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にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.19)堕落した世界の父母の愛でもそうなのに、本然の本質世界である神様の愛に属しているとすれば、疲れることがあるでしょうか。ここで初めて、私たちの人生において、神様の対象圏を確定することができます。神様の愛が永遠不変であることを知るようになるとき、私たち人間の愛を中心として永生の論理が妥当なものになるのです。愛を中心として見るので永生するのです。(天聖経P310)
2017.01.19

にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.18)女性の話し声が高いですか、男性の話し声が高いですか。女性の話し声が高いのです。何がそのように高くしたのでしょうか。女性は、力が男性よりも弱いのに、どうして声を高く出すのですか。愛の情、その愛においては、女性は高く、男性は広いのです。男性は、広い愛をもっています。女性は、自分の夫と息子、娘だけを考える、その愛においては高いのです。しかし、男性は、親戚や国などを考える愛においては広いのです。ですから、息子、娘を愛したり、家庭を愛したりすることは母親に学び、世の中を愛することは父親に学ばなければなりません。このようになるのです。このように結んでおくことで、円満な円形を成し遂げることができるのです。皆さんは、すべてが自分を主として「私だけ良い暮らしをすればいい」と利己主義に流れていっています。しかし、今は利己主義をすべて捨てて愛を分けてあげなければなりません。家庭もそうでなければなりません。幸福な家庭は、夫が出掛けて帰ってくると、外であったすべてのことを妻とともに話し合い、新しく開拓できる要因を発見しなければなりません。お互いが力を合わせて研究する家庭が、幸福な家庭です。父母がそのようにすれば、子女たちもそこに力を加えて、私たちもこのような過程をつくろうといって同調するようになります。(天聖經318)
2017.01.18

にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.17)人間は愛から生まれ、愛の実体になり、愛で始まって愛で終わらなければなりません。また、愛する人に出会って、愛する息子、娘を生み、その愛する息子、娘を愛しながら生き、再び幼子のようになって帰っていくのです。老人ぼけは、悪いことではありません。それを悪いことと考えてはいけません。そうなることによって、子女たちが以前に父母に世話になったことを、限りなく恩返し出きるのです。(天聖経P307)真の愛とは何でしょうか。ために生きる愛ですが、いくらでも与え、千年与えても忘れようとします。千年与えても忘れてしまうのです。記憶しません。愛の世界では、入力よりも出力が大きいのです。父母は、七十歳になった息子だとしても、その息子がどこかに出ていくとき、「きょうは車に注意しなさい」と言うことができます。九十歳の老年になるまで毎日のように繰り返したとしても、疲れることを知りません。それは、永遠に続けても疲れないのです。それが愛です。(天聖経P310)
2017.01.18

にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.15)愛の主体が満ちれば、すべてのものが満ちるのです。愛がいっぱいに満ちてこそ、すべてのものが満ちるので、無限に与えることができ、真実に与えることができるのです。そこで授受することは、理想の実現であり、理想の繁殖です。愛の世界は、距離を超越します。愛がどれほど速いかといえば、光もついていくことができません。一番早いのが愛です。一番明るいのも愛です。一番完全なものも愛です。一番完全に満ちるのも愛です。居眠りしていた女性も、本当に愛する相対が現れると、花が咲いたようになります。愛だけがそのようにすることができます。その愛は、どのような愛でしょうか。宇宙の主人になる愛、宇宙の中心になる愛、宇宙の源泉になる愛である、真の愛です。(天聖経P302)
2017.01.15

にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.14)真の愛を所有するようになると、すべての悲しみと苦痛も、その真の愛の中では喜びに昇華されます。言い換えれば、この宇宙の個人的な権力をもって、知恵をもって、金力をもって主張する以上の、絶対的権限として残したいのが、人間の本性の欲求である真の愛なのです。真の愛は、どこから来たのでしょうか。言うまでもなく、宇宙の根本であられる神様の真の愛から来ました。神様のそのような愛を願っているので、そこに由来しているのです。結婚しようとする男性と女性に聞いてみれば、新婦は、「彼が自分よりも立派であってほしい」と言い、新郎も、「新婦が私よりも立派であってほしい」と考えるというのです。また、父母は、誰でも自分の子女たちが自分よりももっと立派になってほしいと願っています。そのような心は、すべて神様から来たのです。これは、真の愛を中心として語る言葉です。(天聖経P299)
2017.01.14

にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.13)真の愛には消耗がありません。動けば動くほど大きくなります。力学では、入力が出力が大きいですが、愛の世界では、入力よりも出力が大きいのです。ですから、愛がすべてのものの核なのです。それで、相対に供給しても余るのが真の愛です。供給して不足するということがありません。真の愛は、相対になるそのすべてに分けてあげても余るので、運動をすればするほど大きくなって行くのです。真の愛の関係では、入力よりも出力が大きくなるのです。ですから、歴史の聖人たちは、その時代に迫害されて消えていったのですが、彼らは入力より出力が大きくなる真の愛を投入し、また投入し、さらに投入しました。神様もそのようにしたので、宇宙創造が可能でした。投入すれば大きくなります。大きく、大きく、大きく、もっと大きくなるのです。投入する心情圏があれば、生命の存在基台は、永遠に残るのです。(天聖経P291)
2017.01.13

にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.12)愛には終わりがありません。すべてを終えたという終わりを感じる愛は、愛ではありません。愛する夫や妻に、「あなた、私を愛していますか。愛しているのなら、どれほど愛していますか」と尋ねた時、夫や妻が「これくらい愛している」と言えば、気分が良いでしょう。愛には終わりがないからです。自分だけのために生きる人々の愛は、一日も持たないで終わります。なぜ、夫婦けんかをするのでしょうか。お互いが愛を受けようとするからです。お互いが愛を受けようとする者たちは長続きしません。しかし、お互いが愛そうとする家庭は、祭祀を行って「壊れろ」と呪っても壊れません。お互いがために生きてあげようとする愛は永遠なのです。(天聖経P283)
2017.01.12

にほんブログ村「毎日訓読生活」(2017.01.11)愛しても忘れ、もっと愛そうとするところに、生命を投入しても忘れ、もっと投入するところに真の愛が住むようになります。価値のあるものを一度に、すべてあげても忘れてしまうのです。なぜ忘れなければならないのでしょうか。もっと与えようとするので、忘れなければならないのです。母親の愛は与えて、それを忘れてしまう愛です。それをすべて帳簿につけて、見返りを受け取ろうとはしないのです。自分のお乳を、生命を分け与えてあげながらも喜びます。堕落した母親でもそのような心情なのですから、皆さんは、それ以上にならなければなりません。すべてのものを投入しても忘れてしまう人の中には、真の愛が永遠に存在するのです。(天聖経P276)
2017.01.11
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