仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

PR

プロフィール

HbA1c 6

HbA1c 6

フリーページ

2009年09月21日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 昨日TVを見ていたら、アメリカのフォークグループの「PPM」の追悼番組をしていたのだが、やはり「PPM」といったら私の年代ではメッセージソングで、公民権運動・ベトナム反戦運動・反原発運動など時代時代の社会問題に目を向け、強いメッセージを発信し続けてきたグループと言うイメージが強すぎるのだ。このグループを1961年に結成されたといわれているので、私がまだ幼少のときから歌っていることになるのだ。デビューはニューヨークのフォークソングを聴くには人気のコーヒー店だったそうだが、その翌年にはファーストアルバムである「ピーター・ポール&マリー 」をリリースし、このアルバムはなんとビルボード誌のトップテンに10ヶ月も君臨したそうだ。

 私がこの「PPM」を聞くようになったのは、元来ボブ・ディランのファンなので、すぐに思い浮かぶのが「風に吹かれて」のカバーバージョンが最初なのだ。それからベトナム戦争の反戦歌である「花はどこへ行った」や「パフ」・「レモンツリー」などの大ヒット曲を、おいおい聞くようになったのだ。(そのころ熱心に聞いていた深夜放送では、どこかで「PPM」の曲がリクエストされていたのだ。「PPM」と言ってやはり世界的に有名なのは、マーティン・ルーサー・キングがかの有名な演説「私には夢がある」と語ったワシントン大行進で、彼らの持ち歌であった「天使のハンマー」が歌われたことだろう。

 深夜放送のことが出したのだが、グループはメンバー各人がソロ活動をするために1970年に一時解散するのだ。そのときも深夜放送(私がそのころよく聞いていた深夜放送といえば、「オールナイト・ニッポン」だったのだが…)の中で解散の特別番組が放送されたのだ。私はその番組を聴いているのだが、確かそのときのパーソナリティは斉藤安弘こと「アンコー」だったと記憶しているのだ。グループを解散してソロ活動を始めた3人だったが、3人とも「PPM」として活動していた当時程の成功を収めることはできなかっただが、1978年に原発反対運動の支援コンサートのために「PPM」を再結成し、一緒にアルバムを製作したり、以来一緒にコンサートツアーを行ってきたのだ。

 それ以来3人は年間40回のコンサートを毎年計画し、世界中でコンサートを行い日本でもコンサートを何度も行っているそうだ。特に一昨年には北朝鮮による日本人拉致問題の解決を願う「Song For Megumi」と言う曲を発表しており、来日して拉致被害者支援コンサートも開催しているそうだ。(拉致被害家族の横田氏夫妻にも、コンサートの売り上げの一部を支援金として手渡したそうだ…)そんな米国のフォークグループ「PPM」のメンバーであるマリー・トラバースさんが、今月の16日に亡くなったのだ。享年72歳だそうで死因は白血病と言うことで、ここ数年は闘病生活を送っていたそうだ。これでビートルズと同じように再結成して、歌を歌ってくれることが出来なくなってしまったのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年09月21日 07時13分33秒
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

砥部焼祭り@ Re:減税派の方が少数だといわれているが・・・(04/17) 砥部焼祭りについては、 0896240183 をど…
スマホ@ Re:ディールの好きな大統領といっても・・・(03/31) スマホの知りたいことは、0896244450 か…
aki@ この様な書き込み大変失礼致します 日本も当事国となる台湾有事を前に国民の…
aki@ Re:速歩をはじめよう・・・(03/17) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
aki@ Re:能登半島地震で行われていること・・・(01/16) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: