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火曜日の朝、職場に許可を貰って午前中だけオフをとり電話配線取り付け業者が来るのを待っていた。朝8時からお昼までの間に来ることになっていたので部屋の片づけをしながら気長に待っていた。そしていつものごとく・・・いや、まさかだと思ったが・・・誰も来なかった。仕方なくまた業者に電話をかけると、「あら、変ですね。誰も行かなかったようですね。では予約の時間を引き延ばしまして、本日のお昼の1時から夕方の5時までに変えておきましたから!」と言う。私は慌てて上司に電話をすると、「はっはっはっ。それじゃそこに居るしかないなぁ。」と快く一日オフを認めてくれた。自分のせいではないが申し訳ない気持ちで一杯になる。いやいやここはアメリカ、上司だってこんなことは日常茶飯事だと知っている。あぁ、融通の利く職場でよかった。軽くお昼ごはんを食べ、また片付けに没頭した。時計も3時半を回り、5時まで残り少なくなってきたので大変不安な気持ちになり電話会社に電話をすると、「次にいきますから、次!」と言う。そして言われたとおり数分後に業者が来た。業者の彼はうちの配線をちょっとチェックして「あの、XX通りのXXに行かなきゃ行けない。戻ってくるから!」と、来て5分も居ないうちに荷物を置いて去ってしまった。それから5時を回るちょっと前に彼が戻ってきて、「あのね、今工事をやっていてまだつながらないんだよ。明日の昼までにはつながるからさ…」とか説明して帰ってしまった。一日待っても電話はつながらなかった…がくーっ。泣き寝入りをするわけではないが、ここで騒いだところでつながらないものはつながらないからしょうがない。次の日つながらなかったらクレームものである。翌朝、そんな心配とはうらはらに9時ごろ電話がつながった。慌てて家を出て隣の大通りに入ったところ、目の前でバスが行ってしまった。あぁ。しかしそんなに待つ前に次のバスが来た。乗車すると運賃入れのところに紙が丸めて刺してある。どうやって、トークン(コイン型の切符)を入れよう?と悩んでいると運転手のお兄さんが、「今日、それ壊れてるから。運賃ただね。」と言った。あらそう?ラッキー!と思い席に着く。ウォールナット通りまで出て次のバスに乗り換えるとそのバスもまた、同じように運賃入れに紙が刺してある。「ただね!」と運転手。こんな2台も続けてただなんてありえないよなぁ。一体どうしちゃったんだ?あ、きっと今日は運賃ただの日なんだ。時々セプタ(バス会社)は感謝デーとかで無料開放する時あるし…。うきうきな気分で職場に着いた。夕方ノリノリと一緒に帰るときに「ね!今日バス代ただだったでしょっ?!」と聞くと「えー!払ったよぉ~。」と言われた。じゃぁ、私は本当にラッキーだったんだなぁ、と驚いた。木曜日のお昼はランチミーティングがあった。40人ほど集まったが、イベント会場の弁護士事務所がお昼をケチったらしく皆が席に着いた頃にはハムやチーズなどサンドイッチに挟むネタの私の取り分は無くなっていた。しかたなくパンにマヨネーズとマスタードを塗って、ピクルスをはさんで食べた。
January 31, 2004
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先週の土曜日、無事荷物を新しいアパートに運び入れた。14ftのU-Haulトラックを借りたのだが、私達の荷物は異常に多く二人分の荷物だというのに3往復した。ノリノリと私はそれぞれアメリカ生活をもう何年も独身で戦っていたので一緒に住み始めた時は生活必需品が全てダブル、使っていた学校の教科書・ノート・思い出の写真/手紙/品物など何もかもが何年分にもなって、山になって小さいアパートに収納された。お互い全く違う分野の音楽が好きだったのでCDも2倍。それでも随分努力して捨てたのだった。特にノリノリは感傷深いので捨てるのに時間がかかる。私が、「もうこんなのいらないでしょ、はい、ぽいしよっ、ぽいっ!」と言っても、「あぁ、これはXXの時にもらったXXで…」と始まる。洋服も、「もうそんなおじさん臭いの着ないでしょ?はい、ゴミ袋!」と言うと「いやぁ、これはXXの時に買って…」と試着する。でも、「もうそれ肩幅が合ってないよ。かっこ悪いから、す・て・な!」と言うと「かっこ悪い」が心に痛いらしくあきらめてくれる。そういうことを私達は永遠と繰り返して笑う。新しいアパートは随分スペースが増えたが荷物を全部詰めると歩く場所がほとんどないぐらい詰まってしまった。これだけものがあると何から片付けていいのかわからない。しかも、直前までばたばたしていたので捨てる予定だったものも随分持ってきてしまった。手伝ってくれた友人達はあったものを全部トラックに入れてくれた。当日はぱらぱらと雪が降っていた。雨でなくて良かったとは思っていても凍てつく寒さだ。来てくれたひとりが足を滑らせてトラックから落ちて転んだ。私は徹夜した疲れとつわりで胃の中が動転していて、最後まで部屋に残されていたベットで体を休めたりした。お昼ごはんをご馳走するため近くのベトナムラーメン・フォーハに皆で足を運んだ。フォーハは私の住んでるあたりの人々には随分と人気で、低価格でうまい。あの牛骨の匂いは今の私にはきつかったが、生春巻きとポークチョップを食べて匂いを飛ばした。新しいアパートに全部荷物を入れ終わると、取りあえずお茶をいれて狭いスペースに椅子を並べて皆で話した。手伝いに来てくれたプロレスマニアのリチャードとなぜか「家族のルーツ」の話になった。ノリノリのお母さんは10人兄弟、お父さんは5人兄弟の大家族で親戚が大人数なのだが、どうやらリチャードも同じ量の親戚がいるという話題になった。彼は未だにその親戚のほとんどと付き合いがあり、クリスマスはプレゼントで大変だとかそういう話題から始まって、ひいひいおじいさんがね、南アメリカのベリーズから来たんだよと言った。彼のひいひいおじいさんの夫婦はベリーズに住んでいたが戦争か何かのきっかけでアメリカに渡り、おじいさんが帰ってこなかったため奥さんは彼が死んだと思ったらしい。奥さんの妹がニューヨークに住んでいた為訪ねに行ったら、彼がそこでふらふら遊んでいるのを見つけ怒って連れて帰った。が、途中で乗った電車が襲われそうだということが分かり脱出。ジャングルに夫婦で逃げたらしい。そこで沢山子を作ったとか何とか…。随分とあいまいなストーリーラインになってしまったがなんというか、あまり聞かないブラック系のルーツの話だったので面白く聞いてしまった。一体、誰がそんな「子沢山秘話」みたいな話を教えてくれたの?、と聞くとおじいさんの妹なんだよ、と言う。この話を聞いた後にびっくりしておばあさんに「本当だったの?」と聞くと「本当」と答えを貰ったそうだ。子沢山秘話を暴露されたひいひいおじいさんは(天国で)恥ずかしかっただろうなぁ。しかしそんな面白い話とは裏腹に「でもね、ブラックの人々の間にはこのぐらいのルーツの話はみんな持っているけど誰も1890年以前のルーツは知らないんだよ。知ってる人々がもみ消したらしくってね。」と言った。どうやら祖先はスーダンから来たらしいんだけど、それしか分からないんだ、とつぶやいた。なるほど…、と黒人の歴史の様々なことを思い感傷に浸ったいると「Mはルーツとかどうなの?」と聞かれる。私はリチャードの話に随分心を動かされていたのでさらっと「母親の方がね、14世紀ぐらいの水軍(マリン・サムライと呼んでみた。サムライと呼んだほうが外人に分かりやすいので)の家系だったっていうのが一番目立つところ…。」と答えた。すると「14世紀までさかのぼれるの?!え~!サムライ?!」と感激した返事が返ってきたのでびっくりする。確かに年代だけは古いんだけどね…。でも感激されるとうれしくなって、私はあれやこれやと説明してしまった。そしてちょっと喋った後、お茶の入ったマグカップも空っぽになったので手厚くお礼を言ってリチャードを見送った。その後、瓜生さん夫婦が親切にも晩御飯を用意してくれたのでご馳走になりにいった。今日トラックから落ちたのは何を隠そう瓜生さんの旦那さんである。怪我をさせてしまった上にご馳走になってしまって申し訳なかったが、この究極の疲れに遠慮している場合ではなかったので好意に甘えさせていただいた。旦那さんは脳やたんぱく質研究の博士であるので狂牛病、老化について、クローンについてなどなど思わず話が盛り上がってしまい、疲れているにも関わらず私はさらにハイになって喋り捲った。帰宅してノリノリと私はなんとか寝る場所だけ用意してすぐ寝入った。次の日曜部屋をきれいにしようと頑張ったけれども一部しか片付かず夜が来て、また月曜が来た。私達はそろって働きにでたが外は雪が降っていた。家に帰っても部屋はまだごちゃごちゃだ。長い一週間がまた始まった。→→→→またはUS Life Indexへ行ってみる→→
January 26, 2004
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まだおうちの荷物は半分くらいしか詰まってません。でも明日の朝はもう少し大きな部屋に引っ越します。夜10時を越すと身体(ベイビー)が「寝てくださ~いっ!」と訴えてる感じ。そうやってこの一週間、詰めなきゃ、詰めなきゃ、・・・・ぐ~っZZZZZでした。既に夜10時を回り体がぼやーっとしてきました。でも今日は徹夜で頑張る・・・かもしれない・・・。(出来なかったらノリノリに全部任す)皆さん、部屋が落ち着くまでごきげんよう。さらばじゃ~ぁ・・・
January 24, 2004
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今朝、所長のハービーさんがオフィスのドアを開け、開口一番に「今日から、このオフィスは禁煙にするから!君にトラブルが起きないように。」と言った。昨日私のデスクから一番近いところにあるトゥルーディーの部屋から、タバコの煙が充満した。窓のない場所にいる私は気が狂いそうになり、彼女の隣の部屋の窓を全開にしてやった。外はマイナスの気温だがその空気が欲しかった。ハービーさんに、「なんで窓を開けるんだ?」とむっとした顔で聞かれ、思わず「もう煙が耐えられないんです。」と言い返した。トゥルーディーは「いいこちゃん」ぶるのが得意なので所長のハービーさんの前で非難されて慌てて、ごめんなさい、と私に叫んだ。彼女は先週から私がマスクをして仕事をしているのを見る度に「ごめんね。」とか「ニコチンパッチをつけるわ」とか「あなたがデスクにいなかったからいないと思ったわ」とか「ハービーさんが葉巻を吸うからやめられないわ」だとかずーっと吸い続ける言い訳を言っていた。そうやってすまなそうに謝った次の日、同じように吸うわけだから私は彼女のことは全く信用できず、ただその「いいこちゃん」ぶりに腹が立つだけだった。昨日は帰り際に「私だけが禁煙するのは不公平。ハービーにも辞めさせて禁煙オフィスにするわ!そしてニコチンパッチを買ってくる。」と私に語った。しかし、彼女がそんなに構える前に「禁煙オフィス」を決めてくれたのはハービーさんだった。いつもお昼を回ってから出勤する彼女は彼のその宣言をまだ聞いていない。ハービーさんは決めたら必ずやる人だと私は知っている。彼の決断に本当に感謝だ。他の(偉そうな)研究者達も納得してくれるだろうか。うちのオフィスは「世界で最後の喫煙オフィス」と皆は呼んでいたがとうとう世界基準の仲間入りをしたようだ。ハービーさん部屋の隣にある、窓のない部屋で仕事をしているビジネスマネージャーのハリーに「ありがとう!」と感謝をされた。私も心が躍る思いだ。うぉ~~~~~~~~っ!
