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半年ごとの更新になってしまっているブログ。もはや、続ける意味はあるのか、、、というような感じですね(苦笑)。実は、色々とあり、今、J氏がなんと日本に来てくれているのです。しかも、日本にちゃんとビザ付きで、仕事をしに来てくれました。英語を教えています。一昨日は、関西に日帰りで某学会に参加、人脈作って、頑張って日本に定住できるようにしています。離れ離れでいた期間が半年以上あったので、感無量。「アメリカの食べ物とかが恋しくなったりしませんか?」と聞くと、「全然!」と即答でした。「逆に、アメリカの食べ物はもう二度と食べなくてもいいね。」だそうです。二人で着物デートの日も近そうです(笑)。とりあえず、J氏は、サイズの合う着物を見繕わないと。。。
2015.10.12
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わわわ・・・ブログ放置。ほぼ半年。仕事に就いて、忙しいのです。その間、日本での職場でのいじめやら、J氏との遠距離、家庭でのゴタゴタ・・・・などがありました。さすが、厄年。来年は、きっといいことがあるに違いない。5月の連休は色々なものをキャッチアップする時期でもあります。仕事の積み残しとか、仕事の積み残しとか。日本に帰ってきたら、即、南米に帰りたい、アルゼンチンに帰りたい、という気分になりますね。先日といっても春頃ですが、知り合いの結婚式がありまして、着物を着せていただくことになりました。結論から言うと、もちはもち屋。さすがプロ!帯も豪華に結んでもらえました。普段の着物や浴衣を着るのに、プロの手を借りる必要はまったくないと思うんだけど、私のようなぶっきちょさんは、ここぞ、という時には、やってもらうのが1番。あれよ、あれよという間に、2、3人がかりで一気に着せくださいましたね。髪の毛もセットしてもらったし、メイクもしてもらえました。さすが、プロは違うなぁ、と感心した一瞬でした。さて、今年の夏は絶対に浴衣で夏祭りに行くぞー!!と今から、楽しみです。
2015.05.04
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いかん、この1ヶ月の記憶がほとんどない。。。というほど、忙殺されています。アメリカの仕事と比べて、雑務が多すぎる日本の仕事。すでに、アメリカに戻りたい気分でいっぱいです。とはいえ、香川県はなかなか気に入っています。生まれて初めて道後温泉(愛媛)にも行きました。今日は、少しハッピーなニュースが!あと1ヶ月したら、もしかしたら、J氏が日本に私を訪ねてきてくれるかもしれません!日本で求職中のJ氏。アイビーリーグの大学院での学位も持っているのに、なかなか仕事が見つからないという、大変な時代になりましたね。おうどん、お好み焼き、たこ焼、ぜんざい、かりんとう、ようかん大好きのJ氏がこちらに参りましたならば、讃岐うどんツアーをせねばと、今から楽しみにしています(笑)。実に半年ぶりの再開。なんだか、今年も乗り切れる気がしてきました。念願の初詣にも一緒に行けるかもしれません。
2014.11.28
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うっわー、ブログの存在を忘れるほどに忙しく過ごしていました。本当に怒涛の1ヶ月でした。とりあえず9月に家庭の事情で就職をしないといけない+親の故郷の香川県にいかないといけないということで、引っ越し+就職が1週間くらいで決まってしまい、そこから1週間かけて引っ越し。と思いきや、10月1日より、仕事が始まり、しょっぱなから270分連続授業、という大変なことになってしまっておりました。ということで、某学校で教師をしています。日本のシステムはアメリカのシステムと違う、っていうのは当たり前ですが、人間関係の構築の仕方も色々と違います。アメリカだと、10月31日のハロウィンの日には、学校の先生も仮装して学校に来たり、ノリがよかったんですが、もちろん、日本ではそんな雰囲気ないですよね(苦笑)。言いたいことが言えない、というのは、もちろん世界のどこでもそうですが、ここまで言ってもいい、とか、こういう言い方をしてもいい、というのが国によって違うので、そこがドキドキするところです。学生はでも、どこでもいっしょですねー。とっても、可愛いです。アメリカの学生も、生意気だったり、びっくりするほど優秀だったり色々と可愛かったですが、日本の学生も、びっくりするほど細かいところに興味があったり、色々と可愛いです。最初、ふざけてて私のことを試しているのかなぁー?という感じだった生徒が、だんだん心を開いてきて、真面目にやりはじめているのとかを見ていると、こちらも、やっぱりやりがい感じてきますよね(笑)。とにかく、難しいお年頃の子が多いですが、三日坊主にならないように頑張らねば!・・・とかやっていると、なんと、プチ女将さんから、着物をたくさんいただきました(ありがとうございました!!!)。ここ最近、朝5時前に起きて6時前には学校に出勤。帰宅が夜の10時とかでしたから、家での着物時間は1-2時間という状態でしたが、ものすごく可愛らしい着物がいっぱいだったので、これは、土日にくたばってないで、ちょっとお出かけでもしよう!という気になりましたよ(笑)。車通勤も一人でできてますしね。こんどは、着物で、車に乗る練習かなっ!
2014.10.23
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うわー、1か月もブログ放置。というか、ほとんど書けていない。・・・というのにも理由がありまして、実は、今週からうどん県に引っ越します!移動の激しい人生だなぁ、とはつくづく感じておりますが、これほど移動が激しい2、3年もありません。地球の裏側のアルゼンチンから、アメリカの中西部、そして、関西から今度は四国へ(あっ、これの方が規模がちっちゃくなったね)。この後、アメリカに戻るのか・・・うーむ。わかりません。J氏が日本に来てくれるのか・・・うーむ。祈るしかありません。私自身の引っ越しは実は某所にて就職が決まったからなのです。・・・といっても、私自身の研究とはまったく関係のない場所での就職です。とりあえず、先立つものが・・・ということで、研究とか、自分の好きなことを、とか言っていられない不意の事態が発生してしまったのです。(これについては追々)なので、若い人たちが自分の好きなことを!なんて、いうていられる間って、本当にしておくべきだなぁ、と思います。私自身、そこまで年寄ではないですが、やはりアメリカにも行って、アルゼンチンにも行って、・・・ってやっておいてよかったなぁ、と思います。次々と変化していく人生。その場、その場で、誰しもが最良の判断をしているものなんだと思うけれど、私自身が関西を離れるのも、自分がやりたいことか、というと、そういうわけではない。でも、今できる最良の判断をしているのだと信じて、とりあえず、段ボールに色々と詰め込みます(苦笑)。
2014.09.15
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連日35度を超える、暑い暑い関西です。夏の授業も成績評価をつけて、ついに自動車免許もとれて、のんびり過ごせているかと言いますと、・・・全然。役所における手続きが色々ありまして。(これについては、追々)もしかすると近々関西を離れることになるかもしれません。どこに行くか、まだ決まってませんが・・・。去年から今年にかけて移動が激しい1年です。
2014.08.21
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先日、古くなって(もともと買った瞬間から古かった)、もうどうしようもなくなってしまった着物(私がいうので、本当にどうしようもない)を、分解することにした。擦り切れたり、布が薄くなってしまっていたり、で、この際、後学のためにと、分解してみたわけです。・・・どこまでいっても四角ーーー。な着物。本当に直線裁ちで、まっすぐなんですねぇ。そんな、着物の美しさというか、美学というものは、四角いものから、曲線を生み出すというところだと、(誰かも言っていたと思うのですが)私もそう思います。江戸時代の絵とかみても、なだらかなドレープができており、ああ、カーブがとても美しいという、まるっこい着方をしているんですねぇ。これが、現代の着姿になると、かくかくと、四角い着方になっているように見えます。綺麗なカーブがなくなって、どこもかしこも長方形です。角張ったものを、丸くするのが、日本の和というもの。四角いものを、四角く着るんじゃぁ、ちょっと面白味がないように思いますねぇ。なんだか、現代のカクカクしたような生き方とも繋がって見えて、もう少しごゆるりとした生活スタイルに変わっていってもいいように思いますけどね。
2014.07.23
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ここ数年、自分なりに心掛けていること。それは、自分の価値観・倫理観を持ち出さずに議論をするということなんです。これ、とても難しいんですよね。例えば、最近よく話題に上る「ヘイトスピーチ」とそれに対する「カウンター」。どちらに対しても、「よい」「悪い」というジャッジをせずに、これらの考え方に対して自分の意見を言う、という方法はないだろうか。AさんがBさんに対して「悪い」ことをしている。じゃあ、Aさんは「悪い」人で、Bさんは「いい」人なんだろうか。そんなに単純なものじゃないんですよね。「そんなことしたらダメだろう!」と自分が感じるときに、なぜ、自分がそう思うのかという疑問を幾度か自分のなかで反芻していくと、何が「ダメ」とか、簡単に言えなくなってしまう。私の生徒の19-24歳くらいまでの若い子たちは、「ぼくたち、政治の話は絶対にしないんです。」「もめたくないし。」「なんか価値観が違うんだったら、話しても仕方ないっていうか・・・」「それだったら、最初から話さない方がいいんでー。」と言う。なるほどなぁー。でも、政治の話をしたらなぜ「もめる」のか、「価値観が違う」とどうして話をしない方がいいのか、ていうところ、について考えられないかな?話す前に、話をしたら、もめて、仕方がない、と思ってしまうのには、何か理由があるわけで。「留学生とかだったらー、自由に話せるんだろうけど。」「ぼくたち、日本人だしー。」こういう会話を聞いて、私よりずっと上の世代の先生方は、「若い子は覇気がない。」「若い子は意見がない。」「若い子はぶつかることを恐れている。」などなど、身もふたもない程に非難しておられるようです。・・そうなのかなぁー。ちょっと話にくい話題について、どう話したらいいのか、という「会話の仕方」や知恵というものが、養成されていないだけなんじゃないかなぁ。「もめたくない」って意見は、「もめたい!」と言う大人よりも、平和的なわけで(笑)。大概、少し話にくい話題で、「もめごと」を起こす人っていうのには、共通点があるように思います。それは、「思考」ではなく、自分の価値観・倫理観に基づいた「反応」だけが行われているということです。頭の回転の速い人に多いようにも思うのですが、何か映像やら情報が入ってきたら、即座に自分の価値観・倫理観に基づいて「こんなのはダメだ!!」と、言ってしまうのです。そうなると、今度は「ダメだ」と言われた人の器量と度量が問われることになってきます。「何がダメなんだ!そんなことをいう君の方がダメだろ!!」こうなると、もめごとなんですよね。賢い若い子たちは、それを見越して「そんなことなら、最初からこの話題を避けておいた方がいい。」となるんでしょう。最終的には自分の意見というのは、どうしても自分の価値観・倫理観と繋がったものになってしまいます。ですから、極力、そのようなものを持ち出さずに会話する方法はないのか、というところに力を使った方が、もっと建設的な会話・対話ができるんじゃないかなぁ、と。そして、会話や対話から生まれた産物に対して、柔軟に対応していく練習をしていく必要があるんじゃないかなぁ。往々にして、自分の意見・考え・意図なるものは、他人にとって異なって理解・解釈されてしまいます。これは、表現をするという生物である人間であり、社会というものを創り上げる人間ならば、避けては通れない人間生活の性質です。それならば、話さない方がいいのか。それとも、別の話し方を模索した方がいいのか。・・・とりあえず、両方試してみてから、決めたらいいんじゃない?「できないこと」と「できること」。たまには、「できること」に焦点を当てて、やってみて、できなかったら、次のこと考えたらいいんじゃない?なんて、私は思っています。私自身は、「話さない」じゃなくて、「別の話し方」というものを日々模索中です。
2014.07.09
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仕事で新潟に来ております。初新潟。関西から遠いのかと思いきや、飛行機だと伊丹から1時間。(新幹線だと5、6時間かかるようです)。・・・何のことやらわかりません。時間があれば、もう少し南下して小千谷とか十日町とか、船で佐渡とかにいけるんでしょうが、今回はそんな時間ありそうにありません。しかも、雨っぽいし(ホテルからまだ出てないのでわからない・・・)。新潟といえば、お米が美味しいんですよね、確か。越後製菓やらも、新潟からだというし・・・。ということで、おかきをさっそくお土産に買いました(仕事の前に・・・)。さて、もう1日、今日も仕事して、明日関西に戻ります。新潟ってのは、南北にかなり長いんですねぇー。今夜は新潟名物を食べるか、それとも、疲れてコンビニ弁当で終わってるか・・・どっちだろう。しかも、関西に戻ったら生徒のペーパーの採点とか、他の仕事も溜まっています・・・・・・・ぎゃぁーーーー!!!!!!
2014.07.07
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母校での授業も3回目を終えた。もう、毎日家族の問題やら、自動車教習所や(免許を取ろうと、通い始めた)、何やらで全然一息がつけない。・・・母親のお守が一番大変。さて、今日、授業を欠席した学生がいました。どうやら「精神障害」があり、心身のバランスを取るのが難しいとのことでした。まず、驚いたことが、学生が私に直接、その症状などについての話をしてきた、ということです。あれ、大学の公式機関を通して、私のところに話が来るんじゃないの?どういう症状なのか、説明したうえで、「僕は、これをハンディに思いたくないので、他の人と同じように成績評価ならびに減点をしてくれてかまいません。」と、さらに自分を追い込んでいる学生さん。ううむ・・・。と思って、支援サービスなどのHPを日本の母校と私のアメリカの所属校とを比べてみると、日本のものは1.サービスを受けられる「障害」の内容があきらかではない2.サービスは基本的に身体障害を基本にしており、精神障害については言及されていない3.「障害者」が実際にどのようなサービスを受けてしかりなのか、という実践的な話よりも、障害者への偏見をなくそうという観念的な面に力が入れられている。4.どのような書類を提出したらいいのかが不明5.提出書類が事務所に行かないと得られない・・・などなど、問題がたくさん。そもそも、私が生徒の病状について聞く必要もなければ、生徒が私に病状を話す必要も、実はないはずなのです。つまり、生徒が授業においてどのような助けが必要なのか、ということを私は公的機関から言われたものを、把握しておけばいいはずなのです。恐らくその学生さんは、ほかにも色々授業を受けていて、その時に各先生方にも同じように説明しているんだろうか・・・と思うと、何か切ない気がしました。あと、私が生徒の病状について耳にするということは、もしかすると学則に反するのではないだろうか、とか。これ、私の母校には支援センターがありますが、完全にない大学もあります。心の病気とか、発達障害とか、精神障害とか、私は専門家ではないので、よくわかりませんが、学校で頑張ろうとしている生徒を応援するためにも、もう少し日本は支援センターなどのインフラを大学内で整備していった方がいいと思います。確かに理念的・観念的な話も大事だけれど、実際に生徒が大学生活を送るうえで、身体・精神障害を持った生徒が、スムーズに学問にはげめるような環境を整えてあげる、っていうのは大学内で義務化されるべきだと思うんだけどなぁ。
2014.06.27
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あんみつ先生、母校で初授業です。(とはいえ、生徒には「先生」と呼ぶなと言ってきましたが)。生徒の数はおよそ40人。普段は30人ずつ2クラスなので、少々人が多い感じでした。日本の「大学」ってのは、かなり久しぶりです。その間に世代も変わり、学生の性格・性質も変わっていることを想像しながら、ワクワクしながら行ってきました。私が、日本の先生から聞いていたのは・・・「元気がない」「覇気がない」「いわゆるいい子だけど、創造・想像力がない」「言われたことしかできない」「発言しない」「やる気がない」「男の子が特にダメ。草食系だし」・・・と、まぁ、とほほな内容です。本当にそうなのかしら?そうだとしたら、どうすればいいんだろう?アメリカだと、頼まなくても発言をしてくれる子供が多いので、どうやったら日本の生徒が手を挙げて発言するんだろうなんて、あんまり考えたことありませんでした・・・。日本の大学の「講義」では教師がだーーっとしゃべって、学生は黙って聞いているだけ、という授業が多かったと思うのですが、アメリカでは(噂ではイギリスも)、生徒が自由に手を挙げて教師に質問したりするところが見受けられます。・・・アメリカ式教育法を日本の学生に当てはめたら、どうなるんだろうか?「うまくいくわけないよ。」「まぁ、頑張って。」と、日本の先生には言われました。アメリカ式教育法というと、変ですよね。ただし、学生にもどんどん授業に参加してもらって、意見を言ってもらうっていうの、どうして「うまくいかないん」だろう・・・?もしかしたら、意見があって、いいアイデアが思い浮かんで、何か言いたい!っていう子もいるかもしれないのに。・・・ということで、初日そうそう、やってきましたよ。日本の学生が恐れるという「ディスカッション」。ただし、怖がりさんを考慮して、最初は「ペア・ディスカッション」。・・・!!!これは、驚きです。今まで、話をしたことがなかった男子と女子が頬を染めながら、一所懸命話をしているではないですか。(ここだけで、いい仕事したような気分)。折角同じクラスなのに、一度も話をしたことないまま終わるって、なんだかもったいない気がします。どうせなら、クラス全員と話す機会があれば、もっといろんな考えに触れることもできるし、(将来婚活や就活をする人の役に立つかも)実は友達から習うことって色々多いんですよね。いけるじゃん、ディスカッション。ペア・ディスカッションの後に、クラス・ディスカッションにしたら10人くらいが挙手をして色々と意見をいってくれました。・・・ほぼ全員男子。何ーー!?草食とみせかけて、実は肉食系の男子が多いのかーーーー!!?女子、完敗。一人か二人しか発言がありませんでした。状況が、私が聞いていたのと全然違うじゃないか・・・。きっと、私のおっさん度が高過ぎたから、乙女がついてこれなかったに違いない。日本に帰ってきて、なかなかいい経験をさせてもらっています。
2014.06.13
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さて、帰ってまいりました。日本。あー、暑い!気付いたら関西は梅雨入りです。関東は豪雨だったようですね。来週からは某大学で夏の間だけ教えるので、その準備に余念がありません。しばらくはアメリカから送った17個の荷物の開封と掃除に時間をとられていましたが、ようやく片付いてきました。しかし、忘れていました。私の部屋にはクーラーがないということを。30度超えの部屋。死にそうです。・・・ということで隣の部屋に避難してクーラーをつけていますが。何もしていないのに、忙しい・・・。母親の病院のつきそい。畑仕事。洗い物。洗濯。さすがに料理は母親が全部やってくれているので感謝ですが。。。自分が自分らしくいられるのが、日本の家だとこれまでずーっと思っていたのですが、実は、その役割は両親からJ氏へと移ってきたのだなぁと実感しています。思っていることをはっきりと言えるのも、こういうのあるよって、面白いことを共有できるのも、落ち込んだ時に落ち込んだわー、と正直に言えるのも、もはや親ではないんですね。私が面白いと思うことが、すでに親とは共有できなくなってしまっている!親との会話が会話じゃなくて、私が一方的に聞き役になってしまっている!親の行動範囲が近所20分以内に限られてしまっている!私がいないと、どんどん親同士で喧嘩をはじめていってしまう!・・・と、色々と両親の老いを感じてきたわけです。このままじゃ、ダメだよなぁー。しかも、私の母親の周りには、「あらぁー、あんみっちゃん、帰国したのー!?まだ独身!?あらぁ、その方がいいわよ。変な外人連れてこられるよりわー。」とかいう、少し年上の70代のマダム達がそろっています。きっとこういう方々は、万が一、外国に住むことになって自分が「外国人」となった時、現地の人に同じようなことを言われたら、刑事訴訟を起こすタイプであろうと思われます。私はJ氏のお母様にもお会いしましたが、それはそれは立派な方です。私のことを「変な外人」扱いなんかしません。J氏は日本に来たいなぁと、とても楽しみにしていて、日本が大好き、着物大好き、ご飯大好き!と、目を輝かせているのに、ゼノフォビアな人々に囲まれている私の環境を考えると、少々恥ずかしい気がします。意外と父親がJ氏のことを気に入っていて「J氏がきたら、お父さんのたこ焼を食べさせてあげたいなぁ!」なんて言っています。うちの父親には、国籍やら、そういうのはあんまり関係ないようです。さすが、都会っ子。問題は母親かぁー。。。「どうせ、離婚するのに、外国人と結婚する意味あるの?」・・・ああ、どこから始めようかしら。まともな神経だと、こういうムラ社会ではなかなか生きづらい。。。はぁー。
2014.06.08
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慌ただしく過ぎていきます。この間のブログでは、あと1週間とか言っていましたが、明日、帰国です!!ひょえぇーーー!今回は、日本に腰を据える予定で帰ってくるので、たぶん今年いっぱい、日本にいるつもりです。(J氏か私のどちらかが就職できることを、祈って!!)
2014.05.29
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先週から今週あたまにかけて、J氏のお母様のお家へと行ってきましたー。アメリカの中西部からメリーランド州まで、約10時間(休憩を入れて12時間)のロードトリップとなりました。運転のできない私のために、往復ずっと運転をし続けてくれたJ氏、ありがとう!その間、私はJ氏が寝ないように番をするのと、定期的に首やら腕やらのマッサージをするのと、コーヒーをいれてあげたり、お菓子を食べさせてあげたりと、忙しくしておりました。行きは交通渋滞のせいで13時間もかかりましたが、帰りは12時間くらいで済みました。翌日にお母様方が連れて行ってくださったレストランは、「ビストロ・プティ・ルイ」というナイスなフレンチ・レストランで、貧乏学生の私にはたいへーんありがたいお料理が色々と出てきました!!こんな雰囲気のところ。昔行った、東京のマキシムのカフェに似ていました。こるとなんたら・・・というフランスの赤ワインやら、フォアグラのテリーヌやら、弟の結婚式以来食べたことのないものがいっぱいでした(笑)。デザートは、絶対にクレーム・ブリュレ。私は、クレームブリュレには目がないので、必ずこれを頼みます。また、アナポリスというところにある歴史地区にもつれていってもらいました。ここには、海軍の学校があり、どうやらそこの生徒はかなりリッチらしく、20歳やそこらの子がビーマー(BMWのこと)を乗り回していました。海軍の学校からの出資でMITやらにいく生徒もいるとのこと。日本ではちょっと考えられないですねー。夢のようなメリーランドでの休暇が過ぎ、再び帰国準備に追われています。箱に詰めていたときに、洋服のかさばること。着物は四角形に収まるし、本当に便利です(重いけど)。年ほどの米国生活を終えて、日本に帰ります。(来年の論文提出の際にはまたアメリカに戻りますが)終の棲家をどこにするのかというのは、本当に生きていく命題でもあります。数年ごとに色々な場所を転々としている私には、定住したいという思いのほうが最近強くなってきました。日本に住みたいか。アメリカに住みたいか。はたまた別の国に住みたいか。難しい問題ですねー。
2014.05.22
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いよいよ、帰国です。7年ほどのアメリカ生活に少し休憩を入れることにしました。来年にいずれにせよ卒業予定なので、日本に帰って論文書きに専念!という感じです。やはり、両親が年老いてくると、色々と身近にいてやらないと大変なのです。勉学と両親という天秤が自分の目の前にやってくるとは、7年前には思いもよりませんでしたが、今まで勉学中心で来たので、今回は両親を優先することにしました。といっても、勉学をおろそかにするわけではなく、この機会に、勉学により一層集中できるような環境づくりを求めているわけですが。何せ、父親も母親も、それぞれ「あんみっちゃんと、じゃがいも抜きをする!玉ねぎの収穫をする!」「霊山寺のバラを観に行く!」「北陸に温泉旅行にいく!」「春日大社のまんとうろうに行く!」と、ものすごく張り切っていて、よほど私のいない生活が退屈だったのかよくわかります。とはいえ、恐らく最初の2週間ほどは大切にされるでしょうが、その後は、邪魔者扱いされるのが目に見えています(苦笑)。とりあえず、6月から少しの間、母校で教えることになります。あとのことは、ケーセラーセラー!となんとも私らしいのですが、海外帰りの人間の目の前にひょいひょいと仕事がだされるのは、もう明治の話みたいになってしまいましたね。・・・さて、J氏をどうしたものか。今、二人で日本で就職を探しているところです。そしたら、いよいようちの両親とご対面ですね(笑)。いやはや。戦時中・戦後の古い日本の考え方をひきずったままの両親と、世界で最も自由な男、J氏とが対面したら、と考えると、ちょっと面白いですねー。
2014.05.07
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昨夜、久々に母親と電話で話をした。とりあえず、伯父のことで落ち込んでいないかどうか、そろそろ落ち着いた頃じゃないかと思ったわけで。ところが意外と本人はけろっとしたもので、「あんたのおじさんはよく頑張ったと思う。」と、あっさりしていた。先日みたおじが夢枕にたった話を母親にしたのだが、ここで仰天。どうやら、実際の葬儀で、本当に湯灌が行われたそうなのだ。「年寄のくたびれたばあさんがやるんじゃなくってねぇ、それが綺麗なお姉さんがしてくれるのよ。でね、顔とかもマッサージしてくれたんかしらね・・・。こう、すーっと笑顔のような表情にしてくれて。お化粧とかもしてくれたみたいでね。びっくりしたわ。」こちらとしては、自分が夢の中で子供になったJ氏と二人で、湯灌をしたわけだから、その話を聞いてびっくりである。「お母さん!私、夢の中で伯父さんに湯灌してあげる夢みたわけよ!」と言ったら、「ああ、そう。そういうこともあるのねぇ。」と、あまりまともに相手にされなかった。どうやら来月の終わりに四十九日の法事があるらしい。私としては伯父が最後に挨拶に来てくれたようで、とても嬉しかったのだけどね。どうも、身内が減っていくというのは寂しい。姪が増えて嬉しいというのもあるが、小さい頃に遊んでもらった人たちがいなくなっていくというのは本当に寂しいものがある。その点、大叔母なんかは「私は、いつお迎えが・・・」何て言い始めてから20年以上たつけど、病院通いをしながらまだピンシャンしている。とりあえず、5月の末をめどに一旦日本に腰を落ち着けようかと実は考えている。アメリカに来てから7年半。あと1年で、こちらでの学業を終わらせる予定だけど、その前にどうも両親を日本に置いておくということに不安を感じている(もうそろそろアメリカでの生活に飽き飽きしているというのもあるけど)。日本国内にいないのに、国民年金を年にウン十万も払わないといけないってのも、なんだかなぁ・・・という気もしている。とりえあず、今年から来年にかけては日本。その後、どこに行きたいかは、また自分で決めようかなと思っている。
2014.04.26
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伯父が亡くなってからまだ3日。・・・しかし、現実は、常に前に進んでいきます。ということで、昨夜はJ氏について、墓場での調査に同行してきました。(洒落になりません・・・)。この墓場は、私が住んでいる地域でも「出る」という噂の場所です。地元の幽霊調査隊の人たちと、地元の霊媒師たちとともに調査に行ってきました。実は、この日、私の夢枕に伯父が立ったのです。なぜか子供になってしまったJ氏と一緒に、若かりし頃の伯父に湯灌をしてあげているという、何とも奇妙な夢でした。ただし、アレルギーのせいか、この夢の成果、私は昨日の朝は発熱してしまっていたのです。しかし、約束は約束ということで、調査に同行。周りの人がそんなに寒くないと言っているときに、私一人、悪寒が走り、家に帰る頃には、体が完全に冷え切って、今日は体が大変に辛い。結局、幽霊は出ませんでした。とても平和ないい墓地でした。埋葬されている方々はだいたい20世紀頭に亡くなっておられる方ばかりで、どこかからカエルの声が聴こえるわ、星がきれいに見えるわ、で、あまり怖い感じはしませんでした。あっ、J氏の興味はおばけの研究じゃなくて、幽霊調査をしている人たちの研究なので、お間違えなく(笑)。幽霊が怖いか、どうか?いやぁ、向こうが私を怖がらそうとしているのなら、怖いのかもしれません。でも、やっぱり生きている人間の悪意とかの方が怖い気がします。
2014.04.23
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昨日、母親からメールが来て、どうやら、伯父が亡くなったらしい。母親の兄にあたる人で、小さいときにはよく遊んでもらった人でもあった。私と手相が一緒ということで、「あんみっちゃんは、おじちゃんみたいに、賢くなるぞー!」と言われて、「あぁ、こりゃ駄目だな。」とか小さいときに思ったのを覚えている。この伯父さんの人生は、常に病気との闘いだった。小さいときから体が弱かったらしい。そのせいで、うちの母親は丈夫だろう、と割とほったらかしにされたような感じだが、きっと繊細な人だったに違いない。特に、ここ数年は心臓と転移性の胃癌に苦しんでいた。2、3年前に心臓のバイパス手術をしたと思ったら、今度は胃を全摘することになる・・・という。去年の12月に会った時は、体重がほぼ40キロくらいになってしまっていた。年末に経済的に苦しい思いをして無理してアルゼンチンから帰った後、日本へと帰ったのは、この伯父さんに会うという目的もあった。たった1日だったが、伯父さんの家で従妹にも会い、一緒に伯父おすすめの最近はやりのうどん屋に行き、祖父母の墓参りも一緒にした。うどん屋では半分も食べられず、一所懸命それを母親のどんぶりに移そうとしていたのを見て、従妹が「残したらいいのに!」と。もしかしたら、半分もうどんが食べられないというのを見たくなかったのかもしれない。母親は少々胸のつかえる思いで、うどんを1.5人前食べていた。寒いからお墓参り、伯父さんの分もやっとくよ、大丈夫だよ。といっても、一緒に行く!と言い張るので、私と、私の両親と伯父の3人で行ったのだが、どうにもつらかった。あと1か月半したら、日本に帰るので、それまで持っていてほしい・・・と思っていた。医者からは「正月を越せるかどうか・・・」と言われていたし、病院では手の施しようもないということで、自宅療養になっていたのだが、3か月以上も生きながらえた。その間、「京都大学に名医がいるらしい。」とか、インターネットでの名医の検索もかかさなかった。おじさんは、昔から透明感のある人で、いつ、すーっと消えてしまっても、わからないような、そんなところがあった。食が細くて、私がバリバリたべている間、いつもお箸を途中で置くような人だったので、うちの母親は祖母が亡くなってからは「おばあちゃんが、心配しているんじゃないかしら。」と常に言っていた。母親からもらったメールからは、つとめて冷静にふるまおうとしているが、少々混乱しているような母親の様子が読み取れた。恐らく、母親にとって伯父の死は、単なる肉親の死では済まされないものがあるのだろう。60代の癌による死。うちの母親も癌経験者である。今年でようやく3年が経とうとしている。化学療法などで髪の毛が抜けた後、ようやく日常が戻ってくるまでに1年近くかかった。毎日が、「今日もしかしたら再発してるんじゃないか。」というような不安との闘いである。伯父が癌になってからは、電話で話を聞いた後、伯父の心配と自分の心配を両方しないといけなかったようで、いつも落ち込んでいたようであった。「落ち着いたらメールするわ。」との連絡が来たので「弔電、打った方がいい?」と聞くと、「アメリカにいるんだから、いいんとちゃう?」アメリカにいると、伯父の葬式にも行けなければ、伯母の手伝いもできなければ、母親を支えることもできなければ・・・と、本当に何もできない。そんなことないよ、何かができるよ・・・と思いたいし、自分に言い聞かせたいところだが、そうすればするほど、自分に腹が立ち、情けなくなるのである。私にできることと言えば、6月に日本に戻ったらすぐに仏さん参りをして、墓参りをして、母親の話を聞く。。。これくらいなんじゃないかしら。
2014.04.20
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わぁーー・・・4月も半ば、過ぎちゃいましたよ・・・。アメリカの大学は、もう少しで学期末です。「えっ!?学期始まりじゃないの?」はい、日本では大学は4月に始まりますが、アメリカでは8月後半に始まります。2学期は1月から始まり、5月に終わるのです。なので、生徒のストレスレベルはマックスに達し気味です。私は学生と教師の中間なので、ストレス・レベルはすでにマックスを超えています。最近のアメリカの大学に多い傾向として、中国からの留学生の増加があげられます。夏休みになると、大学町は確実にチャイナタウンと化します(笑)。ところが、アメリカの教育とアジアの教育が同じかというと、そうではない。日本でも某科学者のOさんが、剽窃やらで色々と話題になりましたが、学生の間でも、この問題が顕著になりつつあります。剽窃というと、難しいですが「コピペ」というと、「ああー、なるほど。コピーしてペーストしただけなのね。」とわかりやすいですね。授業を教え始めてから2,3年が経ちます。以前は学期中にアメリカ人の学生が1人か2人、提出のペーパーにどこぞからコピペしたものがある!という感じでした。ところが、今学期、ペーパーのコピペは実に6件にのぼり、すべてアジアからの留学生、という結果になりました。これ、悪意がある場合もあるのですが、ほとんどの場合、悪意なしでやっちゃってるんですよね。可哀想に・・・と思うのですが、教師という立場では、情状酌量ということができないんです。学長さんとかにレポートを提出しないといけないんですが(これが、めんどくさい)、その中で情状酌量お願いします的なことは書ける。これが精一杯なんです。今朝も、コピペしてしまった中国の女の子を目の前に、「これは、どういうことかな?」と質問をすると、「論文読んでも、英語の意味がわからないから、友達にペーパーを送ってもらって、それをコピペしました。」と実に素直な答えが返ってくるではないか。「あのね、コピペはダメなんだよ。学長にレポートしないといけないんだよ。」・・・とここで、可憐な少女が目の前で泣き出すことに。「先週、身辺で色々と大変なことがあって、レポートどころじゃなくて・・・嗚咽」あきらかに、20歳やそこらの女子を泣かしている悪者は私みたいな図ができているじゃないか(汗)。「大変だったんだねぇ。そういうときはね、無理をしないで、助けてって言ったらいいんだよ。無理してレポートを先週提出しなくても、今週やればよかったんだよ。」というと、さらに涙に。ああっ!!!ここのあたりの乙女心がいまいち私にはわからん!!まぁ5分くらいで泣き止んでくれてよかった。どうしても提出しなきゃ!という切迫感のある人は、「延期してもいいですかー?」と尋ねるという簡単なことが思いつかないのね。締切に追われるよりも、締切をあまり気にしないで、いいペーパーを納得いく形で出す方が、ずっと勉強になる。それが学問なのに。それとも、今の若い子たちは、こういう世知辛い締切でギュウギュウにされているんだろうか。ペーパーを1日遅れで提出した子が真っ青な顔して、「すみません!遅れました!私のペーパー、受け取ってもらえるんでしょうか!!」とかきたとき、「うん、いいよ。なんで?」というと、ものすごくびっくりした顔をしていました。なんで、こんなに切羽詰まってるんだろう。怠けて、怠けて、ペーパーをやらない、とかいうんだったらだめだけど、一所懸命やってて、神経ギリギリのところでいっぱいいっぱいになっている子が、ペーパーを終えるのにあと5日ください、と言って来たら、もちろんあげるに決まってる。締めるところは締めて、あとはゆったり、納得いくまでやる。学問はそうじゃないと。急がして、スーパースターになろうとするよりも、ずっと実のあるものになると思うんだけどね。
