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白樺に行ってきました。家人と姉の亭主の会社の保養施設という恩恵をさずかったのだ。この夫婦というか家族とは、亭主の社会的身分は違うが(笑)互いに親子ともども同世代ということもありちょくちょくひんぱんに交流もあり、過去にも熱海、湯河原にもいったことがあり今回もその一環であった。実は、白樺という言葉にはあんまりいい思い出がなかった。というのも、幼少の頃、地区の集会とかあるときは決まって毎回毎回地元の町出身の演歌歌手の『白樺ああ~~』ではじまる代表曲がモロッコのコーランで迎える朝のみたいにして割れそうな音で耳をつんざいていたのだ。さて、白樺というのがどこかというと長野県の八ヶ岳とか蓼科とかあのあたりにある白樺湖周辺のエリアである。美ヶ原高原美術館とかもあったりする標高1000m強の高度。東京から車で2.5Hと手頃な距離。。。。さ、日本のラダック向って車をドライブさせてっ!!.....のつもりがどしゃぶり。GW中唯一の悪天候。それでも、逆切れで飛ばし飛ばし約2Hで到着。寒い寒い。流石、山だ。夕方になって時折晴れ間。太陽が白樺にきらっと厳しく光るが、吐く息は白白。こんな北欧並のウツクシイ沈黙の風景にいると、逆にとてもラースフォントリュアーの映画のような残酷なイメージも同時にフィードバックさせてしまったが、まあ、それはどうでもいい。それぐらい、相当厳しい冬の環境の中では、外と中のコントラストが激しく中から外を眺めながら、又、読書や書き物等もしながら、来るべき冬に向けて妄想に近い想像力をふくらましたりもするんだろうなと思った。このあたりには、自給自足的な生活を営む人も多く、あたりには『自家栽培○○」「◎◎手作り教室」などといったオリジナルな看板とカナディアンなログハウスが目立つ。マイペースな生き方を求めてたんたんと暮らすアーティストの人たちや、老後を静かに過ごそうと別荘を構えるゆったり老夫婦も多い。ということで、夜は、うまいもの食って呑んで温泉につかってぼーっと考え事しながら最後はコーヒーのんで贅沢に寝た。完治寸前の水疱瘡カサブタをはがす時間として丁度よかった。カサブタをはがしていると、いつのまにかカサブタしかはがしていなくなるほどカサブタはがしは集中力を要する行為で、楽しい。みえない部分が多いだけに、指先が鍛えられる。指先の感覚と脳の視覚的イメージとのギャップを克服しながら最終的にキレイにはがれ落ちさせることに目的として永遠に集中する集中する。はっと我にかえり、今抱えている仕事の構成が気になって、脳の中でパズルする。と、又、巨大なカサブタのイメージと格闘しているといった具合だ。外は真っ暗、空気はぴりっと透明。アルヴァ・ノト+坂本龍一にあえてひたり、コーヒーのみながら至福の時間をすごしてしまった。そんなことやってたら寝れなくなってしまったので、唯一持ってきていたイタリアに魅了され家まで買ってしまった人の文学的なレシピ本を半分ぐらいまで読んでしまっていた。
2007.05.03
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相変わらず、無数の水疱瘡の痕にさいなまれていますが、どうにかこうにかやっと、最終段階のカサブタの域に達してきた。こうなると他人に飛ぶ心配もなくなるため、人に迷惑をかける立場という縛りも消滅し、メンタル面ではぐっと安堵状態を迎えている。カサブタはがしも軽快だ。このカサブタというのは自然に消えるものとはいえ、気になりついついペリペリいってしまう....楽しい。通常ここまで来るのに、1っ週間以上を要するらしいのだが、それを3日の気合い乗り切った。今回に漏れず昔から、代謝というかこの回復力という部分に関しては自信がある。とにかく問題と思われる箇所やその経路をたどって、あるいはその逆の方向性にストレッチしながら集中し筋肉と細胞を呼吸させる!みたいなことをやる。あとは、場合によって漢方とハーブを具合をみはからいながらブレンドしつつ水分をいつもより多く採取する。結構、内科的な症状でも低下している機能を活性化させてやることで、身体のバランスを整えられ、ホメオスタシスの能力が向上するみたいだ。ただ、かなり個人的な方法であり正確な表現ではないので、気軽に聞き流してくださいまし。とにかく、熱とか傷とかを否定的にとらえずに、良くなる前のフィードバック期間だと考えそれをたすけるような運動なり食物摂取なりをするといいということですな++と思いながら夕方近くの漢方系のお茶屋に寄り血圧と血流を簡易的に検証する機械をやってみたら、愕然、『乏血型』............血の動きに勢いがない!!という結果だった。血圧全体も低下しているし、ポンプ力にインパクトがないみたいだ。こういう状態は肩こりや冷え性の人に多いらしい。病み上がりだからなのか、運動不足か、、、、?ともかく、回復力を自慢してる場合ではない。サルアニラやめてから、子育てもあって、ほとんど労働以外で身体動かしてないからなあ。ベビーカーで散歩とかは必要以上にしてるけど、それも心拍数をあげてくようなやりかたじゃない。バイクでいえば、配達で近所は回ってるけど高速道路が乗ってないみたいな感じなんだろう。ま、対策を練りますか。先週の日曜日、ヨーロッパのかなり有名なカンパニーのオーディションを通過して最終段階に勝負するため渡欧する直前の友人つかまえてハッパかけて以来、何故か俺の方も、やっとくか、やっとかなきゃって感じになってしまっている。そう思わされたのは1年半ぶりぐらいだけど、そう思わされる程、やつとやつが所属するカンパニーの人間たちのバイタリティがあるってことだろう。とにかく、昔のサルヴァニラみたいな、得たいの知れない、「どっから来たんだこいつら」って人間ばっかでそんなのがダンスだっていってやってるのが大変面白く、アーティストを主張せずにすでにアーティストってところが優雅でいさぎよし。内容がくだらないけど器のでかい域まで高めていこうって感じだったりしてていい。唯一、10年前のサルヴァニラと違ってたのは、やつらが踊れるってこと(笑)とにかくフランス公演、頑張ってね。そんな盛り上がりの中で、なにげに次の髪型が決まっってしまった。ザ・七◎だ。たぶん。今日は、トムウエイツを聞いてしまった。。。「スモール・チェンジ」キャデラックが似合う伊達キャラと呑みすぎでつぶれた声が最高。昔、新宿あたりで酔っぱらい歌いながら帰ったな、よく。
2007.04.30
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GW前の一番よい時にだ。水疱瘡にかかってしまったらしい。。。昔、飛び火が移ってしまった友人をさんざんバカにしてたけど、よりによって、同じ種の症状にやられるとは不覚だ。三日三晩の38度台の高熱の後、虫さされのような湿疹がじわじわ胸、腹、背中、首、顔、頭、脚と心臓から離れる方向に広がっていくではないか。3日前に慣れないペンキの現場の仕事をおおせつかり、それはそれは快晴の中、爽快でありつつも急角度&高所作業のため、ストレッチをやっとけばよかったと後悔役に立たずパイプにしがみつきながら必死こいて塗りを終え、帰ってきた矢先、全身に悪寒が走った。、、風邪かなと思い家にある漢方系のお茶もどきをしこたまのみながらも、鋭角的な鳥肌やら、腹部の違和感やら、まぶた付近の異様な高目圧具合を感じその日は朝まで熟睡。翌日も悪寒。。。おかしい。そして胸付近のつぶつぶドット群が確認し、背中がなんか痒いなあと思いながら寝た。と思った翌朝。顔がすごい。じんましん級に。と思ったら夕方までに身体が完全制覇され、さまざまな病状を予想し不安におののきながらさすがにたまらず医者へ。あ、水疱瘡ですね。なぜか安心した。そういえば水疱瘡だけやってなかったのだ。一度ウイルスかかったら免疫ができて二度と発症しないこの感染症。インターネットで調べると、本来11歳までの発症率が9割らしかったのに最近大人で出てしまうコトも多いらしい。1週間~10日休んでしまう人もいるほど移りやすい病気(免疫がない人にのみ)自分だけじゃないことでまた安心した。しかし痒い。掻くと痕残るから掻けないっていうのもしゃくにさわる。人様の注目をあびぬように帽子にメガネにマスクでなるべくかくしてかさぶたになると終わりらしいのですが、時差攻撃で来るため最後のグループがかさぶたになるまで終わりは来ない。今、丁度8合目付近だろうか。顔付近のグループはやっと黒いカサブタになってくれたけどなったらなったででかいほくろっぽくもあり出てる場所もうまいツボを絶妙についていて、ネタとしては面白いけど、本人は痒い。あやゆる状況の中で平常心をたもつ試験の一環なのか。たちのわるい罰ゲームか。
2007.04.27
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午前中、六本木に打合せ。なにやら、ライトなゴスロリ&ビジュアルパンク系みたいな(よくわかってない、すみません)若者たちが、ひとつしかないEV前を占拠してる!って思ったら、ただ、順番待ちでした。あとで、聞いたら上に音楽イベント系の派遣事務所があるらしい。みんな礼儀正しくマナーがいいので、失敬失敬。帰りに寒い寒いいいながらミッドタウンの前チャリで通ろうとしたらOLの集団に舞きこまれ背後で右往左往を2分ほど。いったい何人で飯食いにいくんだろ。あんな人数でいったら入り難いのに。しゃーない、抵触すれすれのブレーキ音と車輪の空回り音で、なるべくお互い気持ちいい形で、なんとかその中の最も繊細そうなひとりが気づいて、群れのドアを開けてくれたが、いつも思う、こういう気づかなさは、いつも♀だ。うちの嫁はんも気づかない口だからよく分かる。根源的には、狩猟する本能につきもののの、気配察知力とかそういう類いの能力なのだろうな。けど、草食動物のほうが発達してるか....? よく分からん。いずれにせよ、『自転車で走行中に出会ったグループ内の男の比率が高いほうが、自転車が後ろに接近していることに気づきやすい。』だから、男が偉い訳では全然ないですが...ということで、家路に急ぎ、到着次第、子供へのごはんに配慮しながら、有りもので最速のパスタをつくる。パスタのうまさの鍵を握る重要なアイテムのひとつは、アルデンテ意外には、間違いなく”エクストラバージンオリーブオイル”だ。あと「絡める」と「煮込む」の勘違いをするとせっかくのそれまでのアルデンテの工程が無駄になる。で、つくったのはペペロンチーノ、具は他に冷蔵庫にあったウインナーとピーマン+ほうれん草トッピング。午後、家人が打合せに行くというので、留守番というか子供番。握らせたペンの使い方や声の張り上げ方で、雨で欲求不満がつのっているのがわかる。自分の服にぐいぐい描いているし、いろいろ意味不明な詩を叫んでいる。特に、絵本内のライオンが傷ついてる絵をみると痛そうに叫ぶ。晴れてれば、外歩いたり階段駆け上がったり公園や庭で砂や泥遊びしたり、発散には事欠かない環境があるからだ。こと雨が降っただけで、家のストレスがぐいっと増す。ということで、散歩に。ビニールカバーをベビーカーにセットアップして出かける。途中のカフェで体格のいい強面の友人に出会う。手をおいっとあげると出てきてひとことふたこと話す。この近くに事務所引っ越したと聞いてて、いつかは出会うような気がしてたけどやっぱり会った。今度ちゃんと遊び行こう。強面だけどいいやつだ、できる男でもある。で、ベビーカーの行き先は、区の子育て支援サポートセンターいわば幼児の遊び場だ。遊具も、庭も、玩具も本も、講座みたいなものも完璧な環境である。こんなとき、とても助かる。いったら、10組ぐらいの親子が、すでに遊んでいただろうか。多いときには、最大30組ぐらいいたりもする。外国人やハーフの子供が多いのもここの特徴でありここがいいのは、時間や場所を拘束されるわけでもなく話を強要されるわけでもなく遊ぶの見ながら自由に居れることだ。あと、いつも思うけど、子供の人への近づき方とか社会のつくり方とかってのは独特で面白い。この前出会ったリコメンドな本の紹介しようと思ったんだけど、そこまで行けない。長くなってきたんで、ここで日記はやめとこう。いろいろ作業が残っているので。この日記を復活した時に、誰かに伝達するために書かないことを思ったが、この考え方はやっぱ楽で、書くプレッシャーや億劫さを避けられる。
2007.04.18