January 22, 2004
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→→→本編からの続き→→→あれからオフィスに戻った後、紹介状をもらったペンシルバニアホスピタルの放射線科に電話をし金曜日に予約を入れていた。「受付時間は8時15分。検査は8時45分からになります。検査前には何も食べないでください。そして、検査の1時間前に32oz(約一リットル)の水を飲んでください。その後、トイレには行かないで下さいね。」と電話口で言われていた。律儀な私は、午前7時45分きっかりに1リットルの水を飲み病院へ向かった。今日はついにおなかの子供が見れるかもしれないわっ!と、かなりの期待を胸に今か、今かと検査の時間を病院で待っていた。・・・・・・・・・・・・既に時計は9時をまわる。待合室で待っている私の膀胱はかなりきていた。妊娠中はただでさえ頻尿である。私は運動もしているので新陳代謝は普通に良い。しかも1リットルの水は結構な量だった。5分待っても、検査担当は現れない。思わず受付に行く。「あの。超音波ってトイレ行っちゃいけないんでしょう?」「はい。」と受付の人。「もういいかげん我慢できないんですけれど。なんとかなりませんか。」と私が言うと、「もう、すぐ来るから、大丈夫。」と答えた。それから3分も待ち、ようやく検査担当アシスタントがあらわれ更衣室に連れられた。「着替えたら、こちらのドアをでてきてくださいね。」と入ってきた方向と別の出口を指された。我慢の限界が近づいており、動くのも辛かった。でも着替えないと出来ないと言うのだからしかたがない。必死に着替えて別の扉を開けた。・・・・そこにはまた別の待合室があった。「そこで待っててくださいね。」とアシスタントに言われる。既に9時20分頃を周っていた。私は下半身がしびれていくのを感じ、でも必死に我慢して検査担当が来るのを待った。座って待つのも辛く、かといって立ちたくもない。とにかく気が狂うのだけは抑えなければ、と自分に、頑張れ、と言い聞かせた。検査担当が来たのは10分後だった。私は歩いて検査室に行くのもやっとだった。部屋に入ると検査担当がさらっと「出血したとか、悪いとこありませんね?」と聞いた。私はかなりムカッと来て、「あのね、一体何分待ってると思ってんの。もう、耐えられない。我慢できないからいい加減にしてくれる?」と叫んだ。その私の形相を見てやばいと思ったらしく、彼女は慌てて始めた。彼女がスキャナーを持って腹部を抑えると、耐えがたい圧力が膀胱に掛かり私の目は潤んできた。でも気を取り直して「赤ちゃん見える?」と聞くと「まあね。今全体像を見てるわ。」と答えた。画面を向けてくれないので私は目をつぶって#1(アメリカの表現でトイレの小を#1、大を#2と呼ぶ)を我慢した。10分ほど腹部を抑えられてようやく検査が終わった。目をうるうるさせて、私は隣の(!)トイレに慌てて向かい用を足した。あぁ、狂いそうだった・・・。その後、検査担当がやってきて「今、写真を確認してるから。」と言った。私は今度こそ見れるのかとかなり胸が弾んでいた。そして検査担当が戻ってきた。「写真、ちゃんと取れていたわ。ドクターに送っておきますね。」「え!見れないのっ?」私は叫ぶ。「いいえ。」・・・・・・・・・・・・・・・すごすごと私は退散した。アメリカはいつもこう。次の診察は2月9日だ。→→→→またはUS Life Indexへ行ってみる→→
January 20, 2004
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→→→続き→→→日本にいては信じられないだろうが、アメリカでは沢山の保険の種類がありそれによって受けられるものがぜんぜん違う。どういうことかというと人によって扱われ方がぜんぜん変わってしまう。例えば100%サイコー!の「高級」な保険を持っていれば駆け込みで病院に行って、その病院で何でも検査できる。費用も規定の診察料だけで済むし、まあ、日本の病院と同じような待遇が受けられる。薬代も、歯医者も、目医者もカバーしてくれるだろう。そしてそれが日本では普通に感じるだろう。しかし、100%の「高級」保険は本当に高い。一人月ウン万円の負担だ。と、いうわけで会社も金持ち・貧乏があるから、雇用先から支給される保険も「高級」「まあまあ」「最低限だけカバー」など高級な物から安価な物までいろいろな種類がある。安価な保険になると、初診料も診察料もシステムも「高級」保険とは待遇や中身は全く違う。財団なのであまり金のない雇用先から支給される私の保険は「まあまあ」の部類である。私の「まあまあ」保険は(HMOと呼ばれる種類)医療、歯科はカバーされるが主治医を持たなければいけない制度。(眼科はカバーされないから目医者にはいけない!)そして何か特別な治療をするにあたり、いちいち主治医の紹介先を聞いてそこを使わなければならない。診察を受けたペンシルバニア病院は何棟にもつながる大病院であり、明らかにそこで血液検査や超音波検査ができるわけであるがこの「まあまあ」保険のせいでそれらの検査を受けるだけでもいちいち全く別の診療所にいる主治医の所に行き、「血液検査をあそこでしたいが許可をくれ」だの「超音波検査を受けたいんだが、どこの病院で超音波を受けたらいいんだ?」だの聞かなければならない。産婦人科は全く別のところにあるのに、だ!私とノリノリは主治医の所に向かう。私は3年前研究所で働き始めた時にこの主治医を適当に「まあまあ保険でカバーされる医者のリスト」からピックアップして登録したのだが、今回が始めての訪問である。病院に行っても予約しないと診察してもらえないのでただの風邪引きでいちいち向かうのは無駄だと思い、一回も使った事がなかった。3年も自分の「主治医」としながら、歩いて2分先にあるその診療所に初めて足を入れた。おぉ。日本で通ったような、なかなか普通のこじんまりとした診療所だった。一回ぐらい使ってみてもよかったかな?と内心思う。いや、今度風邪ひいたときは使ってみよう!と勇気が湧いてきた。ま、そんなことは今は関係ない。つかつかと受付により、事情を説明した。「・・・・・・・・・・・こういうわけなので”クエスト”フォームが欲しいんですけど。」初診もしたことのない患者から突然の要求を受け、もちろん診療所は戸惑った。私も内心かなり困っているが、これしか自分のOB/GYN(産婦人科検診)を進める方法はないのだ。赤ちゃん、あなたの為に、私、頑張るわっ!まず受付の女性は「うちにはクエストフォームがない・・・ぶつぶつ・・・」とつぶやいている。まじかよぉ・・・。そのうち患者マネージャーみたいな女性が現れ、ノリノリと私を個室に連れて行ってくれた。その女性はとても親切で根掘り葉掘り私達の事情を聞いてくれ、初診もしたことないので突然あれやこれやと面倒は見てあげられないが、一番良い方法を考えてくれると言った。そして・・・編み出してくれた方法が・・・「それでは。あなたの保険の情報を少々変えて、私達のOB / GYNの主治医の紹介先をペンシルバニアホスピタルにしておきました。これで、何かあったときはわざわざ私たちのところに来なくてもいいの。ペンシルバニアホスピタルのあなたの主治医、Leslieさんが決められるわ。」おぉ!ありがとう!なんて親切な・・・・待てよ。と、いうことはクエストフォームは・・・「それは、(OB / GYNの)主治医さんの所に聞いてなんとかしてね。」がーん。また戻るの?いやいや、ぶつぶつ言ってもしょうがない。私達はその対応に随分感謝をして足取り軽く寒い歩道を通り、1ブロック先の産婦人科ビルまでとことこと戻っていった。先ほどと同じフロアの6階に着くと、さっきの手続きをしてくれたアシスタントが「一体どうしたの?」と聞いてきた。私達は血液検査が受けられなかった事、超音波検査の紹介先をこちらから貰わなければならないことを説明した。アシスタントは「なんで血液検査をあっちのビルはやってくれないのよ!システムが変わったと言うのに・・・。知らないのかしら!」と同じ病院であるのにあちら側の対応に同僚と共に怒っており、そして戻ってくる羽目になった私達に同情してくれた。数分待たされた後、アシスタントがやってきて「フォームを作り変えたわ!これで絶対大丈夫。なにか問題があるならここに連絡するようにあっちに行って頂戴。もう戻ってこなくていいからね。そしてこれが超音波のリファレンス(紹介状)だからね。本館に電話して予約してね。」産婦人科のビルの目の前にある、本ビルの受付に私達はまた向かった。そして同じ受付の女性が「今度は何?」と聞いてきた。「・・・・・・・・・・・・・・・・というわけで、主治医となったあっちのウーマンズビルディングからこちらで血液検査を受けるようにと言われてきました。」と新しく渡されたフォームを渡した。その無愛想な受付女性はまた他の人々に困った顔をして話しに言った。私はその女性が信用できなかったので付いていって「あのね、問題あるならあっちのビルに電話してよ、そうやって言われたんだから。」と訴える。数分後、「あのね、あなた。やっぱりこのフォームじゃ、出来ないのよ」・・・・・・「ここから3ブロック北に言ったところに”クエストのラボ”があるわ。あそこに行けばフォームなんて持ってなくても検査してくれるからあそこに行ってくれる?」・・・・・・・・・・・・・・・絶句のノリノリと私。そんなんだったら最初からそこに行けばよかったんじゃぁないの?何で、産婦人科は「できる」と言ってるのにあんたたちは「できない」と言うの。アメリカ人の得意技、必殺たらい回しっ。過去6年間、幾度となく経験してきたのでもう驚いたりしないが、どっと疲れがでてくる。こんな時一人だと辛いが(そして過去はいつも辛い気持ちになったが)、今日はノリノリが一緒にいて気持ちはのんびりだった。一人じゃなくて、良かった。私達は5分ほど木枯らしの中をてくてく歩きその「クエストラボ」に行くと20分しないうちに血液検査が終わり、あっけなく今日の日課は終了した。時計を見ると、既にお昼12時を回っていた。ちなみに産婦人科の診察もろもろが終わったのは、朝の10時だった・・・。→→→余談へ行く→→→→→→またはUS Life Indexへ行ってみる→→
January 19, 2004
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寒い。ここ10年以内で一番寒い週らしい。雪が降らないのにマイナスウン度の世界であるからかなり空気が乾いている。道路の水は凍り昼になっても溶けることがなく、肌がぴりぴりし風が肌に痛い。会社の普段着の上にフリースの上着をはおりその上にもこもこのコート、分厚いマフラーと靴下、ブーツ、毛糸の帽子、耳当てをした私はロボットのようにぎこちなくのこのこと歩く。この凍てつく寒さでさすがに自転車には乗れない。2ブロック先のバス停でバスを捕まえる。妊娠後、初めての診察にノリノリと私は向かった。予約を入れた日から既に一ヶ月以上、待ちに待った日でもある。あまり出勤を遅らせたくないので朝一番のアポイントメントだ。ベンジャミン・フランクリンが建てたアメリカで最初の病院とされるペンシルバニアホスピタル内の、ウーマンズビルディングに向かった。初めての診察はあっけなかった。部屋に通され洋服を全部脱ぎガウンをはおり、その部屋に付いているトイレで尿検査。アシスタントに過去の病気について片っ端から質問された後、本当のドクターがやってきて同じ質問を繰り返し、体調について語り合った。そして聴診器で呼吸を確かめてから、プレップ検査、胸とお腹に手を当てたりして診察した。女性のドクターだったので安心する。それまでは30日周期だったのだが、妊娠する半年前から生理の周期が40日になぜか変化していた。それが微妙に予定日に影響したらしく「あら、じゃ、あなた今8週目から10週目の間みたいね。」と11週目だと思っていたのに突然引き戻された。うぅ…そしてドクターが、「うーん、予定日は…。」とルーレット型の日時計算機のようなものを回すと、・・・・「8月の16日かしらね。」と言った。・・・・青くなるノリノリ。それって、お盆、じゃ~ん!お盆と言うことはどういうことかというと、うちのママだけじゃぁなくて、盆休みのパパも渡米して来れるということ。うちのパパと会うと結構緊張するノリノリは、顔が引きつった。「あぁ、生まれる前からなんておじいさんおばあさん孝行な孫…。」と私は両親の顔を思い浮かべた。ドクターのLeslieに「それでは、次の診察までにこれやっといてね。」と宿題を渡された。血液検査と超音波検査だ。「え?今ここでやらないんですか?」とびっくりして聞くと、「えぇ。あなたの保険がXXだから、主治医の所にいってどこで超音波検査を受けるか聞いて下さい。」「でも、血液検査はあっち(病院の本館)でできるからね。」と言われ、結局赤ちゃんの詳しい様子を知ることなく診察が終わってしまった。妊婦用のビタミン剤のサンプルを貰い、ドクターの秘書のところに行き、なんと向こう7月までの診察の予約を全部入れる羽目になった。4月までは月一回の診察、その後は2回づつ。そんな先の予定も分からないのにどうするんだよ?と心で取りあえず叫ぶが、入れろというなら仕方がない。そして別の紙を渡されて、「それではお向かいの本館の受付でこれを渡して血液検査を受ける手続きをしてくださいね。」と言われる。私達はしぶしぶそちらに向かった。本館の受付につき、「あの、血液検査受けるように産婦人科から言われてきたんですけど…。」と聞くと、「保険カードを見せてください。」と無愛想な黒人のおばちゃんに言われる。渡すと、なんだか戸惑っている。そしてこう返された。「あなたの保険はXXだから主治医の所に行って、Quest Formというものを貰ってこないと血液検査はできないわ。そのフォームを貰ったらすぐできるから。主治医さん、ここからすぐのところじゃない?行ってきなさい。」産婦人科から「本館でできるからね!」と言われた私達にはとんちんかんな話だが主治医が近辺だと指摘されてはしょうがない。ちょいとそのクエスト(そういう血液検査などを専門にしているアメリカのラボ会社の名前)の検査用紙を取りに行くか…。→→→続く→→→→→→またはUS Life Indexへ行ってみる→→
January 17, 2004
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文字の大きさを変えて見ました。沢山の日記が一気にアップされていますがどうぞ気になさらないで下さいね。特にテーマから来る方!