2014.04.18
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ああーー!すごく忙しい!でも、アメリカはあと1か月ちょこちょこで大学は夏休みにはいりますから、もう少しの辛抱です。ドタバタドタバタしていましたのは、まず、1週間の春休み直前にJ氏のお母様たちがいらして、接待に大変だったこと(その前は病気だった)。で、春休み中に私はなんと誕生日で、さらに一つ年寄になり、春休みあけの水曜の今日は、120人の生徒の前でゲストレクチャーという、大変なスケジュールになっていたのです。120人の前で抗議するのは、実はさして苦ではありません。ただし、そのレクチャーを、ハーバード出身の私の教授が評価をしている、というそんな状態がものすごく緊張しました。焦りすぎたせいか、しょっぱなからパソコンの操作ミスで、突然スライドが「まとめ」の項目に飛んでしまい、一緒になって、私の意識も吹っ飛んでしまいそうになっていました。そもそも・・・私は、もともとピアニストになりたかったのです。でも、人前での演奏というものに耐えきれず、「それなら、人前で演奏しなくていい学者になりたい。」と思った若かりし日のあんみつは、学問の道へと突き進むようになったわけですが、・・・学者の方がピアニストよりも、公の場での発表が多すぎる!ということに気づいたのは、つい最近のことなのでした。人前で話すときに緊張したらどうしたらいいか。これは色々あると思うんですが、昔、よく「座っている人をかぼちゃと思えばいい。」とか言われました。でも、私、どうしても座っている人が、かぼちゃとは思えないんです(失礼ですしね)。「誰も自分の話を聞いてないと思ってやればいい。」とも言われたことがあります。でも、私、誰も聞いてないと思うと、よけいに話せなくなるんですよね。「なんだよ、誰も聞いてないのに、なんで話さなきゃいけないのよ。」という気になってくるんです。で、私なりの方法は、1人でいいから、何かしら私の言っていることに、うんうんと首をうなづいている人を探す。「あっ、この大勢のなかに、たった一人でも私の話に耳を傾けてくれている人がいる。」そう思い始めると、「よし、私は、この人のために頑張って話をしよう!」という気になってきます。それが3人くらい見つけられたら、もう、ラッキーです。もちろんゲストレクチャーは1時間全部英語。普段の教えているディスカッションが主体の授業と違って「講義」です。しかも、アメリカの大学教育ではどうも「生徒を楽しませねばならない!」というサービス精神を教師は出さないといけないという暗黙の決まりがあるので、声の抑揚、身振り手振り、自分の教室内での位置、など色々な要素が考慮されます。・・・授業後、先生に超細かい指摘を受け、凹むあんみつ。先生も完ぺき主義。私も完ぺき主義。完ぺき主義と完ぺき主義が話をすると・・・どんどん自分のダメさ加減が露呈され、さらに凹みます。7年アメリカにいても、英語で1時間の講義っていうのは、緊張するもんです。
2014.03.26
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このところの無理がたたったのか、この週末、完全にダウンです。咳がとまらず、喉も腫れるし、頭も痛いし・・・昨日になり声が出なくなってしまいました。最初は「フラメンコでも歌えるわー。」なんて余裕をかましていたのですが、今日になり「ごっつぁんです!」みたいな声になってしまったので、これはいかん!ということで、病院に行ってきました。結果、細菌性感染症ということで、気管支炎、咽頭炎、副鼻腔炎にかかっているとのことでした。もうすこしで耳も炎症を起こすところだよ、とお医者さんがおっしゃってました。危ない危ない。今年のアメリカの冬は厳しかったですからね。それで急に春のような陽気になったり、雪になったりが続いて、私も相当弱っていたみたいです。年ですかねー。あと少しでまた年が増えますし(苦笑)。1週間も咳が続くとか調子が悪いということは、ただの風邪がこじれてこじれて・・・ということでしょうから、早めに病院に行きましょうねー(って、あまり説得力ないですね)。ということで、アジスロマイシンという抗生物質とアレグラDという薬をもらってきました。本来は明日、教授とのミーティング、ならびに仕事があったんですけれど、思い切って休むことにしました。来週は1週間の春休み。明後日には、J氏のお母様と、そのパートナーがこちらにいらっしゃるので、早く直さなくっちゃ!
2014.03.10
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今は寒い冬ですが、夏になるとアメリカの田舎の道沿いには、たまに「Bonsai」と書いた露店が出ることがあります。(州とか地方によるかもしれませんが)また、それが、ちょっと盆栽なの?!と言いたくなるものもあれば、おっ、なかなか素敵じゃないの!?というものもあります。ただし、私には盆栽の知識はあまりないので、これはあてになりません。それから、アメリカではもう「Sushi」は完全に定着しています。あと、ラーメンと餃子と照り焼きも。ただし、日本で想像するものとは少々異なっています。日本で「寿司」というと、箱寿司だったり、てまり寿司だったり、手巻きだったり、巻きずしだったり、祭り寿司・・・などいろいろありますが、アメリカでは大概、握りか色々な巻きずしとなります。カリフォルニアロールは日本でも有名ですが、他にもレインボーだったり、ドラゴンだったり、楽しい名前がいっぱいです。そして、新しい寿司の可能性を教えてもらえたりもします。で、このほど見つけたのが、根付。http://osipovnetsuke.com/index.htmlこの方、どちらに住んでいらっしゃるのかわかりませんが、ロシアの方か、ロシア系の方ではないかと思います。根付を彫っていらっしゃり、その歴史も色々と調べておられるよう。根付の使い方まで載っています。どれもこれも素晴らしく、美しい作品ばかりです。こういうのを目にすると、己の世界の狭さに申し訳なくなる限りです。
2014.02.25
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アメリカ、中西部。暖かい日が続いております。私はと言えば、もしかしたらもう1本翻訳の仕事が入るかも。今度は、こちらの教授の本を日本語に訳すかもしれません。(ま、まだまだ先の話になりそうですが)さて、おいしそうなタイトルですが、実はこれ食べ物の話じゃないんです。最近の自分の生徒を見てて、いつも思うことの話なんです。「自分でものを考えられるような人間になりましょう!」と、中学生の時、散々学校で言われました。「わが校は自由を重んじる校風です。ですから、自分でものを考えられるようになる、真の意味での自由な人になりましょう。」と、毎週、校長やら教頭やら先生に言われ続け、同時に制服のスカートの長さは何センチ、通学靴は白の運動靴でないといけない、という、ダブルスタンダードに非常に苦しみました。「先生、自由ならば、どうして白の運動靴である必要があるんでしょうか。」という問いには、「先生たちは、靴下の色は自由にしていいと決めているんだ。文句をいうな。君は自由の意味をはき違えている。」という答えしか返ってきませんでした。「先生、靴下の色は何色でもいいのなら、靴の色も何色でもいいのではないでしょうか?赤い靴下を履いて、白い靴だなんてめでたすぎて、なんだか恥ずかしいですよ。そこまで、白の運動靴にこだわる理由を教えてください。」という問いには、「君は、生徒手帳の校則を読んだのかね?まったく、最近の子供は自由の意味をはき違えている。」と怒られてしまいました。なので、私の10代は中途半端な心のスペースだけ与えられた、中途半端なものでした。と同時に、「ああ、なるほど。大人というものは、自分が与えた選択肢のなかで、こどもが選ぶのを自由と呼ばせてるのだな。」とすぐにわかっていまい、ちょっと反抗期だった私は授業を抜け出して、保健室でビオフェルミンを食べたり、裏庭にあった古墳を見に行ったりしていました。言うならば、「イチゴ味、メロン味、チョコレート味のどれがいい?」という親の質問に対し、子供が「イチゴ味!」と答えるのを見て、「うちの子は自分でものを選ぶことができる!私は子供を自由に育てている。」と言っているようなものです。で、その3つ以外の味については、何の議論もされないわけですね。こうして育った子供たちの中には、「他の味も試してみたい!色々な味があるんでしょう!?もっと選択肢増やそうよ。」と色々と探求していく子もいますが、そのまま、本当に自分が「選択をしている。」と勘違いして大人になってしまう場合もあるわけです。きっと親から見たらいい子供なのかもしれないですが、そんな細い道を一生歩いていくんだろうか、そして、その子供もそんな風に育っていくんだろうか、と少々心配になります。着物の世界もそうですね。色々な選択肢がある。歴史的にみたら1000年以上も続いてきた衣服なわけですから、1000年分の選択肢があるわけです。いちご味どころじゃありません。それを、1960年代から1990年代の常識に限って、他の選択肢を見ている人のことを異端者扱いするのは、私の中学校の風紀の先生みたいですね。私は、たまに自分の生徒に対してもそうですが、「あなたの意見が、私の意見よりも優れていると、あなた、どのように証明するんですか?」言いたくなる時があります(笑)。私の意見が、他の人より優れているわけでもない。他人の意見が、私の意見より優れているわけでもない。だいたい、意見や考えに優劣をつけるということ自体がナンセンスなわけなんですよね。ただ、違うアイデアをもっているというだけなんですよね。でも、世の中には、いちご、メロン、チョコレート味だけが存在するわけではない、てのは多くの人が知っていた方がいいんじゃないかな、と思うんですよね。そのうえで、お互いが主張し合うんじゃなくて、譲り合って、「そういう選択肢もあったんですね。私は、それでもパイナップル味よりも、いちご味が好きです。」という方がずいぶんと建設的なように思えます。少なくとも、「あなた、いちご味じゃないじゃない!?おかしいんじゃないの!?」という人達で満たされた世の中よりも、ずっと成熟した社会になるんじゃないかな、と思っています。自分でものを考えられる人になる難しさは、選択肢を増やせば増やすほど、気付くはずなんですよね。何が自分に特定のものを選ばされているのか、という視点に気づくからです。「なんだ、今までいちご味じゃないといけない、と思っていたけど、他に力を持った人がいちご、いちごと言い続けるから、考えもせずにいちご味を選んでいたわ。」と、いつか自分の生徒が言ってくれることを待っているのです(笑)。
2014.02.22
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今日はとても春めいた1日でした。残雪はあるものの、それが溶けて川になり、つららからは滝のように水が滴り落ちる・・・そんな1日でした。ようやく翻訳の仕事の初校戻しが終わり、先生に提出する論文を大慌てで書き、現在、生徒のレポートの採点中。論文、あまりページ数が書けないまま提出したので、月曜に大目玉を食らうこと間違いなし。はぁ・・・。ま、仕方がないね!次、頑張ろう!今日は約2週間ほどJ氏と二人でためてしまった洗濯に大慌て。掃除に大慌て。買い物に大慌て。で、2人も何を話しているのかよくわからないくらいでした。J氏に至っては「コーヒーを入れてあげよう!」と、言ってくれたのはありがたいのですが、ふと見たら、スイッチが入っていませんでした。その後、二人でマドレーヌと芋けんぴをコーヒーでいただいたら、・・・疲れすぎて、居眠りしていたみたいです。こんな感じで。で、よだれたらしながら起きました。今日はお寝間着にどうしようもない姿ではなく、木綿の着物一応来ているので、写真をアップ。下にネルの半襦袢(袖は木綿)とヒートテックの襟ぐりの開いたものを着ています。着物はお気に入りの梅の模様の木綿。最初、我が家に到着した時は、カビと倉庫のにおいですごかったのですが、うどん職人のごとく手(足?)洗いし、2年も経つと、かすかな樟脳のにおいしかしない!(というか、私のクローゼット、着物の樟脳くさいので、洋服も樟脳臭い)。それに地元のコーナンで買った半纏。これが意外に暖かい。ここ最近、何してたかって、あまり記憶がないです。仕事ばかりで。でも、ふとカメラ見たら、色々やってたみたいですね。こういうしょうもないこともしてました。何をしてるかって?ドライアイスを水に入れてぶくぶく。年甲斐もなく二人とも1時間ほど、これで遊んでいました。ほかに何をしてたかというと、焼き肉食べに行ってました。金曜日に仕事を終えて、落ち込んでいる日には焼き肉です。ここで、たらふく食べて、次の日に寝たおす!というのが、とてもいいストレス解消になるようです。それと、最後に日本の実家からレスキューしてきた琉球人形。最初、大学に寄付しようかなと思っていたのですが、J氏が「ダメだよ!このお人形は僕たちと一緒に住まないとダメなんだよ!」ということで、家にいすわることになりました。この王女人形、実は母方の祖母が生前、沖縄旅行に行ったときに母親に買ってきたものです。どうやら、本当は母と祖母の二人で旅行に行く予定だったのが、何かの都合で母がいけなくなったらしく、祖母が不憫に思い、買ってきた・・・というようなものだったと思います。ところが、これ、ガラスケースのなかに入っていたし、最近「断捨離」とかいう流行の言葉を覚えた母親が人形供養に出そうとガラスケースから取り出して捨てようとしていたのでした。レスキューしてよかった。。。祖母は旅行が大好きでしたし、きっと生きていたならアメリカに来たがったんじゃないかなと思います。それに、私よりもJ氏の方が、このお人形を気に入ってしまい、「きみえさん」(祖母の名前)と呼んでいます。で、毎朝起きてリビングにやってくると、「きみえさん、おはようございます!」とご挨拶までするJ氏。(私は、してません)。ということで、この王女人形は「きみえさん」という名前までつけてもらって、私がどこぞで捨ててあるのを拾ってきた、帯のお太鼓部分のみの上にすっくと立っています。さて、今週は少しリラックスして生活を楽しむ1週間にしよう!
2014.02.17
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おっと。ブログの更新が全然できていない!それもそのはず、現在、私は3つほど違う仕事を抱えているのです。。そのうち1つがようやく昨日終わりました。これは、翻訳の頼まれ仕事で、今年出版される本の約4分の1程を担当したのですが、色々と大変でした。。。まずは、原文(英語)に間違いが多すぎる。(しかも、この本、もう英語では出版されてるんですよね・・・。)英語を日本語に直したらいいんだろ、ってそういうだけの話じゃなかったので、そこが大変。次に大変なのが文字数。英語だと3文字で言えることが、日本語だと5行くらいになる・・・そういうことあるんですよね。なので、原文の言わんとしていることを伝える+コンパクトにというのが大変。そして、校正の過程でさらに大変なことが。。。本が出るまでには、もちろん何度も校正の過程があるわけですが・・・。翻訳者が書いた文章に、編集者が手を入れて、それにまた翻訳者がチェックして直して・・・という過程になります。ところが、編集者が「直した」というところがポイントで、最初の訳の方があってたりするわけです。「貴石」という単語を使っていたら、どうやら「奇跡」と勘違いされたそうで、勝手に意味が変えられていたり・・・。「ああ、なるほど。貴石じゃ意味が通じにくいのね。じゃ、宝石と変えよう。」とまた勉強にはなるんですが、このあたりをしっかりとチェックしないといけないのが大変です。ただ出版までに充分な時間がある翻訳の仕事ならいいのですが、かなり時間がギリギリな場合は、参ります。(今回は後者)。この確認+校正作業をなんと2週間半でやってくださいと言われたので、ここのところ、それにかかりきりでした。・・・で、今から死ぬ気で論文かきです。人様にお見せできないような、お寝間着姿に、レギンズに、半纏です。ちなみに、半纏、J氏は「あったかいー!」とものすごく気にいったようで、氷点下10度の外に出るときは、セーター、半纏、ダウンのジャケットという、とても面白い恰好をしています。本当に、人に見せられない恰好なので、たまには、写真を撮れるレベルの恰好をしないと・・・と、お寝間着姿で仕事中です(汗)。
2014.02.12
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常夏のアルゼンチンを離れ、日本の年末と正月を過ごし、そして、帰ってきたアメリカ中西部。ああ、アルゼンチンでの生活が輝いて見えます・・・・。マイナス5-10度くらいのなかを歩いていると、寒いというよりも、・・・痛いです。で、忙しい。授業も先週から教え始めました。ところが、今日になって・・・「あんみつさん、あなた授業登録できていませんよ。今日中にしてください。」のお達しが。どうやらテクニカルプロブレムだったようで、登録ができていなかったようなのです。しかも手元のパソコンでは再登録ができない仕組みになっていたため、あちこちのオフィスを走り回らなければいけないことになりました。日本の政治も、大学の事務もそうですが、アメリカもわざと誰も責任をもたなくていいように、どこにいっても誰も知らないというシステムを作ってるんじゃないかと思いますね、まったく。今日は、もう心の中で「禅!禅!ぜーーーん!」と唱えて、心をなだめながら雪のふぶく中1時間以上も外を駆けずり回っていました。結局、数時間かけてたどり着いたオフィスでは、「担当者は明日まで留守です。」と言われてしまい、今日の午後は吹雪の中を早足で動き回る、という妙なエクササイズで終わってしまったと。禅!禅!禅―ーーー!!思い出しただけでも、腹が立ちますね。どうなっていたか、もう少し詳しくいうと・・・・「オンラインで登録できません、どうしたらいいですか?」の質問に「しーん・・・。」の無視のお答えが自分の学科から。その次に登録事務所で2時間も待たされたあと、「登録したいんですが・・・」のリクエストに「ここではできません。」の答えが。ここから吹雪エクササイズ。1時間。たどり着いた事務所で「すみません。ここで、登録書がもらえるときいたんですが。。。」の質問に「はい、そうなんです。そうなんですよー、そうなんですけどねぇ・・・」との答え。「えーっと、ごめんなさいね。担当者が今日は無理なんです。」がーん!「でも、学科からは今日じゃないとダメって怒られました。」というと、「えっ!?可哀想に。そんなことないんですよ。今週中にやれば、いいんですよ。」とお兄さんにやさしく言われた時点で、もう歩く気力もなくなったのでした。ということで、明日、また1からやり直しです。アメリカに来ると何もかもが機能的でスピーディーに動くと思っている人。・・・そんなことないですからね。日本のカスタムサービスとかの方がなんぼか素晴らしいですからね。
2014.01.23
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ふらふら・・・しながら、ロサンジェルスの空港でこのブログをアップしています。今回のフライトもかなりクレイジーな内容でした。まずは、関西ですがチケットが羽田発でしたので、まずは伊丹から羽田へと移動。この時点ですでにこときれそうになっていました。ラッキーなことに、偶然、アメリカの学校の同級生がいるではありませんか。彼も日本に里帰りしていたようです。このおかげで、退屈な待ち時間をだべって過ごすことができました。ビバ、友達!その後、ロサンジェルスに到着したのが夜の6時半過ぎ・・・のはずだったんですが、フライトが遅れ、その上にイミグレーションでやたらと時間がかかってしまい、かつホテルからのシャトルがなかなか来なかったため、結局ホテルに到着したのが夜の9時を回っていました。で・・・、そこからロサンジェルス在住のアルゼンチンの方にインタビュー。仕事仕事。で、ベッドに入ったのが夜中。朝5時起き・・・のはずが、緊張して結局1時間ごとに起きるということになってしまいました。昨日の教訓から、朝は早めに空港にいこう!と思い、フライトの3時間半ほど前に空港に到着しましたら・・・あれ。15分でゲートを通ってしまいましたよ。ということで、今、ものすごく暇なのです。飛行機が飛び立つまで、あと2時間45分もあります。ラッキーなことに氷点下15度を下回っていた私の住んでいるエリアは、今日から少し暖かくなるようで、気温は約0度くらい。飛行機も飛んでくれそうです。しかし、ロサンジェルスはあったかいですね。コートなしですごせます。大きな町ですし、スペイン語も通じますね!さすが、Los Angelesという名前がスペイン語だけあります。ついつい、送迎のシャトルの運転手に気づかずにスペイン語で話してしまってました。さて、あと8時間後には、久々のJ氏と再会です。そして、明日の朝一で自分の教授とミーティング。この冬休みのていたらくが露呈しそうで、今から恐れています。留学するのに、何が必要かって。お金・・・はそうですが、私みたいな貧乏人も奨学金もらったりして留学はできますから、一番必要なのは、体力かもしれませんねー!!
2014.01.09
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今日は、本当に寒い日でしたねぇ。関西も底冷えといいますか、大変寒い1日でした。本当ですと、今日は厄払いへと神社へ初詣も兼ねていくところでしたが、急きょ取りやめになってしまいました。というのも、私が体調を崩してしまったからなんです。アメリカでの貧乏暮らしが続いて数年。松阪牛のような素晴らしいお肉を口にすることがほとんどない生活。(アメリカのビーフはたまには食べますが、和牛のような感じではまったくありませんので)実家に帰って、しかも1月ともなると、素晴らしいお肉を両親が用意してくれるんですよねぇ。(ちなみに、我が家は正月の3日間は一切お肉類は食べません。4足は這いずり回るということで、魚と鶏肉のみなんです)。牛肉は4日を過ぎると登場します。もう少しで渡米ですから、生ものは避けようということで、すき焼きということになったわけです。ところが、素晴らしい霜降りのお肉なんぞは、久しく食べてなかったせいでしょうか。食後しばらくすると、腹痛です。あららー。。。年でしょうか。炊き立てのご飯と、お豆腐に、白菜のお漬物とかが美味しいと思うようになってきました。J氏に、この美味しいご飯を・・・ということで、今朝は、両親がもちを打ってくれましたし、半纏も二人分購入してくれましたし、小豆も買って、お米も持って帰って、あと、J氏の大好物のかりんとうと羊羹も鞄に詰め込んだところです。あと、団子の粉とよもぎの粉も入れました。さっさとJ氏が日本に来てくれたら、手っ取り早いんですが(笑)、そうもいかないので、日本のお正月のおすそ分けです。ちょうど1月11日にはアメリカにいますから、もっていった小豆を炊いて、お餅を入れて、J氏が大好きなおぜんざいの予定です。ここまでくると、アメリカで団子茶屋を開きたくなる勢いですねー!あんみつ茶屋でもいいですけど(笑)。ただし、現在、アメリカの私が住んでいる地域では大寒波で、学校が閉まっているくらいの寒さだそうですから、まずは無事に到着することを祈っていますー。
2014.01.06
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冷え込んできましたねー。今日はお稽古始の日でした。はい。日本で短期で習った日舞の最終日でした。(あと4日で機上の人とは、・・・おそろしいーーー!!)元旦そうそう、自分のアメリカの指導教官と日本の指導教官から仕事のメールが来たり、J氏から「来年からはクリスマスとお正月は一緒じゃないといやー!」というメールが来たり、昨年英語の勉強を見てあげた女性が「海外で仕事が決まりましたー!」というメールが来たり。今年は、最初から何やら忙しいですねー。そんなこんな言っていると、母親がひな人形をすべて捨てる!とか、沖縄の王女人形を捨てる!とか言いだすので、必死でそれをレスキューしてきました。雛壇は古くなったので捨てるとして、お人形さんだけは死守しました。王女人形は可哀想なので、アメリカに持っていくことにします。これ、祖母が母親に買ってきたお土産なんですよね・・・。どうやら生前、沖縄旅行を一緒にしようといっていたらしいのですが、どうやら母親の都合がわるく行けなかったらしいのです。それで、母に祖母がお人形さんを買ってきた、とこういうわけです。ところが、母親はこのお人形を飾ることはなく、押し入れに入れっぱなしで、結局のところスペースを取るので、捨てる!と言い始めたのです。断捨離とかいう言葉をどこで覚えたのでしょうか、「無駄なものは捨てる!」と。確かに人間の価値というものはどうも測り知れないものがありますが、私は、スペースやらというよりも、大事なものがこれにはあるんじゃないかなぁ、と思いまして。祖母が生きていたならば、きっときたがったであろうアメリカにこのお人形さんをもっていくことにしました。戦時中、祖母は3年ほど日本から離れて住んでいました。きっと平和な世の中だったら、アメリカにも行きたかったんじゃないかなぁ。なにせ、戦後すぐのど田舎で「ドーナツ」やらをおやつに作っていた祖母ですから(笑)。ということで、今年初のレスキュー(笑)。こういうすったもんだのなかで、お稽古に行ったのですが、正月ボケをしていたのか、「えーっと、どうだったかなぁー。」というところが多かったです。だけど、頑張ってさくらさくらを1曲踊れるようになりました。アメリカで披露する場があるかしら?なんて思ってはいますが、いやぁ、披露するほどの腕前では・・・という私もいます。だけど、せっかくしっかりと教えてくださったアルゼンチンの先生や、日本の先生が、「ぜひ、アメリカで踊ってください!」とおっしゃっているわけですから、その恩に報いるためにも、自主練習を繰り返して踊る場があれば、とも思うわけです。まぁ、とりあえずJ氏には1番に見せようとは思ってるんですけどね(笑)。J氏には既にたくさんお土産を持って帰っています。1つは和三盆。もう1つは羊羹。それに、着物を2着です。これは、女物なので丈がJ氏でも合いそうです。どうしてかというと、この着物、2つとも緑色なんですよね。緑色大好きのJ氏にはうってつけの着物です。男物は紺色とグレーの着物を持っているJ氏ですから、次は緑色で。母親の箪笥に入っていた男物の新古品の大島をあげようかと思ったのですが、これは父親のために嫁入りのときに持って来たらしく、サイズが小さすぎです。それに、また紺色だし。私は大叔母が残した浴衣を発見&洗濯。うちわの柄で、絞りの浴衣です。60数年前のものですが、母親は一度も袖を通したことがないとか言っているので、私のものにすることにしました!しかし、大叔母は大変な着道楽だったようで、洋服も和服もいらなくなると、すぐに母親にあげていたようです。そのおかげで、その娘の私が恩恵を受けてるんですけどね。アルゼンチンに持って行った半幅に続き、今年夏の必須アイテムゲットです!
2014.01.04
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2014年となりましたー。我が家では、30日におもちをつきまして、丸餅(白もちとあんこもち)、えびもち、砂糖餅をつきました。弟家族がきて、えびもちと砂糖餅をすべて持って行ってしまったので、現在は、丸餅しか残っていません(苦笑)。あんこもちは私が包みましたが、でかすぎ。。。何せ私にとっては7年ぶりの日本のお正月です。大掃除やら、おせちの準備やら、四国のお墓参りやら、伯父のお見舞いやらで、もう何が何やらわからないままに2014年になってしまっていました。久々の紅白も見られましたし、大満足です。ただし、わたくし、今年前厄ということですので、折角ですから、厄払いに行こうかという話も出ています。母親が「私が、着物を着せ付ける!!」とはりきっていますので、「うわぁ・・・」なんて思っていますが、これで母親の「着物アレルギー」が治るのなら、いいかなー、とも思っています。あと1週間で渡米。4日には最後の日舞のお稽古があります。今まで着てこなかった着物を空気にさらす機会ができて嬉しいなぁと思っています。なかなか会えなかったお友達とも会えるかなぁ?なんて思っていますが、まぁ、慌てずに今度の夏にしようかなぁー、と新年早々のんびりです。
2014.01.02
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今日は待ちに待った日舞の体験のお稽古に行ってきました。アルゼンチンでの最後のお稽古から約1か月もたっているので、微妙に動き方とかも忘れています(苦笑)。母親に言うと、あまりいい顔をしない。アルゼンチンやアメリカで着物を着たり、日舞をしたりというのは嬉しそうですが、日本ではやってほしくなさそうな顔。難しいもんです。で、祖母がざっくり縫った着物と半襦袢を持っていくというと「ダメ!!!!」の一言。「行くなら、せめてウールの着物を着ていきなさい。」・・・あれ、向こうで着替えなさいかと思ったら、家から着ていけですか?これは意外で驚きました。ただし母親による着せ付けでのみ、着物での外出可ということなのです(苦笑)。以前、これで大喧嘩になったことがあるので、今回は賢く賢く。確か某お師匠さんのブログでも「薄氷の上に立っている人たち」への思いやりを忘れずにとあったなぁ、と思い、とりあえず大人しく着せてもらうことにしました。で最初のおこしの時点で・・・こと切れそうになりました。「お母さん、おこしくらいは自分で着れるから、ね?ね?」と、なんとかゆるめようとしましたが、許可下りず。あまりにおこしの時点で苦しすぎるので、「お母さん、このままいくと、もう家から出られないから、もう少しゆるめよう。これじゃ、お腹壊すから。」といって、なんとか緩めてもらいましたが・・・それでもきつかった。その後の襦袢。紐でぎゅー――!!!今回は「来るぞ!」という覚悟の上「ああっ!きついわー!!」といいながら、両腕を後ろに回し、そーっと親指を日本入れておきました。セーフ!同じ調子で着物の上から紐を・・・ってときに「お、お、お母さん!待って!紐は腰骨の上!牛乳を飲むときに手をあてるところ!!」と言うと「あんた、何を言ってるの!みぞおちで締めるに決まってるでしょ!」・・・ああ、長年の謎が解けました。なぜ、私が最初に腰ひもをみぞおちで締めて、苦しいと悩んでいたかを。母親がそうやってたんですね。「おかあさん、これは要ですから。着物は腰紐1本ですから。腰紐というくらいなので、紐はせめて『腰』でお願いします。」というと、ようやく母親も「あら、そう?」と紐の位置が少し下がった。少なくとも、みぞおちは避けられた・・・・。腰骨というよりも、下腹という感じであったが、これも、親指を後ろで挟む方法でセーフ。その後、胸紐も同じ要領でセーフ。・・・で、出ました。伊達締めというやつが。ただし、この伊達締めというもの。母親のものらしく、母親も使ったことがあまりないため使い方がわかっていないらしい。で、締め方もよくわからないようなので、何か、これが必要なのか必要じゃないのか、わからないようなゆるゆるとした感じで取り付けられることになった。結果的には、これのおかげで、次の半幅のよい緩衝材となってくれたわけです。母親の結び方は最初に手を半分に折らず、そのまま巻いて行って、後で、半分に折るというやり方ですが、私は、最初に半分に折って・・・という風に確か母親から数年前に習ったので、ここで雲行きが少しあやしく。ただし、ここは母親が「半分に折ってやっていったほうが、帯が皺になりにくいんじゃない?」の一言で、私のやり方に賛同。結局、帯も締めるときに親指作戦で事なきを得ました(笑)。そして「ありがとう!」と感謝の言葉で、円満です。お稽古前に、稽古場の近くでお菓子とお茶飲んでから行ったぐらいですから、昔みたいに貧血を起こして帰ってきたなんてことがなかっただけでも、今回は大成功です。帰ってきた時に「ほら!私がしっかりと締めたから、着崩れていないわ!」と自信満々で嬉しげな母親。実は親指でゆるゆるさせ、出先のトイレでさらに少し緩めていた・・・という事実を伝えるのは、もう少し段階を得る必要がありそうです。母親とのやり取りで難しいのは、母親には「昔、着付け教室という名のつくところに通って習った!」という自負があり、この点では私よりもエキスパートだと信じているところがあるところです。私は、まったくそういうのには通っていませんし、自分が母親よりも色々知っているなんて、まったく思っていませんが、少なくともできるときは毎日普段着で着ているという経験があります。あとはインターネットが使えるというのもあります。張り合うつもりはまったくないのですが、双方が我を通すといさかいになってしまうのです。なので、今回みたいな急ぎの場合は、とりあえず母親に従って、こっそり自分用の抜け道を作っておくという方法が穏やかな感じで済みます。そうすると、後になって母親が「私は着付け教室に行ったのに、あんたの方が色々とよく知ってるのはどうして?」と聞いてくるので、「今は、インターネットで色々と情報があるのよ。それで自分が気に入ったのを選べばいいのよ。」と答えると、「今度、私にもそのユーチューブとかっていうのを教えてね。」と、まぁ、こうなるわけです。昔、母親が自分で反物から選んで仕立ててもらったというウール。若干幅が広いですが(苦笑)、それを娘が着るってなると、やはり母親としては張り切ってしまうものですよねー。それを「お母さんのやり方は違う!」なんて言って怒らせてしまうと、やっぱり何か可哀想な気がします。それよりも、母親もゆるゆると着られるような状況をコツコツと作っていくのがやっぱり大事なんじゃないかなぁ、と思っています。