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3月から動いてゲットしたいくつかの仕事が実質的に5月からしか始められなさそうなので、地道にそれらの準備しつつもそれでも余る時間を、ヨーロッパ風のバケーションを過ごしていると毎日自分に言い聞かせながら、又家族全員で納得しながら暮らしている。なんの社会的保証もされていない無給のバケーション(笑)ま、全ての労働者からバケーションの権利を剥奪してはいけないとイタリアの労使法で定められているし、、、一応バケーションはバケーションであり、充電期間とみなしてある。とか、理由はいくつでも見つけられる。でも、5年前までの自分だったら、このようなルーズな期間を過ごす事は難しいことだったろう。置かれた状況と社会との間であせり、いたたまれなくなって発狂していたかもしれない。が、今、家には娘がいるのだ。娘のおかげでいろんな別世界を見させてもらっている。子供の遊び場いったり、育児サポート施設にいったり、公園にいったり、料理の素材に凝るなど今まで自主的にはいかなかったワールドを楽しむことができるし、ユニバーサルデザインの必要性なども実感できるし、子供番組の斬新さや完成度も発見できる。おそらくあれだろう、現在の彼女にとっては北欧の男女育児休暇保証並みに父はずっと家にいてくれる存在だということで認識されているはずだ。こちらにしてみれば心外じゃないすかって気持ちもあるけど、娘といるおかげで己を柔軟にキープできるのだ。生まれて以来、年中無休で7時前には起きなきゃいけないし、飯もつくって食べさせなきゃならないし、おむつも交換しなきゃならんし、風呂にも入れなきゃならないし、がっつり遊ばないとスムーズに寝させるのにも根気がいるけど、一発の浮き世離れしたスマイルでそれらは霧散するし、行動が天才的にいちいち面白い。だから、世話をしてるつもりでいたけど、遊んでもらってるというフレーズが正しいのかもしれないと思えてきた。公園って、買った昼弁当食ったり、デートのついでぐらいでしかいかないでしょ普通。世界各地には必ずでかい公園とかあっていったいなんでこんなに敷地使わなきゃならんのかって思っていたけど、子供出来るとすぐ分かる。家だとどうしても遊ぶ道具とか方法とか工夫を凝らさなきゃいけないけど。子供出来ると公園は非常に有用な遊び場&大人の逃げ場として価値を転じる。公園にあるほとんどのもの(木、花、草、砂場、数々の遊具、他の子供たち....)は、子供にとって興味あるものとして存在しそれらと勝手に遊ぶ、大人はそれ観察しながら楽しめるしひととき憩える。特に、広い公園だったら、気にせず走ったり転んだりボール使ったりもできる。余談ですが、外国人って遊ばせ方うまい。怪我して覚えさせるっていうか放任主義っていうかあんまり手をかけない(我が家もそれに近いけど)。なんせ、子供に対してYou(英語圏の人は) なんていったりなんかしちゃう人種なんだから。洒落たいでたちのフランス人お父さんが初の滑り台でおそるおそる滑ってくる我が子に対して、本気でワオーーー!!とか吠えて驚かせたりしてるしな。対等といえば、ヨーロッパのほうだと、洒落たレストランには大人しかいけないしね、やつらは。知り合いが言ってた。一見ひとでなしって思うけど、ちゃんと大人になんないと連れてってもらえないと思うから子供も必死こいて努力して大人になろうとするって、そういうのいいじゃない。あとね、ほっとするのは、普通に子育てパパ率高いコト。土日のとある場所なんて、でかパパばっかたむろってて翻弄されてる。あ、気づいたら子育てばっかになってしまった。いかん、こういうことばっか書いててもしょうがないけど、現実として。ひとつ、嫁にいわせると前の仕事やめてからすっかり顔色が復活してきたらしく体重も復活し、背中周りの筋肉の柔軟性も回復してきた、少なくても我が家では、このバケーションの評価は高い。。。
2007.04.16
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最近、ふらふらしていたんで久々書いています。近くのスーパーでミントが安かったので買ってきて早速ポットにぶち込んでミントティーを煎れる。このぶち込み方式はモロッコ方式だ。モロッコでは、そこら中の野っぱらでミントを栽培している。あるいは、高い背丈で自生してもいてミントの匂いで充満している。で、カフェやレストランでは必ず最後にミントティーが出てくるほどミント好きな国民である。その際の煎れ方が、男らしくコップにがばっと贅沢に生ミントをぶち込んで約30cmの高さから熱湯を注ぐやり方だった。約1ヶ月モロッコに滞在していたので、ミントというとモロッコを思い出す。街頭スピーカーから鼓膜破れそうになるぐらい大音量のコーランで起こされ、外出て道ばたの茶屋でミントティーすすってる状況や思い出してしまうのでした。不法売買に巻き込まれ黒帯カラテマンのふりして全速力で脱走した事件、パープルヘイズとワインでヘロヘロになって迷路の城塞を馬のうんこ踏みながら迷いやっとホテルにたどりついた事件、砂漠の入り口でこの世のものとも思えない遠方からまっすぐ突き進む黄色い光を見てしまった事件、ハンマム(共同浴場)でたくましいゲイにしつこくナンパされた事件、砂漠のど真ん中でラクダに追いかけられた事件、うわうわいろいろ思い出してきてしまった。初イスラム国家訪問ということもあるかもしれないけど、とにかく、全てビジュアルつきの匂いつきの記憶としてで思い出してしまうような、強烈な国だったことには間違いないしな。そうだ、金曜に渋谷の某クラブに行った。サルヴァニラで何度か一緒して以来のSEENくんがさらなるアブストラクト道を突き進んでいるみたいなのでプレイを見たかったんだけど、行ったら終わってた(笑)んで、KRUSHさんの登場。んん、残念だった。あの場所の最悪に反響する音環境やPA状況もあるんだけど、方向性がドラマティック過ぎだし音が重なりすぎてクリアに聞こえてこないような気がした。お疲れ気味なのか......。でも、オペレーションというかプレイのアクションっていうか、そういう乗せ方は流石なのでは。でも、イベント全体の状況が、クライアントの広告要素全面に出過ぎた感でいっぱいだったんで、統一感なかったんで、そういうのもアーティストに影響してるのだとは思った。音きっちり聞くなら、やっぱ中ぐらいの箱でしかも所属レーベル主催のパーティで音設備カスタマイズした状態で聞くのが、一番よいんだろうな。SEENくんのもそういう場で今度、是非。で、その日は、TANAKA FUMIYAまではつきあい切れずに、途中でラーメン食ってチャリで帰った。ここの七志らーめんは、前よくいってて、こってりうまいんだけど、最近の食状況的には脂と塩きついことが初めてわかった。帰ってきて、PoDcastでBABY-QのGEEEKをダウンロードして見た。インタビュー中心の内容だったけど、間にインサートされてる作品の映像見てぶったまげた。出演してる知り合いの踊りがグレードアップしていたのだ。鋭角的なスクエアサスの中で、シームレスに臨界点を動いている。寸分も止まることはなく動きがキレまくってる。数年前に床に膝がんがん打ち付けながらほとばしらせていたダンサーだ。いつかやる男だと思ってたら本当にやる男だったんだ、きゃつは。あと、相変わらず祥子ちゃんのアブストラクトな動きも、いくものようにこっちの神経束にまでやってきて、1っこずつピキンピキン起こしてくれたな。音に対するレスポンスと覚醒感がいい。あと、あのべしゃりは普段通りで痛快で正直で感じがいい。BABY-Qは、引っかかったテーマをめちゃくちゃをストレートに徹底してやってるし、ぐいっとヌケていて共感できる。たぶん、俺が彼女らと話したことが仮になくっても、作品からそういうのは仕方なく伝わってきちゃうんだろうと思う。あいつらみたいになりたいって若い人間もいるんじゃないかと思う。内容うんぬんじゃなくてそういうのって大事なんじゃないのかな。あいつみたいなギター弾いてみたいなあ~とか思わせるものじゃないとジャンル自体が内輪化してしまって外に開いていかないから。でもなんか、聞くところによると世間では賛否両論らしい。けど、だいたいどういう人間がどういうふうに否定しているのかが予想がつくから、国内外問わずがつがつやってほしいと思う。もしかしたら、モロッコで感じたものととBABY-Qから受ける感覚が同じような地点にあるのかもしれないかと勝手に思った。
2007.04.15
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土曜に、知り合いのパフォーマンスイベントで久しぶりにスーデラに行った。ダンスインプロヴィゼーションと音、照明のリアルタイムセッションを継続的にやってく主旨のイベント。こういうのは、強者のジャズインプロバイザーたちがやるような手だれ感と互いにアーティストとしてリスペクトしたうえでのあうんの呼吸みたいのがないとなかなか難しい。あと、フォーマットなのかな。ジャズの場合は、楽器がそれぞれ明確だし、なんだかんだいって掛け合いの複数のパターンがあって、暗黙のコンダクトによってディレクションされているから、ドはずしはしない。ただ、今回の場合は残念ながらそれぞれ今何が起こってるのか認識していないし異ジャンル同士でコードを共有しきれていない感じがしたけど、おそらくこういうのは継続していく中で内容も洗練され参加者の呼吸も形成されていくのだと思うし、ずっと言い続けてきたことだから、やれる状況にあるのなら是非続けていったらいいと思う。ここのスーパーデラックスはやはり貴重な場所だよな。2年前にシリーズものを開催させてもらったんだけど、都内でオーバーカルチャーなアートイベントをやろうとするとなかなか場所選びに苦しむし、あったとしてもなかなか運営側と意気投合することはない。だけど、この場所はマイクさんをはじめとする運営サイドがアートやサブカルチャーを熟知しているし、そこそこ広く、いかようにでもアレンジ可能なコンクリート打ちっぱなしのシンプルで贅沢な空間、そして気軽なバーラウンジ&ビールがうまく魅力だ。特に、80年代後半から90年代を通過して現在に至っている実験好きでクロスオーバーな考えをもつアンダーグラウンド側の人間にとっては親しみやすいネタが多く「ああ、やつまだこういうのやってんのねえ。」「えっ、あいつ今こういうふうになってんだ」的に安心してしまう。ああ、そういえば気になった話を思い出してしまった。丁度、その晩そこに来てた知り合いが、『やっぱ、続けないとダメでしょ==』『みんな、やめちゃうからさ==俺ぐらいは、、、」などと、余裕のない空気感で豪語していた。この知り合いとは、むしろよく気さくにはなしをするし積極的な活動にも感心している。近頃お気楽な俺は、大きく笑いながら聞いていたんだけど、「最近、若い人間育てていくほうが好きなんだよな~」とか浮き球がではじめたので、ん。。。。と場を離れた。大雨でも快晴でも同じものを食えないだろうし、明らかに味が落ちた一品でも続けて客に出せないし、宇宙船で踊ることになったのに筋肉を増強するだけなのかとも思うし、スモーキーマウンテンでダンスシューズはいて同じことはいえない...続ければ続けるだけ、よりクリエイティブにはなれるってわけではないもんね。「写真は、名誉と金のために人が見たいものを撮る」と言い切る宮嶋茂樹という報道カメラマンの発言を逆説的に思い出した。この前、ミッドタウンで雨宿りしてたらとなりに座っていた明らかに現代ギャル風な女の子とその若い彼氏が、その時不機嫌だった娘に近づいてきておやつみたいなのくれたりしばらく2人でかわいがってくれていた。人見知りまっただなかの娘だが、別れ際にはバイバイをするほど珍しくなついていた。どうみても、こっちのほうが人間がデキている。ま、そういう比較でもないか(笑)
2007.04.10
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朝起きてコーヒーを入れようとしたら腰にやや張りを感じる。そして、1時間後に子供を抱っこしようとしたら今度は二の腕に同じような引っかかりを感じる。「あ、昨日相撲した...」やがてそれは夕方にかけて大腿部をめぐって夕食後には背中全体を決して苦痛をともなうことなく心地よさとして突っ張らせてくれていた。精神的な引っかかりに比べ、肉体的な引っかかりはいいもので、そこを起点に忘れそうになっているを思い出させてくれる。しかし、30代も後半になってくると、痛みを感じるまでの時間がかかってしかたがない。小学生時分は運動会や山登りの翌朝に速攻で感じていた身体の違和感が、このごろはとんでもない鈍い時差と不規則な対応でもって脳に伝達されて「そういや、痛みがあるみたいですよ~~」と、認識させる。事実を経験値から客観化して判断・決定する小姑能力があがってきていて居座っているものの、細胞のレスポンスと蘇生力が衰えていたり経路が目詰まりしてしまっていて馬力ある伝達ができていないため脳で「昨日と筋肉の状態違う!」と判断されるまでの時間がかかってしまうのでしょうね...。専門家じゃないから真意は定かではありませんが身体適度に動かすのはよいことだと。東京ミッドタウンに行く。メインの目的は、ない。けど、あるとしたら、とりあえずどんなもんか視察しとくかってことと、ついでに昼飯だ。最近イタリア文化を食生活と余暇のあり方からひもといていく本を読んでいて、急激に本場に近いイタめしを食べることでその域に接したくなっていた。あと、ついでにデザインハブなどのデザイン系アーカイブを見に行く事、1_21デザインサイトで展示されてるANDO展とウイリアムフォーサイスのインスタレーションの展示なんかも見たくなっていた。こういう場所は、週末にはいきたくないし(飯なんか特に)から、こういう暇な平日がチャンス。気合い入れて11時ぐらいに家を出る。だが....狙っていたナポリピザ屋がアウディ軍団によって貸し切り占拠されていた。仕方ないインドカレービュッフェにいく。やっぱ30分ぐらい待たされたけど、いちいちうまかったし広い庭も望める感じもいい。田舎もんの俺にしてみれば、閉塞的な場所で飯を食うと切迫感を感じ貧乏くさい気分になってしまうので(酒ならOKなんだけど)。ここは、近くの巨大モニュメントビルと違ってずいぶんとシックで日本人のメンタリティにそぐう感じがした。特に照明の感じは暖かい間接的なあかりを基調としていて包容力があるし、全体的なデザインも、決して高級感を主張せず落ち着いた仕立てになっているし、余白部分を重要視して優雅に設計してある。買い物もしやすい並びだ。裏側には西洋庭園と日本庭園が贅沢な広さで隣接してあり一般の人でも緑の多い公園/広場としてくつろげる。子供向けの遊具スペースもあるし、池にはあずまやがあって一息つける。フォーサイスのインスタレーションを見たら、3年前ぐらいにダンスメディアの企画で一緒になったりしたダンサーのアレッシオがいて、彼もインスタレーションの一部としてダンスするらしかった。ギャラリースペースに20人限定で客が入れ替わりながら入っていく。入ると、いやいやセンスあるある。ドライアイスの煙で充満した池には白色のリングが浮かびあがっていて、繊細に揺らいでいる。壁面では、秀逸なフォーサイス流テクニックで、未完の幾何学を踊っている。7分という時間が短く感じた。しっかし、つぎからつぎへと、20名ずつの客がひっきりなしに入れ替わったりする中で繰り返しパフォーマンスしなくはならないアレッシオは大変だああ。お化け屋敷のおばけじゃないんだから。ああ長くなった。ではでは。。
