自分が嫌い?でも大丈夫!

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2008.03.28
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カテゴリ: 子育て
今の保育園での生活も今日で最後。
ここしばらく、坊は毎日家では泣き続けた。
残り3日となったとき、坊はベッドで長い時間泣き続け、坊の姿を見ていて私はとても苦しくなった。
その様子をあとで連絡帳に書いているときに、
最後の残り数日、私はこの子どもたちの母親として精一杯の悪あがきをしようと決意した。
そして、自分の気持ちを手紙にして、保育園の全部のクラスの先生に渡してきた。

――――――――――――――――――

T保育園での生活があと残りわずかとなるにつれ、坊は毎日家で泣くようになりました。
「T保育園におりたい」

いつもそう言って家で泣きました。
そのたびに私も、なんとかT保育園に残れる方法がなかったか…と考えました。そしてやはりその都度、この先の年長としての一年が彼にとっては負担になるだろうこと、自分だけが休憩や気分転換をしながら練習を重ねることに罪悪感を感じていること、さらには、運動会前のように忙しい時期になれば坊が先生方の重荷になってしまうかもしれず、そうなったときに坊自身がそれを感じ取らないはずがないこと、などなど考え続け、やはり保育園をかわるしか仕方がないのだ…という結論に至りました。母親の私自身にとっても、仲の良いお母さん友達とのお別れや、せっかく一緒に過ごしたお友達とのお別れ、坊に一生懸命愛情を注いでくださった先生方とのお別れは大変寂しく、つらい決断でもありました。
ただ、坊自身がいつまでも「ぼくが頑張れてさえいればT保育園にいられたのに…」という思いを抱えたままではあまりにも可哀想で、この間の日曜日、「T保育園の行事が多すぎて、ママがぜんぜんできなかったんだ。だから本当は坊やお嬢が頑張れなかったからじゃないんだよ。坊もお嬢もすごく頑張ってくれたのに、ママが全然できなくて大変だったから、だから保育園をかわるしかなかったんだ。ママのせいで寂しい思いをさせちゃってごめんね」と話しました。坊には、「ぼくは一生懸命頑張ったけど、でもママのせいでかわるのなら、ほかに選択の余地はなかったんだ、これしか仕方無かったんだ」と、私のせいだと思うことでふんぎりをつけてもらったほうが良いだろうと思ったのです。でも坊はそのとき、「ぼくがもっとお手伝いすればよかったんだ…」と言いました。
坊、いったんは次の月曜日に担任の先生に「ぼく四月からM保育園(新しい保育園)行くよ」と言ったそうです。
火曜日には朝の会で、坊が四月から保育園をかわることをお友達のみんなに伝えてもらいました。その日も一日保育園では元気に過ごしました。
ところがその夜、坊はベッドで大泣きを始めました。
「ぼくみんなと一緒におりたい」「T保育園におりたい」「先生と離れたくない」と言ってずっと泣き続けました。私が何度も「寂しい思いをさせちゃってごめんね、寂しいのは当たり前だからいっぱい泣いていいんだよ」と言うと、「ママは悪くない。ぼく文句言ってごめんなさい」と何度も私に謝り、「もう大丈夫」と泣きやんで、「ぼくトイレに行ってくるわ」と言ってトイレに行くとまたトイレから泣き声が聞こえてきました。そうやって夜遅くまでずっと泣いて過ごしました。最後になって、突然「ママ、ぼくこのあいだお散歩に行ったでしょう」と言い出したので、聞いていると、「そのときさぁ、ママお弁当作ってくれたでしょう。」「ママのお弁当美味しかったよ」「でもさぁ、ママ、お弁当の準備大変でしょう。ぼくさぁ、お弁当なくてもいいよ。だからママお弁当作らなくってもいいよ。ぼくが先生に、ママがお弁当作らんでもいいようにお願いするわ」。
彼は残り3日となったそのときにもまだ、なんとかT保育園に残れる方法がないかと一生懸命考えていたのです。ママの負担が少しでも減ればT保育園にいられるのではないかと思っているのです。私が「ごめんね。でもお弁当だけじゃなくてさ、持ち物とかいっぱい、ママにはできないことが多かったんだ。だからどうしようもないんだよ。本当にごめんね」と謝ると、坊は「そっか…。ぼくどうすればいいのかなぁ。…明日もう一回考えようっと」そう言って眠りにつきました。

その様子を、あとで連絡帳に書いているとき、最後の最後に私は怒りが湧いてきました。坊がこれほどT保育園に残りたいと思って悩み考え続けているのに、この一年間坊が悩み続けてきた姿を伝え続けてきたのに、なぜ最後となった今になっても当の保育園の園長が毎日毎日事務所にこもりきりでこの我が子の苦しんでいる姿をたとえ一日のうち5分でも10分でも自分の目で見てくれないのだろうか、と思ったのです。
保育園を経営するお二人が、なぜ、自分たちの保育園を選んで入園してくれた子どもたちに対して、朝や帰りに外へ出てあいさつすら交わそうとしないのだろうと不思議に思いました。

運動会前、坊はカラーガードやピアニカの練習で、集中力が足りなくてよく怒られ、登園拒否になりました。その挙句、保育園当日は鼓笛が始まったとたんにトラブルを起こして泣きだし、結局何もせずにその場を退場しました。そのとき私はずっと教室に入って泣いている坊を抱っこして、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝る坊に「今まで練習いっぱい頑張ったんだから、それだけでいいんだよ。何にも悪くないんだよ」と話し続けました。鼓笛が終ったあとに「みんなのところへ戻りたい」と言うので、坊を抱いて入場門のところへ戻りましたが、担任の先生方はクラスの子どもたちと写真を撮ったりするのに忙しく、どこで坊が待っていればよいのかを聞こうにも、他の先生は誰もつかまらず、私と坊はその中をずっとうろうろ歩きまわっていました。とうとう坊が「帰りたい」と言い出したので、その日我が家は運動会途中で帰りました。

これが感性の欠如です。自分が都合が悪いからと言って逃げるようでは、子どもたちを守ることはできません。

だから今回、最後の最後になって坊がこれほど苦しんでいるのを見て、私は最後にもう一度園長とY先生(園長の奥さん)に訴えました。せめて一日のうちたとえわずかな時間でも、自分たちの保育園に通っている子どもたちの姿を自分の目で見てほしい、と訴えました(正確には怒鳴りまくりました)。私立の保育園である以上、鼓笛や保育祭など、多くの行事があることも仕方のないことです。でもそれをやるからには、やらせている張本人である園長が、子どもたちがどう頑張っているか、外から来る先生がどう指導しているか、それをそばで見守る姿勢が必要です。そうでなければ保育士の先生たちにすべて丸投げになり、外から来る先生の指導も野放しで、保育士の先生方がどれほど大変であっても、事務所にまる一日こもっているだけでは何も分かりません。
保育士の先生たちが毎日どれほど頑張っているか、どれほど大変な思いをしているか、それが分からなければ保育士の先生たちを守り支えることは不可能です。保育士の先生たちが大変であっぷあっぷの状態になってもそれを経営者のお二人が支えられなければ、肝心な子どもたちを支えることができません。
我が子をこの保育園に預けている母親としての残り2日間の間に、私はせいいっぱいの悪あがきをしようと決めて、昨日も今日も仕事も休みました。今まで直談判を重ねてもその場限りで終わってしまっていたから、それだけではだめなこともよく分かって、こうして保育士の先生たちにもお願いしようと思いました。
この先経営者のお二人がどう変わっていくのか、ちゃんと子どもたちの顔を見て保育園を続けていくのか、それを保育士の先生方にも見守っていただきたいと願っています。どうせ何も変わらないよ、と周りの人たちは言っています。それでも私は、坊のこの苦しい気持ちをたとえ残りの2日間でも、園長にも一緒に分かち合って欲しいと願います。保育士の先生たちのたとえ一人でも、坊の気持ちを共有してやってほしいと思います。子どもたちの気持ちをたとえ1%でも共有できる園長になってほしいと思います。そうでなければ坊が頑張り続けたT保育園での2年間も、T保育園で過ごしたいと今も思い続けている気持ちですら、まるまる全部無駄になってしまいます。



私は、園長に仕返しをしたかったわけではない。
この前日、保育園で主任の先生とも話をしていて、担任の先生も泣いた姿を見て、
個々の頑張ってくれた先生たちがこれほど
坊に対して申し訳ないという気持ちで苦しんでいるのに、
なぜ園長がその先生たちの苦しい気持ちも一緒に背負ってあげられないのだろうかと
それに疑問を持ったのだ。
坊は、誰も悪くないと思っている。
自分ができなかったから、
自分がママを手伝わなかったから
自分が悪いから保育園をかわるのだと思っている。
そうして毎日家で泣いて、保育園では無理に笑顔で元気に過ごして、
その坊の姿をなぜほんのわずかでも自分の目で見てくれないのだろうかと
腹が立ったのだ。
園長は、都合が悪くなるとすべて主任の先生と担任の先生に任せて、
自分はいっさい事務所から出てこなくなってしまう。
そのくせ、担任の先生たちが鼓笛の指導やピアニカの指導であっぷあっぷになっていても
「あんたたちは保育のプロやろ。やれるようにやる方法があるはずやろ」と
丸投げしてしまうのだ。

だから私は、坊の姿が特別ではないこと、
坊が今まで悩み苦しんできたことはすべての子どもたちにあてはまること、
それを担任の先生たちだけが抱えて苦しんでいても
それに園長が耳を傾け一緒に考えなければ何も変わらないこと、
そのことを、
この保育園の保護者であるうちに訴えていこうと思ったのだ。

私は、連絡帳にも書いた。
昨日の朝、保育園から借りた遊び着の、
のびきったゴムを入れなおしておいてあげようと思った。
保育園から借りた遊び着は、首のゴムがのびきっている上に
そののびきったゴムが15センチあまりも外へ垂れ下がっていたのだ。
そしてそれを直しているうちに、疑問に思った。
なぜこの保育園の経営者のお二人は、
自分たちの持ち物である園の遊び着のゴムすら直しておいてやろうとしないのだろう。
いつも、自分の遊び着が汚れると保育園の遊び着に着替えさせてくれるが、
その遊び着は本当にひどい状態のものばかりなのに。
その答えは明らかだ。
経営者のお二人は、子どもたちの姿を見たことがないからだ。
自分たちの保育園から貸し出す遊び着がどんなひどい状態で子どもに着せられているか、
見たことがないのだ。

うっとうしい保護者だと思われても結構。
おかしな母親だと思われても結構。
何も変わらないならそれでも結構。
私は、寂しい思いをしているわが子二人の母親として、
自分にできる精一杯の悪あがき、精一杯の闘いをしただけのことだ。





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Last updated  2008.03.28 15:28:15
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