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昨年渡米したのはハロウインの直後だったので、今年のハロウインはとっても楽しみに待っていました。ヒロキは広告を丹念にチェックして、「これがいい!」とオバケのお面を買いました。ガイコツ柄のTシャツは「OLD NAVY」で仕入れました。本当はこの下に長い黒い衣装をつけていたのですが、あまりに暑かったので脱いでしまいました。隣のジャコランタンは、お父さんが大学のセミナーの余興で作ってきたものです。 このお父さんのジャコランタン、人気のない庭でローソクをつけると怖いのよー。 前に作ったジャコランタンは、楽天の皆様がご心配くださったとおり、しっかり中がカビてしまいました(笑)。でも、ろうそく点けて家の外に飾りました。 ヒロキの学校では、仮装での登校は禁止。ヒロキのESLクラスでは、仮装なしのパーティーの予定だったので、どうしても仮装したかったヒロキは、2年生のグライガ先生のクラスのパーティーに参加できるように交渉してきました。最近、何とか、このくらいの用事は、英語でできるようになったようです。 日本人のOKさんが娘の着付けに行ったので(浴衣を着ました)どんな様子だったか聞いてみましたが、キンダーと1・2年生が仮装して行列して、学校内をグルグルまわるだけ。30分して戻ってきたら、はい、お終いという感じだったそうです。学校によっては、全校で派手なパーティーをやったり、仮装コンテストをしたり、学校外を行列したりするところもあるようです。 さて、夕方の「trick or treat」は、うちのコンドミニアムの規則で午後6時から9時までの間。ドアに「Trick or Treaters Welcome」と張り紙をしている家だけノックしていいことになっています。(一般に、一戸建ての場合は、外の電気がついていて、ハロウインの飾りがしてある家だけを訪問しているようです。) 6時、さっそく元気の良い小学生と思われる一団がやってきました。サンタクロースみたいな大きなズダ袋をさげています。これにいっぱいお菓子を集めるつもりでしょう。うちのコンドは700件以上あるから、そのくらい集まるかな? ヒロキたちは、日本人同士で集まって、ヒロキ、サキ、エリ、ユミ、チカの5人組みでまわりました。例年は、近所をちょっと回るだけですぐにたくさんお菓子が集まるらしいですが、今年は週末を重なったためか留守の家が多くて、せっかく4階まで登っても収穫0という建物も多く、30分ほどで疲れてしまって帰りました。それでも、かぼちゃ型のバケツにほぼいっぱいになりました。ヒロキの場合はもらうのは楽しくても、お菓子はほとんど食べないので、これは全部私が食べることになり、でぶのもとです。 その後は、サキの家でパーティーをして楽しく過ごしました。 そうそう、ジャコランタンにしたかぼちゃの中身ですが、Yoshie先生もBBSで教えてくださいましたが、パンプキンパイにして食べる人もいるそうです。夫がジャコランタンを作りながら回りのアメリカ人に聞いたところ、食べる人もいるし、そんなの食べないと言う人もいたそうです。種は塩水につけて、味のついたところを、オーブンで焼いて食べるそうです。ある家で御馳走になったけれど、そんなにおいしいものでもありません。それにしても、楽天の先輩の皆様、日記のUP早いですね…ハロウインの当日の夜ちょっとのぞいたら、もうみなさん写真つきの日記を書いていらっしゃいました。さすがに気合が違います。
2003年10月31日
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今日の午後、ヒロキのESLクラスで皆がそれぞれ勉強をしているとき、(2年生から6年生までの複式学級なので、それぞれ課題を与えられてやっている)、担任のハバード先生が教室を出ていかれました。ヒロキは「何かを取りに行ったのかな?」とあまり気に止めなかったそうです。 しばらくしたら、サイレンが鳴り出しました。消防車のサイレンみたいだったそうです。ヒロキは、どうしたものかとあたりをみまわしました。すると、6年生のバージ君が、いつもやっているようにドアのところに立って、皆に「並べ」と指示しました。2週間前に来たばかりのチャー兄弟は、何を勘違いしたか、外に遊びにいかれると思って走り回ってしまったので、リアンド君が(この子も9月に来たばかりで、英語はほとんど話せないのですが)スペイン語で「避難訓練らしいから、遊ぶな!」と説明したそうです。 それでも、先生は戻ってこなくて、バージ君は先頭に立っていつものように外に出て行きました。先生は外でニコニコして待っていて、「You made a grate job!」(よくできました!)って、誉めてくれたそうです。 避難訓練自体は今年(9月から)に入って、3回目ですが、今日はクラスのだれもが避難訓練があることを知らなかったそうです。もちろん、キンダーや1年生のクラスは、先生がちゃんと誘導して避難をしていたそうです。ヒロキのESLクラスは5・6年生が中心なので、「大きい子」として扱われたのでしょう。それにしても、日本の6年生がこんなにちゃんとできるでしょうか?これも、「自分の身は自分で守れ」と言うアメリカ流の教育なのでしょうか、考えさせられました。 夏休みの水泳教室でも、ヒロキのクラス(そこそこ泳げるクラス)はもちろん、3歳からの「超初心者クラス」…はい、お水に顔をつけましょう!はい、足をバタバタさせましょう!なんてやっているレベルでも、「水難救助」の授業がありました。プールの真中でおぼれている(ふりの)先生に向かって、「助けて!助けて!誰かおぼれてるー!」と叫んで、なにか浮くものを投げる、決して自分が飛び込んではいけない、とかなりしつこくやっていました。日本でも、こういう教育は、もっとやったほうが良いと思いました。 アメリカの教育で、すばらしいなと思った一部分です。
2003年10月29日
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ハロウィンが近いです。もう1ヶ月以上前から、オレンジ色の大きなかぼちゃがたくさん売られています。かぼちゃのちょうちん?ジャコランタンを作ってみました。日本のかぼちゃと違って、軟らかくて、思っていたより簡単にできました。おじいさんにいただいたジャックナイフが大活躍でした。出来上がりの写真です。すっぴんの私が写っていてお見苦しいですがご勘弁を。 蓋を閉めた状態で、中にろうそくをともしたら、蓋の部分がこげて焼きかぼちゃになってしまいました。トップページの写真です。日本人の友人に、「くり抜いた中身はどうやって食べるのですか?」と聞かれました(驚!)。食べません、というか食べられません。彼女は小型の飾りかぼちゃを、ハロウィンがおわったら食べようと思って、5つも買ったそうです。これも、だれも食べません。アメリカは食べ物には季節感が乏しいけれど、飾りつけにはすごく季節感があります。このかぼちゃも結構な値段がしますが、(我が家のは小さいので3ドル、大きいものは6~10ドル)家の周りにいくつも置いて、ガイコツやクモの巣やオバケを配置して飾り付けしている家もあります。ハムデンの中でも治安が悪い地域のボロッちい家に凝った飾り付けがしてあると、なかなかすごみがあります(笑)。
2003年10月27日
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今日から冬時間になりました。日本との時差は14時間です。 昨日の日記に書いた、ハドソン川右岸の鉄道が気になって、いろいろ調べているうち夜更かししてしまい、せっかくの1時間の余裕は消えてしまいました。 で、その鉄道はConrailという、貨物専用線であるらしいことがわかりました。地図上に駅はあるし、ネットで駅の写真を公開しているページもありましたが、現在は旅客線は走っていないようです。 ハドソン川左岸(東側)にはメトロノースのハドソン線が約30分おきに走り、アムトラックも走っていて、「町」なのですが、右岸(西側)は、鉄道がなくなったから「村」なのか、それとも「村」だから鉄道がなくなったのか、本当にひなびています。 ハドソン川にかかる橋はなぜかとても少なくて、昨日行ったPoughkeepsieは河口から直線で50マイルはあると思いますが、一番下流のマンハッタンとニュージャージーを結ぶ、2つのトンネルのほかは、ジョージ・ワシントン橋、タッパンジー橋、ベア・マウンテン橋、I-84の橋、ミッド・ハドソン橋の5つしかありません。そして、川を西から東へ渡るときは有料です。ジョージ・ワシントン橋は6ドルも取るので、なるべく通らないで、タッパンジー橋(4ドル)へ迂回するようにしています。なぜ、川を東から西へ渡るのが無料なのかは、解りません。 また鉄道の話に戻りますが、現在はすっかり車社会のアメリカですが、アメリカにも鉄道の全盛期があったのですね、あちらこちらに廃線があるようです。ハムデンの私のアパートの敷地の隣にも、1970年代まで鉄道が走っていたようで(ニューヘイヴンからハートフォードまで続いていた)、現在は跡地の一部が遊歩道兼サイクリングロードになっていて、大勢の市民が訪れています。「ハドソン川の鉄道の旅」をゆっくりしてみたいものです。