2007.04.09
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今日は仲間うちで花見をやった。ああ天気いいなあとか思って気持ちよく酒飲んでいたら、夕方近くになって何故か相撲大会になっていた。目の前でいい年こいた野郎同士が代わる代わるがっつり組んで押したり引いたり掴んだり投げたり一喜一憂している。笑ってみてる人間も、実際自分の番が回ってきてしかも投げられたりすると目がまじに変わっていき、やがて本気モードになるほど燃えてしまうのだ。あまりにもサルヴァニラっぽい夕暮れ時だ。それもこれも、一人の屋久島在住のメンバーが皆の期待を一手に受けて、まだ冷たい川の浅瀬に突入していったアクションから始まった。昔から、やつの人間力は、こういう場で天才的に冴える。夕方冷えてきたので散会する。夜、ひさびさ世界遺産のマヤ遺跡の回を見ていたらやばかった。抑えめなローで音圧の高いまったりとしたBPMのミニマルな音構成でまず引きずり込まれ俯瞰から回り込みぐらぐら微細に揺れながらピラミッドにZOOM INしてPANしていくカメラワークは相当デビッドリンチっぽく、不規則でありながら規則的に感じさせる遺跡の壁面へのドリーのテクとか、かと思えば幾何学の模様を無意味にフリックさせながら撮った絵が入ったり、ピラミッド前で佇む家族を蝋人形のようにストップモーションさせて妙な生生しく押さえていたかと思えば、、天空をピラミッドのギザギザシルエットで切り取るフリーズが15秒ぐらい続いたり、なんかぐらっ、ぐらりの連続。きた。制作したTBSビジョンのディレクターの趣味なんだろうか、CPの趣向なんだろうか、編集のつなぎ方なんだろうか。なんせ、この質感で制作した世界遺産は見た事無い。見入った、参った。
2007.04.08
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今日は、昼過ぎまで二日酔いに苦しんでしまった。頭痛いわ吐くわ下痢だわ...今思い出してもあの不均衡状態を想像して気持ち悪くなる。NASAのパイロットたちはこういう状態で正常を保てるように訓練してるんだろうかとか、余計なことも考えたが、11時からの打合せを2H押しにしてもらうほどにまじで哀れに立てなかった。二日酔いってやつはできれば出会いたくないのだが、調子のいい人間ほど出会ってしまう。昨日もセーブしようと思っていたのだけど注がれるままに焼酎をがぶ飲みしてしまった。昨日、テレビのやつらに誘われて呑んだんだが、やつらは注ぐタイミングとかの判断が異常に早いんだけどやりすぎる帰来がある。おそらくお湯割りで10杯はいっただろう。プラス最初に中生2杯か。ただ、2日酔いの原因は以外に些細な酒種の悪意ない仕業だったような気がする。居酒屋行く前に、洒落たレセプションパーティで気分よく高級シャンパンと樽の香りのするワインを1杯ずつだが空腹な身体に流し込んでしまっていたんだ。チャンポンは各酒酒が少量でも効果あることを体験で知ってる。そのくせに引っかかってしまったのだ。ましてや、焼酎がつんと呑んだりする機会もなく免疫が低下しているし....いずれにせよ、ここ数年で気づいたのだが、俺は酒が好きだけど弱い。酒強そう、強いんでしょ~とか、顔に出ないね~とか甘い言葉に乗せられてずっと、強いと信じて疑わずに生きてきたのがアホだった。というわけで昨日は居酒屋行く前に「イタリアの若手デザイナー8名によるファッションショー」を見る機会があった。大倉さんがエクシビジョンパフォーマンスをやるということで強引に入れてもらったというのが正しい。場所は、東京ミッドタウンのB1のホール。前日はヴァレンチノの新作ショーをやったみたい。なんと、ファッションに抜け目なく主張するVIPのみの客席にこちとら一張羅で挑んでしまっていた。家出る前に気づいてよかったけど、ライブとかパフォーマンス見に行く意識でいたためドツボにはまるとこだった。一応ああいう場所のカジュアルフォーマルみたいのもあるじゃないですか。ショーは、冒頭、大倉さんのパフォーマンスから始まる。声太鼓のアンビエンスと絵巻物風の映像のバランスはよかった。流石前より一層、一音に賭けるからだの動きが無駄がなくなっている感じがした。だけどこのエキシビジョンパートから続く8名のショーとの関連性がもっとあればいいんだよな。テーマ的にアジア+EUミックスなんだろうし。モデルも半々でコーディネイトしてんのに詰めがもったいない。いつもの長い廊下に白リノ張ってあってひとりずつ出てきていつものポーズして又帰る。照明も然りで。なんかあんだろうよって。確かにモデルが魅力的に見えてさらに服も素敵に見えれば、それでいいんだろうけど、なんか工夫ぐらいはそれぞれできるんだろっていつもこの手のショーみながら思う。モデルの動く軌跡と照明のあて方ちょっと変えるだけで違うよ。だけど、ここに出てくる日本人モデルみてると日本人も女性も、こんだけ背伸びれるんだって思うし顔も小ちゃくなれるんだね。まじで。イタリア人とくらべて遜色ないない。でもな、歩くと分かっちゃうんだよね(笑)食い物の噛み方の違いっていうか包丁とナイフの違いっていうかバケーション文化の違いっていうか、簡単にいうとリズム感。っていう俺もまったくの日本人です。昼過ぎに、新橋で石原さんの演説聞きながら立ち食いうどん食ってたら二日酔いから復活した生粋の日本人です。SL広場はかなりの混雑をみせていた。終わったら終わったで携帯もっておっさんおばはんがしつこくつきまとってるしあの取り囲み方の状況は他の立候補者のそれより明らかに違うし当選はほぼ決まりと錯覚されられてしまうよなあ~。ブラウン管の中と生とどう違うのかを確かめてみたいという基本的なメディア人に対する確認行為なのかもしれないけど、有利は有利だろうね
2007.04.06
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子供に「やせたぶた」という絵本を読みながら寝かせようとしていたら、たどたどしいながら傍若無人な言葉が飛び出した。”まんま...まんま...”目の前にある哀れなぶたを指さしてこういったのだ。(ちなみに子供は、今1.ママ 2.パパ 3.まんま 4. バイバイ 5. ごっちょうさんぐらいしか明確な日本語を話せていません。)えてして、秀逸な絵本は残酷なものだが、、、今日、真っ先に脳裏には、漫画”ねこじる”の1シーンを思い出した。まったくの純真ないでたちのクリクリっとした猫が悪意なく残酷でシニカルな言葉を連発するユニークな絵が浮かんだ。自分も含め肉を普通においしいおおいしいと食ってしまう大人が悪いのか子供の世界がストレートで残酷なのかわからないが、とにかく家の子供の口からとんでもないのが飛び出しショックだったが、それほど心配もしていない。そういえば、知り合いの3歳になる子供も、このねこぢるの描く漫画が好きで、ははっはははっと悪魔のような笑いで喜んでいたな。エイフェックスツインが好きだった、この作家は数年前に他界してしまった。彼女が最後に残した作品の四次元感は、強烈だった。この作品には、いつものような残酷で(大人の倫理的に)天真爛漫な描写はひとつも出てこず、完全なるSF。真っ白い奥行きの変形した世界を無口な女の子が佇み、ものすごい時間の変化を見せる。アトランティス大陸、手塚治虫、かぐや姫、猿の惑星、卑弥呼、ホドロフスキー、などをパラレルに連想させた。あの切れ味とトリップの仕方は天才というしかなく凄かった。いま、全くすやすや眠っているが、また娘の口からとんでもない発言が飛び出すのだろうか。。でも、なんだかんだいっても、ねこぢるは、当分娘の目に触れない場所に保管だろうな。
2007.04.02
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新のつく月が始まるが、年を追うごとに彼らを見ると、この浮つきの月に遠い目になるのは俺だけではないと思う。そうそう、古くからの知人に太鼓とバイクで地球と響き合ってる素敵な人間がいる。この人は、300年前からの格式ある伝統を継承する人でありながら、若い頃、有機野菜を食った瞬間に「いままで俺がフェイクを食わされていたのか!!」と愕然として有機野菜農業をはじめたかと思いきや、突然、アメリカに飛びインディアンとプリミティブな生活をはじめたり..と猛烈な行動力で知られる。彼が演奏する時は、のってくると顔が狐のように歪み、天と地との間で共鳴してしまう。この親父は現在、文化財として伝統芸能を歩む傍ら、辛気くさくなることなくあらゆるジャンルのアーティストとも世界中で規模を大きくセッション展開中である。今度「若沖」をモチーフとした豪華絢爛な絵巻物映像をつくるアーティストとショーをやるらしいので機会があれば是非行けたらと思う。実は、今後の自分の動きこの背筋のピンと伸びた男に左右されるかもしれないのだ。わからん、わからん、どう転ぶのか。友人のブログに坂本の新アルバムを衝動買いしたことが書いてあったけど、この前ネットで視聴していて、今の俺の心境的にピンときてしまっていて同じく気持ち買いしてしまいそうだ。そういえば、麻布あたりをぶらついていて、建築家がやってるギャラリーがあって残糸の鯉のぼり展みたいなのやってて、ベタなんだけど、その鯉たちの死にそうな感じが怖くてよかった。そこのショップに今使ってるミニマルのアイコンと同様の風呂敷みたいの売っててパクられたかっ!とか思ってやや驚いた。どうやらデザインのモチーフが木材の接ぎ木の形らしいんだけど、自分では意識してなかったが、俺もどっかでこの形から発想したのかもしれないと思うと俺の方がパクリだ。まあ、どうでもいいが、この接ぎ木の有り様というか見え方とか、どうしても目立ってしまうその存在はいつも面白いなと思う。ただ、肝心の写真を撮り忘れた。。去年から、まだ職質されてないな、そういや。毎年恒例で一度はあるのに。昨年末は、中野の住宅街でただ歩いてるだけでやられたし。なきゃないでなんだな。大人になった証拠か。。。そんなはずない。
2007.04.01
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今日、東京ミッドタウンに安藤忠雄建築の21_21 DESIGN SIGHTが華々しくオープンしたようだ。時間あったら行こうかと思っていたけど、こんなハレの日にわざわざ出向くミーハー魂もなんだなあとか思ったり、変に畏まった背広組がうろつく&うざい満員に失笑しながら外でタバコ吸ったりしてる様が目に浮かんだので結局やめたわけであるが、夜ネットみたら10時間で15万人とこの万博並みの民衆が湧き集まったようで...やっぱ行かなくてよかった。きっと、週末はどろどろなんだろうな。こういう日本のデザインの優秀さをハードパッケージしていくやり方はいいと思う。というか、いままでなんでこういう場所がなかったのとさえ思う。日本のデザイン能力、空間把握能力みたいなことはは昔から海外のデザイナーなどに影響を与えてきていたりと優秀なソフト制作の能力・人材が豊富なのにハードパッケージや広報が下手だ。だから、意外に観光客が少ない。PRが下手くそなんだろな。だって、韓国、シンガポール、台湾、香港などいろいろアジア回ったけど、日本以外は国営のアートセンターらしきものはあって、洗練された建築物とともに新しい文化のシンボルとしてPR機能を果たしているし、映像・インスタレーション・映画・音楽・デザイン・パフォーマンスなどジャンル分けがきちんとされて、それぞれに新しいものを求める若者が集ってそれなりに機能している。最近、地方にはそういう種類のアートセンターがちらほらできてるみたいだけど、やっぱ東京にないと駄目でしょ。このごろになって、なんとストリートパフォーマーに免許だすっつったって。4/7からは、ウイリアムフォーサイスのインタレーションがさっきのギャラリーに展示されるらしいから、その頃覘いてみるか。最近、こういうのもやってるんだね、やつは。なんで、今日は新国立美術館をのぞいてきた。やはり、近辺の乃木坂にできた、今話題の黒川巨匠氏設計によるものだ。企画展の「20世紀美術探検展」を選ぶ。しかし国内で美術館にゆっくり来たのって何年ぶりなんだろう。しかも現代アートなんてこっぱずかしいなんて思いながら、学生のように心地よいウッド感覚の床面をたどりながら回覧する。美術品を所蔵しない美術館には、国内外からキュビズム以来のアートの解体と変遷を象徴する作品がずらり。ブラックやピカソに始まり、マンレイ.... ポロック... イヴクライン....デュシャン....ロトチェンコ....ウオーホール...岡本太郎....草間やよい....なんて分かりやすく順路なんだ、これは。なにより入場料に比べて膨大で贅沢な展示量に驚く。個人的には、デュシャンもいいけど、ロシアアヴァンガルド~バウハウスに向うアートとデザインの瀬戸際あたりの作品が好みだ。美術館やギャラリーを抜けて生活の場にあってもおかしくない趣向のやつ。あとね、名前思い出せないけど立体でとにかく完璧な形のシュールな立体作品があった。説明しにくいけど、夢の4D感を3Dに落とし込んだらこういう形になるっていう...ぐっときたからもう一回みたいぐらい。あとは、ここの美術館のロゴだな。佐藤可士和。smapが有名かも。彼のは複雑な背景をシンプルで単純に奥行きをもって表現する。遊び心って基本的なものもあるし。やっぱ、広告でいっぱしにやってる人は伝達力が洗練してると思う。ところで、今日の六本木ヒルズはがらがらだったんだろうか?それとも、相乗効果で客もらったんだろうか?
