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【本文】故源大納言、宰相におはしける時、京極の宮すどころ、亭子の院の御賀つかうまつりたまふとて、「かかる事をなむせんとおもふ。ささげもの、ひとえだせさせてたまへ。」と、きこえたまひければ、鬚籠(ひげこ)をあまたせさせたまうて、としこにいろいろにそめさせ給ひけり。【注】・故源大納言=源清蔭。陽成天皇の皇子。884…950年。彼が宰相(=参議)だったのは925…939年。・京極の御息所=尚侍藤原褒子。藤原時平の娘。宇多天皇の退位後にお仕えし親王を三人生んだ。・鬚籠=編み残したさきがヒゲのように出ている竹細工のかご。・としこ=俊子。大江玉淵の娘で、藤原千兼の妻。千兼と清蔭は義兄弟。【訳】いまは亡き源大納言さまが、参議でいらっしゃった時、京極の御息所さまが、宇多上皇の六十歳のお祝いをして差し上げるというので、「こんなことをしようと思います。プレゼントを容れる籠に造花の枝をつけるので、作らせてください。」と申し上げたので、ヒゲコを沢山つくらせなさって、俊子に命じて色とりどりに染めさせなさった。【本文】しきもののおり物ども、いろいろに染め、縒り、組み、なにかとみなあづけてせさせたまひけり。【訳】ヒゲコに敷く織物を、色々に染め、縒り、組み、なにかにつけ、俊子に任せて用意させなさった。【本文】そのものどもを、九月つごもりに、みないそぎはててけり。【訳】その品々を、九月末日に、残らず急いで完成させた。【本文】さて、その十月ついたちの日、この物、いそぎ給ひける人のもとにおこせたりける、(*) ちぢのいろに いそぎしあきは すぎにけり いまはしぐれに なにをそめまし その物急ぎ給うける時は、まもなく、此よりも彼よりも云ひかはし給うけるを、それより後は、その事とやなかりけむ、消息せうそこもいはで、十二月の晦日になりにければ、 かたかげの船にや乘りし白浪の騷ぐ時のみ思ひ出づる君 かたかげの ふねにやのりし しらなみの さはぐときのみ おもひいづるきみ となむいへりけるを、そのかへしをもせで、年越えにけり。【訳】そうして、その十月一日に、この用意した品物を、急いでおられた人の所に届けさせた、(俊子がその品物に添えて詠んだ歌) 色とりどりに急いで木々の葉を染めた秋は過ぎてしまった。いまは冬の十月を迎えて染めるものも無いので、時雨れによって何を染めたらよいのかしら。 その品物を急遽必要となさていた時には、ひっきりなしに、当方からもあちらからも連絡を取り合っておられたのに、それ以後は、そんな事も忘れてしまったのだろうか、手紙のやりとりも無く、十二月の末になってしまったので、俊子が、 片帆を掛けた小舟にでも乗っているのでしょうか、白波が騒々しい時だけ私を思い出すあなた。と詠んで贈ったが、源清蔭は、その返事もしないうちに、その年も越えてしまった。【本文】さて、きさらぎばかりに、やなぎのしなひ、ものよりけにながきなむ、この家にありけるを折りてあをやぎの いとうちはへて のどかなる はるびしもこそ おもひいでけれ とてなむ、遣り給へりければ、いと二なく愛でて、後までなむ語りける。【訳】そうして、翌年の二月ごろに、柳の枝で枝垂れて、ひときわ長いのが、この家にあったのを折りとって、それに源宰相が 糸のように細長い青柳の枝が長々と伸びた、のどがな春の昼間になって、やっと大役を果たしてた安堵感から、あなたのことを思い出しましたよ。と詠んだ歌を書いた手紙を結びつけて、お送りになったところ、俊子は、このうえなく称賛して、後々までこの出来事を語ったとさ。
September 26, 2010
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【本文】帝、おりゐ給ひて、またのとしのあき、御ぐしおろし給ひて、ところどころ山ぶみし給ひて、おこなひたまひけり。【注】・帝=ここでは、宇多上皇。・御ぐしおろし=かしらおろし=頭髪をそって出家すること。・山ぶみ=山歩き。山には寺や神社がある。【訳】帝が退位なさって、翌年の秋、頭を剃って出家なさって、あちこち山歩きなさって、仏道修行なさった。【本文】備前の掾(ぜう)にて、橘良利(たちばなのよしとし)といひける人、内におはしましける時、殿上にさぶらひける、御ぐしおろしたまひければ、やがて御ともにかしらおろしてけり。【注】・掾(じょう)=地方の三等官。【訳】備前の国の三等官で、橘良利と言った人が、帝が宮中にいらっしゃった時分、殿上人としてお仕えしていたのだが、帝が頭を剃って出家なさると、すぐにご一緒に頭を剃って出家なさった。【本文】人にもしられたまはで、ありき給ひける御ともに、これなむおくれたてまつらでさぶらひける。【訳】人にも知られなさらぬように、各地の山を歩きなさるお供として、このかたが遅れ申し上ることなく、ぴったりと付き添っておそばにお仕えした。【本文】「かかる御ありきしたまふ、いとあしきことなり。」とて、うちより「少将、中将、これかれ、さぶらへ。」とて、たてまつれたまひけれど、たがひつつありきたまふ。 【訳】「こんなふうに出歩きなさるのは、大変よくないことです。」というので、宮中から「ボディーガードとして少将や中将など、あの者もこの者も、帝を警護せよ。」といって、差し向け申しあげなされたが、相変わらずおかまいなしに山歩きなさった。【本文】和泉のくににいたりたまうて、日根といふところにおはします夜あり。【訳】あるとき、和泉の国にお出ましになって、日根というところにおいでになった夜のことです。【本文】いとこころぼそう、かすかにておはします事を思ひつつ、いとかなしかりけり。【訳】帝がとても心細く、さびしそうにしておられるのを、橘良利をはじめ従者たちは、どうしたものかと考えながら、とても悲しくせつなかった。【本文】さて、「日根といふことを、うたによめ。」とおほせ事ありければ、この良利大徳(だいとく)、 ふるさとの たびねのゆめに 見えつるは うらみやすらむ 又ととはねば とありけるに、みな人泣きて、えよまずなりにけり。その名をなん、寛蓮大徳といひて、のちまでさぶらひける。【注】・「たびね(旅寝)」という文字列の中に、地名の「ひね(日根)」が詠み込まれている。【訳】ところで、「日根という地名を、和歌に作れ」と、帝よりご命令があったので、この良利大徳が、「故郷が旅寝の夢に見えたのは、私を恨んでいるのであろうか、出家して二度と帰らない決心をしているわけだから」と詠んだところ、その場にいた者すべて泣きだして、あとの人は和歌を詠めなくなってしまった。良仁は、出家してのち、その名を寛蓮大徳といって、帝がお亡くなりになったのちまで、長生きして帝の後世を弔ったとさ。
September 25, 2010
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【本文】亭子院(ていじ)の帝(みかど)、いまはおりゐたまひなんとするころ、弘徽殿(こきでん)のかべに、伊勢の御(ご)の書きつけける、 わかるれど あひもをしまぬ ももしきを 見ざらむことの なにか悲しきとありければ、みかど御覧(ごらん)じて、そのかたはらにかきつけさせたまうける、 身ひとつに あらぬばかりを おしなべて ゆきかへりても などか見ざらむ となむありける。 【注】・亭子の帝=宇多天皇。菅原道真を登用して藤原氏の台頭を抑え、政治を 刷新した。のちに醍醐天皇に位をゆずった。在位887…897年。退位後、住まわれた邸宅が亭子の院。・弘徽殿=後宮の一。皇后・中宮・女御などの居所。・伊勢の御=平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。伊勢守藤原継蔭(ふじわらのつぐかげ) の娘。中務(なかつかさ)の母。宇多天皇の寵愛(ちょうあい)を受け行明親王を産んだ。・わかるれど=天皇が譲位なさると、その妃たちも宮中を去るのが当時の習慣だった。【訳】宇多天皇が、天皇の位から降りなさろうとする頃に、弘徽殿の壁に、伊勢の御が書きつけた歌、 別れることになったが、殿方とは異なり会うことも惜まない、いつでも目にすることのできた宮中を、見なくなるであろうことが、どうしてこんなに悲しいのでしょうか。と詠んだところ、天皇がその歌をごらんになって、そのそばにお書きつけになった歌、 皇居を去るのはわが身一つだけではないが、私の妃だった方たちのことは全て、季節が過ぎゆき新しい年が立ちかえっても、どこに住まわれようと尋ねて行き、面倒を見ないことがあろうか、いや、面倒を見ますよとお詠みになった。そんなに宮中を見ないことが悲しいのなら、あなたが仕えるのがわたしの身一つではないというだけのことなのに、どうしてあなたは並々の人のように、一旦宮中を出て行っても、帰ってきて次の天皇にお仕えしてでも、再び宮中を見ないのだろうか。
September 24, 2010
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週刊新潮 7月選挙特集号、藤原正彦氏(お茶の水女子大名誉教授・数学者・『国家の品格』の著者)の管見妄語60の記事につきて。三橋美智也の「おんな船頭唄」を取り上げ、歌詞の「かわいそうなは、みなしご同士」の「みなしご同士」を、互いに愛し合いながらも結ばれなかった男と女のことのように解釈しておるが、なぜそのような突飛な解釈になるのか、わけがわからぬ。唄は以下の通り。藤間哲郎作詞 山口俊郎作曲嬉しがらせて 泣かせて消えた憎いあの夜の 旅の風思いだすさえ ざんざら真菰(まこも) 鳴るなうつろな この胸に所詮かなわぬ 縁(えにし)の恋が なぜにこうまで 身を責める呼んでみたとて 遥かなあかり濡れた水棹(みさお)が 手に重い利根で生まれて 十三、七つ月よあたしも同じ年かわいそうなは みなし子同士きょうもおまえとつなぐ舟唄を見る限り、第一番歌で、男とは過去の「あの夜」ですでに別れておる。第二番歌では、おんな船頭の未練が詠まれておる。そして第三番歌は月とおんな船頭の世界である。「かわいそうなは、みなし子同士、きょうもおまえと、つなぐ舟」とは、おお空にたった一人ぽっちの月と、みなし子のあたしである。男ともし結ばれていたなら、夜道は危険だからというので、営業の終わる頃、迎えにきて岸辺で待つ男に舟の綱を投げて男がもやい綱を繋ぐはずであった。しかし、結ばれることなく別れたために、おなじ天涯孤独の月の照らすもと、さびしく自分で繋ぐのである。《奈良の子守歌》に、親がなかなか帰ってこない子供をあやすシーンに「お月さまさえ親しらず」という歌詞がある。日本では伝統的に「月」は、孤独なみなし子なのである。
September 20, 2010