January 16, 2004
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→→続き→→→→→→「それでは年末特別企画、全日本からのレスラーの登場だぁ~!」と司会者がリングにあがり叫ぶと同時に後半が始まる。まずは日本人レスラー二人とアメリカ人レスラー二人の対戦だ。このページ( http://www.rohwrestling.com/polls.html) によると多分二人の名前はミヤモトカズシ選手とホンマトモアキ選手である。相手の選手達の名前は分からないが一人の選手のボクサーパンツに「138」と書いてある。彼らの戦いが始まった。お互い同等の力ぐらいのようで、両者とも上手に技を掛け合っている。ノリノリとYは一生懸命見ている。私達の側の席に移動してきたリチャードに「あの人たち、誰?」と聞くと、「いや、俺も知らない。」と答えた。しばらく戦闘が続くと会場からは声援が出始めたが、あんまり知名度がない選手同士だったらしく応援の席が「頑張れ!138!」とか「ガンバレー!すし!すきやき!」という声援に変わる。アメリカ人は「138」と呼ばれ日本人の彼らは「すし」と「すきやき」と呼ばれた。「すしー!」「すき、やきー!」(アメリカ人はすきやきが上手に発音できない)「138!」「すしー!」「138!」「すき、やきー!」こんな声援が10分近く続いたのだろうか。結局、すしとすきやきは負けてしまった。日本人が負けてしまったので、私達は結構むっとする。ファンではないけれどもなんだか悔しいんだよなぁ!この辺の試合にはストーリーがないので、負けた後さっさと次の試合に入る。次の試合はハヤシカズ選手とアメリカ人の試合だ。そのアメリカ人選手は私は名前を覚えていないが、リチャードによると東地区の大会で優勝したすごい強い人らしい。ハヤシ選手も体格のきりっとした身軽な選手。わくわくして観戦した。「ハヤシー!」「%#&*!(名前は覚えてない)」の大きな声援を浴びた、二人の戦いはいわゆる日本で言う「格闘技」系の手に汗握る戦いだった。二人ともかなり真剣勝負でがんがんぶつかり合っている。お互いいろいろな技を出すが、技を受けたのにそのまま受身からアタックへ変身させたハヤシ選手の技に息を呑んだ。しかし最後その受身からアタックに変身させる技があだとなり、ハヤシ選手は負けてしまった。またまた、悔しい気分になる私達。次に現れたのはコジマサトシ選手と言うベテランの方でどうやらアメリカ人にはなじみがある選手らしく、会場は一気に「コジマ」コールに包まれた。コジマさんはアメリカの観客慣れをしていて、パフォーマンスに長けている。日本人ぶってお辞儀をしたり、会場に手を上げて「コジマ」コールを盛り上げさせたり、ひょうきんに技を掛けていく。彼のコメディアン的なパフォーマンスに目を奪われて、相手がどんなやつだったかも覚えていない。コジマさんはわざとレフリーに注意されるように相手に技をかけ、リングで暴れたりする。レフリーになにか言われると「I don’t understand English!」と英語で言いまた好き勝手な事をして会場を笑わせる。そんな感じで技を掛け合って十数分後、ようやくコジマさんの勝ちで試合は終わった。そして最後のトリ、グレートムタともう一人の日本人レスラー(名前は定かでないが力士出身みたいな人)、とROHの中で一番強い(という設定の)悪人2人組と女一人が出てきて会場は大変盛り上がった。会場は「ムトォ~」コール一色である。動揺する悪人レスラー達。わざと悲しそうな顔をして怒る女レスラー。ムタに比べればどう見ても相手はひ弱に見える。試合が始まってしばらくの間は、力士風のレスラーもムタも相手の攻撃にはあんまりびくともしない素振りをしておりそして相手も随分へなちょこに見えるのですぐさま試合が終わってしまうのではないかな、とどきどきした。が、やはり最後の試合がそれだと面白くないので一応日本人レスラーも技を受け始めた。(ように見えた。)しかし技にあまりにも違いがありすぎて力の差は歴然だ。アメリカ人レスラーが技をかけてもあんまり面白くないが、ムタがやるとすごく迫力がある。リングは音がでるように作ってあるが、ムタが技をかけるともっと大きな音がでる。どきっとするがそれが快感で、会場はそういう技を見たがっている。大きな音が出ると、花火が上がったときと同じように「ウォ~!!!」と歓声が沸きあがりそして「ムトォ~」コールに変わる。「ムトォ~!」「ムトォ~!」「ムトォ~!」さすがに彼を食べ物の名で呼ぶ人はいない。ムタはしばらく技を受けて時間を持て余していたが、結局最後はあっさりと彼らを降参させてしまった。会場は大いに盛り上がる。そしてROHの悪人レスラーと女レスラーは一杯ムタに文句を言ってリングを去った。結構あっけなく全試合が終わってしまった。分かってるさ・・・プロレスって面白いけど満足して終わるより先にあぁ、もう終わってしまった・・・技がもっと見たかったなぁ・・・という気分になったりする。特にムタが強かったのでもうちょっと対等な相手にしてくれればよかったのになぁ。もったいない・・・ぶつぶつぶつぶつ。ノリノリは「いやぁ、俺はハヤシの試合が一番良かったよ!」と感激していた。ただで観戦できたので彼の感激はひとしおだ。(現金なやつ)試合後、リチャードと感想を話しているとリチャードのプロレス仲間が沢山集まってきてみんなでぶつぶつ話し込んだ。その中の一人の黒人のお兄ちゃんがとってもかっこよかったので私は見とれていた。あら、仲間はみんなぺらぺらしゃべるのに意外に無口なのね。う~ん、さすがセンスのある人は態度も違うわ・・・。と思いつつ会話そっちのけでその輪の中にいると、ノリノリとYが「ちょっと、もう行こうよぉ~」と私を引っ張った。あぁ、自己紹介してもうちょっと顔を拝みたいのに・・・としぶしぶ輪を抜けてノリノリたちと帰りの車に向かった。帰りの車で「ねぇ、あの人かっこよくなかった?!」と聞くと二人に「だからっ!?それがなに?!」と冷たくあしらわれた。いいじゃん、ちょっとぐらい同意してくれたってさぁ・・・寝てた人々に言われたくないわっ!「それよりも無料で・・・」と今日の感激を繰り返すノリノリ。あぁ、君達はプロレスを楽しんだのかい?!→→→→またはUS Life Indexへ行ってみる→→
