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2025.11.15
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カテゴリ: 坐禅
「禅談」沢木興道述(沢木興道全集第2巻)

修証一如  その4

 大智禅師の鳳山山居の偈に
  一抹軽煙遠近山(一抹の軽煙遠近の山)
  展成淡墨画図看(展べて淡墨の画図と成して看る)
  目前分外静幽意(目前分外に幽意を清うす)
  不是道人倶話難(是れ道人にあらずんば共に話すること難し)
 というのがあるが、名所が好きだというても、本物の名所では我慢ができないので、それをまねして、チョボチョボと盆栽をこしらえて、棚の上にのせて喜んでおる。
 人間というものは何でも懐中にいれることが好きである。自分の物にしなければ承知せぬ。それで人に見せない。それでいて人がマネするとムカツクのだ。

 大きな禅寺の坐禅堂で接心をやっても、あくまでそれを繰り返している。しかめつらしい顔をしておっても、警策でピシリ・・・とyられるとハッとして「あいつよりはやく悟ってやろう」と、偉い顔をしておっても、やはり早がけ競争を繰り返しておる。そこがじつに微妙で、人間の弱点をさらけだしている。
 それではいかんというので、永平寺の二代様(孤雲懐奘禅師)が『光明蔵三昧』の中に書かれている。
 自分に悟りがなくて人が悟るとやきもちがやける。器量でもその通りで、あいつはあのように器量がよいが、おれはこのとおり器量が悪い。あん畜生、頭が良うありやがる。おれはこんな貧乏だが、あいつはあんなに金がありやがると、どうしてもそこのところは何事によらず、どこまでいっても人間の浅ましさがつきまとう。
 わたしのところへ、採用試験を受けて、通るか知らん、通らぬか知らん、と心配して神経衰弱になってきたやつがある。「お前が通らんならお前よりよいやつが通るのだから、よいじゃないか」といってやったら「へー」と狐につまれたような顔をしておった。おれさえ通ればよい、あいつが通ったらくやしい、というようなやつは通らんほうがよい。
 これは自分の就職ということのみで勉強するやつだが、そういう人は社会のために勉強せぬ。社会のために勉強し、社会のために生きる、道のために飯を食い、道のために茶を飲むというように、道のためにするのでなければならぬ。
 道のために尽くさねばならん身体だからお互いに不養生するわけにゆかんのである。自分だけのためならどうでもよい。自分が採用試験に通らなければーという者にはこの要領が分からないのだ。(『禅談』p.231-233)





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最終更新日  2025.11.15 07:54:33
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