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「ムスビ」がこれからキーワードになってきますよ。師匠に諭された。その為には「ありがとう」だったり「ごめんなさい」だったり「愛してる」だったり「許してください」みたいな言霊の意味を掘り下げて、考えてみる必要があると思った。「こんなにやってるのに」とか「俺は悪くない」とか「わかるだろう、そんなこと」とか「おたがいさなじゃねぇか」とかついつい思ってしまうんだよな。自問自答したい。
2010年03月03日
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浴衣姿の女の子たちが、目の前を通り過ぎた。ちょうど僕は、業者さんが来ていろんなサンプルや新商品について説明を受けているところだった。「浴衣ガールだ・・どこに行くんだろ?」僕はつぶやいた。「そういえば今日は祇園祭ですね!多分今から行くんでしょう」今の時刻は午後4時。浴衣を着て、電車に乗って京都まで・・。ご苦労なことだ。京都を離れてもう5年ぐらいになるのかな・・。この場所で書いていた頃から、ずいぶん遠くに来てしまった。多分当分、京都に足を入れないと思う。いやな思い出しか浮かばない。山鉾巡行をチラッと見たな・・。なるほど、物凄く深いお祭りだと感じた。でも、見に行くことは多分ないだろう。
2009年07月15日
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今年に入って、シフトが変わり少しゆっくり目に出勤 するようになった。 犬の散歩をかねて妻を駅まで送り、帰ってから軽く運動するようにしている。昨日からのどの調子が悪く、今朝は運動を控えることにしてこうしてモニターの前に。 なぜか急に写真が見たくなり、アルバムを久しぶりに引っ張り出して開いた。再婚してすぐだったか、僕の古ぼけたアルバムを新しいきれいなアルバムに張りなおし整理してくれていた。調度結婚式の大量の写真のついでだったと思う。 整理しなおしたときに一度は見ていると思うが、それ以来振りに 開いて眺めた。 他の人がどうかは知らないが僕は一度張ったものをはがしたり することはまれである。深く傷つかない限りそんなことをしない。 それなりに全部思い出という箱の中にいれてしまう。 アルバムに貼る写真、貼らずに捨ててしまう写真の二種類があって 貼らずに捨ててしまうものは思い出の箱に入れてはいけないもの なので、このアルバムに貼ると言う行為はそれなりに僕なりに 選定したものと言ってもいいのかもしれない。 今朝久しぶりに見て驚いたのは、22歳以降の写真は全て 無くなっていた。22歳の後は40歳だ。 はははは・・・・ 笑うしかなかった。前見たときも残念だと思ったんだろうけれど そのときは一緒になったばかりだし、まあいいやという気持ちの 方が強かったのかもしれない。それほどショックを受けた記憶が無い。 残念だ。かなり残念だ。 しかし、男にはどうでもいいことでも女にとっては とてもとても大切なことなんだろう。 写真に写っている全ての女に嫉妬しても仕方ないのに そうせざるを得ないのだから。 しかし、女とばかり写ってないと思うけれど一枚も残っていないとは。この20年間が欠落しているアルバムはとても 違和感を感じる。 改めて僕はリセットのボタンを押したという意味を 考えることとなった。
2007年01月12日
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こっちに戻ってきてちょうど1年がたつ。あの頃のことはもう幻のようだ。この一年のことを事細かく書き残しておきたいと心の中がひりひりとうずくのを覚える。少しずつはき出してみようと思う。あの日、あの出来事がなければもしかしたらまだ・・いやそれはわからないあの日に起こらなくても遅かれ早かれ同じような事件は起こっていただろう。いずれにせよ、丸一年たった同じ日に僕はやっとの思いで再出発をかけることが出来たのだから。それは、10月1日。あの店のオープンの日だった。いまだにあの夜のことを夢に見る。僕は結局招かざる客だったと今になって思い知ることになった。
2006年12月27日
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野良猫を抱きしめたことはありますか?傷ついた犬や、やせ細ってアバラのういた猫や病気をして目やにがついて毛もぼろぼろの野良犬や野良猫達。僕は抱きしめることはおろか、気にとめることは今でも無い。妻と行動しているとしばしばそんな犬や猫たちに出会う。もともと気にもしていないから僕が気づかないだけなのだけど・・犬や猫だけじゃなくすずめや鳩やカラスにいたるまで妻は自愛に満ちたマリアのごとく愛をそそぐ。傷ついた動物達を見かけると足をとめ、腰をおろし顔をなで抱きしめ頬ずりすらする。後でノミに刺されたと大騒ぎするのを僕はわかっている。それでも寒い冬には自分のマフラーを首にかけ、暑い夏には水を与えお腹がすいていると見れば何かを買ってきてまで与えてしまう。どうやら妻は動物達と話が出来るらしい。話を聞き、家で飼う訳には行かないからせめてこれだけでも・・などと動物達に話しかけている。冷凍室にはパンの耳やご飯の食べ残しを貯めており、貯まったら河川敷に鳩やすずめや野鳥に与えに行く。鳥たちは自分たちの規律を守りながらうれしそうに食べている。昨日仕事中にパンをひとつ過って落としてしまったらしい。その時妻の脳裏にはこれをあそこの公園のすずめ達にあげたいと思ったらしい。けれど人が見ていたので変な誤解をされたらいけないのでそのままゴミ箱に捨ててしまった。胸が熱くなった・・そう話していた。僕はそんな妻の話を興味深くいつも聞いている。妻の子供の頃の話など聞くと本当に面白い。自愛に満ちた話ばかりだ。妻の前世は間違いなくムツゴロウさんだ。妻にそう言うと「いや、まだ生きてるやん」と笑った。おいおいまたかよ~と二人で歩いているとき思うけれどそんな妻が大好きである。
2006年07月28日
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仕事を休んで四日目。 やっと何とか歩けるようになってきた。 左目の上をアスファルトでぶつけてしまい3針ほど縫っている。 まぶたが変色しまだ腫れは引いていない。 歩けるといってもしゃがんだり立ち上がったりという動作が まだ困難な状態だ。少しでも早く仕事に復帰したいのだが・・ 腰の痛みさえ引いてくれれば。 レントゲンを腰を中心に何枚も撮った。幸い骨に異常は無かったが どうやら背骨は老化が進んでいるようだった。 「椎間板が少しへたってきてますね、事故とは関係ないけれど」 と写真を見ながら先生が説明した。 どういうことですか?と聞くと単純にいえば老化なのだという。 くるべきものは確実にきているようだ。 今から体を鍛え直し健康にも気をつけていこうと思う。 妻には本当に頭が下がる。 ただただ感謝。 梅雨明けですね。 暑いけれどクーラー無しで頑張っています。 暑さ対策としては 軽く絞ったタオルを冷凍し首、脇、ひざの裏などにはさむと 体が冷えて気持ちいいです。保冷材をタオルで巻いてもいいですね。 寝るときは「アイスノン」を愛用しています。 扇風機は回りっぱなしですけど・・もう1台欲しいくらい。
2006年07月27日
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日曜日の夜だった。 仕事から帰ってくると自宅に妻の友達が遊びに来ていた。 僕は前日朝5時まで仕事をし、その日も昼から仕事に出て いたので8時半には家に帰っていた。とても疲れていたけれど 一緒にビールを飲んだ。とにかく眠かった。 9時半ごろ友達が帰るというので見送りついでに妻と さくらの散歩にでることになった。我が家の前には 阪急の天六に向かう線路が走っている。線路の向こう側は 車道になっている。車道は狭く歩道もなく街灯も 少なく少し危ない。天六に向かって左は線路のフェンスが続き 右は浄水場の壁が続く。 普段なら線路を越えずに手前の路地を歩くのだが友達の見送りが あったので家の前の踏切を渡り車道に出て友達の自転車を見送ったのだった。ぱらぱらとした小雨の中僕らは傘をさして次の踏み切りでまた路地に入ろうと思っていた。 別にふざけて横に広がって歩いていたわけでもなかった。車道の 左側を妻がフェンス側、間にさくら、僕の順番で僕は車道側を 歩いていた。 本当に突然のことだった。僕は後ろから何かに追突されて 前のめりに転倒した。何がなんだかわからなかった。 妻の悲鳴が聞こえた。少したってから前進に激痛が走った。 かなり痛い・・痛みをうめきながらこらえていたように思う。 少したつと人だかりが出来ていた。どうやら僕はバイクに はねられたみたいだった。誰かが救急車を呼んでいる。 バイクに乗った若者が謝っていた。妻が激しくその少年に 怒っていた。つなぎを着た青年が僕にペンライトを照らし 怪我をしている箇所を確認して頭から流れている血をタオルで 拭いてくれていた。 救急車がくる頃には僕もだいぶ冷静になって自分がどのような状態かを把握できるようになっていた。痛いけれどたいしたことはない 、命に別状はないと思った。ただ雨の中濡れたアスファルトに 横たわっていたので体が冷えてしまい寒かった。また警察も来ていた。 救急車に乗せられたものの、ちかくの病院には内科の先生しか いないらしく少し離れた病院に運び込まれた。すぐに 傷の手当て、そしてレントゲンをとられた。骨には異常がなかった。 レントゲン室から担架で運ばれるときに待合室で妻の姿が見えた。 「大丈夫や、俺でよかった。お前やったらこれですんでへん・・よかった。」僕はそう言った。 先生には入院しなくても大丈夫。外傷はたいしたことはない。ただ 腰を強く打っているのと頭が心配やから後日検査するといわれた。 担架から降り、ゆっくりと立ち上がってみた。激痛が足腰に走るが 何とか立ち上がることが出来た。かろうじて歩くことも出来る。 ほっと胸をなでおろした。 待合室に行くと妻の横にさっき見送った友達と彼氏が心配そうに ベンチに座っていた。 そしてバイクの若者、そしてつなぎを着た青年。 「本当にごめんなさい、きちんと保険屋さんに連絡して対処してもらいます。ごめんなさい」と若者は謝り続けていた。 対向車のライトで僕がまったく見えなかったと彼はいっていた。 彼の住所は僕のすぐ近所だった。つなぎの青年は線路の反対側の バイク屋の人だった。事故と知って駆けつけてくれたらしい。また 若者とは顔見知りだったらしくわざわざ病院まで若者についてきてくれたらしかった。 若者が良かったら車を用意したので送っていきますといってくれたが妻の友達の彼氏が車で来てくれていたのでその車で帰ることにした。 これが事故のあらましです。 そして昨日、おとついと病院の検査および警察の事情徴収など を終え、自宅で療養中です。診断書は十日間の加療が必要と 言われました。 まずは大事に至らなかったこと。 妻だったらこれで済んでないと思う。 さくらなら死んでいたかも・・ それだけでも神に感謝。 それからバイクの若者がちゃんと保険に入っていたこと お金の心配はあまりしなくて済むこと。 これも感謝。 しかしながら妻はやけどを負いやっと直ってきたと 思ってた矢先の事故だけに自分自身なにがいたらなかったのか よく自問自答したい。 心配してくれた皆様、ありがとうございます。 早く元気になって復帰します。
2006年07月26日
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夕べ久しぶりに悔しいと思った。 結果ばかりが全てではないが、仕事だって プライベートだって結果がなければ笑ってなんか いられない。 悔しい気持ちをエネルギーに変えるために 「これも修行だ・・」 とつぶやいた
2006年07月23日
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雨ですね。涼しいので許します。新しい職場に移って早二月がたちました。少しずつではあるが自分の思う場所へと向かいつつあるような気がします。日本酒もそろえて見ました。立ち飲みに限りなく近いタイプの店なのでセレクトにとても悩みましたが緑川(純米)れい泉(本)王禄(本)東洋美人(本)駿州中屋(本)義侠きざし(本)こんな感じ。反応も上々です。世の中焼酎だらけで日本酒好きの人のみならず焼酎に飽きてきて日本酒のみたいなーという感じにやっとなってきているとお客さんの話を聞いて感じます。確かにこの異常な焼酎ブームのおかげで、どのような焼酎が受けるのかということがはっきりしたので焼酎全体の味がそっちに向いてしまって全体的にレベルが上がりどれを飲んでも結構おいしくなりました。いいことだと思います。僕は焼酎をほとんど飲みません。飲むときは甲類と決めています。お茶か水割りレモン。大概日本酒を飲んで満足したけれどもう一杯だけ何か飲みたいときにそうします。確かに店に置く焼酎はきちんと説明しなければいけないのでテイスティングはします。おいしいと思う、けど普段飲みたいとは思わない。さぁーてそろそろみんなを呼んでもいいかな遊びに来てください。
2006年07月19日
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誰でも無意識な瞬間にぽっかりと入ってしまうときが 一日の中に何度かあると思う。 そんな時、無防備だし、大変なことをしでかして しまった・・・ コーヒーメーカーでコーヒーを落としていた時だった。 ランチが一段落をして他の作業をしながら自分の中では コーヒーはすでに全部落ちていると信じて疑わなかった。 コーヒーかすを捨てようと思い、フィルターの部分を 引き抜いたのだ。思い込んでいるから結構な勢いで フィルターを引き抜いた。 右手の甲を中心に激痛が走った。頭から心臓が飛び出すかと 思うくらいの激痛と驚きだった。 瞬間、フィルターの中にたっぷりと入ったコーヒーが さぶんと自分の手の甲にかかるのが見えた。 驚きと同時に無意識状態からスイッチが入り意識が戻ると 同時に激痛が走ったのだ。 瞬間にフィルターを手放せばこんなにひどくはならなかったかも 知れない。意識が戻ったとたんにフィルターを離せばあたりに コーヒーとコーヒーかすをぶちまけることになる。 熱さと痛みをぐっと耐え、シンクまでフィルターを運ぶ方を 選んでしまった。 店内にはまだランチのお客様がたくさん残っていた。 声を出さなかったといえばかっこいいがあまりの痛さに うずくまるしかなかった。周りのスタッフも忙しそうに している。助けを呼ぶことも控えてしまった。 とにかく冷やさなければと水道水を患部にかけて見るが 季節的に水がぬるんでおり、まるで湯をかけているような 激痛に襲われ泣きそうになる。あわてて製氷機から氷をバケツに 入れ水をはり右腕を突っ込んだ。 その時になってスタッフのみんなが気づいてくれ店は 大騒ぎとなる。 ☆ 連絡を受けたときはびっくりした。 妻がやけどを負ってしまったらしい。 ダディにその旨を伝え昨日は仕事を早めに上がらせてもらった。 肘から下を包帯で巻き痛々しい妻の姿に胸が詰まった。 少しでも力になろうと思いつくことはしてあげた。 包帯姿のまま妻は今日も仕事へと出かけていった。 心配だ・・おまけに寝坊したし。
2006年07月05日
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僕たちは、逃げるように京都から脱出した。 半年経った今でも、フラッシュバックのように あの頃のことが脳裏よみがえっては胸がつまる。 あれほど人や土地になじめなかった経験はなかった。 今でもテレビや雑誌で京都に関係する物事を目にするたびに 嫌な持ちになり、目をそむける。 僕らは貯めたわずかな貯金を全てはたいてこの場所に 移り住んだ。残った金はペナルティで減給された約半月分の 給料だけだった。もうじき金が底をつき僕が職を見つけ そして安定するまでには時間がかかることは目に見えて いたけれど僕らの行動はそれを覚悟の上で京都から まずは脱出すること、それ以外に僕ら夫婦が安心して また穏やかな暮らしを勝ち取ることは出来ないと考えていた。 妻は12月20日に引越しさせた。前の晩から大雪が降り その雪は引越しがすむまで降り続いていた。僕らにとっては 夜逃げ同然の行為をしていたから神様が雪で目隠しをしてくれているように感じた。 誰に気づかれることもなく速やかに静かに引越しは 完了した。積もった雪に残る引越し業者のトラックの轍だけが 僕の目に焼きついている。 それから1月14日まで僕は店で寝袋に包まり寝泊りする。 最後の日はあっさりしたものだった。レジを閉め預かっていた 店の鍵や金を返し鍵を閉めた。それで打ち捨てられた。 すでに電車は動いていない時間だった。僕はタクシーをひろい 京都から妻とさくらが待つ大阪へと向かった。金がどうこういう 問題ではなかった。とにかく一時でも早く妻の下へ駆けつけたかった。 知り合いもいなければ友達もいない妻を不憫に思い京都で 暮らしているときに妻にスポーツクラブに行くことを薦めた。 