January 12, 2004
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去年の最後の週末、リチャードにプロレス観戦に誘われていた。ノリノリはあんまりプロレスは好きではないが私は現場に見に行くのは結構好きだし、なんせ日本から長年の友達が遊びに来るのでぜひ彼女を一緒に連れて行こうと思い二つ返事でオッケーした。私の働くビルでセキュリティーガードをしているリチャードはドラゴンボール、ウルトラマン等を含めた格闘ものが大好きで、世界プロレス協会ファンクラブ(?)見たいなのに所属しており世界のプロレス情報が書かれた創刊ニュースレターをいつも読む。そして、オフィスに向かうエレベーターを待つ私に「よう、M、今日本のプロレス界で何が起こってるか知ってるか?」と日本人の私でさえも知らない細かいレスラー情報をいろいろ教えてくれる。もちろん私はそこまで興味はないので、聞いた情報は片方の耳から片方の耳へと筒抜けになってしまう。ノースフィラデルフィアにあるその対戦会場は、数ヶ月前に観戦しに行った会場より数倍大きかった。フィラデルフィア、ニュージャージーのこの辺りのローカルエリアで一番大きいプロレス協会は「ROH(Ring of Honor)」という団体で今回の試合もここが主催している。アメリカではWWEが一番大きく有名であるが、いわばそこに行くまでの登竜門でもあり日本の団体と同様、こちらの団体もあちらこちらを巡業し試合をしていく。ノリノリ、友達のYと私は開始時刻の7時半に少々遅れて会場に着いた。会場の受付に着きチケットを買おうとすると、「よう、君達誰に会いに来たんだい?」と、とんちんかんな質問を受け付けの兄ちゃんたちにされる。見かけも発音もばりばり日本人の私達3人は少々混乱し、「リチャード・・・?」と答える。「リチャード・ウィリアムスですけど。」いくらリチャードでも遅れてきた私達の為に先にチケットを買ってるなんてそんな気の効いた事をするはずないが、何か伝言でもあるのかと、わくわくして兄ちゃんたちの答えを待つ。兄ちゃんたちはぼそぼそと話し合った結果、「入っていいよ」と言う。私達は訳のわからないまま(しかし心は躍っている)無料で入場に成功した。本当は一人$18(約2000円)かかると言われていたが、払おうとしても入っていいというのなら入るしかないっ!ノリノリと私は笑いが止まらない。英語があんまりわからないYはきょとんとしている。幸運な事に、今回私達はどうやら関係者と思われたらしかった。と、言うのはROHの本日の試合の目玉は、なんと全日本から来た日本のプロレスラーとアメリカ人の試合だからである。ROHは毎月この近辺で試合をするが、数ヶ月に一度日本のプロレスラーが参加しに来る。そして彼らは・・・このローカルプロレスのどんなアメリカ人よりも人気がある。日本の選手は技がすごい。本当にすごい。アメリカ人レスラーのへなちょこな技を見て、日本人レスラーの熟練した息を呑むような技を見てしまったらもうこれを見に来たいとしか思えない。しかも彼らにはスピードもついている。アメリカ人は大ぶりで、迫力があるものが好きだ。日本人レスラーが例え英語が上手でなくても、人々は実力の抜きん出た、彼らの技を買う。アメリカ人が必死に日本人レスラーを応援する声は、私達日本人が見聞きして随分と気持ちのいいものだ。10月と変わり数倍大きいその会場には600人ほどの人が入っていた。話によると、このROHの試合始まって以来の観客数だそうだ。いつも来る日本人レスラーはちょっと名前の聞いたことのないベテランが来るが、今回来た目玉のベテランはグレート・ムタ、こと武藤敬司さんである。リチャードによると、彼が始めてこのアメリカプロレス界に「見せる技」という違った観念を吹き込んだ人なのだそうだ。この会場にいる600人はほぼ、彼を見に来たといっても間違いない。まず、前半の3試合はアメリカ人レスラー同士で行われた。中には面白い試合もあるが、大抵時間稼ぎの試合でわざとやられたりやり返したりしている。そして、試合の合間になぜかよく分からない人々がリングに上がって、「こんどは見てろよー」だとか「俺の仲間になんてことしてくれた?」とかマイクを持ってパフォーマンスをする。多分、ここにはなにかストーリーがあるのだろうが(日本のプロレスにもあるように…)私はあんまり興味がないので、話が長くなればなるほどうんざりする。横を見ると、一日遊び疲れて夜この試合を見に来たYもノリノリも寝ている。おいおい、せっかく来たんだからさぁ。前半が終わった休憩時間にようやくリチャードと落ち合うことができた。リチャードは「これから、これから!」ととても張り切っている。そして、「そうだ、あっちにレスラーがいるから!」と私達を連れて会場の奥の方にずんずんと進んでいった。するとさっきリングにいたレスラー数人が皆と一緒に写真を取っている。そこのコーナーに私達が行くと、レスラーマニアの観客に「日本人ですか?」と日本語で質問され、Tシャツに日本語で「日本人の彼女募集」と書いたおじさんが現れ、女性レスラーの綺麗な人にも「初めまして!」と挨拶される。うれしかったので、私達も思わずその美人レスラーと写真を取った。そこに一人の日本人女性レスラーが現れた。彼女のサイン入りのプロマイドを私とノリノリは何故か持っているので、あ!彼女!と叫ぶ。と、いうのはリチャードが以前彼女と話した時に「俺には、日本人の友達がいて~」と説明したらしく彼女は親切にも私達用のプロマイドをリチャードに渡し、そしてリチャードは私達に渡してくれたのだった。「XXさんだね?!私達、このリチャードからあなたのサイン入りのプロマイドもらったよ、ありがとう!」と話しかける。日本語で話せるのがうれしいらしく、私達はしばらくの間リチャードをほっといて話し込んだ。