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夕べ遅く着いたので気がつかなかったのですが、ホテルの裏手はすぐ海岸に続いていました。どこまでもどこまでもまっすぐな海岸です。お天気も快晴、朝食後海岸で凧揚げをしました。ペリカンが十数羽、隊列を組んで北へ飛んでいくのも見えました。 あがっているように見えるかな? 本当はちゃんと揚がらなかったのですが・・・なぜ、凧揚げか? それは、「ライト兄弟」の故事にちなんでいます。ライト兄弟も凧揚げをして、飛行機の研究をしたのでした。そう、ここキル・デビル・ヒルズは、ライト兄弟が世界で初めて飛行機を飛ばしたところです。ライト兄弟はオハイオ州の人ですが、ここの地形<アウター・バンク=外側の堤防、と言われ、大陸に並行する細長い島です>が、風向きと風力が一定で、飛行機を飛ばすのに適していると考え、この地を実験場に選びました。当時は砂地の何もないところで、わずかに漁師が住んでいただけのようです。 飛行25周年に立派な記念碑が建てられ、この式典には弟のオービルが出席したそうです。今は記念公園になっていて、復元機(コピー)が展示され、「ここから、飛行機が飛び立ちました」「58秒飛んで、800フィート進み、ここに着陸しました」という石碑があります。でも、重要なものはほとんどスミソニアン博物館が所蔵しているので、写真やコピーが多いです。ライト兄弟が使ったミシンというのが展示してあり、笑えます。 先日の12月17日、飛行100周年を記念して復元機を実際に飛ばすという試みがなされましたが、なぜか失速して数秒しか飛びませんでした。映像は日本でも放映されたようなので、ご覧になった方もあるかもしれません。どこで飛ばしたのか、はっきりとは解らなかったのですが、新しく整地した跡があったので、きっとそこで飛ばしたのでしょう。このとき使った復元機は、オハイオ州の博物館にすぐ持っていかれてしまいました。アメリカは、郷土の英雄をとても大事にしますが、ライト兄弟については、オハイオ州と、ここノース・カロライナ州で「英雄のとりあい」をしています(笑)。両州ともに、その他にこれと言った英雄がいないからです。 記念館の売店で買い物をしたら、店員のお兄さんに「アケマシテオメデトウ!」と言われ、びっくり! 「ボクノ オクサン、ニホンジン、日本時間はもう新年だよ。」そうでした、すっかり忘れていました(笑)。さて昼前、ライト記念公園を後にして、すこしアウター・バンクをドライブ。ここは夏のリゾート地で、貸別荘がたくさんあります。夏の人口は冬の何倍になるのか見当もつきません。ノース・カロライナ州を後にして、帰路につきます。途中、ヴァージニア州の南端のノーフォークという軍港にある、戦艦ウイスコンシンを夫がどうしても見学したいというので寄りました。 戦艦ウイスコンシンは第二次世界大戦中の1944年に建造され、父島に来たこともあったそうです(ほとんど参戦していません)。朝鮮戦争で活躍し、冷戦終了後は目立った活動はなかったのですが、なんとあの湾岸戦争のとき、トマホークを積んでアラビア半島に派遣され参戦したそうです。数年前にこのノーフォークの港に接岸され、博物館になっていますが、まだ退役したわけではなく、「予備役」なんだそうです。「まあ、もう召集されることはないと思うけどね、ボクも、海軍の予備役だったけれど、もう引退したよ」と老ボランティアが、錆の目立つ老朽艦を眺めながら説明してくれました。この船の甲板にはチーク材が張ってありますが、これは建造当時冷房のなかった船室を暑さから守るためだったそうです(その後の改造で冷房はつけられました)。甲板を磨くモップ立て(swab rack)がたくさんあって、なんでもこのモップは海軍で最も重要な道具なんだそうです(デジカメ写真がなくて残念)。 ゆっくり見学して、出発したのが夕方5時過ぎ。ヒロキのリクエストで、ノーフォークのマクドナルドに寄ろうとしたけれど、周りの雰囲気があまりにも悪いので断念。アメリカで知らないところへ行くとき、こういう観察や勘はとても大事です。少し走って、ハンプトンの町でマクドナルドを見つけましたが、ここも雰囲気がいまいちだなあ、と見ていたら、店の人が出てきてドアに「大晦日につき、6時で閉店」の紙を貼り付けました。まずい、今日は夕飯食いっぱぐれか! でも、もう少し走ったら国道60号沿いのこぎれいな24時間営業のマクドナルドが見つかり、無事夕食が食べられました。 それから、ひたすら走る、走る、走る・・・I-64、I-295、I-95、ワシントンDCを迂回するI-495、再びI-95を経て、ニュージャージーターンパイクに入ったころ、日付は変わりました。行きと違って真夜中のせいか、ほとんど走っている車はないし、真っ暗だし、出口と出口の間がとても遠い、ところによっては20マイルも離れているので、とても退屈な道です。飛ばすぐらいしか楽しみがない。ところが、なぜかパトカーがやたらに目に付くのです。一度など、ちょうど一台の車がつかまる現場を目撃してしまった。特別にスピードを出していたようでもなかったのに、どうしてあの車がつかまったのだろう、わかりません。こんなところでつかまったらことなので、制限速度厳守でのんびり走りました。 ニューヨーク州に入って、休憩するところが見つからなかったので、よく知っている補習校に寄りました。補習校のすぐ近くの道端に、大きな鹿がいてびっくり! あんなものにぶつかったらただではすみません。(ときどきハイウエー沿いに死体が転がっています。車も大破のはずです。) 無事、我が家にたどり着いたのは、午前4時15分でした。合計走行距離 1440マイル=2300kmでした。よく走ったな(笑)。
2003年12月31日
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今日はさすがに疲れて、ヒロキも私も朝はなかなか起きられませんでした(笑)。(夫だけがなぜか早起き) 行く行かないで、またもめましたが、やっぱりここまで来たからには行くことにしました。どこへ?さあ、ワシントンDCを出発して、南下開始!I-95を南下して、ヴァージニア州へ入ります。I-95は東海岸の、日本でいえば東名高速のような大動脈なので、交通量はかなりあり結構混んでいます。でも、ヴァージニアに入ったら途中のサービスエリアは、トイレと自動販売機しかなくて、日本の田舎の高速道路みたい(笑)。 ヴァージニアの州都リッチモンドの手前でI-295にはいったら、これがまた林の中の何ーにもないところの広い道で、快適に飛ばせました。I-64に入ってしばらく行くと、「Historical Site」はこちら、の看板が目立ちます。ヴァージニアには、イギリスが最初に作った植民地、「ジェームズタウン」があるのです。 よく知られている「アメリカ建国の歴史」は、1620年メイフラワー号に乗ったピルグリムズがプリマス(ボストンの近く)に上陸した、というもので、私も世界史は全然勉強していなかったので、それしか知りませんでした。実は、メイフラワー号以前に、すでにアメリカにはイギリスの植民地があったのでした。 ジェームズタウンは1607年、イギリスから来た約100人の男たちによって始めて作られた植民地で、当時のイギリス国王(ジェームズ一世)にちなんで、その名がつけられました。実はこれ以前のエリザベス一世女王の時代にも植民地を作ろうとしましたが失敗し、エリザベス一世女王(生涯独身だったので、ヴァージン女王と呼ばれた)にちなんだ地名「ヴァージニア」だけが残ったそうです。 で、運転しながら、そのジェームズタウンに寄るか、寄らないか、(今日の目的地が遠いので、着けるかどうか心配だったこともあり)またまたもめましたが、おもいきってI-64の出口238で降りてしまいました。「歴史的ハイウエー」という妙な名前のいなか道を遠回りして、ジェームズタウンに到着(2時ころ)。入園料大人一人6ドル。 ここはチェサピーク湾に面した半島の一部で、ハリケーンの通り道です。ここを植民地にした人々は約100年ほどは頑張ったのですが、やがてもう少し条件の良い内陸のウイリアムズバーグ(ここにも歴史的テーマパークがあるそうです)に町を移してしまい、廃墟になりました。植民300周年の1907年には立派な記念塔を建て、廃墟を発掘したり、復元したりして、今は歴史公園になっています。当時のインディアン襲撃を防ぐ柵や、教会が復元され、住居跡の土台が発掘されています。イギリス人と政略結婚をさせられたインディアンの酋長の娘「ポカホンタス」の銅像もあります。昨年のハリケーン・イザベラでまたまた大被害に遭い、ヴィジターセンターは浸水して使えなくなっていました。 さて、ジェームズタウンの遺跡を見学して、いざ出発しようとしたら、すぐ隣に博物館があることがわかりました。夫がネット検索で見つけたのは、こちらであることが判明。もう夕方4時を回っていましたが、せっかくなので見学することにしました。入場料3人で約$25。入り口の建物が立派だったので、屋内展示場だと思ったのですが、実は屋外に、ジェームズタウンとまわりのインディアンの集落が復元してあり、当時の服装をした人が案内してくれる、ミニ・テーマパークだったのでした。 インディアンと植民地人と記念撮影。煙っているのは、インディアンが焚き火をしているからです。当時の人々の住居や生活ぶりが、よくわかります。海には最初の移住者が乗ってきた3艘の帆船が復元されています。このうちの一艘は実際にイギリスからここまで航海をしたそうです。船の中にカマドがあって、ここで煮炊きをしたようですが、何ヶ月もの長い航海の間、何を食べていたのでしょうか? ヴァージニアのクオーター(25セント硬貨)には三艘の船が描かれていますが、それはこの船なのです。 大急ぎで見学して、5時過ぎ出発。ニューポートの町から、州道168を経て、ノース・カロライナ州へ。ここのMoyockという町のバーガーキングに入ったら、思いっきり差別された! 店に入っても「いらっしゃいませ」でもないし、20ドル札出したら偽札チェックして、キッズミールの景品に古いおもちゃをくれた。東洋人だから差別されたか、あるいは車のコネチカットナンバーを見られたのかもしれない。聞くところによると、未だに南部の人は北部の人が嫌いだそうです。 夜9時過ぎ、無事目的地のキル・デビル・ヒルズへ到着。ここになにがあるのか、それは明日のお楽しみです。宿はまたデイズ・イン、AAA割引で一泊朝食つき$35なり。夏は$160くらいするようです。
2003年12月30日
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ワシントンメモリアル、朝8時少し前ですが太陽が低く、影が長ーく伸びています。巨大な墓石と言ったのは、だれだ! 高さは169.3mあります。----------------------------実は、昨年も年末の同じ時期にワシントンDCを旅行しました。そのときワシントン・メモリアル(初代大統領ジョージ・ワシントンを記念して建てられた塔、ワシントンDCで一番高い)に登りたかったのですが、整理券が手に入らず断念しました。ヒロキがとても残念がって、それからしばらくワシントン・メモリアルの絵ばかりかいていたので、次回は必ず行こうと約束していました。今回は万全を期し、整理券は手数料を払ってネットで申し込みました。指定時間の30分前の8:30に整理券を受け取らなくてはならないので、ワシントンDCの中心になるべく近くで、それでもけして高くないデイズ・インに宿をとりました。朝7:40に宿を出て、地下鉄で行きました。中心部には駐車スペースがあまりないからです。8時少し過ぎにもう着いてしまい、整理券を受け取ってから近くのホワイトハウスまで行って、大統領のクリスマスツリーを見ました。(ブッシュ大統領はテキサスに行って、留守のはずです)。あまり朝早いためか、クリスマスツリーの周りのフェンスの門に鍵がかかっていて、近くには寄れませんでした。さて、二年越しの願いがかなって、いよいよワシントン・メモリアルに登ります。待っている間、案内の人がいろいろ話をしてくれるのですが、われわれ夫婦はさっぱりわかりません。しかしヒロキは「あのおじさん、面白い話してたねぇ…。」でも、「どんなお話だったの?」って聞いても、「忘れた・・・」って教えてくれません。入り口でお決まりの厳しいセキュリティー・チェック(どこも、空港並です)。夫のベルトのバックルは必ず金属探知機に引っかかり、厳しいボディーチェックです。冬のためか、靴は脱がされませんでした。エレベーターに乗って、いよいよ展望台へ! 窓は小さい上に半分ふさがっていて、さらにガラスがはまっているのですが、東は国会議事堂、北はホワイトハウス、西にはリンカーン記念堂(昨年行きました、巨大なリンカーン像があります)、南にはジェファーソン記念堂としっかり見えました。塔を降りて、アメリカ史博物館へ行き小休止。それから広い博物館の中をあちこち見学しました。100000ドル札というのも見ました。遅い昼食を取ってから、宇宙航空博物館(本館)へ。ここは昨年も行ったのですが、今回再び訪れたのにはわけがあります。ヒロキが夏休みの宿題で読んだ本(英語)の一つが「First Flight」おなじみライト兄弟のお話ですが、この世界最初の飛行機「First Flyer」と、もう一つ「Night Flight」これは初めて大西洋横断飛行をしたリンドバーグのお話で、そのとき使った「Spirit of St.Louis」の両方がこの博物館に展示されているのです。夫は昨年それを見たのを覚えているのですが、ヒロキも私も印象が薄くて、もう一度確認に来たのでした。おりしも、2003年12月17日は、ライト兄弟が始めて飛行機を飛ばして100年目にあたります。昨年は「First Flyer」は端のほうにぶら下げて展示されていたのに、今年は特別展示室が作られ、入り口には「ライト自転車店」の看板が掲げられ、ライト兄弟が作った自転車も展示されています。ライト兄弟が実験に使った風洞とか、飛行の成功を父親に伝えた電報とか、充実した展示でした。かたや、「Spirit of St.Louis」は相変わらず天井からぶら下げてあり、おまけに後ろ向きで正面が見えません(笑)。何年後か、100周年の時には立派な特別展示室が作られることでしょう。夕食はヒロキのリクエストで「ラーメン」ということになり、ワシントンDC在住の友人の案内で、中華街へ行きました。規模は小さいのですが、中華街らしい門もありました。注文したチャーシュー麺は、麺がラーメンとは似ても似つかぬものでしたが、ヒロキはスープの中に麺が入っていればご機嫌です。アメリカではまともなラーメンにはなかなかありつけません。夫はほんの少し中国語ができますが、中国語で「トイレはどこですか?」と聞いたら、きれいなほうのトイレを教えてくれたし、「お茶のお代わりが欲しい」と言うとすぐに持ってきてくれます。しかし、注文をすべて中国語でできるほどの腕前ではなく、客も店員(中国人)もあやしい英語での注文のやり取りは、果たして正しいものが出てくるかなかなかスリリングです。今日もデイズ・インに泊まりました。
2003年12月29日
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ENOLA GAY って書いてなければ、ただのB29です。―-----------------------------スミソニアンの宇宙航空博物館の別館がこの12月に開館し、あの「エノラ・ゲイ」が展示されるということで日本でも話題になったと思います。ワシントンDCのから約40分、郊外のダラス空港の隣にあります。駐車料金は$12取りますが、入場料は無料です。中はとにかく広くて、飛行機がいくつあるかも見当もつきません。コンコルド、B29(エノラ・ゲイ)、ロッキードの世界最速の偵察機、ボーイング707、などが大きい飛行機です。ホンモノのスペースシャトル(ただし練習用で、宇宙へ行ったことはない)もあります。ただなんでも集めて並べてあるというわけではなく、宇宙航空博物館らしく、この飛行機にはどういう意義があるのかがきちんと解説されています。日本の団体がエノラ・ゲイの隣に原爆の被害写真を並べるように要請して却下されたけれど、それはそれで筋の通ったことなのだと思いました。 夜は、ダンシング・クラブという店にカニの丸ゆで(スパイスつき)を食べに行ったのですが、これがまた食べるのに大変で私は疲れきってしまいました。(カニ好きの夫とヒロキは満足のようでしたが…)夜はデイズ・イン、一泊(朝なし)$69。
2003年12月28日
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前日まで行く、行かないでもめておりましたが、結局行くことにしました。8:45出発、15号からタッパンジー橋をへて、303号経由、9W、フォート・リーで少し迷って日系グロッサリー「ミツワ」に寄り、少し早めの昼休憩。ミツワは経営者が韓国人のためか、フードコートは従業員も客もほとんど韓国人でした。品揃えは日本のスーパーに近いけれど、大福餅売っていた店員さんも全然日本語通じなくって、ちょっと購買意欲をそがれました。ミツワから南下して、ニュージャージーターンパイクに入ろうとしたが、迷って、古い町の中をウロウロ…あとで、そこはホーボーケンの町だということが解りました。ニュージャージーターンパイクは覚悟をしていたが、渋滞につぐ渋滞…出口の料金所でまた渋滞、デラウエアメモリアル橋の料金所でまたまた渋滞、橋の上で5時半を過ぎ日はとっぷり暮れてしまいました。その次の有料区間の料金所でさらに渋滞!ボルチモアを過ぎたところで7時半をまわり、適当に降りてバーガーキングで夕食、ワシントンDCの北にあるロックビルの宿「パークイン」に9時過ぎに到着。一泊(3人で)朝食つき(ドーナツやパン)で79ドルです。
2003年12月27日
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最近忙しくて、更新が滞っており、申し訳ございません。明日から、ちょっと旅行に行くことにしました。年内は更新できないと思います。ごめんなさい。では、行ってきます。
2003年12月26日
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「年末恒例の催し物」といえば、日本では「第九」ですが、アメリカでは「くるみ割り人形のバレエ公演」なんだそうです。実に多くの公演があり、トップレベルは、例えば「ニューヨーク・シティー・バレエ」など、入場料も$100以上。庶民的なレベルでは、町のバレエ教室の発表会、お値段$10前後。今日は、ニューヘイブンの町の劇場「シューベルト・シアター」で行われた、「ニューヘイヴン・バレエ」の公演を観にいきました。アマチュアバレー団ですが、オーケストラがこれまたアマチュアながら(ニューヘイブン・オーケストラ)生オケなので、お値段は$43と少し高め。チケットを買った後解ったのですが、偶然ヒロキのピアノの先生のお嬢さんが出演なさっているので、とても楽しみです。金曜の夜、土曜の昼、夜、日曜の昼と4回の公演があって、ゲスト出演の主役(金米糖の精など)はかわりませんが、その他大勢は交代で出演です。一番の端役(ネズミかな)は、バレエ団の生徒だけでなく、一般公募のオーディションもあって、9月ころから練習するのだそうです。こうしないと、4回の公演のチケットが売りさばけないのだそうで、これも日本の市民合唱の「第九」とそっくりだなあ、と笑ってしまいました。(私と夫は、かつて某市民合唱の第九に参加しましたが、チケットは一枚も売らず、悪いことをしました。) 子供中心のバレエ教室の公演ですから、舞台装置も、踊りも、まあまあ、といったところ…でも、一番小さい子供たちが出演すると、まわりのおじいさん、おばあさんたちが、ひときわ大きい拍手をしていて、とてもアット・ホームな雰囲気でした。ひとつ気がついたこと…ニューヘイヴンはハムデンよりもっと「多様な人種の住んでいる地域」なのですが、バレエ団は圧倒的に「白人」優勢でした。でも、ゲストに呼んでいたどこかのプリマは中国出身の中国人で、バレエはけして東洋人に向かないわけではないのですね(足の長さは、負けるけれど)。チャイコフスキーの音楽は親しみやすく、ヒロキもそれなりに楽しめたようです。どの場面が一番だったか、と聞いたら「ネズミと人形の戦い!」 どうして男の子は「戦い」が好きなのかなあ? 夫は「中国の踊り」の音楽が、「どこが中国なんだ!」と文句を言っていました。文句はチャイコフスキーに言ってくださいね(笑)。
2003年12月07日
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大雪といっても、昨年の「プレジデント・デー・ストーム」のときと比べたら、全然たいしたことないし、日本の松本に住んでいたときも、このくらいの雪では休校にならなかったと思うけれど、今日は町中がお休み、って感じです。風が強いのと、気温が低いので、さらさらの雪が地吹雪のようになって、雪は上から下から降ってきます。そんな中、ヒロキは30分も雪遊び! 夫がちょっとだけ付き合って、ついでに雪を浴びせて雪だるま状態にしたので、怒っていました。でも、ソリがやりたくて、家の前の坂でしっかり滑っていました。私は、窓から監督です。やっと、クリスマスツリーができあがりました。先週買いに行っておいてよかった! こういうのって、とってもセンスが要求されるのですね。どうも、お店のディスプレーと比べるとカッコワルイのですが、昨年と比べたら、格段に豪華(^^)ということで、よしとしよう。豆電球は600個くらいつけてあります。トップページに載せました。
2003年12月06日
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天気予報どおり、夕方から雪が降ってきました。かなり激しい降りです。いつもそうなのですが、雪はワシントンDCのあたりから始まり、数時間後ニューヨーク・シティーあたりに降り、また数時間後にこのあたりに降ってきます。ニューヨークのマンハッタンのほうが少し南西にあるのですが、雪が全部マンハッタンに降り尽してしまい、ここハムデンに降らなかったこともあります。どうしてこういうパターンをとるのか、気象学に疎いので解りませんが、これはとっても便利なことです。なぜって、ワシントンDCやマンハッタンが大雪なら、必ずTVニュースで大々的に放映されますから、こちらもそろそろだな、と心の準備、だけでなく、それから食料品の買出しに行って間に合います^^>。メイン州(コネチカットの東北の方)やバーモント州(北の方)に雪が降ったって、ニュースにはなりませんからね(きっと、毎日降っていると思う)。明日は補習校のウオッチング当番(朝の職員会議の間、子供たちを監督する)なので、絶対遅刻ができません。この雪の中、何時間かかるかと心配していたら、補習校は臨時休校になりました。ヒロキは今日親友のS君と遊ぶ約束をしていたので、昨日補習校の宿題を必死に仕上げました。そして、意気揚揚と遊びに行ったのですが、雪がひどくなってしまい、予定の時刻より1時間早く帰ることにしました。もう、ブーブーです(笑)。宿題はまだ残っているのだけれど、全くやりません。さて、今日はちょっと嬉しい知らせがありました。「Yale大学の最低賃金が引き上げられましたので、あなたに新しい最低賃金を支給いたします。」なんにせよ、給料が上がるのは嬉しいに違いありませんが、この「最低賃金」がどのくらいの水準かと申しますと、この給料で4人家族の場合、ハムデンのスクールランチの料金(一食)が$1.75から$0.75に減免されます。つまり、お上が「おまえは貧乏人だ」と認定してくれるわけです(爆)。少し前、「最低賃金を政府機関(NIHなど)並に引き上げるように」という勧告が来たようですが、そこは伝統ある誇り高き私立大学であるYale大学、そう簡単に政府の言うことなんか聞きません(涙)。かくして、政府機関の約6割程度の低賃金は一向に改善されません。今回の引き上げは月$100でした…虚しい、でも嬉しい。