃると思います。とても楽しみです。早い時間に開演の会なので、もう寝ないと。明日、またご報告させていただきますね。naominさん、よろしくお願いします。
2015.05.15
コメント(15)
全55件 (55件中 1-50件目)