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先日久しぶりに書いた時から、気付いていたが、自分の書いた楽天ブログを読もうとしても、広告が出て来てそれを数秒ではあるが見終わらないと自分のブログが読めない事態となっている。これは、ヤフーの記事なども同様で、こういうプラットフォーマーが広告で稼いでいるのはわかるし、楽天ブログも無料なので、広告ぐらい読めよと言う気持ちもわかる。でも、無料で簡単だからはじめたブログだし、それによって楽天市場などの通販を利用しはじめた人たちも多いだろう(自分もその1人)。もっとやり方があると思うんだろうけどね。ブログ読もうとして広告が出て、素直な気持ちで広告見てその商品を買おうと思う人が居るんだろうか?単に気分悪いと思う人が多いのでは無いだろうか?そろそろ楽天ブログもその役目終わったな(私にとってと言うのでなく、全ての人にとって)と言う気がする。
2024.06.06
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久しぶりに覗いたら、えらいご無沙汰になってしまいました。最近は実名のフェイスブックばかり書いていて、どうもこちらのブログの役目は終わったような気もするけど、若気の至りで書いた昔の記事なども懐かしく、また数少ないながらも知り合いになった人たちとのご縁も大事だし。時々、近況報告に来ようかなと。先日64才になりました。外見的にはBMI28ぐらいで、最近はなかなか肥満に歯止めがかからない状態です。白髪も殆どなく(でも鼻毛は全部白髪なのが不思議)、姿勢もいいし、ファッションも若めなので(最近は殆どパパス)若く見られますが、1年チョイ前に白内障の手術をして、目はよく見えるようになり快調ですが、テレビの音が大きくなって、子どもに顔をしかめられたり、食事しながら喋るとむせることが多くなり、そういうところで年を感じます。まあ、うちの嫁も同じですが。嫁は、最近白髪を生かしたカラーリングにして、髪がマッシュルームのようになり、ファッションは黒柳徹子みたいになってきたので(以前はヨウジだったが、最近はギャルソンが多いらしい)、一緒に歩くのに自分が目立たなくて良いなと思ったりする状態です。バレーは60才で辞めましたが、ボウリングは続けており、最近少しアベレージが上がってきて180ちょいぐらいになっています。色々自分で考えて修正出来るようになったのが上達の理由かなと思っています。長男は医師になり、県外の病院に赴任、娘は学生の時に出来ちゃった婚をして、昨年末に3人目の孫(男→男→女)を出産しました。末っ子は今東京「の」大学の法学部の4年生です。1年ぐらい前から、野良の雌猫が餌を食べにくるようになり、昨年秋に仔猫3匹を連れてくるようになり、当院のアイドルになっていましたが、仔猫は次々に姿を消しました。最後の1匹のミコちゃん(三毛猫なので)は、保護猫のサイトで発見。どうも捕獲されて里親のところで幸せにしているようです。今は母猫のミミ(当初痩せていて、顔の割に耳が大きく見えたのでその名前)だけが、餌を食べに来ています。彼女も左耳をカットされており、いつの間にか捕獲されて(2週間ぐらい来なかった時があった)去勢されて野に放たれたのだと思います(そういう活動をTNRと言うらしい)。もう仔猫を連れてくることがないと思うと、ちょっと淋しいですけどね。ゴールデンウイークの、大阪服部緑地、春一番のライブはずっと行ってます。今年も3日間行く予定です。以上、近況でした。まだしばらくよろしくお願いします。写真は、まだ細かった頃のミミ(キジトラ白ソックス)と、ミコちゃんです。
2024.04.24
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わが家の愛犬と言うか、駄犬と言うか・・トミと言う名前の犬は、黒いメスのパグで、2009年の12月生まれだった。正式な血統書があるので、見れば生年月日が分かるが、どこへ行ったかその書類は無い。通院して居たお婆さんの調子が悪くて、往診をしており、その家がパグのブリーダーだった。婆さんの調子が悪くて、生まれた子犬を売りに大阪まで行けないので貰ってくれて言われて、嫁と、看護師と事務員が1匹ずつ貰った。婆さんは間もなく亡くなったが、その名前はトミノと言った。トミの由来はそれである。婆さんの生まれ変わりね。動物病院のカルテには、高橋トミノと記されていた。わが家に来た時に、長南は12才、長女は10才、次男は5才。丁度多感な成長期をこの犬と過ごした。小さい時はイタズラ好きで、アチコチを齧り周り、壁に穴を開け、ソファを食いちぎって代無しにした。子ども達が1人去り、2人去り、3人去り、わが家の人数が減るにつれてトミは年をとっていった。数ヶ月前から、トイレ以外の所で、糞尿をしたりすることが多く、惚けたのか?と思われていた。あまりにひどいので、ソファーを買い換えたり、クロスを張り替えたりした時期でもあり、ゲージで囲って、トイレをしたらシャバに出してやることにしていた。この1ヶ月あまり、寝て居ても失禁したりすることが多く、オムツを当てたりもしていた。が、食欲はあったし、ほら、シッコしたから外に出せの吠え声もしっかりしていた。あ昨日ぐらいから、後ろ足が立たなくなり、タレパンダのような格好で寝るようになった。失禁もあった。しかし、時々力を絞って立ち上がり、何とか座りの姿勢を取ったり、大好きな長男が来た時は、彼の足元まで歩いて行ったりした。今日もタレパンダ状態だったが、昼過ぎに缶詰を食器に入れて持って行き、口元へ持って行けばそれを全部食べてまた眠った。夕方親のところへ行こうとしてみたら、また寝たまま新聞の上で失禁してるのに気付いた。臭いので洗ってやろうと寝て居たトレイ毎持ち上げて浴室まで連れて行き、抱き上げようとしたら全身が弛緩して死んでいるのに気付いた。目は開いているし、口から舌は出して居るし、なんせまだ温かくて、本当に死んでいるの不思議だった。嫁と息子も寄って来て、みんなが死んでいるのを確認した。最後の方は、毎日何度も汚れたシートを変えたり、オムツを着けたり、トミの下の世話をしていた妻がポロポロ泣き出した。息子は、ほんまに死んどるなあとぽつりと言った。前から、トミが死んだら、義父の家の庭に埋めようとみんなで決めていた。義父に電話すると、トミの工合が悪いのを知っていた義父は、91才の身で庭に大きな穴を既に掘ってくれていたとのこと。庭木の根っこなどが邪魔で、それをのこぎりで切ったりしてくれたらしい。私は自分の親のご飯を作らなければならなかったが、それを早々に済ませて義父の家(わが家の近所)へ行った。もう既に長男の手で、トミは埋葬されて、とりあえずの墓標に植木罰が載せられていた。義父と妻が、花の苗を買ってきて植えるつもりだと言う。家に帰ると、妻が片付けを始めた。辛いので痕跡を出来るだけ消したいと言う。自分としては少しずつ片付けていったほうが良いと思うけど、女の涙には勝てない。最近までゲージでトイレを囲んでおいてあったスペースががらっと空いた。よく見たら、子ども達に用無しにされたあと、トミの水飲みの足台として使われたwiiffitの台が残っていた。本来の目的以外で使われた時間が長かったな。生き物を飼うことは、その死を見取ることだと言うのを改めて実感した。「虹の橋」の絵本にあるように、また私たちが死んだら、虹の橋でトミに会えると思う。子ども達の成長を見守ってくれ、私たち夫婦の潤滑油にもなってくれたトミ、安らかに眠っておくれ。ありがとうね。
2022.06.05
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映画、ドライブマイカーをAmazonプライムで見た。時間にして、3時間あまりの長編大作?である。僕は大学生の頃に、「風の歌を聴け」を読んでからずっとハルキストで新刊が出ると必ず読んでいるのだけど、この短編のことは、タイトルと中身をぼんやり覚えている程度だった。映画を見てと本も読めば分かるが、このタイトルの短編だけではなく、同じ短編集「女のいない男たち」に収録されている他の短編の幾つかもミックスされている。そうやって、この読めば30分もかからない短編を、3時間の長編にした構成力は凄いと思う。この映画で一番特徴的なのは、劇中劇が使われていると言う事だ。演じられるのは、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」。そしてこの劇は、多国籍言語なのである。日本語があり、英語があり、北京語があり、韓国手話まで入って来る。こういう形の演劇があるのかどうか、私は知らないが驚きだった。そして、この劇中劇はかなり長い、正直わたしは、初日この劇中劇に退屈して寝てしまった。翌日、気を取り直して見た。物語が佳境に向かうに従い、劇中劇も本読み、リハーサルから本番に移り、そして、映画の最後も劇中劇で終わるのである。ラストの言葉、この映画で監督が言いたかったことは、ソーニャ役の韓国人が手話で語る言葉で語られるのであった。このあたりはもう圧巻なのである。村上春樹の長編には、大体似たパタンがある。主人公は男性で、妻が去ったり、亡くなったり、色々なものを喪失した男性。その男性はどんどん孤独の中に入っていき、有るとき現実と異界の間の闇に入っていく。多くの場合、井戸に降りて行くことが多い。井戸に籠もった男性の前に、霊媒のような役をする少女が現れる。その少女との交流によって少しずつ男性は再生して現実の世界に戻っていく。これが村上春樹の長編小説のパタンだと思って居るけど、この映画も、主人公は妻に死なれた男性である。井戸の代わりに使われるのがサーブ900と値齲赤い古い車である。そして霊媒の少女は車の運転手。短編のモチーフを幾つかつなぎ合わせて、長編小説と同じスタイルにしあげている、この脚本が素晴らしいと思う。カンヌで脚本賞を取ったのも頷ける結果だと思う。更に言えば、広島の風景、挿入される音楽も素晴らしい。石橋英子さんと言う人を初めて知る事が出来た。28日にはアカデミー賞の発表があり、この作品もノミネートされているらしい。カンヌならともかくも、エンタメ好きなアメリカ人の心をどれだけつかむのかは分からないが、同時受賞の快挙になれば素晴らしいと思う。で、ラストのラスト、後日談のような場面の解釈を巡って、ネットでは色んな意見が出されているらしい。私もここの意味はよくわからない・・が、映画の中での最後の言葉「それでも生きていかねばならない、生きていきましょう」の結果の映像だと受けとろうと思う。余韻の残る映画である。残り方が半端ではない。ワタシの妻は、映画館を出たとたん、何も残らないすっきりした映画が好きだと言う。このあたり夫婦の好みが分かれるところ。3時間は長いけど、またじっくりともう一度見てみたい映画だと思う。
2022.03.25
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昨日、夕食の材料を買い出しに行ったら見事なセロリがあるのに気付いた。なんか、セロリを見るのは久しぶりなのだ。私の家の前はスーパーマーケットなのだが、セロリの姿を見ることは滅多に無い。すぐに売り切れてしまうと言う訳で無く、人気が無いからあまり仕入れられなくなったと言う事らしい。そういう事かと思って注意すると、他のスーパーでもお目にかかる頻度が少ないように思う。さすがにイオンとかフジグランへ行けばあるんだけどね。何を隠そう、私は隠れセロリ派である。別に隠れる必要はないので、声高に言うが、私はセロリが好きなのである。鮮やかな色、香り、食感、そしてセロリと言う名前の響きがとても良いと思う。お肉と一緒に炒めたり、ポトフで煮こんだり、サラダにトッピングしたり、使い方も多様。漬け物にもなる。あの香りが嫌だと言う人が多いと思うが、ニンニクだって、生姜だって、パクチーだって、みな個性だと思うんだけどね。よくぞご無事で・・と言いだしそうな涙出そうな再開であった訳だ。昨夜はふるさと納税で貰った、津島の猪スライスを使ってすき焼き。使った野菜は、薄くスライスした大根、レタス、マイタケ、白ネギ、そしてセロリ様だった。どれもさっと火が通って食べやすいんだよね。この猪は全然臭く無いけど、それでもお肉臭さを消すのに丁度良かった。また逢おう、私のセロリ様。
2021.05.05
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CDの断捨離をしていることを書いたが、実家にはアナログレコードが300枚ほど置いてある。もちろん、こちらもディスクユニオンで引き取って貰えるが、どうせ安いだろうし、梱包するのも重たいし、どうしようと思って居たところ、行きつけの茶店のマスターが大量にアナログ盤を仕入れて店に積み上げており、話をしたらこころよく引き取ってくれると言う。今日、外の仕事の帰りに実家へ寄って来た。これらのレコードの殆どは自分が高校生になったころから、大学を卒業するあたりまで、主に中古レコード屋を中心に集めた、ジャズと日本のフォーク、ロックの、今では名盤と言われるものだ。床に広げてみると、レコードジャケットと言うのはやっぱり迫力があるなあと思う。上手く部屋の壁に貼り付けたりしたら、良いオブジェや装飾品にもなると思うけど、今の自分にはその時間も気力もない。年取ってからするとも思えない。そんな訳で、今日は3分の1ぐらいを束ねて持って行った。こういうレコードを処分するのは、自分の青春の時間を処分するようなもので、何かしら寂しいけど、それを引き取って貰えるのは嬉しいことだ。マスターがお金を渡そうとするのを固辞したら、代わりにコーヒー券の束をくれた。それだって金券なんだけど、まあ向こうの気持ちもあるので、ココロよく受けとった。このコーヒー券は今ではもう作ってないので、お客さんに言われても渡してないと言う。そんなの聞いたら、これも貴重品で使うの惜しいじゃんって思ってしまう。でも、何か暖かいものを感じた1日だった。
2021.04.19
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少なくなった楽天日記の友達の皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。新型コロナで、色んな人が色んな意見を言っているが、私にはこの人の意見が一番しっくりと来た。少なくとも、医療崩壊の原因、PCR検査の問題点、感染症分類の扱いについてはその通りだと思う。
2021.01.16
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今年60才の私は、小学校5年生の時にフォークソングを聴き始めた。高校1年で勇造さんに出会うまで、私のヒーローは吉田拓郎だった。最初に買ったアルバムは「人間なんて」である。知ってる人もおおいでしょう。♪人間なんて ララ〜ラ〜ラララララそんなリフレインを延々繰り返す歌である。ある意味衝撃だった。このラララの中に、それぞれの自分の人生、青春を思い込めることが出来る。そんな訳で。手当たり次第にラララ〜〜と唄っていた。さて、今年最も心に響いた雨ふらしカルテット。2016年に発売された「背水の新」と言うアルバムのこの曲を聴いた時、真っ先に浮かんだのがこの拓郎の歌だった。この歌のサビは、♪Life is シャララララ〜と言う繰り返しなのだ。これってまさに人間なんてと同じだよなあ。殆どの楽曲を作る、ボーカルの葛西君は40才だと言う。拓郎のこの歌をリアルタイムで聴いたはずはなく、後追いで聴いたのか、はたまた、偶然のシンクロだとしたら、ものすごい事だと思う。葛西君の特徴は、ギリギリのところで聴ける素っ頓狂なヘタウマボーカルだけど、それはとっても味がある。そして何より、胸に染みる言葉とメロディ。私のような初老の人間の心もわしづかみにして離さない。今年の言葉は、予想通り「密」だったそうだが、私の中で今年一番の心に残ったのは雨ふらしカルテットの歌と出会ったことだった。早くコロナが収束したら、彼らのライブを聞きに行きたいと思う年の瀬なのだ。
2020.12.03
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いやあ、久しぶりに凄いの見ました。この歌は、何度かここで紹介した事があったかも知れない。でも、ライブの暗い映像でぶつ切りだったり、音声がひずんでいたりして、完全なものではなかった。これは多分オフシャルなんだろうねえ。音声も映像も完璧である。おまけにマスクしてるし、今年の最新の映像だ。彼らと出会ったのは、毎年GWに行くハルイチ。最初の数年はピンとこなかった。でも、この歌の最後の方で、ボーカルのノブが叫ぶ、「口笛を鳴らせ、足音を鳴らせ!」と言うのは、じゃがたらの江戸アケミが言ってたことと同じじゃんと、そのリンクに気付いたとたんこの歌や彼らの音楽がずっと心臓に入ってきたのだった。この曲は、自分が今まで聴いた音楽のベストの一つである。 ♪ロックンロールとは、転がる石とは、♪みんなでダラダラと坂を転がり落ちるのではなく、♪坂道を上に向かって必死に頃がる、転がり続ける。♪今目の前に何が見えようと♪空に浮かべろ、響きに込めろ、愛の分け前を、魂に捧げろ! 音楽的には、4人と言う最小ユニットで、ずっと後ろで着実にリズムを刻むベースとドラムスが凄いと思うんだよね。もう一度ハルイチで彼らのステージで踊りたい。 出来ればスマホじゃなくて、パソコンかステレオの大音量で聞いてね。
2020.11.07
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今日もあなたの心に雨をふらせます__がこのグループのコンセプトらしい前回のエールがホットなら、この曲はポッピでクール。でも、やっぱり歌詞が染みる。君の一挙手一投足が気になってなんて、普通歌詞じゃ使わないけどぴったりハマルよね。ガラス作家さんとコラボしたMVです。
2020.10.21
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いやあ、もうハマっちゃったよ〜。昨日からずっとこの曲を聴いてます。もう何十回聴いただろう。ライブの至近距離で、大きな字で歌詞が付いてます。やっぱりこのボーカルの人は、山下達郎さんに顏が似てる気がする。当初CDで聞いた時には、高音の子どもぽい発生が気になったけど、今はそれも個性。みんなが楽しそうで、隣のギターのオッチャンなんかメチャ楽しそう。僕がこのライブ会場で居たら、ウイスキー片手にほろ酔いで身体を揺らして、きっとほろっと泣いちゃうと思う。歌詞も胸に染みるんだよね〜。。特に後半の ♪メディアスな女神の、笑い声を聞くまで♪山があれば、穴を開けてトンネルを作りましょう、♪メロディアスな女神の 笑い声を聴くまで♪飛んでる鳥捕まえて、飛び方を盗みましょう毎回ここがぐっと来るわ〜。こんな歌詞かけないよ〜ここはボーカルの葛西さん、マイク離して手メガホンで唄ってるよ。今はリアルですか?って聞かれてどう応えるだろうか?エンディングが、あれ・・と思うけど、まあそれも許す。朝ドラ「エール」の主題歌をこれにしろよって思う日々です。さあ、もう1回踊ろう。この動画の引いた全体を見たい方はこの動画を観客の楽しそうな様子がよくわかります。https://www.youtube.com/watch?v=sLfnnIAU72kそして、ちょっとほろっとしつつ笑ってしまうオフィシャルのPVはhttps://www.youtube.com/watch?v=yBPW9vqusDgここにあります。でもやっぱりこの動画が一番好きだ。
2020.10.18
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先日、両親の家に行ったら駐車場で金木犀の匂いがふわっとした。お隣の家から香ってきたようだ。思い出して、近くの患者さんの家に行った。ここのお家にも、大きな金木犀がある。残念ながら少し遅かったようで、花は固くなっていたが、まだほんの少し香りが残っていた。この家にはもう誰も居ない。在宅で診ていた患者さんは、介護をしていたご主人が急な病気で失明してしまい、介護が出来なくなり、病院へ入院した。ご主人の方は娘さんの家に引き取られたようだ。在宅の患者さんは数年のスパンで、亡くなったりして居なくなることが多いが、この患者さんはあしかけ18年ぐらい私が訪問していた。脳出血、くも膜下出血で四肢麻痺、球麻痺(喋れない、飲み込めない)の状態で、胃瘻での完全栄養だった。胃瘻の是非が問われる昨今だが、この患者さんは胃瘻のお陰で息子さんの結婚式にも出席、孫の誕生も、孫の高校入学も経験できた。この胃瘻を無駄だと言う人は誰も居ないだろう。最後の訪問は数日前に終わっていたが、引っ越しの日、もう一度お別れに行った。患者さんをハグして「長い間患者で居てくれてありがとう」とお礼を言う。次に旦那さんをハグしたら、旦那さんが泣き出した。突然の失明(片方の目の血管が突然詰まったそう。もともと反対の目はよく見えないらしい)で本当に不安だったのだろう。こういう形で在宅の患者さんと別れるのは私もはじめてのことだった。来年も再来年も、咲くであろう金木犀を見に来ようと思う。
2020.10.14
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緊急事態宣言下で自粛モードのGW、ハルイチは中止になったし、ボウリングも休みだし、私はもっぱら夜にウオーキングをしてるのと、この数年の課題であった、部屋の整理、特に本棚の整理をしている。壁一面に作り付けの本棚があるのだが、奥行きが深いのと、棚板が少なくて、前と上に空白が空くので、そこに雑多なものが詰め込まれ、本が見えにくくなり、本来の目的を果たせないでいた。そこで、棚板をネットで注文、奥の方に段ボールの衝立のようなものを作って入れて、本を入れても、前や上に殆ど隙間が空かないようにした。本棚に詰まっていた雑多なものを処分したりして、かなりのスペースが空いたので、あちこちに散らばっていたCDやDVDそして本を入れた。ベッドの頭の方に置いてあって、ここも取り出しにくくて放置場所になっていた本棚から本を移動もした。空いたスペースには100均のカゴを入れて、小物はそこに収納。着工前の写真が無いのが残念だが、ほぼ満杯の立派な本棚になった。まあ、CDの棚は他に大木なのが5つぐらいあるし、本棚もでかいスライド書棚があって、そちらも整理が待たれるところであるが、それは今後の課題にしよう。その過程で、買ったまま忘れていた本、CD、DVDが数え切れないぐらいあるのを発見。GWはこれらを少しずつ消化するのをミッションとしよう。その棚からひとつかみ、今日は本を紹介。村上たかしは、涙腺崩壊系の漫画家である。映画にもなった、「星守る犬」がその代表だが、これらは、それに続く作品。やはり涙腺崩壊系である。そして、繋げる作家でもある。ひとつひとつの話は独立しているようだが、読み終わると、そこに一つの流れがあるのに気付く。上手いなあと思う。気になった方は、是非手に取ってみてください
2020.05.04
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JAGATARAの代表曲に「タンゴ」と言う曲があります。毎回、「1.2.3.4」のカウントから始まる、少しテンポの速めのさらっと4分程度で終わるナンバーです。リーダー江戸アケミの突然死によってバンド消滅後に出たこのライブ音源にも、このタンゴは収録されていますが、これがすごい。演奏はずっとスローで、いつもの「1.2.3.4」のカウントが始まるまでに、otoのギターに合わせて5分以上の江戸のモノローグのような歌が続きます。その頃彼は、精神病院に入院中で、丁度退院予定の外泊中に、試しに出てみたライブらしいです。このモノローグの最後の方に、「俺はやりたいようにやるぜ、俺は俺の踊りで」と言う台詞があります。これは常に江戸が言っていた、「みんなやりたいようにやればいいんだよ。自分の踊りを踊ればいいんだ」って台詞なんですよね。ここでびびっと閃いたのがazumiです。azumi説法で、あの世から降臨しオカンがazumiに言う「サトシ(azumiの本名)、オドレはオドレの踊りを踊れ」と、まあ、踊りを踊れに言い換えたら、全部がオドレになるダジャレで笑ってしおまうんですけど、これってアケミが言っていたことと同じじゃ無いですか。僕と同じ年のazumiが、僕と同じ頃にジャガタラの江戸の歌を聴いていたことは十分に想像出来るし、江戸が死んでもう30年、今年はJAGATARA2020と言うバンドが再結成されて、新譜も出したそうですが、こんな風に、江戸の残したバトンを受け継がれて行くのだと思いました。
2020.04.28
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コロナの自粛騒ぎで、夜はウオーキングに出る以外家にいる。そこで、数年前から課題になっていた本棚の整理を始めた。壁一面に作り付けの本棚があるのだが、奥行きが広く、また棚板が少ない。だから本を入れると、前と上にかなりスペースが空いて、そこに種々の雑貨がおかれてしまい、本は見えなくなるし、本棚なのか、物置なのかわかりにくくなっていた。そこで、段ボールで作った衝立のようなものを棚板の奥に置き、本を入れても前のスペースがあまり空かないように。また、棚板をネット通販で作って貰い、棚板を増やして上のスペースもあまり空かない様に工夫した。それまで置いてあったものは断捨離であるが、色々とお宝が発見されたりして楽しい。本棚の下は、扉のある収納になっているが、そこにも役立たないものが沢山ある。昨日整理した収納には、カセットテープとVHSビデオが大量にあった。さすがにそれはもう見る機器もないし・・と言う事で一気にゴミ袋に入れていたが、その中のビデオのパッケージに手紙が貼り付けてあるのに気付いた、大阪の病院にいる時に、一緒に仕事をした岡田達也先生の手紙だ。彼は、香川大学の医学部を卒業したが、出身が大阪だったので、大阪大学の医局に入局して研修をしていた。私は徳島大学からの派遣で、彼は大阪大学からの派遣で同じ呼吸器の病院に勤務していたのだ。私より数学年下であったが、年令はあまり変わらなかったように思う。よく学んだかどうかは別として、よく遊ぶところが私と気が合って、一緒にテニスをしたり、音楽のライブに行ったりした。どこからどこまで気が合うと言う訳では無くて、音楽の好きなジャンルも微妙に違っていたが、お互いを認めているいるようなところがあった。私がミナミのレコードショップをはしごして、CDを30枚とか買い込んで帰ってきていたら、同じようにアナログの海賊版を10枚も持った彼に地下鉄で出会ったりした、野球と陸上をしていたと言うが、背は低めで、ずんぐりの筋肉質の体型をしており、少し流行遅れてのドロップ型の眼鏡をかけ、口ひげを蓄えていた、父子ともにヘビースモーカーで、大学生の時に気胸になったと言うのに、やっぱりタバコを吸っていた。父親は診察中に心筋梗塞になって急死したと言う。私が大阪を離れてからも、ちょくちょく大阪へライブに行くときは彼を誘ったりしていた。ハルイチに行く時には、彼は自分の趣味とは違うと言うので一度も来なかったが、必ず1回は一緒に会って夜の食事をした。タバコを吸うくせに、酒は飲めず、辛いカレーも苦手なのに、いつも我孫子の美味しいカレー屋さんに行く時に付いてきて、大汗を搔きながらカレーを食べていた。ハルイチに私が行きだした頃に、彼は肺がんになった。肺がんの専門医が肺がんになって洒落にならんと言いながら、やっぱりタバコを吸っていた。手術をしたけども、完治にはなってなくて、化学療法を定期的にしてると言っていた。独身なので、看病してくれる人も居ず、1人で入院して1人で退院するとのことだった。女性のことは好きで、はかなり沢山付き合ったようだが、結婚するところまでは行かなかったようだ。お母さんの介護もしているとも言っていた。食事をした時の料金はいつも私が払っていた。彼も出そうとするけども、病気がよくなったら、思いっきり奢って貰うからと言う事にして私が出した。そんなに頻繁に連絡を取り合うわけでは無く、年に数回と言う感じであったが、彼から返信が来なくなった。調子悪いのかなと思いつつ、3回目あたりに電話をかけたが、携帯は使えなくなっていた。ああ・・と思った。大阪時代の先輩に聞いたら、彼は半年ぐらい前に亡くなっていた。2014年9月13日が彼の命日だ。多分53才ぐらいだったのではないか。それからもう6年近く過ぎた。私は、毎年ハルイチに行き、彼はもう居ないんだなと思い、5月の風に吹かれながら音楽に浸る。この青空のどっかに彼はいるのだろうかと思う。彼も一度は来てみて、5月の空を一緒に見られたら良かったのになあ、味会わせたかったなあと思う。彼は今どうしてるんだろう?azumiが言うように、あの世は自由自在なんだろうか?今もマツダのロータリーエンジンのRX7に乗ってご満悦なんだろうか?彼が集めた、家の床が抜ける程のレコードはどうなったのだろう、彼が蓄えた音楽の知識もみんなどこへ行ってしまたのだろうと思う。このビデオは、私が彼に徳島から郵送で送って貸したものだと思う。じゃがたらは、日本のパンクロック、ダンスバンド。長年のアングラ生活を経て、メジャーデビューを果たした頃に、リーダーの江戸アケミの事故死によってバンドは消滅した。それが1990年の事だ。このとき私は大阪に居て、じゃがたらの音楽に溺れ始めた頃だった。最近、エドの没後30年を記念して、じゃがたら2020と言うのが臨時再結成されて新譜を出したそうだ。このビデオは、額を切り裂いて流血させ、シマヘビを食いちぎるようなパフォーマンスをしていたアングラ時代から、入院を経て、アフロやラテンのめくるめくビートの中に救いを見いだしたエドが、その頃のワールドミュージックのブームにも乗りながら、一気にメジャーまで駆け抜ける様子を記録した貴重な映像を集めた3本組のビデオだ。3本組って誰が買うの?と思うが私は買ったのだそして今はDVDで買い直している。彼にこのビデオを貸した事も、彼の手紙を貰ったことも忘れていたけど、コロナのせいで、部屋の整理をしたせいで、この手紙に巡り会えた。皮肉なものだ。!コロナのせいで、鬱屈した毎日が続くが、久しぶりにじゃがたらの音楽を聴いてみよう。エドが叫んで居る。口笛を鳴らせ! 口笛を鳴らせお前の考え一つで、どうにでもなるさ~~
2020.04.25
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ハルイチが今年で最後になる。先日徳島に来たazumiにそのことを聞きました。今日、ネット検索でそのお知らせを見て改めて終わるのだと思いました。1960年代の終わりだったと思うが、アメリカでウッドストックと言う大きな野外コンサートが開催されました。その模様を映画で見た、福岡風太と言う1人のサラリーマンが、日本でもこんな野外コンサートをやろうと思い立ちました。風太が入り浸っていた大阪の喫茶店「ディラン」には、その店の名前の通り、ボブディランのフォロワーの大阪のミュージシャンが集っており、彼らとともに手作りではじめたのが「春一番」と言うライブコンサートでした。主題歌を作ったのは、蔵さんこと西岡恭蔵、今はハンバートハンバートがこの歌をカバーしています。1975年に天王寺野外音楽堂で始まったこのイベントは、1979年に一旦終了となりますが、祝春一番と名前を変え、服部緑地野外音楽堂に場所を変えて、1990年に再開されました。風太と共に、浅川マキや山下洋輔トリオのマネージャーをしたりしていた、阿部登が運営、司会に加わり、ハルイチは2人の頭を持つイベントとして続きました。風太とアベちゃん、2人の目利きが選んだミュージシャンは、60年代から活躍するベテラン、彼らを聞いて育った中堅、そして若手とバライティーに富み、10年ぐらい前からは、大阪のGWのイベントとして定着してきました。私は高校生の頃に、このライブのレコードジャケットを見て憧れ、2005年頃より、このライブに出掛けるようになりました。当初は家族に遠慮して、1日程度でしたが、この10年近くは、ほぼ3日間通しで通っています。5月の空に沈丁花の花が舞い、その青空に応学が吸い込まれていくのは本当に気持ちの良い時間でした。azumi、ハンバートハンバート、良元優作、三宅伸治、蠣崎未来など、ハルイチに来なければ出会えなかった素晴らしいミュージシャン達にも出会う事が出来ました。アベちゃんが10年前に肺炎で急逝、高田渡、藤井裕、石田長生など、長いことハルイチを支えてきたミュージシャンも亡くなる方が出て来ました。胃がんで胃を切除し、痩せて杖を付きながらライブを運営してきた風太さんも、そろそろ終わりかなと思ったのでしょう。今年でハルイチは最後になるそうです。終春一番と言う名前になります。コロナが猛威を振るっているかも知れませんが、野外のイベントでもあるし、何とかしてまた3日間、音楽にどっぷりと浸かって来たいと思います。https://shu-haruichiban.jimdofree.com
2020.03.03
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日記を書くのは1年半ぶりになります。みなさん、お元気だったでしょうか?と、言いつつお友達で今も楽天ブログを書いている方は数人になってますね。色々なSNSが発達した今、それも仕方無いと思いつつ・・。ブラウザのお気に入りサイドバーのところから、このブログ管理のページが漏れたことが開かなくなった原因の一因かと考えて、またお気に入りバーに入れました。さて、最後に日記を書いたのが昨年のⅠ月なので、それ以降の出来事を箇条書きで振り返ってみようと思います。2018年5月 毎年の春の行事 祝春一番参加 3日間 7月 長男に病気判明 夏休みに速攻で手術をすることに 8月 長男手術 付き添いでぐったり疲れた頃に、娘から「子どもが出来た」と驚愕の知らせ 息子無事退院 9月 娘の結婚相手と初対面 学生の娘に子どもを作ったこと以外はとても良い人なので安心 10月 相手の両親と初対面 普通の人で安心 勇造ライブ開催 12月 私の母 数年前から物忘れがひどく父が介護していたが、よりによって娘の結婚式の 前日に転倒して左腕骨折。識に出られず。 娘結婚式 バージンロードを歩く Ⅰ月 年末から1月末まで、毎日のように実家へ。両親のご飯を作ったり、母をお風呂に入れた りミスターヘルパーとして働く。介護保険の導入で少し落ち着く。 3月 娘 無事に男子を出産 爺になる。 5月 今年もハルイチ3日間参加。 両親を近くに呼び寄せる為に家を建てる工事が竣工 8月 娘達帰省中 孫阿波踊り初体験。 7月 勇造さん70歳記念フリーコンサート 京都へ仕事を休んで行く 家は大分出来たが、母は絶対に入らないとごねている。とまあ、駆け足で近況書きました。ポイントは、親が衰え、子ども達は成長して、私は爺になったと言う事です。もちろん私も衰えは来ています。目は見えん、耳は聞こえない 膝は悪い、先日はバレーで故障して右の手首の軟骨が割れました。多分一生サポーター生活だと思います。勇造ライブ毎年頑張って開催しています。最近他に熱心に聞くのは、azumi、ハシケン、リクオ 蠣崎未来 などなど。音楽は楽しいわ。まあ、それでも元気にやってます。今年もよろしくお願いします。
2019.08.14
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ご無沙汰しています。最近はフェイスブックばかりで、こちらは放置状態。でも、お友達の皆さんの動向は気になります。こちらも近況報告を。年末、12月に2回も2日連続診療を休診にして東京へ行った配偶者さま。2回目の時にホテルで発熱、帰ってきてインフルAと診断。さらに年末、僕の母がフルBと診断。(いずれも僕が鼻を擦りました)と、言う訳で今年の正月は爺婆が我が家に来るのを控えて、親子5人と1匹のお正月でした。長女は成人式。夫婦交代で、美容院、コミセンの送迎。横浜の振り袖夜逃げのニュースを見て、うちは買い取りでブツを貰っていて良かったと思った次第。(もちろん、件の業者では無いけれど)中学生までは縦横斜めに大きかった我が娘。努力の結果「昔と一番変わった人」と言われたそうです。父親に似た大きな顔が小顔になって・・。でも、ちょっとウルウルきますね。長男は福岡へ、長女は神戸へ帰り、夫婦に末っ子、そして1匹の日常が戻ってきました。子どもが居ないのが日常と言うのもちょっと変だけれど。そんな近況です。こちらは今インフルA&Bの嵐が吹き荒れています。みなさんご注意を。あ、最近スキレット料理に凝ってます。大小3個も買ってしまったわ。これは海老とホタテのアヒージョです。
2018.01.10
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ご無沙汰しています。楽天のお友達の皆さまお元気でしょうか?私は元気にやっています。今年の勇造ライブまであと2日・・準備に忙しいです。今日も?病院のブログからの転載になります。タイトル 人の移り変わり当院は、今年で開業して20年を迎えました。多くの患者さんと出会うことが出来て幸せだと思って居ます。慢性の病気で定期的に受診をされる方。調子の悪いときだけ受診をされる方健診の時のみ来られる方利用法は様々です。もちろん、病院という場所は来ないにこしことはない訳ですから。ずっと通ってきていた患者さんがしばらく来ないとどうしたんだろうと心配になります。調子が良くなった・・はずはない(慢性疾患ですから)家を引っ越した知らないうちに入院した病院を変わった不幸な経過になった色々考えても、知る手立てはあまりません。特に、家族がいればまだしも、一人暮らしの高齢者の場合は。家に電話してしても、他の病院に変わっていたりしたら相手も決まりが悪いだろうし。そこまでするべき間柄かどうかも分かりません。患者さんが多くなると、すぐに気づかない場合もあります。先日も・・・ふと・・あれ??○○さんって最近来てないよなあと頭に浮かびました。一人暮らしの高齢の女性でした。一人しか居なかったお子さんが急逝し、その後ご主人が2年ぐらい前に急逝。その後もお一人で、時々姪御さんが様子を見に行っていたみたいですが。忘れることなく、キチキチと受診されてました。カルテを見てみたら、最後の受診が1月でした。最近、時々クスリを飲むのを忘れるようになって・・・とカルテに書いてありました。お元気なのだろうか?どこか施設にでも入ったのか?色々考えますが、知る手立てはありません。来てなかったことに、今まで気づかなくて申し訳無い・・元気で居てくれたら良いんだけれど・・そんな事を思いながら、今日も元気に仕事をします。
2017.10.12
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先週水曜日あたりから、やっと夏らしいジリジリと照りつけるような暑さの日が続きましたね。体調を崩された方も多かったでしょうが、お陰様で梅の天日干しが出来ました。土曜日の朝に取り込みに行ったら、何と大雨で・・・!やられた〜と思いましたが、よく考えたら前日の夜に屋根の下へ入れておいたので安全でした。サイズ4Lの南高梅は結構迫力です。スタッフが欲しがったので試食して貰ったら塩辛いけど甘くて美味しいとのことでした。塩分20%なので、通常売ってる梅よりも濃いと思います。でも、そのおかげで冷蔵庫に入れなくとも保存出来ます。前は梅酢に漬けたままで保存していましたが、今回は分けました。水に梅酢と氷を入れた物が私のスポーツドリンクとなりますさて、梅干しも終わったし、寒くなる頃には初の味噌造りにトライしようと思います。
2017.08.27
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久しぶりの投稿になります。って、毎回そればっかり書いていますが。この日記は、自分の診療所の院長ブログからの転載になります。ご容赦を。いつの間にか、お盆も終わり、残暑の時期になりましたが、皆様はお元気でしょうか?今年の夏は、入道雲がモクモク出るような状態じゃなく、梅雨の明けないままに気温のみ上がったような感じで非常に不快感が強く、体調を崩す方も多かったようです。規則正しい生活、適切な水分と塩分の補給などで何とか夏を乗り切れますように。夏ばて予防と言えば、梅干しと麦茶が有名ですが、これは水分と塩分を補う意味からも非常に有用なコンビだと思います。最近は○○スエットのようなスポーツ飲料を夏ばて予防に飲まれる方が多いのですが、あれも塩分が少なく、糖分が多いので特に糖尿病の方などは、要注意ですね。私の意見としたら、汗もかいてない人が予防に飲むものでは無いと思います。天気が悪く、梅の天日干しが中々出来ませんでしたが、先日の日曜日にやっと干しました。お日様に当たっている梅を見ていると、幸せな気分になりますね。でも、昨日と今日は天気が悪いので、梅はお休みです。明日あたりまた干せそうですが。今年の我が家のマイブームはぬか漬けです。毎年浸けていても、1ヶ月もしたら変なにおいがして駄目になっていたのが、今年はもう2ヶ月以上、美味しい状態を保っています。ずっとタッパーで漬けていたのを、本格的に甕に変えたのが良かったのかなと思います。冷蔵庫にも入れず、リビングに置いてますが室温変化が少ないのと、かき混ぜ易いのが良かったかなと。久松と言う、有名なメーカーの甕らしいです。キュウリ、なすなどが定番ですが、我が家で好まれるのは、オクラ、赤ピーマン、黄色ピーマンなどです。他に人参、ミョウガ、変わったところではアボガドが美味しかったです。もちろん、瓜やスイカの皮もグッドでした。そのうちに、魚貝や肉なども漬けて料理してみたいと思います。うちの配偶者は、ぬか漬け食べ出して、便の調子が良くなったとのことで、「糠ちゃん」と言ってかわいがっています。今年の冬は味噌でも仕込んでみようかなと思っています。写真は今日の朝のぬか漬け。キュウリ、ミョウガ、ピーマン(赤、黄)オクラ、瓜ですね。塩分も栄養もあるし、これも夏ばてに良い食べ物だと思います。
2017.08.22
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先日、久しぶりに楽天日記を書いてお友達のところにお邪魔した。管理画面のところに、お気に入りブログってのがあるけれど、そこにあるブログで今もちゃんと書かれているのは4-5人である。殆どが過去のブログになってしまっている。その中で一番古いブログは2008年11月に更新されたのが最後だ。そしてそのブログは私が一番お気に入りで、一番仲の良かった人のブログであった。もう8年以上経ってしまった。その人とは、全てがピッタリと合うと言う感じでは無かったが、好きな音楽への傾倒の仕方とか(音楽の趣味は若干違う)、好きなもの、嫌いなものへの距離の取り方とか、そういう所が似ているように思って、毎回日記が更新されるのが楽しみにしていた。地元密着型の私とは違って、海外をあちこち飛び回っている人だった。当時はご主人(が、ミュージシャンだったりする)と一緒に、イギリスに住んでいた。医療関係の仕事をしていたこともあり、少し私の知識をお貸ししたこともあった。勇造さんの我が家のライブのDVDを送ったり、彼女が好きなCDを貰ったりもした。京都出身の方だったが、帰国したときにはご主人と一緒に徳島まで来てくれて、一緒にカラオケに行ったこともあった。私が紹介した楽天のお友達とも、友だちになって、彼女夫婦と、お友達(その人も女性だ)と私と3人で食事したりカラオケにも行った。実際に会ったのは2回だ。初対面の私とカラオケに行って、いきなり最初の歌が嘉門達夫の歌だったりする。やっぱり関西人だ。美空ひばりの真っ赤な太陽をふりふりで唄っていたのを思い出す。彼女の日記で強烈だったのは、ご主人と結婚を決めたくだりだ。それは3日間にわたって書かれた超大作?だった。イギリスで出会ったご主人との出会いから、比較的短期間の間に結婚を決めてしまった経過を細かく書いてあったのだが、彼女が、最後にしたこと。それは当時、漠然と将来の約束をしたままになっていた男性のところへ行き結婚する事になったと自分の口で伝えたのだった。その潔さに私は脱帽した。それと、旦那さんからとりあえず一緒に暮らしてみないと誘われた時に、結婚を考えたくだりだ。日記から引用してみよう。 以下引用ロンドンに戻って彼と一緒に住んでもいいかなと初めて思った。しかし、ロンドンで一緒に住んだ後はどうなる?一緒に住んだ後で同居から結婚に変わるきっかけってなに?その決め手ってなに?それはいつ来るの?そういうものを見つける自信はなかった。しかし、それならむしろ最初からお互いに相手に対する責任をまっとうすべきじゃないかと思った。結婚することに決めた。引用終わりこの潔さにも脱帽してしまう。私は彼女と結婚する自信は無いが、彼女とお友達にはなりたいと思った。2003年から、2008年までほぼ毎日の間、私も彼女も日記を書き続けてきた。彼女は2008年に日本に戻ってくる。そしてしばらくして日記は途切れた。何があったのかは分からない。彼女のメアドはロンドンの時のものしか知らない。実家の住所が楽天のメールに書いてあったが、楽天のメールサービスが無くなった今となってはそれもわからない。フェイスブックで検索してみたがやってないようだ。もちろん、彼女が消えたのは何か理由があるのだろう。連絡したいなら、向こうから来るはずなのだ。私は住所もメアドも変わってないのだから。それを探したりするのはルール違反なのかも知れない。でも、また彼女と会いたいと思う。実際に会うのではなく、こうやって文章の上で、彼女の端切れのよい日記を読んでみたい。ブログでの匿名の出会い、強いようでやはり儚い出会いなのだと思う半面、またどこかで繋がっていたいと思う今夜であった。彼女の日記の2004年11月に、この3連作は掲載されている。見てみたいひとは、どうぞ。
2017.01.17
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楽天日記のお友達の皆様。あけましておめでとうございます。ご無沙汰してすみません、みなさんお元気でしょうか?私は元気にしています。1年半前に手術した心臓も、不整脈の再発もなく動いてくれているようです。仕事も順調です。この年末は忙しく、大晦日、元日と往診に行って処置をした患者さんが居ました。元日の夜にその患者さんが亡くなり、昨日の夜中に死亡宣告をして来ました。皮肉なことに、病気が治った時よりも、死亡宣告をしたり、診断書を書く時に、自分が医者だと一番実感するんですよね。昨日の昼間は両親もやって来て、いつものお正月でした。年取った母の代わりに、昨年からお煮染めも全部私が作っています。今年は黒豆を父が炊いて来てくれましたが(母が指南)。父の話によると、母の物忘れが出て来たようで、昨日の夜に私が作ったそば米雑炊(徳島の郷土料理)を見て、「これはお米?」と聞いた母を見て少しショックでした。でも、誰もが通る道ですからね。いつもものように、元日の新聞に載っているかなり文量の多いクロスワードパズルを母がやって横で父が色々口を出してサポートしていました。もう少しこの光景が続けば良いなあと思いました。子ども達も大きくなりました。だから画像が小さくてすみません。長男は福岡で大学3年ラグビー部、次男は中2で帰宅部。2人とも私の身長を超えました。体重は次男>私>長男足の長さは 次男>私>長男腕相撲は私>長男>次男です。3人の合計体重は推定265kgです。娘は神戸で大学1年生です。ちょっとけばい顔で何故か少し離れて映っています。最近はフェイスブックばかりでこちらは留守になり申し訳ありません。楽天日記はフェイスブックで共有出来るけど、逆って出来ないのかなあと思うこの頃です。まあ、でもこちらは匿名だからなあ・・・。また時々お邪魔します。自分の日記は滞っていますが、皆さんの日記は割とマメに読ませていただいています。今年もよろしくお願い申し上げます。
2017.01.02
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ご無沙汰しています(こればっかり)。今、台風が四国沖を通過していきました。風雨は大分マシになってきました。家も職場も大丈夫ですが、医院を出てすぐ前の道も大丈夫なんだけど、そこから隣の駐車場、薬局の前の道が冠水しています。車なら何とか通れるのかな?まあ、患者さんもほとんど来ていませんが(笑)でも、台風も通り過ぎたのか、少しずつ晴れて来ましたからそんなにひどいことにはならないでしょう。最近フェイスブック始めました。もうネットであれこれするのは面倒だと思っていました。おまけに実名だし。でも、夏にOB会をしたときに、フェイスブックのつながりでその開催を知ったと言う方もいて同窓会なども結構繋がっているのを見て、やってみようかと。で、やりはじめると、お手軽に写真も動画もアップ出来るし、リアルタイム感があるし、他人からの反応も早いし。楽天日記を始めた時の井ような猿状態になってしまいました。これでますます楽天日記からは足が遠のくかも・・。お友達の皆さんとフェイスブックで交流したいと思っても、ここに実名を書くわけにもいかないし、お互いのメール機能も無くなったし。だから、楽天日記も廃れていくんだよなあと思いながら、でも頑張って更新している皆さんも居るんですね。匿名にはその良さもあると思うので、また時々は覗きに来たいと思います。今年の勇造ライブももうじきです。あ、昨日は沢知恵さんの協会チャペルで行われたライブに行ってきました。良かったよ〜〜。
2016.09.20
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ご無沙汰しています。ってご無沙汰しすぎだろうって声もあるとは思いますが・・。明日、正確にはもう今日になってるわけですが、娘が大学生になって県外に旅立ちます。まあ、県外と言っても車で2時間弱ぐらいで行けるので、そんなに遠くじゃ無いんですけど、一応本州なので・・。長男は2年前に大学生になって福岡に住んでいます。これで3人の子どものうち、2人が居なくなるわけで、後は中学1年の巨大に育った次男のみとなります。娘が居なくなると寂しいだろうと人に言われますが、まあ今は実感が無いですね。色々怒る機会が無くなってすっきりするかもです。今日だって・・お風呂に入ろうとしたら先に入った娘がお湯を抜いてしまっていて。「父ちゃんは先に入ったと思った」って言うけど、毎日私が最後に入ってから洗濯ものの始末もしてるじゃんって思うけど、まあ、そんなんでイライラするのも暫く無いのだと思うと、ちょっと寂しかったりします。背中に保湿剤を塗ってやったり、身体をオイルマッサージしてやることも(普通女子高生が父親にそういうのをせがまないと思うんですけどね)暫く無いと思うと、まあこれも寂しかったりします。それでも、子どもが成長して外の世界へ出て行くのを見るのは嬉しい事です。私は社会人になるまでずっと自宅だったので、子ども達は学生のうちに是非県外へ行かせてやりたいと思っていましたから。まあ、変な奴につきまとわれたり、監禁されたりすることだけは無いようにと願うばかりです。明日の夜から、我が家は3人家族です。家族はこうやって別れていくんだけど、またいつか再会し子ども達の家族も混じって大きくなって行くのだな、そうありたいものだと思うのでした。で、近況です。ボウリング 相変わらずやってます。週に3-4回は投げてるかな? 185まで行ったアベレージは、今少しスランプで178まで落ちてしまいました。ホームであるセンターが3月一杯で閉鎖。明日はそのサヨナラ大会です。今後は2つのセンターに跨がって行こうかなと思っています。ソフトバレー相変わらず週1で練習していますが、膝の調子が思わしくなく、いつ引退になってもおかしくない状態です。もう40年以上もバレーやってるんですから、そろそろ良いんじゃ無いかと思う半面、ソフトバレーは高齢者のスポーツで、70歳過ぎて頑張ってる人も沢山いると思うと、自分も頑張らないとと思うのでした。人間って貪欲ですね。お仕事最近認知症に興味を持って色々勉強中。自分が認知症では?と思うことも多々ありますが。県の内科医会の会長になってしまいました。音楽今年も行くぞ、祝春一番!と、まあこんな状況なのでした。これからもご無沙汰が多いかも知れませんが、多めに見てやって末永くお付き合いください。
2016.03.29
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すっかりご無沙汰になってしまった楽天ブログ。あんなに毎日頑張って書いていたのに、今年は10回も書いて無いような気が。忙しいとか、他にもブログ(自院のブログ)を書き始めたと言う事もあるけど、一番の原因は、足跡が付かなくなり、会員同士のメールも出来なくなって交流が出来なくなったことにあると思う。と、何年も書いているけど一向に復活の様子もないし、楽天さんは、もうブログはどうでも良いのでしょうね。だから、ショップが無料を良い事に書いたり(仕事のブログぐらい有料で書けよ)、アフィ野郎の徘徊の場になってしまっている。巡回ソフトを使っているのか(そんなものあるのか?)、やたらと閲覧数だけは増えているんですよね。と、言いつつこれまでのご縁もあるので、止められないこの状況。最近は、他ブログからの転載が多いですが、ご勘弁。今年もあと1日で終わりです。みなさん、新しい年を迎える用意で忙しいでしょうね。あ、もちろん喪中の人も多くおられるとは思います。それでもそれなりに忙しい師走ですね。例年我が家は、私の両親が元旦にやってきて、一緒にお正月を迎えます。両親がお煮染めなど昔ながらのお節料理を作り、私たちがちょっと洋風の料理を作りと言う感じですね。しかし、年末に母親が体調を崩し、今年は色々作れそうにないとこぼしておりました。それでも、黒豆は炊いているとか・・。何もしなくて良いと言ったのですが、やはり年寄りはそうはいかないようで(笑)と、言う訳でここは一発私が奮起して、お煮染めなど作ることにしました。もともと料理は好きで得意。以前2交代で診療していた頃は、朝晩のご飯を作っていましたから。今は、夫婦別に診療しているので、家政婦さんにご飯はお任せしておりたまに日曜日に作る程度でしたから。昨日から今日にかけて作ったもの・お煮染め(高野豆腐 大根、里芋、人参、牛蒡、干し椎茸、こんにゃく、タケノコ)・酢レンコン・紅白なます・ローストビーフ・牛肉のしぐれ煮・蕪の三杯漬け夜にだし巻き卵をつくります。エビとか蒲鉾とか、すぐに終わる料理は配偶者に任せて。あとは、今晩のご飯の準備と、夜のお蕎麦の準備ですね。写真をお見せできないのが残念ですが、いずれアップしたいと思います。体調が悪かったり、病気の家族の居られる家庭もあるとは思いますが、どなたさまも、つつがなく新年を迎えられますように。
2015.12.31
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勇造さんは、カバー曲、要するに他人の歌を滅多に唄いません。私が知っている限りは、ボブディランの「風に吹かれて」を日本語で歌ったことがありました。まあ、ディランは、勇造さんを含め60年代から70年代に出て来たシンガーソングライターの父のような人ですから、それもありかと。ところが今回のライブでは2曲カバーを歌いました。1曲は、ジョンレノンのイマジンを日本語で。まあ、この曲は皆さんご存じですよね。歌詞の意味も大体わかるでしょう。もう1曲はびっくり、私がはじめて聞く日本人のカバー曲でした。勇造さんは、同じ世代のシンガーソングライターの友人達4人で、毎年七夕の夜に京都で「七夕コンサート」と言うのをやっています。もう40年近く。そのメンバーの1人、三浦久さんの「祈りのうた」と言うのが今回のカバー曲でした。これは、南北戦争の南軍の兵士が病院の壁に書き綴った詩なのだそうです。それに三浦さんがメロディを付けた歌らしいです。YouTubeで三浦さんの歌が聴けますが(三浦久 祈りのうた と検索してみてください)、ギターとハモニカだけのシンプルで力強い歌です。勇造さんの歌も同じような感じでしたが、もう少しギターが効いていたような気がしました。歌詞は反語のくりかえしですが、繰り返しによる力があると思います。歌詞を書いておきます。興味のある方は、下のリンクからYouTubeで三浦さんの歌を聴いてみてください。人生の成功を手に入れようと強さを求めたのに与えられたのは弱さだった謙虚であるように偉大なことを成し遂げようと健康を求めたのに与えられたのは病気だった何が偉大か学ぶように幸せになりたいと富を求めたのに与えられたのは貧しさだった足ることを知るように世の賞賛を勝ち得ようと権力を求めたのに与えられたのは無力だった得意にならないように満たされた人生を送りたいと全てを求めたのに与えられたのは私のこの人生受け入れることを学ぶように求めたものは何ひとつ与えられなかったけれど確かに祈りは聞き届けられたすべてが与えられた祈りはすべて叶えられた気が付けば大きな恵みを私は生きている求めたものは何ひとつ与えられなかったけれど確かに祈りは聞き届けられたすべてが与えられた三浦久/祈りのうた
2015.11.28
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2日の1豊田勇造ライブは無事に終了しました。今年は徳島新聞のコンサートガイドに載せてくれなかったし、タウン誌にも出してなかったので、どれだけ人が来てくれるか心配でした。蓋を開けてみたら、いつも来てくれる県外のお客さんは来ず、数年ぶりの人も居て、はじめて勇造さんの蓋に触れると言う人が9人も来てくれました。用意した30席が満席。それ以外に私や家族やスタッフ6人が聞いていたので、40人近い人が居たことになります。勇造さんはいつも通り若々しくて爽やかで、今年で来た新曲をかなり披露してくれ、更に勇造さんの中での主要なレパートリーも殆どやってくれました。みんなが良かった、また来たいと言ってくれました。新しく来た人はこのブログを読んでくれる患者さんであったり、知り合いから聞いて・・と言うのが多かったです。やっぱり大事なのはメディアではなくて、人の輪ですね。翌日に、今年は高速バスに乗る(いつもはJR)勇造さんを見送りました。あの笑顔がいつまでも目の前に残像で残っています。あの歌たちも、ずっと耳のあたりで鳴っています。今年も勇造さんのライブで、心も体もリセットできました。さあ、今日も元気でいきます!
2015.11.26
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ご無沙汰しています(って最近こればっかり)。楽天友だちの皆様、お元気でしょうか?私は元気にしています。仕事に、ボウリングに忙しい毎日です。ボウリングは今のところ、自己最高スコア269を何度か出しましたが、最近でも120台を出したりもして、不安定です。さて、秋になると勇造ライブの季節です。今年は、私の仕事の関係で11月の連休となりました。しばらくこの時期になると思います。毎年1回の勇造ライブですが、私にとっては日々の生活に気合いを入れると言うか、リセットするというか、禊ぎををするというか(ちょっと違うか・・)ともかく、勇造さんの顔を見て歌を聴くと、心が洗われて元気になって・・とそういう事なのです。あと、1週間なので、そろそろ色々準備をしなければ。ワクワクする期間ですね。またライブの様子はアップしたいと思います。今年のライブのポスターに使った写真です。昨年のライブから選びました。
2015.11.15
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ご報告が遅れて申し訳ありません。色々と心配いただきありがとうございました。11日の午前に入院して、午後に経食道による左心房のエコー検査をしました。これは、太い内視鏡を食道まで入れて、そこから左心房に血栓がないかどうかを見る検査です。もし血栓があれば治療は中止になります。かなりしんどい検査らしく、鎮静を進められたのでやってもらうと、気がついたら病室でした。首が垂れた状態で検査室から出て来た私を見た配偶者はびっくりしたらしいですが。でも、鎮静剤もすぐに切れて、配偶者が帰った後は病棟をうろうろしたり、喫茶へ行ったりして過ごしました。12日の午前9時前に搬入。ここでも鎮静をかけられたため、その後の記憶がありません。記憶が戻ったときには、主治医がカテーテルの入っていたそけい部を圧迫していました。抗凝固剤をかなり使ったために、止血に1時間以上かかったそうで、出て来た時には2時過ぎだったそうです。右の太ももに3本、左の太ももから1本、右の首から1本、合計5本のカテーテルが入っていたそうです。焼灼したせいか、胸のあたりが胸焼けした感じの不快感がずっとありました。しかし、目が覚めたとたんにペットボトルの水を500ml一気のみ。夜にそけい部の重りが取れて、食事も全量摂取。夜中におしっこの管を抜いて貰い、明け方に点滴も抜いて貰いました。13日の朝に主治医が来て、太ももの圧迫も取れました。お風呂に入りたかったけど、モニターをずっと付けられていたのでとうとう帰るまでお風呂に入れませんでした。13日の午後からは、またモニターを付けたまま病棟はおろか病院内をうろうろ。14日の午後に退院してきました。同日の夜からウオーキングを毎日しています。お酒も少し飲んでいます。不整脈は今のところ起こっていません。(今起こったら金返せ・・ですよね)。手術の影響で不整脈が起こることもあるので、3ヶ月は抗凝固剤と不整脈の薬を飲むことになっています。後者はちょくちょく忘れてるんですが。胸焼けの痛みも2日程度で消失しました。18日からは普通に診療して、ボウリングも再開しました。ソフトバレーは9月から復帰する予定。この土曜日、大学のバレー部のOB会でした。2次会で、千葉の循環器をやってる後輩がぽつんと一言。「せんせ^術後にお酒飲んでもいいんですか?」「別に何も言われなかったけど」「あかんと思うんだけどなあ・・」まあ、退院してから毎日ちょっとは飲んで居るし、今更もう良いじゃんって思ってそのままにしています。20年前に虫垂炎の手術をしたときには、5日目に抜糸をした日が飲み会だったし・・。そんな訳で元気にしています。色々ご心配いただきありがとうございました。病院のベッドは1人でも狭く、のどまるさんが添い寝したらたぶん窒息したと思います。
2015.08.24
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楽天日記のみなさま、ご無沙汰していますが、お元気ですか?台風が過ぎると真夏になりましたね。こちらも、雨が振らず毎日暑いです。子どもの頃は、30度を超したら凄いな〜と思っていたのですが、今は35度ぐらい普通ですからね。シャワーの温度が5度上がると急に熱く感じますけど、少しずつなら慣れるのでしょう。このまま温暖化が続くと地球はどうなっていくんでしょうね。子ども、孫の代は大丈夫かなと心配になります。そのために何をするか・・もっともっと私たちが勉強しないといけないなと感じるこの頃です。さて、我が家も明日から通常より1日早いお盆休みに入ります。16日が日曜日なので、診療は17日からで合計2日長い計算になりますね。その間私は別荘へ・・入院(笑)。以前より懸念だった不整脈のカテーテル治療を受けてきます。症状が発作性で、短時間で消失するし、ほとんど夜間の発作なので仕事やスポーツにあまり影響がなかったのでそのまま放置していた訳ですが、6月に心房粗動が1週間続いたことがありました。房室伝導がブロックされるので、脈拍は75から150の間で推移していましたが、心房は毎分300回の収縮を繰り返して居たわけです。その間も診療していたし、ボウリングの試合も出たりしていました。もう治らないかと思い、手術を決意した訳ですが、7日目に突然停止。その時、体が非常に軽くなったのを自覚して、ああやっぱりしんどかったのねと悟った次第でした。3泊4日で治療の予定です。せっかくのお盆休みですが、休診にする必要がないので自分としてもありがたいです。家でごろごろしてるか、病院で寝てるかの違いのようにも思うし(笑)。では、またみなさんお盆明けにお会いしましょう。
2015.08.10
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いつの間にか梅雨に入り、6月も終わろうとしています。結構筆まめなつもりだったけど、随分間が開きました。皆さん、お元気でしょうか?この数年、患者さんで身内の方を亡くされた方が少なからず居られます。長い看病の末だったり、晴天の霹靂だったり。多くは配偶者の事が多いですが、お孫さんを亡くされたと言う方も。肉親の死亡は最大のストレス。心身の調子が悪くなるのはあたりまえと言えるでしょう。お薬もお出ししますが、それ以外に私に出来ることは話を聞いてあげること。無理に励ますことは良くないと医学的には言われていますが、それでも最後にはいつも言ってしまいます。「何時かは元気になりましょう、それが亡くなった方の望んでいることですよ」ずっと前に、ブログの友人から紹介された動画を思い出して検索してみました。名前も内容も適当だったけど、探せば見つかるものですね。「アニメ ・亡くなったひと・ 励ます ・前を向いてあるく」こんなキーワードで検索したら子宮癌で亡くなった奥様のことを綴ったブログでこのアニメが紹介されていました。当時かなり話題になったので見た方も多いかも知れません。梅雨のひととき、湿った心を温めたい時にどうぞ。それでは、今日も元気で!ウオーキングツアー
2015.06.28
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先日、私の数少ない友人の1人が高知からやってきました。彼とは、小学校、中学校が同じで、中学の時はバレーボール部に所属、私がエースアタッカー、彼がセッターでコンビを組んで、県の総体で優勝したこともありました。高校、大学は別でしたが、やっぱり2人共にバレーをしていたので、あちこちの会場で顔を合わせました。2人とも35才で結婚したので、子どもの年齢もほとんど同じ、彼は高知で体育の教員となりました。私は新婚当時高知の病院に勤務していたので、彼の新居に家族でよく遊びに行ったものでした。3年前、中学校のバレー部の同期会をした時も元気でした。脳卒中から復帰された監督の先生も交えて楽しい時を過ごしました。その彼が2年前に脳卒中になったのです。2年間休職し、やっとこの4月から復職するとのこと。右半身の不全麻痺が残り、言葉もゆっくりしか喋れないので、体育の教師としては無理ですが、支援学級の担任として復帰することになったとのことです。復職したら、しばらく遊びに来れないと言うことで、1人で特殊装置のついた車を運転して高知からやってきました。杖をつき、用心しながら足が上がっているのを確認しながら歩いていました。階段は少し怖そうだったので、手を貸しました。食事をするときには時々口の端からこぼれてしまうと言って、持ってきたタオルで口を拭いていました。身長は168cmですが、中学の時は走り高跳びで180cmを跳び、学校代表で陸上の試合にも出たことのある、バレー部で一番運動神経が良かった彼がそんな姿になったのを見ることは辛かったけど、それでも、よく生きていてくれたと涙が出そうになりました。左手1本で車を回して帰路につく彼を見送りました。また来いよ、私もまた高知へ遊びに行くよ。60才になったら中学校の同窓会もまたやろう。その時まで元気でいようなあ。そんな風に言い合って別れました。私にも持病があります。その持病は、脳梗塞を起こしやすい、心臓の病気です。脳梗塞は、私に起こっても不思議ではなかった・・・。何故彼だったのだろう?自分が健康であることのありがたさと幸運さをしみじみと感じました。この幸運を大事に使わないといけないなと思いました。さあ、今日も元気で!
2015.03.31
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年が明けてから、ずっとインフルエンザ台風が吹き荒れています。例年お正月明けは暇なのですが、今年はカルテがずらっと並びました。みな発熱の付箋が張ってありました。インフルエンザの診断に関する色々なことは、以前の日記に書いたのでそれを参考にしてください。大事なことは、テストで陰性と言うのは、その時に陰性と言うだけで、インフルエンザが否定出来る訳では無いと言うこと。翌日に陽性になることはざらにあります。そして、患者さんが周りに増えてくると、インフルエンザっぽく無い症状でもみなインフルエンザの事が多いです。印象として、今年のワクチンはよく効いています。ワクチン打ってインフルエンザに罹ってる人は沢山いますが、みんな熱が低い。38度を超える事は希で、殆どが37度ちょっとと言う人が多いです。まあ、それだから診断が遅れたり、その人達が感染源になったりするんですが。それでも、その個人にとっては症状が軽く済むのは有益なことですね。で、個人的なことになりますが、年末には腰の骨折騒ぎでご心配をおかけしました。結局クリスマス明けに、骨折は無いと判明、ギプスからコルセットに替えて、正月明けにはコルセットも外してボウリングを再開、1月中旬にはバレーボールも再開しています。すごい快復力でしょう。17日に、センターのチャンピオンを決める大会があったのですが、私ハンデ31を十二分に活用。自己ベスト2位のアベレージ196を出して、見事4位に食い込みました。予選6ゲームで、200以上が4つ、ノーミスが2つで、アベレージ196は立派な物だと自分でも満足でした。まあ、その後放心状態?自己ワースト記録を連発してるのですが。まあ、ハンデの多い低アベレージの人はこんなもんです。ま、こんな調子で元気ですので。それでは、明日も元気で!
2015.01.27
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あけましておめでとうございます。 30日、31日の午前中までは暖かく、天気予報で大荒れと言うのは、ほんまか?と思っていたのですが、夕方から風雨が強まり、みぞれ混じりの雨になりました。初詣や、帰省の皆様、十分に気をつけてください。29日の診療終了後、久しぶりに全員揃った家族で温泉に行く予定でしたが、いきなり娘がインフルエンザで高熱。丁度私の在宅の患者さんも熱を出したりして、私が娘の看病に残ることになりました。まあ、開業医の年末なんてそんなところです。娘も比較的早く元気になり、あまり手もかからなかったので、のんびり正月料理を作ったり、リビングやキッチンのワックスがけをしていました。腰は・・当初骨折と言われていましたが、1週間後にCTを撮影したところ明らかな骨折は無く、症状の改善も早いことから恐らく骨折では無かったと言うことになりました。ギプスをコルセットに変更し、新年からはコルセットもはずそうと思っています。後ろ向きにポールにぶつかって、前に弾き倒されて、恐らく車の追突→むち打ちと同じような状態になったのでは?と自分では推測しています。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。昨年、1昨年の正月は、嘱託をしている老人ホームでインフルエンザが流行し、元旦から走り回っていた記憶がありますが、今年はどうかそれは無いようにお願いしたいものです。それではみなさん、今年も元気で!
2015.01.02
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いつの間にか年の瀬である。年賀状を書く前に、喪中欠礼のハガキを集めてきて、住所録にチェックを入れる作業をしないといけない。今年も沢山喪中欠礼の案内を頂いた。その多くは、両親、祖父母のものだ。私の友人達が50歳前後だからなのだろう。確か、昨年は本人の喪中欠礼が来て、驚いたと共に悲しかった記憶がある。毎年GWには、大阪の服部緑地で開催される祝春一番コンサートへ出かけるが、その時に大阪時代の同僚に逢うのもひとつの楽しみだった。彼が肺がんになったと聞いたのが確か3年前だったと思う。今年行った時、昨年の秋に脳と骨に転移が見つかったと聞いた。どちらも小さかったし、脳は放射線を当てたと聞いた。彼と会うときは、毎回肉を食べる。今年はステーキハウスだった。「今年は僕が支払いますよ」と言うのを、「5年経って元気で居たら支払って貰うよ」そう言って私が支払った。来年も来るから、ちゃんと元気で生きていろよ。そんな風に別れた。11月に大阪に出張があったので、彼に連絡を入れた。返事が返ってこなかった。体調でも悪いのかなと思っていた。帰ってきてから何度か連絡を入れたが返事が無い。最後に送ったショートメールは送信不能だった。大阪時代の先輩にメールをしてみた。さすがにおかしいと思ったから。彼は9月に亡くなっていた。学年は私より3つ下だったけど、年は同じハズだった。まだ54歳である。彼の父親も、診察中に心筋梗塞で倒れてそのまま亡くなったと聞いた。早死にの家系だったかも知れない。面白い奴だった。辛い物が嫌いなのに、激辛カレーショップに付いてきて、大汗を流しながら食べていた。仕事が終わると、よく一緒にテニスをした。ラリーをするつもりが無くていきなり打ち込んでくる奴だった。CDを買わずに、いまどきアナログのレコードを、家の床が抜けるぐらい買っていた。女嫌いじゃ無いのに、何故か独身だった。病気になる前に付き合っていた女性と別れたと寂しそうにしていた。癌になっても、まだ煙草を吸っていた馬鹿野郎だった。そのくせ酒は飲めない奴だった。姉がやらないからと、母親の介護を1人でしている奴だった。今時、マツダのロータリーエンジンの車に乗っていた。親友と言うほどの間でなく、独身時代の数年を共有した友人と言う感じだったが、それでも、こんな風に気が付いたら居なくなっていたら寂しい。安らかに眠ってほしい。私はもう少しこの世で頑張って生きていくよ
2014.12.22
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お久しぶりです。春夏秋冬の日記みたいになっちゃったなあ。やっぱり忙しすぎるのと、何度も書いたけど足跡やメール機能が無くなったせいで他のお友達との交流がしにくくなり、更に業者やアフェリエイト野郎が増えたせいで楽天日記が自分に占めるウェイトが減ってしまいました。インフルエンザが流行り出しました。ここ数日、当院でも数人の患者さんが出ています。当初は成人でしたが、学童にも流行は広まったようです。ちょうどこの地区を挟むように、地区の西側と東側の小学校で流行っている模様。もうじきこの地区の子ども達にも来るのか、それとも終業式でいったん幕引きとなるのか?重ね重ね言いますが、今年ワクチンを打つのが遅かった人、来年は11月半ばまでには打ちましょう。早すぎて効果がなくなると言うことは絶対にありません。で、今日は別の話。「医者の不養生」という言葉があります。これ、結構使われます。たまに調子が悪いところを患者さんに見せると「医者の不養生ですね」って。結構傷つきます。多くのドクターは健康に気を遣っていると思います。酒もタバコも節制し(医者の喫煙率は職業別にすれば最下位と思う)、調子が悪ければ早めに薬を飲んだり。自分もそうしています。でも、それでも病気になるときはある。そして病気になっても休めないからです。本当は入院しないといけない重傷な状態なのに、注射を打ちながら診療してた先生も知っています。心筋梗塞になって、日曜日に緊急で心臓のカテーテル検査、処置(ステント留置)をして、月曜日の午後から診察してた先生もいます。普通なら1週間程度会社を休んでってケースです。多くの職員、患者さんを抱えた身では、病気でも休めない、それが実情。決して不摂生ではないし、不摂生が元で病気になったのでも無いと思います。鬼の霍乱・・のマシかな?私が大学病院勤務の時に、虫垂炎になって手術して入院していたときに、当時の教授が言った言葉です。「鬼じゃない!」って思わず叫んでしまいましたが(笑)。前置き長くなりました。実は、私現在負傷中です。大きな声では言えません(ってブログで書いてるけどさ)。18日の夜にバレーボールの練習をしていて、ネットを張る支柱に背中から激突。腰の骨を折ってしまったのです。正確に言うと、腰椎骨折。それでも翌日朝から仕事をして、昼休みに近所のドクターにギプスを巻いて貰い、その後また仕事。驚異的な快復力?19日の朝はベッドから起き上がるのに20分かかりましたが、今朝は20秒で起き上がる事が出来ました。今朝はまだすり足で20cmずつ歩いて居たのに、午後からはちょっと見腰が悪いとわからない程度に歩けるようになりました。それでも、体幹に力が入ると痛い。椅子に廃っていたり、立っていたりするときは良いのだけど、椅子からお尻がずれて体が斜めになるだけでも痛い(座面が滑りやすいので、お尻がつい前にいくのです)、立ち上がろうとして腰に力が入ると右の腰がピキッと痛みます。1人では靴下がはけません。咳をしても排便しても痛いです。ギプスをしているので、ズボンのボタンが届きません。白衣を脱ぐと、結構あられも無い恰好(ズボンのボタンを外してずらしているオヤジ)になってしまいます。まあ、遊びの最中の怪我なので、自業自得、そんな事で仕事を休んだり出来るわけもなく、家族への負担も出来るだけ軽くと考えています。でも、頑丈な私がたまに怪我したtり病気したりすると、家族が妙に優しくなるのが嬉しいです。家族なのね・・と実感がわいたりね。診療中、立ち上がったり、振り返って血圧計を取ろうとしたときに思わず顔がゆがんだりすることがあるかも知れませんが、どうぞほほえんで許してやってください。決して「不養生」とは言わないようにね(笑)。
2014.12.20
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10月12日、豊田勇造さんの14回目のライブ、無事に終了しました。折からの台風・・どうなるんだろうと心配しましたが、ギリギリのところで回避できました。翌日の西予のライブは中止になってしまったようで、主催者の方の心中を思うと何とも言葉がありません。でも、勇造さんはお元気で、これからもずっとツアーを続けてくれると思うので、何年か経てばそんなことも思い出になることでしょう。当院のライブは・・毎回来てくれていた方の数人が、種々の事情で来られないと。県外からの方も台風の影響で・・。おまけに、毎年準備を手伝ってくれるS君夫妻も、大阪の結婚式へ・・。そんな状況でしたが、準備には当院のスタッフの息子さんの同級生(高校3年生の野球部員)と言うピチピチの若い少年達が来てくれて(もちろん、バイト代は払います)、来れなかった常連さんが紹介してくれた新しい人も来てくれて(絶対来年も来ると言ってくれました)、台風になったので秋祭りが中止になったからと数年ぶりに来てくれた私の同級生とか。いつもと変わらぬ熱気が会場に溢れました。いきなり、マイクの前に立たず生で「ギターが友だち」を歌い始めた勇造さん、後で聞いたら、出て行った瞬間に生で歌ってみようって思ったそうです。こういうのがあるからライブは楽しいです。冷静に観察すると、勇造さんのつややかな歌声も、若い頃に比べると、少し高音がかすれたり、裏返ったり、でも、それも味となるような、本当に古酒のような味わいがあります。そして、ますます迫力を増してきたギター。あのギターに乗せて「平家物語」にメロディを付けて歌わせたら・・とはじめて来てくれた80歳の義父がそう言っていました。ラストのアンコールの「大文字」で会場が一つになり、リフレインを歌います。♪さあ、もういっぺん、さあ、もういっぺん♪火の消えるまえに♪さあ、もういっぺん、さあ、もういっぺん♪火の消えるまえに今年中止になった西伊予の人たちも歌っていることでしょう。さあ、もういっぺん!と打ち上げでは、早く帰る予定だった高校球児たちも、最後まで残っておじいさんの年齢になる勇造さんと熱心に話をしていました。バイト代なんて貰わなくても良いぐらい楽しかったと言っていたと後で聞きました。いつものように、我が家で泊まった勇造さんを駅まで見送り、列車がホームから出るときには、涙が出そうになります。勇造さんの笑い顔が、いつまでも瞼の裏に焼き付いています。来年また楽しく勇造さんと、そして皆さんと会えることを期待しておきます。ライブに来てくれた方、本当にありがとうございました。
2014.10.14
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この春、めでたく大学生となり福岡で生活するようになった長男が、お盆から帰省していたのですが、昨日福岡へ帰りました。8月12日、朝の9時に空港に着くと言う彼を、休日の朝にわざわざ早起きをして夫婦で迎えに行きました。遠くの方から、金髪で、花柄の短パンを履いたTシャツの青年が見えました。「おい、あれちゃうか?」と言う私に配偶者が「あれは違うわよ、あれはただのヤンキーやんか」と反論したのですが、まさにその「ただのヤンキー」が我が息子でした。金色の髪を灰色に染めたんだけど、洗ったらカラーが落ちて変な色になったそうです。お酒を飲めるようになった息子と夕食のテーブルを囲むのが楽しみでしたが、実際は昼過ぎまで寝て、午後から遊びに行って夜中まで居ないと言う生活で、あまり接点がなく少し寂しかったかな。でも、それなりに家族が揃ったと言う安心感があったし、弟や妹の送迎を車でしてくれたりもしたので、少しは役に立ちました。昨日のお昼は、末っ子と3人で、最後のランチを食べに近所の美味しいカレーショップに行ったのですが、寝起きで「スタミナ焼きカレー」なんぞ食べたのが効いたのか、帰りの車の中で「ウンチが漏れる〜そこのコンビニで降ろしてくれ〜」などとわめきだし、もう家がそこなんだからと説得して連れて帰ったら、無情にも家のすぐ手前の踏切が閉まり・・(ここはいったん閉まると中々開かない)、尻を押さえながら、近くの義父の家へ駆け込んで事なきを得たのでした。そう言えば小学生の頃、GWに来るまで旅行中、観光地の大混雑のコンビニのトイレを数十分占領して、外に怨嗟の列を作ったことを思い出しました。いつまでたっても、腹の弱いところは変わってないなあなど思いながら、帰りの荷物の中にお腹の薬を入れてやったりして。私が診療している間に、居なくなってしまってました。また正月には帰ってくると思うけど、少し寂しかったりします。でも、大きく成長している喜びの方が大きかったりします。ちゃんと進級出来るようにがんばれよ。
2014.08.30
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えっと、本日の日記も、先日のと同様に、職場のHpのブログに書いた記事の転載です。ここで紹介した本は、以前にもこのブログで取り上げたことがあるような気がする・・。最近、昔のことが思い出せなくなっているのでご勘弁ください。先日のこと、予防接種に入って来た12才の男の子が、泣きながら鼻をすすっていたので、この年になって予防接種が怖いのか・・と思っていたら、そうではなくて、待合に置いてあったマンガを読んで泣いていたそうです。彼を泣かせた本はこの本でした。村上たかしさんの「星守る犬」。私は見ていませんが、映画にもなったそうです。ペットロスと言うよりは、中年男と犬のロードムービーと言う感じの話ですが、確かに最後は切なくなります。で、この話続編があります。最初の話の冒頭と、続編の最後が繋がるんですよね。二つ合わせて読むともっと泣けたりします。純粋なペットロスの話がこれ。[つい最近ペットを亡くされた方に読んで欲しいです。巻末に付けられた風野楓さんの文章もすばらしい。待合室には、以前は週刊誌を中心に本を揃えていましたが、最近趣向を変えて、自分好みの本、患者さんに読んで欲しい糖尿病や死を見つめる本など置いています。滅多にないと思うのですが、待ち時間が長いとき、これらの本を味わっていただけたら嬉しいです。
2014.08.11
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ご無沙汰しています。もちろん、元気にしていますが、なかなかブログを書くヒマがありません。仕事である診療所のHPにブログを書き始めたので、どうしてもそっちが優先になり。まあ、実名なのでヤバイことは書けないんですけどね。楽天が疎遠になった原因は前から何度も書いているように、足跡機能やメッセージを送る機能が無くなって、ブログ友だちと交流しにくくなったこと、商売やアフィリエイト目的のブログがあまりに多すぎることが原因です。しかし私も古株になったのかなあ。昨夜の台風は、我が県で久しぶりに「台風」って感じでしたね。当院は、いつも台風の時に起こる自動ドアの下からの水の浸入に対して、ブルーシートを被せたり、内側にはバスタオルを敷いたりして対処していました。おかげでタオルが濡れる程度で、室内への水の浸入は無かったです。観葉植物の鉢が倒れて割れたのが唯一の被害でした。皆さんのところは大丈夫だったでしょうか?もし、被害に遭われた方が居られましたら、心よりお見舞い申し上げます。で、夜はボウリングの試合にも行けず(実際開催されたそうですが)、前から買っておいたDVDを見ていました。この作品です。これは、胃がん末期と告げられた初老の男性が、死ぬことを意識し、死ぬまでにやるべきことを考えて、淡々とそれを実行しながら死へ向かう様を、実の娘さんが撮影して映画にしたものです。全国ロードショーで上映されたので、知っておられるかたも多いと思います。タイトルの通り、自分の死へ向かって、やるべきことを着々とやっておこうと言うのが主題なのかも知れません。実際、このこの映画の影響か?巷ではエンディングノートなる商品が売られています。まあ、それは大事なことなのでしょうけども、私はこの映画を別の観点から見ました。それは、最後まで人間らしく、家族の愛に包まれながら死んでいくことが、いかに美しいかと言うことです。最近、在宅死と言う言葉をよく使います。当院の待合室にも「在宅死のすすめ」と言う本を置いてあります。こういう言葉が溢れてくると、家で死ぬことが善で、病院で死ぬことが悪いように思われがちですが、果たしてそうでしょうか?この映画の主人公は病院で最後を迎えます。抗がん剤の点滴だって受けています。片方では、家族が用意した有機栽培のニンジンジュースもごくごくと飲みます。最後が近づくと、長男と一緒に死後にやるべきことを確認し合い、家族に声をかけ、孫たちを抱きしめ、自分より後に残る90歳を超えたお母さんに携帯で電話をかけてお別れを言います。そして最後は、他の家族を外に出して、奥さんと二人きりになり、「愛しているよ」とはじめて口に出したのです。死の病を宣告されたとき、勝てないかも知れない戦とわかって病気と闘ってみるのも悪いことではありません。でも、その一方その撤退時期を主治医とともに見つめて、死への準備をする。家族にきちんと別れを告げながら、家族に包まれて死んでいく。それが出来るなら、病院であろうと在宅であろうと、死ぬ場所は関係ないのだろうと思います。確かに、病院で人間らしく死のうとしても、患者さんの自由にさせてくれない現状もあるでしょう。この映画では、主治医のドクターが回診に来て「まだ腎臓のクレアチニンの数値は大丈夫ですよ」なんてお間抜けなことを言っていました(虎の門病院の先生ごめんなさい)。私ならこう言うでしょう。「あなたの主治医にさせて貰って幸せでした、ありがとうございました。」実際私は映画を見ながら心の中で叫んでいました。しかし、患者さんが主治医とよく話し合っていけば、これからの時代は変わっていくと思います。ホスピスじゃない、普通の病院でも患者さんが人間らしく死んでいくお手伝いをしてくれる時代が遠からず来ると信じています。どこで死を迎えるかと言うよりは、どんな風に死を迎えるか、どんな風に死に向かう家族を送り出すのか。大事なのはそういうことだと思います。なくなった人が戻ってくると言うお盆に、そんなことを考えるのも良い物だと思いました。
2014.08.10
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ご無沙汰しています。もうすっかり春ですね・・って思っていたら、関東では真夏日になったとか!一気に初夏か・・と思うも、夜は肌寒いです。GWは例年通り、バレーの試合→祝春一番と言うコースでした。癌になった友人とも再会出来ました。新しい音楽の出会いもありました。楽しい休日でしたね。ハルイチは4日と5日の参加でした。4日はメチャ暑く、5日は齒がガタガタとなるぐらい寒かったです。こんな極端なのは初めてだなあ。今年のハルイチのステージは、今まで少し変わっていました。ステージの上に楽屋のようなものがあって、そこでスタッフが歌を聴いたり、酒を飲んだりするのが観客席から見えるのです。これは恐らく、紅白歌合戦のゴールデンボンバーのステージをぱくったのだと思います。ハルイチの魅力は何度も書きましたが、出演者が観客席でのんびり見物していたり、その日の出番でない出演者が飛び入りで別の出演者の時に飛び入りしたり、普段見られない大勢のコラボが見られたり、知らなかった新しい音楽に出会える事です。3日の白眉は大トリのリクオ。ヘイトスピチに対する激しい怒りのアジテーションから始まりました。「俺はそんな奴らに言いたい。お前ら、ハルイチに来い!そして楽しい時間を過ごして、友だちを作れ!そして31日の俺のワンマンライブに来い!そういうオチや〜〜」そして何曲かやったあと、ステージに若いミュージシャンを呼びます、「紹介するよ、キムウリョン!」おお、実は・・このキムウリョンと言う人、3日の昼間に出演したのですが、初めて聞く人だけど、凄く良いなあっと思っていたのです。新しい出会いだったんですね。カットマンブーチェと言うグループで活動していた人らしいです。ハスキーボイスで、ソウルフルな歌を唄う人でした。彼がコーラスを付けて、ハモニカを吹きながら、リクオは新アルバム「ホーボーソング」から「光」と言う歌を唄いました。彼のCDは物品販売売り場に無かったので、帰ってきてアマゾンで買っちゃったんだよね。そして最後のアンコール!大勢の人が舞台に呼ばれます、ジャズの坂田明、大塚まさじ、アズミなど、「もう出て来たい奴は全部出てこいや〜」って感じで、その日の、いやアズミや大塚さんは別の日の出演者でしたから、とにかく大勢の人が出て来ました。そして坂田明のイントロから始まる「アイシャルビーリリースト」!もちろん、日本語の歌詞で。大塚さんの歌詞ともちょっと違う。心が熱くなるステージでした。こういうのがあるから、ハルイチ止められへんわ〜〜。自由で伸び伸び、大人のライブって感じですね。主催者の風太さんも、結構なお年になってきましたが、このライブが存続する限り通いたいと思います。
2014.05.10
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4月1日より、無事に大学生になることになった長男は、先週の土曜日に無事に福岡に旅立って行きました。配偶者様とカズが一緒に行って、引っ越しの手伝いをしたようです。寮なので、エアコン、冷蔵庫、机、ベッド、ある程度の収納などは備え付けであり、引っ越しは自宅よりの段ボール7箱と、ニトリから直接発送してもらった布団などで、比較的簡単に終わったと思います。トイレと風呂が共同なのが、トイレの長い長男にとって心配ですが、2食の食事がちゃんと付いて、月5万円程度で済むので懐の痛んだ両親に取ってはありがたいことです。学校からも近いしね(近すぎるぐらいだ・・)最近は便利になっているようで、フェイスブックで事前に同じ学部に推薦入学で入った人のコミュニティと言うのがあるようで、そこで事前に知り合った新入生達と昨日の夜は夕食を食べに行ったようです。恐らく水を得た魚のように一人暮らしを楽しんでくれるでしょう。我が家は今日から4人で食卓を囲んでいます。今まで長男が座っていた場所にはカズが座っています。順位付けで我が家で一番上位に居ただろう彼が居なくなって、トミも何だかきょとんとしています。でも、1日中寝てるけど。やがて何年かしたら、長女もカズも1人ずつ子どもたちは家を出て行く事でしょう。嬉しいと思いながら、何か寂しいですね。でも、またいつか子ども達は逞しい大人になって家に帰って来ることでしょう。そうやって、家族は再構成していくのだと思います。明日から新年度です。明日も元気で!
2014.03.31
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うちの両親が墓地を買ったと言うので見に行きました。父親は次男なので、自分が死んだときに初めてのお墓を建てることになります。数年前にも買おうとしたときがあったのですが、その時は途中で気分が乗らなくなって止めたことがありました。死ぬときのことを考えると憂鬱だし、実感もなかったのでしょう。昨年、妹や私の義母が自分よりも年下で亡くなったこともあり、少しずつ実感がわいてきたのでしょうか?あまり坂の多いところだと、年寄りが墓参りに行くのはしんどい。自分たちの家と、私の家とどちらからも行きやすい場所で・・色々考えた末に選んだみたいです。「墓地は買ったから、お墓はお前が建ててくれよな」と言われました。ようがす、建てますとも。最近はお墓も色々デザインがあって、この墓地も自由にデザインして構わないそうです。刻む文字も、皆さん様々ですね。○○家の墓と言うありきたりなもの、「ありがとう」と言うベタなもの、少し難しそうな漢字を刻んだものなど。私が刻む文字は、「雲遊天下」にしたいと思っています。これは勇造さんの歌のタイトルですが、中国の故事から取った言葉でもあるみたいです。そして、その下に「生き急ぐことはない、死に急ぐこともない」と入れようかな。これも勇造さんの歌の歌詞なんですけどね。しかし、よく考えて見ると、墓って本当に要るのか?って思ったりします。タイは仏教国ですが、お墓はない。後に残るのは写真だけと言います。もちろん、インドも川に流してしまうのでしょう。自然に帰ると言うのも良いのではと思います。先日、臨床内科医会の市民公開講座がありました。「私のリビングウィル」と言うタイトルで、3人の先生が講演をしました。3人目の先生は、宗教学者でしたが、最後に自分のエンディングのことをお話しされました。葬式はしない、墓は作らない、骨は残さないと3無い方式らしいです。じゃあ、骨はどうすんの?と言うと、粉にして一握りずつ、自分のゆかりの場所に撒いて貰うらしいです。一握り散骨と言い、奥さんに納得して貰うのに8年かかったとのこと。骨を砕くために、自分が愛飲しているウイスキー「オールドパー」を1本だけ空けずに残しておくので、その分厚い底で骨を砕いてくれとお願いしてあるそうです。人それぞれ考えや思いはあると思いますが、死が迫ってきてからでは無く、元気な時から死を意識してその準備をしつつ暮らしていくことも大事だなと思った次第です。皆さんは、自分のエンディングノートを作っていますか?では、明日も元気で!
2014.03.15
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何を隠そう、いや何も隠さないけど昨年末に、ガラケーからiPhoneに変えた。別に私は、メールと電話ぐらいしか携帯を使わないのでガラケーで良いのだけど、Appleが好きで、パソコンもiPadも持っているのに、iPhoneだけ持ってないのが悔しくて、ずっとドコモから発売されるのを待っていたのだ。で、iPhoneになってもメールと電話ぐらいしか使わないので、電池も5日に1度ぐらいの充電で良いのだけど、ひとつ気づいたのは、iCloudで同期出来るので、電話帳もミュージックもスケジュールも、どれかのデバイスを一つ更新すれば全部同じように更新されるのが便利ですな。で、今日はiPhoneの別の話だけど、これには音声で仕事をしてくれるSiriと言うソフト(アプリ?)が入っている。例えば、「家に電話をかける」と言うと、「家に電話をかけています」と言いながら、ちゃんと電話をかけてくれるのだ。指で番号を押したり、連絡先を検索しにくいときに便利だけど、結構杓子定規な女性なので、正確に言わないと正確に反応してくれない事が多い。今日の昼休み、思いついてSiriと遊んでみた。「お名前は?」「私はSiriともうします。」「男性ですか女性ですか?」「その質問は、どうでも良い事のように思います」「何か歌を歌ってください」「私には歌は歌えません」「歌ってほしい」「私が歌えないのはご存知のはずです」「○○さんの事は好きですか?」「それは私にとってどうでも良いことです」「大好きです、愛してます」「それはどうも」「あなたの事がもっと知りたいです」「それには時間が必要です」どうですか?おもしろでしょう。自分の携帯にはアプリは数えるほどしか入れてないけど、これだけで十分に遊べると思う。でも、人がいないところでやらないと、変な人と思われますけど。思いついて、検索してみた。自分と同じ事を考える人はたくさんいるみたいですね。日本語Siriさんとのすごい会話まとめいや〜笑えるわ。
2014.02.24
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ソチオリンピックも終わりですね。夏のオリンピックに比べて、選手の表情や体のライン(躍動する筋肉)が見えない、器具に影響される部分が大きいなどの理由で、どうも自分の中では冬のオリンピックは引いてるところがあるのですが、それでもついつい画面に引き込まれながら夜更かしをしてしまう毎日でした。勝者にももちろんドラマがあるが、敗者にもっとドラマがある。いつもそんな風に感じます。初めてのオリンピックでメダルを取ったスノボの若い2人や、フィギュアの羽生君は、挑戦者の立場でプレイ出来だと思います。プレッシャーを楽しめるように昇華出来たのでしょうね。もう1人スノボのメダリストの女性はベテランですが、活躍していた割には日本での事前報道は少なく、ある意味他人の期待度は少なく、プレッシャーはもちろんあったにしても、比較的少なかったのではないかと思います。それに比べて、前回銀メダルを取って、今回金を期待されていた浅田選手のプレッシャーは想像を絶するものだったに違いありません。もうちょっと放って置いてやれよと思ったのは私だけではないでしょう。メンタルが弱いと言われたらそれだけかも知れませんが、加熱する報道や期待が彼女の足を引っ張ったのは想像に難くありません。そんな中で、2大会メダルを取ったキム・ヨナ選手は見事でした。そして、浅田選手の最後の演技。メダルの圏内から外れてプレッシャーから解放されたから良い演技が出来たと言う意見もあるでしょうが、私はそうは思いません。彼女は周りのプレッシャーを、これまで支えてくれた全ての人への、そしてスケートの神様への感謝の気持ちに昇華させたのだと思います。点数は別として、その演技は素人の観客のみならず、他の一流スケーターも感動させるものでした。本当にこれで最後かな?葛西選手のように、レジェンドになるまでやって欲しいなとも思うのでした。いや、もう既にレジェンドになったかも知れないけれど。では、明日も元気でいきましょう!
2014.02.24
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正月が過ぎ、急に寒くなりましたが、楽天日記の友人の皆様、お元気でしょうか?10月に配偶者様のお母さんが亡くなり、喪中のために我が家のお正月は、淡々と特に祝い事もせず過ごしておりました。恒例の家族の集合写真も今回は無しです、ご容赦を。子ども達のお年玉も中止かと思いましたが、そういう訳にはいかず、財布が軽くなった分、増えた体重が軽くなりました。まあ、自分としては、お祝いとまではせずとも、普通に他の者が元気にやっていることを祝い合っても良いかなと思うのですが、彼女の気持ちもあるし、世間のしきたりはメンドイですね。今年は土日を挟んでいるため、正月休みが多いようですが、既に私は4日に仕事始めを経験しております。その上、31日、1日、3日、4日と往診(嘱託をしている施設でインフルエンザが流行ったため)に出かけたし、どこが休み?と言う感じの生活をしています。今日は、この春に大学生になるヒロキを連れて、彼の入学式用のスーツを購入に行きました。黒い(最近の学生は、紺より黒が多いそうです)スーツと、シャツ、ネクタイ、靴、ベルトなど上から下まで一式揃えてやりました。子どもが大人になっていくのを目の当たりに感じた気がして、なんか嬉しくてじ〜〜んと来てしまいました。まあ、せっかく大人になった彼とも県外に行くために4月にはお別れなのが寂しいですが、また更に大人になって帰ってくる事を楽しみにしています。今年の目標(仕事以外の私的なもの)ボウリングのアベレージを180台にする(現在160台)。貯まったCDやDVD、本を消化する。 (推定 CD10枚、DVD8枚、本30冊)体重を8kg減らすこんなあたりかな?この楽天日記も3月で11年目に入ります。結構古株になってきたのかな?最近とんとご無沙汰なのは、忙しいのもあるし、書きたい趣味のことなどは、結構書き尽くした感じもしてるけど、何より、足跡機能、メール機能が無くなって、お友達と交流がやりにくくなったのが一番の原因です。コメント書いて無くても、足跡が付いてるだけで、来てくれたんだ〜元気なんだなって思えるのに、それがないとねえ。訪問するのと、コメントを書くことの間には結構距離があるのでね。って、随分前から文句言ってるのに、一向に楽天さんも改善してくれる気配がないのよね。そういうこともあり、嫌になってる部分が大きいです。かと言って、他のブログにうつるのも大変だし、新しいブログのURLを親しい人に知らせることさえ出来ないんだよね。最近は、自院のHPにブログを書いてるので、そっちの方がメインになってるかも知れません。まあ、実名だし、院長としての立場で書いてるので、好き勝手を書くわけにはいかないんだけどね。そんな訳で、日々足が遠のきがちの楽天日記ですが、何とか今年もやっていこうと思うので、これまで同様によろしくお願いします。では、今日も元気で!
2014.01.05
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来年の正月、我が家は喪中である。10月に配偶者様のお母さんが亡くなったのだ。僕ら2人の親たちは、合計4人が健在だったが、これで1人欠けたことになる。お葬式も近親者で、無宗教で行った。従って戒名もないし、だから四十九日なんてのも無いのだ。でも、喪中は喪中であって、喪中欠礼のハガキを知り合いには出した。そして、知り合いからも結構な数の喪中欠礼のハガキが帰ってきた。親の年代が、色々病気になって亡くなる人が多くなる年代なのだろう。その中に、大阪の勤務医時代に1年間だけ一緒に仕事をした先生のハガキがあった。誰が死んだのか?と思ったら、差出人が奥さんで、亡くなったのはその先生自身だった。僕より10歳程度年上だったので、60歳前半のはずだ。そして知り合った頃は、お互いに子どもがまだ居なかったので、うちの長男と同じ世代のはずだ。そんな年齢で亡くなるのは、事故か癌か、心臓血管死か・・・。でも、最近はなかなか心臓では死ねないよなあ。そんな事を思いながら、消息が知りたくて、大阪時代の友人に電話をしてみた。彼はその先生のことを殆ど覚えていなかった。もちろん消息も亡くなった事も知らなかった。風来坊のように、全然毛色の違う病院からやってきて、やっぱり肌が合わないと1年で辞めた人だったから。でも、面倒見の良い人だったし、僕は机が隣だったこともあり、大阪を離れて以後会うこともなかったが、それでも年賀状のやりとりをしていた。長男が生まれた時には、洋服を送ってくれた。そしてもうひとつ。消息を聞いた先生は、2年前に癌が見つかり手術をした人だったが、この秋に脳と骨に転移が見つかったそうだ。抗がん剤を飲み始めたと言う。今は無症状だけど、そりゃあ、元気では居られないよ・・と言う。彼は僕と同じ年だ。彼とは、放課後にテニスをしたり、僕と同じように音楽を聴くのが好きなので、2人でレコード屋を回ったり、一緒によく遊んだ。大阪を離れても一度遊びに行った事があるし、この2年はGWにハルイチに行く時には必ず彼と会っていた。人は皆死ぬ。人間の死亡率は100%ですと言ったのは養老孟司先生だが、僕だって当たり前に知ってるその事実を、今日はのど元に突きつけられたような日だった。
2013.11.25
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今日はPTAのミックスバレー大会でした。昨年と同じく、2回戦で敗退。衰えを感じた1日でした。夕食は、ヒロキとカズを連れて駅前のホテルへ。以前から開催されていた、サーロインステーキ食べ放題に行きたいとカズからの申し出があったからです。女性軍は遠慮しておくとの事でした。今朝、別のホテルでバイキングの朝食を食べたカズ。カレーとスパゲティとオムレツとコロッケを食べていたのでした。これがその時の写真。で、意気揚々とレストランへ着きました。小学生は幾らですか?と尋ねると、子ども料金は設定されてないとのこと。そりゃそうでしょう。子どもがサーロインステーキ食べ放題に来るとは思えない。カズの目が据わっていたので、大人3人分の料金を支払ってスタートです。出て来たのはこんなステーキ。国産なのか、外国産なのかわかりませんが、厚みがそんなに無いので食べやすかったです。これにご飯、パン、サラダ、スープがついて食べ放題。注文したら、速攻で焼いて持って来てくれるので、熱々です。結局3人とも5枚ずつ食べました。まあ、その辺で限界ですわ。お金を払う時に聞いたら、大人の男性が4枚程度が平均、今までの最高は10枚だそうです。明日あたり痛風発作でも起こらなきゃ良いんだけど。しかし、カズの根性はすごいですな。帰って来てからお菓子食べてましたから。肥満健診にひっかからないようにしろよ〜〜。しかし、患者さんには、美味しい物、高い物を少し食べるようにしましょうと指導しているのに。元をとらなあかんと思うのは、貧乏人の性やなあ。中年になって食べ放題は避けておいた方が良かったかもね。
2013.10.27
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10月13日、今年で12回目となる豊田勇造さんのライブが、ひろこ漢方内科クリニックの「はっぴぃ夢ホールで開催されました。ずっと11回目だと思っていて、今年のライブのタイトルも「11回目のスタート」にしたのに、翌日に勇造さんと一緒にこれまでのポスターを眺めていて、12回目だったと気づいた次第。勇造さんと逢うのは2年ぶりで少し緊張しましたが、駅の改札でいつものようにしなやかな勇造さんの笑顔を見て握手をした途端その心配も杞憂だったとことがわかりました。今日のライブは、はっぴぃ夢ホールのこけら落としのライブでもあります。ライブコンサートと言っても全て手作りです。パイプ椅子を並べ、音響は宅急便で送って来たPAを勇造さんにセットしてもらい、ステージの後ろに幕を張り、観葉植物を並べました。CDやTシャツなどの物品の販売コーナーや、珈琲コーナーも作ります。徳島の有名珈琲店、「カフェケストナー」さんが、毎回やって来てくれます。ご自分もライブを楽しんでいるようです。今までの常連さんが多かったですが、はじめて見る顔もちらほら。勇造さんの弾くギターに驚き、人柄に掘れ、歌に心を揺さぶられたと思います。1部はブルーのTシャツで、2部はエンジのTシャツに着替えて、普段より2曲多い14曲を歌って頂き、アンコールも2曲歌ってくれました。最後はやっぱり代表曲の「大文字」。リフレインの「さあ、もういっぺん、さあもういっぺん、火の消える前に」を全員で何度も繰り返し、歌った人みんな、心の中にある火を絶やさないように、リフレインを一緒に歌ったのでした。年頃で、普段あまりリビングにも出て来ない娘が、ずっと手伝いをして音楽を聴いていたし、昔は勇造さんに付いて回って、帰る時には泣いていたりした息子は、塾を早く切り上げて帰って来たりして、ライブは家族が集まる場にもなったのでした。翌日、愛媛へ向かう勇造さんを徳島駅のホームで見送りました。いつものように記念撮影をして、握手をして別れました。「また来年!」勇造さんはさわやかな笑い顔を私たちの心に残して去って行きました。やっぱりライブは良いものです。音楽を聴くだけではなく、何かを作り出す喜びがあります。これからも勇造さんが歌い続ける限り、ずっとライブを続けていこうと思います。[
2013.10.15
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