仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

PR

プロフィール

HbA1c 6

HbA1c 6

フリーページ

2009年03月16日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 昨日TVのドラマで広田弘毅の話を見たのだが、彼が外交官(その時分はまだ東京大の学生で、外務省の嘱託を受けていたのだが…)のとして初めての外国の要人と旅行したのは、どうやら松山市が最初みたいでポーランドの初代大統領を、松山市に案内しているのだ。第一次大戦後独立ポーランドの初代国家元首となったユゼフ・ピウスツキ(当時はポーランド社会党の指導者であったのだが…)は、日露戦争勃発後の明治37年7月に来日し、明治政府はピウスツキの要請に応じて、日露戦争で捕虜となったポーランド軍人に対する特別待遇を決定しているのだ。

 そのポーランド人捕虜の収容所があった愛媛県松山市では、市民あげて捕虜たちを歓迎し親身に接したことが、日本とポーランドの有効に大いに寄与しているのだ。そして、日本海海戦で日本がロシアのバルチック艦隊を撃滅したと聞いたとき、ポーランド人捕虜は全員で「万歳」を叫んだという。
松山市民をはじめとする日本人が、敵味方を越えた素晴らしい親睦をしたこと、またその恩を息子の世代まで伝えたポーランド人の心意気が分かるエピソードである。このことで広田弘毅がオランダ公使として任地へ赴任する途中、ポーランドの首都であるワルシャワに立ち寄ると、大統領であったピウスツキ自身が駅で出迎えた。ポーランド側は戦後の東京裁判においても、ロメル元駐日ポーランド大使が口上書を法廷に送り、広田の功績を挙げて無実を主張してくれているのだ。

 昨日のTVドラマを見て菅いたことだが、広田と妻の静子の夫婦愛がテーマになっていると紹介されていたが、国粋主義団体玄洋社幹部・月成功太郎の娘・静子を、大熱愛の末妻にしていたことはTVでは少しも紹介されていなかったし、そのことで広田の妻静子が東京裁判開廷前に自殺しているのだが、自殺の理由として国粋団体の幹部を親に持つ自分の存在が、「広田=右翼」という先入観によって、夫の裁判に影響を与えると考えていたためとされている部分が、少しも見ている人には伝わっていない気がした。(妻が夫の名誉を守るために自殺した経緯がこのドラマでは大切だったのに…)

 それでも2時間半のTVドラマにしてはけっこう楽しめたのだが、やはり最後の言葉が私には印象に残っている。処刑に際し、先に執行された東條らの万歳三唱について「いま、『マンザイ』をやっていたのでしょう?」と死刑執行人に問いかけているシーンだが、原作によると「文官の自分が処刑されるのは漫才のようなもの」との皮肉を込めた発言としているが、これについては広田の出身地である福岡では「バ」と「マ」が混同しやすいことから、立ち会った人の聞き間違いではないかと言う説が言われているそうだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年03月16日 12時52分52秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

砥部焼祭り@ Re:減税派の方が少数だといわれているが・・・(04/17) 砥部焼祭りについては、 0896240183 をど…
スマホ@ Re:ディールの好きな大統領といっても・・・(03/31) スマホの知りたいことは、0896244450 か…
aki@ この様な書き込み大変失礼致します 日本も当事国となる台湾有事を前に国民の…
aki@ Re:速歩をはじめよう・・・(03/17) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
aki@ Re:能登半島地震で行われていること・・・(01/16) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: