MORITA in Cyberland

PR

Profile

mrtk@jp

mrtk@jp

Archives

August , 2025
July , 2025
January 22, 2007
XML
テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: よしなしごと
ベルリンの壁の話
戦争とは何か、戦後責任とは何か、ということも、
ドイツに来る時の宿題にしてきたことなので、今回はちょっと重く戦争の話です。

 - - 殺 す な - - 

ドイツでの、ホロコースト関連の展示を見て、強く思ったのは

名も無き死者などいないのだ

ということでした。

ホロコースト関連の施設では、ナチスの行為によって失われた命に対し、その「死者/行方不明者」の名前を洗い出し、その経歴までデータベース化して、「 誰が殺されたのか 」ということを明確にしようという努力が行われています。

これに対し、日本では(靖国などで、戦争で散った兵士の名前は明らかにする努力をしていますが)、「 誰を殺したのか

その例として、「 南京大虐殺はなかったのか 」という話をしましょう。

 - - 殺 す な - - 

戦争という行為は、人を殺す行為です。

「南京大虐殺はなかった」という言葉は、
とんでもなく誤ったイメージを喚起する可能性を孕んでいます。

 南京は日本軍によって占領されたのです。
 その過程で、戦争行為があり、少なくとも兵士は多く殺されたのです。

「南京大虐殺論争」の論点は、あくまで、南京で行われた行為が
「虐殺」と呼べるかどうか、その規模はどれくらいであったのか、
という点にのみあり、上記2点の史実は、否定できるものではありません。

おそらく、この点について勘違いしている(させられている)人が、


そこに「 人殺し 」はあったのです。
殺された人-それが兵士であれ-はいたのです。

兵士であろうと、なかろうと、全ての死者には、親があり、友がおり、
愛する人がおり、あるいは子供が、兄弟がいたかも知れない。

 - - 殺 す な - - 




中国兵だって、日本兵を殺している

と開き直るのは勝手です。

しかし、問題の本質はそこにはない。

南京大虐殺否定論者は、「 民間の人間を殺したと言うが、彼ら彼女らは民間人を装った兵士なのであり、銃を持って、日本兵に襲いかかってきていたのだ。それを殺して何が悪い。それは虐殺ではなく、正しい戦争行為だ。 」という言い方をします。

もう一度書きましょう。
虐殺であろうがなかろうが、そこに「人殺し」はあったのです。

彼ら自身の言い方が正しければ、なおのこと、多くの「 兵士と思われる普通の人達 」が殺された、いや、はっきり言えば、「 日本軍の侵略から自分達の命を、生活を守ろうとしたレジスタンス 」が殺された、日本人が殺した、ということです。

確かに、それは「虐殺」ではなく「戦争行為」なのかもしれない。
しかし、「 戦争行為だったから 」と言って、胸を張って開き直れる話ではないはずです。

 - - 殺 す な - - 

それぞれの死者には、親があり、友がおり、
愛する人がおり、あるいは子供が、兄弟がいたかも知れない。

逆に言えば、子供を、友を、愛する人を、親を、兄弟を殺された人々がいる。

そのことを忘れてはいけない。

自分の子供を、友を、愛する人を、親を、兄弟を殺されて、
戦争行為だったら、仕方ないよね。
と、言える自信がありますか?
戦争行為だったから、仕方ないんだ。
と言われて、納得できますか?

 - - 殺 す な - - 

何度も言いますが、名も無き死者などいないのです。

何万人であろうが、何百万人であろうが、南京で戦争行為があり、
たくさんの兵士を含む人々が殺されたことは、事実なのです。

中国側の怒りの背景に(政治カードとしての側面も無いとは言いませんが)
この「殺されたこと」に対する、心の底からの怒りがあることを無視するのは、
あまりにも想像力の欠如した行為だと、言わざるをえません。

 - - 殺 す な - - 

「南京大虐殺論争」の中では、ともすると、「 何人殺された
いや、その数字は多い/少ない 」という議論になってしまいます。

というより、この論争の論点がそこにあるのですが、死者を「数」で騙ること自体、
死者に対する冒涜なのだ、ということを、ドイツに来て、強く思うようになりました。

「何百万人」であろうと「何万人」であろうと、死者を数字で述べる時、
誰が殺されたのか 」という視点があまりにも欠けています。

ドイツではその「誰が殺されたのか」ということに真摯に取り組んでいます。
「死者/行方不明者」のリストを詳細に作り上げることで、
彼らに対する哀悼の意を示しています。

あまりに困難な作業であることは容易に想像がつきますが、
時間とお金をかけて、事実を洗い出すことで、「事実」に向き合っている。

それに比べると、日本も中国も、「人の命」というものを、
あまりにも軽く扱ってきたのではないか、という気がしてなりません。

 - - 殺 す な - - 

戦争や災害の規模を、我々は「死者の数」で考えてしまいがちです。

しかし、そこには、その「死者の数」以上の、親の、友の、愛する人の、
子供の、兄弟の悲しみがあり、遣る瀬無さがある。

右の頬を打たれて、左の頬を差し出せるのは、
本当に強い人だけに出来る行為なのだと思います。
遣る瀬無い思いのやり場を、怒りの矛先を、探してしまうのが、人間の弱さです。

それに対して、頬を打った側が、左の頬を差し出せと要求するのは、
心無い行為なのだ、と私は思います。

 - - 殺 す な - - 

戦後60年も過ぎ、政治体制上の問題などもあって、
今から「事実」を検証するのはとても困難なことでしょう。

しかし、単なる「歴史解釈」の問題で時間を費やすよりは、
実際の「事実」をきちんと検証することこそが、
死者に対する、本当の弔いなのだと私は思います。

そして、あわせて、戦争によって人の命が失われることがないよう、
平和への努力をつづけることも。

=====
 ※ 今回ラインとして使用した「 殺すな 」は、ベトナム戦争時に
    岡本太郎先生が反戦運動で使われた標語からの引用です。
 ※ wikiの関連ページ:「 南京大虐殺 」「 南京大虐殺論争





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  February 28, 2007 09:45:17 PM
コメント(10) | コメントを書く
[よしなしごと] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Comments

RonaldBus@ Transforming your landscape with gorgeous blue stone slabs. Understanding the Benefits of Choosing …
mrtk@jp @ Re[1]:本と共に~「ぼくらはそれでも肉を食う」(06/19) >そらねこさん コメントありがとうござ…
そらねこ@ Re:本と共に~「ぼくらはそれでも肉を食う」(06/19) はじめまして。本の題名につられてお邪魔…
浅葱斑@ 心のハレっていいですよね? こんにちは。 誕生日の暦から今の自分、未…
I read your post and wished I'd wrtietn it@ I read your post and I read your post and wished I'd wr…

Favorite Blog

ロシア生活2004-2012 koshka0467さん
 eco-blog 環境エン… 拓也@エコブログさん
Chobi's Garden chobi-rinさん
紺洲堂の文化的生活 紺洲堂主人さん
mypo MihO in Berlinさん

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: