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あたしは再び 籠もる孤独の 世界へ精神科への通院を 止める薬の服用も 止める「適応障害」という病名のもとに病んでいった 私のココロ平成19年から 通い始めたあれから 何年が 経ったろうあれから 何が 好転したのだろう何度も病院を変え 医師を変えたごとくごとくが 私に合わなかった―――私が 合わせようとしなかったのだろうかけれど 私が抱える人間不信は 大きい医師に対してもまた 同じ結局は 医師を信じ切ることができなかった 私のココロ私のココロが 医師をも撥ね退けた結果 私は再び 孤独の世界に戻るいいのだろうか?これまで 築き上げたものを 私は壊すのだろうか?それで いいのだろうか?周りの人々の気持ちを考えずに 私は切り離すのだろうか?どうしたら いい?
November 12, 2014
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私の怒りの刃は どこへむけたらいい?私の悲しみの涙は どこへ流したらいい?私はまだまだ 自分のココロを操作できません突然 怒りが湧いて来たりどうしようもなく 悲しくなったりします薬が効いていないのか 効いているのかなんとか生活してはいるけれどもう 生きていくことに疲れました息子も 4月から中学生となり完全に 私から離れてゆきます私を必要としてくれる存在も私がいるべき場所も ここにはありませんけれど毎日毎日 必死で 生きています。
March 8, 2013
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誰か そばにいてほしい誰か 話をきいてほしい独りでは やってゆけないけれど 「ここ」では 独り誰か いてほしい誰か かまってほしいけれど 「ここ」では 誰もいないこんなとき 私は思うリストカットしたら 心はこちらに向いてくれるのだろうか と大きくなって 親離れした 我が息子顔を合わせてもらえない 主人淋しい淋しい私はいつも 心の中で叫び続けて いる
December 25, 2011
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あれほど 努力していたのに「やっていない」と思われていたことほど むなしいことは ないこーたが 小さいころから歯磨きには 力を入れていた歯磨きを嫌がる こーたを 主人と二人で 無理やり歯磨きしていた時期もあった歯磨きを 楽しくさせようとパペットを使ったりと 工夫を凝らした時期もあった――だのに 虫歯は 絶えることがなかった幼かった こーたを 毎週毎週 歯医者に連れていった泣きわめくこーたに 無理やり治療させその姿を見て どんなに心痛めたことか毎日毎日 歯磨きをしてもやはり こーたには 虫歯が絶えなかった歯磨きの仕方が悪いのかと どんなに自分を責めたことか小5の我が息子昨日 こんなことを言った「僕が小さい頃 歯磨きしてなかったでしょ」辛かった過去が 一瞬で全てが思い起こされる封じていた感情が 一瞬で全てが崩れていくそうして私は 陥っていく深い深い 暗闇の中に誰かに 話してしまいたい誰かに 相談したいここで ふと気づく私には その相手がいないことにそして私は 再び陥る深く閉ざされた 暗闇の底に
August 5, 2011
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「ここ」から 去りたい切にそう 思う「ここ」は 私を必要としていないときどき そう思うけれど「ここ」から 離れてしまえば私は 楽になれるのだろうか私は 自分を押し殺して「ここ」に いなければならない自分の感情を 押し殺して「ここ」に 馴染まなければならないやすらぎが ほしい温かい場所が ほしい
May 9, 2011
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結婚して 10年が過ぎた主人と結婚して 幸せだったかと問われると私は こう 答えるだろう「否」 と私は 幸せではなかった手話の未熟な 主人手話を磨こうとはしなかった 主人私の愚痴を 聞こうとはしなかった 主人そして 手話のできない義両親との同居義両親とのすれ違い義両親との摩擦義両親へのストレスを 主人にぶつけようとしたけれど 主人は それを撥ね退けた聞こえる人たちに囲まれ私はますます 孤独に陥っていった湧き上がるストレスを すべて心の中に押し込み私は 病んでいった何度か 主人と話し合おうとはしたけれど愚痴として受け止めてはもらえず喧嘩となってしまうそうして 私は義両親への ストレス主人への ストレス子育ての ストレスそれらを全て 独りで抱え込み私はますます 病んでいった私は我が子との間に「幸せ」を見出そうと した我が子を 溺愛し「幸せ」になろうと したけれど我が子は10歳となりその行為が 我が子の負担になってきている家にも 職場にも私のやすらぎの場は なく私はいまだに 探し続けている心の やすらぎの場を
February 17, 2011
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「『くすり』を 逆に読んでごらん」――「リスク」「ほらね。『くすり』は 体に悪いんだよ」小学3年生の我が子私が薬を飲む姿を見て こう言った小学3年生 つまり9歳世の中のことが わかりつつある年頃けれど 微妙なところが まだつかめない年頃本当に 難しい私が 抱えているものをどう 説明したらよいのかありのままを 伝えては いるけれど――ありのままを そのままに伝えても理解は難しい 9歳の我が子
March 25, 2010
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わたしは いま薬に頼って 生きています毎晩 精神安定剤を飲み毎晩 抗うつ剤を飲みつづけ毎日の生活を保って います果たして それでよいのでしょうかふと 疑問が湧いてきますいつまで 薬を飲み続けるのだろう と精神科の先生は 何も言いませんただ 薬を処方するのみですふと 疑問が湧いてくるのですこのままで 生き続けてよいのだろうか といずれ 自分の力でいずれ 自分の意思のみでこの世を 渡っていかねばならないけれど けれど その勇気がありませんわたしのこころは 本当に 弱く そして 脆いのです
October 4, 2009
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少しずつ少しずつ、社会との接点を 取り戻そうとしています。かつて 病に負けてしまったとき私は 社会との接点をすべて 断ち切ろうとしました。そうすることで自分のテリトリーを確保し自分の世界を 守ろうとしました。けれど 「外」からのわずかな刺激だけで私の世界は 大きく揺らぎました。本当に脆く儚い ガラスの世界でした。傷つきながらも割れそうになりながらもそれでも ガラスの世界を守ろうとしました。ある日、ある人の 心無いことばで 「それ」は 崩れ落ちてしまい私の世界は 崩壊してしまいました。精神安定剤を 飲み始め ガラスの欠片を 懸命に拾い集め少しずつ 少しずつ 新たな世界を 築き始めました。あれから2年私の世界は 広がりつつあります。
July 2, 2009
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「生きる」って、何て楽しいんだろう「生きる」って、何て楽なんだろうそう思える自分が、幸せだと感じます。物心ついたときから 抱えてきたものそれを抱えることの辛さを 堪えながら私は必死で 生き続けてきた時には 絶望的になりながらも時には 狂いそうになりながらも精神的な病を 心に秘めて死への道に 足を踏み入れるか迷いながら30年 必死で生き続けた家庭を持ち 息子ができ私は 「生きる」ことの義務を 背負ったのです。そして 「病」と共に生きることに 疲れたのです。そうして 私は病院に通い 薬を飲み始めました。薬を飲み始めると同時に 目の前に広がった 光輝く世界なんと この世界は素晴らしいのだろうとなんと 生きることは素晴らしいのだろうと
June 14, 2009
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少しずつ少しずつ親しい人が いなくなってゆく以前は 友人を作らなかった誰とも親しくならぬよう 自分の殻にこもっていた自分のココロが 傷つかぬよう薬を飲み始めてからは積極的に 人と話すようになった感情を ココロの中に溜めぬようけれど出会いがあれば 別離もまた ある親しくなるたび その人は辞めてゆくそして 新しい人が入ってくる慣れねばならぬだろう 生きている限りは時の 移り変わりに場の 移り変わりに
March 17, 2009
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それは 「感動すること」それは 「思い巡らすこと」綺麗、だとは思うけれど素晴らしい、とは思うけれど心から湧き上がってくるものが、ありません。「感動」する心を、私は失ったのです。考えることは、あるけれどふっと思うことは あるけれど物事を深く考えることは、無くなりました。「考え込む」心を、私は失ったのです。けれど 今の生活の なんと楽なことでしょうこれが普通に生活すること だったのですね薬がないと 私は 考えずにはいられませんそして その「考え」に囚われ 私は苦しむのです「考える」ことで 私は 私自身を 苦しめてしまうのです何故、私は こうなってしまったのでしょう何が、私を こうさせているのでしょう今はただ、薬が効いていることに 感謝あるのみです。
August 22, 2008
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新しき挑戦。声が、かかりました。どのような場面になるかわかりませんが、次への一歩につながると信じたいと思います。
June 15, 2008
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「前」へあゆんだ 1年だったと 改めて思う苦しみに苦しんでそれでも独りで やりぬこうとした表面に 出すことなくけれど 限界はやはり やってくる感情のコントロールが できなくなり身体は毎日 悲鳴をあげていた毎日のように 怒っては 涙し愛する我が子を振り回し 自己嫌悪に陥る愚痴をこぼせば よかったのだと素直に 感情を表に出せば よかったのだと今になって 思うけれど 愚痴を受け入れない主人容易には 他人に心を開かない性格数少ない友人は遠く離れ 会えない日々環境が 災いしたのだと今になって 思う職場で 大事な局面で 突然涙しわたしは 気付くもう独りでは 抱えきれないことをそしてわたしは 決心する病院に行くことを救いを求めろうあ相談に赴き そして失望し病院に辿り着くまでに 2年かかった2年という歳月の なんと 長かったことよ
April 9, 2008
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新しき挑戦。転職では、ありません。自分の行動の幅を、増やしたくなったのです。これまで、仕事と家だけが、行動範囲でした。これも、病んだ原因の一つかもしれません。いつも家にいない主人、上手くいかない義母との同居、意思疎通がままならない我が息子。私はいつも、独りでした。私は、「外」に出たかったのです。その一歩として、CS手話キャスターに応募しました。
March 6, 2008
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新しき挑戦。面接に、受かりました。次は。二泊三日の研修が、あります。子供が、母親の外泊を許すかどうか。まだまだ困難は続きます。でも、滅多にない機会。慎重に、けれど積極的に、歩みたいと思います。
January 31, 2008
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「生きる」ことの なんと容易なことよ普通に生活していくことの なんと容易なことよ以前は 「生きる」だけでも苦しかったのに生き続けていくことすらも 辛かったのにすべては 薬のもたらした 効果――精神安定剤の副作用が 少しずつ身体に現れてきて います身体にとって 良い方向なのか 悪い方向なのかそれを知るのは まだまだ先のことに なりそうです。
January 30, 2008
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12月11日(火)夜 こーたとお風呂に浸かっているときこーたは 言った「明日は、学校行きたくない」沈んだ顔でいつも言うことだけれど今回は 雰囲気が 違う何かが あったのだ「どうしたの?」けれど こーたは無言ただでさえ 学校のことを言わないこーたただでさえ コミュニケーションが困難な 私たちそんな彼から 話を聞きだすのは 本当に困難なこと「先生に怒られたの?」「うん」怒られたのはわかったが その理由を言わない忘れ物ではない 悪いことをしたわけでもない「いけない言葉を 言ったの?」「いけない言葉だと言ったけれど、ダメだと言われたんだ」「ああ、誰かが悪い言葉を使って、注意して、ケンカしたんだね」「違う!ぼくは、我慢したんだ」「えらい!!怒られたって構わない、我慢したこと、それが一番素晴らしい事」と ぎゅーっと抱きしめた嬉しそうな 恥ずかしそうな こーたの微笑み相手は 近所の子供で いわゆる「問題児」けれど 彼はこーたを気に入り よく遊びに誘う否定はせず 見守りながら 月日は過ぎたこーたはポロっと言った「じつはぼく、あの子好きじゃないんだ。でも、いじめられてばかりで可哀想」ああ、想いは一緒だったのだと ああ、思いやるこころは育っていたのだと 感動した日だった
