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明日から、母は老人養護施設でショートステイ。私は大阪の我が家だが、急に大分の田舎物件を見ることにして、不動産屋と約束したので、そちらに寄って帰る事にした。 こないだ大阪へ帰ったばっかりのように感じるが、今回もいろいろと忙しくなりそうー。
2009年10月16日
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二郎からカードの暗証番号が知りたいとメールが入ったから、電話をしてみた。中々電話に出ない二郎が電話にでて、少し喋った。カードの暗証は、TOIFLを受けるのにカード払いでないといけなくて、久々親のカードを使うようだ。 一郎も二郎も、大学を出て就職をしてという、日本での一般的なコースから少しズレてしまったのと、特に二郎の場合は商売気があるので、なにか自分で仕事をしたいという。 一郎とは昨日、今日と電話でいろいろと喋ったが、一郎もサラリーマンはやりたくないと言う。彼は東京で靴磨きを見て、靴磨きは資本がいらなくってお客がこなかったら、本でも読んでいたらいいし、中々いい商売だと話す。 一郎は留学ビザが昨日届いたので、18日の日曜日にイギリスに発つ。二郎も、来年イギリスに留学する予定。兄弟揃って、自分の思うがままの道を歩く。後のことは分からないけど、自分の人生を生きる息子たちは元気だ。
2009年10月15日
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移り気な私が、唯一続いているのが散歩。これには一人で出来て、お金もかからない。 秋もだんだん深まり、散歩に出て帰ってくる頃には赤く焼けた空も暗くなり、歩いて温まった身体に、風も心地よい。 そんな時、若い頃聞いたNSPの「夕暮れ時はさみしそう」のフレーズが浮かんだ。http://www.youtube.com/watch?v=xSD5S08ji8wyou tubeを貼り付けたけど、リンクするのかテスト。どうかな?
2009年10月12日
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以前から夕方になると「今日は何作ろうかなー」と母が言っていた。でも言うだけで、実際料理したことはなかった。今日もベットに横になって「今日は何作ろうかなー」言うので、3年以上何も料理していないに、また言ってるわーって思ったが、「何でもいいから、夕飯作ってー」と言った。そしたら起き出してきて、台所でなにやら作り出した。 台所の棚や冷蔵庫をパタパタと開けたり閉めたり。次にまな板の上で、なにやら言いながら包丁を使っていた。指でも切らないかと心配したが、その心配もなく続いて、お醤油の辛そうな匂いがしてきた。 認知症の母が味や作りかたはどうでも、とにかく集中して煮っ転がしを作ったことは、まったく驚きである。本人もそれだけで満足した様子。母の作った煮っ転がしは醤油辛かったので、またじゃがいもをゆでて加えて薄味にした。私が料理するほうが安心で早いが、また様子みながら料理してもらおう。
2009年10月08日
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一郎は、再び留学を決めて用意してきたが、学校からの書類が中々届かなかった。先月書類が届かないから、旅行者としてイギリスに入国して、そちらでビザをとろうとしたら、入管か何かで引っかかって1週間で日本に帰ってきた。 授業はすでに始まっている。家賃も支払っているが仕方なく日本でビザの申請をする。しかし以前と違って、随分ややこしくなっている。 学校からの許可書、普通預金残高証明書(英文)、預金1ヶ月の出入証明書、戸籍謄本(翻訳会社で英文で作成が必要)、親の預金を使用してもよいという英文の証書の作成、まだあったように思うが今忘れた。 以前は当日大使館へ出向いて、発行してもらえたが、今回はHPで申請して日を指定されるようだし、不備があったら次の申請には、日を一日は明けなければならない。パスポートがあるのに、戸籍謄本の英文の翻訳がいる。夫の預金を使用してもよい証明など、以前はなかった。 今日朝8時過ぎ電話があって、その戸籍謄本と、夫の英文の預金使用許可の証明が要ると連絡してきた。一郎は九州まで行こうとしていたが、私は義姉と義母に戸籍謄本をとってもらい、翻訳の会社へのFAX,謄本を速達で郵送を頼んだ。 夫には中々連絡がとれなかった。お昼前にやっと連絡がとれて、一郎からの伝言を伝えた。一郎が作成した預金使用証明書を、メールに添付して送ったので、印刷してサインし、宅急便で東京へ送ってもらうよう頼んだ。連絡取れない場合、夫の会社まで行って、それを東京まで持って行こうとも思ったが、何とか夫に連絡が取れて、良かった。 明日とりあえず一郎の元に書類が届くが、ビザを申請しても1~2週間掛かると言われたようで、そうなると留学は難しいかもしれない。最初の試験14日を受ければ、なんとかなるように教授と話をしていると、言うのだが・・・・。 ぎりぎりまでやることはやって、それでダメだったら、その時考えると、一郎も親の私もそれを受け入れるしかない。 今日は職場で仕事はしていたが、時間に追われてメールのやり取りなどをしていたので、午前中は仕事に集中できなかった。
2009年10月05日
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大阪の友達から携帯に電話があった。彼女も、ご主人の親の介護の為、九州と大阪を行き来している。それで何年も会ってはいないが、半年に一度くらい電話をくれる。 二男と同級生の娘を持つ彼女は、その娘の出産と大阪に住む自分の親の入院の見舞いで、1ヶ月程大阪に居るという。 「こんな生活何年続くのかね~」「子ども達には私達のような苦労はさせたくないねー」なんてお互い慰めあって、大阪での再開を約束して、電話を切った。 友達みんな、それぞれに頑張っているけど、今の介護保険制度がなければ、彼女も私も介護という重荷を一時も下ろせないだろう。まだまだ介護保険制度の未熟な部分もあるのだろうが、ありがたいなーと思う。
2009年10月04日
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9月末の週末に夫と待ち合わせて、倉敷気まま旅。結婚する前に友達と来て以来だけど、道順も覚えていた。私は昼過ぎに倉敷についたので、荷物をホテルに預けて、一人白壁の町を、買い物をしながら歩いた。 町並を歩きながら目に入った店に入り、いろいろ品定めしながら散策していて、「豆本舗」という豆菓子専門の店に入った。そこで、あれこれ試食して、ゆず、明太子、梅味の豆菓子を買った。ホテルに帰ってから、夫を待っている間、お茶を飲みながら、この豆菓子を少しと思うが食べた。 夫と駅で待ち合わせて、駅近くの割烹に入って、ビール少しと食事をした。豆菓子の食べすぎか、だんだん胃が張って来て気持ち悪くなった。最近は暴飲暴食はもちろん、食べ過ぎるも胃に答える。 ホテルは温泉があって、朝のバイキング形式で食事が摂れる所にした。建物はまだ新しいようで、部屋は清潔で合理的に作られていた。温泉は小さいながら、露天風呂、サウナも備えてあった。フロントの人たちの対応も、とても感じ良かったし、宿泊料も安いので、お勧めです。 翌日の朝一番に大原美術館に入った。大原美術館は私立の美術館だ。ルノワール、ゴーギャン、ピカソ他、美術の教科書に載っているような、有名な絵画も展示されている。 以前はこの上の建物と、別館だけだったが、今回行ってみると、蔵を回廊のように繋いであり、作品も増えていて、ぐるり巡るだけでも結構疲れる。 お昼食べてから、アイビースクエアに行った。アイビースクエアは、倉敷紡績の工場跡地だ。レンガ造りで重厚な建物に蔦が絡まって、美しい景観をかもし出している。 その広場で全国初の女子の空手の大会が行われていた。空手もいろいろ流派があって、その一つの会だと思うが、本当に身体を攻撃するので、1回戦で勝っても、2回戦では怪我のため、相手が不戦勝になったりしていた。選手層も薄く、この大会で帯を見ただけで、白、緑、赤、紫、茶、黒と実力の差が分かる。その差のある人達12人くらいで勝負するので、見て居たくないような試合もあったが、実力が拮抗して黒帯同士だと、迫力があってつい私も、見入ってしまう試合もあった。 準決勝まで見たかったが、1時間~1時間半か中休憩があったので、最後までは見られなかった。 毎月、母に介護施設へショートステイに行ってもらって、私は、私の居場所である大阪へ帰って、自分の時間を取り戻す。夫は出張が多いので、私と夫の都合に合わせて、こうして年に何度か旅気分を味わえるのは、幸せなことなのだと思う。
2009年10月03日
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