2013.12.21
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昨夜、深夜1時過ぎにようやく実家に到着。北米のあの寒さと比べると、なんて温かい。気温が11度?素晴らしい!とはいえ、京都の底冷え。何かしら骨に寒さが響きます。今日は休憩をしようと思いつつ、結局気になるので、台所の掃除。重層とアルコールでピカピカにしました。(しかし、私のためにかえらく掃除を溜めこんでくれたもんです)。あの電気のスイッチの周りは、アルコールと脱脂綿ですぐに汚れがとれます。水垢やら台所はやはり重層ですね。何せ食べ物を扱う場所ですから、きつい薬剤よりも、重層のほうが安心です。・・・って、アルゼンチンからアメリカに帰って最初にしたのも掃除。日本に帰国して最初にしたのも掃除。もう少し、休憩したいんだけど。。。せめて、風邪が治ってからに・・・。ま、これだけは性格だから仕方がないですねぇ。さて、日本に帰ってくると、楽しいテレビがいっぱいあるんですが、今、関西のローカル番組で、京都・舞鶴の真綿ふとんについてやっています。想いでの着物を、真綿ふとんにする・・・というお店の紹介のようです。なるほどねぇー。着物って、直線断ちだから、ほどくと好きな四角形にできるのね。しかし、なんて贅沢なお布団なのかしら。お姫様が寝るお布団みたいです(*^_^*)嫁入りに持って行って、一生使いたいようなお布団!と思っていたら、寿命は毎日使って10年程とのこと。さすが、お姫様はケチくさいことは言わないのね。しかし、テレビに出ていた職人さんの腰の低いこと。関西のバラエティー番組ですが、紹介してくださって本当にありがたいことです、とテレビの番組に頭を下げておられました。本当に見ているこちらが、何かしら申し訳ない気分になりました。日本はこういうプライドを持った、それなのに謙虚な姿勢を崩さないすばらしい職人さんがいる、というのが国全体の財産でしょうね。後の世にも恥ずかしくない仕事をする!という気概のある仕事をするというのは、ものすごく大事なことだなぁと、ここ数年、ものすごく切に感じています。
2013.12.18
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気温が30度超えのアルゼンチンを去ったのが3日前。「太陽がギラギラして、頭痛が!!!」とか言いながら、通りを歩いていたのがまるで嘘のようです。アメリカに戻りますと、急に氷点下。しかも、私が戻ったその日は最低気温がマイナス15度ほどだったようで・・・。早速、風邪を引きました。嗚呼。。。大都会から・・・田舎の雪原へ。。。。どちらが好きかと言うと、やはり都会は私の肌には合いませんね。ただし、真夏のブエノス・アイレスは面白いことがいっぱいですし、ようやく友達もたくさんできて楽しいところでしたから、残念です。せっかく日舞も習えたのに。で、アメリカに戻ってきますと、住んでいたアパートをまた貸ししていたのですが、部屋に入るなり「カレー臭?」とJ氏と絶句。(私もJ氏も衛生ならびに掃除という点では、割と綺麗好きなのです)。一見、こぎれいに見えるんですが、何かがおかしいなぁと思っていたら、「ああっ!!!」白いベージュだったはずの台所の床が灰色に!!!ということで、アメリカに戻ってきて早々私がやったのは、歯ブラシと雑巾とブリーチ持って台所とバスルームの掃除でした。おかげで台所のタイルは白くなりました。ほっ。J氏は掃除機を3回かけて「綺麗にならないよー・・・。」としょんぼり。まぁ、仕方がないですね。「開けるな!」とかいてあった棚が空いていたり。大事なものはすべて天井裏にあげていたので、さっそく天井裏から、樟脳を入れておいた着物を下ろしたり・・・という作業の途中で・・・やってしまいました。・・・天井裏から落ちたんです。足を骨折してはいけないと思って、腕で支えたら、腕がのびのびになってしまったのと、途中で慌てて梯子につかまろうと足をひっかけたので、そこが打ち身になりました。骨が折れていないようでよかったですが、帰ってくるなり散々です(苦笑)。で、あさってには再び機上の人となり、今度は日本に戻ります。移動が激しいですねー!昨日は樟脳臭くてベッドルームで寝られない・・・ということで、リビングで寝たのですが1日経つと、あら不思議。樟脳のにおいもどこかへと行ってしまいましたので、今日はベッドの上で寝られそうです(笑)。
2013.12.14
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あー、朝から調査でお疲れ気味です。さて、約3か月半ほど続いたアルゼンチンでの調査も終了です。そう、明日の午後にはブエノス・アイレスを出て、アメリカへ合衆国へと戻るのです。J氏はようやく国へと帰ることができると大喜び。私はと言えば、正直いうと複雑な気分です。せっかく楽しくなってきたところでしたから。。。さて、その後は日本に戻り、大掃除を手伝い、1月の第2週目からはアメリカで授業です。で、6月からは日本の母校で2か月だけ教えることになりそうです。2か月だけですけどねー。気が早い私はすでにスーツケースに詰め込むのをあらかた終えました。(ついでにJ氏のスーツケースも私が詰めた)何が気が重いかと言うと、こちら南半球は真夏ですが、今から真冬の北半球へと戻ることです。どうやら私の住んでいる地域では、到着する水曜の最低気温がマイナス19度だそうで。(最高気温もマイナスらしい)。ああ・・・・。
2013.12.09
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あと5日で渡米!!ということで、調査も大詰めになってきました。バタバタしています。と言うときに、やはり気を付けなければいけないのが体調ですよねぇ。昨日、やらかしてしまいました。知り合いの素晴らしいクラリネットの名手に昼食のお招きを受けていたんです。で、喜んでJ氏と朝の11時に出かけました。手作りのピザを用意してくださって、素晴らしい飲み物やらお茶もありました。で、お皿を直すのを手伝おうと立ち上がった瞬間、急に血圧が急降下したような感じになったんですよね。立ってられなくなり、そこからご不浄にこもることに。半時間ほど籠っていると、さすがにJ氏が心配になり、何度もご不浄の前まで来ては「大丈夫?」「何がいる?」・・・そのたびに、「水・・・。」と何とかいうことができたくらいで、立てなくなりました。脳貧血みたいな状態ですかね、あれは。急性アルコール中毒かとも思ったんですが、グラスに1口か2口しか飲んでいなかったので、それはなかろうかと。やはりね、それ以前、調査で睡眠が3時間とか続いていましたから、急にどっと疲れがきたのかもしれません。最終的にJ氏が「タクシー呼んでもらおうか?それで、お家に帰ろう。」と言ってくれて、何とかタクシーで帰ってきました。それから夜の10時半まで寝たら、何とか復帰した感じです。この時ほど頼りないJ氏が頼りがいのある男に見えたときはなかった・・・!と思いきや、タクシーを降りるときになって財布を持ってきていないことに気づいたJ氏。死にかけながら私が支払いました(苦笑)。どうして、こう抜けてるんだ、こやつは。しかし、一人で歩けないところを支えてくれて、精神的に安心でした。付き合い始めた頃も、深夜に図書館で勉強していたら、気分が悪くなりご不浄から出てこれなくなったときに助け出しに来てくれました。付き合って数か月後に、耳の感染症にかかり、大きなめまいを起こした時も、ご不浄で豪快に吐いているときも、助けてくれました(あの時は、地面がスポンジみたいになった感じでした)。やはり疲れとストレスはいけませんね。ということで、今日も本来ならば休息を取りたかったんですが、お昼に某政府の方とインタビューがあり、その後夜にも調査が入っていたので、何とか頑張ってきました。夜の調査にはJ氏についてきてもらい1時間程度にしておきましたが。しかし、あの急な脳貧血みたいな感じは何だったんでしょうね。気付いたら、左の眼が痛くてよくみたら結膜結石もできているようですし、(日本帰国早々眼科に直行することになりそう)なんだか体調不良ですー。でも、あと5日。悔いのないように頑張りますー。
2013.12.05
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ああ、あとアルゼンチン生活も10日で終了です。そこから、米国へと戻り、色々な手続きをしたら、今度は日本に一時帰国です。家族・親戚に色々と病人を抱えているのもありますし、色々と年末のお掃除やらも手伝いたいですから、もう、お財布すっからかんですが、帰ります(苦笑)。さて、日舞のお稽古が終わって、ぼーっと写真なぞを眺めておりました。下の3日ほど前のブログにもあった記念写真をみて、ふと気づいたことが1つ。前列の左側二人(私を含む)は、正座をして右手を上にして組んでいますが、前列の右側二人(踊りの先生を含む)は、正座をして左手を上にして組んでいますねー!今日、言われて気付きました。別に、言い合わせて、わざとこうしたわけじゃないんですよ。自然とこうなったわけです。なぜ、こうなったかというと・・・。ふと、面白い偶然に気づきました。右側のお二人さん、もともと左利きなんですよね。で、左手が上になったんじゃないかなと思います。左側の方は、実は茶道(裏千家)のお師匠さんなんです。私は、というと小さい頃に、裏千家で茶道を習った経験ありなので、すでに、正座したら右手が上ってのが刷り込まれちゃってるみたいですね!ふとJ氏に言われるまで、気づきませんでしたー。普段やっている動きが、何気なく出てしまうっていうの、色々ありますね。例えば、バレエをやっているお嬢さんは、小さい子でも立つときに、つま先を外にして揃える癖がついている人がいます。あと、首をしゅっとのばしたり。タンゴの先生は、普段から歩くときに、膝と膝をこすりつけるようにして歩く(でも、つま先は外向き)のが癖になっているとおっしゃっていました。そして、姿勢はすごく良い方でした。これ、わざと、ていうよりも習慣とか癖に近いもんなんでしょうね。椅子の上にのると、胡坐か正座をしてしまうのは、私の癖ですが(笑)、そういう習慣がないアメリカの子はそういう動きはあんまりしませんね。ただし、テーブルの上に足を乗せる人が多くて、これには辟易しています。汚い!!・・・と思うのは日本人の感覚なんだろうか、とJ氏に聞くと、「あれは、汚いし、下品だ。」とのことでしたので、人にもよるんだろうなとも思っています。私はタンゴと日本舞踊の歩き方はちょっと違うところもありますが、似ているなぁと思うところもあります。特に、歩くときに膝がぱっかりと離れないところです。ただし急にお稽古のときだけ特別な歩き方をしようとすると変なので、普段からそのやり方で歩こうとしています。踊り大好きですからね、踊りがうまくなるためなら何でもします。これはタンゴの先生がおっしゃったことなんですよね。「踊りの時だけ普段と違っている動きをしようとするからぎくしゃくする。それなら普段の動きを踊りに近いものにしたら、違和感がなくなるはず。特に、タンゴは歩くことが基本なんだから。」あっ!なるほどー!と思ったので、それ以来、外を歩くときは、その先生がおっしゃるように膝を擦り合わせるように歩くようにしていたわけです。単純ですねー、私は(笑)。しかし、日舞とタンゴでつま先が内か外かっていうのを考えるのはめんどくさいので、普段の生活ではまっすぐにしています。日舞を始める前まではつま先を外にしていましたが、今はまっすぐにしています。というのも、これが癖になっていたようで、日舞を始めた瞬間は、回転した時も経ったときも、つま先がどうしても外を向いてしまっていたんです。先生には男踊り?といわれてましたが。たった2か月でしたが、これをお稽古場だけで直すのは大変なので、毎日歩くときに意識して、膝をつけてまっすぐまっすぐ・・・としていたら、今度はお稽古でつま先が外に向くことはあんまりなくなりました。と、思ったらもうお稽古が終わってしまったんですけどねー。何も考えずとも正座したら右手が上に来る・・・というようになれるように、次回、日舞のお稽古ができるまで、普段から歩き方だけでも意識してやっておこう、と思っています。
2013.12.01
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昨日は、米国はサンクスギビングでしたねー。感謝祭ということで、何をしているかと言うと、七面鳥を食べて、パンプキンパイや、スウィートポテトパイ食べて、酔いどれて、翌日には「ブラックフライデー」という巨大なセールで買い物をする・・・と私にはこういうイメージがあります(笑)。今年はユダヤのお祭り、ハヌカ―とサンクスギビングが同じ日であったために、「サンクスギブカー」とかいって、アメリカのユダヤ・ファミリーでは、ユダヤ料理にするか、それともサンクスギビングの料理にするか、で大騒ぎだったんじゃないかと思われます。アルゼンチンにはサンクスギビングがありませんので、別に普段通りです。私はと言うと、少々体調を崩して、ぼーっとしてます。といっても今からあと1時間半で調査にでかけないといけないんですが。さて、ぼーっとしながら眺めていましたら、よくあるんですよね。「着物を着ていたら嫌味を言われた。」とか「白い眼で見られた。」私自身はアメリカについてから着物を普段に着始めたので、別に日本の人から白い眼で見られた覚えはありません。頼まれ仕事で、盆略のデモをアメリカ人の前で英語でやってくれと頼まれたときは、いやぁ、日本人からの視線が痛かった・・・。本当はやりたくなかったんですけどね、英語で説明できる人がいないから、お願いしますと言われて。(日本の「白い眼」てのと違って、人種差別のきつい田舎では、これが命の危険をさらすことにもなりかねない、、、と考えると、日本の白い眼なんて、あまり大したもんじゃありませんねー)。で、白い眼・・・っての思い返してみたんですよね。自分の身近に白い眼を投げかけていた人はいるかしら・・って。あっ、いましたいました。ウチの母親です(笑)。今の実家ではなく、前に住んでいた家のお隣のお姐さん、週に2度ほど着物で出かけておられたんですよね。しかも夕方に。普段はお洋服で、週に2回、それも夕方から正絹の置物で出かけるお姐さん。私は中学生くらいでしたから、「へぇー!いいなぁ、着物でお出かけして。」と思っていましたが、母親は「お隣さん、いったい何をしているのかしら。夕方から着物で出かけて、夜遅くまで帰ってこない。きっとお茶の先生か、踊りの先生か、仲居の仕事か。。。新地のママかもしれん。」どれだっていいじゃないかと思うんですがね。(ていうか、新地のママがその日中に帰ってこられるとは思いませんが。。。)「主婦が夕方から正絹の着物着てどこいくのかしら。」と、もちろん外ではそんな顔を出しませんが、家では何かしら詮索し続けていたのを覚えています。基本的に他人が何を着ていて、何をしようとも、聞けもしないのに、グチグチ言うのは、本当に情けない。中学生の私は「聞いてみたらいいやないの?」と言っていましたが、「聞けるわけないやないの!ミステリーやわ!」とか言っていましたね。まぁ、悪気があって言っているわけじゃないんだと思いますね。当時、生活きちきちで、子育てして、洋服もどこぞのセールで・・・みたいなときに、綺麗な格好でお出かけするお姐さんが、うらやましかったんだと思います。1990年代は、今みたいにリサイクル着物っていうのがない時代でしたから、着物=バブル、だったんでしょうねぇ。どうやら、その感覚を引きずっている人からみたら、着物をきてお出かけ・・・となると、「うわぁ、この人何をしている人なのかしら。」みたいになっちゃうのかもしれません。おあつらえの正絹の小紋を着て、「これ、普段着ですのよ。」と言うマダムも、広い世の中にはいっぱいいますから。そういう世界もあるんだと思っておいたらいいんじゃないかと思います。ただし、そこいらに落ちていた100円くらいのウール着て、「これ、普段着ですねん。」と言う私みたいな人間も世の中にはいっぱいいる(はず)ですから、着物=バブルとかという感覚は、21世紀には時代錯誤なんだという自覚はあったほうが、世の中生きやすいように思います。これは、オーダーメイドのなんたらブランドのジャケットを羽織っているマダムもいれば、学校の先生から素敵な洋服のおさがりをもらって、やったー!と言っている私もいる、と。どちらも衣服ですし、自分に合った生き方ならば、それでいいんじゃないかと思いますね。結局上記のお姐さんは、当時40歳手前くらいで子供に恵まれずに、お花のお稽古に精を出していた、ということが後になってわかりました。私たちが引っ越す直前に、ようやくお子さんを授かったようですが、それからは、お花のお稽古にいけずに、着物を着る機会が減ってしまったようです。それを、母親は4年ほど前に知ったわけですが(偶然、スーパーで鉢合わせしたんですよねー。話の流れで着物の話題になったらしい)、理由を知った後で「着物姿が見られなくなって、残念と思ってた」とか言っていました(なんだ、実は楽しみにしてたのね)。かと思えば今度は自分の娘が、アメリカでよくわからないまま着物を着始めるし、ということで、母親自身1990年代のときに向けていた白い眼を今では向けることがなくなってきました。なにせ、21世紀ですもの。帰国した折に、着物の人をみると、「あら、あんみっちゃん、あの方着物よー。さすがに年配だけあって、貫録のある着方ねぇ。」「あのお嬢さんたち、色々面白いのつけてるわよー。でも、お母さんは、レースの衿は、どうも好きじゃないわねぇ。」。。。と、キャイキャイしています。着物=白い眼、ではなくて、自分の好みはこうだけど、他の人には他の好みがあるんだから、それはそれでよい、という風に変わったみたいです。うちの母親は、私に対しても最初はかなり辛辣な言葉を浴びせていましたからね。(頭がおかしいんじゃない、とまで言われました)。今でも、それはあります。でも、母親が捨てようとしていた祖母がざっくり縫った着物を、私が「捨てないで!」と懇願して、家で着たことがきっかけで、かなり丸くなりました、たまにメールが来ますと、「今日はストールを作りました。着物にも合うと思います。」とか書いてあります。世間でも着物を着ている人に白い眼を向ける人には、きっと何かそれに付随する記憶があるんじゃないかと思います。うちの母親の場合は、戦後の貧しかった時代、高度成長期の苦しい着物スクール、なけなしのお金をはたいて買ったはずの着物がたんすの肥やし・・・とかそういうのが積もり積もっていたんじゃないかと思います。でも、今は21世紀。私が日本で大学生をしていた頃は、リサイクル着物はまだそんなに有名じゃなくて、インターネットもあまりなくて、情報も少なかったし、着物っていうたら、うん10万、うん100万するもんだと思い込んでいました。途中で、デパートなんかで貸衣装処分市とかで着物を見るようになって、「へぇー、3000円とかで小紋が手に入るのね。」なんて気づくようになりましたが。でも、今は21世紀。今を生きる人たちは、知ろうとすれば、素敵なものが周りにあるっていうのが気付きやすい時代となったように思います。白い眼を向けてる人がいるのか、いないのかわかりませんが、(好奇の目とかはいっぱいあると思いますー)もし、面と向かって悪態をつく人がいたら、それに負けじと反抗したり、どうせわからないからと適当なことを言って無視するよりも、知り合いなら、いっそのことお茶して語り合った方がいいかもしれません(笑)。ま、これは相手にもよると思いますが。「目立ちたいんじゃない?」とかいう人には、「あなた、埋もれたいんですか?」と聞きたいところですが(笑)、これも習慣ですからね。何も考えずにTシャツきて、ジーンズ履いて外に出る人がいるように、何も考えずに着物ははおって、外に出る人もいるんだと思っておいたらいいと思います。ちなみにJ氏は、サザエさんのお父さんと同様に、アメリカでは帰宅と同時に浴衣なり冬ならばネルのお寝巻きに着替えます。私が無理矢理させているわけではなく、本人がその方が楽だからということなので。ご飯はコーヒーテーブル(座卓)で、ざぶとんみたいなクッションで食べてます。それを別に無理に日本的にしようとしているわけではなく、「あ、この方が楽だねぇ。」というだけです。ただし、アメリカでは自分が着物を着ているのをコスプレと思われないだろうか、といらん心配をしているようです。・・・単に勘違い、ならびに知らないので敬遠しているって人、多いかもしれません。インターネット上では、着物をきていて白い眼で見られた、って記事も多いかもしれませんが、白い眼で見られたことはありません、って記事も多いですから、私としては、他人が文句をいえないような、堂々とした着姿っての、憧れますねー。(堂々とした着姿っての、は着付けのルールに従った着姿という意味ではなくて、自分の生き様に胸を張っていられるような着姿という意味です)。そういう人間になれるよう、日々精進ですー。
2013.11.29
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今日は、渡米前最後の日舞のお稽古でした。まだ来週の水曜があるんですが、先生方のご都合で、来週はお休みとなったのです。ということで、今日が最後のお稽古でした。いやぁ、頑張って4時間ほど休憩いれながら、今まで習ったものや、音頭やらを踊りましたよ。そしたら、現在、何かしら膝が笑っています。あはは。あはは。最後の日だったので、記念撮影。さーて、私はどこでしょう。もちろん、Tシャツが浴衣の下から見えてる人がそうです。今日は寒かったんですー。「先生、写真取るのに、私Tシャツ見えてますねー。」というと、先生は「いいの、いいの。気にしない気にしない。」と大変おおらかでいらっしゃいます。のびのび。先生や、お教室の皆様方には、大変お世話になりました。少ない期間しかいないから、ということでお月謝を受け取ってくださらなかった先生。それから、みんなが下を向く振りなのに、あさっての方向を見ていた私に「下よ、下!」と教えてくださった、大変よくしてくださったお教室の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。また、今日はお稽古の後に、お別れ会ということで、手作りのケーキや、おいなりさんやら、クッキーをもってきてくださいました。「また、戻ってきてね。一緒に踊りましょうね!」なんて声をかけていただいて、一瞬ぐっときましたが、「そうねー、そうすればいいんだわ!」と思うと、涙が引っ込みました(笑)。皆さまとはすぐにお会いできそうな気がします。でも、ここで日舞をやめてしまうのは大変もったいないので、関西で3週間の帰国の間、初心者の私にお稽古をつけてくれそうな所を探し当てたのでさっそく来月に通う予定です。どうやら、そのお教室、着物の着方をお稽古に来ている人と、そのお友達には、「お金を取らず」に教えているようです。へー!と思いましたね。色々と敷居が高そうな世界なのに、かなりさばけた方のようです。とても楽しみにしているんです。日舞の動きは色々と面白いんですよね。それから、嫌でも踊りは動きですから、着物なり浴衣なり着て動くことにまったく抵抗もなくなるんじゃないかと思います。あと、普段はゆるゆるーっというより、すかすかーと帯を巻いていたんですが、踊りの時は若干締め気味にすることにしました。というのも、舞扇が2つ帯に差し込めるようにしないといけないので、普段のようにスカスカすぎると扇が落ちてしまうんです・・・(どれだけスカスカに巻いてたのかって話ですが)。でも、扇子が気になるというよりも、若干帯を締め気味にした方が、腰が入りやすい・・・(てのは私だけ?)ような気がするんです。結構腹筋使うんですよね。その時に、帯がしっかりしてると、踏ん張りがきくんですが、帯がスカスカすぎると、どうもうまくいかない。でも、お扇子2つも入る時点で、きつすぎて卒倒するほど締めているわけじゃないので、もしかしたら世間の皆様のゆるゆる帯は、これくらいの締め方だったのかしら、なんて思ったりもしました。それから、この浴衣を要らないといってくれた母と、この帯を要らないと言ってくれた大叔母にも感謝です。この浴衣と帯は日本からアメリカ、そしてアルゼンチンへと旅していますが、おかげさまで、素晴らしい人々との出会えました。
2013.11.28
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ソーシャルネットワークシステムてのが発達してしばらく。色々な情報がダダダーとやってくるようになりました。今朝の某SNSにおける、某プレ〇デント社が発刊している着物雑誌の発言にこういうのがありました。「夕方の帰宅ラッシュの乗り換え駅で、白を基調にした光沢のある着物姿の若い女性(20代半ばくらい?)が颯爽と歩いているのを見かけ、「あら、素敵…」と思ったのですが、ん?何かがヘン……?? 足元を見ると、素足に10cmくらいありそうなシルバーのピンヒール! びっくりして思わず声をかけそうになってしまいました^^; 草履を忘れた?のか、斬新なスタイル?なのか、あれはいったいどういうわけだったんでしょうか…??」(11月26日)基本的にはビジネス誌が中心の出版社が出してる文化系の本は、あまり気に留めないようにしています。というのも、もちろん出版社というのはほとんどが売れ行きのことを考えないといけない、というのは当たり前のことですが、ビジネス系の出版社の場合、ショッピング・カタログ的な要素がほとんどを占めていると考えているからです。やり方としては、デザイン的にも読者層に受けるようなものにし、そこに「権威」と呼ばれる人の意見を反映させて、物を売る、というのが基本であると思います。で、それを支えるものとしてSNSを使って、大量に信者を呼び込む、と。内側にいる人は、そのからくりに気づかないようにできているし、自分から率先して、そこに書いてあることを広めようとする・・・基本的にはこのからくりは、大型の商売や妙なカルト集団でも使われていますね。日本の学校教育にもこういうの使われていたりしますので、恐ろしいです。まず、着物にピンヒール、他人の服装にいちいち難くせつける、ってのを編集者がSNS信者にお手本として見せているところが、よろしくない。(しかも、めった切りにけなすのではなく、「私はけなしてないんですよー、でも、ちょっとねぇー」的な言い回しが、さらにいただけない)。「何かがヘン」ってのは、「何かが自分の見慣れた着姿と違う」に変えた方がいいと思いますし、声をかけそうになった理由も明確にすべきだと思います。「草履を忘れた?の」か・・・ってそんな風に思っているはずはないのに、わざわざ書くところもいやらしい。そして、その号の見出しが「あなたの足元見られていますよ」ですから、あくまでこのピンヒールのおねえさまの例は「悪例」「NG]として使われているわけです。色々と気に入らないところがこのSNSのメッセージにあります。他人のファッションをけなすことを、商売の材料にしているってのは、私は品がないと思います。どれだけ雑誌そのものが上品ぶっても、ここは最低のように思います。一体、他の人のファッション、あなたに一体何の関係があるの?ということです。そして、そのファッションについて本当に語り合いたいのなら、この編集者はそのおねえさんに声をかけて、コーヒーを飲みながらファッションについて語り合うべきだったと私は思います。その勇気がないのに、それを「ねぇ、みなさん、こんな変な格好してるんですよー、私たちはしないようにしましょうねぇー。」という語り口で、ものを売るなんて言語道断。大げさに聞こえるかもしれませんが、私は、着物をめぐって繰り広げられているあくどい商法と、Special Secrets Billというのが、下院を通過したという事実が、どうも切り離して考えられないんです。上記の雑誌で、「あなたの足元・・・」と、着物をあまり手にしない人に妙な不安を植え付けさせるとどうなるのか。恐らく、「じゃぁ、着物に今度はモカシンを合わせてみよう!」とか、色々なクリエイティブな発想が、抑圧されることになります。さらにめんどくさいのは、一旦こういう恐怖心を植え付けられると、お上やらメディアが言わずとも、個人個人が自分の行動を自分で制限するようになります。このような態度は、Special Secrets Billが通過してしまうと、政治・社会・文化レベルで、さらに加速するのではないかと私は感じています。政治レベルで、発言・表現が制限されるのを見せつけられた後、どれだけの人が、文化・社会レベルでクリエイティブでいられるのか・・・。このまま、のびのびした着物文化が育って行ってほしいと願ってやみません。
2013.11.26
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昨日は、アルゼンチンの日本人学校のお祭りでした。日亜学院という、とても有名な日本人学校です。私はと言うと、調査日程が翌日へと移動したので、よし!と行くことにしました。先日、日本人協会のお祭りでお会いした、かつての開拓移民であったおばあちゃまとお会いできるかしら、とひそかに期待しながらJ氏と、バスにのり半時間。天気も良く、まさにお祭り日和です。到着するとこんな感じで出店が並んでいました。わー、こんな日本のお土産物、どこから持ってきたのー!?というものばかりです。なかには、ハローキティ―の模様の炊飯器とかも売っていたりして、びっくり。焼き鳥もありました。2本で25ペソ。まあまあの値段です。おにぎりは2つで10ペソ。これは安い。ただし海苔は巻いておらず、なかにシーチキンとネギを混ぜたものが入っていました。J氏と近くに腰かけて座っていると、日本人とおぼしき中年のおじ様方が、アルゼンチンにおける同性婚について語っていました。そう、アルゼンチンは2010年あたりくらいから、同性同士の結婚が許されているのです。アメリカ合衆国では、州によって許可されているところと、いないところがありますから、それを考えると、ずいぶんとセクシャル・マイノリティーにとっては暮らしやすい世の中になったんじゃないかと思います。ただし、法的に許可されているということが、必ずしも社会的に受け入れられているとは限らないのが難しいところ。日本では同性愛というのは法的には許可されていませんし、実社会的にはあまり受け入れられているとはいえないかもしれません。しかし、ひとたび皮をめくってみると、実はあちらこちらで見られますから(歴史上のお小姓とかを含めて)、もしかすると文化的にはよく知られているので、実は思っているよりかは社会的に受け入れられているのかもしれません。あっ、話がそれました。で、開拓移民だったおばあちゃまに会えたかと言うと・・・・会えたんですぅーーー!!この写真で私はかがんでいるので、小さく見えますが、おばあちゃまは身長147センチの私よりもさらに小柄です。見えるかどうかわかりませんが、おばあちゃま達のブースでは、たくあん、ふくしんづけ、かまぼこ、それから子供用の浴衣・甚平、あと足袋ソックスなんか売っていました。「これ、もうね、持って行って。渡米するまでに食べて頂戴。」と手にふくしんづけを握らされました。いただくのは申し訳ないので、かまぼこと、酢漬けと、それから足袋ソックスを購入。その後、「お元気でいらっしゃいましたか?お変わりなく過ごしておいでですか?」と聞くと、「本当にねぇ、おかげさまでねぇ・・・色々辛いこともあるけれどねぇ」と、身の上話が始まりました。自分の農場の話やら、親戚づきあいの話、移民の話・・・1時間は話していたかも。その間、J氏はじーっと待っていてくれていて、申し訳ない!辛抱強いJ氏でよかった。戦後に地球の裏側までやってきて、子供を育てて、農場ひろげて・・・どれだけの苦労をなさったのか、想像すら及びません。もちろん、たくさん素敵なこともあったでしょうけれど、日本を離れて10年未満の私からすると、言葉の問題、習慣の違い、同じ日本から来た人たちとのつきあい、日本にいる家族の問題などなど、色々大変だったんだろうなぁと思います。私も苦労はそりゃ色々としているつもりですが、J氏に助けてもらったり、親に助けてもらったり、まぁ、マイペースで物事を進められているという点では、おばあちゃまがされた経験とは比べようもありません。インターネットもあるし、クレジットカードもあるし、私なんぞが経験しているのは、苦労のくの字にも入らないんじゃないかとも思います。まぁ、学問をする上での苦労は、もうね、これは、話し出すと少々気が滅入ってくるのでやめときますけど。おばあちゃまと、また固く抱き合って挨拶をして、さらに、頑張ろう!という気になってきました(笑)。遠い外国で、日本の言葉やら食べ物に触れると、なおさら日本が恋しくなるんですねぇ。あと3週間で渡米。そしてあと1か月足らずで日本に帰国です。もう、食べたいものリストを作成済みです!
