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先月再放送を見て久々に感動した!40年以上前のドラマだけど内容はほとんど忘れていたので新鮮な思いで放送を楽しめた・・・歳のせいか泣けてくるシーンも多く父母の歩んだみちと重なり合って涙した。特に農耕馬を食肉業者に売り渡す(近所の農家の話)では私の父が飼っていた栗毛(農耕馬)も開拓で苦労を共にしていて死ぬまで世話をすると言っていたが・・・生活苦もあり食肉用として手放した!その十数年後まで悲しい思いは続いていたようだ・・・私が生家で美幌窯を始めた頃あるお客が倉庫にあった馬具や鞍を見つけ陶器ではなくそれが欲しいと言ってきたので父に話すと激怒して「そんな奴に売らん!!!」と言い放った、それは愛馬「栗毛」の遺品だった。私も小学生の頃「栗毛」の背に鞍をのせ散歩をした事を思い出した・・・ドラマのシーンではその馬は涙を流し悟ったように業者に連れていかれた~(このシーンが一番泣けた!)話は変わりますが旭川陶芸フェスティバルでは、昨年に続きほぼ完売とのこと・・・安堵
2025.11.01
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今年は10月25日から2日間開催される(弟子の三澤が参加)販売作品は昨年とほぼ同じ内容で・・・9月末北見日赤で再検査?MRIとMRAと採血検査を受けたが異常なしと言われて安堵 ♪旭川医療センターでの入院検査を覚悟していたが大丈夫そうでよかった?でも左足先のしびれの原因は不明のままなので多少気になる!とりあえず今の処方薬を若干増やしてもらって様子見・・・
2025.10.01
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Amazonで買物中突然ダウンしてビックリ?しばらく様子を見ていたが復帰せずに町の電気やさんに来てもらった!結果新品と交換すること・・・新しい機種なので操作に馴れるのに時間が・・・?メールやネットの立ち上がりが数秒で出来るので以前のようにイライラする事もなく快適♪今年は異常な暑さが続いたが観光地での売り上げは上々秋の紅葉にも期待・・・でも私の体調(パーキンソン病)は少しずつ進行中?いままでの症状になかった左足先に痺れや違和感を感じる!!!なので北見日赤で9月末再検査することにその後旭川医療センターへ???すこしづつ進行するのは覚悟しているがやはりショック
2025.08.31
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北海道陶芸会には功労会員として残ることになり(死ぬまで?)出品義務はないのだけど企画コーナーだけ出品を依頼された・・・(器の在庫は十分あるので)メイン作品と小品コーナーは不参加企画コーナーでは昨年好評だった料理人との器のコラボ展に料理人10名陶芸会員30名の参加美幌窯の作品は「ルリ釉白掛平皿」を出品!会場はギャラリー大通美術館日時は8月19日から6日間開催予定
2025.05.31
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3月30日半年ぶりに火いれ・・・窯詰めした作品は美幌峠のレストラン「海空のハル」で使用しているカレー皿、ラーメン鉢が多く・・・今日窯出し中、焼き具合は上々でひと安心♪火入れ中は大荒れの天気で停電にならないか心配しながらの窯焚きだった!!!一瞬の停電でも灯油バーナーがダメになる?こともあり・・・パーキンソン病の影響で左手、両足の筋力低下が心配だったが何とか窯詰め作業も無事に終えた!仕事の継続はリハビリもかねているのでこれからも頑張りたい弟子の三澤は4月5日からの出勤予定
2025.04.01
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昨年、北海道陶芸会に退会届を提出し受理される予定?(2月開催の総会で決定)理由は持病の喘息とパーキンソン病の悪化で創作活動に支障がでているため・・・今年からは功労会員として会を見守ることにしているが陶芸展などの出品は不参加になります。美幌窯を始めたばかりの頃、山岡三秋先生に加入を勧められ・・・今日に至る!創作活動(美幌窯)あと何年続けられるか分かりませんが「オホーツク焼」の需要がある限り頑張りたいと思っています!1月の中頃マグカップを是非とも購入したいと札幌在住のお客様より連絡があり「美幌近郊の売店でしか扱っておりませんんと」説明したら・・・その数日後乗用車で窯元まで来て購入され大変驚いた!若いご夫婦でした(お買い上げありがとうございます)昨年同様に「江別やきもの市」と旭川の陶芸フェスティバルは出店予定(弟子の三澤が!!!)
2025.02.01
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弟子の三澤は1月1日~3月中旬まで冬休み・・・厳冬期は美幌窯工房(80畳)の半分以上暖房を止め暖房費の節約・・・私は16畳1部屋で自由に創作仕事や瞑想?の時間を過ごすことにしている!弟子は弟子の自宅でロクロの練習を~3月末暖かくなったら弟子も出勤して初窯の準備・・・私の日課はパーキンソン病対応のリハビリとしてロクロを3時間ほど廻したり工房内を3000~4000歩、歩き廻ったりしている。体を動かしている間は喘息発作は起きずらく部屋でパソコンやテレビを見て休んでいると痰がらみの咳が出て喘息になる・・・夜寝ているときは1~2回咳き込んで目が覚めるが特製のドリンクで咽喉を潤すと眠れる・・・工房の見学や作品の販売は通常通りです。咽喉の不調ため電話は常に留守電状態で、折り返し連絡するようにしています。
2025.01.01
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今年最後の出品作今年しもあとわずかで終わり来年は?芸術の森工芸館での展示即売は来年の3月まで!1~3月の間は土日祝日のみ展示即売になります。9月から始まり売り上げも好調・・・♪今年春、先輩陶芸家Kさん逝去!美幌窯の独立で大変お世話になり交流も50年近くになりましたが・・・私より10歳上!そして先月は同期の陶芸家Oさんも逝去!彼も交流50年近く親しくさせて頂き感謝そしてご冥福をお祈りいたします・・・
2024.11.07
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最近、体のふらつき、手のしびれ、腕の筋力低下などで創作活動に支障が・・・北見日赤脳神経外科で検査を受けパーキンソン病の疑いがあるので旭川医療センターを紹介され昨日受診、結果は初期症状が似ているパーキンソン症候群のふたつの病気も気になり、2~3週間の入院を勧められたが私は即答出来ず、しばらく様子を見たいと返答そして出来ることなら北見日赤で検査や投薬治療を希望、必要なときは旭川医療センターを受診とお願いし承諾してもらえた ♪パーキンソン病、パーキンソン症候群どちらにもに効果のあるドパコール配合錠を40日分処方、来月からは北見日赤で処方できるように手配してくれた旭川医療センターの先生には感謝、誠実丁寧な対応をしていただきありがとうございました。
2024.06.12
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北海道陶芸会55周年記念展出品予定作品 直径30㎝高さ35㎝札幌芸術の森 工芸舘・・・で開催される(2023年10月21日~11月5日)昨年より呼吸器の不調は続いているので大物新作は創作できず過去の作品から選抜?最近の台風のおかげで大雨♪になり・・・程よい雨量で干ばつ解消!工房裏のビートも元気になる!新弟子の成長は?土練りが少々できるようになったけどロクロはまだまだ難しく、粘土の中心をとるのに苦労している・・・
2023.06.04
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昨日、4回目のワクチン接種!毎回筋肉痛が出るのだけど今回はわずかな痛みですんだ・・・でも、息苦しさとしんどさを感じる!!!(2~3日で治まれば良いけど?)麦畑の収穫は来月の10日過ぎとのことです。今年は雨の日が多いので心配!昨年は干ばつが続いての心配でしたが・・・子供の頃(60年前?)は鎌を使い兄弟揃ってお手伝い、そして収穫が終わればご褒美?で家族揃って網走へ海水浴に出かけた♪年に一度の楽しみ~現在はコンバインで数時間かけ収穫・・・
2022.07.31
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工房裏の麦畑、穂が出そろい来月には収穫♪今年に入り体調不良のため7月26日から開催予定の陶芸会展にはメイン作品のみの出品にしました。ルリ釉組鉢(上記写真の器5個)出品、企画展などは不出品にしました。会場はギャラリー大通美術館にて7月31日までの6日間開催!先日、過呼吸発作が続いたため網走厚生病院(呼吸器内科)を受診‼知人の紹介で行くことになり検査結果はCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の疑いで早期治療を受けることに・・・肺の年齢が95歳以上と告げられチョットだけショック・・・喫煙者に多い症状らしいけど私は喫煙経験がないので???とりあえず2種類の薬が処方され口から吸入するタイプで気管支を拡げ呼吸を楽にする!吸入を始めて1週間効果は~過呼吸発作は治まり楽になったけど声枯れと痰がらみは多くなってきた・・・2022年の江別やきもの市、旭川の陶芸フェスティバルは出展自粛することにしました!来年以降も難しいですね、コロナ感染も怖いので・・・???
