<電力各社も銀行も(所有権が国にはない)民間企業のはず>
前回の続き、企業のSRI(Socially responsible investment=社会的責任投資)、すなわち企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)の状況を考慮して行う投資について言及する前に、前回と今回の間に起きた不思議な政治の“無茶ぶり”に触れたいと思います。
それは枝野官房長官が「東電を支援する前提として、銀行に既存債権の放棄を要請する」と発言されたものです。恐らく、多くのほとんどの市場関係者があんぐりと口を開けたと思います。それはもちろん感心したからではなく、呆気にとられたからです。ただ、事前に何の調整もなく、わずか記者会見の40分前に中部電力に通告し、「浜岡原子力発電所の原子炉全停止を中部電力に要請した」という“無茶ぶり”をされる内閣総理大臣を擁する政府の官房長官ですから、流れとしてはさもありなんとは思いましたが、内容はとんでもない話だと言わざるを得ません。
何故なら民間企業の経営の根幹にかかわる部分をあたかも思いつきで言われているかのように右に左に振り回そうというのですから。
長く野党(批判と批評さえしていれば良い)に居た政党出身のため、その要職者の発言がどれだけ重いのかを理解していないのか、或いは法律と言う社会の根源的なルールを理解していないのかとしか思えません。これを「政治主導」というのならば、正にファッショだと言われてもおかしくないでしょう。本人達は「要請しただけで判断は民間に任せた」と責任逃れをしていますが、政府の要請を断ったらその後にどんな意趣返しをされるか解ったもんじゃありませんからね。
中部電力は慌てて臨時取締役会を2度にわたって開催し、そしてその要請を飲みました。取締役会とは企業の所有者である株主にその運営を委嘱されている取締役が揃って、会社の経営方針などを決定する場です。中部電力はその要請を飲みましたが、この決定による損失が株主利益の追求によるものではないという理由で、今後同社株主の議論を呼ぶ可能性はあります。
意図的に株主利益の逸失を図ったとされたら、経営陣は背任行為として処断され、損害賠償の請求を受ける可能性だってあり得ます。株主、すなわち所有者が国だったのならば、全然問題はありませんが…。誤解なきように申し上げておきますが、浜岡原発を停止したこと自体の是非を論じているわけではありません。問題はその意思決定プロセスにあります。
<銀行にも債権放棄を要請>
枝野官房長官が言われた「国が東京電力の補償を支援するためには、銀行が債権放棄をすることが大前提となる」という発想は何がどう考えたら生じるのか理解に苦しみます。もし東京電力が実際に債務超過になって倒産したのならば債権放棄は止むを得ないかも知れません。ただ破産法の法律家に聞くまでもなく、その場合でも管財人を選定し、会社の清算価値を分析し、処分できるものは処分し、或いは売却できるものは売却するといった順序があります。
その結果残った資産を東京電力に債権を持つ人達が、その法律で定められた債権の弁済順位に従って受け取り幕を下ろすというのが、通常の法治国家の中で会社が破綻した時の処理の基本です。首相官邸から「おまえとおまえは債権放棄、おまえとおまえは保護する」なんて決定が下されることはあり得ません。
もしその会社が社会的に重要であるとか、再生の可能性があるとするならば、管財人を中心に債権者との話し合いが行われ、やはり同様な資産査定などを経て放棄させる債権は放棄し、そして会社を更生させるというやり方が普通の常識のはずです。少なくともこの段階で企業の所有者である株主の利益は優先順位としては最後になります。
にも関わらず、東京電力が倒産もしていない段階で銀行に債権放棄を要請(実質的には命令に等しい)するというのは、やはり法治国家としてはあり得ないやり方だと言わざるを得ません。この場合も銀行の所有者が国だったらば話は別ですが…。
<銀行株主はもっと政府に怒るべき>
枝野官房長官がこの発言をされたことを受けて銀行株は急落しました。すなわち、銀行の所有者である銀行株主の財産は毀損したのです。米国ならば間違いなく訴訟を起こされるでしょう。一方で「個人投資家が多い東京電力の株主は保護する」と一度言ってしまっている以上、そう簡単に前言は撤回しないでしょうから東京電力は保護されます。しかし、そのつけを「銀行に債権放棄を要請」という形で回すことで、銀行の株主の利益は損なわれました。本来、どちらに責めがあるのでしょうか?
「国民的な理解が得られない」という発言がありましたが、理解が得られるか得られないかといった何の議論もなく、官房長官の空想だけで唐突にこうした発言をされるあたりは、やはり中部電力の浜岡原子力発電所の停止を要請したのと同じ感覚です。これでは少なくとも原子力発電所を所有する電力会社へ融資を行っている金融機関の株式への投資など、今後安心してできません。
少なくとも、財務諸表分析を精緻に行って、当該銀行の保有する債権分類などを調べて、投資をすると言った株式投資の王道理論は、この国においては完全に破綻したと言って良いでしょう。いつ「国家要請」で突然債権放棄をさせられるか解らない企業の財務諸表分析など何の意味もないからです。
<東京電力の今後>
東京電力の2011年3月期決算が20日に発表になりました。案の定、同社は2012年3月期決算の見通しを発表できないばかりか、終わった期の決算に織り込めたのは福島原子力発電所の廃炉に関わる(現時点で解る)費用だけで、補償費用は含まれていません。大きく毀損としたとは言え、2011年3月末の同社自己資本(純資産)は1兆5,581億円残っています。つまり現時点において、同社は債務超過にはなっておらず、この時点で銀行に当然にしてというスタンスで債権放棄を求めるのは難しいです。
ただ一方で、同社は12年3月期に社債と長期借入金の返済に7,500億円、復旧費用や燃料費を合わせると総額2兆円余りの資金が必要ですが、原子力発電を火力発電に切り替えることによる燃料費アップで単年度ベースでの営業利益が計上できない可能性が高まっています。この状態では外部から資金調達をしない限り、資金繰りがショートし破綻します。
しかしすでに従来のような社債発行による調達方法は(クレジット低下により)事実上不可能であり、銀行借り入れができるか否かに掛かっているというのがリアルな現状ですが、政府からはすでに銀行に債権放棄の要請がある段階で、どうやって銀行は今後東京電力に融資を行うのでしょうか?