January 29, 2008
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ココロが、くじけそうです。久しぶりの仕事で疲れたのでしょうか。気分に波が、出てきました。波にのまれたくありません。壮大なココロの海を、治めなくてはなりません。前を向いて、漕いでゆきたいと思います
January 5, 2008
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新しき挑戦の。書類選考が、通りました。あとは、面接です。ドキドキします。
January 2, 2008
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「人には、迷惑をかけないように」そう言い聞かせ 七年が過ぎた誰かに 話しかけられたら身振りで こう表す「私は 耳が聞こえない」とある日 こーたと一緒にレストランに入り、注文する店員が 何か言う私はやはり 身振りで表した「私は 耳が聞こえない」そしたら、こーたは 怒った「まま、『聞こえない』と言ったらダメだよ!」どうして? と聞いたら「お店の人が、どうしたらいいかわからなくて困るから」では、どうしたら? と聞いたら「ぼくに『なんて言ったの?』と聞けばいいんだよ。もおっ!」別の日こーたと一緒に銭湯へ入り、おしゃべりする静かだったのか 私の声が響きこーたは怒った「まま、しーっ!手話で話そう」ああ、ごめんね、と謝ると「もう。ままはこどもなんだから。大人なのに。 聞こえないんだから、仕方ないなあ!」
December 5, 2007
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こころの 激流に自分の力で とどまりきれず薬を もとに戻してもらいました。この薬の長点は 「気にしない」ことでありこの薬の欠点は 「覚えられない」ことです。なんとか 薬とうまく付き合っていきたいと思います。
November 13, 2007
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4度目の通院で 薬を減らされました処方された当時は 「こんなに?」と不審に思っていましたがいざ 減らされると不安になった自分に ふっと 笑えました人間は本当に 勝手気ままなものです
November 7, 2007
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我が息子は 小学一年生ことばあそびが大好きな 小学一年生そのことばあそびに ついていけなくなりつつ ある子持ちの親なら 誰もが経験することだけれど子どもは 辛抱強く 待ちはしない親も 様々な工夫を凝らして その困難に立ち向かう買い物につきあってくれたら ゲーム1回ね交換条件付けて 買い物へ早く早くと言わなかったら、+1回ね!と付け加えて(交換条件を付けるのはいかがなものか、といううんぬんは置いといて)バラ肉にするか 牛肉にするか迷っているとき 息子が聞いてきた手話「歯」「焼く?」「歯?うーん焼けないと思うよ。」買い物カーを押しながら うわのそらで 答えたバラ肉を品定めしているとき また同じ質問手話「歯」「焼く?」 「ねぇ~歯、焼く?」「硬いからねぇ。石と同じで焼けないんじゃないかなぁ」気にも留めず やはり考え事しながら答える家庭訪問があるので、新品スリッパを買うか迷っていたとき手話「歯、焼く?」はっとして 息子に顔を向ける目を輝かせて わくわくした顔を向ける息子同じことを繰り返すのには 何か理由があるはずしばらく 考えた「歯、焼く?・・・歯、焼く?・・・」頭の中に 「は、やく」のひらがなを 思い描く「――早くだ!」そうか、「早く」と、ずっと言っていたんだね・・・
October 31, 2007
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新しき挑戦に、職場の許可が下りました。しかしながら、その挑戦には、書類選考、さらに面接があることに気づきませんでした。とにかく、まずは第一歩を、歩み出します。その第一歩が、次につながりますよう。
October 20, 2007
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新しいことに挑戦しようと 思いますまずは 職場の許可が下りるかどうか です・・・やりたいことが たくさん 出てきました。
October 16, 2007
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息子を 守るため私は 決断した私は 想像にもしなかったその決断が 結果的に良い方向に向かおうとは薬を処方され 薬に頼る生活が始まった
September 26, 2007
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がんばってきたこれまで がんばってきた誰にも理解されず たったひとりでこれまで がんばってきたときには 周囲を振り回しながらもけれど もう限界わたしの精神は 壊れてきている 助けを求めるべきか否か でも 誰に? 理解者のない 環境のなかでなにより 我が息子愛する 我が息子息子の笑顔まで 壊したくない
August 17, 2007
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疲れた何もかもに 疲れた生きているのに 疲れたけれど今の私に 人生放棄は 許されないあと何度 「疲れた」ら 私は救われるのだろうか
May 24, 2007
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「聴覚障害者の社会参加を阻む 一番の敵は 身内」仕方ないとは 思うけれど義母は 積極的に 私のことを周囲に伝えない働いているがゆえ 必然的に 係わりも限りなく薄い主人に伝えても 私が困ること自体が 理解できない そりゃそうでしょう 私一人の状態を あなたは見たことがないのだから「聞こえないことだけでも伝えたいのだけど。行事のときに困るから」けれど 義母はこう言う「私が、いるから」 と。 地区運動会のとき あなたは いなかったじゃない――そうして 私は 少しずつ少しずつ 地域社会から外されてゆく
May 2, 2007
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30数年 生きてきた心の中の 激流はあれど生活は 極々 平凡だったその中で 「失神」を二度 経験した一度目は 小学5年のとき学校が嫌いだった私は毎日のように 休む理由を考えていたけれど具合が悪かろうと 平熱である限り親は それを許さなかった 思えば 耳が聞こえないという自覚を持った頃だった 思えば こころの不具合が 身体に変調をきたしていたのだろう当時 朝風呂が習慣だった私具合が悪いのを我慢し 朝支度を整えていた浴槽から出たそのとき 激しいめまいが起こりその渦巻きに吸い込まれるように 倒れていった悪しくも 倒れたところに蛇口があり一歩間違えば失明という 危ういところにぶつけたそれでも母は 泣き喚く私と 無理やり登校させた 思えば なんと厳しいしうちよそして いま二度目の失神を 経験した息子が 中耳炎を患い4ヶ月ものの長い通院の末 鼓膜切開という結論に至る主人の同行の上 手術に立ち会う珍しく 逐次状況を伝えてくれる主人けれど 突然 先生の手が止まり主人も 私への通訳を止めたその刹那 意識が飛んだテレビによくある 嘘のような話が現実にあることを実感したけれど ここで倒れるわけにはいかない 思えば パニック障害だったのだろうか 思えば 失神のあとに襲ってきた だるさと吐き気主人は 先生から決断を求められたため 通訳を止めたのだったがこの短い時間が 遥か長い時間に 思えた情報が断絶されることほど 怖いものはないそれが 愛する息子に係わることなら なおさら――
May 2, 2007
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無性に 補聴器をしたくなった2歳のころから 補聴器をつけはじめた補聴器は身体の一部 と思い込んでいた 幼少時代徹底的な 聴覚口話教育を受けけれどついに 音そのものを判別できないまま 口話教育の成功例として 聾学校を卒業したそして 地域の小学校に入学し健聴者とともに 学び 遊んだ「聞こえない」という 自覚を持たないままものごころが ついたころ自分は皆と、どこか違う と疑い始めたころ自分は「聞こえない」けれど 皆は「聞こえる」のだと 気づいたころ私は 補聴器を 自ら外した皆と同じに なりたくて「聞こえない」と見られるのが 嫌で「聞こえる」人と何ら変わりはないのだと 思いたくてあれから 20年は経っただろうか妊娠し 子を得た音を必要とする場面は 数多くあったけれどそれでも私は補聴器を 必要としなかった我が子が 幼稚園に入り社会との関わりが 増えた――皮肉なことよ――社会から逃げようとした私が 再び社会へ関わろうとは私は 「音」を知りたくなった周りの音ではなく 私自身が出す「音」を私自身から発する声の加減を 調整したくなったのだ社会との調和を 図りたくなったのだだが 20数年のブランクは大きい久しぶりに聞く音は すべてが耳鳴りとなって 常に頭の中を駆け回るけして 後悔はしないけれどただ 残念に思う補聴器を外していた期間が あまりにも長すぎたことを