2022.07.06
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工房裏の麦畑最近は雨の日が続き梅雨の季節?でも麦の生育は早くもうすぐ穂も出そう・・・ラーメン鉢は追加で焼いたが、天気が悪いと観光客の出足は悪くなる!先日左手がしびれだしたので?気になり脳外科受診しMRIを受けてたが異常なし!!!手のしびれは2週間後には治まり安堵!
2022.06.16
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春先は土埃で掃除が大変でしたが畑の緑が育ち始めると砂誇りの飛散は大分抑えられてきた!峠の道の駅に私はまだ行けていないが連休中は大賑わいで特にラーメンが大人気とのこと♪器の追加注文もあり嬉しい限りです・・・でも私の体調は・・・???5月に入り工房の来客で喋りすぎたのか(のどの疲労?)声枯れと痰のからみが酷くなり今も続いているので声帯と食道の内視鏡検査をうけたものの異常なしと言われた!でも咽喉の不調は続いているので不安も続く・・・
2022.05.20
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14年くらい前(網走の中鮨)父が亡くなり早くも1年が過ぎようとしている!昨年までは夢の中に多くでてきていた「お袋」だったが、父が亡くなってからは母より父の夢が多くなって来た!その夢の多くは美幌窯工房での作業風景・・・昭和51年独立してからずっと手伝ってくれていたので・・・主に雑用仕事?土練機による粘土練り、窯出し、釉薬掛け、その他色々・・・今は親父、お袋揃って天国から見守ってくれていると思う~♪
2021.11.30
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昨日、父の施設に洗剤など日用品を届け今月の介護計画等の説明をうけ終了後、散髪開始!3度目の今回は意識もしっかりしていて会話は少ないが息子の訪問も理解して・・・
2017.08.08
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10月8~9日、台風23号の影響で大雨による災害(美幌町)上の写真は工房入口前の道路(砂利道)が40~50センチの深さに雨に流され被害が・・・町内では一部冠水350人が避難・・・下の写真は女満別空港の近くの畑で2メートル以上の深さで流され!!!!!私の自宅、工房は高台にあるので道路だけの被害で済み良かった~♪10日の今日、ほとんど水は引き晴れて暑い!
2015.10.10
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★5月30日5月21日朝起きると左手が動かず麻痺状態?これはヤバイ!!!直ぐ次兄にTEL「北見日赤病院に連れて行って・・・」と頼み、脳神経外科で診察、検査後緊急入院となった。アテローム血栓性脳梗塞と言われ3階の救急病棟で点滴治療を毎日24時間それを1週間続けた結果左手の麻痺は完全に消え快復♪でも再発の危険があり防ぐためには手術を勧められた!今回の脳梗塞の原因は33年前札幌医大で悪性リンパ腫(右扁桃腺腫瘍)の放射線治療を受け、その副作用?のため右総頚動脈に異常(動脈硬化?老化?)を起こした・・・その他にもいろいろな副作用が10年前よりでてきている、甲状腺ポリープ、唾液腺障害、嚥下障害そして脳梗塞!!!「今回、障害も残らず快復して軽く済んだのはとても幸運だよ」と主治医に言われた。昨日から8階の一般病棟に移され手足のリハビリが始まった、そして唾液腺や嚥下障害のリハビリも追加してくれた。8階の私のいる病室からの眺めは良く眼下に広がる公園の木々、新緑の若葉や噴水が清清しい♪夜景も市内全体が奇麗に見え北見市のネオン街が懐かしい?ススキノには負けるけど?携帯での会話は専用個室があり24時間使えとても便利、早速取引先や友人知人にTEL!皆さん驚いていた!!!だが札幌の友人陶芸家K・Aからはムカツク返事が返ってきた「病院は慎重に選ばないと最近は医療事故が多いので大丈夫か?」としつこく云われ遠まわしに地方の病院は止めたほうが良いと言わんばかり、電話を切った後も怒りがこみ上げてきた!持つべき友は何処へ行った???彼には良いとこもあるのだけど単細胞的なところも?★6月10日仮退院日???3週間ぶりの退院帰宅にワン公たちも大喜び?急な入院で私の部屋はぐちゃぐちゃになっていたのでサット掃除を済ましブログの更新をすることにした!今回の初めての脳梗塞は障害も残らず快復したが再発のリスクが高いため6月末~7月初頃に再入院して手術(右総頚動脈の狭窄)を受けることにした。一般の人より私のように放射線の副作用を持っている場合、術後の障害がでるリスクが高くなるそうで・・・???「自宅に帰って家族と良く話し合って決めなさい・・・」と主治医に言われた!でも、私は入院した頃から手術の覚悟は決めていたので今は、まな板の鯉の心境だ!!!★7月3日祝退院~♪6月23日、総頸動脈内膜剥離術のため入院して翌日10時半頃より手術開始4~5時間後、目が覚めたとき「無事終わったよ!」と主治医に声を掛けられ・・・全身麻酔だったのでアッ!と言うまに終わっていた!だが、麻酔が覚めると痛み、違和感、息苦しさ色々な不快感が押し寄せてきた・・・術中に人工呼吸器が気管に挿入されていたので外した後にその影響で痰が酷くからみ咳が、尿道にもチュウーブが挿入されていたので痛みと不快感が続いたその他にも点滴、血圧計、心電図、足にはマッサージ器その他色々身体に取り付けられていたのでベッドでは動けない状態が翌日の昼頃まで・・・なので、ほとんど眠れず地獄にいるような気分だった???母の術後もこんな地獄?が続いた?そして逝去!!!色々な不安が私の頭の中を駆け巡り・・・・・???時が過ぎ日々痛みや不快感が緩和されても多少の不安は残る7月1日、傷もふさがり抜糸ができ順調に快復しているので早く退院できることに~♪昨日美幌窯工房に無事帰宅夕刻、食材の買い出しに車で出かけたが左右の確認で少し首の痛みが、バックの時の後方確認ではそこそこの痛みがでた!過激な運動、仕事は控えるように言われたが、軽い運動(リハビリ)は必要だとも・・・犬の散歩や軽い仕事は大丈夫だが、右手に強く力を入れると首の痛みが強く出るので窯詰、土練りの仕事はしばらく無理みたいだ!少し注文が来ているので一回くらいは窯の火入れをしたいのだが・・・・・???マァ!ぼちぼちのんびりやっていこう!無事に手術そして退院できたのは北見日赤病院の脳神経外科の先生や多くのスタッフそして旭川医大からきてくれた瀧澤先生(執刀医)に感謝そして激励をもらい心配をかけた友人、知人、叔母、叔父、兄弟にも感謝です~♪★7月8日札幌の長兄が3年ぶりに美幌に・・・私が療養中なので、代わりにやきもの市に行ってくれることに~♪そして手術の成功と退院祝いをするため街の居酒屋、スナックでのカラオケ!・・・でごちになりました~♪街に出かける前に新しいパソコンの操作、特に写真のアップの仕方など教えてもらい本日半年ぶりにアップできました(父と長兄の再会の写真)父はとても元気で認知症など感じられないくらい正気?!だった~♪色々話もしたが今日の再会や会話を明日以降も覚えているかは・・・・・???それでも父の喜ぶ姿を見れただけでも良かった!★7月12日江別やきもの市は台風の影響か?真夏日になり、暑い中見に来てくださりお買い上げいただいたお客様には感謝♪展示品もほとんど売れ安心しました・・・長兄は無口、無愛想、頑固?偏屈?な性格もあり商売に不向きなので出店を任せ大丈夫か?とても気になり・・・でも結果オーライ~♪
2015.06.10
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★10月7日・・・父の外出今日は秋晴れ~♪そこそこ?暖かな気候なので2時間ほど父を連れ工房へ・・・来る途中、畑に次兄がいたので寄り道をした次兄が父の側に来た時ちょっと驚き「おお!芳夫かッ!!!」と、喜び少しおしゃべりしてから工房で軽く仕事を・・・会話(頭)は前回より確りしていたが?起つ事が難しい・・・★10月9日・・・父の入院今朝施設から電話が・・・「4~5日前から鼻水と咳が時々出るので気をつけていましたが昨夜37、3度熱があり週末に悪化すると困るので病院の受診を・・・!」と言われ次兄に連絡し!かかりつけの医院に・・・検査結果は肺炎の初期症状・・・主治医に若い人なら入院する必要ないけど高齢なので用心して入院を勧められた!次兄も私もそうですね・・・と答え、美幌町立国保病院で再検査と診察をして入院の手続きを・・・ここの病院で8年前母が亡くなっているのでチョット複雑な気持ちに?2年前の北見日赤病院に肺炎で入院した時は、2日で元気になり10日間で退院できたのだが・・・今回も早い快復を願い夕刻帰宅!★10月11日入院した夜は痰がらみの咳が多く、辛そうだったが翌日にはだいぶ快復して食欲も出て来た・・・ただ元気になると看護師さんの指示に父の理解力が薄く(認知症なので)手足を動かしオムツをはずしたりするのでベッドに手やからだを拘束されたり、いろいろ大変・・・可愛そうだけど・・・★10月16日・・・祝退院今回は8日間の入院で済んだけど・・・誤嚥による肺炎は齢とともに繰り返し重症化する危険が・・・それに、車椅子に乗ることは出来ても歩くことは出来なくなり(今春頃は4~5mは歩けたのに)寝たっきりになるのも心配・・・★10月28日・・・予防接種札幌、旭川で雪、吹雪?が・・・美幌は雨で農作業が出来ず次兄がジャガイモを持ってきてくれた・・・「ビート終わったの?」と尋ねると「昨夜の雨の影響でトラクターが畑に入れず・・・」それなら次兄の車で父を病院に連れて行きインフルエンザの予防接種に行くことにした!★11月6日・・・秋になり3度目の父の外出今日は秋晴れでそこそこ暖かい・・・なので父の外出を・・・施設に行き「仕事手伝って・・・」と声を掛けると喜んでいた・・・工房内は普段10~18度なので朝から石油ストーブ5個使用し室内温度を25~27度に上げ私は半袖Tシャツで仕事を!それでも暑い!!!父には簡単な仕事を頼み1~2時間・・・!そして次兄の畑の周りをドライブしながら施設に戻った・・・(ドライブ中、父は無言で車窓の景色を眺めていた)★11月14日・・・神作幸男君逝く夕刻次兄から電話が「幸男君が亡くなった・・・」私は驚き聞き直すと末期の肺がんだったそうで・・・幼馴染のクラスメートで通称「ユキ」彼は私のことを「みのっちん」と呼び、幼い頃は一緒に山や川で遊んでいたけど、高校卒業後ユキは農家を継ぎ私は陶芸の世界へ・・・その頃から一緒に遊ぶことは無くなり次兄の方が農家同士で長い付き合いになっていった・・・美幌窯工房の周りは「ユキ」の耕作地が多く農作業をしている彼をよく見かけていた・・・1ヶ月前父に次兄の畑を見せようと思いドライブ途中にビート運搬をしている彼とすれ違い「ユキ」は笑顔で会釈してくれた~♪この秋、何度か見かけいるがとても元気そうに見えた・・・???ビート、ジャガイモ、人参、ごぼう・・・すべての収穫を終え!畑も来年のため全部耕し・・・すべての農作業を終えてから体調不良で病院へ・・・肺がん末期と診断され4日後に旅立った!(次兄から聞いた話・・・)「ユキ」と私は辰年の12月生まれの同い年・・・心よりご冥福をお祈りしています・・・通夜は11月16日町内「こうりん斎場」PM6:00告別式は翌日「こうりん斎場」AM9:00★11月18日・・・初雪告別式が終わり夕刻頃から雪が舞い始めた・・・今朝も雪が舞っている!とても寂しい晩秋?初冬??・・・田中小学校のクラスメートは17名!そのうち地元に残っている数名に「ユキ」の訃報の連絡をしたらWK君AJさんの2人が癌で闘病中とゆうことが判り大変驚いた・・・私とユキは交代でクラス会の幹事をしていたがユキは14~15年前頃より体調不良(心筋梗塞)で、私は数年前より父の介護で幹事を辞退していたのでその後クラス会は開かれていない・・・現在元気な?残りのクラスメートでお見舞いを検討中!!!★11月25~27日、1年ぶりの札幌へ出張・・・25日昼から野暮用?夕刻には長兄と会食その後一緒に薄野のスナックでカラオケ・・・!!!2日目午前中、取引先(陶芸器材)を回り少々歩き疲れたのでホテルに戻り休憩していると急に腰痛が出てきて歩くのが困難に?今年2度目のぎっくり腰???春先の腰痛は3~4日で治まったが今回は痛みが酷い!!!3日目痛み止めが効いたのか少し楽になったので帰宅することに・・・現在自宅で休養、原因を考えるとコンクリートやアスファルトの道路を歩き過ぎたせいなのか?美幌窯近辺での散歩道は草道?じゃり道それにあぜ道なので足腰には優しい・・・私の足は都会の道路に不向き???幼い頃は田舎の星空が好きだった~♪今は都会のネオンにロマンを感じているのだけど・・・★12月17日オホーツク地方に台風並み大雪警報がでた・・・朝、目が覚めると猛吹雪・・・昨日まで積雪ゼロだったけど今日は1メートル近くまで、今夜はさらに悪天候になり吹き溜まりは2~3メートル以上になりそう???夕刻外に出ると息が出来ないほどの強風が吹いていた!全道的に交通は麻痺状態、工房前の国道は通行止めに、開通は2~3日後?????食料(保存食)は3週間以上の用意はしているので安心だけど・・・父の世話になっている施設でも1週間は問題ないと言っていた!★12月23日18~19日は雪掻き作業に追われ大変・・・筋肉痛や腰痛にならなくて安心していたら???三日後の昨日から腕や背中あたりの筋肉痛が出始めがっかり!サロンパス?などの貼り薬をあちらこちらに・・・歳を取ると痛みを感じるのに3日も掛かるとは!!!???
