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2020年10月10日
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カテゴリ: ALS
​​子供たちへALSの告知を伝えたのは娘が高3、息子が高1の夏休みだった。治験を受けていた病院で、先生とスタッフの方々が家族との場を設けてくださった。
​​私は泣きっぱなしで、子供たちも涙してくれた。
​​娘は家で泣いてばかりの私と家庭パソコンから病名を予想していたみたいで、すぐ先生に「5年以内に亡くなるのですか?」と質問したらしい。


まず本人の意思で県外の中高一貫校に入学入寮していた息子の部活指導の先生にメールを打った。先生に病名を伝えて「母の代わりに息子を見守って下さい」と泣きながら訴えた。(右利きの私が違和感を覚えたのが右手指からだったので、お手紙が書けなかったのだ。)


私はどうしてもALSを受け入れられなかった。
治験病院に通うだけで、今の子供たちの積極性に比べると0点のだめママでした。
なげやりになっていたかも知れない。
あまりの辛さに「認知症になった方がまし」とこぼしたら、娘が真顔で「私の顔もわからなくなったらいや」と言った。
後に関西に帰って、若年性認知症の大変さをテレビで見て失礼なことを言ったと反省している。


私は最初から人工呼吸器をつける気がなかった。
ある訪問看護師が熱心に説得してくださった。


約8年前に人工呼吸器をつける決心をした。
決意を認めてくれた夫と子供たちに非常に感謝している。
おかげで子供たちの成長と幸せをみることができた。


現在1日24時間のケアをしていただいている。
誠実でやさしい主治医の先生に巡り会えたのは、まだ話せる時だった。
娘の結婚式にも私のために先生と看護師長さん、呼吸器に詳しい技師さん、大好きなヘルパーさんが付き添って下さった。
週1回往診を受けている親切な2つの訪問看護事業所の方々と色々あったけど多くのヘルパーさんにお世話になってきている。
人手不足のヘルパーさん社会において、幸せなことに最近一年内に信頼できる方が8人も契約してくださった。
7月に停電時のシミュレーションの会合が開かれた時、皆さんのおかげで生きておられるのだと改めて感動した。


セカンドオピニオンを求めて京都の神経内科で有名な病院に行った時に、ひとりだけの私に対して一人の先生がALSの告知をした。

つらかった。
この京都の病院とご縁があり、あたたかな家族と友達がいなければとっくに絶望していたかもしれない。







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最終更新日  2020年10月17日 21時00分23秒
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