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【本文】十六日、けふのようさりつかた京へのぼるついでに見れば、山崎の小櫃の繪もまがりのおほちの形もかはらざりけり。「賣る人の心をぞ知らぬ」とぞいふなる。【訳】二月十六日。今日の夜になるころ、京へのぼるときに、見ると、山崎の小櫃の絵も、曲の大釣り針の模型も昔と変わりがなかった。【本文】かくて京へ行くに島坂にて人あるじしたり。必ずしもあるまじきわざなり。立ちてゆきし時よりはくる時ぞ人はとかくありける。これにもかへりごとす。【訳】ところで、京へ行く折に、島坂である人が我々一行をもてなした。必ずしもやるとは限らない行為である。出発してゆく時よりは、もどってくる時のほうが、他人はこんなふうに見返り目当てに接待するものなのだなあ。この者にもやはり返礼をした。【本文】よるになして京にはいらむと思へば、急ぎしもせぬ程に月いでぬ。桂川月あかきにぞわたる。人々のいはく「この川飛鳥川にあらねば、淵瀬更にかはらざりけり」といひてある人のよめる歌、「ひさかたの月におひたるかつら川そこなる影もかはらざりけり」。【訳】夜まで時間をつぶしてから京に入ろうと思うので、急ぎもせずくつろいでいるうちに月が出た。桂川を月の明るいときに渡った。人々が言うことには、「この川は飛鳥川ではないから、淵も瀬も全く変わりがないなあ」と言って、ある人が作った歌。「空の月に生えている桂と同じ名の桂川、水面に映った月の光も昔とまったく変わらないなあ」。【本文】又ある人のいへる、「あまぐものはるかなりつる桂川そでをひててもわたりぬるかな」。又ある人よめる、「桂川わがこころにもかよはねどおなじふかさはながるべらなり」。みやこのうれしきあまりに歌もあまりぞおほかる。【訳】また、ある人が作った歌、「空の雲のように土佐の国から遥かへだたっていた京の桂川を懐かしさに涙で袖をびっしょりぬらして渡ったなあ」。また、ある人が作った歌、「桂川は私の心とつながっているわけではないが、帰京の万感の思いと同じぐらい深く流れるようだ」。【本文】夜更けてくれば所々も見えず。京に入り立ちてうれし。家にいたりて門に入るに、月あかければいとよくありさま見ゆ。【訳】夜が更けてからやってきたので、昼間なら目にはいるはずの寺院など各所も見えない。京に入って自分の足で土地を踏んで帰京の実感が湧いて嬉しい。家に到着して門を入ったところ、月が明るいので非常によくありさまが見える。【本文】聞きしよりもましていふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も荒れたるなりけり。中垣こそあれ、ひとつ家のやうなればのぞみて預れるなり。さるはたよりごとに物も絶えず得させたり。こよひかかることと聲高にものもいはせず、いとはつらく見ゆれど志をばせむとす。【訳】聞いていた以上に、言葉に言い尽くせないほどひどく破損していた。家屋に加えて預けておいた人の心も荒れてしまったのだなあ。隣家との間には中垣があるが、一軒の家みたいなものだからというので、むこうが申し出て預かっっていたのだ。それにもかかわらず、折あるごとに、預かり賃がわりに贈り物も絶えずやっておいたのに。「今夜帰って来てみたらこんなことになっていたなんて」と家の者たちが大声で隣家に聞こえるように不平を言うのを制した。隣人の管理のいい加減な態度は非常に薄情に思われ、こんな荒れた我が家を見るのはとてもつらいけれども、いちおう謝礼はしようと思う。【本文】さて池めいてくぼまり水づける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに千年や過ぎにけむ、かた枝はなくなりにけり。いま生ひたるぞまじれる。大かたの皆あれにたれば、「あはれ」とぞ人々いふ。【訳】ところで、池のようにくぼんで水に漬かっているところがある。確か、そばには松もあった。五年か六年留守にしているあいだに千年も経過してしまったのだろうか?千年の樹齢を保つといわれる松の大半が無くなってしまっていた。最近生えたらしい若い木が混じっている。屋敷の大部分がみんな荒れてしまったので、「あーあ、こんなことってあるかしら」と人々が言った。【本文】思ひ出でぬ事なく思ひ戀しきがうちに、この家にて生れし女子のもろともに歸らねばいかがはかなしき。船人も皆こたかりてののしる。かかるうちに猶かなしきに堪へずして密に心知れる人といへりけるうた、「うまれしもかへらぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ」とぞいへる。【訳】こうして久しぶりに我が家に立つと、思い出さない事もなく、なかでも恋しいことは、この家で生まれて土佐へ連れて行った女の子が、土佐から一緒に戻ってこなかったので、どんなに悲しいことか。船で一緒に帰ってきた人たちも、みんな家の荒れようを見て腹を立てて不平を言っている。そうこうするうちに、やはり悲しみにこらえきれずに、こっそり心の通じ合っている人と作った歌、「生まれた娘も土佐で死んでこの家に帰ってこないのに、我が家に帰って来たら子の帰りを待つという小松が生えているのを見るのが悲しい」。【本文】猶あかずやあらむ、またかくなむ、「見し人の松のちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや」。わすれがたくくちをしきことおほかれどえつくさず。とまれかくまれ疾くやりてむ。【訳】それでもまだ気がおさまらなかったのであろうか、また、こんなふうに作った。「面倒を見た隣人が、松が本来の樹齢千年を保つようにきちんと管理をしていたら、松が枯れることもなく永遠の悲しい別れをしただろうか、いや、せずにすんだものを(面倒を見た者が松が千年もの樹齢を保って長生きするのと同じように長生きできるように死んだあの子の面倒をしっかりみていたら、遠い土佐での悲しい死別をせずにすんだものを)」。京を旅立ってから帰ってくるまでのあいだに、忘れようにも忘れられない残念なことが沢山あったが、残らずここに書き尽くすことはできない。まあ、とにかく、この色々あったいやなことを一刻も早く忘れてしまおう。
March 21, 2010
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【本文】十二日、山崎にとまれり。【訳】二月十二日、山崎に停泊している。【本文】十三日、なほ山崎に。【訳】二月十三日、まだ依然として山崎に停泊している。【本文】十四日、雨ふる。けふ車京へとりにやる。【訳】二月十四日、雨が降った。今日、くるまを京へ取りに使者を行かせた。【本文】十五日、今日車ゐてきたれり。船のむつかしさに船より人の家にうつる。この人の家よろこべるやうにてあるじしたり。このあるじの又あるじのよきを見るに、うたておもほゆ。いろいろにかへりごとす。家の人のいで入りにくげならずゐややかなり。【注】・むつかしさ=不快さ。・あるじし 「あるじす」=ご馳走を用意したりして来客をもてなす。・あるじ=もてなし。ご馳走。・うたて=気の毒。心が痛む。・かへりごと=返礼。・にくげならず=感じがよく。・ゐややかなり=礼儀正しい。【訳】二月十五日、今日、使者が車をともなって戻ってきた。船にいるのがうっとうしいので、船から人の家に移動した。この人の家では我々の到来を歓迎するようなようすで、もてなした。この家の主人のようす、また、ご馳走のすばらしさを見るにつけても、迷惑をかけて申し訳なく思われた。いろいろとお礼をした。家人の出入りする様子も感じがよく、礼儀正しかった。
March 14, 2010
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【本文】六日、澪標のもとより出でて難波につきて河尻に入る。みな人々女おきなひたひに手をあてて喜ぶこと二つなし。【訳】二月六日。澪つくしの所から出発し、難波に着いて河尻に入った。船の客全員、女も老人もやれやれという思いで額に手を当ててこのうえなく喜んだ。【本文】かの船醉の淡路の島のおほい子、都近くなりぬといふを喜びて、船底より頭をもたげてかくぞいへる、「いつしかといぶせかりつる難波がた蘆こぎそけて御船きにけり」。いとおもひの外なる人のいへれば、人々あやしがる。これが中に心ちなやむ船君、いたくめでて「船醉したうべりし御顏には似ずもあるかな」といひける。【訳】例の船酔いしていた淡路島のご婦人が、都が近づいたというのを喜んで、船底から頭をもちあげてこんなふうに歌を口にした。「いつになったら着くのだろうと気がかりだった難波潟に船を漕いで芦をかき分けて御船がとうとうやってきたなあ。」とても意外な人が歌を作ったので、人々が不思議がった。この一行のなかで、気分がすぐれない主客が、たいそうほめて、「船酔いをなさっていた先ほどまでのお顔には似てもにつきませんなあ。」と言った。
January 5, 2010
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【本文】五日、けふ辛くして和泉の灘より小津のとまりをおふ。松原めもはるばるなり。【訳】二月五日。今日ようやく和泉灘から小津港に向かう。新芽がふくらみはじめた松原の松も遥か遠くに見えた。【本文】かれこれ苦しければ詠めるうた、「ゆけどなほ行きやられぬはいもがうむをつの浦なるきしの松原」。かくいひつづくる程に「船疾くこげ、日のよきに」と催せば、楫取、船子どもにいはく「御船より仰せたぶなり。あさぎたの出で来ぬさきに綱手はやひけ」といふ。【訳】あれやこれや苦痛なことばかりなので、作った歌。「進んでもそれでもなお通過できないのは愛する女性がつむぐ糸のように長々とつづく小津の浦にある岸辺の松原だなあ」こんなふうに言いつづけるうちに、「船をはやく漕げ、天気がいいのだから」とせき立てたところ、船頭が手下たちに向かって言うには「御船からご命令をいただいたぞ。朝吹く北風が吹き起こらないうちに船の引き綱を引っ張れ」と言った。【本文】この詞の歌のやうなるは楫取のおのづからの詞なり。楫取はうつたへに、われ歌のやうなる事いふとにもあらず。聞く人の「あやしく歌めきてもいひつるかな」とて書き出せれば、げに三十文字あまりなりけり。【訳】この詞の歌みたいなものは船頭自身の言葉である。船頭は、ことさらに自分から歌のような事を言ったわけではない。聞いた者が「ふしぎなことに短歌めいて口にしたなあ」と言って「みふねより……」と紙に書き出したところ、ほんとうに三十一文字だった。【本文】今日浪なたちそと、人々ひねもすに祈るしるしありて風浪たたず。今し鴎むれ居てあそぶ所あり。京のちかづくよろこびのあまりにある童のよめる歌、「いのりくる風間と思ふをあやなくに鴎さへだになみと見ゆらむ」といひて行く間に、石津といふ所の松原おもしろくて濱邊遠し。【訳】今日は「波よ立つな」と人々が終日祈った効験があって風波が立たない。今ちょうどカモメが群がり集まって遊泳している場所がある。京が近づく喜びのあまりに、ある少年が作った歌。「祈りつづけてきた風の止んだ短い合間だと思うけれども、いままで波が立ってばかりいたので理屈に合わないことにカモメの群れあそぶ白い列を波だと思ってしまうのだろうか」。【本文】又住吉のわたりを漕ぎ行く。ある人の詠める歌、「今見てぞ身をば知りぬる住のえの松よりさきにわれは經にけり」。【訳】また住吉の浦あたりを漕ぎ進む。その時にある人が作った歌、「いま目の前にしてはじめてわかった。住之江の松よも私は年を経てしまったよ。(松の前方を通り過ぎたよ)」。【本文】ここにむかしつ人の母、一日片時も忘れねばよめる、「住の江に船さしよせよわすれ草しるしありやとつみて行くべく」となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、戀しき心ちしばしやすめて又も戀ふる力にせむとなるべし。【訳】この時に、昔ひとの母親だった人が、死んだ子を一日片時も忘れることがないので、作った歌、「住之江の浦に船を漕ぎ寄せておくれ、身に帯びると恋しい人を忘れることができるという忘れ草の効き目がほんとうにあるかどうかを実際に摘んで行って確かめることができるように」と作った。ことさらに忘れようというのではなくて、恋しい思いをしばらくやすめて、さらに恋うる助力にしようというつもりであろう。【本文】かくいひて眺めつづくるあひだに、ゆくりなく風吹きて、こげどもこげども、しりへしぞきにしぞきてほとほとしくうちはめつべし。【訳】こんなふうに言って眺め続けるうちに、急に風が吹き起こって、漕いでも漕いでも、後方へ後退し、あやうく転覆しそうだった。【本文】楫取のいはく「この住吉の明神は例の神ぞかし。ほしきものぞおはすらむ」とは今めくものか。【訳】船頭がいうには、「この住吉の明神は例の神様だよ、欲しいものがおありなのだろう。」とは、当世風であることよ。【本文】さて「幣をたてまつり給へ」といふにしたがひてぬさたいまつる。かくたいまつれども、もはら風やまで、いや吹きにいや立ちに風浪の危ふければ、楫取又いはく「幣には御心のいかねば御船も行かぬなり。猶うれしと思ひたぶべき物たいまつりたべ」といふ。【訳】そして「ぬさをさしあげなさい」というのでその言葉にしたがってぬさをさしあげた。こうして、さしあげたけれども、いっこうに風が吹き止まないで、ますます風吹きますます波だって危険だったので、船頭が、また言うには、「ぬさではご満足いかないので、お船も進まないのである。もっと嬉しいとお思いなさる適当なものを差し上げなさいませ。」と言った。【本文】又いふに従ひて「いかがはせむ」とて「眼もこそ二つあれ、ただ一つある鏡をたいまつる」とて海にうちはめつれば、いとくちをし。されば、うちつけに海は鏡のごとなりぬれば、或人のよめるうた、「ちはやぶる神のこころのあるる海に鏡を入れてかつ見つるかな」。【訳】また、言葉通りに「どうしようか、何を差し上げようか」と言い、「眼玉だって二つきりだが、たった一つしかない鏡を差し上げよう。」と言って、海に投げ入れたので、ひじょうに残念だ。すると、急に海は鏡の面のように平らかになってしまったので、ある人が作った歌、「荒々しい神様の心のように、荒れる海に鏡を投入してちょっと神様の心のうちを垣間見たことだなあ。」【本文】いたく住の江の忘草、岸の姫松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつら鏡に神の心をこそは見つれ。楫取の心は神の御心なりけり。【訳】それほど住之江の忘れ草、岸の姫松などという神様ではないようだ。はっきりと目の当たりに神様の心を確認した。船頭の心は、そのまま神の御心なのだなあ。
January 2, 2010
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【本文】四日、楫取「けふ風雲のけしきはなはだあし」といひて船出さずなりぬ。【訳】二月四日。船頭が「きょうは風や雲のようすが非常に悪い。」と言って、とうとう船出しなかった。【本文】然れどもひねもすに浪風たたず。この楫取は日も得計らぬかたゐなりけり。【訳】けれども、終日波風たたなかった。この船頭は天候もよめない愚か者だなあ。【本文】この泊の浜にはくさぐさの麗しき貝石など多かり。かかれば唯昔の人をのみ恋ひつつ船なる人の詠める、「よする浪うちも寄せなむわが戀ふる人わすれ貝おりてひろはむ」といへれば、ある人堪へずして船の心やりによめる、「わすれ貝ひろひしもせじ白玉を戀ふるをだにもかたみと思はむ」となむいへる。【訳】この港の砂浜には種々の綺麗な貝や石ころなどがたくさんあった。こういうわけで、ただ昔の人ことだけをひたすら恋しがりながら、船にいる人が作った歌、「岸に寄せる波よ、打ち寄せてほしい、私が恋しく思う人を忘れることができるという忘れ貝を、そうしたら浜に降りて拾おう。」と言ったところ、船にいた人が悲しみにこらえきれずに、気晴らしに作った歌、「わすれ貝を拾ったりはするまい、美しい真珠のようだったあの子を恋しく思う気持ちだけでも、あの子が私に残してくれた形見と考えよう。」と言った。【本文】女児のためには親をさなくなりぬべし。玉ならずもありけむをと人いはむや。【訳】女の子のためには、きっと親というものは幼児のように分別がなくなってしまうのだろう。「いくら可愛かったとはいえ、真珠ほどではなかっただろうに」と他人が言うだろうか。【本文】されども死にし子顏よかりきといふやうもあり。【訳】けれども死んだ子は顔が美しいかった、という言葉もある。【本文】猶おなじ所に日を経ることを歎きて、ある女のよめるうた、「手をひてて寒さも知らぬ泉にぞ汲むとはなしに日ごろ経にける」。【訳】まだ依然として同じところで日を過ごしていることを嘆いて、船の女性が作った歌、「手を浸しても冷たさも感じない泉であるこの和泉の国で、水を汲むというわけでもないのに何日もむだに過ごしてしまったなあ」。
December 30, 2009
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【本文】二月朔日、あしたのま雨降る。午の時ばかりにやみぬれば、和泉の灘といふ所より出でゝ漕ぎ行く。【訳】二月一日。朝の間、雨が降った。午の時分に降り止んだので、和泉灘という所から船出して漕いで行った。【本文】海のうへ昨日の如く風浪見えず。黒崎の松原を經て行く。所の名は黒く、松の色は青く、磯の浪は雪の如くに、貝のいろは蘇枋にて五色に今ひといろぞ足らぬ。【訳】海上は昨日のように風にたつ波も見えない。黒崎の松原を通過して進んだ。地名のとおり地面は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のように白く、貝殻の色はすおう色で、五行説の五色の色にあと一色、きいろだけが足らない。【本文】この間に今日は箱の浦といふ所より綱手ひきて行く。【訳】さて、きょうは、箱の浦という所から船の綱手を引いて進んで行く。【本文】かく行くあひだにある人の詠める歌、「玉くしげ箱のうらなみたたぬ日は海をかがみとたれか見ざらむ」。【訳】こんなふうに進むうちに、ある人が作った和歌宝玉で飾った箱のように美しい景色のこの箱の浦の波の立たない日は、海面を鏡だと見ないものがいようか、いや、いまい。【本文】又船君のいはく「この月までなりぬること」と歎きて苦しきに堪へずして、人もいふこととて心やりにいへる歌、「ひく船の綱手のながき春の日をよそかいかまでわれはへにけり」。【訳】また船の主客がいうには、「土佐を出発してから、とうとうこの月、二月になってしまったよ」と愚痴をこぼし、苦痛にこらえきれずに、ほかの人も口にすることだから、と言って気晴らしに作った歌、「岸づたいに人足が引く綱手のように長い春の昼間を四十日も五十日も。わたしは過ごしてしまったよ。ぐずぐず旅が進まないうちに」。【本文】聞く人の思へるやう、なぞただことなると密にいふべし。「船君の辛くひねり出してよしと思へる事をえしもこそしいへ」とてつつめきてやみぬ。【訳】聞いていた人が心に思ったことは、「どうして平凡な言葉なのかしら」とこっそりささやき合っているだろう。「船の主客がやっと作って、良い出来だと思っているのに、口がさけてもそんなこと言えるだろうか。」といって、つぶやいてやめた。【本文】俄に風なみたかければとどまりぬ。【訳】急に出た風によって波が高いので、そこにとどまった。
December 25, 2009
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【本文】廿二日、よんべのとまりより、ことどまりをおひてぞ行く。遥に山見ゆ。年九つばかりなるをの童、年よりは幼くぞある、この童、船を漕ぐまにまに、山も行くと見ゆるを見て、あやしきこと歌をぞよめる。そのうた「漕ぎて行く船にて見ればあしひきの山さへゆくを松は知らずや」とぞいへる。幼き童のことにては似つかはし。【注】「山さへゆくを松は知らずや」の部分には何か典故がありそうであるが、未詳。【訳】正月二十二日、ゆうべ停泊していた港から出発して、別の港を目指して行く。遠く遥かに山が見える。年齢九歳ぐらいの男の子が、(年よりは幼い感じだが)この子が、船を漕ぎ進めるにつれて山も同じように動いていくように見えるのを見て、風変わりな歌を詠んだ。その歌「漕いで行く船において見ると、足を引きずるようにしなければなかなか越えられないような高い山までも進んでいくのを松は気づかないのかしら」と詠んだ。幼い子供の言葉にしては時に似つかわしい。【本文】けふ海あらげにて磯に雪ふり浪の花さけり。ある人のよめる。「浪とのみひとへに聞けどいろ見れば雪と花とにまがひけるかな」。【訳】今日は海が荒々しい様子で磯には波しぶきが立って雪が降り波の花が咲いているなあ。ある人が詠んだ歌。「浪とだけ言葉のうえではひたすら聞くけれども、色を見ると、雪と花とに見違えてしまうなあ」。
August 24, 2009
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【本文】廿一日、卯の時ばかりに船出す。皆人々の船出づ。【訳】正月二十一日、午前六時頃に出船した。みな他の人々が乗り込んだ船も出発した。【本文】これを見れば春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。【訳】この様子を見ると、春の海になぜだかちょうど秋の木の葉が散っているようであった。【本文】おぼろげの願に依りてにやあらむ、風も吹かずよき日いできて漕ぎ行く。【訳】なみなみならぬ願のおかげであろうか、風も吹かず、久々にみごとなお日様が顔を出して、船を漕いでいく。【本文】この間につかはれむとて、附きてくる童あり。それがうたふ舟うた、「なほこそ国のかたは見やらるれ、わが父母ありとしおもへば。かへらや」とうたふぞ哀なる。【訳】この人々の中に、使用人になろうとして、ついてきた子供がいる。その子が歌った舟歌「やっぱり故郷のほうに自然と目が向くものだなあ、おいらのとうちゃん・かあちゃんがいると思うから。帰ろうかなあ」と歌うのがしみじみ感じられる。【本文】かくうたふを聞きつつ漕ぎくるに、くろとりといふ鳥岩のうへに集り居り。【訳】こんなふうに歌うのを聞きながら、漕ぎ進んできたところ、クロトリという鳥が、岩の上に集まって止まっている。【本文】その岩のもとに浪しろくうち寄す。楫取のいふやう「黒鳥のもとに白き浪をよす」とぞいふ。この詞何とにはなけれど、ものいふやうにぞ聞えたる。人の程にあはねば咎むるなり。【訳】その岩の下方に海の波が白く打ち寄せる。船頭が言うことには、「黒鳥のところに白い波を寄せてるよ」と言った。この言葉はどうということもないけれども、気の利いたことを言うように聞こえた。粗野な船頭などに似合わない言葉だから、気に留めたのである。【本文】かくいひつつ行くに、船君なる人浪を見て、国よりはじめて海賊報いせむといふなる事を思ふうへに、海の又おそろしければ、頭も皆しらけぬ。七十八十は海にあるものなりけり。「わが髮のゆきといそべのしら浪といづれまされりおきつ島もり」楫取いへ。【訳】こんなことを言いながら、船旅を続けていったところ、船の主客である人が波を見て、土佐の国を出発してからはじめて海賊が報復するであろうといったような事を考えているうえに、おまけに外海がまた恐ろしいので、頭の毛もみんなまっしろになってしまった。七十古来稀なりということだが、七十、八十の老人は、海にいるものなのだなあ。「わたしの髪の毛の雪(白髪)と磯に寄せる白波とどちらがまさっているか、沖の島守よ」船頭よ代わりに答えよ。
August 2, 2009
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【本文】十九日、日あしければ船いださず。【訳】正月十九日。天気が悪いので船を出さなかった。【本文】二十日、昨日のやうなれば船いださず。皆人々憂へ歎く。【訳】正月二十日。昨日と同じような天候だから、船を出さない。船の客たちみんな〔旅がいっこうに進まないことを〕つらがり、愚痴をこぼした。【本文】苦しく心もとなければ、唯日の経ぬる数を、今日いくか、二十日、三十日と数ふれば、およびもそこなはれぬべし。いとわびし。【訳】苦痛でいらいらするので、ただ経過した日数を、「今日は何日だったかしら‥‥、ということは二十日、三十日‥‥」と指折り数えるものだから、きっと指もどうにかなってしまうにちがいない。とても辛い。【本文】夜はいも寝ず。二十日の夜の月出でにけり。山のはもなくて海の中よりぞ出でくる。【訳】夜は夜で寝付かれない。〔悶々としているうちに〕とうとう二十日の夜の月が出てしまった。〔ここでは京とはちがって〕山の端もなくて海の中から月が出てくる。【本文】かうやうなるを見てや、むかし安倍の仲麻呂といひける人は、もろこしに渡りて帰りきける時に、船に乗るべき所にて、かの国人馬の餞し、わかれ惜みて、かしこのからうた作りなどしける。【訳】こんなふうに海中からのぼる月を見て、むかし安倍の仲麻呂といった方は、中国へ渡って文化を学び、帰途に着いた時に、船に乗る予定の所で、唐の国の人が送別の宴を開き、別れを惜しんで、かの地の漢詩を作ったりした。【本文】あかずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。【訳】〔いくら別れを惜しんでも〕惜しみ足りなかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまで送別の宴は続いたとさ。【本文】その月は海よりぞ出でける。これを見てぞ仲麻呂のぬし「我が国にはかかる歌をなむ神代より神もよんたび、今は上中下の人も、かうやうに別れ惜み、よろこびもあり、かなしみもある時には詠む」とてよめりける歌、「あをうなばらふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」とぞよめりける。【訳】その時の月は〔今夜と同じように〕海から出たとさ。この月を見て、仲麻呂様が「わが国ではこのような歌を神々の時代から神様もお詠みになり、今は身分の上のものから下のものまで、こんなふうに別れを惜しんだり、祝い事があったり、弔事があったりする時には詠むのです」と言って詠んだ歌、「青海原を遠くまで仰ぎ見るとあそこに月が見える。あの月は春日にある三笠山にでていたものと同じ月なのだなあ」。【本文】かの国の人聞き知るまじくおもほえたれども、ことの心を男文字にさまを書き出して、ここの詞伝へたる人にいひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひの外になむめでける。もろこしとこの国とは、ことことなるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。【訳】あの唐の国の人が、〔日本語で詠んだ和歌を〕聞いても理解できないだろうと思われたけれども、言葉の意味を漢文で書いてみせて、日本語を習得している人に言い、〔その人(通訳)を介して宴会の列席者みんなに〕知らせたところ、和歌の内容を理解できたのであろうか、とても意外なほど称賛した。唐の国とこの日本とでは、言語がちがうけれども、月の姿は同じはずだから、〔月を見て抱く〕人の心も同じなのであろうか。【本文】さて今そのかみを思ひやりて、或人のよめる歌、「都にてやまのはに見し月なれどなみより出でてなみにこそ入れ」。【注】・この「都にて」の歌について、現行の土佐日記の注釈書では最大最備とされている萩谷朴著『土佐日記全注釈』は、稚拙な歌としているが、それはこの歌が『万葉集』の東歌「武蔵野は月のいるべき山もなし草よりいでて草にこそいれ」をふまえて作られていることを知らぬ者の暴言であろう。第一、当代随一の和歌の達者であったはずの貫之が、そんな稚拙な歌を詠むと考えるほうがどうかしている。武蔵野は、都から遠く離れた僻地であり、ただ、山もない一面に草が広がった、だだっぴろい原野というイメージでとらえられていたが、それでもまだ都とは地続きである。それが同じ僻地でも土佐の海は、草原すらもない一面の海原だというイメージでとらえ、僻遠さと空虚感をきわだたせることによって、暗に都恋しさが強調されている。【訳】ところで、今、京を出発した当時のことを思い出して、ある人が詠んだ歌、「都では山の端のところに見た月であるが、この遠く離れた土佐の国では波の中から出て波の中に沈んでいくのだなあ」。
July 12, 2009
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【本文】十八日、猶同じ所にあり。海あらければ船いださず。【訳】正月十八日。やはり依然として同じ所にいる。【本文】この泊遠く見れども近く見れどもいとおもしろし。【訳】この港は遠くを見ても近くを見ても、たいへん眺めが良い。【本文】かかれども苦しければ何事もおもほえず。【訳】こんなふうに景色は良いのだけれども、〔旅が先に進まず〕苦痛なので、なにも心底感動しない。【本文】男どちは心やりにやあらむ、からうたなどいふべし。【訳】男たちは、気晴らしのつもりであろうか、漢詩など作っているようだ。【本文】船もいださでいたづらなればある人の詠める、「いそぶりの寄する磯には年月をいつとも分かぬ雪のみぞふる」この歌は常にせぬ人のごとなり。【訳】船もださずに、退屈なので、ある人が詠んだ歌「荒波が寄せる磯には年月がいつだとも区別できない雪ばかりが降ることだ」この歌は普段歌を詠まない人の作品のようだ。【本文】又人のよめる、「風による浪のいそにはうぐひすも春もえしらぬ花のみぞ咲く」。【訳】また、ある人が詠んだ歌。「風に吹かれて吹き寄せる波のかかる磯には、ウグイスも春も知ることのない花だけが咲くことだ」。【本文】この歌どもを少しよろしと聞きて、船のをさしける翁、月頃の苦しき心やりに詠める、「立つなみを雪か花かと吹く風ぞよせつゝ人をはかるべらなる」。【訳】これらの歌を少しはましだと聞いて、船長をしていた老人が、この二ヶ月の苦痛のを気晴らしに詠んだ歌、「立つ波を雪か、はたまた花かと、吹く風が吹き寄せながら人をあざむくことだ」【本文】この歌どもを人の何かといふを、ある人の又聞きふけりて詠める。その歌よめるもじ三十文字あまり七文字、人皆えあらで笑ふやうなり。【訳】これらの歌を、人が何かと批評するのを、ある人がまた夢中に聞いて詠んだ歌。その歌はなんと三十七文字という破格なので、人々がこらえきれずに吹き出したようだ。【本文】歌ぬしいと気色あしくてえず。まねべどもえまねばず。書けりともえ読みあへがたかるべし。今日だにいひ難し。まして後にはいかならむ。【訳】歌の作者は、たいへん機嫌を悪くして周囲の者を怨んだ。まねして詠もうとしてもできるものではないい。書いたとしても読み上げることができないにちがいない。歌を聞いた今日でさえ口にだしづらい。まして、のちにはどうであろうか。〔三十一文字とちがってリズムが悪いから、きっと思い出すことすら無理であろう〕
July 5, 2009
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【本文】十七日、くもれるくもなくなりて、あかつきつくよいとおもしろければ、ふねをいだしてこぎゆく。【訳】正月十七日。空にどんよりとくもっていた雲が無くなって、夜明け前の月がひじょうにすばらしいので、船を出して沖へ漕いで行く。【本文】このあひだに、くものうへもうみのそこもおなじごとくになむありける。【訳】こうやって沖へ出ると空も海面も同じような色だなあ。【本文】むべもむかしのをのこは「さをはうがつなみのうへのつきを。ふねはおそふうみのうちのそらを」とはいひけん。【訳】なるほど昔の男は「棹は波の上に映る月を突き刺し、船は海に映った空の上に覆い被さる」とは、よくいったものだ。【本文】ききざされにきけるなり。【訳】この漢詩は聞きかじりに聞いたものだ。【本文】また、あるひとのよめるうた、「みなそこの つきのうへより こぐふねの さをにさはるは かつらなるらし」。【訳】また、ある人が詠んだ歌。水底の月のうえを通って漕ぎ進む船の棹さきにゴツゴツと触れるものは中国の古い伝説にいう月の中に生えているという桂の木らしい。【本文】これをききて、あるひとのまたよめる、「かげみれば なみのそこなる ひさかたの そらこぎわたる われぞさびしき」。【訳】この歌を聞いて、ある人が再び詠んだ歌。月の光を見ると、波の底にある空を漕いで渡る月と同様に私が一人ぼっちでさびしいことだ。【本文】かくいふあひだに、よやうやくあけゆくに、かぢとりら「くろきくもにはかにいできぬ。かぜもふきぬべし。みふねかへしてむ」といひて、ふねかへる。【訳】こんなことを言い合っているうちに、夜もしだいに明けていくので、船頭らが「黒い雲が急に出てきてしまった。そのうちきっと風も吹くにちがいない。海が荒れないうちに船を岸へ引き返してしまおう。」と言って、船が引き返した。【本文】このあひだに雨ふりぬ。いとわびし。【訳】こうやって、港へ帰るうちに雨が降り出してしまった。とても辛い。
June 13, 2009
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【本文】十六日。かぜなみやまねば、なほ、おなじところにとまれり。【訳】十六日。風と波がやまないので、やはり依然として、おなじ所に停泊している。【本文】ただ、うみになみなくして、いつしか、みさきといふところにわたらんとのみなんおもふ。【語句・文法】・いつしか=早く。・みさき=室戸岬。【訳】ただひたすら、海に波が無い状態で、早く岬という所に渡ろうとだけ考える。【本文】かぜなみとににやむべくもあらず。あるひとの、このなみたつをみてよめるうた。しもだにも おかぬかたぞといふなれど なみのなかには ゆきぞふりける。【訳】風と波がじきにやみそうにも思われない。ある人が、この波が立つのを見て詠んだ歌。南国土佐は霜さえ置かない温暖な所だと世間では言うようだが、波の中には雪がまじって降ることだなあ。【本文】さて、ふねにのりしひより、けふまでに、はつかあまりいつかになりにけり。【訳】そんなこんなで、船に乗船した日から今日までに、もう二十五日も経過してしまった。
June 7, 2009
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【本文】十五日。けふ、あつきかゆにす。【訳】正月十五日。今日、小豆粥にした。【本文】くちをしく、なほひのあしければ、ゐざるほどにぞ、けふはつかあまりへぬる。【訳】残念なことに、やはり天候が悪いので、いざる程度にしか旅が進まず、今日でもう二十日以上経過してしまった。【本文】いたづらにひをふれば、ひとびとうみをながめつつぞある。【訳】むなしく日々を過ごすものだから、人々が海を恨めしく眺めている。【本文】めのわらはのいへる、 たてばたつ ゐればまたゐる ふくかぜと なみとはおもふ どちにやあるらんいふかひなきもののいへるには、いとにつかはし。【訳】そんなとき、女の子が詠んだ歌立てば立つ じっとしているとまたじっとしている 吹く風と波とは 気の合う仲間なのであろうか取るに足らない者の詠んだ歌にしては、その場の状況にぴったりだった。
May 31, 2009
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【本文】十四日。あかつきよりあめふれば、おなじところにとまれり。ふなぎみ、せちみす。さうじものなければ、むまのときよりのちに、かぢとりの、きのふつりたりしたひに、ぜになければ、よねをとりかけておちられぬ。かかること、なほありぬ。かぢとり、またたひもてきたり。よねさけしばしばくる。かぢとり、けしきあしからず。【語句・文法】・あかつき=夜明け前のまだ暗いうち。・ふなぎみ=船のメインの客。・せちみ=節句の物忌み。・さうじもの=精進料理として食べるもの。・むまのとき=午後十二時を中心とする二時間。・とりかけて=物々交換をして。・くる=くれてやる。与える。【訳】十四日。暁から雨が降りだしたので、今日も同じ所に泊っている。船の主賓が君せちみす。精進料理にするような物がないので、午の時から以後に、船頭が昨日釣りあげた鯛と、小銭がないので米とを取り替えて、精進落としをなさった。こんな事態は、ほかにもあった。船頭が、再び鯛をもってきた。そのたびに米と酒とをチョイチョイ与えた。船頭は、機嫌がまんざらでもなかった。
May 24, 2009
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【本文】十三日のあかつきに、いささかあめふる。しばしありて、やみぬ。【訳】正月十三日の夜明け前に、すこしばかり雨が降った。しばらくして止んだ。【本文】をんな、これかれ、ゆあみなどせんとて、あたりのよろしきところにおりてゆく。【訳】女たちは、この人もあの人も、行水しようとして、周辺の適当なところに船から下りて行った。【本文】うみをみやれば、 くももみななみとぞみゆるあまもがないづれかうみととひてしるべく となん、うたよめる。【訳】海を遠く見やると、雲もみな私には波だと見える。海士がいてくれればばあ、どこが海でどこからが雲かと知ることができるように。と歌を詠んだ。【本文】さて、とうかあまりなれば、つきおもしろし。ふねにのりはじめしひより、ふねには、くれなゐこくよききぬきず。それは、うみのかみにおぢてといひて、なにのあしかげにことつけて、ほやのつまのいずし、すしあはびをぞ、こころにもあらぬはぎにあげてみせける。【注】・ほやのつまのいずし ホヤと取り合わせるイガイ。ホヤは男性器、貽貝は女性器のたとえ。ともに混ぜ寿司の具材。寿司という表現は、何日も体を洗う機会に恵まれず、汗臭くなったそのすえたような匂いをも連想させる。・すしあはび 寿司に刻んでいれる鮑。女性器のたとえ。【訳】ところで、暦も十日過ぎなので、月が風情がある。船に乗りはじめた日から、船では紅色の濃い色の高級な着物は着ない。それは、海神が欲しがって難破させるのをおそれてだということだが、何のかまうものか、どうせアシの陰に身を寄せているから見えはしないと思って、体を洗うために思わず脛の上まで着物をまくり上げて、陰部を人目にさらしてしまった。
May 17, 2009
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【本文】十二日。あめふらす。ふむとき・これもちがふねのおくれたりし。ならしつよりむろつにきぬ。【注】●ならしつ 室津市奈良師。【訳】十二日。今日は雨が降らなかった。ふんときとこれもちの乗っている船が船団から遅れた。ならしつを経由して室津に到着した。
May 9, 2009
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【本文】十一日。あかつきにふねをいだして、むろつをおふ。【訳】十一日。夜明け前に出航して室津を目指す。【本文】ひとみなまだねたれば、うみのありやうもみえず。【注】●ねたれば 「たれ」は、完了の助動詞「たり」の已然形で、文法的な意味は存続。已然形に「ば」がついて、ここでは、理由をあらわしている。【訳】はかの人は未だ寝ているので、海のありさまも見えない。【本文】ただ、つきをみてぞ、にしひんがしをばしりける。【注】●ぞ…ける いわゆる係り結びによる強調表現。「ける」は、過去の助動詞「けり」の連体形。【訳】ただ、月を見て、どちらが西でどちらが東かを知った。【本文】かかるあひだに、みなよあけて、てあらひ、れいのことどもして、ひるになりぬ。【訳】こうしているうちに、みんなが夜が明けてから手を洗い、身なりを整えたり食事をしたりといったいつもやることをして、昼になった。【本文】いまし、はねといふところにきぬ。わかきわらは、このところのなをききて、「はねといふところは、とりのはねのやうにやある」といふ。まだをさなきわらはのことなれば、ひとびとわらふときに、ありけるをんなわらはなん、このうたをよめる。 まことにて なにきくところ はねならば とぶがごくに みやこへもがなとぞいへる。【訳】今ちょうど、羽根という土地にやってきた。幼い子供が、この土地の名を聞いて、「羽根という土地は、鳥の羽のような地形なの」と言った。まだ幼い子供の言葉なので、ひとびとがほほえましく笑ったときに、その場にいた女の子が、この歌をよんだ。 もし、ほんとうに名前に聞くとおりこの土地が羽根ならば、その名のとおり羽で飛ぶように早く都へ帰りたい と言った。【本文】をとこもをんなも、「いかでとく京へもがな」とおもふこころあれば、このうたよしとにはあらねど、「げに」とおもひて、ひとびとわすれず。【訳】男も女も、「なんとかして早く京へ帰りたい」と思う気持ちがあるから、この歌が特にすばらしいというわけではないけれども、「本当にその通りだ」と思って、人々は記憶に留めた。【本文】このはねといふところとふわらはのついでにぞ、またむかしへびとをおもひいでて、いづれのときにかわするる。けふはまして、ははのかなしがらるることは。【訳】この羽根という土地を「鳥の羽みたいな地形なの?」と質問した子供のついでに、また、むかし生きていた子供を思い出してしまい、いったいいつになったら、忘れることができるのだろうか。今日はいっそう子を亡くした母が悲しがられることよ。【本文】くだりしときのひとのかず、たらねば、ふるうたに「かずはたらでぞかへるべらなる」といふことをおもひいでて、ひとのよめる。 よのなかに おもひやれどもこをこふる おもひにまさる おもひなきかなといひつつなん。【訳】京から土佐へ下った時の人の数が足らないので、古歌に「数は足らないで帰るようだよ」というふうにあったのを思い出して、船の人が詠んだ歌。 よのなかに あれこれ考えめぐらしてみるけれども 子供を恋しがる 親の思いにまさる思いは無いことだなあと口ずさみながら旅をした。
April 19, 2009
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【本文】十日。けふはこのなはのとまりにとまりぬ。【訳】十日。今日はこの奈半の港で泊まった。
April 19, 2009
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【本文】九日のつとめて、おほみなとより、なはのとまりをおはんとて、こぎいでけり。【訳】九日の早朝に、大湊から奈半の港を目指して行こうというので、船を漕ぎ出した。【本文】これかれ、たがひに、「くにのさかひのうちは」とて、みおくりにくるひと、あまたがなかに、ふぢはらのときざね・たちばなのすゑひら・はせべのゆきまさらなん、みたちよりいでたうびしひより、ここかしこにおひくる。【注】●あまた 数多い。●みたち 御館。国府の官庁。国守の官舎。●たうび 「たうぶ」は、「たまふ」の転じたもの。「お…になる」と尊敬の意を添える。【訳】この人もあの人も、互いに「国の境の内部におられるうちは、お見送り申しあげよう」というので、見送りにくる人が大勢いるなかに、藤原のときざね・橘のすえひら・長谷部のゆきまさらが、御官舎からご出発になった日から、ここあそこに追って来る。【本文】このひとびとぞ、こころざしあるひとなりける。【訳】この三人の人々が、ほんとうに誠意のある人なのだなあ。【本文】このひとびとのふかきこころざしは、このうみにもおとらざるべし。【注】●ざるべし 「ざる」は打消の助動詞「ず」の連体形。「べし」は、推量の助動詞で、確実性の高い推量を表す。【訳】この人々の深いまごころは、この海の深さにも劣らないにちがいない。【本文】これより、いまはこぎはなれてゆく。「これをみおくらん」とて、そこのひとびとも、おひきける。【訳】ここから、今まさに土佐の国のエリア内を離れて行く。「これを見送ろう」というので、その土地の人々も、あとを追ってきた。【本文】かくてこぎゆくまにまに、うみのほとりにとまれるひともとほくなり、ふねのひともみえずなりぬ。【注】●まにまに 「…するにしたがって」「…するにつれて」。●とまれるひと 「る」は完了の助動詞「り」の連体形で存続用法。●みえずなりぬ 「ぬ」は完了の助動詞。【訳】こうして、漕ぎすすむにつれて、海のほとりに立ち止まって見送っている人々の姿も遠くなり、浜のほうからは船に乗っている人の姿も見えなくなってしまった。【本文】きしにもいふことあるべし。ふねにもおもふことあれど、かひなし。かかれど、このうたをひとりごとにしてやみぬ。 おもひやる こころはうみを わたれども ふみしなければ しらずやあるらん。【注】●ふみしなければ 「ふみ」には「文(手紙)」と「踏み」を言い掛ける。すなわち、「手紙を送る手段もないので」と「踏みしなければ(波の上を踏んで岸まで行ってこの気持ちを伝えるわけにもいかないので)ということ。【訳】岸にいる人々においても、きっと何かこちらのことについて言っているであろう。船に乗っている人々においても、心中おもうことがあるが、もはや姿が見えないほど遠く離れてしまったので、いまさらどうしようもない。けれども、この歌を一人で口ずさんであきらめた。土佐の国の誠意ある人々のことをあれこれ考える私のその気持ちは海をわたるけれども、手紙がないから相手はその気持ちを知らずにいるだろうか。【本文】かくて宇多のまつばらをゆきすぐ。そのまつのかずいくそばく、いくちとせへたりとしらず。もとごとに、なみうちよせ、えだごとに、つるぞとびかよふ。「おもしろし」とみるに、たへずして、ふなびとのよめるうた。 みわたせば まつのうれごとに すむつるは ちよのどちとぞおもふべらなるとや。このうたは、ところをみるに、えまさらず。【訳】こうして、宇多の松原の沖を通過する。その松の本数はどれくらい、樹齢は何千年経過しているのかもわからない。幹ごとに波が打ち寄せ、枝ごとに鶴が飛びかよっている。「すばらしいと思って見ていたら、感動にたえきれなくなって、船の人が詠んだ歌、 見渡したところ、松の梢ごとに巣くう鶴は 松を千年つきあう友だと思っているようだ、とか。この歌の出来は、実際のこの土地を見るに、まさっていない、景色のほうが断然すぐれている。【本文】かくあるをみつつ、こぎゆくまにまに、やまもうみもみなくれ、よふけて、にしひんがしもみえずして、てけのこと、かぢとりのこころにまかせつ。をのこもならはぬは、いともこころぼそし。まして、をんなは、ふなぞこにかしらをつきあてて、ねをのみぞなく。【訳】このような光景を見ながら、漕ぎ進んでいくにしたがって、山も海の景色もみな暮れ、夜がふけて、西も東も見えなくなり、気象条件の判断は船頭に一任した。男性も船旅に慣れていない者は、たいへん不安がった。まして、女性は船の床に突っ伏して頭を押し当てて声をあげて泣く。【本文】かくおもへば、ふなこ・かぢとりは、ふなうたうたひて、なにともおもへらず。そのうたふうたは「はるののにぞそねをばなく。わがすすきに、てきるきるつんだるなを、おややまぼるらん、しうとめやくふらん。かへらや。よんべのうなゐもがな。ぜにこはん。そらごとをして、おきのりわざをして、ぜにももてこず、おのれだにこず。」これならずおほかれども、かかず。これらをひとのわらふをききて、うみはあるれども、こころはすこしなぎぬ。かくゆきくらして、とまりにいたりて、おきなびとひとり、たうめひとり、あるがなかに、ここちあしみして、ものもものしたばで、ひそまりぬ。【訳】こんなふうに不安に思っていたら、船の乗組員や船頭のほうは、のんきに舟歌を歌って、なんとも思っていない。その歌う舟歌は、「春の野原で声をあげて泣く。わたしがススキで手を切りながら摘んだ菜を、あの人の親がむさぼり食うのだろうか、しゅうとめが食うのだろうか。実家にかえりたい。ゆうべの子供がこないかなあ、いたら代金を請求しよう。うそをついて、ツケで買い物しておきながら、金も持ってこないし、顔すら見せない」。この歌だけではなく、ほかにもいろいろ歌っていたが、いちいちここには書かない。これらの歌を同乗者たちが笑うのをきいて、海は荒れるが、胸中の不安はすこし穏やかになった。こんなふうに航海して、その日を暮らし、港に着いて、同船の老人が一人と、老女が一人、一行のなかで、船酔いで気持ちわるがって、ものも召し上がらず、さっさと寝静まってしまった。
April 10, 2009
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【本文】八日。さはることありて、なほおなじところなり。【訳】八日。差し障ることがあって、まだ依然として同じ所である。【本文】こよひ、つきはうみにぞいる。これをみて、なりひらのきみの「やまのはにげていれずもあらなん」といふうたなん、おもほゆる。【注】●やまのはにげていれずもあらなん 『古今和歌集』八八四「あかなくに まだきも月のかくるるか 山の端にげて入れずもあらなむ」(心ゆくまで楽しんでいないのに、もう月が隠れてしまうのか。山の端よ月から逃げて月を入れないでほしい)。【訳】今夜、月は海中に沈む。これを見て、業平の君の「山の端よ逃げて月をいつまでもいれないでほしい」という歌が思いだされた。【本文】もし、うみべにてよまましかば、「なみたちさへていれずもあらなん」ともよみてましや。いまこのうたをおもひいでてあるひとのよめりける。 てるつきの ながるるみれば あまのがは いづるみなとは うみにざりけるとや。【訳】もしも、海辺で詠んだとしたら、「波が立って行く手をさえぎって月を入れないでほしい」とでも詠んだであろうか。いま、この歌を思い出して、ある人が詠んだ歌。照る月が、流れるのを見ると、天の川の流出するみなとは海なんだなあ。とか詠んだ。