2014.10.07
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★9月28日・・・旭川陶芸フェス終了!今回旭川初参加で不安と期待の複雑な気持ちで望んだけど・・・知り合いの陶芸家も多く建物の中なので雨風の心配も無く快適に終わった~♪売上げは帯広より少しだけ良かったが、新作オブジェや鉢類の人気がいまいち???だったので次回の課題になった・・・(来年からも新作に兆戦し続けよう♪)札幌から応援に駆けつけてくれた長兄にも助けられ2日目は疲れた?様子だった・・・ありがとうございました!・・・出来れば来年も江別、旭川応援宜しくお願いします~♪★9月24日・・・父の外出先日、施設にいる父を3時間ほど外出させ1年ぶり?に工房に戻り軽い仕事をしてもらった・・・意識は確りしているけど筋力は衰え!ちょっと立つことはできても歩くことは難しい!なので車椅子のまま仕事を・・・弱弱しい手の動き、日々衰えが進んでいることに驚いた!でも、仕事をしている父の顔は凛々しく~月に2~3回は連れて帰ることにした~♪昨年移植して枯れそうだった赤松!今年はスクスク育ち50~60センチ伸びた!父は赤松を見て・・・「大きくなったナァ!」と呟いた・・・そして少しドライブをしてから施設に戻った!★梨の御礼湯布院のTさん!毎年気を使って頂きありがとうございます~♪山葡萄?より甘くて美味しいです!来週は今年最後の「やきもの市」旭川陶芸フェスティバルに出展します!江別、帯広と続き・・・品切れが出てきたので昨日、今年5回目の窯焚きをしました今年は1回も失敗が無く焼き上がりも良好・・・2~3割は規格外(不良品)になりますが、それが一番売れます、良い様な、悪い様な複雑な気持ちになりますが、昔からそうでしたネ!価格が安いので・・・★8月13日今朝工房裏の麦畑にコンバインが爆音と、ともに・・・刈り入れが始まる!先月末、父は熱中症で掛かりつけの医院に緊急搬送され点滴を受けた・・・軽い脱水症状?で快復後施設に戻った!父のいる施設にはエアコン設備は無くこれからも気に掛かる・・・翌日父の様子を見に行ったら睡眠中で・・・介護職員に容態を聞くと食欲は少し減ったけど元気とのこと・・・でも時々「家に帰りたい~」とつぶやいているそうで・・・お盆に1~2日連れて帰りたいが?私1人では介護が難しい?次兄は麦畑の刈り入れで忙しく・・・昨年一度連れ帰ったときは大変だった、24時間寝ずの介護・・・そして、施設へ帰るときの父の寂しそうな顔が辛い・・・
2014.10.03
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★6月4日・・・猛暑昨日は朝から30度を超え、昼過ぎには37度超!!!10日前、網走では吹雪だったのに・・・外は暑いけど工房内はクーラーを使わないでも25~27度、湿度55%と快適~♪ミヤネ屋?の全国ニュースで紹介されていた「日本一猛暑は音更37.8度美幌・北見37,2度」100年ぶり?の異常気象??この先が不安・・・先日仕上げた生?花瓶を天日干し・・・夕刻までには乾燥完了!(室内乾燥だと10日は掛かる・・・)★6月24日・・・初窯???1年半ぶりに窯に火入れ・・・しばらくぶりなので感が鈍り不安が一杯だったが、慎重になりすぎ?ストレスで唇が荒れて1週間ほど不快な日々が続いた・・・でも、結果は上々~♪来月の江別、帯広の「やきもの市」にむけてあと2~3回は窯の火入れをする予定!★父の様子今月初めころ父に会いに行ったが・・・チョット反応が鈍く、私が誰かわからないような・・・会話は出来るけど・・・認知症が進んだのかも知れない?★7月7日・・・熊出没注意!!!今朝、パトカーで若いお巡りさんが美幌窯工房に来た~裏山(自衛隊の演習林に)に親子熊が出没しているので「注意して」とのこと・・・50年ぶり?の出没にビックリ!!!★7月10日・・・父の様子施設へ・・・柔軟剤、漂白剤、洗剤、BOXテッシュなどなど父の使用する日用品を届け・・・今日の父は元気そうなので・・・「明日の午後札幌に行ってくるよ!」「展示即売の仕事で・・・」「お兄ちゃんにも会って来るけど何か伝えることはない?」と父に問いかけると・・・しばらく考えて「んんん~???」「何も無いなァ~・・・」今日はそこそこ会話が出来たので一安心~♪★7月15日・・・友人の穴窯江別やきもの市は長兄に手伝って貰い無事に終った~♪終了後の翌日、友人の盤渓窯を訪問・・・薪燃料による穴窯の焼成中で大忙し、1週間掛けての窯焚きは過酷な作業・・・6~10分間隔で薪を投入・・・それを1週間続ける・・・見ているだけで汗だらけになり疲れてくる・・・友人の還暦祝いを渡し美幌に帰ることにした・・・「阿妻一直還暦記念展」は7月23日~28日丸井今井(札幌)百貨店で開催!★7月28日・・・「帯広陶・食・祭」終了!今回は第9回・・・第1回に参加して以来父の介護で窯の仕事が出来ず不参加が続いていた!美幌窯は8年ぶりの参加で不安もありましたが目標予定以上の成果(売上げも)もあり安堵して帰宅・・・開催中懐かしい人々に会えたのが嬉しかった~♪でも開催前日残念な事件が!!!宿泊ホテル「十勝イン」の駐車場で私の車(日産マーチ)に当て逃げ???されていた・・・犯人が憎いがあきらめ(悪いことがあれば良い事もあるさ!)売上げ金額より修理代の方が掛かりそう・・・美幌に戻り工房裏の木々や野花を見ていると気持ちが和む~♪
2014.06.04
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★4月30日★・・・夏!!!昨日は20度今日は25度超える夏日になり・・・寒いより暖かいほうが好いけど温度差があり過ぎるとブタインフルエンザ???になりやすいかも・・・!!!先日降り積もった雪もほぼ解けて消えた・・・!今年の連休中は全国的に晴れて良い天気が続くそうだ・・・帯広・釧路は26~27度に(今日は日本一の暑さに)★4月27日★・・・大雪!!!昨日から季節外れの大雪が・・・気象観測至上初の積雪となった!!!これだけ降り積もると何故か楽しくなる・・・???・・・♪♪♪ 美幌で20~30cm釧路(太平洋側)で40~50cmの積雪・・・2日後には夏日の予報なので消えて無くなると思うけど・・・???★4月23日★・・・雪!昨日マーチ(乗用車)の点検整備と冬用タイヤから夏タイヤに交換・・・なんと!!!今朝から吹雪き・・・!!!直ぐ解けているので・・・積もることは無いとおもうけど・・・安全運転で・・・★4月19日★・・・父が!!!美幌も雪はほとんど消え周りの畑では農耕作業が始まった!我が家の庭畑もスコップで耕し落ち葉をすき込み・・・父に一輪車での土運びを頼むと喜んで手伝ってくれたけど・・・石につまずき指先が血だらけに・・・!!!そんなに張り切らなくてもいいのに・・・・・・農作業が始まる! 20日前は、まだ雪が・・・? (写真撮影は3月)★4月17日★この2~3日雨に雪混じりの寒い日が続き(でも平年並み)・・・晴れても10~13度相変わらず工房の周りの柏の葉が落ちてくる・・・そのつど父が庭掃除・・・★4月14日★昨日は初夏の暑さ今日は例年並みの寒さ(7~12度)朝は曇りの強風&嵐・・・昼からは快晴!