全92件 (92件中 1-50件目)
因縁とよくいいますが良きこと、悪いこと両方とも当てはまります。人は因縁を抱えて生きるもの。9字に切るのも一つの方法ですが…神社に行き払うのも一つ… ですが、貴方様自身が自分の行き方やあるべき道をきちんと整理しないと、払っても払っても浮游霊や不浄霊は抜けないし、負の因縁は背負い続ける結果になります。どんなに力のある密教者や術者、霊能者でも同じことになるでしょう。低俗だと言いきると余計に負の要素は必ず引き寄せます。それと安易に九時に切らないでくださいね。貴方様が密教や陰陽道の修行をされて、秘法を修得されているなら良いのですが…何もされてなくお使いなら貴方様にとって良くないかもしれません。私は師匠から許されていないのでつかいませんが、毎日のお勤めと行き方を考えて前を進むだけで負の因縁は抜けてきました。九時を切ったらいいと誰が勧めてくれました?本来、密教の秘法ですので…
2009.03.24
コメント(39)
本日は義祖母の火葬の日だと思いますが…一昨日の妻からので「忙しいだから、かけないで…あんたは他人、私も親が決めることだから知らない。私も嫁にいった身だからわからない。喪主するはずのおじさんが連絡つかんから明日に届けをだすらしい」とぶっきらぼうでした。それからも返事なし…もなし…。私なりに心配をしてますが…他人他人他人が頭を巡ります。家族葬と言って近所の方は参加してるようでした。家族葬なんだ…
2009.02.24
コメント(0)
昼間、妻から義祖母の訃報をで連絡がきました。妻や子供たちはインフルエンザで先日まで大変でしたが… やっと一山超えての今日でした。義祖母とは一度だけお会いしましたが妻は他人に関わらせたくないとか、子供は施設に入れないとか…いろんな言い訳を散々言っていた関係もあり、なくなる前に会うことはかないませんでした。歳もはっきりはしりませんが90は超えていました。義祖母は最後ターミナルでしたので皮下に500mlしか水分を与えることしかできなかったようです。施設のケアには大変疑問が残る所で何度もトラブルにぶつかり、県の高齢福祉課や市の介護保険課、保健所、県のケースワーカ会の指導や介入で改善を進めました。それでもじゃすぐに施設を帰るのは困難世の中です。ですが中には素晴らしいスタッフもいらっしゃりなんとか過ごしていけたようです。よく妻は私の母はばあさんに困らせたから葬式もしない。すぐに火葬場いき…と何か当人をないがしろにする発言ばかりでした。私は今は別居中の身、義母や義弟は私が近寄ることは絶対許されないと言われて…妻の実家に近付けない身です。妻に私なりに故人に喪に服したい気持ちをで送りました。他人には関係ないし、故人の意思で家族葬にするから、弟の嫁にもこさせない。私の子供にも参加させないからほっといて…と返事がありました。確かに故人の遺言なら仕方がありません。ですが我がだけの世界に引きこもる故人への振舞いに怒りもありました。しかし、興奮するわけにはいきません。私にできることをしようと思い、お経を唱えさせて頂きました。血の繋がりがないものや薄くなるものを排除するのが理解できませんでした。家族は妻の家から言えば血が全てなのでしょうか?弟の嫁さんも家族じゃないのでしょうか?弟はそれで納得したのか…いろんな疑問にぶつかりました。私が近付くことはいろんな意味で許せないでしょうがせめて、弟の嫁さんだけでもと思いました。義祖母にお経を唱えてたら涙が止まりませんでした。
2009.02.22
コメント(1)
今日は友人と家電製品を見に行きました。友人の友人は家電営業マン、紹介して頂きました。友人は深夜明け…眠いだろうと思い、私が借りている代車で運転していきました。先日妻から家電店にいくなら、人に乗っけてもらって…は引越しに使うためにあんたの安月給から出してるから…節約して。2十生活なんやからね。別に単身でいくなら洗濯機も冷蔵庫もいらんのやから…洗濯は手洗いか働く病院の生活リハビリ用洗濯機をこっそり使えばいいし、冷蔵庫なくても一食で生きることはできるんだから… 出したが友人が深夜あけですし、気を使います。友人の友人がいる店は20キロ弱の距離。妻から連絡あったので、やむなずでいったことを話すとマジギレされ、携帯の電源ぎりをされました。友人も人に気を使うのが当然なのが大人、常識を非常なのか?非常しきなのか?私自身混乱してます。生きていけるかな?
2009.02.21
コメント(0)
本日の勤務をもって現在のの仕事が終わりました。正看護師になってお世話になった所です。嫌なこと辛いこと悲しいこと楽しいこと沢山です。でも、私は前を向きます。やるしかないわけです。新たなで3月からスタートです。不安の塊です。やるっきゃない 家族が私にはいます。わたしの身の丈で頑張っていくしかありません。専門職を選んだわけですから…
2009.02.20
コメント(0)
今日は護摩でした。お経を唱え、祈るだけでかなりの疲労感がわきます。 さて、先生が「オメェ嫁さんは…熱がでたか。こりゃ…いろんな悪い口たたいたやろ。そりゃ苦しむぞ…」と笑ってます。そうなんです!妻一月の終わりから不安定でいったことも言ってない。「なんであんたに余分にお金をつかわさないといけんの…あんたにつかう金なんか残ってないわ。あんたがどんだけの給料なん。安月給恥をしれ!」すごかったのが御札を妻と子供の分の護摩であずかったので渡すと鬼の形相で「誰がしてくれと頼んだ。」と御札を投げ付けたわけです。友人にその話しをしたとき災いがくるよ。と話してた矢先でした。私の給料は総支給は三十数万円 で妻は仕事を休んで、私は友人宅に居候、妻は実家に戻って暮らしてます。友人には家賃なしでおらしてもらってます。私は一月一万円食べる分のみのお金です。妻は実家には家賃をいれてなく、もうお金はすぐに残らない。と言います。いったい何に使うのか?不思議です。他人の家に居候してるわけですから…考えます。私が家族を苦しめましたから、しょうがないみたいと思うようにしてます。しかし、妻は児相と弁護士から苦しんできたのだから、相手がどうなろうとか考えるなと言われてるからその通りにしてるそうです。弁護士や児相がそういってるなら私に死ねといってるのかもしれません。
2009.02.15
コメント(0)
深夜勤務が終わり、年下のナースから相談を受けました。仕事のこと、夫婦関係など悩んでいたので2時間かけて話をしました。ナースは三交代勤務。日勤・深夜をつくとできるだけ休みたいものです。旦那さんがテレビの音が大きく、イラッとしたからぶっきらぼうに怒ったそうです。そのまま、嫌な気持ちで仕事に来てしまい、辛かったそうでした。私は勤務中、察していましたので、「嫌な思いをはきだして帰れよ。」というと重い口調で話し出しました。結局、旦那さんが子供がほしい希望が強く、なかなかかなわいことにストレスを感じていたようでした。本当に辛かったようです。私は伝えました。「まだ2人にとって子供を育てるタイミングじゃないんだよ。お互いにまだやるべきことがあるんよ。仕事や勉強をやり残しないよにね。それと自分たちが出会えたのも親がいて、先祖さまがいてだよ。感謝の気持ちをもってね。2人で墓参りや先祖供養にいくだけでもよいことは見えてくるよ。」と… 見る見るうちに顔つきが柔らかくなってました。悩みはつきませんね。生きるって自分らしくあること大事です。
2009.02.14
コメント(1)
妻から昨日で長男が体調を崩したと… 激震です。学校を休まず(施設保護中いがいに)休まずに言っていました。そんな彼が学校にいけないことが辛いと聞き心が辛くなりました。父親として助けれないからさいなまればかりです。早く元気になってほしいばかりです。
2009.02.12
コメント(1)
3男と対面しました。感の虫が強い子です。師匠もこの子にはこまらされるのを… 目を細めるのです。しかし、虫封じはしっかりと繰り返してます。いや…虫抜きでしょうか…笑う姿に私は目を細めるだけです。家族っていいですよ。言葉いらないんですから…
2009.02.10
コメント(1)
私は自分の過ちから、生き方や人生観を見つめ直し、家族とのきずなを取り戻すために仏行に入っています。しかしながら、あくまで、仕事をきちんとしていくを前提に基本は自分探しです。私の師匠は真言宗石鉄派の方 私の過ちに正面から向かいあい、厳しさも温かさも優しさも御指導頂いてます。支持するといいましても今は月1の山行、護摩供養、御大師講 を基本に毎日、真言・般若心経を読んでいます。自分で解説書を読んだりしていますが経本の内容の深さに悩んでいます。ただ、師匠はわからないもんであり、わからないのが間違いじゃない。わからないから知ろうとする、前に進もうとする。と解いてくださいます。前置きが長くなりましたが、12月の終わりからでなくなった患者さまを送り続けて、早くも10人 今年から数えれば、6人。看護師になって最高なペース(・_*)\ペチ もともと、いろんなことが感じたり、見えたりしていたのですが…仏行に入ってからますます研ぎ澄まされてきます。今日、深夜にいったときには一見普通なです。病棟フロアーに足を踏み入れたら、頭痛と背筋が凍るような感覚、異様な臭い(普通、誰も臭わないらしいのですが) 仕事を我慢しながらはじめました。休憩に入るまで苦しみました。休憩を20分ほど取り、仕事に戻ると病棟フロアーが明るく見えます。ある個室がよどんで見えました。ふと感じたのがお迎えがきたと思いました。後輩のナースが「先輩…モニターが」と呼びきました。心拍はほぼ、フラットです。ターミナル患者様ですから看取りです。医師と家族に連絡し、対応しました。私の影のあだ名は死神と言われた時期がありました。よく当たるから…仏行に入ってより私は研ぎ澄まされているようです。信じてもらえないかもしれませんが、人生の先輩たちを弱輩ものの私に送らせて頂けるのは光栄です。患者様のために仕事を最後まてさせて頂けるのですから
2009.02.08
コメント(1)
仕事での嵐。せけんでは不況化、リストラの絶叫の中、大変に専門職は有り難いものです。まだ、重症者の関与は続くでしょう。私の体はいろんなものが漂いまする。生まれもったもんしょうがないかぁ…
2009.02.07
コメント(0)
看護師してる人は分りますよね。三交代で準夜はある意味バタバタします。(´A`)私は寝たきりの方がほとんどの病棟です。しかし、この時期、重症化するんですよ。スタッフだけでなく、当人や家族の皆様… しんどいのです。友人より急変の患者様がいるとの情報。覚悟を決めて、いざ病院に出陣。到着して見ると雰囲気はきついf^_^; 案の定…22時 心拍の低下 顔色不良 動脈触知微弱 さて、(屮゜Д゜)屮 主治医も一言 「こまりましたな。」と腕を組んでます。指示を想定し、院内PHSで検査技師の呼び出し・放射線技師のスタンバイ 血液ガス(動脈採血)の用意 昇圧剤の用意 輸液剤も台に並べてどれでもいけます。 しかし、主治医は一生懸命測ってる。思わず、主治医にに「血圧とれんしょ。動脈触知はせんの?はよう指示ださんと!」 主治医は「そうですな~」 相変わらずです。指示だせばはやく動くんやけど、こだわりがあります。私はせかしましたよ。患者様はなんとか重篤から戻りました。 主治医は当直の院長に伝えて、「腹がへりましたな。飯を食べにいってきますよ。」時計は日付を超え2時 です。 相変わらず先生らしいと思いました。だって三度の飯は忘れません。なら、私の分も買ってきてくれておくれよ。と心で呟きました。また、ゴチになります。先生!しかし、患者様に付き添う家族…辛いでしょう。お孫さんの中学生の女の子は患者様の横に一晩中付き添うのです。何かグッきました。
2009.02.05
コメント(1)
岡山のからまるさんです。帰ってまいりました。ブログに真摯に向き合って頂きました。皆様、申し訳ありませんでした。私の過ちで自分を見失い、心が路頭に迷っていました。心の整理や家族との向き合いなど、徐々に変貌してきました。題名を改めていきますが、私の新たなる修剣道として向き合います。皆様よろしくお願いしますね。新たにブログ仲間になられる方も御愛顧よろしくお願いしますね。
2009.02.04
コメント(1)
両親の行動もエスカレートの一途です。私の財布から父親は微々たる額のキャッシュカードを抜きながら、「金をいれん奴にボランティアをするのもアホらしい。預かっとく、どうせおまら離婚するだろうが、ここに離婚後の金がはいるやろ。親のために金をいれるのは当然…」。父親の行動には異質を感じます。ここで、口論したりしても両親は何を影でするかわかりません。児相に執拗な電話や嘘を流して見たり、私の自宅にいたずら電話をしたり、子供の学校に嘘を流したり、警察に嘘で相談したりしました。両親は今後、どんな手段をとるかわかりません。私は県外への転居、妻も近日中にも転居を考えています。本質は私の暴力が妻と子供たちを苦しめました。別居や家族と向き合うためにいろんな方に相談し、実家に戻り基盤を作っていくのがよいだろうということで「両親なんだから甘えなさい」と言われました。しかし、当初から両親の異様な行動があることを想定して話しましたが、誰にも分かってもらえませんでした。分かるのは妻のみ。しかし、妻は子供の一時保護と暴力に耐え兼ねていて不安でした。ですから、わたしがどうなろうと知ったことじゃないの状態でし た。時間がたつことで落ち着き、整理されてきました。未来の姿など話し合いができてます。しかしながら、人の心は日々乱れます。私の両親はそんなことは関係ありません。私が幼い頃から目先のお金で一喜一憂、子供にお金がいることは不満の種。子供は働き口とはばからなかった人です。他にも兄や姉もいますが、皆、両親と関わるのを嫌ってます。歳が離れている関係上、私の意見は今まで聞いてもらえず、わたしが生まれたこと自体は「望まれてないだから…知らない」でした。 私の暴力は私たげでなく、いろんなことに波及してます。 生きる敷かない状況、明日、出ます。職場の後輩が車と手伝い人を都合つけてくれました。 ある友人が、よくなるとき、魔がさしてくる。早く行動しなきゃ。取り替えし付かないよ。
2008.11.29
コメント(1)
私が働いている所は医療系ですが、労働組合があります。秋闘(団交)がありました。医療情勢や地域ニーズのマッチングで近年経営が厳しい状況です。しかし、地域の方々のために、貧富に問わず差別なく平等なち医療サービスを提供を職員は頑張っています。 しかし、経営が厳しい中、賃金は悪化しています。地域のために合言葉ですが、経営維持のため厳しく、志し半ばで退職者が増えています。経営悪化は診療報酬の改定や不況が原因の未収などかなり大打撃を受けてます。節約イズムはよいことですが、設備投資や人件費には繁栄されず。悪循環。私は小さなときから関わってきました。私は暴力に溺れた結果立ち直るため、退職を決意し、やり直すために動いてます。この場所のために、限られた時間ですが、頑張ろうと考えてます。経営陣は全く自分たちから襟を正すことをしないのは辛いですね。
2008.11.27
コメント(0)
生きるには生活をすることを継続していくことです。生活は妻に頼ってました。頼れない状況に自分の足で立ち、前に進しかなわけです。妻からは生きるノウハウ学んできました。やるしかないわけです。友人の協力も有り難く感じながら、一人暮らしの準備をしています。いつか、妻と子供たちと向き合える日まで、 でも、それがゴールじゃありません。通過地点です。
2008.11.24
コメント(1)
私は妻や子供たちに暴力によって苦しめました。その結果、警察や児相から執拗なマークを受ける状況になってしまいました。いろんな方にお世話になり、怒りのcontrolの訓練、生きる援助を様々なアプローチをお世話になっています。確かに有り難いことです。私はいろんな意味で家族のためにできることを問い続けました。少しですが、新たな展開が出て来ています。希望の光可能な限り追い求めて生きたいと考えます。それとは別に、私と両親の問題です。両親は私の暴力問題に対して真摯には受け止めることはできません。私が接して来た中で、愛情のかけ方に異様なことで関わってきた。事実があります。私はカゴの鳥でした。外の世界を閉ざされ、悩んできました。羽ばたこうとすると、過干渉から支配欲に変貌します。最後には、金蔓色にされます。両親に今まで、お金のトラブルで苦労・苦心しました。周りには嘘ばかり、見栄ばかりで両親はお金を食い潰しました。私も助けてあげることはできません。私は両親との葛藤が、妻や子供に影響を与えました。妻は嫌がらせに苦しみ、子供たちは虐待にあいました。だから、妻は私に攻撃的、子供たちは反抗的… 私は自分を保護しようとしてたのです。苦しくて、辛かった。結果が暴力しかなかった。 両親とは別離を決意します。私は私の妻と子供たちだけに向き合い、いきます。同じ不幸を子供たちから解かないとなりません。時間と努力、精神力がいる。そうなんです。私ははいつくばったって生きます。もがいたって生きます。生きなきゃ、未来は開けない。前しかありません。妻の闇と子供たちの闇と向き合います。