2013.11.18
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11月になったー、と思ったらもう半分ほど過ぎているとびっくりしています。毎日叫ぶほど忙しい。1週間に1日は休憩日を作らないと体がもたないので、明日はちょっとぐっすりと寝る予定。今週は毎日朝にはインタビューを行い、午後からはさらに調査をおこなって・・・というのが続いていた。今日は日舞のお稽古でしたが、なんとなく頭がぼーっ・・・。いかんいかん。しっかりしないと。さて、翻訳の仕事も第一段階の訳はすべて終わり、今は編集者が色々と頑張っているはずです。その直後から、Tesolの英語の資格を取ろうと、オンラインで色々と試験を受けました。で、取りました。一応、英語を英語が母語ではない人に教える資格ですが、これ、役に立つのかしら。英語を教えてほしい人、過疎化の農村の学校とか、お給料くださるんなら行きます(笑)。人口増加に寄与します(笑)。もれなくネイティブスピーカーのJ氏もついてきます(笑)。・・・って、まぁ違うか。さて、あと1か月足らずでアメリカに戻ります。戻ったらすぐにお家の掃除と、それと着物の手入れをしないと。全部、箱に樟脳と一緒に入れて、天井裏に入れてきましたが・・・大丈夫かなあ。ドキドキ。で、アメリカに戻ったらそこから4日で日本に今度は帰国です。もう、お財布もマイレージも空っぽです(苦笑)。とほほ。。。
2013.11.14
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おっと、ブログをさぼりすぎました。何をしていたかと言うと、J氏が病気になるのを繰り返していたので看病をし、その後、3日間のウルグアイ旅行をし、今日は、日本バザーに行ってきたのでした。ウルグアイといっても、3月にJ氏がブエノス・アイレスへと来てくれた時に訪れた、ウルグアイの観光地、コロニアへと再び行ってきたのです。これには色々と理由があって、1つは滞在ビザの加減があってのこと。3か月までしか1か国にはいられないので、隣国に行ってきた・・・と、まぁ、こういうわけです。で、もう1つの理由は、これが私からのJ氏への誕生日プレゼントだったわけなんですよねー。一石二鳥!コロニアには「ブケブス」と呼ばれる船でいきます。高い方のチケットは1時間で着きますが、小型です。安い方のチケットは大型ですが、3時間もかかります。でも、大型の船のほうが、色々とゴージャスで好きなんですよねー。中はこんな感じです。船からの眺めは何もないラプラタ川がだーーーと広がるだけですが、コロニアに近づくと、小さな島が目に入ってきます。さて、今回も前回訪れたのと同じホテルに泊まり、同じワインバーに行くことにしました。これが突き出しのチーズ。リンゴが少し入っているのと、バルサミコがかかっています。注文したワインはこれ。アルゼンチンは「マルベックMalbec」という葡萄の種類の赤ワインが有名ですが、ウルグアイは「タナTannat」というぶどうの種類の赤ワインが有名だそうです。左から呼んでも、右から呼んでもTANNATですねぇー。で、注文したのは、これ。ドライ・チョリソ、サラミ、スプリンツ・チーズ、コロニア地方チーズ、パルメジャン、それからトマトとオレガノ入りのチーズです。夜になると、小さなランプをテーブルに置いてくれます。ふむふむと、ワインを眺めるJ氏。気を良くして、飲み過ぎたわたくし。ホテルの部屋に帰るや否や、ばタンキューでした。次の日は、ちょっとロマンチックに夕方お散歩。3年以上一緒にいると、ロマンチック?何それ、食べられるの?的な雰囲気になってしまいますが(笑)、きれいな街並みでした。しかし、コロニア、物価が高すぎです。旅行をするには、USドルを持っていくことをお勧めです。私は、今回は間違ってアルゼンチン・ペソを持って行ってしまいました。大ばか者です。コロニアのなかで、何も考えずにフラーっとはいったカフェ。カプチーノと小さなエンパナーダと呼ばれるパイを2つたのみました。お会計はこうです。カプチーノ2つ:150 x 2 = 300 pesos (U)エンパナーダ4つ:50 x 4 = 200 pesos (U)合計:500 pesos (U)ウルグアイ・ペソで500ペソ。現地ではアルゼンチン・ペソ1ペソ=ウルグアイ・ペソ2ペソで計算をしているので、私が支払ったのは$250ペソです。アルゼンチンで250ペソあると、素敵なレストランでワインとディナーを堪能できます。250ペソを公式レートでドルに直すと、約40ドル、つまり4000円になります。これを闇レートでドルに直すと約25ドル、つまり2500円になります。まぁ、私のペソは闇レートで交換したので、うっかり4000円も払うことにはならずにすんだんですが、それでも私はカプチーノ2杯と、ちっちゃなパン4つに2500円も支払ったことになるんですよねー。東京でもこの値段はありえない。ちなみに、上記のバーで支払った金額は300ペソ。ドルだと28ドルと言われました。つまりワインのボトル一本と、豪勢なおつまみで2800円。まぁ、そんなもんかといわれたら、そんなもんかという値段です。アルゼンチンで私たちが行く、大好きなバーでは、ワインをグラス1杯ずつ頼んで、生ハム入りの巨大なサラダと、大きなサンドイッチを頼んで250ペソ以下です。また、アルゼンチンでは朝食にカフェオレ、オレンジジュース、それからクロワッサン3つがついて、30ペソ・・・ということを考えますと、コロニアの物価の高さがよくわかりますねー。恐ろしや―。半年前に訪れたリーズナブルなレストランは、潰れてました(苦笑)。それから、今回訪れることを楽しみにしていたリーズナブルなコーヒー屋さんもつぶれていました(苦笑)。色々と不況なんですねぇ・・・。J氏は都会の喧騒を離れてコロニアに来られてうれしいと言っていましたが、ひそかに私はブエノス・アイレスに帰ってきてほっとしています。観光地は観光地独特のメンタリティーがありますよね。人間性があるようで、ないような。温かく迎えられたという感覚が持てる観光地と、そうじゃない観光地があると思うんですが、今回のコロニアでは、あんまり温かく迎えられたという感じがしませんでした。それに比べて、ブエノスに戻ってくると、何かしら温かく迎えられている気がしないではありません。相変わらず、人はぶっきらぼうだし、失礼な人は多いし、バスの運転は最悪だし、わがままな人も多いですが(笑)、やっぱりブエノス・アイレスは憎み切れない、面白いところです。
2013.11.02
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ようやく抱えていた翻訳の仕事が一息つきました。ほっ。10人くらいで分担した翻訳でしたが、私が担当した範囲はほぼ4分の1。残りの方々は、9人で4分の3を担当したわけですから、12分の1ずつの担当だったのね。つまり、単純計算すると、同じ締切なのに、私は他人の3倍の量を担当していたということになります。どおりでしんどかったはずだ・・・。まぁ、今後も校正がどんどん来ますでしょうが、それはまぁゆっくりやっていくとして、とりあえずほっとしています。で、せっかく仕事が終わったので、調査の合間に何かできることはないかなと、考え始めて、先行投資することにしました。いや、株とかじゃないですよ。自分に先行投資です。留学して7年。学位も1つ取り、今は2つめを取ろうとしています。でも、日本のアカデミアでは就職がない。はっきりいって、留学しようがしまいが、就職にはあんまり関係ないようです。それよりも、日本で本を出版した方がいいと言われました。これじゃぁ、留学しようっていう若い人も減りますわな。一応、アメリカで授業も教えていたりしますが、私の専攻は英語ではないんですよね。ですから、アカデミアで自分の専門の仕事がないから、英語を教えようっていっても、これまた職がないわけです。それよりも、大学で英語学とかを専攻して、英語圏に半年から1年ほど留学した経験がある人の方が、就職しやすい。これ、どういうことかというと、履歴書を出す時点で英語力・英語教育力を調べようがないからなんでしょうね。人によっては、「自分の知り合いのアメリカ人は日本に10年もいるけど、ちっとも日本語をしゃべれないぞ。」とか言いだしかねません。ただし、アメリカの大学院で英語力なくしては教えることはできないということは、周知の事実なんですけどね(苦笑)。なので、仕方がないのでTesolの資格をオンラインで取ることにしました。先行投資で約4万円ほど。まぁ、実際の授業にいくと軽く10万は超えるので、オンラインの方がいいわけです。(それに、今、アルゼンチンだし)。どういう資格なのかよくわかりませんが(笑)、ないよりかはあるほうがマシのような気もするので、合計20ユニットの120時間コースを取ってます。やる気になれば1か月で取れますとウェブサイトにはありましたが、私は今日1日で3ユニットを適当に終わらせてしまったので、やる気の人はもしかしたら1週間から10日で終わらせることができるやもしれません。調査中なので、私は1か月かけてやろうかなぁと思っています。外国語って、上手な人はすぐに上手になるんでしょうけれど、私のように少々怠惰で、あまり語学に熱意をもやしていない人間は時間がかかります。(何事もモチベーションが大事とはこういうことですね)。ただし、裏を返せば、嫌いな言語でも時間をかけりゃ、ゆっくりできるようになる、ということです。必要に迫られないとできない=必要に迫られると誰でもできるようになる。まぁ、こういうことでしょうね。しかし、このTesol、役に立つんだろうか。まぁ、無いより、持ってた方がいいんじゃないか(?)ということで。年内にこれ取って、目指せ、日本での就職(笑)。
2013.10.18
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今日はJ氏が「デート、デート」と言うので、お出かけしてきました。でも、デートが途中で調査になってしまい、最後には空気の悪さに頭が痛くなり家に戻ってきてしまいました。ちなみに、ブエノス・アイレスとはいい空気という意味なんですけどね。今じゃスモッグです。さて、12月に日本に一時帰国ということで、ここのところ「たとう紙」ばかりネットで検索しています。5月に虫干ししたんですけどね。でも、帰るチャンスがあまりないから、どうせ帰るならその時に空気にさらしてあげた方がいい着物もあるんじゃないかな、と。もし、天気のいい日が続いて乾燥した感じなら、ちょっとボロボロになってたたとう紙を変えなくちゃと思っています。なにせ、我が家では虫干しできるのは私しかいない、つまり着物をたためる人が私だけということなんですよね。。。ふぅ・・・。で、たとう紙を見るついでに、色々と「初心者用きもの」とかセットとか、お仕立て上がりとか色々目に入ってくるので、「へー」とか「ほー」とか言いながら見ています。いやぁ、可愛いのが多いですねー。現代的な模様も多い。でも、どうにも解せないのが「裄」なんです。私の手持ちの着物は大概捨てられていたような古いものばかりですから、身丈も145-150センチくらいだし、裄も59-62センチくらいなんですよね。(まぁ、私の身長が147センチという大変経済的なサイズ(苦笑)なので、色々と選べる範囲が増えてありがたいんですが)。私の母親のお古の着物だと、あの少々横に成長してしまった人に合わせて作られた着物の裄でさえ、64センチなんですよね。で、そのお古の着物を着ると、ちょっとガバガバするので、詰め気味に着ることになります(まぁ、ガバガバしたまま着てますが)。で、市販のSサイズの着物てのを見ると、身丈が155センチ(まぁ、これも現代日本じゃSサイズなんでしょうね)に、裄が65センチもあったりします。これは着づらい。いくら洗える着物でもこれは、そのままでは私にはどうも着づらそうです。なにせ私を含め「洗える」という謳い文句に弱い日本人ですから、私は着物を着たいなぁと思った時に、何を勘違いしたのかほぼMサイズに相当しようかという「洗える」ポリエステルの着物を買ったんですよね・・・。矢絣の模様なのに、なぜか広衿。で、裄が67センチ近くありました。身丈も160センチちかくあったような・・・。「洗える」=「簡単に着られる」と勘違いしてしまったんですよね。で、どんだけ頑張ってもうまく着られない。しかも、重たい。ということで、その着物は今のところ2回しか着てません(苦笑)。その着物、「安いですよ」と言われ、3万円くらいだして買ったんですが、今の私なら、「ちょっと、あなた正絹の着物が30枚は買えますよ!!」とか言ってたでしょうねー。ちょっと揚げをしておいて、縫い付けておいたら、着られそうですが、重たすぎるのがね・・・。普段着なのに重たいって、疲れますもん。洗えるその着物、いったい何回選択したかって?1回かなぁー(笑)。それ以来、「洗える」を謳っている着物よりも、裄をチェックするようになりました。裄が61センチくらいで、身丈が147センチ、袖の長さが47センチとかで、これが木綿製とかウールだったりすると「よっしゃー!」ということになります。どれだけくさい着物でも、うどん職人となれますからね(笑)。実際、3万円の洗える着物を着た回数が2回で(がっくり)、300円の汚かった木綿のその着物を着た回数は数えられないくらいです。(冬場のネル着物とかね)。もう少しでガバガバ着物で挫折して、着物を着なくなるところでした。ここでも古い着物に救われましたね。「いいじゃん、適当にやろうぜ。破れてもいいんだよ。どうせ捨てられてたんだしさ。」と笑顔で背中を押してくれる古い着物。その中のいくつかを今年の12月には綺麗にしてあげる必要があります。うわさのセルフ・ドライクリーニング、やってみようかなー。と今から、ドキドキと楽しみにしているところです。
2013.10.15
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今日は、音頭踊ってきましたー。最近気に入ってるのは、まねきねこ音頭。可愛いー。どうやらヨガクラスの主催しているパーティーか何かで、日舞とか着物とか音頭とか披露してくれと言われたそうです。なので、今日は音頭みんなで踊った後、日舞の先生が、帯の締め方をデモンストレーションしていました。今日は普段のお稽古と違うので、みなさん晴れ着です。先生は踊り用の着物を着てらっしゃいます。先生も、しっかりとみなさんに「今日皆さんにお見せしている着物は、普段着ではありません。晴れ着です。ですから、帯も普段に自分で結ぶようなものとは違って、他人の助けを借りて着ます。」と説明されておられました。どこぞのランドセルみたいな帯しょって、一人で振袖を着られるとか謳っている人たちは、このアルゼンチンの日舞の先生に弟子入りした方がよさそうです。ちゃーんと、晴れ着は晴れ着として存在していますよ。染みがついていても大事に着ておられますよー。ちょっと若い人はいないし、しかも未婚でもないけど・・・でも、こういう時でもないと、みんなが目にする機会もないだろうから・・・ということで振袖ーーー!これは、どうやら何年か前に駐在していた日本人の奥さんが、日本から持ってきて置いて行ってくれたそうな。たぶん、中古の振袖を日本で買ってきてもってきてくれたのであろうとのことですが、とてもきれいな刺繍がいっぱい入っていました。右側の着物ももともとは振袖だったそうですが、先生が袖を中に入れ込んで短くしたとおっしゃっていました。こちらもとてもかわいいです。皆さん、釘付けです。先生は男踊りを披露してくださいました。女踊りと男踊りでは、つま先の向きが違うそうです。わたしには、どうやら男踊りの方が踊りやすそうです。バレエやってた時は「かま足にならないーーー!!!」(つま先がうちにはいること)と怒られていましたが、日舞を始めると、逆なので、つま先をピコピコさせてます(笑)。しかし、嬉しいですねー。こうやって、楽しい着物がアルゼンチンの二世の方々のなかに繋がっているのは。あっ、どうやら、アルゼンチンでは西洋の布を使って、浴衣を縫っておられる人がいるみたいですよー。こういうホームページを見つけたのですが、http://www.alternativanikkei.com.ar/institucional/nota.asp?id=367アルゼンチンで日本語を押している日亜学院では、浴衣の縫い方を教えるクラスがあるみたいですねー(笑)。うーむ。面白い。ちなみに、私は12月に日本に帰国したら短期で通える日舞の教室はないか探し中です。
2013.10.11
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今日はJ氏の誕生日!でしたが、実は彼のお誕生日プレゼントには、今月末にウルグアイへのビザ更新ツアーをあげたので、今日は、ワイン飲んで、エンパナーダという肉のパイを食べて、サラミとチーズをつまみにしています。風邪からまだ回復していませんが、今日は水曜日。某所で日舞・新舞踊のお稽古っていうのんで、さっそく頑張ってきました。浴衣でいいのよー、というので、母親の似非絞りと、大叔母の半幅もっていってきました。初心者は2時からでしたが、私は1時には到着して見学。何せアルゼンチンに長くいるわけではないので、ここにいる間に沢山見ておきたかったからです。うーん、やはり何年もやってる人は上手だなぁ。で、私は、のんのっこさいさいとかいう、ふるさとさいさいという踊りや、基礎の動き方を少しと、盆踊りやら、パパイヤ鈴木の振り付けの情けションガイネを踊ってきました。これは踊っている様子。手前が先生。その次が私です。(あっ、浴衣の下にとっくりのセーター着てるのは、まぁ見なかったことにしてねー)。これが、意外に難しい。バレエやら、フラメンコやら、タンゴをやっていた私にとって、つま先が内側に向くのは、非常に難しい!!しかも、歩くときは膝と膝をつけるように・・・。ううむ。なるほどなぁ。4時間ほど踊っていましたが、浴衣、誰よりもゆるゆる着ていましたが、大丈夫でしたー。手も上げたし、飛び跳ねたりもしたんですけどね。大丈夫大丈夫。その後、1時間はみんなで着物の研究。茶道の先生もやってらっしゃるという日系二世の方が、練習用の名古屋を3つも持ってこられていたので、みんなでお太鼓結びを研究。その後、全員で帯締めの結び方を練習しました(笑)。「丸い帯締めは一番簡単で誤魔化しやすいのよー」「四角い帯締めは、ごまかしが効きにくいのよー。」「帯が短くてお太鼓つくったけど、帯締めのとこにまで届かないってときは、ハンカチ丸めて下に入れ込んだらいいのよー。」とか、色々な知恵が出てきました。「ギュッと締めなさい!」は一言もなかったし、使うのも紐だけでしたー(笑)。「ガチャって留めるのんね(恐らくこーりんのことかと思われる)、使ってた人もいるんだけど、手に入らないし、紐でいいのよ。」とのこと。うーん。ここに着た、着物やら帯たちはみんな古いけど、大事に大事に可愛がられているなぁ・・・。「この着物はね、踊りの先生にもらったからもう70歳くらいのものなのよー・」とみんなニコニコです。日本では古い着物を捨てる人が多いと聞いて、こちらの日系2世の方々は嘆いておられます。もし、捨てる着物があるなら、アルゼンチンに送ってあげた方が喜ばれていいと思うんですけどねぇー。あっ、J氏の誕生日ですが、もうそろそろワインの酔いが回ってきた頃なので、今から彼のお気に入りのホラー映画(苦笑)を一緒に見ます。
