2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全8件 (8件中 1-8件目)
1
二郎が就職を決めて3週間過ぎた。この間、電話掛かって来たときに「食費いくら入れようか?」と聞いてきたので「3万円くれる?」と言うと「そんなに食べていない」だってー。 よそ様では、5万とか10万とかと話を聞くが、私としては、控えめに言ったつもりなのに・・・・。二郎は親のものは自分の物、自分の物は自分の物と平然としている。それから「あまりお金がない」と言うので「じゃぁ、いいわ」になってしまった。「食費いくら入れようか?」は言ってみただけ・・・か どんぶりいっぱいのご飯と、おかずも私の3倍位食べて「そんなに食べてない」はないよねー。
2011年09月30日
コメント(2)
大阪に帰った時も思ったが、広島のスーパーにも福島産と表示した野菜が多くなった。東北の方々の復興にと、スーパーはあえて福島産の野菜を置いているのだろうか?と不思議に思う。 近所のスーパーにある福島産の野菜は、キューリ、キャベツ、トマトほうれん草だったかレタスだったか葉物が多い。今まで中国産の食品は避けていたので、国内のはあまり産地を気にしていなかた。事故以前は、東北のキュウリやキャベツは見なかったように思う。福島産を主に置くようなスーパもあって、そこには行かなくなった。 静岡のお茶にも放射能汚染が疑われているのに、野菜の産地は他にもたくさんあるのに、あえて腐葉土の時と同じように放射能で汚染されたものを、日本全国に拡散しているのかと思えてしまう。 福島産の野菜を敬遠してしまうのは、福島産の野菜の安全性だ。政府の原発事故の対応は非常に腹立たしく、情報を隠蔽して福島の人々に放射能を浴びさせてしまった。それに食品の放射能汚染の基準値を上げ、これで安全ですでは納得できない。国民の安全と健康を守れない民主党政府は、信頼できない。 福島以外のキュウリやキャベツなどの野菜は、何所へ行ったのだろう、不思議なことだにぁ~。
2011年09月29日
コメント(2)
昨夜、寝る前にイタリアにいる一郎に、電話してみた。何度か掛けなおして携帯は繋がったが、イタリア語で「@#$*+・・・」「だれ?一郎は?」と話すと切られてしまった。その後また何度か掛けたが、もう呼び出し音もしなかった。 9月23日に一郎と電話で話してから、昨日まで連絡入れなかった。その日はイタリアのサルデーニア島のSiniscolaのカフェにいた。24日には、Olbiaから夜行のフェリーでローマに行き、ユースホステルに泊まるとのことだった。 イタリアはギリシアの次に国の経済が持たない、と言われていて、公共のサービスもなくなり、ゴミの収集も出来ない酷い社会になっている。そこで暮らす人の暮らしや気持ちが荒むのは、どの社会も同じ。そんな国に行っているのだから、多少の被害もあるかも知れないのはある程度は受け入れられるが、どうしても最悪を考えてしまう。夜フェリーに乗ると言っていたのを、ユースホステルに泊まると言っていたのを聞き流していたのを後悔したりした。 いつも夜寝るのも遅いが、直ぐに寝入ってしまう。でも昨夜はウトウトとはしたが、殆ど寝られず空も白けてきて仕方が無いので、6時から散歩に出たりした。 仕事してても、体も気持ちも重かった。帰ってから、ネットでイロイロ検索してみて、イタリアの日本人会に「息子と連絡がとれなくなったので些細なニュースでも何か情報が欲しい」とメールした。日本人会がどんな会であるかも分からないが、何か行動しないと居れなかった。そのメールには、一郎のブログ、メール、イタリアの友達のレストラン名など、一郎をのことが分かるように記載した。 それから一郎にメールを「心配しています、直ぐに連絡を!」と入れていた。 そしたら先ほど返信があり「keitai basu de otoshita. roma ni imasu. e-mail ha mireru yo」それに又メールを返したら、今度は「goshinpai okake shimashita. keitai ha nai desuga genkini shiteimasu. italia no keizai ha damedesuga abunai machi niha ikutsumoridehanainode anshin shite kudasai. 2ka ni naritanitsukimasu.」と返事があったり、どこかでメールが見れるようで一安心です。 イタリアの日本人会にも「息子と連絡とれました」とお礼のメールを入れた。私のメールを読んでくれたかどうかは分からないが・・・・。 帰国したら今度は海外に出ることに、親としては後押しをするのはやめておこう。帰って来るまで心配はあるが、とりあえず良かった~良かった~
2011年09月28日
コメント(2)
私のパート先の会社に、変なおじさんがいる。ディズニーのキャラクター、スクルージおじさんのように鼻眼鏡をしているので、このブログに少し登場させたことはある。 この変なおじさんには、エピソードがたくさんある。今日の話は、酔っ払って自転車に乗っていて、巡回中のおまわりさんに出くわしその前で転んだら、救急車を呼ばれたらしいのだ。「どうも無い」と救急車に乗らなかったら、「休んで行きなさい」と一晩警察署に泊め置かれたそうだ。 朝起きると、転んだ所からお泊りした警察署まで、自転車を運んできてくれていて、婦人警官が出勤する前に帰ったと、楽しそうに話してくれた。 若い女性大好きのこの変なおじさんは、パブの若い外国の女性は追っかけても、婦人警官は苦手のようである。
2011年09月27日
コメント(2)
9月 2泊3日の田舎暮らしでの収穫。 私の畑で、落花生両手いっぱい分、小さな渋柿5ケ(干し柿にした)カボス20個(夫に郵送)自分用に5個収穫。お隣から金時豆、小豆、もち米を頂いた。 棚田一帯は稲穂の黄色に染まり、その脇を真紅の彼岸花が並んだように咲く。大きな古い柿木に、小さな柿がたわわに実るが、熟しているのはほんの一部。山道には銀杏の実が転がり落ちて、拾う人を待っているよう。夕暮れ時には、カラスもねぐらに帰るのか、鳴く声もやさしい。 収穫は僅かだけれど、自然からの恵に感謝です。
2011年09月25日
コメント(2)
明日3時まで仕事して、大阪へ帰る。母は朝ショートステイの職員が迎えに来る。 心配は台風の動き。7月、私の移動にあわせたように台風が来て、大分に行けなかった。ギリギリまで行くつもりでいたが、夫に強く反対された。予約していた広島行き夜行バスと、大分行きのバスのチケットは解約できずに無駄になった。 台風よ、私が広島に帰ってくるまで近くに寄るでないぞえ~。
2011年09月15日
コメント(2)
今週末大阪へ帰るので、美容室へ予約を入れておいた。仕事を終え自転車を駐輪場へ止めて、歩きだすと靴の底がアスファルトに少しくっつくような感触があって、ガムでも踏んだのかな?とサンダルの底を見ると、なんとウンチを踏んでいたのだ。 これから美容室に行くのに、そのまま行くこともできない。それで古いビルの脇に生えた草や、整備された芝生を見つけては靴の下を擦るようにして、大まかには取り除けた。「ウンコふんじゃった」ことは私に運がついたのか?、宝くじでも買ったら大当たりするかな~と不運を紛らわすように美容室へ入った。 1年半程通った美容室は7月だったか閉鎖されたので、今日はその姉妹店に行った。すると前の美容室でこの人には当たりたくないという、男性美容師が私の担当になった。この男性美容師が嫌な理由の一つは、髪をカットして次の日、なんだか髪がまとまらなくて、暫く自分の顔を見たくないような髪型になること。2つ目は、自分は何でも良く知っているような物の言い方をすることだ。 閉鎖されていた美容室は白を基調として明るく、外に向けた窓も大きく開放的であった。メイン道路から少し入っていたので、お客さんは少ないのでゆったりできた。