2008.11.23
コメント(0)
調停でした。調停員の方に暴力や暴力を続けた過ち、子供への思い、妻への思い、家族のあるべき姿、子供・妻への精神面・今後への希望を話しました。現実を真摯に向き合い、前向きに生きたいなども話しました。
2008.11.21
コメント(2)
緊張します。私は暴力で妻と子供たちを苦しめてしまいました。許しがたいことです。家族に対してできることを模索しています。明日は調停です。調停というと、離婚前提と思われます。しかし、そうじゃなく前向きな提案をしたいですね。私の心は一つ、前を向いて家族と生きていくことです。
2008.11.20
コメント(0)
今日は護摩供養にいきました。私のDVや虐待にまみれた状況に真摯に向き合い、時には厳しい面や親身に向き合って頂いている先生がいます。先生の奥様はほがらかに関わって頂けます。感謝にはたえません。前を見据えることを常にお教えをして頂けます。今日は転職先の見学にいったことを話をしました。ほそっと「あんだけどん底を見たんぞ。親・きょうだいのことを考えるな。まずは己を磨きなさい。その結果を見てくれるのが嫁さんと子供だけぞ。自分にとって大事なことではないか。前を向くのは難しいだろ。わしは誰でもかれでも、うまい話に乗れとは言わない。底を見たから、上がるしかないやろ。どこにいったって同じ。やる機会を得たのだから、良かったの…」 涙が止まりませんでした。護摩の後、腎臓面が激痛… 嘔気… 悲しさが続きます…先生のおかじをして頂き、自然に痛みが楽になりました。護摩が始まる前に私の服を引っ張る感覚が続いてました。友人からは何人も抱えてきたのが影響だよと… 昨日、自宅に子供たちと会わないよう、自転車を取りに行きました。私の自宅の土地柄は昔は戦死者を奉っていた地。私自身幼い頃から不思議な現象や奇跡に遭遇してきました。私の人生まだ不思議なのかもしれません。
2008.11.16
コメント(0)
今日、自宅に自転車を取りに行くため、私電に乗ろう駅にいきました。時間があるため、実家に戻りました。父親が私の部屋に入り、仕事にもっていく鞄をあけて、中を触っています。最近、難聴が強いため、私が戻っていることに気付きません。黙って見ていると病院で集めた小額のお金の封筒をもって中身を見ています。そこで、「何を見てるの?」と言いました。私と目があった父親は「ここに落ちてたから、」と言います。鞄に入ってたのが、落ちてるのと違います。私は鞄の中に大袋へ小袋にいれたお金をナイロン袋にいれたまま納めていました。周りにはナイロン袋を破って投げてる。父親と話をしていると母親は怒声をだしながら、「誰のおかげ生きれるなら」 私は自分が妻と子供に暴力を振るい続けました。家族を苦しめました。両親の行動には異なることを感じますが、愛する妻と子供に恩返しをするため、冷静にいます。苦しいのは苦しいです。妻と子供たちはもっと苦しんでます。私に苦しんだ期間、今、これから、私の幻影と葛藤を続ける。 家族のあるべき姿になれるよう、生き続けたい。家族のため、自分のため、もがき続けたいです。 今の両親行動は日々わかりません。冷静に対応できるようありたい。
2008.11.15
コメント(0)
妻と話し合い、環境を変えるため、県外にいく準備をしてます。幸いに私は看護師です。基本的には仕事に困らないのです。苦しい時期に頑張って国家試験通過したおかげとも思います。 さて、県外にでるということは家族のために仕事に没頭できるわけです。地元では両親の精神状態と奇異行動に振り回されることもない。妻や関係者の方と話し合いがまとまりました。職場の部長とは状況を理解してもらいました。退職日の調整をすることは続いてます。某関西方面に単身赴任という形で候補の地を見学と面接・試験を受けました。さすが、都会になりますね。提示された月給は今より、7万近く上がります。驚愕でした。数個は内定を頂きました。妻と関係者と相談して慎重に期したいです。
2008.11.12
コメント(0)
最近書き込みができませんでした。心情や経過をつづっていくのが不安になっていたと思います。自分の人生や家族のことなど、悲観的なっていました。 私自身、妻や子供に暴言・暴力を使い、苦しめました。自身も両親の暴力・暴言・嫌がらせに苦しみました。二重に重なり合い。現在の状況になったわけです。私もそうですが、妻と子供たちは私と別居しても、もがいています。妻とは話ができるようになりました。長男は会いたいと言ってくれました。次男は不安を表明してますが、電話で話が出来ました。妻は3人の子育てに一人体当たりしてくれてますのでまぎれるかもしれません。長男・次男は私とのことを思い出すと日々苦しみ、情緒が不安定になります。次男は今まで学校にいくのにだだをこねたことはありませんでした。ひどい状況でいかないというのは日常茶飯事。学校の玄関までいったら、帰ってきたり、玄関に座込んだりとアクションを起こしてます。長男と妻が毎日、悪戦苦闘しながら、学校に行っています。ときに三男の赤ちゃんをおんぶして、学校にいったりとハラ×2 Doki×2です。しかし、学校では問題なく、次男はリーダーシップをとって、先生からも喜ばれてます。自閉症ももってますから、それも影響してるのでしょう。 皆が抱えて生きてるわけです。先が見えない、日々に悩まないといけないので絶望感を感じてしまいます。ただ、私も前向きにしかないと思い心から、脱却できたのです。
2008.11.11
コメント(0)
今日、深夜明け後、駅まで急ぎ、電車に乗りました。緊張してたのでしょうね。眠気がないのです。帰りはどかっねむけにはしりました。
2008.11.07
コメント(0)
家族の償いは必要です。車は処分して1からやり直しです。自転車生活ですよ。妻が私に内緒で購入してくれたものです。。とても気に入ったましたが、妻はローンは嫌いで義理の母親から借りて一括ばらいをしてたのです。私は別居する2月前に知ってしまいました。なんて馬鹿な私です。妻には処分で入った現金は義母に返金してもらうよう頼みました。
2008.11.04
コメント(0)
私が児相との約束で長男と関わらないを破っていて、長男が危険であるので里親制度を検討しているとの話でした。私も妻も(・_・)エッ......? です。お互いにきちっと、今の状況や子供たちの精神的な問題を考慮して、別居・会わない・生活補償など、現段階でできることを相談して行っています。妻は父親としての役割は出来る範囲でしてほしいと話してくれてますので、電話やメールのやり取りで決めています。7月以降、長男・次男とは一回も会っていません。長男・次男は学校や自宅でも落ち着いて、精神症状も改善されています。妻も児相の一方的な判断は危険と感じて、独自でカウンセリング(医師や助産師や児童心理学者に)して、子供たちの精神症状や状態にも御墨付を書面にもらってきています。いわゆる、セカンドピニオンです。一方的なある方々のデマを取上げ、一方的に親権取上げを画策する児相にびっくり!。妻も個人で児相に申し立てると危険の判断もあり、弁護士を通して、話してもらうと、約1月ほど行方不明だった私の両親と称する人間から相談で重大な問題になったとのことです。児相は必ず、面会者や相談者は名前記入記録があるので確認してもらい。両親と称する人の字がありました。私に確認ということでコピーを弁護士から見せてもらいました。本当に母親の字でした。大変ショッキングです。ちょっと今は考えると気分悪いので後にしますね。
2008.11.02
コメント(0)
いよいよ11月ですね。別居4月目に入るのです。短期間ですが巡る巡る情勢が変わります。私の変容とゆっくりながら、妻と子供たちもゆっくりながら変容を実感しつつあります。特に長男は私との接触はできませんが、妻を介して、話がきました。彼は一番苦しんだ当事者です。ひと一倍、家族のことを思うのです。ある意味抱え込み過ぎの11歳なのかもしれません。彼自身はある意味、不通でまじめな人ですが、ひとの不の影響を受けてしまうのかもしれません。妻が苛々がピーク時に決まって言っていたのが、私に長男が怒られてると「そいつはお前の父親じゃないから言うんじゃ。お前は実の父親に捨てられたんじゃ、ざまあみろ」と言ってしまいます。私がそれは言ってはいけないと妻と口論になり、お互いに暴力がでるまでになりました。それを聞いてる、見てる長男は頭のなかで生活のなかで混乱していたのです。妻は「あんたは我慢するばいいけど、私はあんたしかぶつけれんのじゃ、いけんことわかってもどうしようもない。」と。確かにそうなんです。ですが私も受け止める器が小さかった。日々あふれて暴力に溺れました。それでも、長男は私のこ とをおばあちゃん(妻の母)やおじさん(妻の弟)や児相には私のことで辛かったとは言いませんでした。施設保護時も、次男ひとりじゃ可哀相だから、一緒にいくとちゃんと話したそうです。彼は施設保護中も献身的に次男の面倒を見て、施設でも周りの子供たちを引っ張り、励ましたそうです。施設の先生に「帰ると怖いよ。おとぅさんは怖いよね。」と植え付ける言葉にも長男はきっぱり「おとぅはおとぅです。僕ら兄弟の大事なおとぅです」と話したそうです。次男には「おとぅもおかぁも大変なんだから、俺にいえば言いんだ。」と話してきたそうです。次男だけ、施設から退所して、残される日も次男に「おとぅを悪く言うな。母さんを困らせるな。弟を泣かすな。」と言ったようです。彼は一度も泣かず、振る舞っていたことは、子供らしくさせてない辛さに私はさいなまれてしまいました。児相はあらゆる言葉で私を絶つようしましたが、できなかったようです。私はまだ、家族にできることが残っていると実感した瞬間でした。皆が家族として、誇れる日をゆっくりですが、取り戻したいです。妻と子供たちに感謝します。
2008.11.01
コメント(0)
「貴方との付き合いはほとんどないけど、皆に期待をされてるのはわかるよね。私には頑張ってきなさいとはいえない。それだけ、貴方にも責任があるってことよ。看護部長と話してもらうよ。頑張って働いてね。」 私の暴力がいろんなことに波及してきたことが改めて実感をしたわけです。私と妻の関係 私と子供の関係 私と両親の関係 私と兄姉との関係 私と職場との関係 はぐちゃぐちゃです。それだけ、世の中に波及するのですね。
2008.10.30
コメント(0)
来月には今の地を離れる予定です。面接にいく候補の病院に連絡を入れたり、休みながら忙しいです。今日、印鑑証明を取るのに妻に市役所に出て来てもらいました。妻がトイレにいく間、3男を抱っこしてました。3男のあと追いが激しく、市役所のロビーは3男の泣き声で響いてました。確かにそうです。3ヶ月暮らしてないんです。私に慣れないですね。3男の出産時立ち会ったことを思い出しました。帰って涙です。日々変容ですね。
2008.10.29
コメント(2)
長男が小学校の体育で走り幅跳びをした。記録をおとぅ(私)にメールをしてほしいということできました。見るとなかなかの記録です。次は○○cmアップするとメールが続けてきました。返信に「すごーい!おとぅの5年生ときよりすごーい!よく頑張ったね。走る跳ぶ投げる、陸上は楽しいかな。○○くんの笑顔がおとぅには見えるよ。自分のペースで目標に近付けたら良いね。おとぅはうれしいです。ありがとう、教えてくれて。」と また、涙がでました。日々変容です。
2008.10.28
コメント(0)