February 17, 2007
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幸か不幸か ビデオに撮られる機会が多い去年のビデオを見て 驚いたそこにいるのは 誰?輝かんばかりの笑顔 つやつやしい手肌をした あの人は誰?――そこにいるのは 去年の私たった一年で 私は老いたのかまばゆくて 直視できないくらい あのころは若かった――いいえ 若々しく 生きていただけ今の私は 確実に老いた年相応に 老いたのだ私はもう あの1年を振り返らない私はもう マイナス思考は持たない他人に振り回されずおのれだけを見つめて 生きてゆく
February 16, 2007
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フランス菓子『パティシェ イナムラ ショウゾウ』〒110-0002 東京都台東区上野桜木2-19-8月曜・第3火曜定休仕事柄 打ち合わせが多い時には 昼食しながらの打ち合わせもそんなとき 誰かが 差し入れを持ってくるクリスマス後のある日ある人が クリスマスケーキを持ってきたその大きさ そのシンプルさにびっくりしつつそれ以上に 完熟した「いちご」の美味しさに 惹かれた――上野に行ったついでに、寄ってみよう年明けたある日同じ人が 焼き菓子を持ってきた真っ白にふりかけられ 堅そうな外見に抵抗を感じつつ中のやわらかさ、しっとりとした美味しさに 惹かれた――これを食べるだけでも、上野に行きたいポケモンセンターに行きたがる息子を「上野の公園で遊ぼう」と言いくるめて夜更かしでぐっすり寝込んでいる主人を「上野のラーメンを食べよう」と言いくるめて家を あとにした思いもしない長い行列に霹靂しつつ 30分は並んで 最後の『シュトレン』を 思いもしないその高さに驚愕しつつ 1,800円で購入した美味しいです!
February 5, 2007
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「ここ」では ない私の中の誰かが 訴えている「ここ」ではない と私がいるべき地は 「ここ」ではない と幼少時から憧れた 「ここ」両親の反対を押してもなお私は 選んだ「ここ」に住む 道をけれど「ここ」は 私を蝕むじわりじわりと 私の心を蝕んでゆく紙に滲んだ 黒インクのように還りたい 奔放に生きた あの地に帰りたい富士山をバックにし草原がどこまでも広がってゆく あの地に
December 18, 2006
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漆黒の闇にいた わたし絶望の底にいた わたしけれど 這い上がってきた少しずつ 少しずつ自分でも 気づかぬうちにいま 太陽に照らされた地に わたしはいるわたしはけして 忘れないあの ひとことを自分の感情を理解できるのは 自分だけ自分に他に いるはずもなかろうけれど自分一人では抱えきれぬ その感情の大きさに恐れおののき他人に すがろうとした自分一人では持ちきれぬ その感情の重さに耐えられず他人に 頼ろうとした絶望のどん底 漆黒の暗闇にいた わたし助けを求めはすれど それに反応した人が いなかったそのわたしがすがったのは “ろうあ相談”という制度手話のできる病院を探してほしいと わたしは訴えた筆談でのカウンセリングに挫折した経験を持ち手話通訳者養成との関わりの深い職を持つ わたしには顔見知りの手話通訳者を伴うことに おおきな抵抗があった一時間余り 話をきいてくれた ろうあ相談員は手話のできる精神科の病院を紹介した「薬が必要なら」という 言葉とともに忘れたくとも頭から離れない このひとこと薬がほしいと わたしは発していないのにわたしは新たな絶望を 抱え込み広がる漆黒の暗闇を 彷徨ったその数日後 主人は 職を辞めたいまだから わかる手話のできぬ 義両親との同居言葉の通じない 幼き我が子手話を使わない 職場人がいる環境に いながらしてわたしは独りで 過ごさねばならずその孤独に わたしは負けたのだ聴覚障害という障害が産んだ コミュニケーション障害その二次障害に わたしは負けたのだ聾の世界 健聴者の世界そのはざまで 揺れ動いていたわたし聾の世界に馴染んだ 友人健聴者の世界にいる 友人そのいずれも わたしは関わりを拒絶した唯一の 心の拠り所であった主人その主人が家にいるという 安心感その安心感が 私を救ったけれど時折 後悔の念に駆られるもう少し 友人に頼れなかったものか とそうすれば 主人は退職という選択を採らなかっただろう と