April 5, 2009
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【本文】七日になりぬ。おなじみなとにあり。【訳】もう正月七日になってしまった。依然としておなじ港すなわち大湊にいる。【本文】けふは、あをむまをおもへど、かひなし。ただ、なみのしろきのみぞみゆる。【注】●あをうま 陰暦正月七日の儀式で、宮中の庭に引き出された青毛(青みがかった黒い毛)の馬を、みかどが御覧になったあとで、宴を行った。青馬を見るとその年の邪気が除かれるという中国の故事にもとづく。のちには白馬を用いるようになった。【訳】今日は、京ではあおうまの節会だなあと思うけれども、そんなこと考えてもしかたがない。ただ、白い馬ではなく波が白いのだけが見える。【本文】かかるあひだに、ひとのいへの、いけとなあるところより、こひはなくて、ふなよりはじめて、かはのもうみのもことものども、ながびつにになひて、つづけておこせたり。わかなぞけふをばしらせたる。うたあり。そのうた。 あさぢふの のべにしあれば みづもなき いけにつみつる わかななりけり いとをかしかし。【訳】こんなことを考えながら過ごしていたところ、他人の家で、池という名がついている所から、池につきものの鯉は無くて、鮒をはじめ川の産物も、海の産物も、あるいはそれ以外の産物を、長櫃にいれて、かついで、つづけざまによこした。その中に入っていた若菜が、今日が七日だということを知らせた。それを見て歌を思いついた。その歌一面にチガヤが生い茂っているような野原であるから、水もない池で摘んだ若菜なのだなあ。【本文】このいけといふは、ところのななり。よきひとの、をとこにつきて、くだりてすみけるなり。【訳】この池というのは、土地の名である。身分も教養もある人が、男に付きしたがって、下ってきて住みついたのでる。【本文】このながびつのものは、みなひと、わらはまでにくれたれば、あきみちて、ふなこどもは、はらつづみをうちて、うみをさへおどろかして、なみたてつべし。【訳】この長櫃の品物は、その場のみんな、子供にまでやったので、じゅうぶん満足して、船の漕ぎ手たちは、ごちそうに腹鼓をうって、海をさへびっくりさせて、海が波を立ててしまいそうだ。【本文】かくて、このあひだに、ことおほかり。けふ、わりごもたせてきたるひと、そのななどぞや。いま、おもひいでん。【訳】こうしている間に、いろんなことがあった。今日、弁当箱を伴に持たせてやってきた人がいたが、その名はなんだったかしら。【本文】このひと、うたよまんとおもふこころありて、なりけり。とかくいひいひて、「なみのたつなること」と、うるへいひて、よめるうた。 ゆくさきに たつしらなみの こゑよりも おくれてなかむ われやまさらんとぞよめる。いと、おほごゑなるべし。【訳】このひとが訪ねてきたのは、歌を詠もうとおもう魂胆があってやってきたのだなあ。あれやこれやと、とかく色々しゃべって、「波が立つようですなあ」と、愚痴をこぼして、詠んだ歌。 あなたがたの行く先に立つ白波の、その音よりも、あとに残されて泣く私の泣き声がまさるだろうか。と詠んだ。きっとこの人の泣き声はさぞ大声なのにちがいない。【本文】もてきたるものよりは、うたはいかがあらん。このうたを、これかれあはれがれども、ひとりもかへしせず。しつべきひともまじれれど、これをのみいたがり、ものをのみくひて、よふけぬ。このうたぬし、「まだ、まからず」といひて、たちぬ。あるひとのこの、わらはなる、ひそかにいふ。「まろ、このうたのかへしせん」といふ。おどろきて、「いとをかしきことかな。よみてんやは。よみつべくは、はやいへかし」といふ。【訳】持参した品物にくらべて、歌の出来栄えはどんなものであろうか。この歌を、この人もあの人も称賛するが、一人も返歌をしない。返歌を詠むことができる人も混じっていたけれども、持参したものばかりを絶賛し、頂きものを飲食しているいちに、すっかり夜が更けてしまった。この和歌の詠み手が「まだ、帰るわけではありませんよ。」といって立ち上がった。ある人の子で、まだ子供であるのが、こっそり言った。「ぼくが、この歌の返歌をしよう」と。びっくいして、「非常に愉快だなあ。本当に詠めるのかい。詠めるのなら、はやく言ってごらん」と言った。【本文】「席をたちぬるひとをまちてよまん」とて、もとめけるを、よふけぬとやありけん。やがて、いにけり。「そもそもいかがよんだる」と、いぶかしがりてとふ。このわらは、さすがに、はぢていはず。しひてとへば、いへるうた。 ゆくひとも とまるもそでの なみだがは みぎはのみこそ ぬれまさりけれとなんよめる。かくはいふものか。うつくしければにやあらん。いとおもはずなり。「わらはごとにては、なにかはせん。おむな・おきな、ておしつべし。あしくもあれ、いかにもあれ、たよりあらば、やらん」とておかれぬめり。【訳】「席を立ってしまった人が戻るのを待って詠もう」というので、探したが、夜が更けてしまたからであろうか、そのまま立ち去ってしまった。「そもそも、どんなふうに詠んだの」と、不審に思って尋ねた。この子供、そうはいってもやはり、恥ずかしがって言わない。無理やり尋ねたところ、しぶしぶ口に出した歌。 去りゆく人も留まる人も、別れの辛さに袖が涙川につかったようにぬれる、その川の水ぎわばかりがどんどん濡れていくなあ。と詠んだ。小さい子が、こんなふうに大人顔負けに和歌を詠むものだろうか。幼いからであろうか、とても以外であった。「子供の詠んだ歌というのではしょうがない。年配の女性でも男性でも署名してしまいなさい。子供が詠んだ歌を大人が詠んだことにしてしまうことが、相手に悪かろうが、どうだろうが、そんなことはどうでもいい。ついでがあったら、この和歌を送ってやろう」というので、とって置かれたようだ。
April 3, 2009
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【本文】六日。きのふのごとし。【注】●…のごとし 「ごとし」は、比況の助動詞。「ちょうど…とおなじだ」。前日と同様に風と波がやまないので同じ港に足留めされている、ということ。【訳】六日。ちょうど昨日と同様である。
April 2, 2009
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【本文】五日。かぜなみやまねば、なほ、おなじところにあり。人々たへずとぶらひにく。【注】●おなじところ 大湊。●とぶらひ 「訪問。おとずれ」の意もあるが、天候不順で何日も足留めされているようなので、心配して見舞いにきた、ということであろう。【訳】五日。風と波が止まないので、依然として同じところにいる。人々がひっきりなしに見舞いにやってきた。
April 2, 2009
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【本文】四日。かぜふけば、えいでたたず。まさつら、さけ・よきものたてまつれり。【注】●え…ず 不可能を表す。●まさつら 人名らしいが未詳。十二月二十二日には「やきのやすのりといふ人」などという書き方がされていたのに、ここは姓もなく名だけ呼び捨てにしており、「たてまつる」という謙譲語が使われているから、作者のよく知っている人物で、ある人の部下だった者か。【訳】四日。風が吹くので、出立することができない。まさつらが、酒や気の利いた食べ物を献上した。【本文】この、かうやうにものもてくるひとに、なほしもえあらで、いささけわざせさす。ものもなし。【注】●いささけわざ ちょっとしたこと。心ばかりのお返し。【訳】この、こんなふうに品物を持ってくる人に、やっぱりもらいっぱなしというわけにもいかなくて、ちょっとしたものを返礼にさせる。けれども、お返しするのにたいした物もない。【本文】にぎははしきやうなれど、まくるここちす。【注】●にぎははしき 「にぎははし」は、豊に栄えているようす。【訳】しょっちゅう物を差し入れてもらえるのは、景気がいいようだけれども、気が引ける。
April 2, 2009
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【本文】三日。おなじところなり。もし、かぜなみの、「しばし」と、をしむこころやあらん。こころもとなし。【注】●もし ひょっとすると。もしかして。●こころもとなし じれったい。気がかりだ。十二月の二十八日に浦戸から大湊へやってきて、もう四日も足留めをくっていることになり、そのイライラした気持ちがこの語で表されている。【訳】三日。やっぱり同じ場所である。ひょっとすると風や波が「帰京はしばらくお待ちなさい」と別れを惜しむ気持ちがあるのだろうか。こんな調子では帰京がいつになるやら気がかりだ。
April 1, 2009
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【本文】二日。なほ、おほみなとにとまれり。講師、ものさけおこせたり。【注】●講師 国分寺の建立とともに諸国に置かれ、各国の僧尼の監督、経典の講義、国家安穏の祈祷などを行った。奈良時代には国師といったが、平安時代のはじめに講師と改称された。●おこせ 「おこす」は、よこす。送ってくる。【訳】二日。まだ依然として、大湊に停泊している。国分寺の僧侶が、食い物や酒を使用人に持たせてよこした。
April 1, 2009
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【本文】元日。なほおなじとまりなり。【訳】元日。まだ依然として、おなじ港である。【本文】白散を、あるもの、「よのま」とて、ふなやかたにさしはさめりければ、かぜにふきならさせて、うみにいれて、えのまずなりぬ。【注】●ふなやかた 船上にこしらえた屋根付きの部屋。【訳】白散を、ある者が、「ちょっと夜の間だけ」といって、船上に造った屋根のある部屋のところに挿んでおいたところ、風に吹かれて飛ばされ、海に入れてしまい、飲むことができなくなってしまった。【本文】いもじ・あらめも、はがためもなし。かうやうのものなきくになり。もとめしもおかず。【注】●いもじ 里芋の茎を干したもの。いもがら。ずいき。●あらめ 食用の海藻の一種。●はがため 歯固め。「歯」は、年齢で、寿命を固め延ばす意。正月の三が日に長寿を祈って鏡餅・いのしし・しか・あゆ・大根・瓜などを食べる行事および、その食べ物。●かうやうのものなきくに 『土佐日記』(岩波新日本古典文学大系)では「船中のこと。諧謔的表現」とするが、果たしてそうであろうか?土佐日記の旅は帰京するまで五十五日も要しているが、土佐に赴任した時にもほぼ同じような日数を要したであろうし、十二月二十一日に出発しても、帰途で元日を迎えることはわかりきっていたはずである。ということは、船に乗る前から正月を迎えるための最小限の用品の準備はしていたはずである。そう考えれば、京では正月用品としてどこにでも置いてあるような入手容易な品々が、土佐の国では風習が異なるので正月用品も異なり入手困難だった、ということであろう。●もとめしもおかず 『土佐日記』(小学館、新編日本古典文学全集)では「し」を強意の副助詞、「も」を強意の係助詞、「おく」を補助動詞として扱っているようだが、私は、ここでは「し」を過去の助動詞、「も」を逆接の接続助詞、「おく」を本動詞と考えた。【訳】ずいきも・あらめも、歯固めもない。こういった京では正月に普通に食べるような物が無い土地である。探したが、どこにも置いていない。【本文】ただ、おしあゆのくちをのみぞすふ。このすふひとびとのくちを、おしあゆもし、おもふやうあらんや。「けふは、みやこのみぞ、おもひやらるる。」「こへのかどの、しりくべなはの、なよしのかしら、ひひら木ら、いかにぞ」とぞいひあへなる。【注】●おしあゆ 塩漬けにして、重しを加えて押した鮎。正月の祝いに用いた。●くちをのみぞすふ 「くちすふ」は、キスする意の動詞。『遊仙窟』の訓などに見える。●こへ 小さな家。●しりくべなは しめ縄。清浄な場所に張り渡して立ち入り禁止の印にした縄。のちに神前に張り巡らしたり。正月の飾りに用いた。●なよし ボラの別名。「名良し」という言葉を連想させるところから、縁起の良い魚とし、正月のしめ縄に頭を刺し、飾りにして祝った。●。「けふは、みやこのみぞ、おもひやらるる。」と「こへのかどの、しりくべなはの、なよしのかしら、ひひら木ら、いかにぞ」の部分を、船中の人々の会話とみる説と、押し鮎の会話とみる説がある。【訳】ただ押鮎の口をかじるだけだ。このキスする人々の口を、押鮎がひょっとすると何か考えるところがあるのであろうか。「今日は都のことばかり想像させられる」「小家の門のしめ縄にぶら下がっているボラの頭や柊などはどんなだろう」と話し合っているようだ。