天気が良いと雲雀も合唱それにあわせて蛙も大合唱・・・ウルセー!!!(蛙と蝉は騒がしい???)★4月10日★今日は20度まで上がり小さな虫?が飛び始めた・・・虫も冬眠していたのか・・・???昼から久しぶりに大工仕事・・・父にも手伝ってもらい犬小屋?の修理・・・★4月9日★最近は7~12度、最低気温0度・・・と、かなり暖かくなり雪もほとんど融け・・・父は自分から外に出て庭掃除を始めだした・・・最初は楽しそうに・・・♪でも30~40分すると寒そうに戻ってきてストーブにへばりつく・・・風があるとまだまだ寒いので・・・工房の外では美幌初の「ひばり」の声が・・・!!!★4月5日★・・・晴れ&雷・雨!!!朝は晴れて暖かかったのに昼からは雷が落ち小嵐・・・危険を察知!!!・・・PCのコンセントと電話回線も抜き・・・1時間後工房の電話機が故障・・・明日修理屋さんが来てくれることに・・・PCは無事でヤレヤレ・・・★4月3日★・・・快晴!!!久しぶりに良い天気~♪朝目が覚めると小鳥が騒いでいる・・・セキレイが工房の周りで数羽飛び跳ね?鳴きまくり・・・??快晴で暖かいと小鳥たちも楽しそうだ・・・でも美幌の「ひばり」は飛んでこない(かなりの寒がり・・・???)今日はドライブでも・・・★4月1日★昨日のローカルニュースで・・・函館に春の訪れ「ひばり」の初鳴きが観測?された・・・~♪~と、テレビの天気ニュースで云っていた・・・昨年のブログを振り返って読むと4月の中頃まで雪と雨が交互に・・・「春はまだまだ遠い・・・」と愚痴っていた・・・
2009.04.20
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私が小学4年生になる頃・・・父の農業経営も順調に進み機械化の第一歩?外国製の赤いトラクターを2台開拓農家5軒協同で購入して農耕馬に変わり作業効率が飛躍的に伸びた~♪ そのころ両親は息子たちの教育にも熱心で・・・?成績の通知表で5があると新品の自転車、机、イスなどの褒美が・・・二人の兄は色々買ってもらえたが私の成績は3しか無く何も買ってもらえず・・・それでも私はマイペースで勉強はせず絵を描いたり木彫り遊びに動物の骨の収集をしたり?親の期待を裏切り続け、夏休みになり通知表で初めて最低の1を3個も・・・父母は驚き!!嘆き!!!兄に叩いてでも良いから稔に国語と算数を教えてヤレと命令した!その日から兄が本性を現し?兄鬼に変身・・・泣き叫ぼうがムチの嵐、いじめの連続・・???兄のスパルタ教育は2年ほど続き、おかげ様で成績は上がり・・・それ以上に、いじめに対しての抵抗力がつき高校、そして窯元でのいじめに近い修行にも耐えることが出来た・・・雪の下に眠る雑草のようにたくましく!!!2月19日早朝の気温は-23度今年一番の寒さ!温暖化の影響で20日遅れの流氷初日(オホーツク海側に接岸)海明けは3月末~4月初頃? 北国美幌の今は厳冬期の真っ最中!雪の下では若草色の雑草?ケンタッキーグリーングラス、オーチャードグラスなどの芝草たちが、けなげに春の雪解けを待って冬眠?している!3月の暖かな南風で雪解けが始まり、除雪で地面が出てくると若草色の雑草も顔を出し半年振りにその雑草と感動の対面が・・・♪夏になると雑草駆除で苦労するのに・・・昨日の敵は今日の友・・?人も雑草も虫も春が待ち遠しいのです・・・♪
2009.02.18
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後の祭り???6~8日まで流氷まつりが網走の港で開かれていたのだが・・・人混み?の苦手な私は祭りの終わった会場に父を連れドライブがてら見学に・・・氷像は解体され雪と氷の瓦礫の山になっていた・・・港をぶらぶら散歩していると観光砕氷船「オーロラ」が外海に出て行った・・・暖冬の影響で流氷はまだ接岸しておらず2~30k沖の水平線に見えるだけ・・・網走湖畔(温泉街)では観光客用に??雪像や雪上バイク?スノーモービルの会場が・・・ 帰りの車の中で父にオーロラを見たときの話を聞くと・・・「だいぶ昔だからなァ~・・・???」「北の方の空に・・・虹のような色で・・・数時間・・・?」「その後二度と現れることは無かったなァ~・・・!!!」私も兄も見た記憶が無いのでかなり昔の出来事・・・?私の一生の思い出にオホーツクの空で・・・父母が見たオーロラを再度?見たいものです~♪♪♪夢の中でもいいから・・・?昨年の3月下旬に撮影↑網走の海岸(北浜)
2009.02.10
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昨日は1日中雨が降り、だいぶ雪がとけ・・・今日からは寒さが戻り工房の周りがスケートリンクみたいになっている!!!両親は、三番目の子に娘が欲しい~♪と良く話していたらしい・・・しかし、私が三男として生まれ・・・???しょうがないなァ~と、あきらめ・・・でも末っ子は可愛い・・・???兄二人は兄弟喧嘩や生傷の絶えないヤンチャ坊主で手が掛り・・・三人目は大人しい娘が欲しかったそうです・・・その願いのせいか・・・私の性格は大人しく利発で利口な子供に見えたそうです?三人兄弟の中で一番頭も良く出世すると~♪過大な期待が・・・私の小学校入学後は、その期待を裏切り続けることになった・・・ 今、記憶にある最古?の思い出は4~5歳の頃・・・二人の兄は小学校へ、父母は畑へ、私は一人で絵を描いたり、泥んこで団子を作ったり、絵を描く紙がなくなり部屋の壁に描いたり・・・当時は保育園も幼稚園も無く、友達もいなく一人で遊んでいた・・・そんなある日、農繁期に農作業を手伝いに来てくれる人がいて当時、出面さんと呼んでいた?その出面さんに私と同じ歳の女の子がいて・・・何時しか一緒に遊ぶようになり、その子が来ると毎日「ままごと遊び」をしていた・・・初恋???ではないが私の人生、初の友達でした!小学校に入ってからはその、女の子と会うことは無く、クラスの男友達も出来、魚釣りや山で遊んだり・・・男の子の遊びが中心になった?その後「ままごと遊び」はしたことは無いが、絵は、毎日描いて遊んでいた・・・父母の期待を裏切り?ほとんど勉強はせず・・・!!! 写真解説当時の思い出を絵皿に、5年前に創作(定価¥15000)春から初夏の頃、マグカップは昨年6月に撮影(¥1800)
2009.01.25
