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ハムナプトラ観ました。初見時、虫ウジャでリタイヤ。あれから10年くらいでしょうか。虫ウジャ映画、少し耐性がつきました。ハムナプトラシリーズ、テレビでやるたびに観る人が家族なので(涙)。しかし、ベラ・ルゴシの伝記映画、売りやがった。止めたのに。なんで売るかね。うきー。それはそうと、この映画の元となった、30年代のミイラシリーズは観てません。たぶん。観たい。ボリス・カーロフでてる。我らがボリス様関連では、『古城の亡霊(1963)』はDVD所持(失笑)。ニコルソン、ボリス様、ロジャー・コーマンで撮影2日、ということばかり話題になってるみたい。確かに美しい映像詩のような画像で、俳優は芸達者なのだが、色々唐突で、しっかり観てないと話がわからん。実は作りこんであるのだが、まあ、話はどうでもよいような、よくも悪くも昔テレ東二時枠でやってたようなB級っぷり。そういう面白さをレビューしてるサイトが一つだけあった。ちょっと嬉しかった。ホラーつながりで、以前それこそテレ東二時枠で観たきり、誰に話しても解らなかった印象深い快作(?)が、深夜のホラー映画サイト徘徊で解った。ただし、そのサイトのレビューは見当はずれ。オムニバスの二話目。『ウィリアム・ウィルソン』(ポーの名作)も知らないのかよ(怒)。何がアリキタリのドッペルゲンガーモノだ。高校のサイドリーダーでも読まされた古典だぞ。ちなみにその本には、ポーの『落とし穴と振り子』や、H.G.ウェルズ『盲目の国』とかが乗っていた。一話目、すすり泣く馬の館、も確か原作があったはずだ。(DVDでは『黒馬の哭く館』という題らしい)三話目、これはフェリーニのオリジナル。これ、これが凄い印象に残っていたの。白いドレス、ボールをつく少女の幽霊(死神)。それが繰り返し出てくる。それが、もう、怖いのなんの。このシーンしか覚えてなくて、オムニバスってのは覚えていて、一話目は馬の出てくる話ってのも薄っすら覚えていた。フェリーニとか、二作目がルイ・マルのポーとか、何も覚えてなかったなぁ。これだけの情報で解ってくれる映画マニアは居なかった(笑)。件の映画(オムニバス三作)は、世にも怪奇な物語 HISTOIRES EXTRAORDINAIRES【データ】フランス 1967年 カラー 121分 日本公開1969年7月 日本ヘラルド配給監督 ロジェ・バデム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリー二出演 アラン・ドロン、ブリジット・バルドー、ジェーン・フォンダ、テレンス・スタンプ、ピ-ター・フォンダでした。DVD探そうっと。前回日記から異様に日があいてる(笑)付記。知人による情報。上記オムニバス、全部ポー原作とのこと。 私の教養の無さが露呈しました。
April 25, 2012
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滋賀県で、死亡事故があった。6か月の女児が、ゆさぶられっこ症候群により、死亡。激しくなくので、強くゆさぶったことによるそうだ。恒常的虐待の形跡はないという。それなのに、母親は「容疑者」。「虐待死亡事件」として扱われる。報道は、「ゆさぶられっこ症候群は、虐待として位置づけられる」と言う。しかし、育児書には、「高い高い」や「ゆすりあげ」も危険と書かれている。5歳になるわが子が赤ん坊のころ、本当に怖くて、周囲の善意の方々が、激しくあやしてくださる度に青くなったものだ。その点も、今回の記事の最後のほうに付記されていた。しかし、「虐待死」という、今や社会悪と目されている「犯罪」であると強調し、ゆさぶる危険性そのものが伝わりにくくなってしまっている。問題は、「ゆさぶられる」原因や状況ではなくて、「ゆさぶられる」という事態そのものが危険であり、善意であれ、悪意であれ、無意識であれ、死にいたる場合があるということの筈だ。特にアメリカで、父子の体格差は日本と比べ物にならないようで、あやして「ゆすりあげ」をしたら死亡、という事故が、一時期多発していたそうである。車が危ないからと、ちょっと手を引いたら脱臼、という事故も、実は日本でも、お父さんがよくやってしまうと聞く。虐待と言って騒ぐよりも、力加減の大切さと、大人と乳幼児の体格差の再認識を呼び掛けるほうが、こうした痛ましい事故を減らすことに、つながるのではないだろうか。(特にお父さん注意)最近、子供が立って叱られているときの状況について、「大女に見下ろされているのだから、ただ怖くて、内容なんか聞いてない」という表現を読んで、ハッとした。もっと小さいときには、しゃがんで目を観る叱り方を、私も周囲の保護者も普通にしていた。しかし、5歳にもなると、わざわざしゃがんで叱る親は、あまりいない。家で座らせて叱る場合も、子供は見下ろされているのである。倫理云々の前に、そうした動物的な部分、単純な大きさの違いによる恐怖を、しっかり理解して対処しないと、叱ったところで、まったく効果がないわけだ。どんなことでも、解決の糸口は、意外とシンプルなところに隠されている。
December 18, 2010
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音楽練習会というものに、参加してみた。感動した。ほとんどの参加者が、異様に巧い!いろんな楽器を間近で観聞きできて、楽しかった~。カッコイイ~。ホームページでの事前情報と現実のメモ。「当日練習分の抜きずり」はなくて、楽譜集を貸していただいた。楽譜集は、迷ったのだが、結局帰る時に購入した。「ゆっくり練習」ゆっくりの第一段階でさえ、楽譜を追うのでやっと、微妙に早い第二段階は、音程もボウイングも滅茶苦茶で断念。「初心者OK、事前連絡不要、途中参加退出自由」すべてそのとおり。「アコースティック楽器ならなんでもよい」5000円の安楽器でドキドキしましたが、快く参加させていただいた。私の参加した日は、全員アイリッシュトラッドで普通に使う楽器。感想。実際、その音楽の中に身を置いてみると、いままで掴みきれなかった楽譜と演奏の関係が、体感できた。自分が出来るようになったのではなくて、目指すべき目標がはっきりしたと言う意味だが。音源または、セッションを聞くだけで、楽譜と説明とネットで拾った映像を頼りに練習していた。が、何か根本的に間違っていたようだ。金と暇ができたら、習いたいなぁ~。でも、今のところ、楽器の手入れさえ予算が回らない。Gが酷くバリ音出るのだが、直したら買い換えたほうが安いと思う。モチベーション上がって、弦を換えた。楽器とほぼ同額のセット弦で、全部張り替えた(ヘリコア)。予備弦、一応錆対策していたつもりなのに、見事に数か所錆ていた…それはそうと、以前、音大卒の兄が「これならお前にもできるんじゃない?」と奨めてきた『カリンバ』という楽器を、その話は知らなかった友人が、偶然雑貨店て購入して愛でていると言う。この人、ウクレレも持っているのだが、特に弾いてはいないらしい。こういう、微妙なシンクロニシティのある方というのは、話していてとても楽しい。
December 9, 2010
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まずは、前回の続きから、陶淵明(4世紀ごろ)の菊酒のお話。菊水伝説は、まさに4世紀ころから広まったと言う。これは、菊の群生地にある河の水を飲んで暮らす里人が、長寿の仙人である。という伝説で、古来薬効のある菊の成分が川水に染み出したとされる。この伝説から、菊酒の習慣が発していると言われる。残念ながら、現時点では「四世紀の本」としか確認できず、正確な出典がわからなかった。国立歴史民俗博物館「くらしの植物苑」(2002年10月21日)(参考)また、中国で菊酒というと、文字どおり菊から作るものだという記事をみつけた。梅酒やハーブ酒の一種と言える。(参考)が、件の詩には、はっきりと「秋菊」を「つみ」「うかべて」と詠われている。浮かべて飲むのが一般的でないとすれば、陶淵明一流の風雅であったのかもしれない。菊を浮かべて飲むのは、中国古来の風習だとする説も散見されるが、こちらも出典を明記したものが見つけられず、真相は藪の中。 以下の記事中に、4世紀に結婚式の祝い酒として、紹興酒を美麗な絵付けをした甕に入れたという記述がみえる。紹興酒関連記事透明なお酒ではなくて、もしかしたらあの飴色のお酒に、黄色の菊を浮かべたのだろうか。食用菊は、日本だと黄色とピンクを思うが、菊水伝説関連では、「白菊の群棲」という記述もみつけた。色彩的には、紹興酒なら白菊がよさそう。wikipedia の参考文献にある、花井四郎『黄土に生まれた酒 - 中国酒、その技術と歴史』東方書店、1992, ISBN 4-497-92357-6.も気になるが、未読。まあ、そんなこと忘れて、ゆるりと独り、杯を重ねるのが吉。呑まないひとも、独り気ままに夜空でも眺めれば、イササカ マタ コノセイヲ エタリである。最後に、本文を載せておく。手持ちのテキストと一部表記が違うが、「陶淵明 詩と構想の世界」さんから読み下しをコピーさせていただく。なお、忘憂の物 とは酒であり、駒田信二『漢詩名句 はなしの話』の註によれば、『詩経』のなかの一遍にたいする毛伝(毛チョウの註)に由来する。 秋菊有佳色 秋菊 佳色あり 衷露採其英 露を衷みて其の英を採り 汎此忘憂物 此の忘憂の物に汎べて 遠我遺世情 我が世を遺るるの情を遠くす 一觴雖獨進 一觴獨り進むと雖ども 杯盡壺自傾 杯盡きて壺自ら傾く 日入群動息 日入りて群動息み 歸鳥趨林鳴 歸鳥林に趨きて鳴く 嘯傲東軒下 嘯傲す東軒の下 聊復得此生 聊か復た此の生を得たりそして、イササカ唐突に、甲賀忍法帖である。実はこの小説、飲食の描写が皆無。たったひとこと「宴もつきて」と言うような言葉はあるのだが、実際の酒宴なども無い。菊酒のことばかり考えていて、ふと、気づいた。時代劇といえば酒宴、剣豪と言えば酒、という概念に毒されていたが、そんな画面は不要とする作家もいるのだなぁ。以前から読もう読もうと思いつつ機会がなかった一冊。近年、映画や漫画で流行したが、古本に案外出ない。100円本を唯一みかけたとき、「最近はやったから、もっと安くでるかも」と見過ごしてしまい、後悔している。結局420円の角川文庫版を購入。用もないのに、初版&美本。読めればいいものに限って、こういうものが手に入る無駄。文体はスッキリと読みやすい。どこか岡本綺堂を思わせる、淡々とした語り口。一気に読了させる、展開のうまさ。見た目にも読みやすい、表記法も含めた、天性の文章力。残酷美。非恋の結末も、ただ美しく悲しい情景ではなく、グロテスクとも言える描写で閉める。そして一転、高く飛翔する結びの一文。全体を通して、実に空間を感じさせる作品だった。娯楽小説なので、葛藤だとか人間性だとか、そういうところは、物語のキッカケや彩どりにすぎない。そのあたり、文学作品と主客転倒しているのが面白い。ある時代の、古い文体、古いスタイルなのだが、現代の若者にも受けている模様。現代大衆小説における、曲亭馬琴くらいの位置づけにされている節もある。映画 shinobi と アニメ バジリスク~甲賀忍法帖~ も観る機会を得た。どちらも、朧さん(ヒロイン)視点に重点がある感じ。アニメにいたっては、各人物のサイドストーリーを加えたために、ますます弦の介が希薄な存在になっている。原作ファンからも受け入れられた漫画化をアニメにしたそうだが、私、朧の絵柄はかなり苦手で、イメージも視覚的に違う。そして、忍びのくせに、皆いちいち凶相を呈して憎しみをぶちまける。原作には、虐殺的なホリックはない。残虐美といえば、もう少し様式的で静かである。原作世界の表現には、こうしたバイオレンスはなかった。ニタリである。ニッと笑う凄惨な笑みである。岡本綺堂にもよく出てくる、あの、うすら寒い笑みである。にんまりでもなく、にやりでもない。ここは西洋的肉感ではなく、日本怪談的ゾッとするような笑みこそふさわしい。西洋ホラーみたいにズガズガ刺したり、それをことさら口にしたりはしない。特に、蛍火にはがっかりした。虫つかいの女というブキミな美しさ。どうしても『箕輪の春』を思い出してしまう。そうした悲しさ、一途な恋心と少女特有の冷酷。第一、狂気して何度も刺すのは暗殺者のトドメではないと思う。時間もかかるし、かえり血もあびるし。確実に、スタイリッシュに、静かに、迅速に。そして、こともなげに。それが蛍火のイメージなんだが。この蛍火は好きではないのだけれど、箕輪の春の「小女」が好きで、重ねて観てしまうと、健気さにホロリとさせられる。アニメにはそれがなく、映画にはイメージのみは、ほぼそのままだが、活躍がなく。残念なことだった。映画の弦之介は、画面に登場するたびに、どうにも「今までどこにいましたか」「このひとだれですか」と聞きたくなるほどだ。アニメは、映画ほど存在感は薄くないが。この2作品には「甲賀忍法帖」という題名はそぐわない。実際、映画には『甲賀忍法帖』というタイトルはつけられなかった。原作小説は、あきらかに表題どおり「甲賀」が主体で、伊賀がなんとなしに悪者と感じるしくみになっている。それだけに、朧の一筋の思慕が哀れだ。主人公である甲賀弦之介が、古いタイプの好青年であったために、現代のエンターテイメント的には地味すぎたのかもしれない。ただ、古いタイプの人間であるからこそ、ラストの開眼シーンが活きるように思うのだが。思いのほか長くなってしまった。本日これまで。
November 10, 2010
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文庫100円、函付き単行本300円。それほど掘り出し物では無いけれど。喘息治療の帰り、ついつい覗き、ついつい購入。他にもめぼしい本があったけれど、保留しました。お金も、収納場所も、熟慮する時間も無いので。漢詩の本、巻頭は陶淵明。菊酒に言及した詩で、季節にもマッチしています。陶淵明の時代、菊を浮かべたお酒って、どんなお酒だったのでしょうか。あとで調べてみようと思います。
October 21, 2010
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古武術で介護とか健康法とかを説くのを、近年よく見かける。そうした本の一冊をパラパラと立ち読みしたら、『月刊 秘伝』連載をまとめたものと書いてあった。雑誌コーナーを探すと、「膝に負担をかけない方法」などが載っている。雑誌名やら、表紙にある特集の赤字「武道家のための身体解剖学」という題が、かなり恥ずかしかったのだが、1000円未満だったので、購入。特集にある内容は、…。結論を先に言うと、私には武術雑誌というのは、向かない、もしくは、まだ早い。6年ほど前、陳式太極拳(大架)の体験初日に習った内容、すなわち基本功と同じようなことを、骨と筋肉の構造を交えて、ムツカシイコトバで解説しているという感じを受けた。読み物としては、面白かったが、実践的には、現在習っている陳式(陳小旺大人の38式、陳式老架一路、基本功数種)で私には十分だし、そのほうが解り易い…。私のような健康体操派には、文字で読んでも、動きの実感が湧かず。たとえば、スワイショウ「言葉の意味:ほおりなげる」(背骨からねじる感じで、腰のひねりの遠心力により、両腕を左からぽーんと遠くに、抜けるイメージでほおり投げる。そして右からまた、遠心力で戻す、を数回繰り返し、だんだん小さく、最後は太極拳式の深呼吸。)は気持ちいいし、この動きで体のズレがある程度治ると言うのも、実感として解る。しかし、購入した雑誌にあったような、脊椎、腰椎、その周りの筋肉の動きを「連動させることを意識する」と言われても何が何だか解らない。具体的にスワイショウの記事はなかったけれど、腰や背骨から肩肘張らず脱力する、というような動きの解説が、骨と筋肉の図解つきで解説されていた。丹田まわし(丹田に発する気をお腹のへんでグルグルやる練習。)も、ハラがどうのこうの、と、なんか色々理屈を言われるより、先生の真似してるほうが、ずっと解り易い(出来ているかは別として、どうなればできているのか、は解る。)。先生いわく、「3年もやれば、何をやっているのか(実感で)わかります。たぶん。」たぶんて。その大雑把さが、やはり、太極拳の魅力。話がずれた。また、榎木孝明氏の映画関連インタビューはダイジェストのような感じで、武術雑誌のインタビューと言うものから想像していたのとは、かなり違う。もっとも、武術雑誌と言うものは初めて読んだのだが。サラサーテとかウクレレマガジンとか、一般愛好家向け音楽雑誌のインタビュー記事にあるような、解る範囲での具体的問答を想像したが、テレビの芸能ニュースインタビューみたいなのが掲載されていた。珍しい流派の話題も、彼の流派とどう違うのかよくわからなかった。マニアックな人には、記事内容だけで、解るのかもしれないが…。付記1.ところで、この雑誌、一時期トンデモとして一部で名高かったそうですが、私の買った最新号では、トンデモ的面白さは無かったように思います。マイナー武術の図解付き紹介がいくつか出ていて、読み物として楽しくはあるのですが…その武術が「本物」「インチキ」かどうかは、私には判断つきかねますし、なんというか、どっちでもいいので、フーンと眺めて楽しむ程度です。つまり、トンデモ的(かつての香港電影のような)楽しさは皆無でした。付記2.子がバイオリンで音を出す練習をはじめた。が、前から課題だった肩肘手頸の脱力ができておらず、来週までにクリアできなければ、音出しはまた先送り。そこで、「ブラブラ体操」と称して、スワイショウを教えた。まだ二日目だが、多少の効果があったように思われる。太極拳式の深呼吸と、ついでに右拳を左手に合わせる礼も教えた。子供もブラブラタイソー!!と言って喜んでいる。私も改めて、首肩背中の慢性的凝り解消のため、スワイショウの練習を増やすことにした。何より、子供と一緒にやるのは、とても楽しい。
October 15, 2010
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友人から楽器を借用し、フィドルに挑戦中。初めて触るバイオリンにオドオドしながら、とりあえずは無料体験へ。思った以上に難しい。リズムを気にすると、弓の真ん中辺でチョコチョコになっちゃう。先生のおっしゃる「弓の全体を使う」や「弓と弦は直角に」を意識すると、リズムも何もかも、滅茶苦茶~お教室を幾つか調べてみたけれど、決まった曜日に決まった時間があかない育児母なので、かなり難しい。調べた範囲、お月謝はだいたい一万強。高い…維持費も考えると、子供に電子ピアノ買ってやる予算が消えてしまう。現在は、習うのは無理。そこで、youtube の how to ビデオを観る。更に教則本を購入。(the irish fiddle book)わかったこと。1、バイオリンは弓の全体を使う。フィドルは上半分もしくはせいぜい3分の2だけ使う。2、小指は弓の下のほうを使うとき以外は、弓から離れていることが多い。3、お箸を動かすみたいな感じで弓は軽やかに弾むように動かす。 (感覚的には、ボーランのティパーと似ているように思った。)4、弦を押さえる左手も、踊るように運指する。5、上級者になると、足まで踊る(楽器は体の一部みたい)。フィドルっていうのは、要するに、踊りの地方(じかた、BGM)ではなくて、ダンスそのものという感覚らしい。楽しそう。難しそう。やる気出てきました。でもオドオドそして、教則本は、音符の種類、リズムの種類から始まる。リズムには、8分の9や8分の12という、アイリッシュトラッド特有のものも出ている。次に楽器の持ち方、弓の持ち方、使用法。チューニングについて。開放弦の練習。ここまでで31ページ。ホームキー(D)のレッスン。 まずは4本中真中の二本の弦(DとA)で、Dの一オクターブ分。音階の次にはじめてのチューン(曲)。36ページからは、下のソから上のシまでを使って、ニ長調のポルカやエアー。そこから二ページくらいづつ使って、G、A、Cの長調を学ぶ。42ページから122ページまでは、いよいよ本格的フィドルの講義。練習曲と解説が入っている。写真など入って、以降は101曲の楽譜集と関連書籍や曲目紹介などの付録。別売のCDもあるようだが、今のところは探していない。あったほうが、いいのだろうけれども、予算がもうない…バイオリンにはフレットが無い。が、これは案外なんとかなるものだった。なにしろ、初級フィドルは、二オクターブ単音のみで100曲以上弾けてしまう。もちろん、初級終了時には、という意味であるが。おおざっぱな音程が取れれば、一応は曲に聞こえてしまう。(この際、音質とかリズムとか音色とかは不問。)微妙になってくると予測される高音域は、出来なくてOK。そもそも、そんな音使わない曲ばっかだもーん♪もちろん、人前で演奏するのならば、何ともなっていないかも知れないが。で、現在は、D の曲を練習中。題が読めない。英語訳も載っているが、原題のゲール語が読めない。おこづかい貯めて『ゲール語四週間』購入予定。辞書まで買うと、ふたたび子供ピアノ予算が無くなるので自重。ちゃんと持てているのか、弓の扱いはあっているのか、よく解らない。でも、それほど体に負担はかかっていないし、教則本もエチュードではなく、ひたすらチューンの練習で、フィドルの魂を習得して行くというスタンスが楽しい。文字中心の解説なんだけれども、とてもわかりやすい教本だ。ただし、一応は音符の基礎から書いてあるけれども、はたして本当の音楽初心者が解るのかどうかは、不明。たぶん解ると思いますけど。特殊リズム以外は、小学生の音楽授業レベルの内容だし。よく、ピアノ等習わないと楽譜読めないと聞く。が、それは高度な発想記号とか、オーケストラ譜の解読(笑)のことではないだろうか。もしくは、授業を聞いてないか後者の場合は、音楽レッスンに通おうがどうしようが、読めるようにはならないと思う。小学校のうちに、ヘ音記号まで習ったように記憶している。私はピアノを数年習っただけだが、主に学校の授業だけで、簡単な曲なら、十分楽譜は読めるようになった。もっとも、音楽愛好家で楽譜読めないひとって、結構いるようだ。もともと、記譜法なんて、耳も記憶力も悪い人に伝承してゆくために発展したのだし。私はまさしく、耳も記憶力も悪いので、楽譜が無いと何もできない。歌だって覚えない。音楽趣味の方に驚きあきれられたが、事実だ。そんなわけで、楽譜を頼りに練習中。最初のオドオドはどこへやら、練習時間を作れる日が嬉しくなってきた。ただし、音楽の出来る方に聞かれたら恥ずかしい。しかし、フィドルを人気の無い公園で思い切り練習したあと、ホイッスルを練習すると、小さな音に聞こえて油断してしまう。バイオリンという楽器、音が大きい。一般家屋内での練習は、きっと苦情もしくは通報を受けるだろう
March 2, 2010
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七五三を期に、家紋を調べる候補は「横木瓜」。結婚前後に、家紋によるひと騒動があった。夫実家では家紋がタブー話題になっていた。妻実家は両親ボケがはじまっていて、様々情報が混乱していた。なんだかんだで探索を諦めて、放置していた。ところがこのたび、ルーツ的なものも含めて、ほぼ正解というものが判明した。これまで得た情報をもとに、夫実家、妻実家、妻実家母方、の家紋にたどり着いた。一、夫実家は「山形に木瓜(やまがたにもっこう)」木瓜の上に「への字」みたいなのがついている紋だ。苗字、地域、一度だけ観て写真撮影は失敗したうろ覚えのお墓から正しいと思われる。夫実家に伝わる「祖先」とされる人物(超有名な歴史上の人物)を考慮すると、山形がつくのは少々珍しいようだ。が、分家や下賜などを繰り返す度にアレンジされるのは常なので、気にしない。ちなみに、夫実家の本家は「違い鷹の羽」。これは冠婚葬祭等で判明している。また、生前夫祖父が「女は家紋をつけない」と発言した。この謎は、おそらく、「本家の紋はつけない」「女性は女紋を(主に関東の習慣)」の意だ。夫実家のお墓家紋と、夫祖母の紋つき家紋「蔦」が一致しなかったのは、このためであろう。二、妻実家は「丸に二つ引き」引き紋の一種である。丸の中に二本の横線が引かれている。苗字、地域、まだ両親がボケない頃に聞いた話を総合すると、ほぼ間違いない。しかし、現物資料を目にした記憶が全くない。三、妻母方実家(女紋)は、「隅立て四つ目」四つ目紋の一種だ。これまた、苗字、地域、実家にあった着物の紋を総合して、正しいようだ。妻実家において同じ家紋とされる「歴史上有名人物」の紋は、アレンジが違った。実家にあった着物を仕立てるとき、「たいへん珍しい家紋」と言われたという。現物資料に紋入れする際、アレンジされた可能性も否めない。歴史上の人物は、かなり有名な人物であり、その明らかな子孫は今も健在ときく。そのため、遠慮して変更を加えたのかも知れない。以上の点から、四つ目の中でも別の家紋も有力候補ではある。四、息子の晴れ着には…???三でみた女紋は自動的に却下として、現在こう着状態の夫実家の家紋を入れるべきか、奇跡的関係修復(あくまでも一部親族とのみだが)へと向かっている、妻実家の家紋を入れるべきか?はたまた、夫婦実家の家紋を組み合わせて、これまた稀少な、「四つ目モッコウ」に変更してしまおうか???「丸にモッコウ」とか?今年、満年齢での七五三を迎える息子。お正月には、無理やり一つ身の家紋無しを着たが、喜んでいた。お節句から着用できるように、四つ身を購入予定である。子供も、柄を選んで大変楽しみにしている。しかし、判明したからには、晴れ着に家紋を入れてやりたい。勝手に決める「お好み紋」に少し抵抗があって、紋入れに踏み切れなかった5年間。ようやく辿り着いた家紋たち。朧げなルーツ。せっかくだから、私も、適当な手持ちの訪問着もしくは江戸小紋に洗いをかけて、一つ紋を入れたい。常識的には息子→夫実家(山形に木瓜)私→同上もしくは妻実家女紋しかし、妻実家女紋といっても、実は妻母方実家紋であり、母から娘へと代々伝わる、正規の女紋ではない。正規の女紋は、不明である。この「なんちゃって女紋」をめぐっては、出来れば忘れたい騒動もあった。祖母は、母方実家紋をつけていた。おばは、婚家紋をつけている。というわけで、普通に考えたら「山形に木瓜」で決定。しかし、夫実家との関係は…(以下無限ループ)庶民にとっては、今や存在さえ忘れ去られた家紋。たかが家紋。されど家紋。穏健アレンジということで、「横モッコウ」が最有力候補になりつつあるが。それでも、迷ってしまう三十路の春であった。
February 23, 2010
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半年ぶりに復帰した、陳式太極拳同好会。今年で5年目。ということで、老架一路と並行して、剣がはじまっていました。復帰するなり新しいことだらけ。でも楽しい~。早速、私もみんなとお揃いの折りたたみ式の剣を、2000円で先生に注文。水道橋イサミで2000円で売っているのと同じです。たぶん。ネット動画で勉強しつつ、ワクワクしています。同好会で、表演ズボンを買おうということになりました。上着は、まだ下手なので、Tシャツの予定。しかし、試着可能な実店舗がなかなかない。みなで情報収集中です。シューズは、買った人がふたりおられ、情報があるのですが。剣もはじまったので、今年は5月の地域での交流会までに、私も太極拳シューズを購入するつもり。現在私、何度目かのケルトブームで、笛を吹いたり、安いギターを注文したり。お土産の小さなボーランを叩いてみたり。セットダンスの講習に行こうと計画したのです。が。剣楽しいダンスなんぞ初めてる場合じゃないぞ。踊りより、武術のほうが、私には比べ物にならん程、楽しいようですよ…異様にヘタクソになっていた太極拳。もともと下手なのに、なんかもう、ダメダメが酷い。基礎からもう一度…って、毎年言ってるなぁ同時スタートだった皆様、上達してらっしゃいます。スタートメンバーが半分くらいに減りましたが、新メンバーも上達なさっていて、感心してしまいます。モチベーション アップ。テンション ハイ。久々に夜ふかししてしまいました。明日から、改めて朝の人気のない公園で練習だ~。30センチ物差し持参で♪(笛の朝練を二週間ほど続けている傍ら、二度だけ38式もしたけども。)というわけで、銃刀法のお勉強も少し致しました。我々の使用するものは、たしか「模造刀剣類」と呼ばれるものであり、銃刀法が適用されるものらしいのです。物差しで練習している場合には、おそらく何も言われないとは思うのですが…そのうち、表演用の剣を公園で使えるかどうか、調べなくてはなりません。
January 22, 2010
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幼稚園では、ウルトラマンがアツい。園の仲間たちも、園以外のお友達も、ウルトラマンの最新映画を観に行くそうです。しかし率先してウルトラマン派だった筈のわが子は、何故かいまさら、古いライダーものにシフトチェンジ。ウルトラマン映画に誘ってみたら、ライダーがいいと言いました。ディケイドは、放送中、ほとんど興味がなかったのに…(当時はレオとセブンに夢中だったのですよ)最近では、ZOというのがお気に入りで、何度か観せられたのです。似通った怪物の出る「ガロ」は怖がって泣いたのに、なにゆえに???ZOの怪物、作りはグロテスクだけど、動きが「アルゴ探検隊」みたいでユーモラス。そういえば、「ガロ」も動きが(たぶんわざと)ぎこちなかったような。小説でいえば、ゴチックロマンみたいなものかしら?でもライダーってバッタなのね。カマキリかと思ってましたわ。島本が漫画にしていたそうな。島本を懐かしがるとオタ呼ばわりされがちなんだけど、ウルトラマンでもライダーでも、懐かしがるのはたんなる老人であって、オタ(記憶と反復と収集と群棲を伴う人々)では無いのであります。第一、どっちかというと安永航一郎のほうが…それはさておき。ラパロという手術にて、数日入院した間、少し読書しました。思ったより眠くて、あまり読めなかったのだけれども、感想を少々。●神曲 地獄篇昔の地獄は解り易いですねぇ~悪いことしたら、即地獄行き。それどころか、キリストを信じなかったものは、どんな善行を積もうと地獄に。煉獄でいいような気もするんですが、そこはそれ、中世は厳しかった現代では、アンチクリストですら、本当に地獄行きかどうか解らないという説も。そうでなければ、とりなしの祈りの意味も無いですからね。ま、死んだら解るので、その辺りの事情は気にしないようにしましょう。ところで、学生時代に読んだときには、読みづらく感じて挫折したのに、今回はスルスルと入って来ました。文章に集中することが難しいと感じる、今日この頃ですのに。もしかして最近、地獄に近付いたのでしょうか、アテクシ●智恵子抄飾りをはぎ取って行くと綺麗になってゆく「女というもの」。引出にお金がなければ、買い物にいかないだけという「智恵子」。シンプルな行動。シンプルな生活。四畳半ちゃぶだい文化に目覚め、あこがれる。狂ってしまった智恵子は、美しい切り紙をして、愛されて、後の世の人々にまで、愛でられて。不思議な人生。光太郎智恵子。小学生のころに好きで。学生時代に好きで。その彫刻も切り絵も、そして詩さえも、学生時代にけなす人がいたけれども、やはり好きで。芸術的価値や、資料的価値は解らないのです。でも、今回久しぶりに触れたら、やはり好きで。そして、今まで以上にハッとさせれらたのでした。退院後、入院前に手をつけたガラクタ一掃を続けています。もっともっと、シンプルに生きたいものです。モノが減っていけば、きっと何かが見えて来るでしょう。少なくとも見えている床面積が広がりました。物理的な視野が開けましたよ。それだけでも、ずいぶん清々しいものですね。●漫画病院にあった漫画雑誌を拾い読み。途中抜けているものの、それなりのひと続きでした。特別面白いわけでもないのに、つい続きが気になる。しかし、週刊誌のため、一話~最終話までが読めるわけでもなく、なんとなく釈然としないまま、疲労しました。愚かなことです。ただ、これが時間の無駄だったのかどうかは、今のところ、解りません。少なくとも、目を使っても吐き気がしなくなる為のリハビリにはなりました。●TV昔みた二時間ドラマの再放送を観ました。途中から途中まで(笑)。観ているうちに筋を思いだしたのですが、ついついチャンネルも変えず。しかし、疲れたので、結局は途中で消しました。別の日。仲間さん主演で放送中だった、ドラマ「アンタッチャブル」の予告を観ました。遅い時間のドラマなので、入院中は観ませんでした。そのうえ、あまり観たいとも思いませんでした。退院後、偶然、途中から途中まで観ました。雑然とした感じのドラマでした。ガタック(佐藤智仁)とかG3のひと(要潤)とか出てました。寺山修二にセーラー服くれと言われたひと(高橋ひとみ)とか、役者になりたかったのにテントを組まされてたひと(六平直政)とかも出てました。出演者、みんな濃いです。役者さんがです。役どころが、ではなくて。その後も二度ほど観ましたが、仲間さんが主役の筈なのに、なんとなく影が薄く、あまり活躍もしていないような気がしました。かといって、誰かほかの登場人物が活躍していたふうも、ありませんでした。そして、いつの間にか放送が終わっていました。ネットで最終話を観たのですが、なんとなく思い入ればっかりで、無駄の多いドラマでした。学生サークルの映画みたいな…仲間さん、三十代ですか。まだ若々しい感じがするので、ちょっと意外です。これからは、どんな役を演じてゆかれるのでしょうね。
December 23, 2009
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写真は龍王峡。手前は、いま走り出さんとする幼児。人生の道も、まだはじまったばかり。*****手術が終われば、さぞ時間があるだろうと思った。ラパロという、お腹に小さな穴をあける手術で、回復も早いと聞いていた。病院に本もいくらかあるようなので、三冊だけ持って入院に臨んだ。【手術前日】薬の影響らしく、眠い、眠い、眠い…読書と言うのとは少し違うが、祈りの本を開く。普段いいかげんにしているロザリオを、テキスト片手にまじめに…寝た。TOEICの英単語本に取り換える。最近もの忘れが酷いので、脳トレ用に読んで(?)いる。すぐに眠くなる。気合が入れば起きていられるかも?『神曲』を手にする。心地よい夢の世界へ誘われた。地獄の螺旋を下っていく途中なのに(笑)【手術当日】手術前は、とにかく眠い。何もできない。病院にある雑誌と新聞をめくる。すぐに横になる。手術後、肩が痛い。そして眠い。寝返り可、ベッド上安静。手術痕は痛くない。【手術翌日】集中力が無くなり、少し読むと疲れてしまった。小さな文字は、吐き気までした。テレビをつけても、頭が痛くなった。病院にあった漫画を読んでみたが、それも数ページ読み続けることができなかった。【手術後2日目】昨日ほどではないが、小さな文字は気分が悪くなる。眠気はなくなった。祈りの本くらいなら、集中できるようになった。漫画も読めるようになった。が、続きが気になってついつい長く読み、吐き気がしてきた。【手術後3日目】病院にあった、文庫本を一冊読む。心も入ってくる。昨日の漫画の続きが気になって、読む。3時間近く読んでいた。…疲れた。当たり前だ。【手術後4日目】退院した。【次回は感想編】おまけ。(写真より)滝音を聞き、土と水の香を辿る。木の道に導かれ、渓谷に架かる橋を渡る。人はみな、何かに触れながら、何かを感じながら、歩く。人生は十字架の道。それは悲惨なものではなくて。苦しかったり悲しかったりもするけれど、ベロニカやシモンや母マリアにも出会うかも知れない。そして、十字架はゴールではない。まだ先がある。その先の、栄光が。元気に走りだす子が、驚きに満ちた人生を楽しみますように…
November 17, 2009
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【ピンク好きの息子。】人から不審がられても、嫌いなふりをしなくてよいと教えている。男の子がピンクのものを持っていて「何故」「可哀そう」と聞かれ、はじめは驚いた。なんて頭の固い、前近代的な人々だろう、と。が、どうやら私がリベラルなだけのようだ。世の中、それほど自由じゃないよ。テレビのキャラ「ごよーだー」が格好悪いと言った私に、「僕には、格好いいんだよ」と笑顔で教えてくれた。母が格好悪いと思っても、怒らないし、無理にマネもしなくなった。4歳児、価値観の多様を見事に受用している。母なる人、満足す。【朝のゆとり】入院を告げていた数少ない人に、病院では朝がゆっくりできた、と話したら、奇妙な表情で沈黙された。この人、いい人なんだけど、たまに、なぞの反応をする。向こうもきっとそう思っている。感覚が違う。理屈抜きの部分で。社交べたな私には、こういう微妙な距離感を保つのが難しい。が、入院時の「朝」の効果はてきめんで、自分の感覚を「おかしいのでは」と不安になることが無くなった。こういう、「どうでもいいこと」に関する快・不快の感覚は、人それぞれで当然だし、共感されなくても構わない。「私はこれでいい」「この子はこれでいい」神様が創ってくださったそのままで主に於いてよしとされたのだから。【朝のグルーミング】入院中、6時起床、8時朝食。その間に、体温・血圧・手術痕の経過確認。二時間の間に、することはそれだけ。何年振りかで、ゆったりグルーミング。洗顔のあと軽いマッサージをして、丁寧に髪を整える。最初は、はっきりわかるほど、凝っていた顔や首。手術中、肩に全体重がかかる姿勢なのだそうだ。一度痛めて治りきらない首~肩が、骨まで痛い。しかし、マッサージの効果はあった。退院する頃には、少しはほぐれていた。朝がのんびりできるのは、心身ともによいことだ。首から上のお手入れをして、お祈りも丁寧にして。お祈りは、心を開く訓練だと気づく。心の凝りをほぐすストレッチング、エクササイズだ。「霊操」という言葉の意味が、解ってきた。私の道を示してくださいというお願いも祈りだが、その答えが与えられたときに、心が神に向かって開かれていなければ、気づかない。旧約時代と違って、イエズス様がともにおられる現代ではいつどこでも、臨在の幕屋にいるようなものだ。それなのに、どうして主のほうを向くことができないのだろう。以前首を傷めて、右を向けなかったときのように、一定の方向しか見ることが出来ない。開かれていない視野。ゆっくりと、時間をかけて、丹念に、ほぐしてゆこう。「34週祈りの旅」は、第二の旅に入っている。最初の大掃除の成果や凝りがとれてゆくのは、手に取るようにわかる。しかし、そこから先は、進んでないような気がして難しい。首から上も、魂も、「旅」の終わりには、シミしわの無い、すっきりとした状態になっていることを願う。【機関車トーマスのアドベントカレンダー・チョコ】息子、アドベントカレンダーに機関車トーマスのチョコカレンダーを入手す。おととしも買ってもらい、去年は売り切れでがっかりしていたもの。特別に「1」だけ開けて食べるが、あとは本来のアドベントまで待つ。イエズス様お誕生日「おめれとう」のために、クリスマスまでの一か月の間、毎日いい子さんしながら、楽しみに食べるのよ。説明を理解したのかしないのか、数日はモゾモゾ言っていたが、今では存在すら忘れている模様。それとも、黙って我慢してるのかな?神のみぞ知る
November 9, 2009
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のう腫の手術で入院中、オトウサン、仮面ライダーのキャラ弁に凝る。子供も大喜び。お見舞いに来ても携帯でキャラ弁サイトをチェック。奴「メタルは何つかってるんだろ」私「イワシのさつま揚げとかツミレでいいんじゃない」奴「それだ!(そそくさと帰宅。買出し。)」何しに来たんだ…それはさておき。去年の戦隊は、当初「公害」がテーマでしたね。初期設定なんてアッと言う間に消え去ってしまいましたが…戦隊ものに熱中する幼児たちには、ちょっと難しかったのかも。エコというのを4歳の息子に説明するのは、実はなかなか大変でした。もったいない。と言うだけでは伝わらない。夫は、電気をつけっ放すとオヤツが減るとか脅してましたが泣くだけ。で、あるとき、エコって、地球を守るってことよと何気なく言った。へぇ~!!!かっこいいね!!!それ以来、「これはエコ?」と確認しつつ、自主的に取り組んでいる園児。エコじゃないよ、と言うと、紙をちぎって散らかすのも即座にやめる4歳。今まではすぐに一冊使いきってしまった画用紙も、大切に使うようになった。聞き分けがよくなったのではない。地球を守っているのだ。かっこいいのだ。おそるべし。刷り込み学習。ボクラノ チキュウヲ マモルンダ!地球を守るってフレーズ、なんだかよくわからないと思うんだけども、第一、地球って概念があるのかどうか、甚だ疑わしいんだが、とにかくヒーローはカッコイイ。カッコイイヒーローの言うことはカッコイイ。だから地球を守るのはカッコイイ。無理に公害イメージの敵が登場しなくたって、地球を守るの一言で動く幼児。私「お買いものに自分の鞄を使うのはエコ」子「(自分のバッグをみせて)持ってるよ~。地球を守ってるんだぞー」私「お水やお湯を少しで上手に洗うのもエコ」子「(洗面器に入浴用のお湯をためて)これはエコだよ。カッコイイんだぞ~」意味なんか解ってなくてもいいのかもしれない。アツいハートがあれば。4歳児よ。君たちの地球を防衛せよこれで万事OK。
November 6, 2009
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1週間ほどの入院をして、卵巣のう腫を除去手術してきました。痛みはほとんどなく、眠かったことだけが印象に残っています。のう腫は「デルモイド」というものでした。遺伝子情報の暴走で、髪の毛や歯「だけ」を作ってしまうそうです。作られた髪の毛や歯は、排出されずに子宮の裏あたりにたまってしまう。ほおっておくと、捻じれたり腐ったりして救急車騒ぎになるようです。そうなるまで、自覚症状が少ないため、気づかれない場合が多いのも特徴です。内診かエコー検査でしか発見されないそうです。また、小さいものが妊娠時に発覚しても、放置してしまう人も多いらしいのです。私もそうでした。長径8cmにまで育っていました。手術後に、のう腫は子宮より大きくなっていた、と写真を見ながら説明を受けました。そこではじめて怖くなったくらいに、無自覚でした。術後、1日ごとに目に見えて回復するのが面白かったです。昨日はできなかったことが、今日はできる。「かがむ」とか「腕で支えずに寝返りを打つ」とか。手術後、酸素多めで病室に帰って来たそうですが、痛みや悪心もほとんどなく、ひたすら眠かったことを覚えています。入院前後、大掃除決行。4年ため込んだ、がらくたのヤマに呆れつつ…♪ここの おうちは かみさまの いつも おいでの おうち ですねこんな散らかった家にも、おいでくださった神様。塵とガラクタに埋もれて、本領発揮できず、さぞや口惜しかったことで御座いましょう。ゴメンナサイ。家の惨状も体調も、退院後、順調に回復しています。お祈りしてくださった方々のお陰だと思い、感謝しております。病者、死者への思いが、より具体的で身近なものになった1週間でした。死者の月、いっそう心を込めて祈らないといけませんね。先日、幼稚園での聖書講座で、マザーテレサの「死を待つ人の家」が紹介されました。死んで行く人の宗教で、お葬式をする。当たり前のようで、行き倒れ収容施設に於いては、かなり画期的な待遇のようです。現代ですらそうですから、マザーが活動をはじめた頃は、さぞ大変だったでしょうね。マザーテレサ、静かなる烈女ですな。静かな女の一念は岩をも通すのです。穏やかなご婦人のゴリ押しは大抵通ります。女は怖いです。子供のころ、単純に感動して「遠い国の偉人」と思っていましたが、大人になったら、人間として、信仰者として、「身近で偉大」な面が解って来ました。若いうちに、こうした深さを知り「違う生き方(修道生活)」に入られる方々は、やはり、特別の使命を持っておられるのだと思うようになりました。歴史的にも、現実に目にする修道者にも、「意地悪」どころか「犯罪者」すらおりますから、そのへんがどうも、スッキリしなかったのですが、不惑の年に近付くにつれ、朧げながら見えてきました。最後に…古い「食後の祈り」には、現代では消されてしまった、死者への祈りがあります。気に入っているので、家ではこれを使っています。とこしえに しろしめしたもう 全能の天主数々の おん恵みに感謝したてまつる。願わくば 死せる人々 主の おん慈しみによりて 安らかに 憩わんことをアーメン
November 5, 2009
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【中古】アニメDVD モノノ怪 伍之巻「化猫」[初回限定版]ホラーが観たくなった。子どもと楽しめるお化けの話を探す。そこでみつけたのが、『モノノ怪』という番組。ホラーというより、怪異譚である。絵も美しく、これが意外に面白かった。クリムトと切り絵と、広重とインドの影絵を混ぜたような。人の顔は、昭和初期の絵本風でもある。しかし主人公と、登場人物のうち若い女性は現代のアニメ風。主人公はなかなか良い味をだしている。若い女性は、どの役も、ちょっと絵柄や口調が苦手なタイプだった。絵芝居やドラマ風の雰囲気のなか、そこだけアニメっぽくて…「若い女性」というものは、実際社会の中でそういうものかも知れないが。狙ってのこととも思われないけれど。画面は多色使いだが、全体に淡い色調で、色褪せた木版浮世絵のよう。第一話は、動きも所々影絵芝居のようであったが、これは後のほうになると無くなってしまい、少々残念。最終話は、昭和初期のマッチ箱の絵みたいな感じ。お話はサスペンス調で、作りは幻想的。こういう夢幻奇譚は、好きだ。先行作品もあって(『怪 アヤカシ』)、こちらは近世の怪談がベース。一話だけ視聴した限りでは、普通の怪談話のようだ。数話ずつ連続の三部構成。続編『モノノ怪』に登場する主人公は、三つ目の話に出るらしい。鍋島の化け猫騒動の話という。私にとっては、お気に入りの怪談なので、どんな仕上がりか楽しみ『モノノ怪』は、なぜか子供も気に入った。地下鉄に化け猫が出る最終話など、翌日に、「地下鉄の、赤い猫さんのお化け、もういっかいみる」とせがむほど。以前テレビで観た『夏目友人帖』というお化けアニメにも、猫のお化けが登場し、息子のお気に入りだった。(正確には、まねき猫に封印されていた大きな妖怪)化け猫好き最近、子供が湿疹で皮膚科を受診した。原因は不明だし、一か所に出て消えてまた別の場所に出るという状況。塗り薬が出て、様子を見ることになった。怖い感染症や病気の特徴とは違うとのこと。かかりつけの皮膚科さんで、とても優しい老先生。かゆいよーと泣いていた息子、暴れもせず、泣きもせず、診察後は多少元気になった。優しさは最良の薬だ。感謝。先日の、婦人科に対して不満を持った自分が、小さく見えて反省す。そんなわけで、お外遊びは当分できない。雨も降っているし、屋内でノンビリと過ごす。今日も「地下鉄の赤い猫さんの続き」をせがまれそうである。
October 3, 2009
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デルモイドのう腫の手術が決まった。お腹に穴をあけて吸い出すという簡単な手術らしい。まずは、手術前の検査があった。簡易人間ドックのようなもの。次回は麻酔医からの説明があり、さらに2週間ほどあとに、入院である。問診で、子供の頃から気になっていた症状について聞いてみた。咳やシャックリが突然とまらなくなり、呼吸が苦しくなる。一瞬意識が遠のき、うずくまる。道路横断中などにこの症状が出て恐怖したこともある。今まで、2,3回健康診断の問診で質問してみたが、その度に、「症状が出ていないときには診断のしようがない」「気のせいではないか?」「心電図に異常はないので、心臓疾患ではない」「どこで診断を受けたらよいかと聞かれても、上記の理由で何とも言えない」と言われ、しかし実際何回か危険なこともあり、治るものならなおしたかった。自力で調べた結果は、肋間神経痛が一番似た症状で、詳しいことは解からなかった。今回、のう腫に関する説明も解り易く感じのよい女医さんだったので、この症状についても、思いきって聞いてみた。が。「女性の場合、そういう症状はストレスが原因というのがほとんどなんですよねー」と半笑い。道路横断時などに症状が起きると、恐怖することも一応言ってみる。担当医「え、なんですか(半切れ)」私「横断中などに症状が出ると非常に怖いので…(治したい)」担当医「自分ではそう思っていなくても、ストレスをため込んでいる場合があるんですよ。 術前検査で呼吸器の検査もしますけどね。(イライラ)」女性の敵は女性。なんというセクハラ女医。同じ内容を言われたとしても、半笑いやイライラや半切れが無ければ、普通に納得した。実際、調べてみると、肋間神経痛の症状は、ストレスでも起こるものらしい。それにしたって「女性の場合、ほとんどは」と調べる前から決めつけるとは…きめつけるにしたって、「女性ってたいへんよね」というニュアンスならまだいいけども。ただし、私の場合、ぜんそく家系であり、自身は喘息ではないが、咳は一度出ると酷い。周囲から「咳ぜんそくではないか?」「結核ではないか?」「ちゃんと病院で検査したか?」などと忠告を受けることもしばしばである。去年は、ろっ骨の疲労骨折一歩手前の症状まで引き起こした。ろっ骨にひびが入ってくっついて、変なくっつきかたをしたために、とがった部分が神経を傷めていたらしく(レントゲン撮影で判明)、咳のたびに激痛が起こり寝返りもできなかった。子供のころからたまに起こる症状も、これに似通ったことかも知れない。症状が去年ほど酷くないために、見過ごされてきたのかも。ただし、咳そのものも、ストレスからくる場合もあるそうだ。それはそうだけれども。そういえば、MRIを撮ったときにも、冷風が直接喉にあたり、少々咳込んでしまって、撮り直しになった。その咳が普通でなかったらしく、技師さんに「ぜんそくですか?ちょっと喘息みたいなお咳でしたので…」と心配していただいたのだ。そのことは、私としては今まで忘れていたほどで、担当医には話していないし、「喘息ではありません、風がのどに直接あたったので…」と説明したため、問題無しとして記録にも残っていないと思う。今回、術前検査の問診で、呼吸器の持病が無いか聞かれたので、思い切って話してみたのだが…医者は簡単に信頼してはいけないと、また思い知らされてしまった。その後、再度ネットで調べてみて解ったのだが、肋間神経痛である場合、治療法というものはないらしい。薬とかつぼ療法とか、痛みを緩和する方法があるだけのようだ。医者にはどうしようもない、医者に来られたってこまる、そういう症状のようだけれども、それを、あからさまに煩がらなくたっていいと思った。それどころか、嫌な感じを受けた。余計な質問をしてゴメンナサイなどという謙虚な心も、お忙しい先生の貴重なお時間を盗ってしまった、という反省も、微塵も浮かんでこなかった。まだまだ、修行の足らないワタクシである。今後は注意して、産婦人科と関係のない余計な質問は控えよう。そうすれば、入院中も無難に過ごせることだろう。そして、今ここに在る奇跡に感謝できるよう、聖母の取次によって祈ろう…
October 2, 2009
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じっくり、深~く。足リフレッシュ!テスコムフットマッサージャーTF160温泉に行くたびに、購入を検討されていた、マッサージ機。ついにわが家にお迎えいたしました。地元の家電売り場で、現品処分になっていた物です。足裏、足首あたり、ふくらはぎだけのマッサージ機。これなら狭いわが家でも収納できます。夫は、疲れが取れたと言って喜んでおります。足の当たる箇所はカバーを洗濯できるので、手入れも楽。マッサージ機購入が具体化したのは、先日の湯河原旅行でした。脱衣場にあった足だけのマッサージ機を、オトーサン絶賛。欲しい、欲しい、買おう、見に行こう、とウルサイ。温泉にあった高級機種は無理でしたが、気に行った機種が手に入って、しばらくは家内安全の模様。宿は、あこがれの二食部屋食の温泉旅館でした。特定日激安プランだったのですが、オトーサン、食事以外は「しょぼい」わが家の年中行事である、父子誕生月&結婚記念月のお祝いだったのに…確かに、お土産店には目玉商品が無く、小田原、箱根、伊豆の名産品が並んでおり、特徴の無い温泉場ではありましたが…結局、無難な「温泉まんじゅう」を買って帰りました。子供は温泉宿が大好き。一年間ずっと、「おっきぃお風呂のオウチ、行きたい」と待ち続けて居りました。電車の中から大はしゃぎで、手を焼くほどでした。宿に着くと、部屋で少し休んでは、何度も「オソトのオフロ」に入りに行きました。部屋からは、海と山と電車が見えました。なかなかの眺めです。この宿、夏場はプールとキッズルームも利用できるそうです。観光名所の万葉公園内には、公営の露天風呂つき温泉施設もあります。露天風呂と言っても外が全く見えないのですが、疲れはよくとれました。「こごめの湯」という子宝温泉です。婦人病にも効果がありそう。子供は、こちらでも2回も入っていました。私としては、「不動の滝」や「だるまの滝」も観たし、温泉も疲れがとれてお肌もツルツルでよかったし、食事は予想を遙かに上回る質と量だったし、海と山と両方一度に楽しめたし、与謝野晶子の手紙や色紙(実物)なども見学できたし、大変満足でした。特に泉質は、我が家の肌にあっていたらしく、一家でツルツルでした。子供がスベスベになっていて、夫は面白がっていました。時間が限られていたために、西村京太郎記念館は断念し、子供が写真で怖がったので、首だけの大仏さんは見損ねました。次の機会に、と思うけれど、夫が湯河原に不満だったので、次回は無いかも知れません。子供も、テレビで放映された絶景露天風呂に夢中です。絶景のほうが好いみたいです。「こんど、これいこう、ね!!!」と秘湯紹介番組ばかり観ています。どうも趣味が渋すぎますので、幼稚園で話が合わなくなるのではないでしょうか