いや、本当はリチャードはこうやって日本人の友達と共に日本人レスラーと話したかったはずなのにこういう場面になると妙に緊張するらしく彼はこそこそとどこかに行ってしまった。彼女は2003年の四月頃から日本のJDを辞めてボストンに移り、ROHの仲間達と共に地方巡業をしているそうだ。しかし給料があんまり良くないらしく、$500の家賃もなかなか払えないという。$500でボストンといえば随分安いアパートであるが、それでも払えないのなら相当苦しい生活をしているように感じる。「あ、ちょっと待っててくださいよ、私が日本語教えたチームメイトがいるんです。話してあげてください!」とつれてきたなかなかかっこいい若手のレスラーはなんだか日本語がやたらできる。よく話を聞いてみると彼女は英語を自分で学ぶより、日本語を皆に教えたほうが手っ取り早いと思い、チームメイトたちに日本語を教えているらしい。どうりで、さっきの美人レスラーも上手な発音で「初めまして!」と言ったわけだ。このレスラー達は随分日本語慣れしてるなぁと思っていたので、彼女のそのパワーに私達は驚いた。休憩時間が終わりに近づいたので、私達はとりあえずイーメイル交換をして別れた。→→続く→→→→→→またはUS Life Indexへ行ってみる→→
January 11, 2004
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しつこいけれども、眠くてすぐ疲れる。日記にこの前年末に行ったプロレスのこと、フィラデルフィアの新年の様子などを書こうと机に向かうのだが、もうこの時には疲れすぎている。きっと朝からやればいいのだろうけれど、仕事がある。先月3千通のメーリングを必死に終わらせた。がすぐさま、別のメーリングを上司が次から次へと持ってきてまた3,4千通渡された。数千通の封筒に研究所のラベルをいちいち貼っていき、中に数種類のプリントを詰める。封をしてメーターで料金を通してメイルに出す。それだけだし、私は今まで上手にこの仕事はこなしていたはずだが、過去3年間こんなに沢山の量を一辺に私だけに渡されたことがない。しかもだいたいアシスタントが付いていて皆と一緒にやるのに、現在インターンもいないので妊婦の私一人。体の調子もすぐれないし、終わりが見えないのでますますやる気が失せてくる。しかもアレンはイベントの時期が迫っているので、このメイルは早急に出せ、と言う。無理難題で腹が立ってくる。ビジネスマネージャーのハリーと話しても「アレンはちょっとこの件に関してナッツ(頭がどこか行ってる人)になっちゃってさ。このメイリングの量じゃ業者に頼んだ方がよっぽど安い。」と同意した。どちらにしても、これをやるのは私だ。アレン、あんたも手伝ってくれよ!最近柑橘系の香りが自分を幸せにしてくれることに気付いた。ただ鼻が利くから、とそれだけなのだがこの煙臭くて腹立たしいオフィスのストレスから開放されるにはもう香りしかない。私はGAPで安価だが気に入ったグレープフルーツの匂いがする香水を見つけた。狂ったように家用とオフィス用を買いまくり、今日この腹立たしい煙の匂いを消すべく自分の体にもデスクの周りにも、メイリングに従事している部屋にも香水をスプレーしまくった。さっぱりした匂いなのでJanにも受けがよく、私は取りあえず香りに浸りながらなんとか仕事を進めた。一昨日12時間以上寝たせいか、昨日はなぜか頭の元気が良かった。家に帰りテーブルに目をやると(創価)学会の海外用の新聞World Tribuneが置いてあった。タイトルが「創価完勝(完全勝利)の年 ・・・」とかで、こういう表現が嫌いな私はいつものようになんだか頭に来た。だいたい完全勝利ってなんだよ。その後の折伏布教とか何よ。あんた達だけ勝ってどうすんのよ。だいたいね、完全勝利の年とかほざいてあんた達何が達成できるのよ。平和とかほざいてお経と布教ぐらいしかしてないくせに・・・と、イライラ度が募り思わずノリノリに文句を言う。ノリノリはいつものようにちょっと悲しそうな顔をしながらも一生懸命答えてくれる。他の創価新聞に指標の解説がしてあり、それを読むと大まかな意味が「自分との戦い」のようでそんなに嫌な意味には聞こえなかった。しかーし!私は騙されない。彼らはいつも、本当の意味を目立たないところにきちんと書いているが、スピーチだの新聞の一面にでる人目につくところなどは必ず「布教」と「池田先生万歳」でまとめる。私はそれが一番腹が立つ。一体何万人このトップだけを読んでいるのだろう?しかしノリノリに宗教を辞めてもらいたいと思うことはない。ノリノリが誠実で素晴らしい人物であるのは、その目立たないところに書いてある日蓮さんの本当の教えをきちんと彼なりに消化しているからだ。彼が人間として怒りや悲しみを消化し、希望を持ち続けていられるのも「お経」という彼なりの練習方法があるからだ。私が音楽を聞くのと同じだ。宗教があってまっすぐ生きられる人もいるし、なくても生きられる人もいる。そして宗教を持っていても反吐を吐きたくなるような嫌なやつもいるし、持っていなくてもまた最高に嫌なやつはざらにいる。生き方に信念を持っていれば、あるもないもあまり変わりはないのだ。本質のところは。彼ら(学会)の日蓮の立正安国論に基づき分かりやすく解説された教え自体はなかなか素晴らしいことが90%ぐらい書いてある。自分が誠実に生きようと頑張るのなら、共感するところも随分ある。問題は残りの10%だ。分かりやすく解説されたその教えの10%ぐらいにとても程よくさらっと読んでいたら見逃しそうな、「洗脳」的部分が含まれている。例えば、「ずるいやつや不当なことをいい続けるやつに負けないようにしっかり我々は立ち向かい戦っていかなければならない」と繰り返すがそれは暗にどういうことかというと「お寺(昔創価学会はお寺とくっついていたが仲たがいし文句のいい合いをしている)に向かって文句を言うことは正しいのだ」と言っていると私は解釈する。現に聖教新聞はお寺を罵るコーナーを紙面に大きく毎回設けていて、私のような部外者が読むと本当に目をむいて嫌な気持ちになる。しかし彼らはそういう普段からの教えを上手に正当化し、このような紙面を会員に垂れ流しにする。