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父の状態は、薬の服用であっという間に落ち着いてきました入院して1ヶ月で退院冷静な父が戻っていました思ったより早く退院し穏やかな表情の父を見て良かった。。。心から安心しましたでもその安心はほんの束の間のことでした退院して半月もたたないうちに今度は一転父の顔から表情が消え失せ父は鬱状態になっていきました薬が効きすぎているんじゃないか?薬の服用を中止したい薬を変更したい色々な訴えを病院側にしたもののまだ、治療は始まったばかりの段階。結局、主治医の治療を信じて父が元気になることを願うしか私にはできませんでした◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私が父と最後に話したのは父が亡くなる十日前です父は、とにかく体と心が辛いということを言っていました一日の中でもどうしようもないくらい気持ちの浮き沈みが激しく自分で感情のコントロールができないことに苦しんでいました気持ちが沈んだ時衝動的に死にたくなることがあり紐や長いものを見ると自殺してしまうんじゃないかとこわい。。。父は、頭を抱えながら私に話しました父は、躁の時より ずっと冷静でした死ぬことに、必死で抵抗していました本当の自分に戻りたかったんだと思います生きたかったんだと思います本当にこのままの治療でいいのか?自分の病気は治るのか?父は私に苦しい表情で聞いてきました今が一番辛い時だから…治療すれば今より必ず良くなるから…私は、最悪を避けるためにも入院して治療したらどうかと父に言いました。入院すれば、死ぬことは避けられる良くなるはずそう思っていました。また、1ヶ月もすれば良くなって退院できる、と。。。翌日、父は入院しました。正直、この時の入院ではとりあえず最悪の事態は避けられたと、安心しましたそれから、十日。。。父は首に電気コードを巻いて病院内で亡くなりました。。。。持ち物に制限の厳しい精神科なぜ、そんな物があるの?自殺を防ぐために入院したのになぜ、そんなことになるの?なんで?。。。。なんで?。。。。亡くなる30分前父はまた死にたくなってきたと、看護師さんに訴えています母の携帯にも電話してどうにかしてほしいと…父は、助けを求めていました病院は、いったい何をしていた?父をしっかり見ていて欲しかった守って欲しかった紳士的な方だったのでそんなことをするとは思わなかったそんな言い訳に悲しさを通り越して憤りを感じました父の死は 病院の管理体制の甘さが招いた結果だと思いますだけど、私は入院するように言ってしまったことをずっと、後悔しています。。。。もっと良い選択肢があったんじゃないか…私のせいで死んだんじゃないか…もう、どれだけ思ったところで父はかえってきませんただ霊安室で見た父の顔は眠っているような、綺麗な顔でした久しぶりに見る穏やかな顔でしたやっと、苦しみから解放されて安心したような顔でしたそれは救いです◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇父の死これが父の運命だったのだと…最近、そんなふうに納得させようとしている自分がいますでも。。。先日友人を亡くしました白血病でした病気が分かって、あっという間に。。亡くなった彼女には六歳と三歳の子供がいます私は、自分が思い通りにならなくて苦しかった時期順風満帆に見えた彼女を羨ましい。。。正直、そう思ったこともありました。だけど、いま彼女は亡くなってしまった三十代前半の、若すぎる死・・・・ときに、運命は残酷ですね。。。運命…そんな一言で、わりきれないですやっぱり。。。。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今年一年、必死で過ごしました。。。疲れた一年でした。。。だけど、娘が産まれてきてくれ日に日に大きくなる娘を見ていると疲れた心は、少しずつ癒されています娘が、父の生まれ変わり。。。ふ、と そんなことを思うときがあります年明けには我が家にやってくる娘。大切に、大切に育てていきたいです来年も、しっかり生きたいですねここまで読んでくださった方ありがとうございます今年のうちに吐き出せて良かったです皆さまにとっても、来年がいい年になりますように。。。
2012.12.31
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今年もとうとう終わりますね今年一年を振り返ると本当に大変な一年でした去年の今頃、一年後の自分がこんなふうになっているなんて…想像すらできませんでした一年という時間。すごいですね。。。。。こんなに波乱な一年はこれまでに無かったと思います子宮頸癌になった4年前…あの年以上に、今年はたくさんの涙があった一年でした大切な人の死。妊娠、入院、娘の誕生。濃い、深い 一年でした。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇6月11日。妊娠10週。この日の検診で 、お腹の赤ちゃんの出産予定日が分かりました1月13日この日は、父の誕生日やっと、やっと授かった命の出産予定日が父の誕生日と同じだったことになにか ふしぎな「縁」みたいなものを感じた私。それと同時に、大丈夫!!!そんな直感を、なんの根拠もなしに感じたのを記憶していますトラケ後の妊娠。出血やつわり、高熱…とトラブルも多く、今回の妊娠は最初からヒヤヒヤの連続で不安だらけだったにもかかわらずなぜか何があっても絶対にこの子は無事に産まれてくる!!これまでに感じたことのない強い「確信」に近いような感覚もあった気がしますそんな、6月11日……。父が 亡くなりました父は人生を自らの手で終わりにしてしまいました。。。。思いがけない 父の死正直、半年以上たった今も受け入れられないでいる自分がいます ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇3人きょうだいの末っ子で子供の頃からお父さん子だった私。大人になってからも よく一緒にお酒を飲んだり、食事をしたりしながら父親として、人生の先輩としてよきアドバイスをもらったりもしていました。私が子宮頸癌になった時もそうでした。癌と分かってから子宮を残す可能性はないかと必死で探す毎日。。。子宮温存の手術、トラケ。やっと見つけた希望もまだまだ国内での出産数は少なく手術している病院も少なかった当時多くの医師にとって、それは非現実的な話だったようです例え温存できたとしても、子供を授かるかどうかなんて分からないリスクも高い子供を産むことだけにこだわって命をおとしていたら元も子もない子供がいないわけじゃないのに温存は諦めた方がいい病気になったんだから、仕方がない…そんな医師の言葉に傷ついて。。。だけど私は可能性があるのに、諦めるということができませんでしたどうしても。温存したい気持ち子供を産みたいという気持ちでも、残すことのリスク、恐怖。絶対に死にたくない全摘。。。温存。。。標準治療に従うのか自分が信じる行きたい道を進むのか…怖くて 一歩が踏み出せないでいる私を理解し、応援し背中を押してくれた、父家族の理解と支えがあったから今の私がいて今の結果があるんですよね。。。ここまで乗り越えてこれたのは家族がいたから。その一人である父の死を悲しい。。。その一言では表現できません何より、父の人生がそんなかたちで終わってしまったことが悔しいですそして、自分を責める気持ちが消えません◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私が子宮頸癌になった年あの年も、大変な一年でした私の病気姉の子供の障がい母の入院父の脳梗塞…父は後々、あの年のことを振りかえってやっぱり、あの時 一番辛かったのは私が癌になったことだった…と語ってくれたことがありました。ほんとに、心配かけたんですね。。。あの年、いろいろなことが重なって心身共にストレスがあったんだと思います父自身も脳梗塞になりました幸い、この時は後遺症もなく1ヶ月の入院で、元気に退院し良かった。。。とそれから約3年間趣味の家庭菜園や卓球、カラオケいろんな人達と楽しく関わり父は自分のやりたいことをして充実した生活を送っていましたそんな父に私が異変を感じたのはちょうど今から一年前になりますどちらかというと父は物静かで穏やかなタイプ時々天然なところもあって面白いことが好きな人でしたそれが何だかよく話すようになり異常にテンションも高いへんに正義感に満ち溢れていてとても気が大きくなっていましたはじめは、よくしゃべるし元気だな~そんな程度にしか思っていなかったんですが日に日に 父の様子は異常さを増していきましたやたら活動的になり、よく話しでも、その話の内容が支離滅裂で以前の父の性格からすると考えられない言動や行動が目立ち始めました脳梗塞の前兆?何かがおかしい私たちの説得で何とかなるんじゃないか父自身が自分の異常さに少しは気づいてくれるんじゃないか元に戻るんじゃないか私は何度も父と話しましたが言葉が父に届くことはありませんでしたむしろ父の状態は悪くなり早く、どうにかしなくちゃ。。。父の人格が壊れていくことに私は強い危機感を覚えました娘の私が言うのもなんですが父は人から嫌われるタイプではありませんいわゆる、いい人今まで何十年父が誠実に生きてきた結果だと思いますそれが、ほんの短期間のうちに父の本来の姿が無くなり人格が壊れ他人とのトラブルも多くなってきて…変な人。おかしい人。そんなふうに父が他人から思われることだけは避けたかった…これまでの父が築いてきた人としての価値を人生の後半で、下げたくなかった…◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇父は「躁」に侵されていましたまさか。。。でした。。。。。自分が癌になった時と同じくらいなんで?どうして? って。父には一番、縁のない病気私は、そう思っていました後になって分かったことですが脳梗塞の後、二、三割の確率で鬱や躁などになるそうです。脳梗塞の後遺症もなく元気に充実した生活を送っていたのに…三年もたっているのに…でも脳内では、少しずつ何かが変化していたんですねいつから。。。もっと早く気づいてあげれば。。。どうしようもないくらい胸がいたかったです。躁病の恐ろしさと躁病患者の家族がいかに、いかに 大変か。。。。この苦しさを父が病気になって、初めて知りました藁にもすがる思いで精神科の先生に相談にいった結果できる限り早く入院させた方がいいということでした。病気という自覚のない躁病患者を入院させることはとても、大変です。。。。家族の決断と勇気が必要です。。。入院当日は兄と姉にも来てもらい父をなかば騙すようなかたちで何とか病院へ連れて行くことができましたしばらくは一人部屋での治療一人部屋と言うと響きはいいですが実際は「独房」のような部屋でしたまさに、監禁状態。。。外から鍵がかけられ、あるのはトイレと布団のみ。治療のためとはいえ、その部屋へ父を入れなければいけない例えようのない、罪悪感でした。。。抵抗する父の腕を抱え数人の男性看護師さんと兄がその部屋へ父を入れました兄は泣いていました。。。後にも先にも、兄が涙を見せたのはこの時だけです葬式の時でさえ、泣かなかった。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2012.12.31
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1ヶ月検診に行ってきました~♪久々にH先生にも再会☆いつものようにニコニコ顔で先生も元気そうでしたー(*^^*)外来で見ると癒される顔なのよねぇ~入院中は そんなふうに思う余裕はなかったけど(笑)「外の世界はイイですかぁ?」と言うことも相変わらずでした(^^;「もちろん最高ですっ!!!」と、私も勢いよく返答。そりゃ、そうよ~あんな恐ろしい毎日から比べればね。退院してから、あっという間に1ヶ月たちましたよ(^-^)入院生活は地獄のように長かったのに外の世界に出てからは毎日が早ーいです!これやらなきゃ、あれやらなきゃと、しなくちゃいけないことが多いのに何だか要領が悪くて。。。出産後って、どうしてこんなに要領が悪くなるのかしら…頭がホントにまわらない~結局、目の前のことしかできず(>_.._
2012.12.13
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