喫 茶 去
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GWまで落ち着かない日々を過ごしていたのですが、やっと今週はどっぷり本に浸かっています。以前『逆説の日本史』の9巻で「琉球王国の興亡編」と、14巻で「琉球王国と日本編」を読んでいたのですが、わからないまま読み流していたので、記憶に残っていない。沖縄の城址を実際に見て、沖縄の地図を頭に描きながら、それを再び読み返してみると、琉球の歴史がバッチリわかりました。水がしみ込むように理解できました。歴史は、現地に行くことによってこんなにもすんなりと解るものなのだと、改めて思い知りました。今読んでいるのが、磯田道史さんの『殿様の通信簿』で、磯田さんといえば『武士の家計簿』で有名になりましたね。磯田さんは、江戸時代の古文書を何の抵抗もなくスラスラ読める稀有な才能の持ち主です。これがまた面白い本なんです。書き方が上手なので読みやすいというか。幕府が隠密に調べてきた諸大名(243人)の内情を、幕府高官がまとめた人物評価が書かれた『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』という元禄期の秘密諜報の書物があるそうです。その中から徳川光圀、浅野内匠頭と大石内蔵助、池田綱政、前田利家、前田利常、内藤家長、本多作左衛門について書かれています。浅野内匠頭は無類の女好きで、引き籠りで視野が狭く、知恵がなく短慮な人物と書かれていたとか。「文道を学ばず、武道を好む。生まれつき気が小さく、贅沢はしないが、民からむさぼっている」と。民衆に厳しく、非常に神経質な軍事マニアの大名で、奥方の下女に非道を働いたこともある女好き。「すでにこの家は危ない」という噂もたっていたそうだ。『忠臣蔵』で美化され描かれているのとは全く違った赤穂の殿様だったわけですね。大石内蔵助だって、討ち入りの前は京都の遊郭で放蕩三昧の遊びをしていたし、男色にもふけっていて、15歳の息子の大石主税にも男色を強く勧めていたため、熱中してしまう始末で。しかも、内蔵助は18歳の少女を妊娠させて討ち入りに行っている。こんな不良中年が、50人近い部下を連れて完璧な殺人事件を起こしたわけです。ドラマや映画で美化され、墓参りの歴史マニアも多いようですが、実態はこのようですねぇ。で、笑ったのが岡山藩の二代目藩主、池田綱政という殿様について書かれている部分なんですが、磯田さんは岡山の出身で、小さい頃からおじいさんに話を聞いていたのだそうです。池田綱政は、なんと70人も子どもを産ませていたのだと。日本三大名園の一つ、岡山後楽園を作るよりも、子供を70人も作ることのほうが、よほど凄いと思うと磯田少年は思っていたのでした。大学生になって、『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』に出会い、真っ先に池田綱政のページをめくったところ、「馬鹿殿様」という内容のことが書かれていたそうだ。まるで志村けんのバカ殿のような人だった。源氏物語の雅な世界にあこがれ、毎日昼は蹴鞠をして遊び、夜は芸人を集めて酒宴をひらいていたとか。磯田さんは、「生まれつきバカと書かれた実にめずらしい殿様である」と書いている。(笑)「日本一の馬鹿殿様と言われてもおかしくない」と。「岡山城本丸は、綱政という光源氏のおかげで、巨大な人間の産卵場と化しており、あちらにも、こちらにも、綱政によく似た子どもがいて、遊んでいる。そのうち増えすぎた子どもが、城からあふれだした。とうとう綱政は作りすぎた子どもを、家来に配りはじめたのである。」爆笑しながら読みました。磯田さんは歴史番組の解説でも、実にわかりやすく説明してくれるのですが、中学時代に家にあった古文書に興味をもち、面白がる孫に、おじいさんが読み方を教えてくれたのだそうです。親につけられた「道史」という名前は、「歴史の道」という意味だとか。ちなみに別の本で読んだのですが、大石内蔵助の母親が岡山藩の家老の娘で、その家から岡山藩士だった磯田家に嫁に来てるから、その当時は磯田さんちと大石内蔵助は親戚だったそうだ。「わたしは妻と35歳のとき結婚したんですが、結婚するまで正真正銘、立派な童貞でした」と対談で語っているのをネットで読みました。(笑)35歳まで童貞を守り通した磯田さんも凄い。地方の神社には神主が書き記した地震の古文書がたくさん残されていて、解き明かされないままになっているので、本格的に過去の地震の記録を調べたいと言っている。古文書を読めない地震学者では役に立たないので、磯田さんに早く読み解いてもらいたいですね。
2012.05.10
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