第百一段
【本文】
むかし、左兵衛の督なりける在原の行平といふありけり。その人の家によき酒ありと聞きて、上にありける左中弁藤原の良近といふをなむ、まらうとざねにて、その日はあるじまうけしたりける。なさけある人にて、かめに花をさせり。その花の中に、あやしき藤の花ありけり。花のしなひ、三尺六寸ばかりなむ、ありける。それを題にてよむ。よみはてがたに、あるじのはらからなる、あるじしたまふと聞きて来たりければ、とらへてよませける。もとより歌のことは知らざりければ、すまひけれど、しひてよませければ、かくなむ。
咲く花の 下にかくるる 人おほみ ありしにまさる 藤のかげかも
「など、かくしもよむ」と言ひければ、「おほきおとどの栄華のさかりにみまそかりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる」となむ、言ひける。みな人、そしらずなりにけり。
【注】
〇左兵衛の督=六衛府のひとつ兵衛府は、宮中の警護や行幸の警備などをつかさどる役所で左右の二府に分かれるが、その左衛府の長官。
〇在原の行平=平城天皇の皇子阿保親王の第二子。業平の同母の兄。平安時代初期の高官で、『古今和歌集』の歌人。一族の教育機関である奨学院の創設者。斉衡二年(八五五)因幡守となり、のちには中納言になった。
〇上=清涼殿の殿上の間。
〇左中弁=太政官に属する官名。左右の弁官局それぞれに大弁・中弁・小弁を設置した。中務・式部・治部・民部の四省の文書のことをつかさどる左弁官局の二等官。
〇藤原の良近=平安時代初期の貴族。宇合から五代目の子孫。
〇まらうとざね=主賓。客の中で、おもだった人。
〇あるじまうけ=もてなし。御馳走。
〇なさけ=風流を解する心。みやび心。
〇かめに花をさせり=正岡子規「かめにさす藤の花ぶさ短かければ畳の上にとどかざりけり」。「かめ」は花瓶。
〇あやし=珍しい。風変りだ。
〇藤の花=『例解古語辞典』によれば、「藤」は、平安時代、藤原氏の隆盛に伴い、藤原氏にゆかりある花として、愛好された。
〇しなひ=しなやかにたわんでいる花房。『枕草子』「藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし」。
〇よみはてがた=歌を詠み終えるころ。
〇あるじ=主人。主催者。
〇はらから=同じ母から生まれた兄弟姉妹。
〇しふ=無理やり勧める。
〇ありし=昔の状況。
〇藤のかげ=藤の花の陰と藤原氏の恩恵の意をかける。
〇など=どうして。
〇おほきおとど=太政大臣。大宝令の制度で太政官の最高の官である左大臣の上に立ち、天皇の師となるような有徳の人が就任する最高顧問のような職。平安時代には、ほとんど藤原氏から選ばれた。ここでは藤原良房をさす。
〇栄華のさかり=時勢に合って勢いが盛んなこと。
〇みまそかり=いらっしゃる。『例解古語辞典』(三省堂)によれば、「おはします」より一段低い尊敬語らしい。
〇藤氏=藤原氏。
〇ことに=格別。
〇栄ゆ=繁栄する。勢い盛んである。
〇みな人=その場にいる人全員。
〇そしる=非難する。悪く言う。
【訳】
むかし、左兵衛の督だった在原の行平という人がいた。その人の家にうまい酒があると聞いて、殿上の間にお仕えしていた左中弁の藤原の良近という方を、主賓として、その日は酒宴を開いたのだった。みやび心のある人だったので、花瓶に花をさしてあった。その花の中に、珍しい藤の花があった。花房が、三尺六寸ほどもあった。それを題として歌を作ることになった。列席者がひとおおり作って歌を詠み終えるころに、主人の弟にあたる者が、酒宴をなさっていると聞いてやって来たので、つかまえて作らせた。もともと歌を作ることにかけては不案内だったので、辞退したけれども、むりやり詠ませたところ、こんなふうに詠んだ。
咲く花の下に隠れる人が多いので、かつてにまさる藤の陰だなあ。
「どうして、こんなふうに詠んだのか」と言ったところ、「太政大臣の栄華の絶頂期に遭遇して、藤原氏が格別に繁栄なさっていることを考えて作った」と言った。その場の列席者はみな、難癖をつけなくなったとさ。