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四十九日を終えてから、急に、ももちゃんのことを思い出す時間が減ったことに気づく。こんなんではダメだ。ももちゃんのことを忘れてしまう。そして、ももちゃんとの日々に思いを馳せる。人は、大切な人の死の悲しみに慣れるために、納棺、火葬、四十九日と区切りを作った気がする。ももちゃんが、家に帰ってから納棺までの間、私はずっと、ももちゃんの足に直接触れ、とんとんしてあげた。ももちゃんは、入院中もそうしていないと嫌がったから。納棺のときは、もう足には触れられないと、辛かった。でも、棺の窓からのぞくももちゃんの顔にしか触れられないことに慣れていくのだ。そして、火葬。もう、ももちゃんの顔を触ることはできない。ももちゃんの顔を見ることはできない。と辛かった。でも、毎日、骨と写真を置いたももちゃんの祭壇に話すしかできないことに慣れていく。そして、四十九日。ももちゃんの祭壇がなくなって。ももちゃんのことを思い出す時間が減ってくる。でも、悲しみは突然やってきて、同じことを思い出していても、どっと涙が出ることがある。
2007.08.29
朝から忙しかった。お昼はお料理屋さんで取ったものを出すけれど、3品くらいは、おかずを作ることにしていたので、その準備に追われた。親戚が次々に来だし、挨拶し、お茶を出し、おっさんが来て、お経が始まった。毎日唱えているお経でも、おっさんが唱えているのを聞くと、じーんときてしまう。亡くなったときのことが思い出されて、涙がボトボト落ちた。今日、ももちゃんが死んだ日以来、初めて義姉がいとこのベビちゃんを連れてきた。ももちゃんと1ヶ月違いに産まれ、今まで、気兼ねして、連れてこなかったのだろうと思う。私はその子を直視することができなかった。その子の声を聞くのがしんどかった。ももちゃんだって同じようにお話していた。元気だった。何でだろう。何でだろう。
2007.08.26
ダンナが「最後のお勤めしよっか。」と言うので、泣けてきた。明日は四十九日。このももちゃんの祭壇に、お経をあげるのは、これで最後。明日には、仏壇に入ってしまう。毎日、ももちゃんの祭壇に精進料理を供え、お線香をたき、お経をあげ、朝起きたら、「ももちゃん、おはよう」、寝る前は「おやすみ、ももちゃん」と語ることで、ももちゃんとつながっている気持ちでいた。悲しみを紛らわせるために、そんな行為にすがっていたんだなぁと思う。涙が出て、お経をあげる声が小さくなる。ダンナがお経をあげた後、明日やるのは大変やから、今夜のうちに祭壇を片付けてしまおうと言ったので、片付けに取りかかった。あやっぺが「どうすんの?」と聞くので、ももちゃんの魂は仏壇に移らはるんよ、というようなことを説明していたが、どこまでわかっているのか、不思議そうな顔をしていた。---------------------------------------------------------------------------この日は、午前中、保育園の親子フォーラムのぶどう狩りに親子3人で、行ってきた。ももちゃんはとうとう1度も保育園のぶどう狩りを楽しめなかった。実は、去年、産まれたばかりのももちゃんを連れて、同じ場所に来ていた。その日も暑い日で、その晩、ももちゃんが高熱を出して、市民病院の救急にかかった。親の免疫があるから、生後1ヶ月で、39度はなかなか出ないし、入院の可能性もあると言われ、びびったっけ。何で、ぶどう狩りなんかに、連れていったんやろう。今頃、後悔する。あの日も、Y先生が診てくれた。ももちゃんが死んだ日、なんとか点滴を取ってくれた先生だ。あの日もルートが取れず、飲み薬ですましたのだ。点滴を取った後、瀕死だったことを思うと、あの日のように飲み薬にしてもらった方が何日かは長く生きられたか。思わず、そう思ってしまう。でも、Y先生はとってもいい先生だった。ももちゃんが、ベビーベッドで頭を打ったときにも、救急でお世話になったが、病院に着くころには、たんこぶも消えていて、「こんなことくらいで来てごめんなさい。」と謝る私に、難しい病気のこともあるからいいんですよ、と優しく言ってくれた。ももちゃんが死ぬ2日前に救急にかかったときの先生は、「大丈夫ですよ。」と言った。こんなことくらいで何でくるんだと言わんばかりだった。こんなに青い顔してるのに。喉が赤いと言われたと言っているのに、喉も見ないで。結局、次の日、もう一度、救急にかかった、F先生が、心臓の肥大に気付いてくれたのだ。ももちゃんがルートを取った小児科外来からICUに向かうとき、その先生もももちゃんの担架?のそばにいたのを見た。
2007.08.25
ももちゃんの祭壇にあるしきびがとうとう枯れてきた。仏壇のしきびはすぐに枯れて何度も買い替えたのに、ももちゃんのしきびは、ももちゃんが亡くなったその日から、ずっと青々としたままだった。49日が近づいて、ももちゃんが天国に行ってしまったから、枯れちゃったのかなぁ。そんな風に思えてならない。-----------------------------------------------------------------あやっぺに、お習い事をさせてみてもいいかなぁ~と思ってから1年弱、日々の生活に追われ、実行できないでいた。スイミングに行かせたいと考えていたけれど、あまりの戦いごっこ好きに、空手とかが向いているのでは?と思い始めた。でも、知人に言うと、空手は型を覚えるのが、大変だから少林寺がいいよと言われた。う~ん、どっちがいいんだろ。保育士対策?のために、ピアノを習いたいのだけれど、あやっぺと二人で習うというのも良いなぁともずっと思っていた。理想はピアノと少林寺だけれど、働きながら2つもお習い事なんて、夢のまた夢の話だなぁ。
2007.08.22
教委のI先生と話をした。やっぱり辞めたいと、伝えた。仕事のマイナスなことを考える時間で、ももちゃんのことを忘れたくないこと、早朝保育、延長保育で、あやっぺまでももちゃんと同じ思いをさせたくないことを改めて伝えた。聞かれたので、私のしたい仕事像を言うと、「この仕事が好きなのがわかるし、辞めるべきでない。正しいと思う方向に変えていけばいいのではないか」と言われた。I先生は、一生懸命で、いいって言うのに、総務のNさんに遅めに出勤して早めに帰ることができないかも掛け合ってくれた。だから途中で、総務のNさんも来て、話をしてくれた。財政難の中、臨時職員から常勤嘱託にしてくれたのに、また格を落とすようなことはもったいないようなことをおっしゃった。その通りだと思った。総務のNさんは、「今揺らいでいるときに辞めたら絶対後悔するから辞めんとき。」と強くおっしゃった。仕事を休んだり行ったりを繰り返して、鬱を患ってらっしゃるダンナさんの話をされて、「仕事なんか辞めいな、私が養ったる、と言ったらどんなにダンナさん、楽になるんちゃうか、と知人に言われたけど、それを言ったらおしまいやと思って、私は絶対、仕事辞めいとは言わへんかったんや。」と言われた。I先生もNさんも私のことを考えて、一生懸命言って下さっているのがよくわかって・・・。そこまで言われて、辞めるとも言えず・・・。辞めたいなと思いながらズルズル続けていくのか。とは言っても無責任なことはできない。後日、通級指導教室のK先生に相談すると、引き止められて揺らぐのであれば、あと1ヶ月続けてみ、それでも無理やったらきっぱり辞めたらいい、でも定時で帰るのは、守らなあかん、〈私〉がいい加減なことができないことをよくわかっているから、遅く帰るんやったら、仕事、家に持って帰る方がましやで、と言ってくれた。みんなを騒がせるだけ騒がせて、結局、同じ状況。自分勝手だなぁとつくづく思う。でも、私が仕事に来ているのを見てびっくりして、家で休んどいたらいいのに、という人もいる。そういう人には、冷たい母親に見えたりもするのかな。卑屈になりすぎだな。
2007.08.20
今日、24時間テレビで、余命1ヶ月と言われた男の子が、お父さんに山登りに連れて行ってもらうドラマを見た。あと、どれくらいで死ぬかわかっていたら、ももちゃんの好きなことをさせてあげられたのに。ももちゃんとの時間を一分一秒もっと大切に過ごせたのに。だけど、心臓移植しかないと言われたとき、「じゃあ、心臓移植をしないと、あとどれくらい生きられるんですか?」とは怖くて聞けなかった。そんなことを聞けるほど、拡張型心筋症という病気を理解できていなかった。ももちゃんが難病にかかってしまったという事実を受け入れられないまま、病名を知った次の日に、確定診断を受けたその日に、ももちゃんは逝ってしまった。「午後からは、(HCU病棟から)小児科病棟に移ってもらいますね。」と言われていた。入院が長引くなら、運動に制限がかかる時間が長いから、運動発達や精神発達に影響するかもと今思えば、つまらないことを心配していた。「最悪、心臓が突然止まってしまうこともあります。」と言われたけど、お医者さんは、いつも最悪のことは伝えておかなければならず、それは、滅多にないことなんだと楽観していた。人間とは、欲を出せば、キリがないもので、今、思えば1週間でも1ヶ月でも長く生きて欲しかったと思うし、おそらく、1週間、1ヶ月生きながらえていても、もっと欲を出していたことだろう。
2007.08.18
今日は高校の同級生が2人おまいりに来てくれた。一人は、ももちゃんと3日違いに産まれたベビを持つお母さんだ。原因不明の拡張型心筋症やと言われたんよ、と言うと、何でかわからへんのは嫌やな、知りたいなぁ、と言ってくれた。なんでこうなったんか、いつからしんどかったのか、どうしたらよかったのか、彼女は、私が知りたいと思う気持ちを全部理解してくれた。ももちゃんが居なくなった今、そんなこと知ってもどうなることでもないのかもしれない。後ろ向きだと言われるかもしれない。私がそんなだと、ももちゃんが成仏できないかもしれない。もうすぐ四十九日が来る。今は、まだここにももちゃんはいる。でも四十九日が来ると、ももちゃんは本当に行ってしまう。それが正直寂しい。でも、ちゃんと、ももちゃんが成仏できるように送りださなければ。「お母ちゃんはいーひんけど、行かなあかん。ひとりでがんばらなあかんにゃで。」納棺のときも、火葬のときもそう言ったように。私が知りたいと思う気持ちを理解してくれた彼女に、私の知りたいという思いで、ももちゃんの解剖を承諾したことが、ももちゃんのために良かったのかどうかは聞けなかった・・・。
2007.08.15
今日、お墓参りに、実家へ帰ってきた。毎年、1泊していたけど、今年はももちゃんが寂しがってはいけないから、日帰り。実家へ帰るときは、いつも、ももちゃんも一緒だった。ももちゃんの居場所があった。あやっぺといとこのKちゃんが、プールを楽しんでいるのを見て、ももちゃんが、そこにいることを想像してみた。たやすく、想像できた。座って、手でばしゃばしゃ水をはじきながら、声を出している。とうとう一度もプールを経験できなかったなぁ。おおばあちゃんに「ばぁ!」って驚かされて、笑って私の方に逃げてきた。振り返って、驚かされて、また声を出して、笑う。その繰り返し。あんなに元気だったのに。おかしい。おかしい。何で。何で。また、悲しくなってくるんだなぁ。
2007.08.13
この日で、五七日。おっさんのお経を聞いても、もう涙は出なかった。昼から同じ市内の通級指導教室のK先生といつも事例検でご助言いただいているF先生が来てくれた。お参りしてもらったり、ももちゃんのアルバムを見てもらったりして。K先生から「仕事どうする?」と聞かれた。「8月で、もう辞めます。教委には言ったんやけど、まぁまた話聞きに行くから、と言われて・・・。」と話した。今、ことばの教室は、市町村合併で過渡期で方向性が見つからないし、復帰してきて、前やっていたこととは、仕事がガラっと変わって、勝手ながら自分のしたいことができる場所に移りたいと思っていた。そのことは前からK先生に相談していたし、後押しするからもう少しがんばるように、と言われていた。K先生は、「そっか。もう無理は言えへんわ。」と納得してくれたけど、F先生は、私に辞めてほしくないとおっしゃった。弱い立場の子どもを支援していくことが、ももちゃんの供養につながる、というようなことをおっしゃった。