この給料でも、発展途上国からきた人にとってはとても魅力なようです。彼らは、この給料で、貯金までしています。夫の同僚のJもその一人です。古くなって値段の下がった肉や、鮮度は悪いが安い魚を買って、毎日毎食カレーを食べます。お弁当だってカレーです。米は20ポンド(約9kg)で$3もしない長粒種です。大学のそばの治安のいまいち(最悪ではない)の古アパートに住み、車は持ちません。奥さんは第二子が逆子で帝王切開だったのですが、その入院のために病院へ行くのに、家から0.75マイル歩いていきました。そうして10万ドルためたら本国に帰り、豪邸を建ててあとはのんびり暮らすのだそうです。そういう目標があるので、頑張れるのでしょうか。
2003年12月05日
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12月に入って、急に寒くなりました。昨年はサンクスギビングの前日に大雪で休校になり、その後もずっと寒い冬が続いたので、今年は暖冬になると期待していたのに、やっぱり寒くなってきました。今朝はほんの少し雪が降りました。本当に少しだけで、車の上にうっすらと積もっているだけですが、スクールバスは大幅に遅れ、学校に到着したのは始業時刻の8時45分を過ぎていたようです。寒い朝に、何分もバスを待っているのは大変です…しかし、今日は我が家は一家そろって寝坊をしてしまったので、初めからスクールバスをあきらめ、夫が車で送っていったので(30分遅く家を出て間にあう)被害に遭いませんでした^^:>。帰りのバスは、学校を3時34分に出発するのですが、これがまた何時に到着するのか毎日まちまちです。たいてい4時過ぎなのですが、一度だけ3時55分ころ帰ってきてしまい、ヒロキはバスを降りてもだれもいない…どうしよう…と呆然としていました(私はちょうど途中のゴミ捨て場に寄っているところでした)。それなので、3時50分すぎにはバス停(アパートの入り口)に出るようにしているのですが、とにかく寒い、気温は30°F=-1℃、でも風が強いので、体感気温は-7℃くらいです。とても立って待っていられないので、隣のアパートまで道沿いに散歩(バスが到着したらすぐわかるように)、今日は二往復しても、まだバスが来ません。4時20分、ようやくバス到着。いつものように一番に降りてくるヒロキ・・・「どっ、どうしたのその服! だれか、バスの中で吐いたの? 」と言うくらいドロドロでした。ヒロキ「バナナ爆弾が爆発したんだから!」ヒロキの話によると、友達のIがバナナをSに投げた、Sはそれを隣のヒロキに投げつけた、運悪くバナナはヒロキに命中したところで崩壊、ジャケットもバックパックもズボンもバナナだらけです。気の弱い子だったら泣いてしまうところでしょうが、ヒロキは「まったく、テリブルで、ホラブルなんだから・・・!」と知っている限りの英語の形容詞を並べて怒っていました。ハグしてあげたいところだけど、あまりの汚さについ遠慮してしまいました。どうも、スクールバスの中は無法地帯? 学校から開放されて、羽目をはずしたくなってしまうようです。この前も、あまり騒ぎすぎて(これは上級生)、運転手さんがバス停でもないところにバスを止めて、後ろまで怒りに来た、とか、問題がありそうでした。今までのアリス小学校のバスはESLの生徒専用だったので、運転手さんも気を使ってくれていたし、乗客の生徒も緊張気味でそれほどの騒ぎにはならなかったのでしたが、いよいよヒロキもアメリカの悪ガキの中で暮らさなければならなくなったか…。さすがに、明日は帰りのバスには乗りたくないそうで、学校まで迎えに行くことにしました。隣のアパートに住む韓国人のKのお母さんは、必ず送り迎えしています。そのほうが30分遅く出て、30分早く帰れるので、その分勉強でもやらせたほうがいい、とおっしゃっています。とても教育熱心です。見習ったほうがいいかな?
2003年12月02日
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