2003年10月26日
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ハムデンは先週初雪が降りましたが、その後はちょっと暖かく、紅葉はピークを迎えすばらしい眺めです。 ニューヨーク州のハドソン渓谷は紅葉の名所であると聞いていたので、今日は補習校が終わったあと紅葉見物にドライブすることにしました。 起点は、I-287(インターステイト287号線…国の管理している高速道路で、道路の格としては一番上)のタッパンジー橋のたもと、そこから国道9号線を北上しました。この辺はまだ、ぜーんぜん紅葉していません。そういえば、今日補習校の駐車場で、ヒロキのクラスの友人のお母さんに、「寒いですねー!」と声をかけられたのですが(彼女は本当に寒そうでした)、わたしは、ハムデンに比べてずいぶん暖かいなあーと思いながら歩いていたところだったので、なんて返事をしようか、一瞬言葉に詰まってしまったのでした。 途中ハドソン川のながめがよいところもありましたが、紅葉は今ひとつ。 ピークスキルという町から、ベア・マウンテン橋を渡って、ハドソン川右岸に行きました。フォート・モントゴメリーという独立戦争時の砦があり、ハドソン川に向けて大砲を設置してイギリス海軍と戦ったようです。川のふちのがけの上まで来ると、対岸にはメトロノースのハドソン線の電車が走っているのが見えます。こちら側にも線路があって(単線)、一度貨物列車が走っていきましたが、何線なのでしょう? ドングリが山のように落ちていて、ここにはリスが来ないのかしら? ヒロキとお父さんは、ドングリをさんざん投げ合って戦争ごっこをしました。 それからまた国道9W号を北上し、I-84まで来たところ、大分紅葉が良くなってきたような感じがしたので、そのままI-84にのればコネチカットに帰れるのですが、回り道をして、また国道9W号を北上し、次のミッド・ハドソン橋をめざしました。周りは小さなひなびた農村で、とても田舎にきたのだなあと言う感じがしました。紅葉はまあまあでしたが、だんだん暗くなってしまい、やっぱりあまり見られませんでした。 橋を渡って(1ドル)、ポウキープシー(Poughkeepsie)という町から、国道9号に入って南下しました。こちら側は対岸と違ってそこそこの町で、アメリカでよく見かけるチェーン店はたいてい全部あり、そのうちの一つ「ボストン・マーケット」というチキンのファストフードの店で夕食を食べて、I-84に乗って帰りました。(途中ダンバリーにちょっと寄って、買い物しました。) 合計で400マイル近く走ったのですが、その割には目的の紅葉は今ひとつ…なんか、ハムデンの紅葉が一番きれいなような気がします(笑)。
2003年10月25日
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例年より何日早いのかはわかりませんが、今日はハムデンに初雪が降りました。うっすらと車の上に積もっていただけですが。 さて、この寒い中、私は楽天その他でお世話になっているNY在住のピアニスト、Yoshie先生のコンサートを聞きにマンハッタンへ出かけました。今日はあいにくヒロキの学校が「早帰り」で2時間早く終わるので、1時に学校に迎えに行き、友人の家に送り届け、ニューヘイヴンの駅まで車を飛ばし、いつもの駐車場が満車だったので、向かい側の少し遠い駐車場の最上階に止め、駅まで走って1時59分発の「グランド・セントラル」行きに乗りました。実はアメリカに来てから電車に乗るのは、これで2回目です。3時40分に到着、グランド・セントラル駅はそれ自身が観光名所となるくらいの豪華な広い駅なので、迷いながらも正しい出口を見つけ、41丁目の日系の本屋さんにたどり着きました。しかし、目当ての本もビデオも見つからず、何も買えませんでした。そこからタイムズ・スクエアまであるいて、地下鉄の1・9番にのり、リンカーンセンターの中にあるニューヨーク市立図書館のブルノ・ワルターホールにたどり着いたのが5時少し過ぎ。開演までまだ1時間もあるのに、もう10人以上の人が並んでいました。 コンサート前半は、Yoshie先生の師匠である、グラント・ヨハネセン先生とYoshi先生とのデュオで、プロコフィエフの小品集。歳は親子以上に離れているし、体の大きさも全然違うのですが、さすが師弟で息もぴったり合って、軽やかさというか、力の抜き方がほとんど同じなのには感心しました。 とくに、「Song」という曲は、昨年のPTNAの中級の課題曲だったので、中学生や高校生が弾くのを何回も聞いていたのですが、プロの演奏は違う曲みたいでした。 後半は、ヨハネセン先生の講演?(日記の朗読など)のあと、プロコフィエフの「戦争ソナタ」でした。とてもスケールの大きい体力の要る曲ですが、とくに3楽章の迫力は85歳という年齢を感じさせませんでした。 帰りは会場を出たのが7時35分、また地下鉄1・9番に乗って、タイムズ・スクエアで乗り換え。この駅には一度だけ来たことがありますが、乗り換えのSラインの方向に走り、ドアの閉まりかけた電車の行き先も確かめずに飛び乗り(私って大胆ね)、グランド・セントラル駅へ到着。ニューヘイヴン行きが110番ホームから出ることが解ったものの、どこにホームがあるのか…日本と違って「改札口」と言うものがないので、駅ビルの商店街の中から直接ホームに下りるような感じです。適当に見当をつけて歩いたら、110番ホームを発見、と、隣の106番ホームにも「ニューヘイヴン行き」が停まっているではないか!こちらの方が3分早く出発するので乗ったらほぼ満員、やっと座席を見つけたら出発、8時4分でした。この電車は「超・急行」で、停車駅も少なく、時刻表に書いてある時間(9時42分)より早く到着するという、変わった電車でした。 心配していたニューヘイブン駅から駐車場までは、ちょうど一人同じ方向へ歩く人を発見し(花束を持ったおじさんで、そう変な人でもなさそうだったので)、後ろから追いかけていったので怖くはありませんでした(この辺は治安がいまいちのところなので緊張します、もっとも駅の隣が警察署なのですが)。 10時10分に家に帰ったら、ヒロキはまだベッドの中で起きていました。お父さんと宿題やるのが大変だったみたいです。 マンハッタンがもう少し近ければ、もっともっと遊びにいかれるのになあ…
2003年10月23日
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先週の月曜日、10月6日は「ヤム・キッパー」というユダヤ教の大事な日(贖罪の日)で、ハムデンやニューヘイヴンやニューヨークの公立の学校は休日でした。もちろん、キリスト教系の私立の学校は休みではありません。なんで、ユダヤ教の聖日に公立校が休むのかというと、その昔(今でもそうかも知れないけれど)教員にはユダヤ人(ユダヤ教を信じている方は、どういうルーツであれ、ユダヤ人と言うようです)が多かったので、この日に大量に休まれてしまい、授業にならないから、らしいです。従って、ユダヤ人のもともと少ない地方は、この休日はないらしいです。ニューヨークや、コネチカットを含むニューイングランド地方は、ユダヤ人の多い地域です。 今日、10月13日は「コロンバス・デー」の祝日です。アメリカ大陸の発見者、クリストファー・コロンブスを記念した、公的な祝日です。ハムデンの図書館も今日は休みです。なのに、夫の勤めるイェール大学は今日は休みではありません。大学の授業も普通にありますし、病院もやっています。ヒロキの友人ノエル君のお母さんはイェール大学の聴講生なので、今日は授業の間ノエル君を預かりました。ノエル君のお父さんの会社も普通どおり仕事だそうです。 アメリカの祝日は州ごとに違う、ということは聞いていましたが、州で決まっている祝日にも休まなくていいことは初めて知りました。 夫は昨年この時期にアメリカにやってきました。時差ぼけで疲れていて、とても休みたかったのに、「コロンブス・デー」は大学は休みではありませんでした。次に楽しみにしていた、11月11日の「ヴェテランズ・デー」、やはり大学は休みではありませんでした。ここで、アメリカに不慣れな夫は、大きな勘違いをしました。「そうか、イェール大学は祝日は返上で働く、意欲的な大学なんだ!」 次の祝日は、11月の第4木曜日の「感謝祭」です。夫はボスに聞きました。「『感謝祭』も大学は休まないんですよね?」ボスはあきれて、「何言ってんの!『感謝祭』には皆でばあさんの家に行くものだ。」と言ったそうです。そして、「感謝祭」の前日の水曜日から、研究室にはボスをはじめとして、だれもいなくなりました。
2003年10月13日
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ヒロキの通っている小学校のヘルナンデス校長先生は、アメリカ海兵隊の現役予備役でもあります。(日本では考えられない”兼任”ですが、これはアメリカの教員の給料が一般的に低いためです。)昨年度、ヘルナンデス先生はすでに予備役の義務を終えていましたが、イラク戦争のはじまる直前の今年3月、再び臨時徴兵されて韓国へ派遣されました。 イラク戦争が一応終結した5月には、学校や公共施設や、たまには個人の家でも、木や柱に黄色いリボンの花が飾られました。これは、戦争から帰った兵士を歓迎する意味がこめられているそうです。 ヘルナンデス先生は、9月に無事に勤めを終えて戻ってこられました。今日はPTA主催の歓迎パーティーです。あらかじめボランティアを募って、会場の飾り付けをする人や、パーティー用の食べ物を用意する人を決めます。私はブラウニーという、極めてアメリカ的なチョコレートの塊のようなケーキを焼いていきました(市販のミックスに、卵とサラダオイルを混ぜて焼くだけ、超簡単です)。 PTAの会長さんの司会でパーティーは始まりました。始めに、校長先生がいなくなってから今までの、学校行事の紹介のスライド・ショウ。次にバイオリンよる国歌独奏と、子供たちの歌が数曲。そして、ハムデンの市長さんのあいさつ…日本の政治家と違って、ほとんど1分で終わりました。そして、校長先生のあいさつ…家族も一緒に前に立ってあいさつします。校長先生は若いな(40台)と思っていましたが、お子さんは二人とも小学生でした。それが終わると、周りのテーブルにセットされたケーキ、クッキー、オードブルなどを自由に取りながら歓談します。クラス担任や、ヒロキのお友達のお母さんなどと少し話しました。アメリカのケーキ類はとても食べられないようなものも多いのですが(甘すぎたり、妙な香料が使ってあったり)、さすが腕に覚えのあるお母さんの焼いてくださったケーキは、なかなかおいしかったです。わたしのブラウニーも子供に人気で(なんせ”市販の味”ですから)ほとんどなくなっていました。1時間ほどで次第に人が少なくなっていったので、私もお暇しました。 さて、その間ヒロキはお父さんとお留守番。「夕御飯食べて、宿題の残りをやっときなさい、お父さん監督お願い!」と言っておいたので、やることはやってありました。しかし、お父さんはたった1時間足らずの宿題のお付き合いで、へろへろに疲れきっていました。どんなに大変か(宿題が、ではなく、宿題させるのが)解ったでしょう? あたしは毎日最低2時間はお付き合い申し上げてるのよ! なにはともあれ、校長先生が無事に戻られ、本当によかったです(とっても人気のある先生です)。
2003年10月07日
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アメリカの学校には「スクールナース」がいます。普通のナースよりさらに上の資格を持った人らしいです。 ヒロキの学校のスクールナース「デイリー先生」は、お年は40歳くらいか、大変仕事熱心で超まじめな方です。 入学に当たって、予防接種が日本とは異なっているので、小児科に行ってまとめて(ヒロキの場合は3本)接種するのですが、その病院の小児科の医師が「三種混合は日本で4回受けているし、もうすぐ7歳だからもう追加はしなくていい」というので、受けないで帰りました。そうしたら、デイリー先生、「コネチカット入学の規則書」を持ち出してきて、「4歳を過ぎてからの追加接種が必要って書いてあるでしょ!」。わたしがろくに英語が話せないことは承知なので、ご自分で小児科に電話をかけ、「必要ない!」と言う小児科医に「規則です!」と押し切り、ついにヒロキは翌日もう一度受けに行くはめになりました。相当激しく口論したらしいです。 ヒロキの左手首に妙な湿疹ができて、治りにくいなあと思っていたら、バスを待っている間にデイリー先生それを発見!すぐに電話をかけてきて「今学校でリング・ワーム(白癬)がはやっているから医者に行くように。」医者も首をかしげていましたが、白癬用の薬で無事完治しました。御見事、デイリー先生。 最近気温の差が激しいので、ヒロキは風邪をひき、そのあとお決まりの鼻炎で鼻水がのどに下がってちょっとせきをしています。デイリー先生、気になるらしく、先週の金曜日は「週末で治らなければ病院へ行くように」という手紙をくださいました。なので月曜日は学校を休ませて病院へ連れて行きました。でも、熱もないし、本人は元気です。 今日はまた授業中にちょっと咳き込んだらしく、デイリー先生の部屋に行かされ、早退を命じられました。あしたも休んで早く治すようにとのことです。本人は学校が大好きなのでブーブーです。 ヒロキの咳は鼻水咳なので、人に感染させるようなものではないんだけれど…これって、学ぶ権利の侵害じゃないの…しかし、強力スクールナースには逆らえません。うちでゆっくり補習校の宿題でもやらせようっと。
2003年10月02日
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