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2009年11月11日
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 千尋が治るのを見届けて安心したように、風早が熱を出した。
 ちょうど千尋がインフルエンザにかかった頃、クラスでも何人か同じように倒れていて、蔓延を心配した学校はしばらく休校を決定したところだったから、千尋は風早の看病に専念することにした。

「すみませんね。」
「謝っちゃいやだ。私がうつしたんだから。」

 赤い顔で、すまなそうに微笑む風早に、千尋は言った。自分が拾ってこなければ、風早がかかることはなかったと思っていた。学校でも流行っていたけれど、風早は自分の発症と同時に休暇を取って一緒に居てくれたのだから。

(夜もずっと一緒だったし……)

 毎晩添い寝してもらったと、千尋の顔も風早に負けないくらい赤くなった。風早がそれを見とがめた。

「どうしたんです? 顔が赤いですよ。」
「な、なんでもないよ!」

「大丈夫、そんなんじゃない。風早は休んでて!」

 千尋は、がんばるぞとばかりにエプロンをつけた。風早ができない分、自分が全部すると思っていた。



 洗濯から掃除から、家事の一切をやってのける千尋を、風早は半分熱に浮かされながらも微笑んで眺めていた。

(大きくなりましたね。)

 こちらの時空に飛ばされたときは、風早自身もなじむのに大変だったけれど、千尋はもっと大変だったようだ。何もかも、風早が世話をするのが習慣だった中つ国と、何でも自分でするのが当たり前のこの時空ではあまりにも違いすぎて、千尋には戸惑うことばかりだった。服を着ること、髪を編むこと、一つずつ、手を取って教えた。千尋は賢いからすぐに覚えて、学校にも通い始め、少しずつ笑顔が戻ってきた。でも、例えば赤い夕焼けを見ただけで、すぐに涙を流すほど心は不安定で、しかし、記憶は常世の皇子の術で封じられているから千尋には理由がわからなくて、思い出す必要を感じなかった風早は記憶の封印が解けないよう細心の注意を払いながら千尋を落ち着かせ、抱きしめ……。
 すっかり独り立ちしてしまいそうな勢いの千尋を見て、風早は嬉しかった。
 湯気の立つ何かを、千尋が運んできた。

「ご飯、ちゃんと食べないと。」
「作ってきてくれたんですか。」
「当たり前でしょ。」

 インスタントスープにご飯を入れてことことと炊いてきたらしい。アツアツのそれを、風早がスプーンで掬い取ろうとしたら、千尋の手が止めた。



 千尋がスプーンを取り、スープ粥を少し掬って、ふうっとさました。あーんしてと風早に口を開けさせ、一口ずつ、一口ずつ、食べさせた。

「何だか嬉しいですね。不思議な気分だ。」

 急に目が合ったから、千尋はすいと目を逸らした。風早の手が伸び、千尋の顔を包んだ。吐息が近づき、唇に触れる……と思ったら、すっと遠のいた。

「うつしてしまいますね。」

 風早はそっと目を閉じた。食後に飲んだ薬が効いてきたのだろう。すぐに聞こえてきた規則的な寝息に、千尋は静かに部屋を出た。今のはどういう意味だろうと測りかねてドキドキする胸を押さえながら。







 カレンダーは、11月11日を示している。

(お誕生日だ。)

 肝心の本人が発熱している今、いったい何ができるだろう。

 風早がぐっすりと眠っているのを確かめて、千尋はエプロンを取った。買い物かごを持ち、外へ出ようとした。

「出かけるの?」

 うっそりと起きてきた那岐が聞いた。

「うん、今日は風早の誕生日だから。」
「でも、あいつ、寝込んでんだろ?」
「どうして知ってるの。今起きてきたばかりなのに。」
「眠りこけてたわけじゃないからね。」

 あんなキンキンした声で「熱!」とか叫ばれたら、僕ならがまんできないねと言うから、千尋の顔が険しくなった。

「それに、ガーガーと大きな音で洗濯機回したり、傍若無人な掃除機の音とか……せっかくの休みが台無しだ。」
「だって、仕方ないでしょ? しなくちゃいけないんだもん!」
「そうかもしれないけどさ。」
「もう、那岐のわからず屋!」
「どこが。」
「全部!」

「う……ん……」とうなるような声が奥から聞こえたから、千尋は肩をすくめて那岐を睨み付けた。

「行けよ。買い物だろ?」
「うん……」
「見ててやるよ。」

 ありがとうと手を振って千尋は表に出た。



 口当たりのよさそうな、滋養のあるものを。
 いつものスーパーで選んできた。本当は家にいなければいけないのかも知れないけれど、保護者たる風早が倒れてしまったのだから仕方がない。同級生にも何人か会った。