2007.03.30
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今日は、昼間、新宿御苑に家族でもって歩いて行く。案の定、桜が8分咲きで、特有のむわっとした空気。手弁当を食べながら優雅な花見。平日の昼間なのに、園内は人が恐ろしく入場していた。そして、俺も平日の昼間なのにのうのうと闊歩していた。でも、結構親子連れとかいるんだよね、意外に。その度に、父親みてやつは失業中なんだろうかとか、こっちの人は水曜が定休のデパート職員だろうかとか、はたまた完全なるヒモか...とか想像してしまうが、勿論、俺のほうこそ、怪しく思われてることは間違いない。って思いながら、娘と芝生で全身全霊で遊ぶ。上に抱え位置を変更しながら全力疾走で走るとけたけたこの上なくスリリングに笑う遊びとか、両手もって、やはり出来る限りのスピードで早足させる。と、その時、『立った』なんと、手を話した状態で一歩をがっつりと進めたではないか。しかも彼女の顔は、私にもできるのよ~といわんばかりに、ヒヒーんって、やたら誇らしげだ。まだ、おむつも余裕でしているし一人でスプーンも使えないくせに、大人顔負けの自信たっぷりの表情を浮かべたときた。でも、安心した。最近、やたら立つ練習をさせていたわりには、なかなかつかまり立ち以降の段階へは進んでおらず、同じ年頃の子供がすいすいのびのび歩いてるのを見るにつけ、又僕が立ったのが2歳と出遅れた事実もあって、出遅れるとコンプレックスになるんじゃないかとか余計な心配していたのだ。おめでとう。御苑での思い出がひとつ増えた(他にはないけど)。夕方、友人に会う。くだくだ2Hあまり、近況とお互いのミニマル感について話した。このサウンドアーティスト友人とは年が7,8歳違うんだけどやたらミニマル感が共通しているといつも思う。こういう男は珍しい。で、で、ここでいうミニマルとは、ライヒやグラスに代表される別にミニマルミュージックの系譜を意味しては全然いない。長ったらしい理屈とともに微妙に繰り返すフレーズを聞きたいとも思わないし、リッチーホーティンやリカルドビルロボスなどのミニマルテクノの話だけでもない。あくまでも共通の目指す表現の空間の質感のつかまえ方ことであり、山!川!のような合い言葉であり、暮らしの落ち着きどころそミニマルと呼びたい呼んでいたいだけなのかもしれない....が、とにかく話を掘り出してくる場所が共通する。これは、おそらくお互い批評家ではなくあくまでも表現者が経験する感覚として話しているからなのだろう。ま、とにかく2人はミニマルをライフワークとしている。.....ということで、今何かが始まっていたりするが、スタイルは一日にして成らないし、ひとつのマーケットを追うと視野と人種が狭まってくるから、毎日の生活の楽しみ方と工夫と行いの延長線上にありたい。で、最近、セレクトショップの価値というものがわかりはじめてきたかもしれないしわかってないかもしれない。おっっっ!!とさっき、mixiみたらスーデラで”ペーターブロッツマンvs芳垣安洋”をやってたらしい。しまった見たかった。この親父の音はやばかったんだ、本当に。一時期はまってたんだけど....では。
2007.03.28
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番組制作会社で働いていた記憶が薄れてくる前に一体番組制作とはなんぼのもんだったのかをまとめておかねばならない。批判ではない、あくまでも体験した感想。これ以降、テレビについて書く事はないと思うし。というわけで、働き出してある15年選手のディレクターに質問して驚いたことがある。「いままで作った番組でどれが印象残ってます~?」回答;「(むっとしながら)舞台じゃないんだから作品なんて覚えてねえよ12121」この答え方を巡る偏屈さと想像力のないお仕事モードな口ぶりにはいささかがっくりきた。過度に期待はしてないけど、もうちょっと..こう...いってもらわないと。その後感じたテレビマンの特徴をやんわりいうとこうなる。○テレビな人はいい年こいてコンビニ弁当を好む○テレビな人は忙しい忙しいを連発する○テレビマンの家庭はボロボロだ。○テレビマンは内蔵が悪そうな皮膚をしている○ほとんどのテレビな人は文化芸術や音楽・デザインへの嗜好や知識がない○テレビな人は24H体制と無駄な労力を好む○テレビな人はシステムが変わることを恐れる○テレビな人の全盛期は20世紀に終焉したといっても過言ではない全部が全部ではないと思うが、(ドラマやる人たちはもっと違う映画制作に近い種族らしいけどね。)少なくとも俺周辺の勤務環境ではそんな感じだったし、これらが、局側の人間になるとさらにがちがち度が10倍にも増す。間違いを認めないインテリのプライドと自称クリエイティブと思っている深刻な錯誤と昇進問題が、さらに話をややこしくする。偉い人間が最もクリエイティブみたいな感じ。彼らが、番組制作会社がつくったものを何重にも検閲しダメ出しを連発するのだから結果誰も面白くないものを何人もの人が携わってつくってしまったという最悪の状況を迎える。もちろん全員が全員ではないが7割はそうだと思って間違いない。要するに時代錯誤なシステムにはまって身動きできないのである。彼らの中の正論と正義をまっとうしているから悪気はないのかもしれないけど、遊ぶ時間と気持ちの余裕がないからアイディアはほぼ枯渇している。もっと、いい感じでヌキながら楽にやりゃいいのに。といってもはまってしまった俺が一番ださいのはわかってるけどね。そんな中でAPという役割で新番組の立ち上げからフォーマッティングまでに携わってしまった。よかった点:聖徳太子のような頭の回転のさせ方を一時的に習得した。12~2月までの/月平均携帯代が3.5万円だったことが証明している。(もちろん会社もち)聖徳太子と気違いはスレスレだと思った。あと、技術の方がたの職人気質と腕にはあっぱれすることは多かった。今まで見た事もない、高額な機材を当たり前のように使えるしね。ただ、やっぱ60~80年代のテレビ全盛期に活躍した諸子のファッションセンスはいいよ。スーツにウエスタン帽子とかで粋に決めていたりする。やっぱ、そのテレビ黄金時代の最先端に関わっていた人たちは違う。景気もよかっだろうし、どんどん新しいことにチャレンジもできたと思う。こういう人たちみたいになりてえ~!みたいに思わせるってなにげに重要だと思う。男子では、テリー伊藤以降はねえ、、、だって、少なくとも今の世の若者の心をくすぐる、カリスマテレビマンっていないでしょ。女子アナとかは目指すのかもしれないけど......もしかしたら、岩井俊二みたいにテレビ出身で映画つくりたいとか安住みたいになりたいとかいるのかもしれないけど、...いないだろうな、、まあ、いいや。とにかく、あせって入所しちまった俺が一番悪い。余裕がなくなったのはなにをかくそうこれ書いてる本人だから。ただ、あるある事件みたいなどうしようもないのは笑い事じゃすまされん。美と健康を追求する庶民のある期間の努力をそっくり裏切ったのだから。自分の嫁はんが、それ妄信して毎日ダイエットとかしてたらどう思うんだ、おい。DJクラッシュの[寂]聞いてるけど、よくないね...これ。東洋文化趣味の外人対策って感じだ。外国長いとこうなっちゃうのかな。山海塾とかも、そうだったなあ、そういや。ま、彼らは成功してるからそこらへんは頭下がるけど、あくまでも音楽性の話です。
2007.03.27
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昼間友人と電話で話していたら恒例ROVOの野音ライブの打合せらしかった。そっか、もう一年経つのか。またあの究極アナログトランスがやってくるか....勝井さんごぶさたで元気かなあ..芳垣さん、1年前お誘い断って悪いことしたなあ...とか、とか、小春日和の中信濃町の児童遊園にて思う。周りでは、子供どもが子供どもらしく全力で遊んでいる。これを見てると最近のよからぬ青少年の鬱屈した犯罪などあり得なく感じるんだけどなあ。ただのマスコミの大げさなデフォルメなのか、いつでも現代を否定するおっさんたちの仕業なのか、、そんなことは教育現場にいるわけでもあるまいしわからない。夕方、渋谷のオープンカフェ形式になってるスタバにいく。ぼーっとしてたら、迂闊にもなにやら頭の中でパフォーミングアート作品が1作品自動生成していった。数ヶ月前まで、よくここで想像してたりしたからかもしれないが、なんてこった。相当、日常にちなんだ描写力が細かい類いだったがオープニングから始まり止まらなくなってしまいエンディングまでいった。おそらく30分ぐらいの作品だろう。かといって、今はパフォーミングアートなどにはほとんど興味はないのであるが、帰り際には死ぬまでには一回つくっておいてもいいかな..なんていう結末にも至ってしまった。チャリで帰る途中、アンデルセンで幸福そうに焼きたてのパンを買って帰るOLらを見てたら、なぜか充実感を思い、嫁に頼まれていたパンを同じように楽しく選んで買って帰った自分がいて、そして又載ってる自転車はソロ作品「ミニマルマン」に使用した自転車だ。まだ、舞台は終わってなかったんだろうか。久々に、ダラーヴランドを聞いた。ここ10年ぐらい甘ったるくてこの手のピアノは聞く気がしなかったのだが、聞いたら案外よかった。よく昔、星野という強烈な個性を放つ友人と聞いたりしていた。ゴールデン街にフリージャズの店があったので時折いっていた。人間力のあるマスターとぺこちゃんなる女将とよなよなフリージャズを心から聞いていたんだった。自作のらっきょうとか豆腐とかの話をよくしていたな。公演にも酒もってみにきてくれてたし。他にも新宿にいいジャズ屋2件あったんだけど、やってるのかな?みんな元気してるのかな?
