仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

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2009年05月11日
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 昨日は私が参加しているウォーキンググループののイベントがあって参加したのだが、参加者は60名くらいいたのだが、朝JR松山駅に集合して松山中央公園から岩堰まで歩いたのだ。今回にウォーキングの趣旨は「地元の川の歴史を知ろう」ということで、私の仕事に関することも多かったので、石手川の歴史のことも歩きながら少し話しておいた。ちょうど昨日は出発点の松山中央公園にある野球場(坊っちゃんスタジアムと呼ばれているのだが…)で、東京ヤクルトスワローズと広島カープとのディゲームが行われるので、朝からけっこう多くの人が公園内にはいたのだ。松山中央公園には野球場や市民プール・武道館などをはじめ多くのスポーツ施設があるのだ。敷地は松山中心市街地・松山空港からそれぞれ約4Kmの距離にあり、石手川・重信川及びJR予讃線の軌道に囲まれた三角地で、敷地面積は約53ヘクタールなのだ。

 昨日のウォーキングは「新緑ウォーク」ということで、この石手川沿川を探索したのだが、石手川は高縄山系の三方ヶ森付近に源流を発し、松山市東部にやや急な扇状地を形成し、出合にて重信川と合流する延長が24キロメートルにおよぶ一級河川で、もともとは「宝川」とも「湯山川」とも呼ばれていたのだ。松山平野に入ると西走し現在の松山市中心部付近を流れていたとされるのだが、戦国時代末期に改修工事を命じたのは松山藩の藩主であった加藤嘉明で、その家臣の足立重信が実際に指揮を取って改修工事を行ったのだ。この改修工事では、石手寺近くの岩堰という場所で流れをせき止めていた岩石を砕き、流路を南西に変えて現在の川床としたのだ。この流路変更工事によって、現在の市街地周辺に水田を確保することができたのだ。(「持田」という地名は、砂山だったところが美田になったので名付けられたそうだ…)このため、旧川床だった市街地地域では、今日でも地下水脈が走っており、地下水に恵まれているのだが、元々から石手川の流量は少なく、大雨増水時以外はあまり水量は多くなかったみたいだ。

 その少なかった水量でも洪水時には、多くの被害をもたらした記録が残っており、急流であったため江戸時代から、何度も改修工事は行われているみたいだ。反対に渇水時には石手川の水量では、灌漑用水が満足に行き渡らなかったらしく、水争いをして死人が出たという記録も数多く残ってるのだ。現在では石手川ダムを作った関係で、ますます石手川の水量が減少してしまい、大雨増水時以外は川底をさらしているのが現状なのだ。石手川の両岸は終着点の岩堰から下流にかけての一帯は、市街化し右岸側は松山市の中心市街地に接しているのだ。左岸は長らく開発が進まなかったが、バイパス工事が行われた昭和40年代から宅地開発が進み始め、今日ではマンション等が建ち並ぶ市街地となっている。また、河岸の多くには公園が設置され、市街地に近いことから市民の憩いやスポーツ活動の場として親しまれているのだが、これは大正3年に「大正天皇御即位御大典記念事業」で公園整備を始めたのだ。

 このように多くの歴史的な事項のある石手川なのだが、昨日歩いたのはその沿川一部の6キロほどで、それでも一日の日記には書けないくらいなので、面白い記事を見つけたときにこの続きを書きたいものだ。





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最終更新日  2009年05月11日 02時30分33秒
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