「風早先生、大丈夫?」
「うん、今寝てるよ。」

 答えると、同様に、少し眩しいような照れくさいような不思議な顔を見せる。その表情はすぐに消えるが、千尋は少し面はゆかった。家族なのはみんなが知っているのだから、何も恥ずかしがることはないのだが。

「大変だね、千尋も。」
「うん、でも、いつものお返しだから。」
「がんばって。」

 リゾット用のインスタントスープを、味に飽きが来ないように幾つか選び、フルーツコーナーへ行った。風邪にはビタミンCをと、どこかでしきりに言っているのを思い出したから。

(りんごの皮、上手に剥けるのを見せたら、風早、びっくりするかな。)

 いつも作ってくれたウサギりんごを、目の前で作ってあげよう。りんごをすり下ろしたジュースもよさそうだ。
 旬を迎えたりんごは、甘い匂いを売り場中に漂わせている。値も手頃だったから、風早も許してくれるだろう。
 ジュースにしても大丈夫なほどりんごを入れたかごは重たかったけれど、千尋はうんと持ち上げて家まで運んだ。風早の喜ぶ顔が見たかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 家に帰ると、風早はベッドに起きあがって本を読んでいた。

「ダメじゃない、起きてちゃ。」
「大丈夫ですよ、千尋のおかゆと薬ですっかりよくなりました。」
「もう、那岐が見ててくれるって言ったのに。」
「俺が那岐を部屋に帰したんですよ。うつるといけないし、退屈そうでしたからね。」

 仕方ないなあと、千尋は買い物かごをキッチンに置きに戻った。

「いい匂いですね。りんごですか?」
「うん、安かったし……食べる?」
「ふふ、千尋が剥いてくれるんですか?」
「まかせて!」

 りんごを一つ、よく洗って、フルーツナイフと一緒に持って風早の傍へ行った。
 心配そうに見守っても、風早は手を出さないことにした。
 りんごを二つに割り、更に小さく割っていく手元は風早が思うよりしっかりしていて、危なっかしいところは一つもないようだった。

「なかなか上手ですね。」
「ふふっ。」

 器用に芯を取り、皮に斜めに切れ目を入れた。反対側から薄くナイフを入れ、皮を取り除いた。二つのとんがりの根元まで剥きあげ、耳がぴんと立つように持ち上げた。

「おや、やりますね、千尋。」
「上手になったでしょう。」

 得意げに差し出すりんごを、風早は嬉しそうに受け取った。

「もっと剥いてあげるね。」

 得意げに二つ目に手を出したが、果汁に濡れた手が滑ったのだろう、フルーツナイフが今度はあらぬ方へ滑った。

「あっ?」

 千尋の顔が痛そうにゆがんだ。風早がとっさに手を出した。千尋の手からナイフを取り上げ、指を口に含んだ。
 まだ熱があるのだろう、風早の口内はぼうっと熱かった。風早は千尋の傷を丹念に舐めた。血の味が薄れたのを確かめて口から出し、手元のティッシュでぎゅっと押さえた。

「しばらく、押さえててください。」

 少しかすれた声で言うと、ベッドから立ち上がった。ふらつきながらも居間へ行ったらしく、救急箱を取って戻ってきた。
 箱の中から消毒液を取りだして、ティッシュの上から千尋の傷にたっぷり振りかけた。ティッシュごとぬぐい取り、用意したばんそうこうで傷口をしっかりふさいだ。

「ごめんなさい……」
「謝らなくてもいいんですよ。」
「だって、風早、具合が悪いのに。」
「平気ですよ、これくらい。」
「だめなの! 今日は風早の誕生日だから!」

 風早は少し驚いた目で千尋を見た。

「祝ってくれるんですか?」
「当然じゃない。」

 当然ですかと、風早は苦笑する思いだった。必要上、方便で決めた誕生日だったのに。

 風早は千尋の肩に手を回した。静かに抱きしめた。

「ありがとう……」

 自分がここにいることを喜んでくれる千尋。千尋こそが、自分が存在する意味。風早は、白龍の意志などすっかり忘れていた。記憶の片隅に追いやっていた。もう、中つ国になんか戻れなくてもいい。このまま、ずっと、こっちで……。

 腕の中の千尋がもぞもぞと動いた。風早はそっと腕を解いた。見上げる瞳は少し戸惑いの色を浮かべて、風早の瞳をじっと見つめてくる。その唇に唇を触れたい衝動を、風早はじっと堪えた。代わりに、額にそっと……唇を置いた。

「……休んでて。」

 真っ赤な顔で命じるように言う千尋に、素直に従った。

(もうしばらく、この部屋には来てもらえないかもしれませんね。)

 キッチンから、何かをすり下ろすしゃかしゃかという音が聞こえる。今度は何を作ってくれるのでしょうねえと、風早は目を閉じた。

 瞼の裏に、遠い日の金の葦原が浮かんだ。





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最終更新日  2009年11月11日 20時57分27秒
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