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あー、朝から調査でお疲れ気味です。さて、約3か月半ほど続いたアルゼンチンでの調査も終了です。そう、明日の午後にはブエノス・アイレスを出て、アメリカへ合衆国へと戻るのです。J氏はようやく国へと帰ることができると大喜び。私はと言えば、正直いうと複雑な気分です。せっかく楽しくなってきたところでしたから。。。さて、その後は日本に戻り、大掃除を手伝い、1月の第2週目からはアメリカで授業です。で、6月からは日本の母校で2か月だけ教えることになりそうです。2か月だけですけどねー。気が早い私はすでにスーツケースに詰め込むのをあらかた終えました。(ついでにJ氏のスーツケースも私が詰めた)何が気が重いかと言うと、こちら南半球は真夏ですが、今から真冬の北半球へと戻ることです。どうやら私の住んでいる地域では、到着する水曜の最低気温がマイナス19度だそうで。(最高気温もマイナスらしい)。ああ・・・・。
2013.12.09
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昨日、母親からメールが来て、どうやら、伯父が亡くなったらしい。母親の兄にあたる人で、小さいときにはよく遊んでもらった人でもあった。私と手相が一緒ということで、「あんみっちゃんは、おじちゃんみたいに、賢くなるぞー!」と言われて、「あぁ、こりゃ駄目だな。」とか小さいときに思ったのを覚えている。この伯父さんの人生は、常に病気との闘いだった。小さいときから体が弱かったらしい。そのせいで、うちの母親は丈夫だろう、と割とほったらかしにされたような感じだが、きっと繊細な人だったに違いない。特に、ここ数年は心臓と転移性の胃癌に苦しんでいた。2、3年前に心臓のバイパス手術をしたと思ったら、今度は胃を全摘することになる・・・という。去年の12月に会った時は、体重がほぼ40キロくらいになってしまっていた。年末に経済的に苦しい思いをして無理してアルゼンチンから帰った後、日本へと帰ったのは、この伯父さんに会うという目的もあった。たった1日だったが、伯父さんの家で従妹にも会い、一緒に伯父おすすめの最近はやりのうどん屋に行き、祖父母の墓参りも一緒にした。うどん屋では半分も食べられず、一所懸命それを母親のどんぶりに移そうとしていたのを見て、従妹が「残したらいいのに!」と。もしかしたら、半分もうどんが食べられないというのを見たくなかったのかもしれない。母親は少々胸のつかえる思いで、うどんを1.5人前食べていた。寒いからお墓参り、伯父さんの分もやっとくよ、大丈夫だよ。といっても、一緒に行く!と言い張るので、私と、私の両親と伯父の3人で行ったのだが、どうにもつらかった。あと1か月半したら、日本に帰るので、それまで持っていてほしい・・・と思っていた。医者からは「正月を越せるかどうか・・・」と言われていたし、病院では手の施しようもないということで、自宅療養になっていたのだが、3か月以上も生きながらえた。その間、「京都大学に名医がいるらしい。」とか、インターネットでの名医の検索もかかさなかった。おじさんは、昔から透明感のある人で、いつ、すーっと消えてしまっても、わからないような、そんなところがあった。食が細くて、私がバリバリたべている間、いつもお箸を途中で置くような人だったので、うちの母親は祖母が亡くなってからは「おばあちゃんが、心配しているんじゃないかしら。」と常に言っていた。母親からもらったメールからは、つとめて冷静にふるまおうとしているが、少々混乱しているような母親の様子が読み取れた。恐らく、母親にとって伯父の死は、単なる肉親の死では済まされないものがあるのだろう。60代の癌による死。うちの母親も癌経験者である。今年でようやく3年が経とうとしている。化学療法などで髪の毛が抜けた後、ようやく日常が戻ってくるまでに1年近くかかった。毎日が、「今日もしかしたら再発してるんじゃないか。」というような不安との闘いである。伯父が癌になってからは、電話で話を聞いた後、伯父の心配と自分の心配を両方しないといけなかったようで、いつも落ち込んでいたようであった。「落ち着いたらメールするわ。」との連絡が来たので「弔電、打った方がいい?」と聞くと、「アメリカにいるんだから、いいんとちゃう?」アメリカにいると、伯父の葬式にも行けなければ、伯母の手伝いもできなければ、母親を支えることもできなければ・・・と、本当に何もできない。そんなことないよ、何かができるよ・・・と思いたいし、自分に言い聞かせたいところだが、そうすればするほど、自分に腹が立ち、情けなくなるのである。私にできることと言えば、6月に日本に戻ったらすぐに仏さん参りをして、墓参りをして、母親の話を聞く。。。これくらいなんじゃないかしら。
2014.04.20
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