離人症の器

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凪2401

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2012年08月05日
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カテゴリ: 離人症
腸の調子はいくらか良くなってきました。
一時は一日20回ぐらい下痢をしていて、もう、げっそりでしたけれども。

これも家族が腸によい食事を工夫してくれた結果ですね。
お薬も飲んでいますが、それよりも食生活の改善の方が大きいと思います。感謝、感謝。


と、いうわけで、離人症と脳科学シリーズ、続けていきますね。

前回は離人症の症状を脳科学から考えてみようということで、
体の感覚の情報と視覚からの情報がうまく統合されないことに、
原因があるのではないかというところを書きました。

そして、体の感覚と視覚からの情報の照合を行う部位である頭頂葉の上の部分が、

そういう科学的な裏づけも紹介しました。
(過剰な活動が右側のみなのも理由があるのですが、それはひとまずおいておきます)

では、そもそも、です。
私たちは、どのようにして目に見える手が自分のものだと理解できるのでしょうか。
どのようにして今動かしているのが自分の体だと把握できるのでしょうか。
どうしてここからここまでが自分の体なのだと、外界との境界を認識できるのでしょうか。


残念ながら、ヒトは生まれながらに自己と外界の明確な判別をできるわけではありません。
つまり、自分の身体や外の世界を区別する能力は生まれつきのものではなく、
成長の過程の中で、自己と外界とを構築していかなければならないんですね。

実際に、生まれたばかりの赤ん坊は、自己と外界の区別がありません。
この辺りのことは、人間の孤独さについて書いた以前の記事に、


これは、発達しすぎた脳を持った人間が背負ったリスクでもあるのでしょうが、
ヒトの赤ん坊というのは、神経学的にも身体的にも未熟な状態で生まれてくるんですね。
なぜかというと、脳の発達を待っていると、
頭が大きくなりすぎて産道を抜けられなくなるからです。

では、「神経学的に未熟」な状態が、どういう状態を指すかというと、

いまだ統合されていないし、意味づけもされていない、ということになります。

体の感覚は触覚や痛覚ばかりではなく、
関節の曲がり具合や伸び具合、どのように関節が動いているのかという情報、
筋肉がどのような力で働いているのかという情報を伝える、深部感覚というものがあります。

これらの感覚が統合されて初めて、
私たちは自分の身体がどのような状態で、どのように動いているのかを把握できます。

それに視覚情報が付与されることで、
外界との区別や意味づけが更に進行していくことになるわけです。

その統合がいまだ未成熟である、ということがつまり、
自分の体がどこからどこまでで、
自分の体がどのような状態に置かれているの分からず、
そうであるがゆえに、自己と外界は渾然一体となって存在する、
という赤ん坊の状態につながります。

世界は自分であり、自分は世界である。
そういうことが成り立っている、ということですね。

赤ん坊は外界、特に母親と渾然一体となって存在するということになりますから、
非常に充足した世界を生きていることになるでしょう。

では、そんな赤ん坊が自己を把握し、外界を認識・構築していくのは、
どのようなヒトの機能と構造によるものなのでしょうか?


それはまた次回にお話していきます。







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最終更新日  2012年08月05日 19時51分12秒
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