それは反対に言えば美容師自身も、ゆったり余裕があったようだ。今日行った姉妹店の美容室は、その反対で室内は黒が基調で窓は無い。美容師も多いし、その分お客さんも多いのだろう。 嫌な美容師に当たったが、既にまな板の鯉。暇な店から忙しい店に変わったので、その美容師は落ち着きがなかった。毛染め、シャンプー、カットと一つひとつの動作が中途半端。それでも以前の店からの客なので、以前の店の話とかしていたら「会わない美容師とかおられましたか?」と質問してきた。「それは正に貴方ですよー」と言いたかったけど、言えるはずも無くお茶を濁して会話を続けた。 仕上げに入った時に、気が付いて驚いた。髪の毛が洋服につかないように、着せられるコートのようなものが、お腹あたりまでずれていて、カットされた髪の毛がそこに溜まっていた。私が懸命に髪の毛を払っていても、謝るわけでもなく自分の責任でもなかったような顔をしていたのだ。 嫌だと思っていたこの美容師、美容に関して持論を押し付けるだけ知識と経験があるものと思っていたが、口先だけのようだ。もうこんな美容師は今日で限界。もうこの美容室は行かないことにする。 帰ってから、ウンの付いたサンダルはゴミ箱に捨てた。人生、不ウンな日もある~。
2011年09月14日
コメント(2)
母が手の甲から肘までをなぞって「痛い」と言ったのは、先週の水曜日、デーサービスから帰ってからだった。その日に何とか歩かせて整形外科に行ったが、水曜日は午後の診療は無かった。確かめずに行ったので無駄足を踏んで、仕方なく脳神経外科のある馴染みのところまで行くと、6時をまわっていたので閉まっていた。 次の日パートを終えて、介護のサービスステーションで車椅子を借りて母をそれに乗せて、整形外科に連れて行った。手と肘までのレントゲンをとって、骨には異常はなかった。でも手の甲のまん中あたりが赤くなっていたので「炎症」と診断されてシップをされて、プロテクターを装着された。「また土曜日に診せて下さい」と言われて、痛み止め、胃薬、シップシールを処方された。 医者に行ったその日の夕食時、痛いと言って右手をかばって、左手でお箸も持たなかったのに、右手で箸を持って食事を始めた。プロテクターをしているので難しそうだったが、痛み止めを飲ませていないのに右手をつかっていた。 診察に来るように言った土曜日、又車椅子を借りて外科に通院した。右手を使っていること、痛がっていないことなど伝えると、プロテクターを外して、シップもはずしましょうとのことだった。でも「また来週の火曜日か水曜日に診せて下さい」とのこと。腑に落ちなかったが了解して帰った。帰り道は、母に空の車椅子を押させて帰った。車椅子を押すのは、ただ歩くより安定するようで意外に歩けた。 ケアマネジャーが、二人を介護していた人の話をしていたことを思い出した。「あまりやさしく何でもしてあげない方が良かった」と言っていたのを。私は良い娘ではないので母には厳しいのだけど、母に車椅子を押させている私のような状態のことを言っているのかな・・・と思った。 初日歩いて来た時は、母を支えるのに、私の右腕が痺れるくらい痛くなった。母に合う買い物用の押し車でもあれば、私は楽だし母には運動になるかな~と新たな発見をした。 そして今日、3度目の診察をしてもらった。車椅子を借りてきて、行きは母を乗せて、帰りは母に車椅子を押させてー。医者に言われるまでもなく、もういいのは分かっている。窓口で支払うのも120円だが、ここのところ真夏日が続いていて本当に暑かった。それと痛み止めの薬も5日間分もらっていたが、飲ませなかった。痛みの程度にも拠るとは思うが、返って痛みが分かった方が良いと思ったからだ。 炎症で3度の診察とは?無駄ではないの?と思うけど、又お世話になるかも知れないので、言えないのよねー。
2011年09月13日
コメント(4)
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()
