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2025.07.26
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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おいたち

 安政6年(1859)の秋も大分深くなった、ある晴れた日のことである。

 秋葉街道-といっても、今では知る人もあまりないが、静岡県から山越しに長野県の飯田へ抜ける要路として、昔は相当に賑わっていた街道がある。その入口は東海道の掛川で、三里先に森という小さい町がある。

 この町の中ほどのみすぼらしい駄菓子屋の店先で、浅緑に澄みわたった大空から降りそそぐような小春日に包まれながら一人の幼児が、さっきから片手に持った何かを、耳のそばで振ってみたり、手のひらの上でころがしてみたりしながら、夢中になって遊んでいた。それは、きょう、向かいの小父さんから土産にもらった土鈴(どれい)-素焼に朱や緑で美しく彩色した鈴であった。

 貧しい家に生まれ、貧しい家にもらわれて、ロクなおもちゃ一つ持っていなかった、ようやく4歳になったばかりの幼児には、それが、どんなに嬉しいことであったろう。大事に大事に握りしめて、ソッと耳のそばで振ってみると、コロコロという良い音がする。それは、春さきに田圃(たんぼ)でなく、蛙の声よりももっといい。まるで魂の上を柔らかい羽箒(はぼうき)でなでられでもしたように、ウットリとせずにはいられないような音だった。幼い彼は、いくたびかその土鈴を振っては、夢心地の快感に浸っていた。

 しかし、やがてこの幼児の心に、晴れわたった青空の片隅に、いつの間にか一片の雲が湧き出るように一つの疑問が首をもたげてきた。それは(こんな美しい音を出すこの土鈴の内部には、どんなにすばらしい仕掛けがしてあるのだろうか?それを知りたい)という好奇心である。彼はその土鈴の細く開いている鰐口(わにぐち)に、つぶらな眼を押しつけて、息をこらして中をのぞいて見た。だが、中はまっ暗で、なんにも見えない。振っては中をのぞき、また振っては中をのぞき、そうしたムダな努力を、どれだけ繰り返したことだろう。その努力がムダならばムダなほど、彼の好奇心は強まらない訳にはいかなかった。青空のようだった幼い彼の心は、今はもうすっかり好奇心の雲で覆われてしまった。

 もうこの上は、この土鈴をこわして、中の仕掛けを知るよりほかはないという考えが、彼の柔らかな頭にチラリと浮かんだ。しかし、どうして、この大切な土鈴をこわすというような馬鹿なことができよう。そんなことをしたら、この魂をくすぐられるような天来の妙音は、永久に聞かれなくなってしまうではないか!そんなことは、考えただけでも魂が凍るようだ。彼は、そんな悪魔のささやきのような考えを振り払うように身震いをして、小さい手のひらの中の土鈴をシッカリと握りしめた。だが、このときには、もう悪魔の鈎(かぎ)のように鋭い爪は、彼の心に深く突き刺さっていて、惨酷なまでに幼い好奇心をかい立てた。そして死ぬような苦しい思いをしながら、とうとうその土鈴を割って、中の仕掛けを見ようという決心を、この幼児がせずにはいられなくしてしまった。

 いくたびかのためらいのあとで、彼は軒先の雨落石(あまおちいし)の上にその土鈴をおいた。そして、手ごろの石をさがして。右手に持って振り上げた。もしそのとき、彼の顔を見ていた人があったとしたら、幼児でも。こんなに深刻な表情をする瞬間があるものかと、驚いたことであろう。やがて、震えながら上げられていた小さい手が、振り下ろされた。それは、彼にとっては、自分の心臓を打ち砕くのと、同じ努力であり苦痛であった。その手の下で、ガシャッというかすかな音がして、土鈴は、いくつかの破片となって飛び散った。そしてそのカケラの間から、豆粒ほどの小石がコロコロと転がり出した。それが、この神秘な音の唯一の種であった。それが、幼い彼が死ぬほどの思いをして、探知しようとした仕掛けの全部であった。

 これを知ったときに、彼は初めて大きな声で泣いた。怪我でもしたかと、養母が驚いて駆け出して来たほどに大声で泣いた。それは、悲しいばかりの、口惜しいばかりの涙ではなかった。むしろそれは、大人が命がけの仕事をやり遂げたあとで、ひとり静かに流す涙、それに近い涙であった。

 そんな好奇心は幼児の特色であり、だれでも、幼いときには必ず一度や二度はやっていることではある。しかし、それを大人になってまでも記憶している者は、ほとんどない。彼は、この自分の幼時の経験を、晩年になってからも、昨日の印象のようにハッキリと、その子供たちに物語った。老年になって記憶が消えないくらいに、彼のこうした探究心は、幼時から異常に強烈だった。『三つ子の魂、百までも』というが、このあらゆる事物に対する異常に強烈な探求心こそは、彼の生涯を貫いての性格であった。

 この幼児こそ、明治時代の後半に食品工業のほとんど全般にわたって、その製法を根本的に改革する159件の発明を完成して、わが国で本格的に産業革命をやり遂げた唯一の人として、今でも輝いている鈴木藤三郎の幼い頃の姿であった。





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最終更新日  2025.07.26 12:00:06


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