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私が生まれ二年目の春、大阪の叔母(母の妹・5女)が美幌まで手伝いに来てくれた・・・と、いっても!私には記憶があるような無いような・・・今年の正月にブログのネタ?にしようと思い電話で話を聞いた・・・叔母さんは・・・「5年は居たんじゃないかなァ・・・?」そしたら・・・私が小学1~2年生になっている・・・でも記憶が・・・薄い!別の話題にして、美幌時代の話を聞いた・・・叔母から聞いた話・・・「当時は貧乏生活だったけど!姉ちゃんは食べ物には贅沢に?お金を使っていたョ!」「とくに節句、誕生日、X”ms・・・などの行事があるときとか・・・」「町に買い物に行くと、行きつけの店では、ツケでどっさり買い込み・・・」「秋にまとめて払うから・・・」と言って・・・「姉ちゃんの太っ腹に驚いた!!」父に叔母さんのことを聞くと「何年居たかなァ~?」「n・・・・・n」やはり記憶が薄れている・・・春から秋にかけてはツケ(借金)で買い物する事が多く・・・秋の収穫後に借金払い・・・預金する余裕は無かったみたい・・・???私が高校卒業するまでそのような生活は続いていた・・・農業経営の規模拡大で農地は3倍近く増えたが借金も・・・ 私は幼い頃、ヤギの乳を飲んでいた記憶はあるのに・・・ヤギの居る風景が思い出せない???それと叔母さんにはとても世話になっていたのにその風景も思い出せない・・・小学生になってからの思いではたくさんあり叔母さんには申し訳ないのだけど・・・「めんよう」(毛糸を採るためのヒツジ↑写真)と遊んでいたのは小学2~3年頃なので良く憶えている・・・父にめん羊のことを聞くと・・・「めん羊はあまり収入にならなかったなァ~毛を刈るだけだし・・・」
2009.01.20
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私が生まれた翌年に新しい家も完成して、農業経営も大きく変化・・・農作業の忙しい毎日が続き・・・そんなある日・・・軽い咳をしていた赤ちゃんの私が急に容態が悪くなり病院へ・・・私はまだ赤ちゃんの頃なので記憶は、ほとんど無いので母から聞いた話・・・熱もあり入院して様子を見ることになり・・・日々容態が悪くなり肺炎に・・・母は医者から「この薬が効かなければ危ない・・・」といわれ危篤状態に・・・先生と看護婦さんの懸命の治療で快復し、その後30歳になるまで病気知らずで元気に育ち、母から何回も「危なかったんだよ~」と聞かされ続けた・・・ 2~3週間後に退院することが出来、母は安堵する!!!でも、その病院の、ある看護婦さんに私を養子に出さないか・・・と言われた母は丁寧にお断りしたが、心の中で激怒・・・貧乏で3人の息子を育てるのがたいへんだろうと思われたのがとても悔しく思った・・・資産家でお金持ちだろうと・・・養子に出す気はサラサラないと・・・父に当時のことを聞くと「そんな事もあったなァ~」・・・で終わった!「それだけかよ・・・・・!!!」
2009.01.15
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今日は晴れたり曇ったり・・・昼間の気温は-1度、風がないと暖かく感じる~♪夕刻父を連れ北見へ食事に出かけたが???目当ての中華レストランが満席で入れず・・・新年会シーズンで賑わっている???・・・しかたが無いのでくるくる寿司でガマン・・・開墾7年目に新築した経緯、費用など色々聞いたが・・・今日は記憶がもどらないのか???なにを聞いても「どうだったかなァ~?」「う・・・・・・ん」・・・とインタビューが不調家の裏の家畜小屋の裏にあった青リンゴ(夏収穫)と赤リンゴ(秋収穫)の事を聞くと嬉しそうに話し始めた・・・私が生まれた翌年、家を建てた頃に植えた二本のリンゴの木・・・十年後には2~3百個のリンゴがたわわに実った・・・春には満開の花が咲き・・・夏から秋にかけて、真っ青なリンゴに真っ赤なリンゴが・・・美しい風景が思い出される・・・父の話あの、リンゴの木は惜しいことをしたなァ・・・毎年たくさん採れたのに・・・牛を放牧していたら・・・幹の皮を全部かじり食べてしまった・・・牛が木の皮をかじるとは思わなかった・・・ほんとに残念だった・・・翌年には花が咲くことも無く枯れてしまった!!!私の思い出リンゴの木の下にはイチゴ畑に南瓜畑もあり、毎年楽しみにしていたのだが・・・牛が増え十数頭の頃、果樹園が子牛?の放牧場になり・・・母は毎年ジャムやアップルパイなどのおやつを作ってくれた・・・木が枯れてからはクラスメートの西田果樹園から梨やリンゴを安く分けてもらった・・・そのクラスメートは私と同じ名前で「稔」・・・今は音信不通?何処を放浪しているのか・・・実家の両親、兄弟も嘆いていた・・・クラス会でも毎回話題になる・・・
2009.01.10
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今年は元旦から雪が降り続きまだ、お日様を見ていないが、今朝やっと、初日の出を拝むことが出来た~♪積雪も止み仕事始めは、まず200kgの粘土練りから・・・元旦から雪掻き仕事が毎日の日課になっているので、そのせいかあっちこっちに筋肉痛が出はじめた?午後からは父の角皿造りも再開・・・暇を見て開拓話のインタビューも再開・・・父母は山奥から現在地に移り本格的に営農が出来るようになり、最初の年はまだ掘っ立て小屋の生活が続いていたが、豆類、ジャガ芋、ビートなどの畑作が中心で家畜は農耕馬と自家用に鶏を外で放し飼い、山羊は飲料乳を得るのに飼育・・・その翌年の12月に私が生まれ、父母と3人の息子の歴史?が始まった・・・町には雪印のバター、チーズ工場が出来、創業を始めた!その頃、乳牛(子牛)も飼い初め、数年後には搾乳もでき工場に出荷するようになった!さらに10年後は10数頭・・・その後50~60頭以上まで増やすが・・・輸入自由化の影響で経営難が続き昨年夏で次兄は酪農を止め、畑作に転向した・・・残念なことだけど56年?続いた酪農にサヨナラ!!!次兄の再出発に・・・北海道の農業の未来に・・・エールを♪♪♪ 板壁に柾屋根の家なので10年経つ頃は隙間風に雨漏りも・・・写真は築10年後?の正月、父とバトミントン遊び・・・積雪は10~20cm??家の裏には家畜小屋が・・・私が生まれた翌年に家を新築???木造平屋、居間10畳、炊事場6畳、寝室8畳、子供部屋?4.5畳それに「ぽっちゃんトイレ」風呂場、玄関・・・電気は無くランプ生活、水道も無く、家から10メートル離れた井戸からポンプで汲み上げて使用・・・5人家族とボロ家でも・・・楽しいい我が家・・・次回に続く~♪
2009.01.05
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開墾生活5年目の春「最初の開墾地」に見切りをつけ今の土地に引っ越して来た・・・ここの土地は旧海軍航空隊美幌基地の飛行場跡で200~300ヘクタール???の広さがあり、当初は協同の放牧地になる予定だったのだが・・・同年(昭和26年)陸上自衛隊(旧警察予備隊)美幌駐屯地ができ、放牧場は演習林になり射撃訓練などが無い時は家畜の放牧が許された・・・なので、当時の隊員は「ほふく訓練」で牛、馬の糞がある所でも避けて通ることが許されず糞塗れになり!!!辛い訓練だったそうです・・・札幌の兄(長男)は手に付いただけでも大騒ぎで臭いが取れるまで何度も手を洗う神経質?潔癖症??だった・・・父母はそんな長男を見て農業の跡継ぎは無理だなァ~と思い、諦めたそうです!!!現在地に移った頃の2年間も掘っ立て小屋で生活・・・井戸水はあるが風呂はドラム缶・・・耕作地は10ha(36000坪)も有り「山奥の開墾地」の倍になり、忙しい日々が続く現在地に移り2年目の冬に私が誕生~♪
2008.12.18
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2~3日前からが最低気温が-15度まで下がり続け厳しい真冬日・・・昨日は北見へ納品(ぐい呑、湯呑など)の仕事があり夕方父を連れ出かけた!夕食はピアソンホテルの中華料理にした~♪エビチリ、八宝菜、焼ソバ・・・を食べながら昔話を聞いた・・・父母が開墾した土地は藻琴山(頂上まで25km)の裾野に位置しており、山の向こう側には屈斜路湖、摩周湖・・・山の右手には美幌峠、阿寒岳、阿寒湖・・・山の左手には斜里岳、羅臼岳、知床連山と続く・・・車で60~90分で遊びに行ける距離だ!!!当時は観光旅行する余裕もお金も無く・・・旅行が出来るようになったの10年以後、それも近場の温泉、阿寒、川湯、など・・・母の初の里帰り(大阪へ)は17年後!!父の里帰りは30~40年以後になる・・・
2008.12.16
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真冬日が続き、雪も20cm近く降り積もり・・・根雪になりそうな気配???ワン公の散歩も寒くたいへんだけど・・・犬は大喜び~♪父母から聞いた開墾話は、今回で8話に成りますが・・・あと20~30回でまとめようと思います!!!山奥の開墾生活は昭和26年春まで続けていたが・・・旧海軍航空隊の跡地(美幌町田中)で耕作可能な土地を安く払い下げて貰うことが出来今の現住所に引っ越してきた!農地も10ヘクタールと倍の広さになり本格的な農業経営の始まりだった・・・山奥での開墾生活は5年に及ぶが「掘っ立て小屋」には水道も風呂も無く、沢の小川から水をくみ出し生活用水にしていた・・・夏は水浴び、冬は湯を沸かしタオルで体をふくだけ・・・山奥の「掘っ立て小屋」・・・ここで5年近く開墾生活が続く・・・そんなある日、開拓仲間のkさんの子供(5~6歳?)が母のところにやって来て「風呂が沸いているから入りに来なヨ!」とぶっきらぼうに誘いに・・・それからkさん家族との付き合いが始った・・・kさんは3人家族で家には風呂があり、父母はたびたびお邪魔するようになり出身も関西なので気も合い、親戚以上の仲になっていった・・・その男子の名は「昭成」通称テルちゃんと呼んでいた・・・!十数年後、父母は「テルちゃん」の嫁さんを世話して仲人になる・・・
2008.12.14
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早朝雪が5~10センチ積もり今日は真冬日になりそうだ・・・!!!寒くなると父はストーブのそばから離れられず・・・自分から外へ出ることはしない・・・昼食後、工房の中も暖かくなり父に角皿作りを頼み(リハビリーも兼ねた毎日の父の仕事)仕事の合間に昔話を聞いた・・・ 山奥で開墾を始め、二年目の春に長男(札幌の兄)が産まれて、父は大喜びで山々を走り回っていたそうだ・・・???当時、町には産婦人科病院も無く・・・産婆さん?に来てもらい山奥の沢の掘っ立て小屋で無事出産、その後も雪が吹き込む小屋で健やかに育ち・・・今現在、札幌の会社に勤務・・・来年の春に定年退職を迎えようとしている!!山奥の春は山菜が豊富に取れタラノ芽、ワラビ、ぜんまい、ふき、アイヌ葱・・・母は料理が得意で手打ちのソバ、うどん、蒸しパンそれに濁酒(どぶろく)まで作っていた・・・十数年前、母から聞いた「濁酒」の話し・・・掘っ立て小屋に遊びに来た客に濁酒を振る舞い・・・酒の飲めない父も「美味しい美味い・・」と言いながら!がぶ飲みして、酔いつぶれた・・・その話をを聞いた私は、その濁酒が飲みたくなり母に「今作れないの・・・?」と尋ねると「40~50年昔のことだから造り方は忘れてしまった・・・」と言われ、あきらめた!父母は酒が飲めないのに・・・私たち3兄弟は酒好きになっている~♪
2008.12.11
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今日は冬らしからず???暖かく快晴に・・・気温の落差は身体にもよくない?・・・ドカ雪の真冬日が続く方が気が落ち着く!!!昨日は香川県の伯父、叔父からたくさんのお歳暮「うどん」が送られてきたので・・・今日の昼食は早速父の大好きな讃岐うどんと野菜たっぷり鍋にした・・・鍋を突っつきながら開墾話を聞いた・・・母の話は語りたくない様子なので開墾中の畑作や家畜のことを聞いた・・・当時は自給自足のために麦、ソバ、ジャガ芋、キビ??、野菜類などを・・・家畜は農耕馬を二軒協同で1頭飼育、もらい物?の子豚一匹を山で放し飼いに・・・子豚は山で自由に遊び、父が呼ぶとトンで帰ってくる!可愛いペットみたいに育てられ、やがて秋になり・・・ここからは母から聞いた話・・・秋も深まり、厳しい冬が来る前に人間も熊や動物たちも栄養をつけ、体力増強の季節・・・父は斧を手に大きく育った子豚を屠殺・・・一撃で仕留められず子豚のプー太郎は逃げ回り、山を走り回り、父は斧を手に追いかけ・・・悲鳴や叫び声が山々にこだまする・・・「プー太郎」は私がブログ用に命名・・・当時父は家畜に名をつける事はせず子牛は「ベー」羊は「メー」子馬は「ボー」・・・と呼んでいたので私たち兄弟も同じ呼び方をした・・・たぶん子豚は「ブー」と呼んでいたのでは・・・???母はプー太郎の悲惨な姿を見て・・・かなりのショックを受け!!結局食べることが出来ず近所の人達にほとんどの肉を振舞い・・・その後肉嫌いになってしまう!!!山奥での開墾一年目の出来事・・・父は母に美味しい肉を食べさせて上げたい一心で「プー太郎」を育てたのに・・・父の思いは届かず・・・???・・・痛く悲しい最期の「プー太郎」の冥福を祈る・・・
2008.12.09
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今日は快晴の真冬日だァ~4~5日続いた春のような暖かさは何処かに・・・?昨日降り積もった雪で家の周りは白化粧・・・積雪5~10cm、このまま根雪になるのか・・・先日私の誕生日に父をつれ、昭和22年当時の入植した開墾地へ車で見に行った・・・父の記憶は少しづつ薄れ「この辺かなァ~?」「あの山の沢辺りに小屋を建てたのかなァ~???」正確な位置?場所は分らず、薄暗くなって来たので写真を撮って帰る事にした・・・ この土地に戦後開拓に入った人達は12軒有り、1軒(1家族)に山や沢5ヘクタール(18000坪)が割り当てられ美幌町や開拓農協の支援の下で開墾が始った・・・直径1メートル近い大木も有り、鋸と斧での開墾は困難続き・・・太い木の根っこは黒色火薬やダイナマイトで爆破したらしい・・・当時一軒に馬車一台分の火薬、ダイナマイトが支給され、それを使い開墾を進めた・・・父は短気でせっかちな性格なのでストーブで薪を焚く時にも黒色火薬を使い薪に火をつけていた・・・父の話を聞いていると母の苦労???が想像される・・・開墾しながら父母の新婚生活は始った・・・掘っ立て小屋に栗毛の農耕馬一頭、子豚一匹・・その秋に母の最初の悲劇が起った・・・とゆうより子豚の「プー太郎」の悲惨な最期??悲劇だったのだ!!!