August 15, 2006
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「それ」は 突然 やってくる「それ」は 前触れもなく やってくる「それ」は 抵抗しようとも じわじわ侵入してくる「それ」は どうあがいても 容赦なく広がってゆく「それ」は 私を 無気力にさせる「それ」は 私から 生きる力を奪ってゆくけれど 私は 生きなければならない「それ」を 抱えたまま 耐えなければならない「それ」を 外に出すことなく 心に秘めなければならないああ、義務で生きてゆくことの なんと辛いことよ周りに影響を与えることなく誰もが悲しむことなく 自らを消し去ってしまえたなら――
June 29, 2006
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ふと 気がついた寝る前に 薬を飲むとぐっすり眠れる ということに
June 5, 2006
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独りになりたく ない一人でいたく ない一人でいればいるほど私は 自らを痛めつける「助けてほしい」とも言えない自分をいったい誰が 理解できるのだろう
June 5, 2006
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「落とし穴」は 常に存在する「落とし穴」は 常にそこにある突き落とされたときの 衝撃落ちていくときの 絶望感底に無限に広がる 虚しさけれど 私は這い上がらなければならないここには いつまでも留まっていたくない私には 手を差し伸べてくれる「人」がいないのだから以前助けを求めて 半年間彷徨ったけれどついに誰も 助けは来なかった私はもう 手を伸ばさない私はもう 誰も信じない私はいつまで 生き延びるのだろう私の望む先は すぐそこにあるのに私は何故 「生」に執着するのだろう
June 5, 2006
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なかなか、幼稚園の様子を話さない こーたすこしでも、話すヒントを作りたくて・・・
May 11, 2006
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ピカチューが好きで仕方ないこーたピカチューパペットをいつもねだるこーたピカチューぬいぐるみを抱きしめながら寝るこーたそんなこーたに贈り物
May 8, 2006
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やはり、いつも早起きのこーた。まずは、デニーズで、ゴールドシールをげっと。「野毛山いこう」ばあばを誘って、野毛山動物園へ。何回も行ってるので、動物には目をくれず、ふれあい広場へ。ひきしめあう中、ひよこちゃんを抱っこして、満足げ。ささっと動物園を後にして、見晴し公園へ。展望台で、ばあばとおしゃべり。奥にあった公園で、サッカーごっこ。手話のできる人と出会った。さりげなく出会い、さりげなく別れる。その、さりげないひとときが素敵だと思う。ままは、また日焼けしたし、筋肉痛になった!-----------------いつもなら実家に帰省するのだけど、両親が発熱し、横浜に残留。けれど、充実したゴールデンウィークだったと思う。お金もかからず、身体を思いっきり動かした連休だった。
May 5, 2006
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相変わらず、早起きのこーた。ままとこーた二人で、金沢自然動物園へ。目指すは、「おなかめいろ」。・・・ちゃちすぎて笑えた。こーたも、目がテン。クイズラリーで、一通り回って、公園へ。ローラー滑り台が3台。長~い長~い滑り台には、長~長~い行列。30分ぐらいかかった。メロンパンを食べているとき、2~3歳ぐらいの子が、こーたへ何かと仕掛ける。その動作が面白くて、こーたもつきあう。ふと居なくなり(帰った)、こーたはとても悲しんだ。バイバイしたかったね。この公園で、延々と5時間遊ぶ。ままは日焼けした!