March 30, 2009
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【本文】廿九日。おほみなとにとまれり。くすし、ふりはへて、とうそ・白散・さけくはへて、もてきたり。こころざしあるににたり。【注】●くすし 医者。●ふりはへて わざわざ。●とうそ 元日に、邪気を払うために酒に浸して飲む薬。●白散 元日に、無病息災を祈って、酒に浸して飲む薬。●こころざし 誠意。【訳】二十九日。まだ依然として大湊に停泊している。かかりつけの医師が、わざわざ遠くから、屠蘇・白散という邪気・病気よけの薬に、酒まで添えて、持ってきた。まごころがある人のように思われた。
March 30, 2009
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【本文】廿七日。おほつよりうらどをさしてこきいづ。【注】●うらとをさして 浦戸は高知県高知市の地名であるが、「さす」には、戸を閉める意の動詞もあるので、ここには「(裏口の)戸をとざして」というシャレも含んだ表現であろう。【訳】二十七日。大津から浦戸をめざして舟を漕ぎ出した。【本文】かくあるうちに京にうまれたりしをんなご、くににてにはかにうせにしかば、このごろのいでたちいそぎをみれど、なにごともいはず。【注】●にはかに 急に。●うせ 「失す」は、死ぬ。●いでたちいそぎ 旅立ちの準備。【訳】こうして一緒に舟に乗っている人のなかに、ある人は京で生まれた女児が、任国の土佐で急死してしまったので、最近の帰京の出発準備を目にしても、暗く沈んで一言も口を利かない。【本文】京へかへるに、をんなごのなきのみぞかなしびこふる。あるひとびともえたへず。【訳】帰京するというのに、ただひたすら女児が死んだことだけを悲しみ恋しがる。いっしょに船中にいる人々も、悲しみにたえない。【本文】このあひだに、あるひとのかきていだせるうた。 みやこへとおもふをもののかなしきはかへらぬひとのあればなりけり【訳】こうしてみんな悲しみに沈み込んでいるときに、ある人が書いてさしだした歌 いよいよ帰京するんだと思うのに心が悲しいのは一緒に帰らない者がいるからなんだなあ。【本文】またあるときには、 あるものとわすれつつなほなきひとをいづらととふぞかなしかりけるといひけるあひだに、かこのさきといふところに、かみのはらから、また、ことひと、これかれ、さけなにともておひきて、いそにおりゐてわかれがたきことをいふ。【注】●あるものとわすれつつ 従来の諸説は、たとえば「まだ生きているものと、死んでしまったことをつい忘れ忘れして」(新編日本古典文学全集、小学館)のように「ある」の主語を死んだ女児としているが、違和感を禁じえない。日本語の普通の感覚では「死んでしまったことを忘れる」のであれば、「失せしをば忘れつつ」とか「死にしをば忘れつつ」とか表現しそうなものであるし、「まだ生きているものだと考える」であれば「あるものと思ひつつ」とでも表現しそうである。これといって革新的な説があるわけではないが、幽明境を異にす、ということがあるから、「自分はこの世にいるのだ(死んだ子はあの世におり、もはや同じ世界にはいない)ということを忘れて」と解した。【訳】また、あるときには、 自分が生きているということを忘れては依然として死んだ人を「どこにいるの?」と周囲の者に問いかけるようすが悲しい。などと詠んだりしているうちに、鹿児の崎という所に着いた。そこに、国守の兄弟、また、その他の人、この人もあの人も、酒だとか何だとかを持って追いかけて来て、馬から磯に下りて腰を下ろし、別れのつらいことを述べた。【本文】かみのたちのひとびとのなかに、このきたるひとびとぞ、こころあるやうにはいはれ、ほのめく。かく、わかれがたくいひて、かのひとびとのくちあみももろもちにて、このうみべにてになひいだせるうた をしとおもふひとやとまるとあしかものうちむれてこそわれはきにけれといひてありければ、いといたくめでて、ゆくひとのよめりける。【注】●かみのたち 国守の官舎。●こころあり 人情や物事の道理をわきまえている。●くちあみももろもち みんなで一つの和歌を合作して口にしたことを、漁師が共同で網を持つことにたとえる。『例解古語辞典』(三省堂)に「ふだん和歌など作らない人たちが力を合わせてやっと作り上げたことを、『諸持ちにて荷ひ出だせる』と表現したもの。そういう和歌なので、聞きかじりで作られている。『惜し』に『鴛鴦』を重ね、その縁で、『葦鴨』のように連れ立って、としているが、どちらも淡水の鳥なので海岸での作としては、ちぐはぐな感じであり、自然に滑稽さが出ている。ただし、無理をしてでも惜別の和歌を贈ろうとした素朴な人たちの誠意は、よく表れている」とある。●あしかもの 「あしがも」は、水鳥の一種。カモ。古典の文章では濁音符号をつけないほうが普通であるので、ここのところ、従来の説には無いが、あるいは「あじかもの」(簣に入れた物)という意をも持たせてあるのかもしれない。すなわち、「酒の入った徳利やら何やら」をアジカに容れて、「荷なひ」(背負って)、大勢で押しかけてという意味が掛けてあるのかもしれない。後世の作品ではあるが、『太平記』巻四《備後三郎高徳事》に「身をやつし、形を替へ、簣(あじか)に魚を入れて、自らこれを荷なひ」という記述が見える。【訳】国守の官舎の人々のなかで、この別れを言いにやって来た人々が、誠意があり情趣を解する者だと言われて、まんざらでもないようすだった。 このように、別れるのが辛いという気持ちを述べて、その人々が、漁師がみんなで網を持ち上げるように口を揃えて、この海辺で詠んで担ぎ出した歌 京へ帰すのがおしいと思う人が、ひょっとしてとどまってくださるかと思って、アシガモのように大勢で群をなして我々はついつい別れを惜しみにやってきてしまったなあと詠んだところ、非常に絶賛して、旅ゆく人が返しに詠んだ歌。【本文】 さをさせどそこひもしらぬわたつみのふかきこころをきみにみるかなといふあひだに、かぢとり、もののあはれもしらで、おのれしさけをくらひつれば、はやくいなんとて、「しほみちぬ。かぜもふきぬべし」とさわげば、ふねにのりなんとす。【注】●そこひ 奥底。●わたつみ 大海。●かぢとり 舟の運航をつかさどる船長。船頭。【訳】〔その歌に対する返歌〕棹をさすけれども底がどれくらいかもわからない海のように深い心を、こうして遠くから駆けつけて別れを言いにきてくれたあなたがたに見ることだと詠んだりしているうちに、船頭が惜別の情も和歌の趣きも理解しないで、自分だけ酒をすっかり呑みおえてしまったので、さっさと出かけようとして、「完全に潮が満ちた。風もちょうどうまい具合に吹き出すだろう」と口うるさくああだこうだと言うので、船に乗ろうとする。【本文】このをりに、あるひとびと、をりふしにつけつつ、からうたども、ときににつかはしきいふ。また、あるひと、にしぐになれど、かひうたなどいふ。かくうたふに、ふなやかたの「ちりもちり、そらゆくくももただよひぬ」とぞいふなる。【注】●からうた 漢詩。●ちりもちり むかし、中国の魯の音楽の名人虞公が歌うと、梁のうえの塵までその歌に合わせて舞ったという『劉向別録』に見える故事。●そらゆくくももただよひぬ 音楽の名人秦青が節を撫して悲歌すると林の木々も振るえ、空飛ぶ雲も聴き惚れて足をとめたという『列子』《湯問》に見える故事。【訳】この時に、その場にいる見送りの人々が、季節に合わせて、数々の漢詩で、別れの場にぴったりするものを口ずさんだ。また、ある人は、ここは西国なのだけれども、東国の甲斐の民謡などを歌う。このように歌うので、さながら船の屋根に積もった「塵も感動して舞い散り、空を飛び行く雲も聞き惚れて思わず立ち止まってしまう」と、中国の故事にあるような調子である。【本文】こよひ、うらどにとまる。ふぢはらのときざね、たちばなのすゑひら、ことひとびと、おひきたり。【訳】今夜は、浦戸に停泊する。藤原のときざね、橘のすゑひら、その他の人々が、ここまで追いかけて来た。
March 28, 2009
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【本文】廿六日。なほ、かみのたちにてあるじし、ののしりて郎等までにものかづけたり。【注】●なほ 依然として。前日にひきつづき、ということ。●かみのたち 国守の官舎。●あるじ 饗応。接待すること。●ののしり 従来「ののしる」は「大声でさわぐ」という意味でとらえられてきたが、小松英雄は『古典再入門』において、「ああだこうだ言う」という新見を出した。●郎等 おともの者。家来。●かづけ 「かづく」は、慰労のために目下のものに衣類や反物のたぐいを与える。【訳】二十六日。この日も依然として国守の官舎で後任の国守が接待し、「長い間お疲れさまでした」とか「まあ、お飲みなさい」とか「ご馳走を召し上がれ」などと、いろいろなことを言って家来にまで慰労の品々をとらせた。【本文】からうたこゑあげていひけり。やまとうた、あるじも、まらうとも、ことひとも、いひあへりけり。からうたは、これにえかかず。やまとうた、あるじのかみのよめりける。 みやこいでてきみにあはんとこしものをこしかひもなくわかれぬるかなとなんありければ、かへるさきのかみのよめりける。 しろたへのなみぢをとほくゆきかひてわれににべきはたれならなくにことひとのもありけれど、さかしきもなかるべし。とかくいひて、さきのかみ、いまのも、もろともにおりて、いまのあるじも、さきのも、てとりかはして、ゑひごとに、こころよげなることしていでいりにけり。【注】●からうた 漢詩。●いひ いふ」には、詩歌を口ずさむ意がある。●まらうと 客人。●ことひと 主人・客人以外の人。●これにえかかず。 「え…ず」で、不可能を表す。従来「仮名文字しか女性は書けないので漢詩文を書くことが出来ない」とか「漢詩のことはよくわからないので書けない」などといったような解釈がなされているが、そうではあるまい。そう考えてしまうとあとの二十七日の記事に「からうたども、ときににつかはしき、いふ」とあるように、漢詩の内容を理解して評価している記事があることや、正月十七日の記事に「さをはうがつ、なみのうへの月を。ふねはおそふ、海のうちのそらを」などと唐の賈島の漢詩が書いてあることと矛盾する。ここでは、「あまりたいした作品も無いのでここに書き留めることはできない」という意味であろう。●しろたへのなみぢ 海路の旅が危険であったことが効果的に表現されている。●さかしき 「さかし」は、気が利いているようす。●もろともに 一緒に行動するようす。●おりて 座敷から地面におり立って。●ゑひごと 酔いにまかせて言う言葉。●こころよげなること 上機嫌な言葉。 【訳】漢詩を声をあげて朗詠した。また、和歌を、主人も、客人も、ほかの人も、詠み合った。漢詩はこれといった作品も無いのでここに書くわけにいかない。和歌を、送別の宴の主催である国守が詠んだ。 都を出発してあなたに会おうとやってきたのに、遥遥やってきた甲斐もなくもう別れてしまうのだなあ。と詠んだところ、その返歌として、帰京する前任の国守が詠んだ歌。 しろたえの布のように真っ白い波の立つ危険な波路を遠く行き来して私に似た目に遭うはずのものは他の誰でもないあなたなであり、私のことをよく理解できるのはあなたなのに。主人と客人以外の人の作品もあったけれども、気が利いた作品はないようである。あれやこれやと和歌を詠み合って、前任の国守も、現任の国守も、一緒に座敷から降りて、現任の国守も前任の国守も、手をとり合って、酔いに任せて昂揚して発する言葉に、調子のいい言葉を言って挨拶を交わして別れ、前任の国守は退出し、現任の国守は官舎へと入ってしまった。
March 23, 2009
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【本文】廿五日。かみのたちより、よびにふみもてきたなり。よばれていたりて、ひひとひ、よひとよ、とかくあそぶやうにてあけにけり。【注】●かみのたち 国守の官舎。●きたなり 「来たるなり」の音便「来たんなり」の「ん」の無表記。「なり」は伝聞・推定の助動詞。●あけにけり この「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。この言い方には、ほんとうは一日も早く帰京したいのに、呼びつけられて丸一日つぶれてしまったという、迷惑に感じているニュアンスがこめられているのであろう。【訳】二十五日。国守の官舎から、呼びに手紙をもって使者がやってきたようだ。呼ばれて官舎に着いて、日中ずっと、また続けて一晩中、あれやこれやと歌舞音曲に熱中するような調子で、夜がすっかり明けてしまった。
March 23, 2009
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【本文】廿四日。講師、むまのはなむけしにいでませり。ありとあるかみ・しも・わらはまで、ゑひしれて、一文字をだにしらぬもの、しがあしは十文字にふみてぞあそぶ。【注】●講師 もと奈良時代に国師といった。国分寺の建立にともない、諸国に置かれ、その国の僧尼の監督をし、また、経典の講義、国家安穏の祈祷などを行った僧の職名。平安時代のはじめ、延暦年間以後に講師と改称。●むまのはなむけ 餞別。送別会。●ゑひしれ 「ゑひしる」は、酔っぱらって正体をなくす。【訳】二十四日。国分寺の管長が、餞別しにおいでになった。その送別の宴では、ありとあらゆる身分の高い者から低い者、おまけに子供までが、ぐでんぐでんに酔っぱらって、一という最も簡単な漢字をさえ知らないような無教養な者、そんな連中が大酒のんで羽目を外し、あげくのはてには浮かれて舞いだし、フラフラして足を交差させて十という漢字をかいて楽しんでいた。
March 23, 2009
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【本文】廿三日。やぎのやすのりといふひとあり。【訳】二十三日。やぎのやすのりという人がいる。【本文】このひと、くににかならずしもいひつかふものにもあらざなり。【注】●くに 国守が政務を執る官庁。国府。●いひつかふ 物を言いつけて使う。【訳】この人、国府で必ずしも召し使っている人でもないそうだ。【本文】これぞたたはしきやうにて、むまのはなむけしたる。【注】●たたはしき いかめしくおごそかに。【訳】この者がいかめしくおごそかに餞別をした。【本文】かみからにやあらん、くにひとのこころのつねとして、いまはとてみへざなるを、こころあるものははぢずになんきける。【注】●くにひとのこころのつねとして、いまはとてみへざなるを この部分はいわゆる注釈的挿入句であろう。【訳】国守の人柄であろうか、(地方の住民の心の通例として、「いまはもう、京へ帰る前の国守などに用はない」と言って姿を見せないということだが)田舎者でも彼のように心ある者は、人目を恥じずにちゃんと別れの挨拶をしにやってきた。【本文】これは、ものによりてほむるにしもあらず。【注】●もの 餞別の贈り物。【訳】こんな風に彼を称賛するのは、餞別の品がすばらしかったからというわけではないよ。
March 22, 2009
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【本文】廿二日にいづみのくにまでと、たひらかに願たつ。【注】●いづみのくに 和泉の国。土佐の国から和泉の国までは、外洋で航行が容易でないことと海賊に襲われる危険がある。●たひらかに 「たひらかなり」には「A平らなようす。B穏やか。安らか。C無事でつつがないようす。」といった意味があるが、ここではその複合的な意味で使われているのであろう。つまり、「海面が波立たず平らでありますようにと神仏に祈願する」、「心を落ち着けて神仏に祈願する」「平穏無事であいますように」と三つの意味をこめた表現。【訳】二十二日に、和泉の国までと、なんとか途中で荒波などが立つこともなく無事に着けますようにと心静かに神仏に祈願した。【本文】ふぢはらのときざね、ふなぢなれど、むまのはなむけす。【注】●ふじはらのときざね 未詳ではあるが、藤原氏という貴族の姓であり、国守の任を終えた「ある人」のために「かみなかしも」が「ゑひあき」るほど十分な酒食を提供して送別会を主催すほどの経済力があり、作者は彼に対し特に敬語は用いていないところから、「ある人」に世話になった親しい部下という設定であろう。●ふなぢ 船旅。●むまのはなむけ もともとは、見送る者が旅立つ者の乗る馬の鼻先を出発する方向に向けてやって旅の安全無事を祈るおまじないだったらしいが、『土佐日記』より成立の古い『新撰字鏡』の「餞」の項に「酒食送人也〈馬乃鼻牟介〉」(酒食もて人を送るなり。馬の鼻むけ)とあるから、すでに送別会の意味で使われていたことがわかる。【訳】藤原のときざねが、馬には乗らない船旅だが、馬のはなむけ(送別会)をした。【本文】かみ・なか・しも、ゑひあきて、いとあやしく、しほうみのほとりにてあざれあへり。【注】●かみ・なか・しも 身分の上流・中流・下流。●ゑひあく 十分満足するまで酔う。●あやしく ここの「あやし」には「不思議だ」と「けしからん」という二つの意味をもたせてある。都の貴族たちばかりの宴席では節度を守るので、酒にやたらに酔ってふざけるなどということはないから、それに比べて送別会の主賓をよそに、ここぞとばかり「ゑひあき」、酒をのみまくる田舎者たちへの侮蔑のまなざしが、「けしからん」という表現につながる。●あざれあへり ここの「あざる」には「魚が腐る」と「ふざける」という二つの意味をもたせてある。海のそばでも、打ち上げられた魚などはすぐに鳥や野良猫などによって食われてしまうのが常で、港では実際には魚が腐るなどという光景は滅多にないと思われるのに、このように表現されているのは、虚構としての掛詞による言葉遊びか、そうでないとすれば、「魚が腐る」という認識は、普通視覚よりも異臭にもとづく嗅覚によって判断されるものであるから、あるいは「魚が腐ったような異臭を放っている」という言い方で、遠回しに、送別の宴で酔っぱらった者が海のそばまで行ってヘドを吐いているという暗示かもしれない。【訳】〔その送別の宴では〕身分の高い者も中くらいの者も低い者も、みんないやというほど酔っぱらって、とてもけしからんことに、海のそばでふざけ合っていた。(とても不思議なことだが、保存料である塩のたっぷり含まれている海水のそばで魚が腐っている)。
March 22, 2009
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土左日記 貫之作【本文】をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみんとてするなり。【注】●小松英雄は『古典再入門』(笠間書院)で「をむなもしてみん」には「をむなもじ(女文字)」という語が隠されており、そこに気づけば「をとこもすなる」という不自然な言い回しに「をとこも(じ)(男文字)」という語が隠されていることにも気づく、という指摘をしている。小松が抱いた従来の説への疑問は、のちほどここに補足する予定。【訳】男文字(漢字文)で書く日記というものを、女文字(仮名文)でしてみようとおもってするのである。【本文】それのとしの、しはすのはつかあまりひとひの日の、いぬのときにかどです。【注】●しはすのはつかあまりひとひの日 小松英雄は『古典再入門』(笠間書院)で、「十二月廿一日」とかかずに、このように書いてあるのは、どうせなら正月あけてから出発すればいいものを、暮れも押し詰まった、新年までいくらもないそんな日の、そのまた夜おそい戌の時に出発したというふうに書くことによって、一刻もはやく土佐を離れ帰京したいという気持ちを読者に想像させるためだ、というようなことを指摘している。●いぬのとき 「子(ね)」が午前零時を中心とした二時間を指し、二十四時間を干支の数の十二で割ると一つの干支について二時間が配当されるので、戌の時は午後八時を中心とした七時から九時。●かどで 門出をしてすぐに実際の旅路につくわけではなく、吉日を選んで適当な場所に一旦移動し、そこで十分に準備をしてのち、実際の旅路につく。 【訳】ある年の、十二月二十一日という日の戌の時に、仮の出発をした。【本文】そのよしいささかものにかきつく。【訳】その旅のようすを、すこしばかり、ありあわせの紙に書きつける。【本文】ある人、あがたのよとせ、いつとせはてて、れいのことどもみなしをへて、げゆなどとりて、すむたちよりいでて、ふねにのるべきところへわたる。【注】●あがた 地方官の任国。具体的には土佐の国。ふつう国司は中央で人選され、地方へ派遣された。任期はふつう四年。ここでは、なんらかのやむをえない事情でさらに一年の任期の延長を強いられたという設定であろう。●れいのこと 国司が職を離れるときにすることなになっている事柄。●げゆ 解由状。国司が交替するにあたって、事務を滞りなく引き継いだことを証明して新任者が前任者に渡す証明書。前任者はこれを受け取って帰京し太政官に提出して勘解由使の審査を受ける。【訳】ある人が、任国での四五年の任期が終わり、恒例の引き継ぎの事務をすべて完了して、解由状などを受け取って、住んでいた官舎を出て、舟に乗るはずの場所へと移動する。【本文】かれ、これ、しる、しらぬ、おくりす。【訳】あの人も、この人も、顔見知りも、よく知らない者も、見送りをした。【本文】年ごろよく見えつるひとびとなん、わかれがたくおもひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに夜ふけぬ。【訳】長い間、ちょくちょく顔を見せていた人々が、別れがたく思って、昼間頻繁に〔訪ねてきては〕、あれやこれやと〔別れの挨拶など〕しては、〔長い間世話になったとか、道中ご無事でとか、帰京したら手紙をくれとか〕ああだこうだと口々に色々言ううちに、すっかり夜も更けてしまった。
March 21, 2009
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唐の詩人 劉長卿の詩集『劉随州集』については、以上ですが、不備な点も多く、今後ぼちぼち手直ししていく予定です。職場の人からの要望で、ウィキペディアなどでは、「すでに研究しつくされている」とも言われる紀貫之『土佐日記』を読んでみてくれ、とのことなので、漢詩文については少しのあいだ休憩し、今後はしばらく『土佐日記』(ふるい写本には『土左日記』とありますが)を読んでいく予定です。
March 20, 2009
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