でも、朝の7時半から夕方6時半くらいまで、保育所にももちゃんを預けて、病気でどんなにしんどかったろうと思うと、もうあやっぺに関して、同じ過ちを繰り返したくはなかった。F先生が、「保育園がちゃんと見てくれてはったって。」と言われて、一旦、そうやなと思い直した。でも、やっぱり、早朝保育と延長保育は、一人の先生が0歳児から5歳児の子どもを10人以上見ている状態で、ももちゃんは、どうそこに居たのだろう、と思うと泣けてきた。保育園の先生が悪いわけでもなんでもなくて。金曜に、あやっぺをお迎えに行ったら、居残りのおやつをみんなが食べている中、ももちゃんと同じクラスの男の子がひとり座って泣いていた。しばらく泣かしておくことなんて普段はなんともないことだけど、泣くことが心臓の負担になっていたももちゃんのことを思うと、その子のことが放っておけなくて、その子をあやして、泣けてきた。それに、あの人があんなことするから、ことばの教室、うまいこと行かへんにゃわ、とか人のことを悪く思うことで、そんなつまらないことで、ももちゃんのことを思う大切な時間を無駄にしたくなかった。F先生は、仕事で、子どもと触れ合うことを通して、ももちゃんのことを考えられるから忘れることはないとおっしゃるけど・・・。今、私は、ももちゃんが死んでからずっとやけど、ももちゃんのことを忘れるのがこわい。あやっぺにも忘れてほしくない。だから、すぐ、アルバムも作った。毎日、ももちゃんが死んでいった日のことを思い出すようにしている。でも、ももちゃんが元気やった日のことがなかなかうまく思い出せない。お姉ちゃんのでたらめに弾くキーボードに手を叩いたこと。ちょーちちょーちの手遊びをし始めたこと。私が迎えに行ったら、足をバタバタさせて喜んだこと。おふろで、ももちゃんの体を洗う順番は覚えているのに、そのとき、ももちゃんがどんな顔をしていたのかうまく思い出せない。他に何があったっけ。忘れたくないのに・・・。あぁ、仕事どうしよう・・・。
2007.08.12
昨日、やっと保育園で、七夕の集いの写真が掲示された。7月6日、ももちゃんが登園した最後の日。ももちゃんが逝く3日前。昨日は疲れてて、仕事帰りの車で、また思い出してウルウルしていた。時間は解決してくれない。何で?何で?あんなに元気やったのに。おかしい。おかしい。そんな気分のまま、お迎えに行ったから、写真を見て、余計泣けてきた。そこにあやっぺの担任のF子先生が、「ももちゃんのおもいでの冊子ができました。ここで渡してもいいんですけど、0歳児クラスに行ってもらえますか?」と来てくれたものだから。保育園では、いつも明るくできてたのに、思わず泣いてしまった。しばらくF子先生がお話してくれて。忙しいからいろんな人にかわるがわる話しかけられ、先生が仕方なく行ってしまわれてから、ゆっくり写真を見た。クラス写真は横向いてるのと、正面見てるのと2つ。思ったよりしんどそうに見えない。良かった。両方買うことにした。あと1枚、ももちゃん担当のK先生のお膝で座っている写真があった。それはぐずってるももちゃんをK先生がなだめているように見えた。やっぱりしんどかったのかな、と切なくなる。あやっぺを0歳児クラスに誘うが、園庭で、大好きなゆうきくんと遊びたいとゴネるので説得していると、2階からK先生が降りてきてくれた。F子先生とはももちゃんのこともよく喋るのに、K先生とはあれから喋れない。元々、そんなに話さないのもあったし、なんか泣けてくるのもあって。本当は、七夕の集いの日の様子とか、聞きたかったけど、責めているように思われても・・・というのもあって。結局、K先生とは、「ももちゃん、写真、横向いてはりますね~。」「先生と二人で写ってるのもありましたね~。」くらいで終わってしまった。帰って、ダンナに言うと、しゃべらなあかんやん、先生怒ってはると思わはんで、と言われた。おもいでちょうの最後の写真の服が七夕の集いの日に着ていたのと同じ服だったから、いつ撮ったものか、今度、K先生に話しかけてみようと思った。
2007.08.11
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