2013.10.03
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いやぁ、風邪気味が続きます。朝と夜の気温差が15度とかとなると、さすがに風邪が治りきりません。いやな季節ですねぇ。。。思うように調査も進まず・・・。さて、この週末は友人のお母さん(なんと、御年89歳)のお誕生日ということで、3日ほどJ氏と泊まりに行ってきました。住んでいるところは、ブエノス・アイレス市近郊のキルメスという町です。ここでは、アルゼンチンでも有名なキルメス・ビールが作られています。アルゼンチンで有名なものといえば・・・タンゴ、もそうですが、何と言っても牛。肉(笑)。ここでは、BBQのことを「アサード」と言い、ほぼ各家庭に「アサデーロ」というバーベキュー専用の煙突のついたかまどがあります。こんな感じ。炭をいこらせたものを置いて、その上に金網をおいて、そこに肉をのせる、とまぁそういうわけです。さてBBQで何を焼くのか。まぁ、肉はもちろんのことなのですが、こちらでは「チョリソ」という腸詰と、もう1つ「モルシージャ」という血や臓物やそのた色々入ったものも焼かれます。チョリソは焼かないといけませんが、モルシージャは焼かずとも食べられます、というのも、これはすでに調理済みのもので、BBQに置くのは単にあっためるだけのようです。左の黒いのがモルシージャ、右がチョリソです。アサード初体験のJ氏に、私の友達のAさんは、どんどん色々と薦めます。モルシージャをパンに乗せたものと、マテ茶を飲むJ氏。これで、J氏もアルゼンチン人の仲間入りです(笑)。その間、サラダをつくったり、すでにサラミやチーズを食べてワインを飲んだり・・・としていると、だんだん肉が焼けてきました。それを、切り分けて、今度はテーブル用の保温するための炭入りの器具の上に乗せます。皆さん、食べる、食べる。豚と牛があったのですが、私が気付いた時には牛肉はすでに残っておらず、豚一切れしか食べられませんでした(苦笑)。私の友人も牛肉が食べられなかったようで、えらく怒ってました(大人げないけれど可愛かった)。J氏は私が取ってあげたので、かろうじて1切れだけ牛肉を食べられたらしい。。。いやはや、生存競争が激しいですな(笑)。あまりに外が寒かったせいか、この後、ものすごく風邪をひいてしまい、ダウン中。でも、美味しかったなぁー。アルゼンチンに来たら、やはりこのアサードってのを気のおけない友人たちと味わう、てのがやはり1番楽しみです。
2013.10.01
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ぎょえぇーーーーーーーなんとも移動が激しい人生です。今まで航空券に費やした金額をかき集めると家が建ちそうですよ。。。とはいえ、家庭の事情となるとやむを得ませんね。最近、母親が少々調子が悪く病院に通っているので、やはり娘としては家に帰らないと。実に7年ぶりに日本で年末・年始を迎えることになります。クリスマスを一緒に家族と過ごそうと楽しみにしていたJ氏や、J氏ママには申し訳ないが、やはりだんだんと親も年をいきますからね。毎日スパゲッティ―でお腹を膨らます生活をしても、会える時には親に会っておかないと。昨夜は(ということは日本ではお昼頃)、母親から病院での検査待ちだというメールが入り、ついでに着物談義となりました。たまたま夜に肌寒かったので、母親が嫁入りのときに普段着として知り合いのおばさんがくれたという着物を着ていたのです。母親の背丈に合わせて、すでにあげがしてあり、紐までついてるのですが、やはり長い。ウールであろうかと思われますが、どうも、色々と面白い。これを母親にあげたのは、元芸者だったという呉服屋のおばさん。もう、お亡くなりになったんですけどね。で、このおばさんは母親に「お正月にいきなり人が訪ねてきたときに、これ着て、上からつっぱりを着といたらいい。」と言ったそうなんですよね。以前から、「やたらとこれは裄がでかいなぁ。ていうか、これ、コートみたいやん。」などと思っていたのですが、ふと、もしかしたら、これは寝正月をしてだらだらした着物をごまかすために、その上から着る着物なんじゃないか、と思い始めました。どう考えても、着物と襦袢を着た上にこれを着ると納得!というようなゴツさなのです。母親にメールで「嫁入りのときの、○○のおばさんの着物着てるでー。」というと「うれしいわー!!」と返事。「でも、丈が長いから15センチはあるブーツ履かないと外には出られへん。」というと「そんなブーツ持ってるん!?」あっ、そこがツッコミどころ?どうやらうちの母親は以外に、着物+ブーツには寛容なようです。へー、2、3年前と比べるとずいぶん寛容になったもんだ。「やっぱり、なんでも楽しんで着ないとなぁー」とまで言っていました。いやぁ、最近の母親は色々と寛容です。「ただし、見た目が綺麗なんは着物学校の人やわなぁ。振袖は一人では着られへんし。」というので、「お母さん、今から振袖一人で着る機会は、おかあさんにも、私にもないで。」というと、「そら、そうや。」昔は、母親も幼稚園の入園式や小学校の卒業式は着物で着てくれました。オレンジの色無地みたいなんを着ていたように思います。私が高校にあがると、もうお正月のウール以外は、一切着物は着ていなかったように思います。近所のおばちゃんが着物を着るのんの手伝いに駆り出されて、なぜか私まで手伝いに呼ばれたのは覚えています。(紐を母親に手渡ししていたのと、おばちゃんにお菓子をもらった)たぶん、私たち姉弟ともに私立(公立に落ちた)の学校にいってしまったので、着物を着るってのに少々気が引けてたんじゃないかと思います。当時はね、何かとまだバブルな時代でしたから、学校の親御参観でエレベーターに乗り合わせた人の周りが全員シャネルのスーツだったっていうときでした。そんななか、うちの母親は普通にそこいらで売ってる安いスーツで行ってましたねー。そしたら、たまたま乗り合わせたエレベーターに、だいたい同じくらいの家庭環境の人がいたんでしょうか、目の前にいた人と着ていたスーツが色違いでまったく一緒で、とっても恥ずかしかったという話を笑い話で聞かされた覚えがあります。特に、田舎出身の母親にとっては、弟が通った都会のど真ん中の私立高校とか、そりゃ腰を抜かしたに違いがありません。私も物があって当たり前という、何かしら勘違いした子供だったように思います。でも、全身シャネルとか、今や化石とも思える人々がうじゃうじゃといる・・・そんな時代だったんですねぇー。いや、今でも私立の学校だとそうなのかな。そう考えると、今は色々と口うるさい人はいるとしても、楽しく着物を着られるという状況ができてきているみたいで、いいかもしれませんねー。まぁ、今なら私が母親の立場だったとしたら、シャネルの間で普通にウールの着物きていきますけどね。学校参観なんだし。「やはり楽しく着ないとねー。」というのが、最近の母親の常套句。・・・母親よ、いったい、何があったんや・・・。古い着物を300円とかで拾ってきて着るよりも、こうやって母親が捨てようとしていた箪笥の中の着物を着てあげたほうが、母親は嬉しかったんだろうなぁ、と今更ながらに思っています。(でも、2、3年前は相当反対されましたが)。着物学校に行って、1970年代に相当がちがちにやられたうちの母親でも、2、3年かければ、ここまで温和になるわけですから、世の中もまだまだ捨てたわけじゃない。「こうしなきゃダメ!ああしなきゃダメ!」とか、「こんなもん着ぃひんねんから、捨てた方がスペースできてええわ!!」と母親が言っていたのに、反発して大げんかしたこともありました。でも、それより無言で、毎日少しでも着物着てるとこみせたり、祖母が作った超適当着物を羽織ってダラダラ家のなかを歩いた方が、訴えかけられるものがあったんでしょうねぇ。私が着物を着始めたのは、楽しい、興味がある、可愛いとかいうファッションとは別のところで、何かしら両親との間のわだかまりを少しずつ解きたかったというのがあります。世代間のコミュニケーションというよりも、もっと個人的なレベルです。言葉ってのは、なかなか難しくても、誰かが残したものってのは、その人たちの言葉にしなかった思いっていうのが見える、聞こえるようになっているもんですから、「今日は、お母さんが嫁入りのときの、○○おばさんがくれた着物着てたよ。」それだけで、十分のようです。さて、12月に日本に帰ったら、奈良の麻の機織りするところの見学したりとか、新春着物初売りセール行ったりとか、神戸の南京町歩いたりとか、(墓参りは無理かなぁー)楽しいことがいっぱいです!
2013.09.10
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ああ、もう9月も1週間が経ってしまいました!ブエノス・アイレスに来てから2週間と少しです。昨夜からこちらは大雨に嵐。何かしらよく眠れなかったような・・。あまり調査は進んでいるようで、進んでいないようで・・・なのは、実は、調査と同時並行である書籍の翻訳の仕事をしてるからなんです。まぁ、私一人がやっているのではなく、分担して仕事をしてるので、100ページほどですが、これが割と大変。何が大変かというと、まず、、、1.色々と英語と日本語で、表記の規則が違う。たとえば、英語だと本の名前とかはイタリック体にするんですが、日本語だと『』で表します。英語だと論文とかは""何ですが、日本だと「」になります。で、日本語だと歌とか音楽のタイトルだと《》でそろえるようにと言われます。英語だと、歌のタイトルなら""で、おっきなオペラのタイトルとかならイタリック体です。2.冗談は訳せるんだろうか・・・日本語にも色々言葉遊びってありますよねー。古文だと、「浮世」が「憂き世」だったり。色々な縁語もでてきますよね。「袖を濡らす」っていうと、袖を洗面器につけるわけじゃなくて、「涙を流す」ってことだったり。英語にもそういうのが沢山あります。特に、学術書ではなくて、いわゆる「コーヒーテーブルブック」と呼ばれる、学術的なものに関わっていない人が楽しみで読むような本には、こういうのがいっぱいです。(なぜか、日本の出版社は学術書を出版したがりませんが、コーヒーテーブルブックの類はあふれかえってますね)。例えば、「メルティングポット」てのは、英語でも日本語でもよく「色々な人種が混じった場所」というような意味でつかわれますが、これってもともと鉄を溶かす高熱の「るつぼ」って意味ですね。これに関連して英語では「鉄」とか「金属」みたいな言葉を比ゆ的につかったりして、国際的な様子をあらわしたりするんですが、これを日本語に訳すとさっぱり意味がわからない文章になります。で、意味が通じるように訳すと、著者がやろうとしてたちょっと面白い感じの言い方やニュアンスがまったく伝わらない。3.平易な文章って?ここ数年、私が書いている文章は、ほとんど英語ですが、翻訳の時には「学術的ではなく平易な文章でお願いします。」と言われています。これは一般読者層を想定してのことだそうです。でも「平易な文章」ってどういうのを言うんでしょうね?例えば「純然たる」「純粋な」「まさしく」みたいな語があったとしたら、「純然たる」は「平易ではない」ということになります。・・・で、一般読者層を想像してみるわけです。少なくとも、私が翻訳している本を手にするであろうという人たちを想像してみます。これに関しては色々と難しい問題がでてきます。「こんな言葉遣いは一般人にはわからないんだから、もっと簡単に書いてください。」的な態度で出版社が「平易な文章」というのだったら、私は、あまり気が進まないなぁと思うんです。北斗の拳のラ王の台詞は、恐らくまったくもって「平易」ではないですが、ラ王の雰囲気をよく出しているし、小さい子供でも意味が通じると思うんですよね。「こんな言葉づかいでは、読者があんまり興味をそそられないだろうから、工夫してみてください。」だったら、わかるんですけどね。だから、この文章の雰囲気、この章の内容だったら「純然たる」の方がかっこいいなぁと思って使っても、これは「平易ではないから没。《純粋》なに変えてください」となるわけです。でも、「純然たる」と「純粋な」を比べたときの日本語でのインパクト、と原文の英語で使われている様子を考えると、言葉の表面だけを見て「平易だから」と「純粋な」を自動的に選ぶってのが難しいということもあるんですよね。「純粋な」、といったときに、「これぞ、まさしく!」っていうびっくりマーク付きのインパクトがでない(笑)。・・・と、こういうところに、こだわり続けるので、翻訳の下訳(とりあえず意味が通じるレベル)は、さらさらーーっとできたとしても、その後の日本語へのこだわりで、時間が異常にかかってしまう。きっと、世の中で翻訳を仕事としている人は、このあたりのセンスが抜群にいいのだろうなぁと、想像しています。今後、本屋さんに並んでいる本をみて、「○○訳」の文字をみたら、たとえ「うわぁー、この本、翻訳丸出しー。」という印象を受けたとしても、きっと印刷される前の十数か月、この人は、めちゃくちゃ苦しんだんだろうなぁと、心の隅で思っ手置こうと思います(笑)。ま、翻訳家業を「プロの仕事」としている人は、クォリティーが高くて当たり前なんですけどね。私のように「プロの仕事」とはしていないのに、たまたま英語が少しできるというだけで雇われ仕事となると、読む人は誰も「貧乏学生のアルバイト」としては読まないわけですから、頑張らないと(汗)。ということで、調査と仕事の両方でクタクタ、というのを言いたかっただけなんですけどねー(笑)。
2013.09.08
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今日は少々暖かい日でした。最高気温も13度。・・・ということは、日本はそろそろ涼しくなってきているのじゃないかなぁ。この週末あたりは最高気温が19度近くまであがるとのこと。・・・あら、ものすごい冬のコートを持ってきてしまった私はどうすれば・・・。さて、今日は久々の知り合いにお会いしてきました。日本人の方です。アルゼンチンにきて61年目の大将!南洋生まれの沖縄の戦災孤児だった方ですが、もうかれこれ知り合って13年にもなります。「お前、はやく子供産まないとおばあさんになるよ!」と毎年怒られています(笑)。現在、アルゼンチンはインフレが大変なことになっています。2000年代前半の経済危機以前は、無謀に1ペソ=1ドルだったアルゼンチン。現在、公式レートでは1ドル5.6ペソくらいになっています。つまり、価値は5分の1。ところが物価も同様にあがっています。というのは、闇のレートでは1ドルは現在9ペソ。倍ほど違うんですねー。空港なんかで両替をすると1ドル4.7ペソくらいですが、闇で替えると1ドル9ペソ。スーパーで売っているものをみたときに200ペソとか書いてあると「これは5000円くらいなんだろうか。それとも2000円くらいなのだろうか。」と、悩んでしまいます。闇のレートとかいうと恐ろしげですが、目抜き通りを歩いていると「カンビオ、カンビオ」(両替両替)と叫んでるおっさんが山ほどいます。でも、誰もつかまっていません。警官がいてても叫んでます。ただし、アルゼンチンに不慣れな旅行客は「カンビオ」おじさんにはついてかないことをお勧めしますね。着いてから5日ほど経ちましたが、日常をセットアップするので今週末までかかりそうです。先日、J氏と私が前から気になっていたバーに行ってきました。こんなサンドイッチを食べましたよ。これは、生ハムとブリー・チーズとドライトマトが入ったものです。J氏はこんなの食べてました。野菜がいっぱいで美味しかった。日曜は何かいいものがないか、日曜市へと出かけました。(ちょっとは楽しいことしないと、J氏も面白くないだろうからね)ちょっと見づらいかなぁー。いろいろなクラフトが出ています。なにせ治安があるので、スリにあわないためにも、写真を撮るのはおっかなびっくりなのです(笑)。あからさまに観光客です、という顔をしておりますと、南米では集団スリにあいます。いくら背の高いJ氏でも、集団でこられると怖いですもんねーー。私も怖いですー。なので、写真を撮るときは警察官の隣で撮るか(笑)、1秒以内にさささーーーっと写真を撮るか、という感じです。今回の調査、実は某出版社から英語の翻訳の仕事を抱えながらの調査なのです。まぁ95頁くらいなんですけどね。普段、スペイン語を使って、J氏と英語しゃべって、仕事で英語を日本語に翻訳して・・っての、結構きつかったりします(苦笑)。それに、日常のセットアップして、J氏と自分の分の洗濯を手でして(洗濯機がない)、自分の調査関係の文章を教授に送らないといけなかったり。ああ。。。「洗濯屋にいこうよ。」という私に、「いいんだよ、僕は君の手洗いのシャツに文句なんてないんだよ。」と気を使っていうJ氏。いや、あの毎日うどん職人するよりも小銭を支払った方が・・・効率が・・・。それともなんだ、私の手洗いがいいのか?(こやつはとっかえひっかえ毎日Tシャツを着替えるなあ。わたしゃ、もう1週間も同じジーンズだぜ?)という心の声はおいといて、洗濯は面白いので、私は実は好きなんですよ。これが着物だともっと面白いんですがー。洗濯しても都会のごみごみとした排気ガスいっぱいの空気に布をさらすのは、なにか布がかわいそうな気がします。なので、部屋干し。冬だし、暖房あるし。部屋が乾燥するのを防いでくれますしね。しかし、忙しいなぁ。どうせ、貧乏なら、暇なしよりも、暇があったほうがいいよなぁーー。
2013.08.28
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