2007.03.26
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今日は、パンとワインを買って家族一同、昼から松尾くん夫妻の家に遊びに行った。本格的なインドカレーが待っているという。迷いながら探し当てて着くと、玄関先からはすでに微妙にブレンドされてそうなインドの香りとシタールの音がしてきて、すぐに在処が分かった。このダブル演出は、ベタをあえて微笑ましくやっていて好きだった。すでに、百花は上機嫌だ。ベランダから見える抜けた東京らしい風景も気に入ったのかもしれない。そして、うまそうな匂いのカレーは、まじでうまかった。流石、だてに毎年インドにいってない。伊達どころか、カレー、スープ、揚げ物、漬け物、ヨーグルトっっぽいトッピング、...インド家庭料理のフルコースがそこにずらっと並んでいた。うまいうまい。勿論、全部カレー味だ。松尾くん(通称:社長)にいわせると、インド・ケーララ州のとある街の一角にある、一番気に入ったレストランがだしていた味らしい。急に16年前に行った印度旅行を思い出したりもした。初の海外旅行が印度旅行だった俺にとって印度が全くのアヴァンガルド=な国だった。着いて直後に宿を探していた時、活発な不良少年に頼みもしないガイドに勝手につかれ何故か飯をおごったのを皮切りに街ぐるみのダウンタウンねっとわーくの罠にはまり(俺も純粋な嘘をきらきらした目で表現するそのアホさが面白くついてまわったのも仇だったが)シルク屋、チケットなど連れ回され、金払わざるをされそうな状況になってしまっていたり、手なしの子供に慈愛の目でバクシーシを頂戴するマナーを身につけさせ後ろで微笑む母親の姿を見たり、その後の浮き沈みも含め、一瞬大びびりながらも、ああ、人間ってここまでできるんだって開きなおりファンキーな気持ちになってしまっていた。ま、それはどうでもいい。話戻ると、この松尾くん(通称:社長)は、ここ数年インドにメディアアートとのコラボレーションとレクチャーの仕事で毎年インドを訪問している。ところで、インドといってもこのインドは、さっきのワルな印度や、藤原新也の神秘的な印度、横尾忠則の表現するおどろおどろしい印度と同義ではない。ここ数年インドではIT省が新設されるなど、新しいテクノロジーやデジタル産業に力を入れており、このメディアアートのプロジェクトも、その流れに沿ったものである。世界各国からメディアを使って新しい表現をっ試みるアーティストたちが集結し、ああでもないこうでもないと試行錯誤の上実験を繰り返すらしいのだ。そういえば、最近日本に滞在するインド人が増えているみたいだ。彼らは日本のIT企業で研修したり実際就労していたりする。ただでさえ、人手不足のIT企業にとっては、願ったりかなったりだろう。なんせ、忘れちゃ行けない彼らは歴史ある数学の国生まれなのだ。日本人なんか全く目じゃない。あのインド舞踊の目の動き指の動きは、全く高度な乱数表によってデジタルに構成されていたりもする。家の近所の大丸ピーコックでも最近インド系?の従業員が急増していてレジを占拠しはじめている。ここでも才能発揮で彼らは決してレジ打ちを間違わない。しかも、なんともいえない人懐っこい笑顔を絶やさずにそれだから強力だ。あの余裕は人に安心感を与えるから、不思議だ。是非、学びたい。ま、この話もとりあえずいい。とにかく、夕方までぐだぐだビールとワインを呑みながら、身辺周りの話と途方も無いプランの話をしてハッピーな時間を過ごさせてもらった。ハッピーさは百花の機嫌を尺度にわかる。居心地が悪いとすぐママやパパにくっつき離れず、びゃんびゃん泣く=親はおちおち楽しめない、、という方程式だ。なんか、このところいい方向に向う予感が続いている。松尾夫妻、ごちそうさま。今度は、家でやりますか。帰ってサッカー日本代表が勝利した試合と安藤美姫・浅田真央のダブル金銀獲得、シンクロの銅メダルを立て続けに珍しく見る。なんだなんだ日本人もまだまだ捨てたもんじゃない。けど、しかし、アートの分野で、これと同様な誇りを感じることができるのか、、、
2007.03.24
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韓国からオファーが届いた。スペイン・バルセロナで開催されるパフォーミングアートフェスティバルへの参加要請だ。2005年の年末に韓国の優秀なダンサー、パク・スンホくんの作品である「LIFE FORCE」を共同製作によりアレンジして「DIDance Festival@ソウル」に参加しいていたのですが、上のフェスティバルに本作品が選出され招聘を受けているという内容だ。韓国側から3名、日本側から2名のアーティストで構成されるらしい。どうしよう、これ。と思いつつも久々の挨拶もかねて、条件面をより詳細に聞くためのメールだけした。書面上では、あんまりいい条件ではなかったし、テクニカル面でのより詳しい情報を知りたかったので。スンホくんは、韓国では今をときめく有能な人材だし、作品へのアプローチの仕方に共感しているので、できればこの作品をリニューアルしたいというリクエストに応えたいとは思っている。あとは、条件面の整理だけだな。今日は、午前中から営業いったり税務所いったり一日忙しく過ごした。パオロマッツアリーノ氏の新刊「つっこみ力」(ちくま新書)でも読んで寝ることにしよう。社会学の本にしては、戯曲風のタッチとラジカルな表現力のため面白い。「人は正しさを面白いと感じたときのみ反応してくれる」同感同感。
2007.03.22
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仲間の一人と久々に呑む。場所をセッティングしようと思い渋谷のもつ鍋屋でもどうかと指定したら、最近、ヴェジタリアンになったらしい。また、冗談かと思いきや、今回は3ヶ月も続いているらしく、呑みやでも、菜食オンリーでひょうひょうとしていた。こういう大変であろうことを平然とやられると顔では笑い飛ばしながらも妙にあせる。自作の手弁当を仕事現場にもっていくという試みも約1年間ほど継続している。やつは、新しい何か設定をすることでストイックに違った展開を試みるのが好きだ。近頃の俺にはできない才能なので感心してしまう。ところで、菜食だけどこれに関しては最近わからんでもない。たまに、クレヨンハウス(※子供と身体に優しくややフェミニズムな思想をもとに青山で絵本・本・子供玩具・無農薬野菜料理の食堂を営む。)のランチバイキングで飯食ったりするけど、食った翌日から2日ぐらいは身体の調子がいい。なんか、皮付きの根菜や無農薬の野菜や薬草的な食材を大量に食ってると、地球というか地面ごとかじりついて食ってる感覚がしてきて妙に身体に馬力みたいなものを生み出すのかもしれない。俺はエコでもなんでもないけどなんかその循環ぐあいに一体感みたいなものを感じてしまうのかもしれないな。食っては出してまた育つとか、例の基本的な循環図とかの影響もあるのかもしれない。確かに、鳥を絞めたりウツボをやすで突き刺して鍋にそのままドバって入れて焼き煮るを経験した人間としては、やはりどうしても肉を食うときに、そのやや噛みついてる感覚みたいのが、大げさじゃないけどふと浮かぶわけで....貧困にひんした狩人が、夕暮れどきの最後のチャンスになけなしに矢を飛ばして命中させ涙を流して感謝しながらイノシシの肉を家族と食すわけじゃあるまいし、偉ぶる話でもないのですが最近、食べ物は旬でつくった人の顔や栽培状況が見えるものを食ったほうが、何かと想像力も膨らむような気がしている。あと、単純に採れたてはうまい。トマトは夏に食ったほうがうまいし、ゴボウやさつまいもは秋口とかのほうがうまい。これは疑わぬ事実だろう。身体が求めてる証拠だ。とはいいつつも、当分俺は、鳥・豚肉やたま~に即席ラーメンも食うし、マックだって食うことも自信をもっていえる。でも、我が家の置き食材や買い物リストから、牛肉をはじめその種の食い物が消えて10年以上が経過しようとはしている。別に長生きしたいわけではなくプロセスと描写を大事にしたいからか、自分でもよくわからん。とにかく、くいものは、精神的にくわずに、なるべくカラダ的に食いたい。
2007.03.21
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半蔵門の国立劇場のすぐ裏に友人家の自ビルがあってそこを一室を事務所にしていたりもしていた。海外マネジメントや作家が来た時の受け入れなんかもやられていたので、多い時には何度かお邪魔したし、屋上で呑んだり楽しい時間を過ごさせてもらった場所だ。その場所も、、、紆余曲折があって、他人の手に渡ってしまうようだ。そのメモリアルとして、別の友人がインスタレーションのグループ展示とイベントを開催していたので今日子供連れてお邪魔した。終わるのは寂しいことだけど、また、新たな出発をする気持ちが十分うかがえたので安心したし、こちらも、今後もよろしくお願いします。それにしても、今子供が丁度人見知りという時期らしい。パパの手を離れるたびに気が強い声でぎゃんぎゃん泣く。イレイザーヘッドのベイビーを彷彿とさせる。仕方ないから、ベビーカーに乗せて退散したら、すぐさま泣くのを辞めた。天気のよい夕方の父と娘。とにかくめいいっぱい主張して泣く凄い娘だ。子供生まれて気づくけど、地下鉄の構造なんだけど、EVとか電気ものが少なすぎる。あっても全く端っこにあって、そんで切符売り場に到着すると切符売り場からホームへのEVは、今度は逆の端にあったりとか、、もう、面倒だからベビーカーごと娘担いで強引に最短距離の階段駆け上ったら、反対方向のホームに出てしまったよ^どうにかならんのか、あれは。一人歩きでは気づかない意外な事実。二宮金次郎みたいな、骨入り登山バックみたいのならいいのかもしれないけど、いちいち格好悪いだろうしな。野郎だったらいいけど、世の若いお母さんたちとかは大変だろ、あれは。若くないミドルエイジだともっと大変だよ、ホント。帰りに、青山墓地の近くの公演でフランス人と子供チャールズくんと滑り台で遊ばせた。しかし、なんで大人っぽくみえんだろ西洋人は。パーツもでかいし。とか親は思ってても、相変わらず娘は滑り台で正面滑り降りを繰り返し、ラストも最も好みらしいブランコだ。猛烈に振り子ったブランコの動きを途中でいきなり止めるとこのうえないほど大喜びする。そして、俺は面白い顔芸をしながら繰り返す。
2007.03.21
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相変わらずリハビリ期間を過ごしている。この3週間で完全にテレビの悪習が落ちた。最大7kg落ちた体重も無事復帰。眼のクマとかも抹消。なかなかいい感じだ。何をしてるというわけではないけど、カラダにいいもの喰ってコーヒー呑んで文化的なものを見て、子供と散歩してアートな雰囲気廻りをし、メールして本読んでためになる情報検索してたまにお仕事めいたことして電話でくっちゃべり散歩して、呑んでそして、何かを計画している。ストレッチさえもしてるかもしれんし、親族一同ともいつになく打ち解けてるかもしれん。単純にこれだけの毎日だけど、このどの優雅さもがこの数ヶ月間、いや数年感できていなかったということのほうが、恐ろしい。と思う反面、この働きざかりの時に自信をもってこんな贅沢な時間を過ごす自分にもびっくりもしてしまいます。どうなんだ、この状況は^^
2007.03.20
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鎌倉に行った。なんかしらあると鎌倉に来てしまう。真鶴から西湘バイパスはいつ走ってもいい感じ。特に、平日は混みも気にしなくていいしね。湘南を超えて、カーブを曲がる度に時間がゆっくりとしていく。由比ケ浜を超えて鎌倉の目抜き通りに入るとさらにゆったりしていく。ここはいつ来てもいい。地元に住む人間にいわせると東の京都って感じでちっこいコミュニティですよ~。とかいうけど、知ったこっちゃない。いいものはいいのだ。自分の田舎が、海と小さい山に挟まれた感じの場所だったので、ロケーション的に懐かしい気もするし、マイペースに洒落て暮らしてる感じが余裕があって洗練されてていい。商店街の感じが大きすぎず小さすぎず奇麗すぎず汚すぎず高級すぎず安すぎず、文化すぎず庶民すぎず、とにかく等身大の感覚なのがいい。ここで何をしたわけでもないけど、海で子供と春冷水を裸足で体感させて遊んだり、昼飯食って街をぶらつき市場で食材買い込んだりしただけだ。いつもこんな感じだけど、こんな感じで過ごせるってことはこの街には住めるってことだ。なにかしなきゃいけない街ってのは今住む気にならなくなってきてしまったようだ。ところで、今頃気づいたけど、鎌倉市って横浜市の隣なんだね??鎌倉霊園をぐにゃぐにゃ抜けるともう金沢区(?)じゃないですか。帰り。横横からベイブリッジを通って首都高湾岸へ。ここは、昔運ちゃんのバイトしてた時、最も走りがいのあるコース。空いてて快調。が、空港前から、大渋滞。しまった。なんでこうなんだ、ここわ。急に滅入ったけど、嫁はぐーすか寝てた。
2007.03.14
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真鶴の隠れ家的な宿に一家で一泊してきた。真鶴の海が遠くに見渡せる絶景とハーブやアロマの香りで満たされた居心地のよい場所。正直、行く前は自分の指向性よりも家族でこじんまりとリラックスできる場所がいいなあっていう理由でインターネットで探して選んだ。けど、これがこれが、ロケーション、料理ともに抜群。特に、ちょっとゲイっぽく満面の笑顔を絶やさないオーナーが3時間ほどかけてつくるコース料理は希有だ。自作の無農薬野菜と旬の魚料理を中心にハーブスパイスをふんだんに使い一皿一皿が美味な奥行きを味あわせてくれる。しかも、菜・魚・肉を混合した全6皿が、絶妙のタイミングで運ばれてくる。ミディアムボディのイタリア産ワインを加えると久々に味わう幸福感。身体にいい気が流れ流れるジャズと夜景にとろけそうな幸福感。恐らく都内でこれと同じ雰囲気で同じものを食べたらゆうにここの一泊分の額に逼迫するのではないかと思う。食べ物は旬のものを食べてりゃいいんだという理屈はほんとそう思ったし、無農薬野菜を喰ってると地球とつながってる感みたいなものを感じてしまった。つくる側の愛情や丁寧な育成の仕方が反影されてるような気がした。人はうまいものを食べると幸福になれる。朝、早く目覚めた。散歩しようと表に出ようとしたら案の定キッチンから数種類のハーブの香り。あっ、これはさては、、、と思った通り、それから2時間後の朝飯には、自作の里芋を練り込んだ焼きたてスコーンを筆頭に、自作のバター、ジャム、野菜サラダ、卵料理、ヨーグルトなどクリエイティブな料理が並んだ。そして、窓の外には真鶴の海が光り、訪問するメジロの鳴き声。ああ、やられた~~///10年前では考えられん。こういう場所には来なかったろうし、来たとしてもフリージャズとか聞いてガンガン呑むか青春の議論をして発散するだけだったろう。人は、世代ごとに違った基準で人生を楽しむんだろうな。翌日は、鎌倉に向った。
2007.03.13
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2月いっぱいで番組制作の会社を辞めた。脱出したといっても過言ではない。約6ヶ月、、、なんでこんなきついやつ、37歳のさび気味の身体に課してんだよ、おいっって魂の修行かいっ(笑)後半は、きつ過ぎて大笑いしながら仕事していた。なんせ、12月以降、正月4日休んだ以外は、働きっぱ。しかも、朝から晩から夜中までときている。キテる、、。テレビはキちゃっていた。立ち上げの情報番組ってやつはやばいよ。局側のCPも会社の体制も何もかもが正気の沙汰ではなかった。昔から、ほらテレビってきついとかいうけど、ほんと、ここまできついとは想定外だった。久々の想定外。そこにはまってしまった俺もあっぱれあっぱれ大笑いだ。大しけが去って、一週間が経過した。また、 一歳になる娘と正面きって遊びながら、多少のあせりとともに6ヶ月前の優雅な生活をしはじめた。テレビ時代は、まるで、10数年前の出来事のようだ。下手すると、夢の範疇なのかもしれない。んなわけねえだろうけど。って思いながら嫁&娘と六本木を散歩中に、ばったり松尾社長夫婦に出くわした。さらに時間が現代に戻り、さらにさらに何か創作意欲めいたものが復活してきたような気がした天気のよい土曜日。一緒に小澤剛の醤油で描いた作品など見るにつけてはようやく、からだ中に正しいクリエイティブな血がすーっと逆ループしていった。おおげさかもしれないけど、ほんとにそうだった。俺は拉致でもされていたんだろうか、、、と思いながら、赤坂離宮の譚先生の見よう見まねで卵チャーハンを焼いた。どうやら、嫁には好評だったようだ。また、日記を書こうと思い始めています。その前に、半年間の”ザ・テレビジョン時代”は何だったのか解明しないと。ヘッドフォンでsalmonくんの変態ドープテクノを聴きながら。
2007.03.04
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久々にパフォーミングアーティストとしての一日。”及川さ~ん”でなく、呼ばれ慣れてる”ギガさ~ん”になる。今までに、7-8本ほど仕事をしている高田さんがディレクションするBS系のショートムービー。実は、かなりパフォーミングモードにはいってなかったので、当初不安だったのですが、やっぱカメラ向けられるとシャキーーン!と、それ相応のモードに感覚が入れ替わったからまだまだ捨てたもんじゃないなと我ながら感心した。後半、ハイスピードカメラを使うことに。実は、最近番組制作のほうで、このスーパーコマ撮りカメラ(約500倍)を使った内容の撮影しているから、自分が撮られるとなると、やや照れくさかった。雨振らしの後ろで、得意のポーズで首を振る!な、なんと!カメラを確認して出現したのは、パンチドランカーかシャブ中毒か?(笑)のやばやばな絵。事前の演出ー顔の筋肉を緩めるーが緩めすぎてドープな映像と化したのだ。さすがにこれは危険すぎたんで、提案で首をクールに回すことに。案の定、これはアンニュイに決まった!!さて、どんな仕上がりを見せるのだろうか?たまに、出る側もやっとくとメンタルもフィジカルもキープできるかもなあ。
2006.11.15
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今日、本編集用のFinal Cut proからのEDLデータの書き出し設定に注意を払ってなかったおかげで、偉い目にあった。○まずは、25本のテープ全部の取り込みリール番号を振っていなかったために、編集機に認識されなかったのと、○25本中の5本の取り込みTCの頭が、すべて00hになってしまっていた。ことから、速攻でオフライン編集室にタクシーで戻ってリールNo.書き換えやら、TC入りVHSの打ち出しやらに費やしあせりまくる午前中を過ごしてしまった。さらに、オフライン部屋のデッキの巻き戻しの調子が悪くて引っかかったりさらにさらに、TCを置くためのシークエンスのネストのやり方で四苦八苦したりした。とどめは、本編中にCGを使っているのだが、その元テープも忘れる始末。修正前のデジタイズ作業を家で行ったばかりに、そのざまで、慌ててバイク便で家のおくさまに協力をあおいだ。ところで実は、前日の夕方にもCG 修正後のネタの、修正部分のイメージの認識に行き違いがあり、なんとか修正前のものとを自らミックスアレンジするという急遽な作業をしていたのだった。まったく生きた心地のしない24hだった。もともと、アイディアを閃くとできていないのに一週間ぐらいその余韻で過ごせたりとか、いいものに出会うと壮大な想像をしてしまったりして極楽&飛び石的な思考傾向があるんで、最近では細部のチェック機能を細心最大にONしていたのだが、この始末。”余裕ぶっこきの、できたつもり”ほど怖いものはない。本人は、一茂を試合会場に忘れて帰国したあのミスター長嶋もそうだったじゃーん、とか重ね合わせて一時的に慰めているのだが、、、本編マスタリングの詳細と準備の有り様をほとんど知らされていなかったというアドバンテージを差し引いても、いかんせん、仕事上では、リスク多過ぎ.......このドアホが!!
2006.10.18
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大竹伸朗の1995-2006年までの作品の総まとめ的な展覧会が現代美術館でスタートしたようだ。大竹伸朗”全景”10/15-12/24久々に是非いってみたい現代アートの展示である。俺も含め80年代後半に多感でやぶれかぶれのアート青年期を過ごさざるを得なかった現30代後半の輩にとっては眉唾ものの催しだと思う。少なくとも出不精になって久しい親父の心は揺さぶっている。大竹伸朗といえば、マルチな活動で知られる。代表される拾いものの紙を無数に張り巡らせたコラージュ、ガラクタを集めた立体、ミニマルなレリーフ、絵本、音楽と、ネガ~ポジまで縦横無人にやりたいことをやりたい放題実現したアーティストの一人。当時、かっこいいなあって真似しようとした人も数限りないだろう。特に男にとっては。今回の”全景”では、秘蔵のスクラップブック64冊が初公開されるそうで楽しみだ。最近、やりたい放題って大事だと思う。やれる人間にしかやれない。なぜなら、何か新しい物事を始めるときは、賛成する人間よりも批判まがいに走る小心者のほうが圧倒的に数多く、無神経にいいちらかし無駄に足を引っ張るからだ。そんな抑圧などものともせず、これだけの長期にわたってやり続けられるエネルギーというのは並たいていではない。国内外に関係なく自由にマイペースに製作したのもよかったのだろうと思う。彼のモロッコ放浪記とポールボウルズの詩編に影響されて同じように北アフリカ1ヶ月を歩き回った26歳の自分の姿も今思い出した。これについては、またタイミングあったら書こうと思っている。ということで必見必見。
2006.10.16
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編集して作品が完成していく過程で試写という関門が何度か訪れる。いわゆる、局の編成プロデューサーに対してオフラインで仕上がったものを見せる機会だ。この時、才能や生きてきた歴史というものがありありと露呈してしまう。本人らは、作品を品評しにくるが、逆にこっちは彼らの品性やら実力のほどを残酷ながら見定めてしまう結果となるのだ。今回の場合は、2人来て。ひとりは、若いがものすごく的確に、また言葉にも細心の注意を払う有能さぶりを発揮し、もうひとりはといえば、年輩ながらその有能な人間の発言内容に相槌しか打たない脳の1割ぐらいしか利用せずに仕事をしてきてしまった人間といえる。瞬間瞬間を大事にせねばと思う。ともあれ、最近の自分は”言うより慣れろ”の方策で、浮き輪まで軽やに浮きっぱなしではないがストローぐらいのエキサイティングな飲み込まれ方で、毎日を静かに熱く楽しんでいる。なんせ人はひとりでは何もできないことも知っている。当然、長い舞台での活動で得てしまったプライドみたいのは役に立たないだろうし、小さくこだわると全体が見えなくなって、ほんと小さい人間へと霧散してしまうことも知った。最初は、年も年だし猛スピードで追っかけないと!みたいな飲み屋で遅れてきた人間ふうにも思っていたけど、しょせん、評価とは他人がするものであり、楽しむことが重要だ。個人のこだわりを主張するよりも組織や社会の流れを読みながら機を見て仕掛けるほうが得策に思えてきた。犬にも赤子にも電柱にも面白い部分はいくらだってあるし、頭ひねればその細部から空間は広がり世界は展開もする。なんつっても、猛烈に忙しい時は、テンパってるんだろうけど、とにかく最近は楽に力抜いてやることやってます。e9ac0be/" width="1" height="1" border="0"> DJ SHADOW/ENTRODUCINGこれ、当時がつんとやられたアルバム。そんときも、あ、これでいいじゃん、かっこいいじゃんってそういや感じてました。
2006.10.15
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前に世話になった会社の社長と飲み、ひさびさふらつきながら帰宅。こういう時が最も気持ちいいが、気を引き締めないとかみさんのドツボにはまる。とはいえ、急な石段の途中にある我が家の下に着き、上を見上げると暗闇の中にトラ猫の文様が浮かんでいる。さぶだ!えらいえらい、こいつは流石に我が家唯一の男。酔っぱらって帰った時にはいつでも待っている。何か分からないが、男心を心得ているやつだ。喜んで寝っ転がるあいつを思いっきりかき回すようになで回す。やつは、「このぐらいやってくれないとヨ~」って冷めた感じで対応する。でも、気持ちがわかってくれたような気分に安易に落ち入り妙に安心してしまう。家には猫が2匹いるのだが、もう一匹のメスのほうは、さぶの尿結石手術以来、ごく近所では見かけるのだが、においに敏感で家に戻ってこない。だから、さぶは重要だ。娘の百花とも仲良しに遊ぶし。えらい、えらい、わかるわかる男は分かる///
2006.10.12
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最初に関わった作品のロケも終わり、編集も架橋に入ってきました。きっと、これ終わるまでがっつり休めないんだろうなあとか思いながらも新鮮なことばっかりで、毎日、楽しんで暮らしてます。3ヶ月ぐらい、ずーっと引きずって気になってること以外は。。。リリースする予定の作品の進行が滞ってそのままになってるし、やはり資料的にDVD化する予定の別の作品の編集作業ができてないし。なんでも、ばしっばしっ最速で片付けていかないと気持ち悪い性格だし、過去に仕事で、こういった”ぶっち”とか”放置状態”とかほとんどしたことないから、よけいに。いろいろ繊細な事情はあるんだけど、弁解になっちゃうからいえないし、ほんと、すまないと思ってるんだけどね、でもどうしようもないことでもあるんだよな、これ。複雑きわまりない事情で動けないっていうか。このケースは時間は何も解決せずに、どんどん距離を引き離していくんだろうな。どうすんだ、これ。どうにかしなきゃなんないだろ。。。。うーん。。。ほんとごめん、申しわけない。
2006.10.11
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八丈島は、思ったより暑い。。。伊豆七島の中でも、このあたりは黒潮の南側なので亜熱帯気候だったのか。。。というのも、昔、初のソロ公演のための、ひとり三宅島合宿をした時に、海の近くにテントを張ったのですが、朝起きたら妙に寒い。床が凍っている。。。ん、ん、。あとで島民の方に聞いたら、10年ぶりの雪だったらしく、そりゃ寒いって。。。というわけで、伊豆の島には、寒いイメージが焼き付いていたので、長袖やらヤッケ類やら入念に持ち込んだのですが、道路には、背の高いフェニックスさんたちが堂々と立ち並んでおりました。写真は、船で行った八丈小島の写真。八丈島からチャーター船で約30分。途中、黒潮のラインを通るのですが、ものすごいうねりに遭遇し、上下にがっくんがっくんし、とてもエキサイティングでした。こういう不測の事態にあうと、野生の心が蘇ってきて、急に、はるか昔の無人島探検隊の気分になれたような気になって燃えました。海では、飛び魚がびょんびょん飛んでるし。
2006.10.04
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撮影で八丈小島にいってきました。八丈小島は、八丈島から漁船で30分ぐらいの数匹のヤギのみが生息している無人島。1969年まであった集落は、夢の跡。ほとんどが険しい崖に周囲を囲われたこの島であるが、集落があった地域だけは、平坦な草原とそれに続く段々畑跡、そしてうっそうとした自然に溶け込んでいるかつての住居の残骸に当時の島民の姿がしのばれている。山の中腹からの景色は絶景だ。360度見渡す限りの太平洋。この隔絶感が、東京から300kmの遠い南国に来たことを実感させる。前日まで、どの天気予報も雨を予想していたため、入念なサヴァイバルグッズを用意し決死で望んだこのロケだったが、ふたをあければ、よくも悪くも、澄み渡る青空とぽかぽかの陽気に呆気にとられた。でも、結果的には、最高の状況!いつかまた別機会に、この絶景のランドスケープを生かした撮影をしてみたいと思った。島の画像を準備できていないので、近日アップします。では!