May 4, 2006
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サッカー観戦の招待券をもらい、平塚へ。病み上がり?の主人を起こして、朝早く出発。予想外に渋滞。ゴールデンウィークだった。公園が隣接。この公園の遊具が、大きくて楽しい。子供たちがたくさんいたので、こーたは嫌だったようだ。小さな動物園も隣接。2時、キックオフ。ベルマーレが2点とり、勝利!!テレビとは違う。盛り上がりが違う。やはり、隣接する「湯之蔵」で温泉。温め(ぬるめ)と熱め(あつめ)が分かれていて、気持ちよい。2階には、子供の遊び場。これがまた大きい。ここで延々と4時間。平塚はよいとこだ。
May 3, 2006
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また一人 「友達」が去っていったしかたないとは思うけれど後悔だけは しないけれど私は 自ら「友達」の縁を 切っていく「友達」から 遠ざかっていく私は 叫ぶ「友達」がほしいと 「友達」でいてほしいとけれどその叫びは 正反対の形で現れてくるなぜ?自分のこころを 守るため自分が 自分であるがためにそしてその「友達」を守るために――私はたぶん 誰にも心を開かない主人にさえも 心を開かないいつまで 持つのだろう私の こころは
April 27, 2006
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闇の中から 這い出てきた――ようやく 光の中へ闇の中では 私一人だった私一人しか いなかった私一人しか 見えなかった彼もまた 闇の中にいたのだ彼もまた 闇の中を彷徨ったのだ私一人しか 見えていなかった――闇の中にいたがゆえに 彼は選択した仕事を辞めることを彼は 疲れたのだ妻のノイローゼに彼は 耐えられなかったのだ妻からの 責めにそして 彼は 休養への道を歩んだ彼は 私の手を 払いのけたのではなかったのだただ 気づかなかったのだ助けを求めているということ自体に――彼もまた 闇の中にいたがゆえに反省せねばなるまいこれまで 気づかなかったことを感謝せねばなるまい最後まで 沈黙を通してくれたことを私より遙かに 過酷な環境にいたのに――
March 16, 2006
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去年 実父から招待券をもらった恋人時代 いくら誘っても乗り気でなかった 主人今思えば ジンクスを気にしたのだろうか誰を誘うか 迷いながら早2ヶ月ふとしたことで 招待券が主人の目にとまった「明日行こう!」学生時代 毎年行っていたTDL約10年ぶりであるやはり 夢の世界でも5歳の息子には広すぎて 複雑すぎて――
February 21, 2006
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長い長いトンネルに いたそこは 闇に包まれていた光もなにも無く 絶望に包まれていた私は もがき苦しんだすべてを捨てようと 思ったこともあった自分の想いを 誰にも伝えられずその想いの重さに 押し潰されそうになったしょせん 私は独り私には 誰もいないそれで良いのではないか誰にも頼らず 誰にも心許さずそれで良いのではないかどんな道であろうと ともしびが見える他人に心許さず 慎重に歩んでゆけばよいそれが 自分を救う道 なのだから――
January 10, 2006
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幼いときからほんとうに幼いときから 感じ続けてきた違和感聞こえないがゆえ、と思ってきたほかの人は わかるのになぜ 自分にはわからないの?聞こえないがゆえ、と思ってきただからこそ 人一倍 努力してきたこの世界に馴染もうとこの世界のルールに合わせようとその頃だった自分で自分を 調整するようになったのはパニックに陥らぬよう調整は たやすい自分一人だけの世界ならだから、だったのだ一人暮らしによって 「自己」が好転したのはだけど 違和感を感じながらもそれが何なのか 理解できぬまま 「家庭」を持ってしまったいまはもう 私一人ではないだから、だったのだ働き続けることによって 「自己」を保とうとしたのはいま 気づいた働くことが 好きだったのではない一人でいることが 好きだったのではない『変化』を 極端に嫌ったからである『計画』を 極端に好んだからであるいま職場でも 家庭でも「変化」を強要されているわたしはもう 限界誰か 救い出してほしい
November 21, 2005
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