妻はそれを唯一の楽しみとして暮らしていた。 帰ってきてから早くスポーツクラブにまた 通えるようになりたい、出来ればあなたと二人で。 そう妻は言った。僕はよし、二人でがんばって早く スポーツクラブへいけるようにしようと最初の目標を たてた。 あれから半年。 妻は少ない金をやりくりして本当に耐えてくれた。 借金もせざるを得なかったけれど、返していく目途も 立てることが出来た。僕も仕事で迷いや自問自答を繰り返した けれど自分が今出来ることを精一杯やるしかないと 思うようになれた。 妻は職場でもめ、一月分の給料がもらえなかったりと つらいこともあったけれどやっと気に入った職場に落ち着き 先月は特別ボーナスをもらえるようになった。 妻は念願のスポーツクラブへと通うこととなった。 初日の話を僕にうれしそうに話してくれた。 僕も週に一回だけれど好きなプールに通い、こうして ビール片手にモニターの前に座れるようになった。 未だ満足な給料は手に入れていないけれどなんとか 山は越えることが出来たと僕らの中に実感として持つことが 出来るようになったと思う。 今日よりも明日、明日よりもこの先が良いい方向へと進むように 僕は感謝を持って生きていきたい。 さくらは布団の上で大股おっぴろげて昼寝しています。 本当にやさしい気持ちにさせてくれます。 妻とさくらを心から愛しています。 ありがとう、本当にありがとう 僕は妻と三つの約束をしている。約束というよりも目標。 ひとつ 3人の子供たちに囲まれて幸せに暮らす。 ひとつ 妻を犬ゾリ旅行に連れて行く ひとつ 妻をイルカにのせる 目標に向かってがんばります。
2006年06月22日
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思いつきで購入したステテコを気に入っている。見栄えは悪いし、ズボンの下にはいたら暑いだろと思っていたのだが、意外や意外さらさらとして気持ちがすこぶるいい。最近字がにじむ。 少しきているのかな?とダディに相談して見た。 ダディは僕より五つ上の同僚だ。 本店に息子さんが勤めていてるので いつのまにかみんなからダディと呼ばれるようになった。 あっそれ間違いなく老眼ですよ! 私の老眼鏡かけて見てください。 ためしに貸してもらって老眼鏡をかけてみる。 驚くほど文字がクリアに見えた・・・ 少なからずショックを受けた。 確実に老化は進行しているのだね。とほほ・・ ほっとくと老眼は進行しますよ。 本やパソコンをするときは老眼鏡をかけたほうがいいですよ。 とダディにとどめをさされた。 白髪も増えてきたし、ステテコ気に入るしやばいですね。
2006年06月21日
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やばい・・思いつきでステテコを履いてみたのだが・・僕は人より太ももが太い。太さだけは競輪選手並なんだそうだ。なのでどうしても股ずれが悩みの種なのだ。で、思いつきでステテコを購入し試しに履いてみた。気持ち良すぎる。さらさらとした感触は一度経験すると辞められない感じだ。なるほど・・先人の知恵ですね。皆さん一度試してください。でも見栄えはかなりまずいっす。
2006年06月18日
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雨です。 1週間ぶりにまたまたプールへと行きました。 人が少なかったので先週よりは普通に泳ぐことが出来ました。 10分間の歩行 30分クロール 400メートルバタ足 400メートル腕だけクロール 200メートルクロール 10分間歩行 ばてばてです。 その後に図書館に寄り、浅田次郎を借り いざ酒屋へ!! 今日は給料日なので奮発して緑川の「緑」を購入すると 決めていました。 東淀川警察の裏に緑川専門店があるのを発見してから 早3ヶ月。 あ~5年ぶりくらいかもしれない。 これで今夜は鍋でもつつこうかな
2006年06月15日
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2006年06月15日
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約3週間ぶりの休み。久しぶりにゆっくりモニターの前に座っている。今痛感しているのは運動不足。水泳を止めて早3年・・引き締まっていたボディは元のデーブへと戻ってしまった。毎日鏡の前で膨張したおなかを見てはため息ばかりの毎日です。というわけで、プールに行っています!妻が一人で退屈だろうから(7時から仕事に行ってる)プールに行ってきたらと水泳パンツとゴーグルとキャップを引っ張り出してくれました(愛!)定期的にいけたらいいなぁ。ついでに図書館にも寄って本を借りてこよう!あ~休みってすばらしいないものねだりになるかもしれないけれど一人の時間がもっと欲しいかな。
2006年06月08日
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今までずっと通過してた場所だった。たった一駅だけど、そこを通過して川を渡り梅田にいつも通っていた。だから、毎日途中下車しているような変な気分になる。この前、妻が僕の靴を買ってくれるというので仕事前に梅田のSTEPにいって来た。あそこはいろいろ揃ってて安いし、親切だ。妙に威勢がよくてやかましいけど(靴屋の居酒屋化現象と呼んでる)僕の足は甲が高いからワイドタイプでどうのこうの・・と言うだけで、どんどん見せてくれアディダスの靴が2900円で買えた。梅田が好きだ。とても落ち着く。梅田といっても阪急エリアが好きだ。靴を買いに行ってそう思った。でも十三もかなり個性的でおもろい町なので楽しさを見つけていきたいと思う。
2006年06月07日
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昨日からランチをはじめる。 いろいろ考えた結果、この店ではセットものを 提供するにはキッチンのつくりが横に長すぎるので 自分の移動距離が右へ左へ大変なので 単品勝負で行くことに決めた。 一応とりあえずのメインは天丼と豚汁。 お客様の反応を見ながら少しづつ修正をかけていきたい。 妻があたし手伝ってあげてもいいよと言ってくれた。 今まで一緒に仕事するのは気が進まない風だったのに これも心境の変化か。 出来ればそうなればいいなと妻の気持ちがうれしかった。 早く営業的に人を入れないと無理だと会社に言えるところ まで持っていきたい。 がんばる
2006年06月02日
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新しい職場に来て1週間が過ぎた。自分をこの場所になじませること、ものがどこにあって所定の位置がどこでとか、自分の動きが自然にスムーズにできるようにとか、そんなところだ。1階はカウンターだけで横に長く幅が狭い。人がすれ違うことさえままならない。特に僕は体がでかいのであちこちにぶつかったり当たって物をひっくり返したりする。昨日はビールサーバーのビールの受け皿が背中にあたりお尻からビールをかぶってしまった。乾くととても臭い。久しぶりの電車通勤で本が読めることがとてもうれしい。二駅の短い距離なのですぐについてしまうけれどこの1週間で春樹の短編を1冊読むことが出来た。何度も何度も読み返しているけれど本というのは読み返せるからこそ好きだ。読み進んでいくとたまに物がはさまってたりする。大体は本屋でもらうえ~っと度忘れした。とにかく何ページまで読んだっていう紙の名前なんだっけ。大体はあれ。今回読んでいた「蛍」にはあじさいクーポンというのがはさまっていた。よくスーパーとかでもらうロータスクーポンみたいなやつ。あじさい・・・あっ・・鎌倉。みんなであじさい見にいったな。あじさいが坂の両方にこぼれるほど咲いていて坂を登ると湘南の海が見えた。あれがきれいで次の年にガールフレンドともう一度言ったな。そういえばリスがちょろちょろしてた。そんな心の中の鍵穴にあじさいクーポンがすぽっとはまって扉があいた気分で、甘酸っぱい切ない気持ちになった。多分春樹の文章を読んでいるから尚いっそう鍵穴の奥に入ってしまったのかもしれない。今朝読み終わった本を元に戻し新しい本を本棚から取り出しぱらぱらっとめくって見ると今度は以前勤めていたうどん屋の箸袋をまたそれに使っていた。僕は思わず吹き出してしまった。あの店は本当に愛していた。いい店だった。残念ながら潰してしまったけれど。でも箸袋はサイズ的にとてもいいですよね。よく本にはさみます。僕だけかな?
2006年05月29日
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神棚をおきたい。ここに引っ越してからずっと思っている。ただ、いろいろそろえるとお金かかるなぁと思って今は控えている。会社に入ってやっと三ヶ月たったばかりだし自分が思っている給料には達していないから。うまくいえないけれど、こういう事は妻と気持ちが同じにならなければしてはいけないような気がする。妻から見ればそれは僕の趣味のひとつくらいに見えると思うし趣味にお金を使うほど今のうちの家計は余裕がない。ただ、昨日鎮守神社の神主さんとお話する機会を持つことが出来た。そこで家に神棚をお祭りしたいと話をすると一社造りの神棚ならありますから二千円でお分けできますよと言って貰えた。えっ!?そんなに安いの?三社造りは神具店を紹介するからとその神具店の名刺をいただき神主さんの紹介だといってたらわかるからとおっしゃってもらった。見ると場所は十三だった。それもこの前地図で調べてお参りに行った神津神社の横だった。ありがたいことですね。一度たずねていこうと思っています。給料が安定したらお祭りしたいと思う。神棚を祭るにあたりずっと心に引っかかっていること。それは、今こうして産土さま、鎮守さま、ご先祖様に手を合わせ神様に感謝していることには変わりないのだけれど自分自身が子供の頃から手を合わせている実家の宗教がある。「おおもと」その大神さまをないがしろにしているような気がしてならないのだ。慌てずゆっくり考えて見たい。
2006年05月27日
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ここ最近毎日こうやって書き込みが出来るのは今月だけ昼の12時出勤だから。妻が仕事に行った後にパソコンに向かう時間が久しぶりに取れていると思う。妻の仕事は朝が結構早い。早く寝たほうがいいと思うのだけどよっぽど体調が悪くない限り待っていてくれる。それからほんのわずかな時間を惜しむかのようにいろんなその日の出来事を話してくれる。その間、テレビやパソコンは厳禁である。話すだけ話すと満足したかのように妻は布団にもぐりこむ。やれやれと思い、パソコンをつつきだすと今度は布団の中から話し掛けてくる。うん、とかあー、とかふ~んとかいっていると「パソコンばかりしてまたあたしの話を聞いていない」と怒り出す。「ちゃんと聞いてるよ」などというと「じゃぁさっきあたしがなに言ってたか言って見てよ」と問い詰められ僕がとんちんかんな返事をして怒ってバシッとか障子を閉めてやっと寝る。テレビはうるさいからと思うからこそ、パソコンでニュース見たりしているのだけれど妻が寝るときは僕も寝て欲しいみたいで「早く寝なさいよー」と二分おきぐらいに言ってくる。だからって布団は一緒じゃなくて隣の部屋。(朝早い日は少しでも安眠したいらしい)あれおかしい。こんなこと書くつもりじゃなかったのに。感謝しつつも、こんなことも考えているってことでよろしくー!簡単に言えたら楽なのになー。
2006年05月26日
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新しい店は十三の交差点にあって立地的には申し分のない場所といえる。カウンターが20席、2階にテーブルが7席。立ち飲み感覚でおでんと串かつと餃子をメインでがんばっている。今は夕方の5時から翌朝5時までの営業なのだが僕が加入したことでランチをはじめようということになっている。三日間まずは気になるところをお掃除させてもらって仕込みや夜の営業、客層や近辺の人の流れなんかを見ながら、店に慣れることに専念している。マップファンで十三の交差点を表示させて改めて街がどんな風になっているか視覚でざっくりと頭に入れた。ついでに(こっちがメインかも)店から一番近い神社と近くにある神社がどのくらいあるかをチェック。十三には神社はひとつしかなかったので早速お参りに行くことにした。しっかりとご挨拶してきました。不思議なことにここに来てからずっと悩まされていた肩と背中の痛みがどこかに消えてなくなっていた。いろんな物事というのは環境が左右するみたいだ。ランチをするにはちょっと設備が足らない。毎日(まだ三日だけど)思案している。ありがたいことに客層はとてもいいと思う。やれることから改善してがんばってみたい。
2006年05月25日
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僕のブログのトップページが突然変に縦長になってガタガタで見にくくなりました。いろいろさわってみるけど元に戻りません。誰か治し方知ってる方、教えてください。よろしくお願いします。
2006年05月24日
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もし財布が落ちてたらどうする?誰も見てなかったら・・その後妻と二人でそんな話をした。俺はすぐ届ける。財布なら。裸でお金が落ちてたらもらうかも・・すると妻はあたしはもしかしたら全部ぬかずにちょっともらうかもーって言っていた。うむむ・・そんな機会は来ない方が良いな
2006年05月24日
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友人に結婚祝で頂いた財布を落とした。お金はいいけど免許証、保険証が入っていたのでなくしたときにはものすごく慌てた。岡山から帰ってきてレンタカーを返し、自転車での帰り道に落とした。無事に帰った報告を鎮守神社の大神さまにお参りに行こうとお賽銭を探したときに気づいた。もう夕方6時くらいで日も暮れかかってあたりは暗くなってきていたから僕は慌ててレンタカーまでの道を引き返し眼を皿のようにして探したけれど見つからなかった。仕方無しに交番に届に行ったのだがおまわりさんは見回りに行って不在だった。はぁ~・・とため息をついていたら僕の携帯電話がなりだした。知らない番号だったけれどもしやと思い電話に出ると「あなたクスクスさんですか?」「は・はい~」「財布落としたでしょ。・・マンションの管理室だけど届出があったんで来てもらえますか」「ありがとうございますぅ~すぐに伺います」「すぐに来れる?それなら届けてくれた人に待っててもらうけど」「3分で行きます。よろしくお願いします」僕は自転車かっとばしてそのマンションに向かった。実はそのマンションは京都に行く前に住んでいたマンションだったから管理室がどこにあるかまでよくわかっていた。管理室につくと男の子を連れたお母さんが待ってくださっていた。「どうもありがとうございます!!」深々と何度もお礼を申し上げた。残念ながらお札だけは抜かれていた。しかし後のものは全部無事だった。管理人さんにも何度もお礼をしてからひとつの疑問を聞いて見た。「あの~なんで僕の携帯の番号わかったんですか?」財布の中に連絡先を書いたものなど一つもなかったと僕は思っていたのだ。「銀行の振込みカードに載っていたんや。もしやとおもってかけてみた。つながってよかったわ」後でしらべると確かに振り込みカードに僕の番号が載っていた。ありがたしありがたし・・・。鎮守神社に戻り大神さまに無事に戻った報告と財布が出てきた感謝とお礼を申し上げて家に帰った。もちろん妻には怒られました(笑)はぁ~お金5千円はいっていたのになー。そのお金で緑川の「緑」かうつもりだったのに・・でも大難を小難に、小難を無難に。感謝!ラッキーラッキー!
2006年05月24日
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御前酒飲まにゃ~ええ酒じゃぁ実は先週3連休をもらい妻の実家に帰ってきた。僕の田舎は南の島だけれど妻は岡山の山の方。こう書くと行くのにものすごく時間がかかりそうだけれど高速を降りてすぐなので3時間もあればついてしまいます。田舎とはいえ立派なスーパーもあるしレストランも国道沿いにたくさんあるしとてもすみこごちはよさそうです。お墓参りをして、おばあちゃんに挨拶に行き従兄弟の家でしゃべり温泉に行き妻の親友たちとおしゃべりをしてきました。特におばあちゃんの家は本当に山奥にあり冬の間は雪で車では絶対いけないような場所にあるので正月に帰っても挨拶にいけない。まるで映画「阿弥陀堂だより」に出てくるような場所なのです。今回感じたことは、妻がもう田舎に暮らすことはないと今まで言っていたけれど心境が少し変わってきたのでは?ということ。時間が足らなかったと帰り道に妻は話していました。やはり一番心配なのはお母さんなのです。今はまだ元気だけれど。5年後10年後妻の田舎に帰って生活することも一つの選択肢だと感じました。ところで御前酒。今まで普通酒ばかり飲んでいたせいか僕の評価は低かったのですが今回お母さんが奮発して「純米酒 美作(みまさか)」を買って来てくれて飲みました。ナイス!うまい!!ヒット!!!久しぶりにおいしく頂きました。ぜひ一度飲んでみてください。でぇれぇーうめぇがぁ(笑い)
2006年05月23日
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ここ1年たったの一冊も読んでいない。昨日から久しぶりの電車通勤(とはいえ乗車時間5分)久しぶりにズボンの後ろポケットに文庫本を入れ出勤した。何度も読み返している本だけれど新鮮に感じた。しかし時間が短すぎるな~。
2006年05月23日
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今の仕事は楽しくないとこの前書いた。楽しくないなりにもまじめに働いてさえいれば周りからは頼りにされ、そして大事にもされ自分自身にもある意味仲間意識というか共にがんばった者通しの友情みたいなものは生まれるものだ。長年勤めて辞めた会社が今大変なことになっていると浜ちゃんから打ち明けられ、僕はその時に出来ることなら会社の戻り微々たる力かもしれないけれど少しでも役に立ちたいと思った。1月に京都から帰ってきて浜ちゃんと話したときに今は迎え入れることが出来ない。後三月待って欲しいといわれた時は僕自身そんなに深く考える前にとにかく早く次の就職先を決めて収入を確保しなければ生活が成り立たなかった。いろいろ面接を受けたけれど僕はまた知り合いのT氏の紹介で次の仕事を決めた。その知り合いが前の会社での大事な取引先の担当者だった。僕の中では紹介してもらったとはいえいろいろ面接を受け、採用通知も何社からもらった上での選択肢の中の1社ではあったが、神様の後押しを感じて今の会社に決めた。つまりT氏は前の会社の担当者でもあり今の会社の担当者でもある。そんな折、僕に店長として転勤して力を発揮して欲しいと今の会社から言われた。僕は自問自答した。その話を受けたら自分自身がんばるだろう、しかし前の会社に少しでも力になりたい。どちらかといえば後者の気持ちの方が強かった。今の会社を辞めるにはその話を断って辞めるのがいいタイミングだと思ったからだ。僕は前の会社の社長と話がしたかった。彼の気持ちを聞きたかったからだ。だから社長と何とか連絡をとりたいと思い僕の電話番号とアドレスを前の会社の同僚に社長に渡してくれるように頼んだ。社長からではなく浜ちゃんから連絡が入った。浜田は言った。「彼の顔をつぶすことは出来ない。帰ってきて欲しい、何とかしてやりたい。だけど会社にはT氏が必要だし彼の力を会社は必要としているから」OK。僕は今の会社でがんばることにした。まずは目の前にあることをしっかりとやりこなし自分の責任を果たすことにする。そう気持ちを切り替え意思決定したのが一月前の話だ。楽しくないと思わずに、自分なりの楽しみを見つけて仕事をしていこうと思ってから吹っ切れたような気がする。今日が転勤の日。新しい気持ちでがんばっていこうと思う。浜ちゃんは言った。「落ち着いたらT氏と飲みに行くから。それまでにはちゃんと自分の店にしとけよ」仕事を楽しんでがんばってみる。
2006年05月22日
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テレビでやっていたらしく、仕事から帰るとその話を妻が長々としゃべりだした。ふんふん聞いていたらビデオに録画しているらしい。それなら最初から見せてくれたら良いのに・・と思いながら拝見させていただいた。自分自身が経験者なのでいろんなことを思い出してしまったけれど自分なりには反省し二度と繰り返さないためにもいたらなかったと思われる点は改善してきたつもりでも、妻はランキングが更新されるたびに「そうー!この人そういう所あるのよね!!」と僕に指を刺しながら僕をにらんだ。とほほ・・なんと第一位は「家事を手伝ってくれない」だった。浮気より借金よりそうなんや・・へぇ~と納得しながら見ていると「あたしはなんと行っても会話や!ぜんぜん会話できてないもん!!」(ちなみに六位)テレビでも世の男性は会話は出来ていると思い込んでいて女性はまったく出来ていないとおもっているとテレビでも統計が出ていた。僕の場合、テレビがついていると気がそっちにとられてしまって妻の話を聞いているようで聞いていない場合がしょっちゅうあります。妻もそれをわかっているくせに僕がテレビを見ているときにまじめな話を熱く語りだしてしまいには怒って電源をきられてしまうのです。あとは妻の話は聞くけれど、自分の根っこにある気持ちはあまりださないのが妻としては不満なのかも知れません。でも夫婦円満の秘訣は妻の話をちゃんと聞くことにあると思います。すべては積み重ね。大事に大切にいきたいです。
2006年05月13日
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今の職場は楽しくない。ものすごく悩んでいる。人の紹介というのは金銭の貸し借りと同じですね。反省しています。そんな折メガトン級の出来事が僕を襲った。そうか・・浜チャンが言っていたのはそういうことだったのか・・だからといって自由にならない自分を悔やみながら自問自答している。真剣に悩んでいる僕を妻は妻なりのまっとうな意見で僕を支えてくれている。筋を通す<自分の人生を考える毎日そんなことを考えています。
2006年04月14日
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僕らは大阪に帰ってくるのに貯金を使い果たしてしまった。このお金はいつか生まれてくる子供の為に大事にとっていたものだった。それを引っ越し費用にあてるしか僕らがあの場所から逃げ出す方法はなかった。 仕事を辞めるという事は次の職が決まるまでは収入は全くなくなるという事だ。僕はなんとか半月で職は見つけたけれど約2ヶ月収入がゼロの状態が続く。 引っ越しが敷金やいろいろたすと80万ほどかかったし必要なものを揃えて月々の支払いをしてしまうと底をつくのは時間の問題だった。 僕らは借金するしかなかった。最初カードローンで限度いっぱいまで引き出したけれどひと月しかもたなかった。生まれて初めて消費者金融を利用する事となった。 今の僕には何も後ろ盾はないから審査はぎりぎりだったと思う。 なんとか審査に通り月末の支払いをする事ができた。最初の給料まであと半月。質素に暮らしていきたい。 これはわかっていた事。踏ん張り所だ。妻に本当に感謝したい。
2006年03月03日
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仕事をしだしてほぼ一ヶ月が過ぎた。今まで一人で準備をしアルバイトを1,2名使って店をまわしてきたのに対して今回は社員が15人、アルバイトが20人いるような大型の店舗で客席は150席おまけに2階3階宴会場という店で自分をどうなじませていくかというを重点的にこの一月やってきた。今のところもうひとつなじめていない。ただ、この会社のいいところ良くないと思うところは自分なりに見えてきたと思っている。しっかり自問自答して自分がとるべき道を模索したいと思っている。
2006年02月26日
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さー今日から仕事。がんばるぞー!!
2006年02月04日
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妻がバイトに言っている間にトマトソースを作ろうと思った。最近ずっと市販のパスタソースばかり使って食べているのでたまにはうまいスパゲッティが食べたいなと思ったからだ。フライパンにオリーブオイルを入れ、低温でゆっくりとつぶしたにんにくをきつね色になるまで熱し、引き上げる。そこにローリエとたまねぎのみじん切りを加え中火であめ色になるまで炒める(10分くらい)つぶしたトマトホールを加えゆっくりとへらで時々かき混ぜながらぐつぐつと煮詰めていく。これだけの作業だけど部屋はいいにおいで一杯になる。最後に塩と胡椒で味を調える。これで出来上がり。妻が帰ってきてから早速パスタをゆでて作ってみた。本当はベーコンやピーマンをいっしょに炒めて作りたかったのだけれどわざわざ買いに行くのも面倒なので冷蔵庫に残り物のあら引きソーセージを入れてみた。トッピングに最初に使ったにんにくをトッピングした。妻がうまい具合にバイト先からバケットをもらってきたのでついでにガーリックトーストも作った。さっぱりとした味でとてもおいしかった。パスタにはビールが一番ですね。これで材料費は300円弱。幸せだ。
2006年02月03日
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ハマちゃんは僕の親友だ。前の会社の同僚で本当にプライベートでも仕事でもいつも僕を支えてくれた。今回京都から帰ってきた時に僕はハマちゃんに相談していた。帰ってこないかとハマちゃんは言ってくれた。ありがたい申し出だった。20年近く勤めた会社に戻るということは、すぐに何も迷わずに仕事が出来るということであり給料面でもある程度見込めるということだ。僕が取るべき一つの選択肢に十分入っていることだった。ただ、2ヶ月ほど時間が欲しいとハマちゃんは言った。訳は話してくれなかったが今すぐにという訳にはいかないらしかった。その事について僕は良く考えると返事をした。僕には僕の生活がある。出来ればすぐにでも仕事につかなければ生活が成り立たない。すでに妻は何回かの面接で気に入った仕事を見つけ働き出していた。二ヶ月の短期のアルバイトを探してその場をしのげるほど若くはない。それにここに帰ってきたことで僕らの貯金は底をついてしまって、うまく仕事が見つかったとしてもマイナスは免れない。現に僕らの通帳は赤く染まりだしていた。じゃぁこうしよう。二ヵ月後に俺は声をかける。その時に無事職が見つかりがんばっているのならそれでいいじゃないか。もしもその時にその仕事がお前の気に入った仕事じゃなくて帰ってきてもいいと思うのなら帰ってくればいい。その言葉は本当にありがたかった。僕はその足でハローワークへと向かった。 ☆ハローワークで紹介してもらった会社の面接をほぼ終えた。どこもしっかりとした素晴らしい会社ばかりだった。毎日僕は、鎮守さまにお参りしてどうかいい就職先が見つかりますように、もしも決まりましたら全力でがんばりますとお祈りしていた。面接をほぼ終えて採用のお返事も2社から頂いた。その中からどちらを選んでお世話になるかずっと自問自答していた。そのどちらも自分が働いている姿がうまく想像出来なかったからだ。その時、ふっと前の会社でお世話になっていたT氏の事を思い出して電話をかけることにした。T氏は以前会社を辞めたときに力になれることは出来る限りするからといってくれていたからだ。T氏は快く話を聞いてくれて、ひとつ会社を紹介するから面接するかといってくれた。僕自身京都で人の紹介で入って痛い目を見ている所はあるのだが、紹介とはいえきちっと面接して考えるのだからと思い切って面接を受けることにした。面接場所に指示された場所はその会社の本店だった。道に迷ったらいけないので僕は少し早めに面接会場に向かった。場所の確認が出来たとき15分の余裕があったのでその近くを歩いて見ることにすると、その店の一本裏の道ぞいに神社が見えた。僕は引き寄せられるようにその神社に向かいそしてお参りする事にした。神様、私は今からすぐ近くの会社に面接に来ました。もしも私の職場として適しているのならどうか私をお導きください。僕は祈った。面接を受けて見て、今までで一番僕に向いていると思った。従業員の顔はみんな明るく楽しそうだった。そこの社長さんが最初から最後まで面接して頂き、ぜひ入ってくれないかと力強く言ってもらった。僕は気がつくとよろしくお願いしますと頭を下げていた。妻にはどんなところだったか話してから相談して決めると言っていたのもかかわらず、即答してしまってまた人の紹介で入ったわね、それも相談もなしに・・と嫌味を言われたけれど頭を下げここでやらせてくれとお願いした。いつから来てもらえますか?社長さんの問いに節分が過ぎてからと答えた。あさってから働くことになった。しっかりがんばってみたい。ハマちゃんに仕事が決まったとメールを入れた。「就職おめでとう、T氏と飲みに行くから」とハマちゃんから返事が返ってきた。
2006年02月02日
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恥ずかしい話だけれど。僕のうんこは10回中9回は便器にへばりつく。へばりついたうんこは水を流してもなかなか取れてくれない。仕方ないからブラシでこすったりする。昨日そのことを妻に話したら「あ~!!だからブラシにうんこがついてるんや!もうそんなことせんといてあたしがちゃんと磨くからそのままでいいから」と言われた。「えっ?だってそのままにしてたら恥ずかしいし乾いてこびりついたら掃除が大変やんか」と反論した。「あのね、あんたは便器だけきれいにしてブラシについたうんこまでは気にしてないでしょ!結局二度手間だからあたしがやるから。流れなかった分はトイレマジックリンでもかけておいてくれたらいいから」ううむ・・・深い。妻と付き合いだした頃冗談で言ったことがある。「君のうんこなら食える」もちろん食ったことはないけれどそれだけの覚悟はあるのだ。今朝のうんこはありがたいことにちゃんと流れてくれた。犬のさくらと散歩に行きさくらのうんこを拾おうとして指にうんこがくっついた。ぎゃーと言いながらもそれは汚いとは思わない。愛は深い。
2006年01月31日
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東横インの社長さんの最初の会見を見たときにああ、この会社はいい会社だな・・と思った。間違いを素直に認め、裁きは裁きとしてちゃんと受けるといった潔さを感じたのだ。ただ、会見の姿勢は多分非難の声があがるだろうなと思った。案の定、昨日くらいからマスコミは東横インの社長さんの会見の姿勢に対する非難の声で盛り上がり、ものすごい勢いでたたき始めている。本当に世の中のおかしみを感じる。社長さんは過ちはわかっていたと、そしてちゃんと改めるからと言っているにもかかわらず、その態度はなんやねんと怒っているのだ。あの時に社長さんが深々と頭を下げ涙のひとつでも流し、私は知らないことでしたお裁きはきちんとお受けしちゃんと対処していきますと会見していたらこんな大騒ぎにはならなかったのだろうな。たとえ全国の東横インで何店も見つかったとしてもそれを一つ一つ改めるだけで良かったのだろうと思う。僕が思うのは、街でインタビューしたりコメンテーターが発言したりしているけれどすべて非難でかためてしまうあのマスコミのやり方には首を傾げてしまうということだ。僕のように受け止めた人間だって絶対いるはずだ。僕がインタビューされたらあのような非難だけで固める発言はしないと思った。あの報道を見てこれこそ情報操作だと感じてしまった。なぜ擁護の意見が一つも出ないのだ?あおるだけあおることが報道といえるのだろうか?そこにどれだけの真実があるというのだ。確かに障害者の方にとってはショッキングな出来事だと思う。しかしだ。僕はあのホテルは何度も利用したことがあるしとても値段にしてもサービスにしても満足できるホテルのひとつだと思う。そこに障害者の方が利用したらホテルの従業員は出来る限りの精一杯のことはすると思うのだ。たとえ駐車場が改造されたり部屋に手すりがなかったりしてもその中で出来うることはしてあげるだけの気持ちと態度は持ち合わせていると思うのだ。僕は飲食を仕事としている。とても障害者用に作られた店舗というのは少ないけれど障害者の方がお越しになればどんなに忙しくても出来る限りのことはしてあげたいと思うししているつもりだ。東横インは間違いを潔く認めたことが開き直りと世の中には映ってしまった。僕は社長さんをかわいそうに思う。あの人は潔く認めた。ただ会見が明るかっただけだ。僕はそう思う。
2006年01月31日
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もうすぐ2月ですね。会社を辞めて半月がたちます。現在は就職活動中。はじめてハローワークで紹介していただき何社か面接に行った。あのクリスマスの夜に、準備周到にしたつもりが筋を通す通さないで結局半月間のお礼奉公を余儀なくされた。信用して相談した人に裏切られた形だけれど、そこで僕がその人をかばっている事態が起き今思い返せばおかしみさえ感じる。うまく噛み砕いて表現できなくて申し訳ないけれど人と人のつながりとはそのようなものなのかもしれない。ただ、その話し合いの場で話の流れとはいえ僕の妻が悪者になってしまった。これだけはどうしても妻の名誉にかけて妻はこれっぽっちも悪くないことをいつかその場にいた人たちには伝えたいと思っている。僕はあまんじて半月間の寝袋を持ち込んでの店に泊り込んで最後の日を待ち望んだのだ。あれだけ、現金現金と言っていたにもかかわらず最後の日に現金のチェックなどまったくせず、僕がいる間にどれだけ片付けることができるかばかりの会社の姿勢に僕はあきれ返りながらの最後の夜だった。「常識」これが僕の今回のことの大きなキーワードとなった。僕はすべてにおいてあの場所で常識からはずれていた。?いつか頭を整理してその事についてよく考えていきたいと思う。たぶん向こうではあいつは本当に常識のないひどいやつだったと思われていることは間違いないのだ。意識のずれみたいなものを感じながら働き過ごしその意識のずれがたまりにたまってどうしようもなくなってしまっていた。あの場所を離れてやっと自分を取り戻しつつある。う~~む・・まだまだ修復されてないみたいだ。文章がめちゃくちゃだ。リハビリにいろいろ書き込んでいきたい。
2006年01月30日
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産土様に新年のお参りとご報告にいってきました。僕の産土様は忠岡神社。電車で一時間半の場所にある。たどり着いた時には涙があふれてどうしようもなくて泣きじゃくりながらのお参りとなってしまった。お札が欲しがったけれどあいにく不在なようで今日はあきらめて帰る事にした。多分妻と今度はちゃんと神棚をおまつりしたいから僕の産土様に一緒にお参りにいって欲しいと話したからこうして妻に黙ってくるのではなくちゃんと二人でいらっしゃいと産土様がいっているのだと思う。ただこうしてだれにもみられず神様の前で泣きじゃくる必要が僕にはあった。ただそれだけで暖かい気持ちになり元気が出てきたと思う。妻は今日から新しいアルバイトを見つけ元気よく出かけていった。僕も頑張って新しい働き口を探している。ついでに住吉さんにもお参りして来ようと思う
2006年01月19日
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僕はどちらかといえば義理堅い人間だと思っている。でも結局今回不義理をした形になってしまった。言い訳はしたくないからここでは書かないけれど本当に親しい人以外は信用してはいけないのかもしれない。それが教訓として残った。でもたぶんこれですんでよかったのだ。先を見据えて今を乗り切っていこうと思う。後二日、僕は自分ができる限りのことをして時が何事もなく過ぎるのを耐えようと思う。申し訳思うのは、縁あってせっかく仲間になれた人たち。僕の身勝手を許してください。こうするしか他に方法がなかったのです。本当はみんなとゆっくり酒でも飲みながら語り合いたかった。落ち着いたらかならず。
2006年01月12日
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この7,8年ツーカーを使っている。電話代は安いし電波も悪くないので結構気に入っていた。ただ、カメラ機能が以上に低いのでブログやパソコン関係に使用するには無理があった。デジカメをほしいけれどそんな余裕はないしツーカーを機種変更してもカメラ機能が高いものはひとつもないので半ばあきらめていた。それが最近auと合併したらしく電話番号そのままでauに変更できることとなった。妻は僕が無理やり家族割が安いからとツーカーにしたので恥ずかしくて人前で携帯出してメールとかできない・・くらい不満があったらしく僕らは目的こそ違うけれどいざ、ツーカーからauに変更しに二人でショップへと向かった。なるほど・・妻の言っている意味がわかった。浦島太郎のような気分だ。カメラだけでなくこれほど性能というものが違うとは。これはツーカー使っている人にしかわからないだろうな。ツーカーの人は少ないだろうけれど試しにauに変えてみてください腰を抜かすほど驚きます。とりあえずいいおもちゃができました。
2005年11月27日
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原因不明の蕁麻疹に悩まされている。毎日、手や腕、ひざの裏などに出てくる。食べ物では絶対ないように思う。なんだろう・・・?知ってる方教えてください。
2005年11月24日
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今年の正月に妻の母親に約束した。きちんを保険をかけると。自分の保険はかけていたのだが受取人は子供たちになっていた。離婚したときに公正証書に子供たちが大学を卒業するまではその保険をかけ続けると約束されていたから、その保険費用以外で保険費用を捻出することは今の収入では無理な話だった。その話し合いに長い時間を費やした。その結果、良くはわからないけれど、月々の費用を払わずにずっとおいておける保険に切り替えることができ晴れて妻のために保険をかけることができるようになっていたが収入が激減したために僕と妻は保険をかけることに躊躇していた。いつまでもそのままにしておくことはできない。妻と話し合って生活は少し苦しくなるけれどこれ以上先延ばしにするとますます月々の払いが増えてしまうから無理してでも保険をかけることにした。僕と妻で2万以内におさめたかったが少しだけ2万を超えることになったけれど、がんばってかけることにした。ひとつまた乗り越えたような気がする。
2005年11月23日
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息子の誕生日がせまっていた。何かしてやりたいと思う。しかしいまだに妻への遠慮のほうが勝ってしまってずるずると当日を迎えてしまう。いつもそうだ・・。結局どうしようもなくておそるおそる妻に「あの~・・・・」と話す。もっと早く言えばいいのにとお決まりのように言われ、「今日思い出した」と言い訳をする。日曜日の昼に妻と出かけ息子にプレゼントを買った。毛糸の帽子だ。荷造りをしているときに妻がそっとバースデーカードを渡してくれる。「何か一言書いてやりなよ」うれしくもあり、つらくもある。息子に電話を入れると声変わりをしていた。情けないけれど何も話すことが見つからず結局風邪引くなよと声をかけ電話を切った。こぶしで頭を殴り仕事についた。