September 24, 2009
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写真は、お手伝い用のエコたわし(アクリル毛糸、かぎ針10号、タンポポのモチーフの一部を利用)と、完成程遠いバラのベール。余計なもの編んでいるから、製作が進まないのでありまするね。しかも、子供、お花のエコたわし拒否。イラナイ…さて、婦人科のことですが。産婦人科の基礎知識「デルモイドのう腫」らしき腫瘍を取り除くことになりまして、近日またいくつか検査をします。それから入院、手術ということが、ついに決定。知らせる範囲やタイミング、準備の内容とタイミングを、祈りつつ、しかし相変わらずオタオタと、考え中です。主に委ねている方なら、「しっかり建てられている」でしょうに…まったくもって、わたくしは、砂上の楼閣ならぬ、砂上の筵小屋ですよああ、もう、ここを偶然見てしまった貴方様、どうぞ、祈って、祈って話変わって…カトリック生活2009年10月号に、日本のカトリック教会におけるヴェールについての解説がありました。明文化した規則は無く、慣習であるとのことでした。ただし、この解説は、「ヴェール無し(忘れたとき)で聖体拝領は許可されますか」という、日曜学校の子供からの質問に答える形。現在のカトリック教会において、かぶる「慣習」が廃れつつある件については、全く触れられていませんでした。とはいえ、「頭を覆う」ことは推奨する論調です。これからは、勇気を持ってベールをかぶろうと思います。被りつづければ、子供も引っ張らなくなるかも知れません若いころ、ベールをかぶっていたら、「いまどきはベールなんて被らない」と複数の信徒、修道者、司祭に注意されたことがありました。(現在通っている教会では、このような事はありません。時代の流行というのも、あるでしょうけれども。)「形より、心、生活」というのは、聞こえはいいですが、それは、形が完成に近付いている方のさらなる飛躍でなければ、「おもいて 学ばざれば すなわち くらし」ではないでしょうか?わたしなぞは、怪しまれてばっかりのダメ信徒です。しかし、罪びとの為に来られた主にたいして、頭を覆ったり、ご聖体訪問をしたり、崇敬と感謝を示すのは、悪いことではないはず。そのお母様にろうそくを差し上げたり、ちょっと会釈するのだって、迷信や自己満足ではないはずです。今回の短い解説記事を読んで、ベールの黙想が一歩進みました。これからは、形も大切に、伝統的な既成の祈りも大切に、そのうえで、生活の中での祈りも学んでいきたいと思いました。この方法は、観想的生活へと導き、天の国の建設に貢献するという目標があります。どの手引き書にもそう書いてあります。ですから、子供や祈りの初心者(私)が、まずは、自分などよりずっと素晴らしい霊的直観に満ちた「伝統的な口祷」をするのは、祈りのよい練習になると思います。まして、主の祈り(天にまします、パーテル)は、主の教えてくださったお祈りですもの。心なく天にまします…より、心をこめ感謝に満ちた生活が祈り。それは確かに正論ですが、まだ天にましますの習慣が染みついていない段階の、子供や勉強中の方々にもこの指導をする場面に出くわすと、誤解を生みそうな気がしてしまいます。教えてらっしゃる方々も、いろいろ工夫なさるのでしょう。本質が形式より大切、ということを伝えるために、上記の教え方は、とても重要だとは分かっています。形も、中身も、一度に身につけていくのは、とても難しいことですね。特に、形をほとんど持たない、個人的な祈りの生活というのは、非常に困難を伴います。出来ごとに聞く、などと簡単にいっても、真に主のご計画、み旨を「絶えず、全てにおいて」見出していくのは、並大抵のことではありません。聖人の伝記や手紙、言行録、聖書の使徒書以降を参照しても、それは解ります。われら凡人には、なおのこと…34週祈りの旅も、いつのまにか6週目。言動は全く改善されないように見えますが、私が 今 生きて ここに いるということに、素直な感謝の念を抱けるようになりました。少しづつでも、毎日続けることが大切と、解説に書いてありました。本当にそうですね。この祈りの旅のもととなった、「霊操」を編みだした聖イグナチオは、素晴らしい方ですね。少なくとも、私にはこの方法があうようです。心の大掃除、僅かづつながらも進行中。わが家の大掃除は、もうちょっと劇的に進行しないと、家族からクレームが殺到してしまうのですが…
September 17, 2009
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麻薬のニュースが流れ、人間の弱さを考えさせられた。押尾容疑者の事件は、「保護責任者遺棄死」で調べられているという。死にそうな人を救急車も呼ばずに放置し、立ち去ったような場合の罪状らしい。「刑法 第二編 罪 第三十章 遺棄の罪」で定められているようだ。そのニュースの画面下部で、一行ニュースが流れていた。母親パチンコ中に 11か月男児 車内で死亡。以前にもありましたね。パチンコ中に車内にて、乳児熱中症で死亡。パチンコ中に車内にて、乳児一酸化炭素中毒死。パチンコに限らず、寝ているからかわいそうと思って、自宅ガレージ車内に放置した結果死んでしまった子供もいた。議員である親がお出かけする間、部屋に放置され死にかけた乳児もいた。どのケースも「放置」が問題である。最初の動機はともかく、こまめに見に行くという気づかいが無い結果だ。見通しの甘さも含めて、ひとは容易な道を選びがちである。人間は弱い。ちょっとくらい。このくらい。大丈夫?そういうズルズルした「放置」が、大変な事になってしまう。先日、大掃除をしていて、思った。「毎日、けっこう汚れるなぁ。行き届かないところには溜まっているな。」魂も同じだ。習慣的に掃除(祈り)をしているつもりでも、目の届かないところには、ゴミが溜まっている。定期的に大掃除(告解)したり、日々の掃除(祈り)の方法を見直したり、が必要だ。今日は、聖アウグスチヌス司教教会博士(記念日)である。アウグスチヌスは、独善的な母親から逃げ出して好きに暮らしたという印象がある。気ままな生活をする弱さ、気性や意思の激しさ、強さ。その基本性格が、今度は成聖の道へと全面的に活かされてゆく。激しさは神への徹底的な探究に役立った。ズルズルと「放置」せず、こまめに自分の生活を見直してゆけば、聖人ほどの「大回心」は起こらずとも、大きく踏み外してしまうこともないだろう。大聖人こそ、むしろ、日々の小さな積み重ねを続けている。忠実に日々の些事に従事してゆくことの、難しさ。やっているつもりでも、実際はいつの間にか手を抜いている。その手抜きが、いつの間にか取り返しのつかない状況に追い込む事もある。聖アウグスチヌスは、私にとってかなり「遠い」聖人である。よく、「今日の聖人に倣って、私たちも成聖の道を歩めるよう…」などと祈るが、心情的に遠い聖人の場合、どうもピンと来ない。ピンと来ない私を、捧げるしかないか?静かな水の流れのように 今日のすべてを 委ねます。以下は、聖アウグスチヌスについての教皇ベネディクト16世の、2008年1月と2月に行われた演説。(一)(二)三生涯と著作回心
August 28, 2009
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日比谷公園の盆踊りに行きました。盛大でした。若い人でも、上手な方がいらっしゃって、見学するだけでも楽しめました。浴衣の人より洋服の人のほうが多かった気がします。わたしも洋服でした。浴衣で来たかったけれど、電車に浴衣で乗るのも気恥ずかしく、子が突然に甚平さんを嫌がるようになったのもあり、洋服にしました。松本楼や日比谷茶廊も屋台を出していました。松本楼の屋台は、驚くほど気さくでした。大きな串焼きが400円。豚とトリがあって、どちらも美味しかったです。日比谷茶廊では、手作りソーセージ100円や、プラコップのギネスビール600円などがありました。盆踊りは18時からでしたが、屋台は15時からでした。ふかふかの芝生に脚を投げ出して、思いのほかノンビリできました。来年もあるなら、行ってみたいです
August 25, 2009
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8月15日です。終戦だろうが敗戦だろうが、とにかく、日本の戦争が終わった日です。お盆と重なることから、日本での哀悼の気持ちはひとしおでしょう。すべての死者に安らぎを。マリアとともに。オバマさん、来ればいいのにという意見もありますね。原爆を落としたパイロットが、何年か前にやってきたのとは、やはり社会的影響力が違うので、難しいでしょうね。たとえ口先でも、核廃絶を口にできる時代になっただけでも、少しは前進したと思うよりないでしょう。祈りのうちに。全世界的に、いまだに、原爆投下で終戦が決定したという意見が多数派らしい。おどろくべきことですね。平和の主に祈りましょう。カトリックでは、聖母被昇天のお祝いです。開戦も終戦も、聖母の祝日にあたっています。つらい戦争の記憶にあって、それでも聖母がともに祈って守ってくださった。日本は特別に聖母に愛されていると言われています。私にとっては洗礼記念日。偶然だけれども、夫の洗礼記念日でもあります。わが家にとって、被昇天は特別の日。…の筈ですが、今年はなんだか祈りにくかったなぁ…34週祈りの旅(音がでます)というホームページを発見しました。先日与かった黙想会、岩波文庫の『霊操』と『ある巡礼者の物語』(イグナチウス・ロヨラ自伝)などを参考にしながら、のろのろ歩み始めました。なかなか、難しい作業(黙想)です。実生活での行動は相変わらずですから、全然祈れていないような気がしつつも、すべてに現存する永遠のおん父に思いを馳せた一日でした。信じたかたは しあわせ!
August 15, 2009
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写真は、龍王峡。水は激しく落下し、奔流となって進み数々の流れと出会い、時に地下に隠れ、やがて豊かな大河と変貌して、大いなる海原へと注ぐ。わが霊魂も いつの日か…子がアレルギー検査をした際、思いがけないことがあった。「虐待」を疑われた幼児期の増加不良について、(「食事を十分に与えていない」と断定されて監視された)新しい、それこそ目から鱗の説明が聞けた。医師の守護者である福音史家聖ルカ様、今、同じ疑いを受けて苦しんでいる、すべての家族に、正しい情報と診断をお与えくださるよう、平和の主にとりついでください。*医師の説明*「出産時の頭蓋内出血が原因で、人より食欲があるのに大きくなれない子がいます。よくあるケースです。虐待を疑われるケースが多いんですよ。」「出産時に頭蓋内出血があった場合には、出生後すぐに出血のあと(脳の血の塊)が消えても、体重が増えないことが、2歳~3歳くらいまで続くことが多いです。」「ましてアレルギーがある場合は、腸の未熟な乳幼児の場合、栄養の吸収ができなくて、たくさん食べるけれども成長できない子供が多いです」「現在、何も障害の兆しが見られなかったとしても、小学校を卒業するくらいまでは、半年に一回の追跡調査が必要です。不器用や応用力の弱さなど、細かい部分に障害が残る場合があるからです。」この医師に、半年後、発達相談(発達の経過観察?)を受けることになった。神に感謝。私については、卵巣のう腫を再度検査したところ、5センチ強であった。近日中にMRIで詳しく調べ、来月中には、医師の判断が告げられる予定だ。
August 11, 2009
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(不明瞭な表現を加筆訂正済み。)教会カレンダーによれば、本日は聖イグナチオ(ロヨラ)司祭・記念日でありました。最近私が出会った「霊操」の発明者であります。公立の義務教育で使用される、歴史の教科書にも出て来た方です。でも、「記念日」なんですね。(カトリックのお祝いの中では下位のもの)ちょっと意外です。暦によれば、二の丑でございます。う巻きをいただきました。スペインの郷土料理に、ウナギの稚魚というのがありますが、ロヨラさんの故郷(バスク)で食するのかどうか、定かではありません。わが家の三歳男性、ついにアレルギーのクラスが「0」になりました。だからと言ってたくさん食べすぎたら、病気になります。何事も、ほどほどに。が、しかし、世の中に、ただひとつ、食べても食べても、食べすぎることのない「食べ物」がございます。「霊的糧」イエズス様のことですよね。昔、無邪気な人がこの話を聞いて、「神様食べちゃうんですか!?」と驚いたそうです。そうです。神様を食べちゃうんですよね…私たち…東北のキリシタン関連資料館にて、江戸時代の高札をみたところ、血を飲む邪教だから禁止する、と書いてありました。人間、表現には気をつけなければなりません。しかし、説明は難しいです。カトの場合、「象徴」的拝領ではありませんから…特に「パンと葡萄酒の形色のうちに、まことにましますイエズス」であられる、「ご聖体」をいただく場合、実際、「神様、食べちゃう」んですから。しかも、その「食べちゃう」についても、方法が長いこと議論されていて、派閥や論争や、一々面倒です。司祭のなかにも、面倒なのが嫌なのか「好きにすればいい」とか、「まわりに合わせるようにしなさい」とか、きちんと教えてくれない方々がいらっしゃいます。現実には、後者の意見に従うのが、我々弱小信徒(コブつき)の賢明な判断です。いくらそれを「世の知恵」とさげすまれようとも、行動が伴わないダメ信徒は、結局、手で拝領し、ベールはかぶれません。卑屈と思われるかもしれませんが、そうではなくて、変に目立って悪く言われるよりは、そういったことが、自然と周囲からも受け入れられるような、行動の伴う信仰が育ってくれば、いつのまにか、遠慮せずに「口での拝領」も「ベール」もできるようになるのでは…という思いもあるわけです。思い患っている間は、しないほうがよい、それが「上(聖)なる智慧」なのかどうか、判断つきかねますし。しやせまし せずやあらまし と 思うことは大概 しないほうがいいのであります…ついしては、顰蹙を買う日々も また現実ですが。
July 31, 2009
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ひと月ほど前に、右下腹部の痛みと張りを感じ、婦人科を受診しました。4年前に発見された卵巣のう腫が、悪化したのではないかと心配だったのです。結果、悪性腫瘍ではないけれども、のう腫は摘出検査をするかも知れないとのこと。8センチくらいの幅で、腫れなのか脂肪等の塊なのか不明瞭な箇所があるそうです。大学病院の紹介状をいただきました。とりあえず行ってみなければ何とも言えませんが、摘出検査となると、お腹を切るか、切らないか、二通りの方法があるそうです。日帰りなのか、入院なのか、まだ分りません。はじめたばかりのバイトを続けられるのかどうかも、不明です。近日中に、ともかくもその大学病院で、詳しい検査をする予定。思ったよりおおごとになってしまいました。でも不思議に落ち着いています。なんだか解らなかったときより、やはりハッキリすると安心するようです。
July 24, 2009
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写真は、去年のウルトラマンフェスティバルにあった、巨大オブジェの「手」。小さなウルトラマン人形で、巨大なウルトラマンが作られていました。去年は横浜でも、「ハワイアンフェスティバル」入口の屋外に、なぜか巨大ウルトラマン。今年は、巨大ガンダムがお台場に登場。お父さん世代(30~40代)が、ファミリーでやってくるのを狙っているのでしょうか?わが家のお父さんは、「非常時には都庁が変形して武器または乗り物になって戦う」などと妄言を吐いておりました。アニメ・ファミコン世代のダメな大人の典型でしょうか…先日の幼稚園バザーでも、わが家の3歳男性とそのクラスメートたち数名を相手に、ほぼ互角に戦隊ゴッコをしておりました「流石に数名相手は疲れる」と非常に嬉しそうに話しておりました。大きな三歳児です。大きな二歳児かもしれません。遊んでもらったようです。夕方になると、疲れてグズルところまで幼児並みなのが困りものですが。
July 13, 2009
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「ベール」を製作し、「ベール」について祈りを深めようと思っている。写真は製作開始したころ。少しづつ情報があつまってきたので、中間報告。【製作状況】クロッシェレースで、自分用のベール(カトリック教会にて使用)を製作中。89×53くらいの小さいものになる予定。バラのモチーフつなぎ。現在モチーフ8個。いつ完成するのでしょうか(笑)。材料費 7000円くらいその他に、教会でのマリア祭にて、みこころ(ハート柄)のチュール(1mあたり350円くらい)を土台にしてグルリに安いボーダーレース(1・5mで105円)を縫い付けた、100×50くらいの三角ベールを製作、使用した。このベール、意外と実用的。とくに「絶壁頭」の女性には、三角ベールがお勧め。三角の鋭角部分が重しのように作用して、後ろにずり落ちにくい。ただし、子供がひっぱるので、結局は厄介なことになった。使用回数は一回のみ。材料のみ用意したものもある。大きなバラの総模様ラッセルレース生地、110cm幅で1m560円、10%ポイント還元。同じく大きなバラのラッセルレース、10cmくらいの幅のもの1m100円くらい、上に同じ。リボン5mm幅くらい、白。ひと巻き10m弱、500円くらい。縫い代始末用。派手な材料だが、教会のバザーにでも出そうかと思って用意。しかし、一般信徒の下手な手作りベールなんて、需要なさそうと思いなおす。暇ができたら作るだけは作る予定。そして何かの祭日に被る…!?【ベール着用について】近年私は、「ベール派」から「心情的ベール派」に移行した。なぜか。ベール派信徒が激減しているからだ。一時的に、華美なベールが流行する地区や時期もあるようだが、おおむね被らないひとのほうが多い。かぶらない人が増えると、かぶるのが気恥ずかしくなる。一種「優良信徒」「幹部信徒」の特権と化している気もする。行動が伴わない、私のようなヘナチョコ信徒の場合、「格好ばっかり…」「ファッションでしょ?」と言われても仕方ないので、ついつい遠慮してしまう。一般の掲示板で、「第二バチカン公会議以前の教会法では、ベール着用が義務だったが、公会議にてその項目は削除された」との記述をみた。(「知恵袋」)発言者が何者なのか不明であり、資料を確認する時間もないので、真実かどうかはわからないが、現在「規定」や「公式見解」が無いのは事実だと思う。10年ほどまえではあるが、数人の司祭、修道者に訪ねたところ、一様に「自由です」「どちらでもよいです」とのお返事を下さった。以下の記事は解り易かった。記事に日付はない。サイト全体としては、現時点で、2009年6月29日更新となっている。カトリック大阪教区サイト内Q&A「かぶりもの」について、ちょっと面白い記述をみつけたので、以下にリンクしておく。国際服飾学会
