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今日はPET検査やってきました。放射線を体の中に入れるので注射で体の中にクスリを入れてからは看護士さんたちは極力患者に近寄りません部屋の移動など携帯を持たされて時間になると指示がきますもちろんお支払いだって最初クスリを入れて約一時間リクライニングチェアで待ちます電話がきて検査室へ移動終了後またも別室に移動三、四十分またチェアで横になりましたで、電話が来て終了~そのまま着替えをして帰りました。最初の説明の時に全部話を聞いてそれ以降技師以外には会いませんでした。帰る頃には体から出る放射量は半減しているそうですが夕方まではあまり人と接しないようにだって1m以上離れていれば大丈夫だってさ骨のシンチと同じ感じだね。結果は郵送で来るそうです
2009年01月30日
最近私の調子もマアマアなので散歩に出かけることが多くなってきました。ドックランへ行ってからすごい変化がありました引っ張りがなくなったのですまったくゼロではありませんが明らかに違います。いつも私を気にしてますし急に走り出すと、引っ張られて痛いので「痛いよ」っていうとやめます。今日は特に偉かったです。ほとんどの間リードはたるんでました。犬社会に触れて、上下関係がしっかりと確立したのでしょうか下に見られなくてよかった~あとはうんこさえ食べなければ。。。
2009年01月29日
今日色々あってから久しぶりに息子の同級生のお友達のママに会いました。受験からすっかり遠のいていたのですでに手遅れですが沢山お話し聞きました私立の併願、単願、一般都立の推薦、一般など等、聞けば聞くほど「う~ん」難しいよ。先生も把握してないしこちらキチンと調べて先生にお願いしないと「そんな制度ないですよ」って普通に返事が来るらしいもう自分の事はやれる歳になったのだからとワタシも息子にかまう時間も無く全て本人任せにしていたがよく知っていればもう少し考えたのにとちょっと反省推薦の書類の不備などあってはならないが数件あったらしい生徒の質も問われるがこの先生にこの生徒ありと高校側は思っただろうな。二年後の娘の時にはもう少し色んな対応ができるかな。でも、毎年制度が変わる事もあるしやはり自分でキチンと調べる事が大事ですね先生は結局人ごとですから。。。学年で統一性がなく担任の先生の考えがものすごく反映しているので推薦をやらない先生のクラスと推薦を進める先生のクラスとではっきり傾向が分かれたようです。
2009年01月28日
先日初めてドックランなる所へ行ってきました。大型・小型と分かれていましたがちょうど小型専用は誰も居なかったのでまずはどんな様子になるかそちらへ入れてみると大型犬の子たちに夢中フェンス際を走りまわり初めての場所なので距離感つかめずフェンスに激突雑木林のようになっているのでぶつからないかとヒヤヒヤしていましたがさすが犬、それはなかったですしばらくしてから大型犬の皆様の所へお邪魔しましたが、さほどでもなく楽しげに?遊んでおりました。一週間とあけず週末に再度行って来ました。やはりお休みとあってかなりの人、ワンコでした同じフレンチブルちゃんにも沢山あえました。フリーした事が無かったのでどうなるかと思ったけどちゃんと呼べば戻ってくるし(遊びつかれて飽きたから?)ギャウギャウしても「いけない」と相手の犬との間に入るとちゃんとワタシを見て止めてくれました。結構言う事きくじゃんよ~と 親バカ楽しそうに遊んでいる?走り回ったり、ご挨拶したりそんな様子をみていると、何時間でも居てしまいますね~10数年前の子育てを思い出します。朝十時から昼の一時まで毎日遊ばされましたから。。。今は孫を見るような感じですね・・・楽しい時間でした!
2009年01月26日
ぽわぽわと毛が生えてきた娘に「なんだっけ~鷹?鷲?」「禿鷹でしょ」「そうそう、それだよ」わかりずらいですが、確かに禿鷹のようですこれって新生児の赤ちゃんと同じ状態ですよね~ウチの近所に赤ちゃんの筆って言って生まれて初めて切った髪の毛で筆を作る床屋さんがある。私も作ってもらおうかな~
2009年01月23日
ワタシの廻りに老人ホームに勤めている人がおりまして義母が帰って来たときも、アドバイスを下さいました。その方々が義母を訪ねて来てくださるのですがそろって「○○さ~ん、おはよう!!」と大きな声で話しかけるのです。今寝たところと言っても平気で起こしてくれます。義母は耳が遠いわけでも認知症でもありません病人なのです。ワタシも自分がこんな体で無かったら理解できなかったかもしれませんが人のパワーを受け止めるって結構大変なのです。聞いてるだけでいいじゃんと思われるでしょうがそういうわけにはいかないのです。大勢の中ではなく自分に向かってくるわけですから受け止めるのは大変です。それだけで疲れてしまいます。老人ホームでは「○○さ~ん、おはよう。今日は言いお天気よ~」と耳元で大きな声で話しかけるでいいのでしょうが、病人にそれはキツイです。亡くなる2日ほど前も、もう便が止まらなくなった時もおしりふきだけでなく、蒸しタオルで拭いた方がと言い拭いてくれましたが、もう見ているだけでそんな体力がないのです。さっとキレイして、さっとオムツをはかせなければオムツを取り替えるごとにも体力が奪われていくのが解ります。この先何年もオムツ生活をしなければならないならそういうケアも必要かもしれませんがおしりが荒れるよりも重要な事があるのです。次の時には体力がないから無理だからやめて下さいと言いました。それでも義母はオシッコをオムツで一度もしませんでした。最期まで自分でポータブルのトイレですが座ってオシッコしました。何度もオムツしているから、大変だからトイレには行かずオムツを使ってねと言いましたが自分も15年前介護をしていて、おむつ交換をしていたので、大変さは一番わかっていたのだと思います。便をだしきってからも一度もオシッコはせず尿がでなくなって、まる2日以上経っていたのでカテーテルを入れてもらったら900ccも溜まっていました。水分もほとんど取れていなかったのでオシッコとしてでる物はなかったのだと思いますが結局最期までオムツにオシッコをする事はありませんでした。カテーテルから出たオシッコも数日前から溜まっていたものなので一度出きってしまうともう新しい尿は出ませんでした。看護婦さんからも気丈な方ですねって言われました。本当に最期まできちっとした人でした。ワタシだったらすぐオムツにジャ~ってできるなと思ったりしました。痴呆や認知症などでは、トイレはリハビリかもしれませんが病気の場合、トイレへ行く事は命を縮めるなと思いました。家で見ているからこそ実感したのだと思いますが介護と看護は違うとはっきりと感じました。
2009年01月20日
11月末に最期の抗がん剤をしてからもう一月以上経ちましたがいまだむくみが取れません。毎日起きるのが辛いですアゴが二重アゴです。このむくみはいつまで続くのでしょう。。。足 痛いし 靴下の後が酷いですだれも優しくしてくれないし。。。疲れたな=。。。
2009年01月15日
義母が亡くなってから ふた七日経ちました。今日も、父、母の兄弟が訪ねて来てくれました。今時、自宅で最期を迎える人は随分少なくなっているのだと思いますが、ワタシが義母を自宅で看取る事になろうとは数ヶ月前では思いもしませんでした。昨年10月に治療の甲斐なく病状が進行し今後の事を病院から相談された時母は家に帰りたいと言いました。入院から二週間が過ぎた頃だと思います。高カルシウム血症のため意識が朦朧とし嘔吐も激しかったのですが、症状はよくなってきていました。が、少しヘンな事を言ったり、認知症のような症状が出てきていました。先生曰く、入院が長くなったせいでしょう。との事人間3週間足らずでそうなってしまうのかとビックリしました。もうその頃からこの世から離れる支度だったのでしょう。「家に帰りたい」そう言ったのも決して家で死にたいと思って言った訳では無かったと思います。ただ純粋に「帰りたい」そう願ったのだと思います。しかし今の状態の母を家に連れて帰るには準備が必要です。紹介していただいた病院は365日24時間対応です。ワタシが説明を聞きに行き、母の様子を伝え、病院からは余命6ヶ月と言われている事も伝えました。母は家に帰りたいと宣言したとたん、もう家に帰りたくて仕方ありません。義父に電話をしてきて「いつ帰れるの」かと詰め寄り、まだ無理だと言うと泣きながら「いじわる、もういい!!」と言って電話を切ってしまったそうです。そして義父はそんな様子の妻の言葉で、今日、明日にでも迎えに行く気満々です。そんな~それはまだ無理。。。こちらの準備が整いません。再度ワタシから電話をしてゾメタをやるまでは帰れないからねと言うと分かってくれました。こんな義母はどんな人だったかというと利口で、口が堅く、何でも一人でできる、年上の人からも相談を持ちかけれ、ご近所には信者が沢山いました。病気が酷くなる前には義父が少し手足が不自由なもので自分が入院したらできるだけ入院させてもらって夫が不自由なので自宅では無理だと言うようにと言っていました。そんな義母でさえ、家に帰りたいと言ったのです。どれだけの人が自宅に帰りたいと望んでいるのか想像がつきます。家族の意見は母が一番望む状態にしてあげる事だったのでゾメタの点滴も自宅でOK痛みのコントロールもできる医師が週2回 看護士が週2回の訪問介護保険の申請ワタシが義父の家で仕事ができるようにパソコン購入など等どうにか準備ができたので退院して自宅に帰る事になりました。
2009年01月15日
昨年から自宅にて療養中の義母が他界しました。正月の2日の朝でした。11月に自宅に帰ってきてから2ヶ月足らずの看護でした。大変ではありましたが赤ん坊を育てると思えば意思の疎通は図れますしさほどの辛さではありませんでした。自分の抗がん剤の治療も一区切りつき母の看護も終わり今は溜まった仕事を片付けるべくパソコンに・・・これから長男の受験もありますまだまだやる事が満載です色々あった出来事を少しずつ整理したいと思います
2009年01月13日
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