2006.10.03
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怒濤のように1か月が過ぎ去ろうとしている。あまりにも、多くの新しい出来事がありすぎて書ききれていないけど、元気だ。とりあえず元気だ。というより、むしろ元気だ。何か、脳の使っていなかった部分が高速に動き出しているような気がする。現在、人より1分前には、物事を判断し即座に筋肉に伝達せねばならないような役割をこなしている。1.スケジューリング・タイムキーピング2.リサーチング3.マネジメント4.ディレクション補助5、技術、編集補助左脳領域と右脳領域を網羅して手にあまるような、これらの業務に対応するには、常に脳と身体のバランスをニュートラルに保ち、状況に応じて機微豊かに注意力あるレスポンスを繰り返す必要がある。大きな企画を動かすPに到達するまでの修行期間だと思いつつも、アホか、こいつは!ってカチンときてしまったことは、何度か実際あったが、今後、この期間のあれこれが近い将来に仕事に有効に働くであろうことを、イメージし続けた。で、そうやっているうちに、なんだかテンションがあがってきた。この空気感は、ダンスと似ていた。機動の美を追ううちに、機関の部分の能力があがったっていうか、血が浄化されたっていうか、脳の塵が吹き飛んだっていうか、結果、なにやら元気みたいだ(笑)”気”の”元”で、”元気”だとすると、ずいぶんこの言葉は深い。ま、単純にここ10年ぐらい、ボスの役目をやってきた中で怠惰になってた部分が再開発されて蘇生したのだろうな、きっと。サヴァイバルはポジティブでいいことだ。少なくとも、癒しよりはいいだろ、、な。
2006.10.01
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昨日、新規の企画提案書提出完了~2日で書き上げたにしてはわれながら出来がよかったと思う。どっかにひっかかってくれたらいいんだけど。しかし、よくよく思ったら、4日から休みなく働きづくめだった。この仕事には、公の休日とかってまったく関係ないようです。土日でも、ぜんぜん人がいるし。。。自分のペースができてくるまで、あとしばらくかかると思うけど、それまで、様子見てみよ。しかたない。というより、自分が成人して以来、こんな調子だった、そういや。舞台にせよテレビにせよイベントにせよ、仕事自体へのアプローチはまったく変わっていない。なんせ、企画を考えないとどうにもこうにもならないから。黙ってみててもなんにも来ないっていう、この状況に燃えてくるし、望むところだ。早くルーティン覚えて、考えなくてもカラダが勝手にずばずばばりばり動くようになってくればこっちのもんだ。今は、ことあるごとに知らない専門用語にぶちあたったりもしてしまうのだった。なんせ、人よりも3倍ぐらい高速に覚えていく必要があるから、おっさん状態になってる暇ない。ある時は、マシーンと化してスクリプトを起こし、ある時は、石のようにアイディアを考え、ある時は、血眼に情報を収集し、ある時は、ブレストに集中する。あ、やっぱ今までとかわらんかわらん。一カ所で腰座ってる分、より集中できてるのがナイスな状況だ。
2006.09.16
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勤務してはや10日も過ぎ、まだ駆け出し中の身ですが、ややなんかスケジュールが本格化してきたみたいです。2つの企画に関わらしてもらってるのと新しい企画書づくり。まじで覚えることばっかりで、たいへんだけど、面白くなってきております。さてさて、去年のいまごろ何してたか振り返ってみたら、そっか。。。自分のカンパニーの新作2作品の上演と1イベントを含んだ大きなプロデュース公演の本番まっただなかで思いっきり忙しかった時期だったなあ。なんか、数年前の出来事のように思えてきます。しかしあの頃は、いま自分がこういう仕事してるとは想像もしなかった。逆に、自分がバリバリにプロデュースから演出、出演まで動いていたことは、ありありと思い出せるけど、なんか別人のようにも思えてしまうから不思議だ。とにもかくにも、今は、目の前のことに全力を注いでみようと思う。二兎を追う...ってことを、疑いもせず地で15年やってきたから。なおさら今は、ひとつのことに集中したいと思う。いまやってることは、ソフトとして実験的な表現ではないけど、企画や進行のプロセスが常に緊張感に包まれた実験の連続であってプロフェッショナルなスタッフばかりで、曖昧な部分は許されない。つまり完成度を要求されるものづくりだ。それを、当分真剣に遊んで楽しもうと思います。
2006.09.12
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新しいところで働きだして一週間が経過しようとしているなあ。といっても、明日9日まで、仕事内容的には、まだスポット編集業務だけなんでまだ、”ドキュメンタリスタ”は、はじまっていない。(でも、この業務で早速ややがくっとしてしまったけど)と、余裕ぶっこいていたら、翌日10日にロケが舞い込むことになってしまった。しかも、朝の3時に会社集合らしい。。。内容は、とあるコレクターが主人公のドキュメンタリー。たしかに、朝は早いけど、かなり面白そう。奇特な人物のようですな。著書平成ボトルブルースを読んだら、その実像が明らかに。ビンコレクターは、勿論、一般の人でも、へえ~~って懐かしい思いがするかもですよ。特に、まだサイダーとかラムネとかいろんな飲料水や調味料などにビンが堂々と使われていた世代にとっては。一本一本微妙にかたちや色が違うのがいいんですよ。それに、微妙なデコレーションや文字のエンボス加工部分とかはたまらない。10日が楽しみです。門前仲町のガラス骨董市です。そういや、今35~40才ぐらいの方覚えてますか?”マウンテンデュー”という炭酸飲料を。この商品は、それまで250mlの缶主流の清涼飲料水容器の世界に、350mlビンでしかも同じ100円で登場し、新風を巻き起こした。なんせ、思春期の少年には、スポーツなんかやってると特に、250mlの缶の量では全然物足りなかったので、この手榴弾みたいな形の飲み物の出現は、本当に歓迎されたのだ。その後、コカコーラやスプライトなども続いた。数年後、今度は缶の復活というか、いまでは当然の軽くて大容量の350mlサイズが登場する。これには、重い&再利用しにくいの350mlくんは惨敗し、メインストリームを去っていったのだ。それでも、中学の頃の、マウンテンデューのデビューというのは子供心に画期的な出来事だった。今、どっかで売ってるのかなあ?→って検索したらさすがにビンはなかったけど350ml缶は発売されてた。 &T-シャツまでもが売ってた!すげーーー
2006.09.08
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朝、右腕と脇腹の間で、なにものかがバサバサしてて慌てて目を開けると、うちのちびっこがニコニコバタバタしてた。え、夜まで1.5mは先(ふとんの対角線の端と端)に寝てたはずなのになんでだ?状況をうちのおくさんに聞いたら、5回転半転がって、無事舞い込んだらしい。げ、げ、そういや、ここ3週間ぐらいは、毎日朝6時か6時半ぐらいからちびっこをベビーカーに乗せて、猛スピードで30分ぐらい近所を散歩するのが日課になっていて、その催促で朝なにげに接近してくるのだ。なんせ、ちびすけは、4時とか5時から起きて、写真のように犬のしっぽをかじったりしてるから、『いい加減、起きろや~!!」って感じのプレッシャーをかけてきてるのだろう。高速散歩は、どうやら、一日も欠かせない行事になってきたようだ。最近、ほんと凶暴だ。フロでは、生まれて以来、メニューの最後に”自由演技”の時間を設けていたのだが、それが、高じてもの凄い勢いのバタ足をかますようになってしまった。どれぐらいすごいかっていうと、仰向け状態で湯に浮かび足を無尽にばたつかせるとちびすけの顔に上からバシャバシャふってくるぐらいの量だ。でも、満面のすっきりした顔。。。末恐ろしくなってきた。我が家のヒエラルキーが変わりつつある。けど、朝の散歩はやってみたらいいもんだ。光のぐあいが真っ昼間とは違って、新鮮なシチュエーションになる。
2006.09.07
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丁度、正式な出勤初日だった9/1の夜に、新しい会社の上司の方がに急になくなってしまった。会社を設立から支えてきた最大の功労者のひとりで、非常に映像に目の効く方だった。自分が、会社の面接時に引き受けたプロモーション・ビデオの素材やらチェックやらの窓口になってくださっていたドキュメンタリーを愛し続けた頑固で茶目っ気あるおじいさんだ。そんなにおつきあいはなかったが、直前まで姿を見かけていただけに寂しい感じがした。。。そんな事情もあり今日は、会社全体でお通夜に協力した。会場には、予想以上に多くの放送関係者が多数詰めかけていた。人柄がしのばれた。とても、愛されてきた方だったのだろう。それと、同じ9/1には、知人のお父さんもなくなったという知らせがきてしまった。続く時は続くものなんですね。両氏のご冥福を心からお祈りいたします。本当にありがとうございました。合掌。
2006.09.04
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あたらしい仕事をめぐった生活がはじまる。昨日日記に書いた自分のフラットな状態と、7~8月にかけていくつかの仕事に関わった経験もあり、おそらくすんなり入っていけそうな気がする。とはいえ、なんせ、この年での新規スタート組織への新規参入は、それなりに労力がいることがおおいに予想される。特に60名もの名前を顔を自然に一致させて、迷いなく声かけられる日はまだまだ遠い。。。なんせ、10名弱しか名前知らないから、今^俺^最近、もの覚えも悪くなってるしな^それと、体力かな。20代の頃の朝まで呑んで仕事直行して夜リハやって又呑んでも、平気!みたいな鉄人ぶりは無理無理。最近は、子育てもあって連夜の4H睡眠だから、随時いつでも寝れる状態**鉄ではなく鉛ぐらいで入っていこうと思う。鉛ぐらい自由変形すれば、対応力があがるし。とにかく、2006年の最大転換イベントミニマルマン”37からのドキュメンタリスト生活”の始まり~++長期にわたって(のはず)、おそらく。では!
