仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

PR

プロフィール

HbA1c 6

HbA1c 6

フリーページ

2009年05月14日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 私は仕事の関係で自然石を使った擁壁を作ることもあるのだが、石積工法はまず第一に、絶対に崩れてはならないという安全性が重要で、そのうえで石一つ一つの表情を生かして、景観的な美しさをつくり出さなくてはならないので、かなり熟練を要する技術といえるのだ。もっとも法面勾配が45度より急なもの(一割勾配というのだが…)を、本当は石積みといい、それよりも緩やかなものは敷石や石張りと呼ぶのだが、便宜上石材を使った土留めを兼ねた外壁などを、すべてまとめて石積み擁壁とか石垣と呼んでいるのだ。その石垣を造る技術の研究会があるのだが、その研究会の総会に数日前に参加したのだ。

 石積みの施工法には「練積み」と「空積み」があり、練積みは裏込めにコンクリートやモルタルを使用して石を積み上げていく方法で、構造上は重量擁壁の一種とされ安定度が高く5メートルくらいの高さまでは積んでもよいのだが、空積みは、裏込めにコンクリートやモルタルを使わずに、割栗石や砂利を用いて石を積み上げる方法である。練積みに比べ脆弱であまり高く積んではならないとせれており、「建築基準法施行令」の規定では、高さが2メートルを越える石積みは、練積みでないと認められていないのだ。これも考えるとおかしな話で、戦国時代に建てられたお城などは、10メーター以上の石垣を造っており、400年以上経っているのに壊れたいないのだが、お役所は認めていないのだ。私が参加している石垣の研究会は、この空積みの技術を現在の土木工事に生かすことを学ぶ研究会なのだ。

 その研究会の総会での記念講演として、本格的城郭石積みの初めとされる穴太衆積みの棟梁の話を聞いたのだが、この穴太衆積みの石垣というのは、安土桃山時代に近江の穴太地区、現在の滋賀県坂本地方出身の石垣師が積んだ石積みの手法で、一般的な石積みの積み方である野面石積みと少し積み方が違っているそうだ。野面石積みでは石の一番広い面(大面と呼んでいるのだが…)を石積みの表に使って積み上げていくのに対して、穴太積みは石の側面の小口または小端の「小面」と呼ばれる部分を使って積み上げていくそうだ。これは石の控えを長くとるので、石垣の強度が増し高く積み上げることができたということだ。もっとも穴太衆積みは巨石を使って積みことが大半で、我々は地域の歴史的な文化として石積みを考えていることから、河原にあるくらいの石で造る石積みを考えており、石の積み方も少し違ってはいるのだが、石に対する思いは話の内容からは伝わってくる貴重な話だった。

 私が今年の研究会で少し勉強と思っているのは、明治時代から積まれはじめたという鵜立返し積みという方法で、この石の積み方は明治301年頃から中央線の鉄道工事が始まった頃に、大久保芳正という石工を中心とする石工一団があり、いろいろな積み方をして研究したそうで、その研究の結果 、矩形の石を谷に落し込み斜め45度に寝かせる「鵜立返し積み」という方法を確立したといわれているのだ。私が仕事をしている地域では田畑の石積みなどは、鵜立返積の簡略版といった折返し積とか往復積と呼ばれる石積みが大半なのだが、これが「鵜立返し積み」のルーツなのか「鵜立返し積み」の簡略版なのか、これから調べて行きたいと思っているのだ。 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年05月14日 05時09分58秒
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

砥部焼祭り@ Re:減税派の方が少数だといわれているが・・・(04/17) 砥部焼祭りについては、 0896240183 をど…
スマホ@ Re:ディールの好きな大統領といっても・・・(03/31) スマホの知りたいことは、0896244450 か…
aki@ この様な書き込み大変失礼致します 日本も当事国となる台湾有事を前に国民の…
aki@ Re:速歩をはじめよう・・・(03/17) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
aki@ Re:能登半島地震で行われていること・・・(01/16) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: