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2008.12.14
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カテゴリ: 父母の歩んだ道
真冬日が続き、雪も20cm近く降り積もり・・・根雪になりそうな気配???ワン公の散歩も寒くたいへんだけど・・・犬は大喜び~♪

父母から聞いた開墾話は、今回で8話に成りますが・・・あと20~30回でまとめようと思います!!!

山奥の開墾生活は昭和26年春まで続けていたが・・・旧海軍航空隊の跡地(美幌町田中)で耕作可能な土地を安く払い下げて貰うことが出来今の現住所に引っ越してきた!農地も10ヘクタールと倍の広さになり本格的な農業経営の始まりだった・・・

山奥での開墾生活は5年に及ぶが「掘っ立て小屋」には水道も風呂も無く、沢の小川から水をくみ出し生活用水にしていた・・・夏は水浴び、冬は湯を沸かしタオルで体をふくだけ・・・
山奥の「掘っ立て小屋」・・・ここで5年近く開墾生活が続く・・・

そんなある日、開拓仲間のkさんの子供(5~6歳?)が母のところにやって来て「風呂が沸いているから入りに来なヨ!」とぶっきらぼうに誘いに・・・それからkさん家族との付き合いが始った・・・

kさんは3人家族で家には風呂があり、父母はたびたびお邪魔するようになり出身も関西なので気も合い、親戚以上の仲になっていった・・・その男子の名は「昭成」通称テルちゃんと
呼んでいた・・・!

十数年後、父母は「テルちゃん」の嫁さんを世話して仲人になる・・・






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最終更新日  2014.09.21 13:51:49
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