私は仕事にでると雨が強くなってきました。今日は秋の陸上競技大会です。長男が昨年に続いて参加します。100mと1000mにでると… 仕事をしながら、去年のことを思い出しました。雨がすごく大変だったことを思い出します。 心配しながら、仕事も終わり、携帯に妻からメールです。ブービーと記載されてます。ん… んっ? んっ?タイムもむしろ昨年より遅く、春先の大会からみても1秒遅い。何故か?天候わるいだろうか、いや、腰が落ちてるやろなーと思いました。1000mは9位 途中足がつるなか、ハプニングに見舞われたのです。 しかし、長男は頑張りました。最後までゴールしたので良かったです。
2008.10.26
コメント(0)
妻とのメールに、離婚は最終手段だからね。 家族は皆一緒だからね。 と届いてきました。 それだけでも驚きです。 更に長男に私の送ったメールを見せて、長男自身が会いたいと涙ながら話してくれたそうです。更に明日、陸上競技の大会に申し込みをして、私と一緒に走っていたときのことを思い出し、練習を少しずつ続けていたんだと。長男からメールで「おとぅが見てくれていると思って走る」とメールにありました。私は一人涙が止まりません。何故、私は大事な子供を殴りつづけたのか。私はさいなまれてしまいました。私は長男宛てに「楽しくゴールをしてほしい」と返しました。私はうれしいですが自分のしたことにけじめをつけなければと考えてます。家族の暖かさを感じました。
2008.10.25
コメント(0)
岡山のからまるさんです。 私自身の今後の準備のため、必要なものと私の車にある、子供たちや妻のものを交換しました。そして、9ヶ月になる3男とも久々の対面、私のことを忘れてなかったようです。私は抱かせてもらいました。涙が止まりません。私はこの子に妻に改めて、むごいことを続けてきたことに決意をこめました。まず、一日を積み重ねて、生きよう。家族のために自分のために生きよう。人生全うしよう。1時間半程、話をしました。妻は涙ぐんでいた。彼女なりに思いがあるのかもしれません。妻は一言、「私はあんたと会ってることを知られたら、親から叱られる。表だって応援できない。家族だというのは変わらないからね。自分の道を全うしてよ。父親の背中を見せてね。まず、10年を刻む。子供は任せて。」妻の強がり?、決意?いろいろ交差しました。私は妻に出会えたのは私の人生に最高なことです。人生の最高なパートナーなんですね。家族のことをそっと押してくれる。私にはかけがえない人です。ありがとうね。
2008.10.24
コメント(1)
私は追い込んでしまいました。今は自分に律すること、前を向いて生きる、頑張って働く、妻や子供たちの思いを受け止める。私の判断ではできない身。妻にメールで確認するしかありません。何かと連絡がとぎれます。妻や子供の体調に何かあるのではと勘ぐってしまう。
2008.10.23
コメント(0)
がありません。買取りが嫌になったのか…
2008.10.22
コメント(0)
妻と話し合いが進んできました。私自身も新たな環境で再スタートをするため、車維持も厳しいため、処分します。気に入ってましたが、社会を生きるため、愛車を自転車にして。買い取り業者を回り、8~25万と差がありました。家族の生活や私の生活もあります。車検の余裕なし。しょうがないですね。0からのスタートです。
2008.10.20
コメント(0)
月一度の護摩法要の日 1時間かけて、お寺までいきます。 護摩を焚く先生はお寺まで上がってきた私を見るなり、「言いたいことがあるのう」 さすが、修行だけでなく、人生の苦楽を知っています。私の表情を見るなり、察したようです。私の暴力にも真摯に向き合い、関わってくれてます。妻の思いや提案について話ました。一言、ほんまに良い嫁を見つけたのう。こんな事態になってもお前のことを心配してる。嫁さんの提案(離婚)は家族のための提案じゃ。ほんまに家族を取り戻すためやな。すごい、ほんまにしんそこ感謝せんと。お前はどうしようもないぞ。お前も含めて家族を守ろうとしてる。しっかり、自分の道(看護師)を邁進して究めなさい。嫁さんも子供もまってるわ。長男は必ずお前がどんなことになろうが助ける。それだけ、長男はお前にとってかけがえないのだぞ。」 といってくれました。護摩の間一心にお経を唱え、家族のことを祈りました。事態は少しずつですが、変容してるのです。
2008.10.19
コメント(1)
赤ん坊の三男は咳が出て、痰が詰まってふうふういってるとか。私の働く関連診療所に通院してます。ゆっくり休めるか心配がつきません。一緒にいられません。私としては歯がゆさもありますが、私の暴力が一因です。迷惑をかける、家族に何ができるか模索する日々です。
2008.10.16
コメント(0)
悩みます。暴力をふるい妻や子供を苦しめました。私自身この事態になり、ある意味遅いと言われます。しかし、家族である事実はかわりません。そのなかで、私ができることがあるのではないかと思い、非暴力化に向けてワークを続けてます。そして、お寺に通い心の修練に励んでいます。一長一短ではありませんが、あるべき姿を目指していきます。警察から言われたことを忘れません。「絶対直らない。犯罪者は犯罪者だ」というはある種肝に命じて。しかし、両親の行動がひどくなるなか、私と妻は双方に害があることに危惧しています。家族のために生きたいのに…障害が付きまといます。ですが…未来へのエピローグ。私は自分にできることをしていくを大事にしたいですね。決断は私自身です。
2008.10.15
コメント(0)
