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ミラノ・コルティナ五輪フィギュアスケート、ペア(個人)。まさか日本人のペアが世界トップに君臨し、五輪金メダルに輝く日がこようとは…! 団体戦のショートでぶっちぎりの82.84という点数を叩きだした「りくりゅう」。ところが、個人戦のショートではミスが出て73.11点。やはり団体戦の疲れが…と日本中がガッカリするなか、「リフト1回分の失敗だけ、大丈夫!」という超ポジティブな高橋成美氏の声が響く。何を隠そう、Mizumizuは高橋成美選手の、日本人離れした「コスモポリタンな性格」が昔から大好きだったのだ。インタビュー等で聞く現役時代の成美選手の口調・論調は、少女めいた細身、かわいい女の子そのものの外見からは想像できないくらい大人で、論理的で、男性的ですらあった。その日本人離れした精神をもつ女性が、マーヴィン・トラン選手と組んで世界選手権銅メダルまで来たときは、数年後に迫ったソチ五輪への期待が膨らんだものだ。だが、その後、トラン選手の日本国籍取得に法務省が難色を示し、成美選手の怪我があり、気が付くとペアは解消という結果になっていた。ソチ五輪で高橋成美選手と組んだのが木原龍一選手。だが、あまりに急ごしらえ過ぎた日本人ペアの結果は振るわず、「せっかくワールド銅メダルのペア女子が出たのに… やはり日本人男子ではダメなのか」とがっかりした記憶がある。その木原龍一選手が、奇跡的に相性の良いパートナーを得て、2026年の五輪に出場し、奇跡のような超絶演技で金メダリストになるなんて、一体誰が想像できただろう?もし、あのとき…トラン選手が、なんとしても成美選手と五輪に出るのだという強い意志をもって日本に来ていたら? もし成美選手の怪我がなかったら?成美選手が木原選手に声をかけることもなく、木原選手はそのまま引退してしまっていたかもしれない。「りくりゅう」は巡りあうべくして巡りあった運命の相手のように見える。だが、そこに至るまでのドラマの生みの親は、実は2012年にペア競技でのメダルという境地に達した、高橋成美氏なのだ。「りくりゅう」金メダルの実況も、彼女の名声を一挙に高めることになった。「宇宙一です!」なんて、さすが白髪三千丈の国の文化の中で育っただけのことはある。インタビューで涙ながらに喜ぶ姿を見たとき、まさにこのドラマチックな五輪金メダルのスタートラインは、高橋成美がシングル選手だった木原龍一にかけた「ペアをやろうよ」という言葉にあるのだという思いに強く打たれた。日本人離れしたコスモポリタンな精神をもつ、高橋成美というクレバーな存在。木原龍一というダイヤモンドの原石を発見した彼女の今後の活躍は、今回の金メダルによって、より確からしいものになったと思う。「りくりゅう」の金メダルを讃えるなら、同時に困難に見舞われながらも道を切り開いてきた高橋成美(彼女はスポンサー探しも自分で動いたのだという)というパイオニアの個人史にも思いをはせてほしい。
2026.02.17
ミラノ・コルティナ冬季五輪、フィギュアスケート男子シングルが終わったところ。結果は、誰も予想しなかった「4回転の神」マリニンがフリーでまさかの大失速…どころではない大惨事。鍵山選手もフリーでは本来の力を出せなかったが、ショートの貯金を活かしての銀、佐藤駿選手が見事な銅!!!幼いころからライバル関係にあり、いつの間にか先に行かれてしまった鍵山選手に迫る銅メダルということで、日本が誇るべき「優駿」コンビが大舞台で台乗りしたというのは、神風的な驚きと喜びがあった。団体戦での銀メダルも素晴らしいの一言で、「りくりゅう」というペアの存在が、それこそ長く不毛の日本人ペアの世界観の中で諦めていた(苦笑)Mizumizuからすれば、神風的奇跡に見える。が、選手も一体となって盛り上がっている団体戦を見ると言いにくいが、ハッキリ言って、この新しい競技は不公平すぎるのだ。団体戦のメダルに貢献したところで力尽きて、個人戦で「まさか」の失敗をする選手を何度見せられたことだろう。今回、男子シングルの個人戦で力を出せた選手は誰? 選手自身が言い訳にすることは決してないが、結果を見れば明らかではないか。四大陸で素晴らしい演技をした選手が五輪では失速する、オリンピックの団体戦で実力を見せつけた選手が個人戦で崩れる。フィギュアスケートはあくまで個人競技だ。ロシアやアメリカのようなフィギュアスケートの選手の裾野の広い国はメダルの数を増やすのに好都合だが、中途半端な国(日本もここに含まれる)はメダルをかけて薄い選手層をフル活用しなければいけなくなり、ある特定のカテゴリーにしか有力選手がいない国には、はなから団体戦は関係ないので、選手は逆にラクなのだ。こんな不公平は話があるだろうか?のちの「メダルの世間的な価値」だって、団体戦と個人戦では大違い。個人競技でしかないフィギュアスケートでは当然の話だろう。マリニンが団体戦で金メダルに貢献したからといって、アメリカで話題になるのは、おそらく個人戦のフリーでの大失敗のほうだ。個人戦で金メダルをとるのと団体戦でとるのとが、のちの選手の商業的な価値でも同等に扱われるならいいが、そんなことはないのだ。むしろ、団体戦のメダルはあっという間に忘れ去られる。こういう現実に目をつぶり、無理やり団体戦をオリンピックが始まるか始まらないかのうちに入れ込んで、選手を消耗させる。やめてほしい。過去のエントリーを読んでいただければわかると思うが、Mizumizuは決してマリニンのファンではない。むしろ、4回転を入れ過ぎて、他のエレメンツの「磨き」がこの数年ちっとも上がってこないのが不満だった。コケ脅しのようなポーズでドラマチックに演出はしているが、鍵山選手のようなスケートの技術を下敷きにした多彩かつ美しい技が決定的に欠けている。五輪では、その時に一番高難度のジャンプを跳べる選手が勝てないというジンクスめいたものがある。しかし、今回のマリニンの悲劇はジンクスでは語れない。五輪の商業主義がもたらした結果だ。本人が演技後も立派にふるまう分、こちらは思わず泣いてしまった。鍵山選手も踏ん張ったけれど、本当はもっと最高の演技が見られるはずだったのだ。五輪で最高の演技をするために、どの選手も様々なものを犠牲にしながら頑張ってきたはずなのに。もう本当に、残念という言葉では表しがたい、無念さを感じた男子シングルだった。
2026.02.14
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