2005年11月23日
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大阪に帰りたい。そう思うようになってきた。今となっては自分の故郷で生きた時間よりも長い時間を大阪で暮らした。今京都にこうして移り住んでいるけれど、たった電車で45分の距離なのにこれほどまでに「違和感」を感じるとは思っても見なかった事だった。うん。その為に何をすべきか考えて行動しよう。自分の根っこには故郷にいつかは帰りたいそんな気持ちがくすぶっているけれど、それはまだその先の話だ。今は、大阪に帰るために努力しよう。東京にいたって、名古屋にいたときも「違和感」はさほど感じなかった。たぶんこの場所は僕にとっては1年住もうが10年暮らそうがなじめない土地なのだ。それを肌で感じる。だからといって投げ出すことはしない。全力で毎日を取り組む事にしている。帰るからには笑って帰りたいから。my home town osaka必ず帰る。そう決めた。
2005年11月17日
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久しぶりにテレビを見た。といっても妻が録画してくれたビデオだ。ドラマ化された「ホタルの墓」。アニメはもうずいぶん昔に見たきりで筋書きさえ覚えていなかった。広島の原爆孤児の話だとばかり思っていたが、ドラマを見てそれは僕の勘違いだったことを確認する。二人の子役の熱演には目を見張るものがあった。たぶん・・ではあるがあの「セツコ」役の女の子はクル、クルックレラップ~の女の子なんじゃないだろうか?ちがっていたらごめんなさい。お兄さん役の男の子も妹役の女の子も迫真の演技だったと思う。松島奈々子もよかったけれど、あの二人の子役からすれば脇役に見えた。あの時代に比べれば・・僕らは十分恵まれている。頭でわかっていても日々を夢中で僕らだって生きていると思ってしまう。テレビを見て大泣きしながらもそんなことを思った。テレビを見ないから世の中で何が起こっているのか全くわからないのだけど、京都にブッシュ大統領が来たのか来るのかで町中大騒ぎしている。配達の肉屋さんも検問で積荷をいちいち調べられているらしい。大変です。僕は明日も天丼作りに精を出すしかないなー。
2005年11月14日
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って、叫びたくなるときありますよね。イライラしてたり、うまくいかなかったり。ちょっと一休みしたい気分なんだな。何も考えずプールで泳ぎたいな。深呼吸して明日に備えます。おやすみなさい
2005年11月09日
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僕は動揺していた。全部僕が悪いのだが、妻は僕の母親をひどく嫌ってしまっていた。何気ない母の一言一言にひどく傷ついてしまっていた。「うちの息子は養育費を払っているから生活大変でしょう、だから当分子供は作っちゃだめよ」「京都に引越しするの?仕事はどうするの(妻の)?早めに仕事探したほうがいいんじゃない」「あなたのご両親なんで離婚したの?」母が言葉発する瞬間瞬間に僕が母に対してなんらかの戒めをする時間は確かに合った。しかしそれを僕は聞き流してしまってうやむやにしていたことが原因だった。後日僕は母に電話で話したけれどそのことが母にうまく伝わったかは自信がなかった。 ☆「ああ、元気やで」僕はそっけなく言うしかなかった。「ああ、そうよかった。家近くなんでしょ。呼んであげたら」僕はため息をついて「悪いけど、合わせるわけにはいかんのや」その様子を見ておばちゃんとおばちゃんのお兄さんが割り込んできた。「どうしたの?深刻な顔をして。びっくりさせようと思って黙ってつれてきたけど、何か悩みごとがあるのね。」「わかった。あたしたちも聞いてあげるから。ちゃんと話してごらん。あなたの言い分とお母さんの言い分両方聞いてアドバイスできることがあればしてあげるから」僕は今までのいきさつを3人の前で話した。最初顔を真っ赤にして聞いていた母も少しずつ真剣に話を聞いてくれた。話をしてわかったことだが、僕が電話で妻が傷ついてしまったと伝えたけれど母は全くそのことに気づいてもいなかったようだった。おばちゃんが言った。「よくわかったわ。一番つらいのはあなたなのはわかる、でもこうしてお母さんに気持ちを伝えることができたから後はお母さんしだいね。電話よりも手紙で気持ちを伝えることね。」「今の二人を見守ってあげることが大切だと思う。別れた子供のことやそんなことはあの子にはけして言わないこと。いうならクスクスに直接言うことが大事だと思う。母は神妙な顔でそのことを聞いていた。たぶん母だけが一人できていたらけんかして終わりだったかもしれない。おばちゃんとお兄さんに僕は深く頭を下げた。帰りのタクシーで母は少し寂しそうな顔をしていた。だけど少しでもこの状態がゆっくりでもいいから溶けてほしい。店を開店したときに妻は母に電話を入れていた。妻の精一杯の義理を通したときだった。そのときの事を母が話していた。母が電話にでたらしいが、それを父に伝えると一言、「早く子供つくれ!って言っておけ」周りにいた母や弟の奥さんは皆で目を丸くしたらしい。その事をどこかで妻に伝えてあげたい。僕は胸が熱くなって目頭を押さえた。
2005年11月08日
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突然何の前触れもなしに母が訪ねてきた。偶然の賜物だけれど僕の弟の奥さんが京都出身で今の住まいの本当に近くに実家がある。そしてこの界隈では有名なおいしいお豆腐屋をされている。無理をお願いして店を開店させるにあたりお取引をさせてもらった。本当においしい豆腐なのでぜひ皆さんにも食べてもらいたい。それから、弟の奥さんのお母さんがずっと僕の実家で弟夫婦と今年の春先まで同居していたのだが、おばあさんの面倒を見なくてはならなくなって京都の方に帰っていた。今はおばちゃん(弟の奥さんのお母さん)とおばちゃんのお兄さん、そしておばあさんの3人暮らしらしく、店の開店時にはお祝いのお花まで頂いた。だから、母とおばちゃんはずっと隣通しで暮らしていたからとても仲良しなのだった。母はおばちゃんとおばちゃんのお兄さんに伴われて3人でやってきたのだ。念に2,3回神様事で京都の亀岡に母は訪れる。「元気なの?呼んでおいでよ」母が妻の事を聞いた。続く
2005年11月07日
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携帯がなった。娘からだった。突然の娘の電話にうれしい気持ち半分、裏読みが半分の複雑の気持ちで電話に出た。「パパ、あたし。あのさ、大学受かったから」最初なのことかわからなかった。どこに受かったのか聞くと「立命館」と自慢そうに答えた。高卒で田舎ものの僕はその大学がどこにあってどのくらいのレベルの大学なのかまったく知らなかった。どうやら関西では四本の指に入る大学らしい。どこか少し遠い話のような気がした。推薦で試験を受けずに面接で受かったらしい。それでもある程度の努力をしなければそんな場所に入る事は困難なことなのだと思った。「おめでとう・・よくがんばったな!」なるべく明るく聞こえるように娘に言った。まずは素直におめでとうと思う。もどかしさを感じながらも、その先に何が現れてくるのかを受け止めようと思う。
2005年11月02日
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