2006.08.31
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友人や仲間が9月に参加する、新国立劇場主催の現代舞踊ショーケースのリハを覗きにいってきました。前から一度遊びに行く予定だったのですが、例の帰省後の大忙しウイークに阻まれやっと行く事ができました。東京オペラシティ玄関口の水のインスタレーション空間は気持ちいいなあなんて思いながら厳格なセキュリティ体制を抜けて中へ。アーティストとして、シンガポール、ソウル、マレーシアの国立劇場は体験しているが、自国の同施設は初めてだったのですが、例にもれず、ここも同じように、ほんの一部いたれりつくせりの空間だ。案内人は必要以上に親切だし、器材が完備されたいくつものスタジオ、足りない部品を迅速に用意してくれるスタッフ....やる側にとっては、ひとときの優越感にひたれる場所ですね。そんなことを考えながら、スタジオのドアを開ける。久々の顔ばかりで思わず笑った。が、リハはいい感じの緊張感に包まれていた。どうやら、前日のスタッフ総見で作品時間を大幅に削減されたらしく、修正の最中。その内部のやりとりに、6月から週5回もリハしたという作品というのが伝わってきた。ランスルーも見る事ができて安心した。まだ、残りの期間で詰める箇所がいっぱいあるのだろうけど、この時点では、いい仕上がりなのではないかと思った。稽古後、皆金欠ムードだったけど、半ば強引に誘って近所のいい感じの呑みやにいった。皆顔見知りだけに、作品のこと、企画のこと、無数のバカ話ができて楽しかった。実は、ひとつのことを自分に対して試していた。それは、これだけの設備で充実したリハを続けている彼らの姿を見て、自分が彼らに対してどれぐらいうらやましさを感じるかということ。+++100を最高として10+++この結果は、本心中の本心なので、自分が活動を中止し新しい活動を始めることの真意をさぐるベストなものさしになようだ。数字の10は、おそらく自分次第で今すぐでもそこで踊れるベっていう感じのお気楽な数字。どうやら、自分の決断はまがいなりにも間違っていなかったようだ。安心して、もうあさってに迫った正式出勤の日を迎えられそうだ。
2006.08.30
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この転職まっさかりの時代に、1○年間、長いこと正社員並みの期間、仕事をもらっていた渋谷にある会社の仕事納め。職場というのは、いろんな条件がよいとついつい居てしまうものなんだろうな。仕事の内容以外は、金銭面、スケジュール、人間関係、ほとんど問題なかった。他人にもうらやましがられるから、きっと珍しいんだろうね。この会社の社長のおかげで、長いこと表現を自由にやることができたといっても過言ではない、長期リハーサル&海外公演、急な打ち合わせ急なイベント仕事、、、後半は、完全出来高というか映像編集の委託契約に変更したとはいえ、暗黙でほとんどを了解してもらっていた。この機会は、自分でつくった。大変化の年を過ごしていたし、なんなら全て変えてやろうかってことで決めた。甘えすぎるとバチあたりそうだったし。ていうか、居心地よかったんだけどやりたいことはできてなかったことが大きな理由。ということで、新しい場所でがんばります。条件面は、がくっと落ちるけど近い将来を見て、ずっと続けられそうなほうにに決めたんで。西へ2駅の渋谷から、東へ2駅の赤坂へ。
2006.08.29
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久しぶりに長時間ドラマを見た。恥ずかしながら初めて存じたCMクリエーターの故杉山登志氏の活動をもとにつくった番組だ。過去につくったCMも混じえながら構成されているのだが、どの作品も完成度が高く、くいいるようなリアルな瞬間の映像ばかりで、彼が、最も伝えられる自然な表情と絵をつくるのに、どれほどこだわったかが伝わってきた。最良のアイディアが出てくるまで、妥協しない姿勢。ねばりにねばって、被写体と空間の最大ポテンシャルを最適なアングルにて抽出する。「嘘はばれるよ」という彼の口癖に彼の思想が集約されている。ともすると、広告の仕事は、セールス商品の宣伝のみに偏りがちだが、あくまでも映像自体の完成度に集中した彼の熱意は、クライアントをもひきこみ、説明しすぎる傾向がある日本の広告業界に影響を与えていった。あの鬼気迫る瞬間のマジックには見習うべきものと驚くものしかなく、ずっと見てしまった。CMは、奥が深い。。。。
2006.08.28
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15日に東京に戻ってきて以来、ほんと初めて夜しっかりと家に居る事ができて、ぼーっとしていて新聞を流し読みした後、セゾン文化財団の定期ニュースレターに手を伸ばしたら、かなり共感できる記事が掲載されていて目が醒めた。この財団の助成プログラムのひとつで、一定期間以上活動したダンサー、演出家の充電期間としての”余暇”に助成するユニークなプログラム「サヴァティカル」を使って、蒼々たる経歴をもったダンサー伊藤キム氏が半年間の世界放浪を行った後記事だ。創作に行き詰まり世界をただの旅行者としてぶらつきリフレッシュしてみようという彼の主旨と記事には、彼には失礼にあたるかもしれないが、同じ行き詰まった人間として興味深く読ませてもらった。旅行中、彼が見たものは世界各地のごくあたりまえな日常~自然、家族、貧困、...~日本にはない緊張感と雑然とした生きようとするシンプルなエネルギー、人と人との当たり前な日々のコミュニケーション。それらを、日々体感し思い続けたこと、それは、「踊りなんぞ、優雅にやってていいのか?」という軽い危機感。これは、わかる。本当に、わかる。僕も、過去に同じ心境のときに、インドとモロッコに長期旅行したことがある。そのときに感じたのも、「こいつら、踊りよりぜんぜん強いじゃん、負けてるよ」ってこと。いってみれば、世界に負けにいったようなものだった。それでも、その当時は血気さかんに踊りに賭けていた自分は、とにかく、早く帰って、これらにどういう方向からどうやったら勝てるのかに全精力を注いだものだった。しかし、今、このことが、自分を舞台ではなくドキュメンタリーという世界に向わせた原因でもあるのは確かだ。しょせん、舞台は1つの芸術/芸能/エンターテイメントでしかないし、日常を離れて、人間特有の想像力によって非日常的な部分から日常に豊かな光を注ぎ込むもの。俗にいえば色物なのだから、色物らしく振る舞うことで社会性を意識していけばいいのかもしれないし、そのカテゴリーの枠内で新鮮な表現をしていけばいいのかもしれない。ところが、狭いジャンルであるうえに、やってる表現の質も、ごく一般の人々が気軽に接することができないような位置にあり(本人が望む望まないに関わらず)、さらには、個人の状況も、表現に飽きまたは限界を感じているというような時に、そうした強いものに触れると、自分の中のよい部分ではなく弱い部分がむき出しになったような感覚になってしまうのだ。しばらく、舞台に対して距離を設定した自分のことはさておき、今の活動を続けていく彼が、今後どのような内容の作品をつくりどう展開していくのか楽しみだ。この記事の最後で、彼は、依然として作品への創作意欲が湧かないという内容で閉じている。彼のような才能のあるアーティストが、この状況を抜けることができたら、素晴らしく豊かな作品がうまれてくるのではないかと思うし、勝手ながら、それを期待したいと思います。
2006.08.26
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リサーチャーと先輩と3人で企画テーブルについてしまっている。俺は、社員かっww?ま、いい。なにがあっても驚かないようにしよう。さてさて、リサーチャーって流石だなあ。3ワードで8種類・3-40Pぐらいの情報資料の分厚いコピーを持参している。ごく当たり前なんだろうけど、初陣にとっては、ややはっっとさせられた。そして、番組って、マルチアングルな視点とそれにともなうハンパじゃない情報量でが下敷きになっていることを痛感させられた。よく考えたら情報番組なんてものすごい情報だもんね。例えば、豊臣秀吉の紹介ってだけで、やたらめったら裏から表からいろんな情報かき集めなきゃならんし、しかも、それらは、当然過去にやってないネタと切り口が必須条件になる。いままでやってきた自分の作品制作とは勝手が違う。でも、そこらへんの固執が徹底してるし、膨らませかたも面白いよなあ。
2006.08.18
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うれしいのか悲しいのか、初企画アイディアが、並みいる強豪をおさえて通ってしまった。。でも、23日までの編集の初仕事を2本抱えているし、企画の締め切りが21じゃないすか~~コレって、ヤラセ??もう、すでに田舎のキレイな空気とのんびりモードは、2ヶ月ぐらい前の出来事になりさがった。情報化社会は、人間の情緒も混乱させてしまうのか。。。などといってる場合か。また、あさってまでに企画を練り直してフォーマットに起こしてこなくては。。。おっと、編集のネタもまだ全部落としてなかった。。。1本、2本、3本、、、といって時は過ぎ、何故か自分がセコム入れて会社の鍵を締めて帰ることになってしまった。てか、俺にまかせて大丈夫なんだろうかセキュリティ?!夜中の3時(笑)まだ、正式に働いてないんすけど、よー
2006.08.16
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夕方、東京帰ってきてそうそう、打ち合わせだった。某社の映像コンテンツのCMスポットの編集2件。けど、なかなかネタが、届いておらず、しかもいきなり出現した社長の一言でなんか中華料理屋に連れ回されてしまった。なんにも、仕事してないから、まずいビールの味。彼らは、気持ちよくなって帰ったけど、まだじゃん俺。仕事戻ってネタ落として24時。。。先が思いやられる。ま、面白いからいいけど、明日も朝一番で企画会議じゃん。。。そういや。この夜中の赤坂無国籍タウンの煌々としたネオンをこれから、何回見ることになるんだろーか
2006.08.15
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よく寝る子は、よく育つ
2006.08.14
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おかげさまで、6ヶ月突入です。実家の海で、波にややビビり気味アヒルにも、びびり気味~~
2006.08.12
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いや、今朝の家の前の葉っぱたちは、相当きらきら輝いていたなあ。あんな、透き通った感じは久々だ。今日恵比寿にて、仲間のアーティストと会う。そうそう、今月は、こんな感じでいろんな関係者と会って、ごはんでも食べながら、環境が変わることの報告を中心に、今までのこととか、現況とか、今後とかを話している。言いにくいこともあるが、日々の対応に追われてる身分の僕にとっては、なかなか楽しい時間だ。今日の仲間は、今まで、仕事面以外では、意外にもそんなに話してこなかった人間だったが、話していくうちに、現在のアート界隈の状況に対して感じていることや、お互いのポジショニングや過去の本気度ある経緯、プライベート面での状況まで、何かとても近いものを感じ、同じライン上に立った深い話ができてよかった。今後は、実際絡むケースは少なくなっても、何かここぞと思える機会がやってきたら、明確な意識と関係性のもとで、がっちり組み会えるような感覚をもって別れた。信念をもってアートをやってきてよかったと思う。このスピリットは絶対忘れずに、マスメディアに切り込み、いつか大フィードバックしたい。
2006.08.10
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今月は、いろんな節目として何人か近しい関係者や仲間と会って話をさしてもらったりしている。午前中から、渋谷にある愛用穴場カフェにてSOVIETのメンバーの方々と話をした。メールでは、一方的に自分の環境が変わることは伝えていたけど、実際、会って話するのは久々だったので、楽しかった反面、重要なことを伝えることに、柄にもなく緊張してしまった。自分が、従来とまるっきり異なる環境を選択したことで、彼らに迷惑をかけてく部分が大きいと思ったので活動から身を引こうか...ってニュアンスのことをざっくばらんに伝えたんだけど、みんなの好意的なメッセージを聞いて、時期は決めずに、なんとかチャンスを見つけて継続してみようってことになった。環境はどうあれ、何かを一緒にやってく意識の部分やなによりもやろうとしてる表現の質の部分での共有ができていることが、大きな理由だ。こういうとき、何か自分が、いい意味で生かされてる感覚になって安堵する。今まで、マイペースに表現をしてきた時期など一度もなく、常に、ゴールを決めてタイムを更新すべく走る方法でしかやってきていなかったので、うまく新しいリズムにチューニングできるかどうかわからないが、うまく見つけていきたい。とにかく、勝手な充電期間突入を許容してくれた気持ちに感謝!!
2006.08.08
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