June 27, 2009
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わが家の三歳児がお腹にできたとき、「卵巣のうしゅ」と診断されました。出産後、子宮のまわりに水がたまっていると言われました。どちらもたいしたことは無いとのことで、気にしつつも放置していました。それから約四年。一か月ほどまえ、突然の生理不順(間隔があく、ほぼ確実に経血なのに二日半で終了)。その頃から、毎日ひんぱんに張る。ひきつる。妊娠の可能性はほとんどない(生理がきている)のに、妊娠数か月のような張り、痛み。もしや婦人科系トラブル?と思い婦人科を受診。問診にて、あやふやな応答をしていたためか、「妊娠検査はマイナス、二週間後にご自分で市販の検査薬を購入して、検査してプラスだったら来て下さい」そのあと、「一応」内診。のう腫らしきものが超音波でうつり、排卵出血らしきものがあり、また、左右ともに子宮に水があるそうで。採血され、二週間後の結果待ち。痛みについては、触診したときのう腫らしきものがある場所はなんともない。実際にはその反対側が痛む…「水がある」とは何なのか、痛みと関係があるのかどうか、説明が無くわからない。ネットで調べたら、排卵後や生理前に水が出ることがあるそうで。月経不順については、帰り際に質問したところ、排卵がなくなったのかもしれないとのこと。これは「基礎体温表をつけてみたらどうでしょうか」と言われ。また不妊関連の話が…内診の結果、妊娠はありえない状態だったらしく(説明なし)、「二週間後には生理がくるでしょうから、それが終わったら検査結果を受け取り、再診を受けてください」。採血も一度失敗して、別の腕でやりなおし。その間、ずっと不妊や出産の話。誘導尋問のようなかたちで、不妊治療が真の目的だったみたいな話になってしまった。だから、痛いんだってば!!!痛みについても、ありえないという方向に移行しているし…指示されるまま検査うけて6000円くらい。帰りになんとなく不安で、言われた通り婦人体温計も購入してしまい、さらに3000円くらい。運悪く、最近風邪をひいて体温記録をとっていたため(普通の腋下体温)、またまた誤解が生まれた模様。そりゃ、可能性がゼロではないとは言ったけども、むこうは勝手に可能性がある、ということですが?と言い換えてくるし。何回も、ゼロではない、とか解らない、とかほとんど無いと思うと訂正しても、なおかつそっちメインで話が進む。あんまりしつこいので、四年できないからもう無理だと思っているとうっかり言ったら、更に不妊話が展開されてしまった。一方で、先週内科にて、妊婦は注意のカゼ薬と抗生物質処方され、普通に飲んでいた。妊娠と思っていたら、たぶん抗生物質飲まないだろうから、言えばよかったかなぁ~。なんかもう、検査結果聞かなくていいから、自分が倒れるまで放置したくなった。婦人科の診察って、ただでさえ恥ずかしくて嫌なのに、妊婦か重病人以外は冷たくされるとは、予想外だった。
June 25, 2009
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今年の3月頃、子供が汽車の絵を描いた。多色セットのクレヨンを買ってもらい嬉しかったのだろう。カラフルな線の汽車になった。煙まで描いてある。「乗ってる人、かいて~」と言うので、三歳児とあまり変わらない画力ながらも、数人の乗客を描いた。親子で満足し、しばらく飾っていた。5月になった今、わが子は幼稚園児になっている。家でのお絵描きは、単色になった。園には喜んで通っているので、心の変化とは無関係だと思う。毎日何かしら報告してくれるのだが、断片的でよくわからない。お友達の名前も、はじめは目印シールの絵や持ち物の柄で呼んでいたので、よく解らなかった。「かえるくん」等…園で読んだ絵本の登場人物なのか、人形なのか、人間なのか、本当の園児なのか…???そのうち「本名」も出始めたが、発音が不明瞭なので、やはりよく解らない。先日、参観日があった。母の日にちなんだ参観日である。壁には園児の「おかあさんの かお」という絵が展示してある。おかあさん なのに、大方は髪の毛が3~4本、それも2,3cmくらい頭頂部にあるだけ!うちの子も、例に洩れず、単色の輪郭と目鼻口、眉毛、耳、髪の毛チョロチョロ。色は黒。赤や黒の単色で描かれたものが多かった。どうやら「お手本」があったようなのだが、それにしても、「かお」を描くなんて驚いた。しかも、みんなと大体同じような絵!みんなと同じような絵を描いて、みんなと概ね同じように、歌やお遊戯を発表して…お友達とも元気に遊んでいるようだった。軽度発達障害を疑われ、小児科受診を奨められたり通報されたりしていたので、成長への感激はひとしおだった。すばらしきかな、幼稚園。よろこばしきかな、お友達(集団)効果!直前まで迷った末、子供の気に入った「ちいさいこ たくさん!」な園にしてよかった。わが家はカト(=カトリック)だけれども、一番近い仏教園や2年保育の区立園も検討したのだ。(私が気に入った小規模なカト園は、遠い上に、見学で子が泣いて嫌がり5分で却下。)カトリック園への入園は、お世話になっている叔母(カト)には喜ばれた。「最近はカトリック園が減っているから、よかったわねぇ…」と。そういう素直な反応ができない、私たち二代目以降の現代っ子の風潮が恥ずかしくなった。(私の親はカトリック信者だが、当時の流行に従って、私自身は成人洗礼。子は幼児洗礼。)この園に入ったから、ここまで成長できたのかな。感謝。…と、思ったら、「母の日プレゼント」の「ぬりえ」は枠を無視してなぐり書き。本人は得意そうに「お花の ぬりえ!!」と言っているが…赤を基調として錯綜する、一面の自由な線たちに隠れて、目をこらさないと、本来の枠すら判別できない。家では「ぬりえ」が大好きで、一応「枠をとる(はみだすけど。)」ことから始めるのに、なんで~もうひとつ、不思議なのは、家ではお祈り大好きなのに、幼稚園のお祈りソングや、教会でのみんなで唱える箇所では黙っている。もしくはふざけている。普通の外食チェーンや電車で、いきなり「主の祈り」を大声で唱え始めたりして、冷や汗ものだというのに、推奨される場所ではしない。子供って不思議だなぁ。そしてようやく、お友達の「おなまえ」がわかった。先方のお母さんが、わが子の「なまえ」が話題に登場するとおっしゃったので嬉しかった。ウチの3歳児が一方的に付きまとっているのでは、と半信半疑だったので(笑)。しかし、お友達は、きちんと「なまえ」でお話してくれているのか…と苦笑。親同志、軽い自己紹介をした。子供も、当然その場にいた。何故かそれ以来わが三歳児の報告にも、お友達は必ず「おなまえ」で登場。もう「かえるくん」等とは言わなくなった。付記。子も私も、周囲や行政から「病院で受診したら?」と数回奨められた。不器用とか落着きがないとか、それは、脳または精神の障害あるいは病気では、と。気にはなるので、書籍やネットでいくつか調べた。結果、子も私も、少なくとも現時点では、病院は不要のようだった。一時期私は、痴呆症状に酷似していて、病気チェックのなかで、唯一スクリーニングテストが黄色信号だったのは、痴呆。それすらも「脳または精神に障害や病気が潜んでいるレベル」ではなかった。たとえば、「昨日食べた内容を思い出せない」(健忘、年齢やストレスによる記憶力低下)→あてはまる「そもそも食べたかどうか思い出せない」(脳または精神の病気)→全くあてはまらない「移動中を含む、一瞬の記憶の欠落、あるいは断片的な記憶」(過労やストレスによる記憶障害または一瞬の居眠り、注意力散漫)→あてはまる「突然覚えのない場所にいる」(脳または精神の病気)→全くあてはまらない似ている症状であっても、病気として治療が必要なものとは限らないようだ。「過労やストレス」が軽減されることによって、自然に症状がなくなることもある。私の場合はそうだった。いつの間にか、治っていた。年齢的なものであっても、「過労やストレス」の軽減で症状は軽く、進行も遅くなるそうだ。また、ひとつの症状でも、原因はいろいろある。私は、定規で直線がきれいにひけないので、「軽度の運動機能障害」はあるらしい。この症状は、ADHDあるいは、何らかの病気(精神、または身体の)で現れるという。だがしかし、左右の視力が平均より不均衡(いわゆるガチャ目)と中学時代に診断された。もしかしたら目のせいもあるのかもしれない。これも軽度なのだが。他にも原因があるかもしれない。この場合、病気である可能性は、三分の一以下。(ADHDも視力の不均衡も「病気」ではなく、機能障害の一種らしい。つまり治療できない。)ただし日常生活に困るほどではないので、解明や診断は受けないでいる。(だらしないとは見られるけれども)ようするに、あれこれ言われたり自分で不安になったりしたときに、安易に「病気」という言葉に頼らないほうがよいということだろう。その言葉のせいで、却って本当にノイローゼになるかもしれないのだから。
May 14, 2009
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