両親の行動。現在、年金暮らしの両親です。その中で私は緊急的要素で戻りました。父親は分かっている所かとんちんかん。収入はまだ話しあいができないなかで私が自分の給料で遊び回ってると思っている。実家と職場の往復です。唯一の休みは図書館やお寺にいったりで食べることも休みの日は一食にするようしてる。今回、両親は行方不明になったときの居場所が広島の姉宅だったとか? 姉の家にいくのに電話をして、私に暴力を振るわれ、お金を要求されて死ぬかもしれないと… 結局、お金をむしりとられた話をして、姉に新幹線代を送らせて、2週間近くいたそうです。広島では姉の行動を逐一、口をだしたとか。そんな嘘をつく両親です。私は話合いをしたら実家をでることを説明してましたし、お金の要求をしてたのは両親です。特に母親はお金を貸すといっていたのですが日に日に、20万、10万、5万、3万と発言はトーンダウン。私は貸すとかは口だけと思ってましたから、話だけ聞く度にありがとうというだけでした。行方不明になる前は、私の荷物をあさり、訪ねたら、父親が暴言をはきながら、殴られました。はっきり いって殺されるのではないかと思った次第です。そのなかで興奮した母親は血圧が上がって震え瞬間てきにでただけ、それだけで入院できなかったと父親は、私の病院の看護部長に怒鳴ったのです。怒鳴れば、入院させると思ったのにすぐ返事しなかったから、広島の姉に嘘をついたそうです。姉は私とも仲は悪いですが両親ことは嫌ってます。他の人に愚痴ったみたいです。それが私までつたわりますから 呆れるを超えて…両親は何がしたいのか… ちなみに父親は看護部長に怒鳴ったとき、私を首にしろといったそうです。一応を息子ですけど、世間から言うと息子の首要求には誰だって驚きますね。
2008.10.14
コメント(0)
両親は帰ってきました。わたしには、早く、この家を処分するからでていってほしい。てきれば死んでほしい。と第三者がいる前で父親から言ってきました。わたしの過ちは両親には関係ないので私がどうなろうが関係ないと言われました。父親は子供はどうなったって自分の妻を信じると妻が嘘をつこうが、子供が嘘をついてると思うと言う始末。第三者の方も混沌としますね。更に奇妙なことは5日前に児相から私の両親が行っていた地(姉のいる広島)に電話があって早くから、子供を自宅に返している連絡があったと言うのです。両親顔を見合わせて言うのです。なんで突然言うのか、幻聴?所属病院の精神科医に相談します。事態はまず自身ことに集中します。
2008.10.13
コメント(0)
妻から電話がありました。五時間近く話をしました。妻からは閉ざしていた子供の話や今後の話でした。直接話をするだとか、私が家にかえることは怖いと話してくれました。更に子供の精神状態など、チックや暴言がひどくなっていますが見守っているようです。児相や医師、カウンセラー、保健師と連帯をとるようにしているので学校ではトラブルがなくいいみたいだと。ただ、近所の陰口も増えていることも… 妻なりに苦労しながらも頑張っているみたいです。 私には父親としての役割は必ずくるから頑張って働いてほしい。お互いに安定した生活は必要になるから、離婚の形をとってはどうか。子供が会いたい意思の表明があればあってほしい。児相や警察のマークはひどいから、県外で仕事に専念してはどうかでした。約束ごとはお互いでたたき台を作り、調停で文面を公的にすることにしたらどうかと。私は考えさせてほしいことは言いました。複雑な思いはありますが、前向きな未来を考えればやむないのかもしれませんね。
2008.10.12
コメント(0)
何が悲しいのかわからないけど涙が止まらない。胸の内の愁相感はなんだろう。ここ十年ある症状です。私は今できることを精一杯やりとげるしかない。
2008.10.11
コメント(0)
妻へメールをすると、子供の前期の通知表の結果、長男は60近い項目に三段階評価で9割は3重まるです。次男は文字(書き取り)に苦しんでいた割には全評価2重まるでした。 子供なりに頑張ってたんです。私の暴言・暴力に怯えながら、彼らなり頑張った。人間はそれだけの評価でない。生きるために必死だった。それが勉強にしかやり場がなかったのかもしれません。妻からのメールで次男は図工の作品に真黒に塗られたドクロ一個が画用紙の真ん中に。今日渡されたらしいです。6月の作品。学校は黙っていたそうです。私の件で児相から学校に話があってからだすようにしたみたいです。
2008.10.10
コメント(1)
深夜勤から帰ってきました。郵便受けにメモ紙がはさがってます。見るとカタカナで「ゴンハンタベテマスカ。ハヤクカイケツシテクダサイ。」自筆から父親と考えます。無断で行方不明・連絡がつかなくなりましたが、生きてるようです。父親だけ様子を見にきたのでしょうね。今後、どんな嫌がらせをするのか、今は想定てきません。私がのうのうと生きてると思っているかもしれません。実家の電話の留守電には、九州の親戚が住む所を探してるけどめぼしい所がないとか。かかりつけの家電店からいつ、電化製品を運んだらいいかなど連絡が入ってます。両親さえ、私が邪魔のようです。ここ2ケ月私はお金をもってないのにどうしたらいいのか?わかりません。私が暴力に溺れた結果、別離生活です。元々両親とは仲は良くないです。両親は孫だってお金の材料にしか思ってません。だから、孫がうまれたことも嫌でした。長男・次男は私の両親から虐待を受けて、児相カウンセリングも受けた経験もあります。だから、にくい人間がトラブルを起こすとより苦しめたいのです。たいがい母親の差し金です。父親は踊らせられるので同類。だから、話し合いにならない。どんなに理由があっても私を服従させたいのです。結局私は金の道具や芋づるしか思われてないのが悲しいです。
2008.10.08
コメント(0)
何日か前に愛犬のことが気になりましたのでメールを妻に送りました。実際にはなかなか返事がこないのですが、左目が日々白濁していると…当初は私が暴力を振るってきたことで犬に罰がきたんよという内容がきました。私自身その内容には怒ることなく、誠実に暴力に対しての反省の意を送りました。私にとっては愛犬は家族同然、大事な子であること、直接助けてあげれないので可能な限り治療を進めてほしい希望を望みました。それ以後はメールが途絶えました。今日は愛犬を問うメールをすると、小1の次男が最近、ひとりで愛犬散歩を始めたそうで、彼がいくと遊びも入るので2時間近くかかるそうですが…愛犬も老犬になりつつあり、きついはずですが…σ(^◇^;)。。。 愛犬にはうれしい時間です。そこで近所の学年の大きい子にちょっかいを出される次男です。ある日執拗に木の枝で次男を突くばかりしたそうです。彼も1年生ですが、嫌なことは言い返します。ちょっかいを出す子はエスカレートしてきたそうです。愛犬は次男を守ろうとしたそうです。ちょっかいをだした子は愛犬の左目を突いてしまったと…それから白濁化がしてきたそうです。それから毎日、左目は涙や目やにが増えてしまっているそうです。少し散歩には消極的見たいです。更に長男は右目にボールがあたり、視力低下があったと… 妻は元眼科勤務があるナースでも不安がいっぱいのようです。獣医は愛犬が失明するのは経験次第だが確率は半々と言われたそうです。長男は一時的かもしれないそうです。眼底上の出血や網膜には異常はなかったので経過を見ていくそうです。 妻はちょっかいを出した子の行為で愛犬が失明がある可能性をその両親に伝えましたが「あーそうですか。たかが犬ですね。しょうがないじゃないですか。子供のしたことですからね。お宅のお子さんにもトラブルを作るわけがあったんでしょう。うちの子だけが一方的に言われる理由もないですから、犬のしつけも問題にあるでしょうに。そんなことぐらいで言うのやめてくれる。うっとしいし、嫌がらせだわ。」と言っていたそうです。妻の周囲にも他のお母さん方もいるなか、逆ギレ状態でその場を去ったと…ちょっかいを出す子じたいがあっちこっちトラブルが絶えないそうです。ご両親の言い分には(・_・)エッ......? という所はあります。妻は感情的にはそんなと気には言わないのですが…相手には犬でも生きてるわけですから、親子さんとお子さんで命について話す機会を作ってほしかっただけですが、ご両親は非難にとられたようですね。我が家の本当の言い分を今語るなら愛犬は絶対と言う程、人間に噛み付いたりしたこともありません。挙動不審者や悪いことをする人間には吠えます。しかし、子供と関わるなかでも吠えないし、忠実です。 ですから、愛犬は家族を守ろうしたわけです。 そんな話の内容がメールできました。妻自身も不安はいっぱいの中、少しずつ変容しているのかもしれません。私は側で守れないことを謝罪をしました。更に困難には無理せず素直に向き合いたいね。と付け加えました。そこからはメールは途絶えました。私はDVと虐待を続けました。その結果、分離を強いられてます。家族の不安、苦しみを抱えてきました。今は手段として別離生活、お互いに苦難は日々訪れます。超えていかないといけない時期。妻からメールでこんな内容があったんです。「私と子供たち、愛犬、そして、あんたも含めて家族として今後あるべき姿を毎日考えてるからね。」といつもメール分には最後に!がつきます。唯一つかなかったのです。私がしたことの重みと家族の無事を考えて、祈る日々です。
2008.10.07
コメント(0)
看護師をしていると気付けば、業者、営業さんとも顔見知りに…外部で発表や投稿すると…新設病院や病棟開設するので声がかかる。確かに…条件がいいのです(教育環境、賃金と) でも、私自身取り巻く環境があります。一長一短ではないですね。
2008.10.06
コメント(0)
病院を出たのが四時でした。今日は師長と一緒に準夜でした。さて、深夜のNsが来る前に準夜最後の巡回。患者さんの体位変換と生存確認です。師長と一緒に「なにもなかったね~」と話してナースステーションに戻ってきました。モニターを確認すると、心拍が50~60台に落ちてる患者さんに気付く。呼吸数も30台だったのにひとけたになり、0になったり、また、極板を外したかな…で部屋にいくと、呼吸停止、頚動脈微弱。蘇生開始。心マッサージを10分続けると、心拍波形が戻り、呼吸も再開。頚動脈も充分な拍動に戻りました。ほっとしましたが、患者様の家族に同じ院内のNsです。来院を依頼したので病棟に来られました。私の顔を見るなり、「ふざけないで、状態が悪くなるとは聞いてない。看てなかったんでしょう。外泊ができないだけで悪くなるとは聞いてない。覚えてなさい。」、最終確認して、痰の吸引をして、バイタル確認も問題なかったことを説明しました。しかし、悪くなるんだから、そんなはずはないでしょうが…ふざけないで。と言われました。家族が大変なことになったんですから辛い思いをはいたんだと思いました。夜中の病棟に大声が響きました。働いてる病院で怒鳴るのはどうなんだろうか。と思い、かんがえさせられました。
2008.10.04
コメント(2)
九月は駆け足でした。仕事が慣れてくると、一日、一日に愁訴感を感じますが、和らぐものです。終盤に両親の行動にキリキリさせられました。2人は帰って来る様子がありません。2人も大人ですから、私も適性に対応したいですね。ただ、九月は長男と楽しみしてた運動会でした。運動会は一度、天候と仕事の都合がつかず見れませんでしたが、今回から見ることができません。走る練習して成果でる日を待ってました。私は彼を暴力で苦しめました。ですが、この時は私と長男が繋がった瞬間でした。回りはそんな風にとらなかった、事実もあります。私なりに、彼に経験を伝えて、自分なりのものにしてほしかった。別に運動会で一番や大会で一番はどうでもよかった。やれる自身をつけてほしかった。運動会はどうなったか?長男や次男はどうしたか?気になります。しかし、彼らは一生懸命な2人頑張ってるかな。ただ、長男は施設保護から戻れたのかわかりません。人は思い出に弱いですね。私は家族のために生まれ変わる。 沢山の経験をつみたいですね。
2008.09.30
コメント(0)
今日は朝から病欠者がいるということでバタバタでした。重症者や神経難病疾患が多い所に所属してますので、ケアもなかなか行き届きません。二つのチームをはしご状態でした。清式に3時間、口腔ケアに2時間とどとうのケア記念日。汗が逆にでました。しかし、患者さまはきれいになりました。なんか、清々しいですね。
2008.09.29
コメント(0)
全92件 (92件中 1-50件目)