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沙絵子さんCalendar
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あれ、私、これ買ったっけ?と忘れた頃になって山中恒氏の「頭の先と足の先」という児童書の古本が届いた。
なぜ古本がというと、これはもう絶版なので、古本として手に入れるしかなかったからだ。
これを読んだのは小学校六年生の時だから、41年も前である。
山中恒は「ぼくがぼくであること」が児童書として売れ、有名になっていた。
山中恒氏は今でいう「毒母」のようなものをたくさん書いていて、ストーリーはテンポがよく、それこそハラハラドキドキして読んだものだ。
「頭の先」は片足が不自由な少年が主人公で、今なら差別用語として、絶対使ってはいけない言葉が連発されており、ストーリーとしては面白いのだが、多分、それで絶版なのだろう。
戦後のまだ多くの国民が豊かとは言いがたい生活を送っていた頃、この少年は生まれた。ここにも「毒母」登場なのだが、他の作品と違って、この少年の母は息子を溺愛するあまり、過干渉となっていた。足が不自由なのが不憫で、助けてやろうという母心なのだが、少年は高学年になって自立しようとしている。足のことでからかわれてもいいから、自分で解決したいのに母親がしゃしゃり出てくるから、友達ができそうになってもぶち壊されてばかりいる。何しろ、この母、高学年になっても息子の遠足に付き添うと言って聞かない。少年は何とか母親を撒こうとし、すったもんだしている。
当時、6年生だった私はこの少年の気持ちに共感しすぎて、何とかならないものかと気を揉みながら読んでいた。なんて嫌な母親!過干渉な母親というのは本当にこどもにとって迷惑なのである。幼稚園のころと思春期のころとの区別ができないのだ。
41年ぶりに読んでみた感想としては、やはり6年生のときと違う。この母親を哀れに思う気持ちが湧いた。当時は全然そんな気持ちになれなかったから、私もそれなりに人生経験を積んだということか。
この母親は多分、知的にもグレーゾーン。だから小さいときと大きくなってからの区別がつかず、自分が嫌がられていることにも気付けない。盲目的に息子を愛している。
こんなふうな読後感を持つとは意外だった。少年の自立したい気持ちは今でもよくわかるのだが。
私は二十歳の時に引っ越しをしたのだが、ある日帰宅すると愛読書だった児童文学がすべてなくなっていた。
「図書館に寄附してきたから。あんたは二十歳なんだから、こども時代の本なんて必要ない」
ちょ、ちょっと、私には思い出のつまった愛蔵書だったんだぞー。山中恒もそうだし、赤毛のアンもムーミンもメアリー・ポピンズも、二十歳になったって捨てられるもんじゃない。
そんなことを言ったって読書習慣のない母には理解できなかったし、必要ないの一点張り。
買い直すのにその後どれだけ金を使ったか。諦めた児童書も多かったけれど。
そんな中で絶版の憂き目に合う本も多かったからこうして還暦過ぎても時々、アマゾン中古で買い直してしまうのだ。今は図書館が身近なので、昔読んだ本を借りては感激しているけれど、本というのはいつでも手に取れる位置にある方が本当は楽しいのである。積ん読にもつながるが。
この小説はもちろんフィクションだからその後の少年の成長は読むことができない。きっと立派に自立しただろうと読者は想像を膨らませるだけだ。障害を扱った児童文学はそんなに多くはなかったので、私の心にかなり響いた。
20代、飲み歩きの遊び人と化していた私はやたらにいろんな人と知り合い、なぜかめったに恋愛に発展することなく、友達がどんどん増えていった。
その中で印象的だった青年がいる。彼は大工さんで、顔はなかなかのイケメンだった。彼は当初、私の友人を目当てにナンパしてきたわけだが、友人が相手にしなかったので、仕方なく私と悪友関係を続けていた。
数人でボーリングに行ったことがある。仲間はその人の地元の同級生たちがメインで、野郎共ばかりではつまらないからと私も誘われた。
その時、足の不自由な人も参加していた。やはりボーリングはバランスが取れないとうまく投げられないから、その人はガーターを連発した。驚いたことに、その人がガーターを出すたびに、大工さんもその友達も笑顔で大拍手する。私は呆気に取られた。ちっともばかにしている風情ではなく、足の不自由なこともひっくるめて、彼らはこども時代から善き友人であり、ありのままを受け止めて冗談を言い合っていた。私はちょっと軽いやつだと思っていたその大工さんを改めて見直した。私はいい友達を持ったのだ。それは「頭の先と足の先」で、描かれていた、たとえハンディがあっても遠巻きに見るのでなく、本気でありのままを受け止めた友達付き合いを始めたあの少年の未来形だったのである。
が、しかし、男と女の友情は続けるのが難しい。相手に恋人ができたり、こちらも結婚したりなどしているうちに付き合いにくくなっていった。自分達は友達だと思っていても、若い恋人はやはりいい気持ちがしないものなのである。お互いに遠慮しているうちに切れてしまった男友達は多かったなあ。あまりそういうことを気にしない外国人の方が、それこそ、ジェンダーフリーで今でも連絡を取り合うくらいだ。残念ながら、各国に散らばってしまったため、SNSでしか連絡は取れませんけどね。
そんなことを、いろいろ考えさせられた児童文学でした。
今の時代はジェンダーフリーも進んできたし、娘は一応、結婚後も男友達とたまに飲みに行ったりしている。いいことだ。まあ、婿さんがどう思うのか、ばか親の私はちょっと気にしてますけれどね。
児童文学からジェンダーフリーまで話がいってしまい…え?ジェンダーフリーの視点が違う?
まあ、いいじゃん。
私は20代の頃が人生で一番楽しかったので、60代も楽しもうと必死になっている。年は取っても好奇心は止まらない。