そして会員は「お寺は・・・」と全員が同じ文句を言えるようになる。なぜ、私がこのように解釈してしまうのかと言うと、彼らがそうやって糾弾したり文句を言うのはその「お寺」か長年の敵の「週間新潮」「共産党」ぐらいだからだ。世の中沢山不合理があるのに彼らが「戦う」面目で文句(批判でない、文句だよ文句!)を垂れ流しにするのは彼らに対してだけだ。それがあんた達の平和か?と私は神経を疑ってしまう。もっと文句を言わなきゃいけないとこは沢山あるだろうに。(ここ10年ぐらいから始まったそうです、文句の正当化は。)他にもさらっと書いてあるのだが「この法華経のパワーを信じるものだけが共存して生きていけるのです」などという内容が結構あったりする。すると、純粋な日本の学会員さんは「折伏(自分達の宗教を他人に紹介する)=お経を唱えさせる」と解釈する。本当はその「折伏(しゃくぶく)」という言葉は仏教の心構えや態度、生活を他の人に接する機会を与える、とかまあそういうあくまで柔らかな、押し付けがましくない言葉である。だから真剣に信心をしていたら、「日常生活一生懸命仏の心で生きて他人に影響を与えていくこと」が他人に興味を惹かせる「折伏」になるのだが---そして実際刊行物の奥底の方にそうやって書いてあるのだが---ちゃんと読み込めない会員さんはとにかくお経を勧める。(ノリノリに言わせるとそれはお経のパワーを知ってるからだ・・・となる)お経はわかりやすいので、それで人を助けられる場合ももちろんある。しかし、誰にでもというわけにはいかないだろう。お経だけで仏の心はあらわれないのだよ。誠実な生き方を求めて自分を信じて生きるというのは、それだけじゃ達成できないのだよ。(いや、きっとできる人もいるだろうが・・・人生あんまり社会問題を考えて生きてこなければ・・・)それでも私はアメリカの学会員さんは結構好きだったりする。アメリカは個人の尊重とか、多様な人間が社会にいるのだ、という観念が普通にあるので私が「私は私で自分の生き方があるから。」と宗教に入らない理由をいうと皆それを尊重してくれる。だれも「お経しなさい」とか押し付けがましく言わない。会員さんと私はお互いの生き方や考え方を話したりして、楽しく時を過ごす。そして無責任な人が多いアメリカの社会で、彼らはとても責任感があるし信頼できる。仏教の教えで培った心だ。そしてアメリカにはもともと社会問題が山済みなので、皆が少なからず問題に目を向けていることが大きな違いでもある。日本のように余計な政党などはないので、政治的に洗脳されることはない。皆が自由に意見を言える雰囲気がある。ま、だからといって何がムーブメントを起こすような具体性は持ち合わせていないが、真実を見極められなくなるような政治的洗脳がない分全く健全である。日本の学会員さんは「学会員同士」だけで人間関係を築き、他となかなか交流できない傾向性が強い人々も多いが、アメリカはとにかく色々な人々が共存している社会なので皆「他人慣れ」している。社会自体が学会員だからとか、学会員はXXだからとかで区別をしない。区別をされないから、いろいろな人と交流しやすい。学会員だけの「世界」や「表現」に浸ることなくきちんと「アメリカ社会と共存する仏教徒」となる。どちらかと言うと、普通の人より見方が広がっているようになるのだ。一通りノリノリに文句を言った後、うちのママが中尊寺にある白山神社のお札を私とノリノリに一枚ずつ送ってくれたのでノリノリに渡した。すると、ノリノリは「気持ちはありがたいが受け取れない」と拒否をし、私は気持ちが分からないわけではないものの「いいじゃん、持ってるぐらい!お母さんが聞いたとき、拒否しなかったじゃん!仏教ものじゃなくて神社ものだからいいじゃん!」とまた怒りをぶつけてしまった。かなりむかむか来たがあんまり怒っても赤ちゃんに悪いと思い、取りあえずお気に入りのメタルを流して部屋中に香水を振りまいてやった。あぁ、いい匂い・・・・。私は結構すっきりする。ノリノリはなかなか怒りが抜けないらしく、題目をあげて飛ばすまでしばらくかかった。ほら、宗教なんかなくたって、こんなに早く自分をコントロールできるものなんだよ、ノリノリ!---ちょっと書くつもりだったのにこんなに長くなってしまった・・・でもすっきりした!ごめん、ノリノリ!
January 9, 2004
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(昨日日記になんとなく書いたらぽぽぽぽっきから慌てて投稿がやってきました。せっかくなのでここでアップして後でコーナーにも移植されます。)ぽぽぽっきからのコメント****あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします・・ってよりも今年は宜しく。そんな気持ちを干支の猿に表現してみました。ただの猿ではない、スーパー猿。そう、マント付き。マントが鮮やかなグリーンなところに癒しを表現しました。だけど、何よりもスーパーを隠すべく相手を油断させるべく愛らしい顔をしているところがポイント!これで新年はばっちり!ビバぽぽっき!**** →→→→ぽぽぽっきのパイナップルブラウンに行ってみる
January 6, 2004
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あけましておめでとう。今朝、長年の友人はフィラデルフィア滞在を満喫して無事日本に旅立ちました。あぁ、よかった。楽しかった。私は書きたいことが沢山あるけれど、もう眠くて気持ち悪くてパソコンに向かう元気があんまりでてきません。明日またジムに向かう前に何か書く余裕ができるかもしれない。その時まで、みなさんごきげんよう。掲示板に書き込んでくれてありがとう。ぽぽぽっきから新年のご挨拶でも来れば、私が書かなくても埋まるのに。あの人は一体どこにいったのだろう。おいっ、でてこいっ!
January 5, 2004
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