盤上の感性は「千差万別」「十人十色」だけれど、今更ながら「囲碁への思い」もそうだなあと思う。
3年前に棋士より強い囲碁ソフトを開発することへの危惧を表明した時に、「ソフト開発も大きな生きがい」「囲碁を解明したくないの?」という人の反応だけでなく、「何年後かに囲碁が存在しなくたって今自分が楽しめれば良い。」という反応とか「自分はただ強くなりたいだけ、そんなどうでもよい事言うな。」など予想しなかった反応もあり、考えさせられた。
私の場合、「囲碁はいつまでも神秘的な存在であってほしい。」とか「1000年後の碁打ちとつながっていたい。」という思いがあり、かなりロマン派に属するようだ。
最近のもんちゃんさんの「頭を使う事も勝負事も嫌いだけど、碁は好き。」という記事は衝撃的だった。
碁会所では、その一方だけが極端に好きそうな人、つまり考える時間が勿体無いとばかりに猛スピードで石を並べて勝負だけに一喜一憂するタイプの人や、逆にそれでは永遠に勝負がつかないよという感じでひたすら考え続ける人にはしばしば遭遇した。けれど、両方が嫌いという碁打ちに今まで遭遇したことがなかった。
でも、よく考えると碁の魅力はゲーム的要素だけでなく、スポーツ観戦的要素・社交的要素・美術的要素・歴史的要素などたくさんある。碁の多彩な魅力を感じさせる事ができるだす席亭は素晴らしい。
ゲーム的要素を排除した企画として、ソムリエによるワイン試飲会みたいな雰囲気で、歴史や美術談義・対局者の心理描写などを中心に据えた「古碁鑑賞会」なども面白いかも知れない。
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知って損はない!プロ常用?ハメ手の話。 Jan 13, 2018 コメント(2)
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