2008.12.07
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寿司を食べながら開拓話を聞く・・・母と結婚した翌年には長男が産まれ、その翌年は二男、さらに翌翌年に私(三男)が誕生~♪母の苦労もピークに達し・・・父母が一番記憶にある大事件は?・・・2、3才??の二男、長男の喧嘩・・・父母は畑仕事で忙しく目の届かないところで・・・長男は二男を崖下(7~8メートル)に突き落とし、復讐に燃えた二男は大きな石を投げつけ長男は顔面血だらけ・・・ヤンチャで暴れん坊の二人は歳も近く体力も同じくらいなので兄弟喧嘩をよくしていたらしい・・・私が生まれる頃は大阪の叔母さん(母の妹、5女)が手伝いに来てくれて、4~5年一緒に暮らし母はとても感謝していた・・・叔母さんが手伝いに来てくれる前は畑仕事が忙しく、両親は幼い息子二人を家の柱に縛り付けて泣く泣く仕事に出ていた・・・当時の農家では当たり前のようだった・・・ある日、野良仕事を終わらせ畑から戻ると長男の姿が消え行方不明に・・・慌てた父母は長男を探し回り・・・声が枯れるまで、数時間あちらこちらで長男の名を呼び続け・・・陽は沈み・・・まわりは薄暗くなり・・・両親は心配と不安で胸が張り裂けるおもいで探し続け・・・やっと・・・無事に見つける~♪長男(札幌の兄)は自力で縄を解き外の芋畑へ・・・仕事に出て行った両親を探し求め・・・見つけることはできず・・・疲れ果てて、芋畑でスヤスヤ寝ていた・・・生前母は私によく話してくれた「稔が生まれたときは、叔母もいて二人の兄のように辛く、嫌な思いもさせず、育てたのよ~」・・・両親にとって末っ子は可愛い???でも私は札幌の兄にいじめられ続けていた?????それは兄の嫉妬から来ていた???いじめの話は4月26・27日のブログに詳しく書いています・・・兄は記憶に無いと言ってますが・・・
2008.12.04
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今日は私の誕生日~♪夕刻父を連れ網走の寿司屋に行くことにした!車で行くので酒は飲めません・・・残念!!・・・父に今日は何日と尋ねると「・・ん・・・知らない・・・」また質問して、今日は12月4日だけど何の日か分る?しばらく考え「何の日だ・・??」稔の誕生日だよ!と教えると!父は笑いながら「あっ!そうか・・・」だから寿司を食べに網走に行くよと言うと・・・嬉しそうに自分の部屋に着替えに行った・・・網走市内にある中寿司は高校時代の友がやっている有名なお店でオホーツク海の新鮮なネタが売り・・・時々鯨やイルカ???の刺身が出て来るので驚かされる!!!やはり私はウニ、イクラ、ほたて、牡丹えびが好き~♪今日は寿司を食べながら開拓話を聞いた・・・父へのインタビューを初めて1週間になるが、母から聞いた印象深い話はだいたい覚えていた・・・でも直接、母の話になると悲しそうな顔になり言葉が出てこなくなる・・・母の死から3年過ぎようとしているのに・・・まだ立ち直れていない様子60年もの間、朝から夜まで24時間一緒に苦楽を共に過した母の想いは・・・息子の私の想いより・・・遥かに遠く重く深く・・・60年前に制作された洋画「嵐が丘」のラストシーンを思い出す・・・
2008.12.04
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今日は晴れているが風があり寒い・・・夕食後父母の部屋にある古いアルバムを見ていたら結婚前の写真が出てきた~♪父は香川県の水田農家に生まれ(二男)19歳で海軍に志願して佐世保に勤務・・・母は高等女学校卒業後、陸軍司令部経理部に3年勤務、後藤田正晴少尉の下で働いていた事が自慢のようだ(戦後の田中内閣で副総理、幹事長を歴任) 母の父(祖父)は兵庫県出身で逓信省に勤務(台湾にある郵便局の局長)、母の母(祖母)は香川県出身で台湾にいる祖父と結婚、母は長女として台湾で生まれ、優雅なお嬢様育ち(7人兄弟妹)・・・大日本帝国の領土??だった台湾に住んでいたため敗戦後、財産はほとんど没収され日本に戻り・・・2年後に父と見合結婚して北海道に来る父は敗戦後、蝦夷地開拓を夢見て一人で美幌に来て開墾・・・しかし独身者の開拓民は土地の割り当てが難しく、受け入れてもらえず香川県に戻り昭和23年1月28日母と結婚し直ぐ真冬の寒さの厳しい美幌に戻り新婚生活が始まる生前、母は「父の蝦夷地開拓の夢」に惚れて結婚を決めた・・・と言っていたが・・・
2008.12.03
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来月からは父母の歩んだ道「蝦夷地開拓」をブログに載せようと思っています・・・先月札幌の兄と居酒屋で映画「ブタがいた教室」の感想を話している中で父の昔話で盛り上がり、母からは苦労話をよく聞かされていたけど?父からは聞いたことが無く・・・「痴呆症が進む前に聞いて記録しよう・・・」とゆうことになり先日から兄の催促のメールが2回ほど来ているのでそれも載せちゃいました親父にインタビューしてブログで発表してくれよ!或る吹雪の日、母は外出、父は近所の人と将棋、長男(赤ん坊)は奥で寝ていた。事件が起こった。母が帰ってきて、それが判明した!隙間だらけの掘っ立て小屋に、雪が入り込み、長男が雪をかぶったまま動かない・・・・・・・・・長兄が母から聞いたエピソード「父へのインタビュー始める!!」今日も晴れて暖かく+7度、夕刻仕事を終わらせ父を連れ北見の理髪店へ、車で30~40分かかるので車の運転中父に開拓時代の話を聞いた・・・昭和22年??終戦まもなく今の美幌窯工房の東4~5km山奥に入った原野?山林?に開拓に入り3~4ヘクタール開墾・・・鋸(ノコギリ)斧で木を倒し、根っこを掘り出し、鍬で畑を耕す・・・電気も機械設備も無く気の遠くなる地道な作業、1年頑張って1ヘクタール(3600坪)自分の手と足だけで開墾を続け・・・父母は共に大正14年生まれ、22歳で見合い結婚~♪♪♪山の沢に掘っ立て小屋を建て新婚生活と「蝦夷地開拓」が始まった!!!最初は収入も無く開墾で倒した木を薪にして町に売りに行き、帰りに生活必需品など仕入れ・・・私は初めて父の口から昔話を聞き・・・呆けていた父が???若い頃に戻り、記憶も鮮明に開拓時代のことを覚えていて、すらすらと喋り出したことに驚き、感動してその夜は興奮???して目が覚めてしまった・・・私の「ルーツ」を探求?新たなる発見?色々な意味も含め不思議な気持ちに・・・次回は結婚と開拓の経緯についてインタビューする予定でいます~♪札幌の兄から届いたメール 「親父にインタビューして、ブログで発表してくれよ!」・・・ その2 隙間だらけの掘っ立て小屋も、 若かった二人には、暖かだった!? らしい 3男稔と二男芳夫が町に行く! 何で俺は行けないんだ? 親父にビンタくらって, 大声で泣きわめいた・・ 2人は病院へ行くのだった...とほほ・・
2008.11.29
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昨年夏からパソコンを始め、兄の勧めでブログを開きました(嫌々ですが・・?)何を書くか思案中・・・・・美幌窯の作品を中心に考えて・・・?
2008.03.16
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