更には債権放棄をさせられて、実損(焦げ付き)を計上させられるとしたら、どういう理由を株主に説明して“盗人に追い銭”とも言える追加融資を行うのでしょうか? 現実には枝野官房長官のあの発言でその道は閉ざされたとも言えるのです。何度も言いますが、東京電力もそうならば、銀行も民間企業、その所有者は株主であり、国ではありません。
因みに、2011年3月末の同社自己資本(純資産)は1兆5,581億円、補償費用がこれ以上になれば、その段階で同社の債務超過転落は確定です。補償範囲の特定ができなければその後も損失は膨らみ続けます。この問題をどう解決するかには、思いつきではない、また当然のことながら従来の“ポピュリズム”とか“ばら撒き”などと批判されている姿勢とは違うスタンスでの議論を政治に期待しないとなりません。
何せこの国の公的債務の残高は、すでに対GDP比率でみて、世界で一番悪い状況にまで震災前で、すでに3月11日以前の段階で到達しているのですから。つまり収入対比、最も借金が多い国なのです。
<SRIについて考える>
SRI、すなわち企業の社会的責任の状況を考慮して行う投資と銘打った何本ものファンドが東京電力株を保有していました。そしてこの下落過程でその株式を売り切ったファンドもあります。さて、この件については皆さんどう考えられますか?現政府(少なくとも選挙結果で国民のコンセンサスとして選ばれた政府)がその公共性や株主に個人投資家が多いことに鑑みて、銀行に債権放棄を要請し、その補償責任については「どこまでも国が面倒を見る」とまで首相に言わしめているような、そんな重要なビジネスを行っている会社こそ、本来は社会的責任が高いと言うべきなのではないでしょうか?ここまでの論調で私が現政府のやり方をおかしいと思っていることはご理解頂けると思い、相当な皮肉交じりな言い方ですが、「社会的責任が高い企業を株主として応援する」というのがSRIの真骨頂ならば、それらのファンドは保有する東京電力株を始めとする原子力発電所をもつ電力会社の株を売却して売り逃げるどころか、今こそ残りの現金ポジションを総動員してでもそれらを買い入れるべきではないのでしょうか?株式投資をなぜ行うのかと問われた時、「儲けたいから」と言うことならば、今回の原子力発電所事故の混乱の中で、一目散に売り逃げるのは“是”だと思います。しかし、そうではない違う大義を掲げて設定されているファンドならば、やはりその大義に従うべきなのではないでしょうか? 「民主主義の資本主義経済国家」が「独裁政治の統制経済国家」かと揶揄されるような“無茶ぶり”をさせてまでも維持しようとされる会社こそ、SRIに適した企業と言えるのではないかとも思います。
<銀行株主はもっと政府に怒るべき>
恐らく、この震災後の期間において、多くの機関投資家の間で「東京電力株を保有し続けるかどうか」というのは色々と喧々諤々の議論が繰り広げられたことと思います。もしかすると前述のような議論もあったかも知れません。しかし、結局は多くの機関投資家が売却したのではないでしょうか?
それはパフォーマンスをあげるという至上命題があるからです。では、そのパフォーマンスとはとなると、結局は大義ではなくて、儲けなんですよね。ベンチマークより良いか悪いか、或いは絶対収益を追求したかどうかの差はありますが、SRIなどといった大義は余り斟酌されていないでしょう。
でもSRIのファンド、当初はどうして東京電力株を買ったのでしょうか? 「原子力発電という二酸化炭素を排出しないクリーン・エネルギーを作ることに邁進しているから」と考えたのではないでしょうか? つまり原子力発電肯定派だったのだと思います。東京電力が尾瀬の大地主で、その湿原の自然環境を守っているからなどということは二の次だったと思います。すなわち、一番のビジネスの根幹である原子力発電を“是”として投資判断をしたはずです。
今回、それが不幸にして破壊され、まだ終息の目途も経ちません。そこで「原子力発電はクリーン・エネルギーではなく、最悪のエネルギーだった」といきなり宗旨替えをされたのでしょうか? 或いは、事故発生後からの対応を責めているのでしょうか?でもそれでは余りに節操が無い気がします。ましてやその後のコーポレートガバナンスを否定しているのならば、何をかいわんやです。だとしたら結局は、株主として企業を所有して応援するというスタンスではなく、能書きは良いからとにかく儲かる銘柄を探す、というのと大差ないと思います。
今回の東京電力株を巡る多くの流れは、運用会社の投資哲学とその実際を確認するのにたくさんの材料を提供してくれたと思います。これを機会に「なぜ株式投資をするのか?」ということをもう一度考え直して頂けたらと思います。因みに私の答えは前回の冒頭に申し上げた通りです。
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CEO兼最高運用責任者 大島和隆
(楽天マネーニュース[株・投資]第97号 2011年5月27日発行より) ==========================================================