東京電力福島第1原発の4号機は3月11日の地震発生当時は定期検査中で核燃料棒も取り出し済みだったのだ。それでも2人は大津波警報が発令されているにもかかわらず、上司の指示を受けて地下へと点検に向かい難に遭ったのだ。しかも東京電力は地震の翌日の3月12日にこの東京電力の男性社員2人が行方不明になったと発表したが、4号機タービン建屋地下で水漏れを点検中という経緯を説明しなかったためか、インターネットの掲示板には「逃げ出した」などの中傷が書き込まれており、殉職した二人の名誉のことも含めて東京電力の安全管理体制と説明責任が問われそうな問題だと指摘されているのだ。
東京電力福島第1原発の建屋地下で津波にのまれて亡くなったこの東京電力福島第1原発の運転管理部に属していた男性社員2人の親族によると、地震発生から間もなく青森県むつ市の実家に電話をかけていたそうで、「そっちは大丈夫?」と電話口に出た母親を気遣い、「こっちは電源があるから大丈夫」と伝えたそうなのだ。そのころ東京電力福島第1原発ではまだ非常用ディーゼル発電機が動いていたみたいなのだが、短い電話の後に24時間交代勤務の当直長から指示され、タービン建屋地下へ点検に向かい消息を絶ったようなのだ。
東京電力事故対応の調査結果によると、東京電力福島第1原発の運転管理部に属していた男性社員2人は地震発生時に4号機の電源操作や弁の開閉の検査員として中央制御室にいたのだが、地震発生後は4号機タービン建屋の冷却水系のタンクで水位の低下を示す警報が鳴ったため、現場責任者だった当直長から水漏れがないか点検に行くよう指示されたそうなのだ。この時点では4号機中央制御室の建屋は停電中で、2人は懐中電灯を持ってタンクの配管がある地下に向かったそうなのだ。
その新聞記事によると東京電力広報は当直長の指示があったことを認めた上で、大津波警報の周知について「中央制御室にも周知は徹底していたが、本人に届いたのかどうか確認はできない」としているそうなのだが、東京電力福島第1原発で30年以上働いた下請け会社の男性幹部は、「真っ暗な地下で懐中電灯の明かりだけで点検してもあまり意味はない。4号機は定期点検中で燃料棒も取り出していたのだから緊急性は低い。津波の様子を見てから点検させるべきで、安全管理が全くできていない」と憤っており、「危険を冒してまで行かせる必要があったのか」と東電側の指示に疑問を投げかけていたのだ。
東京電力広報は地震があった翌日の3月12日に、東京電力福島第1原発の運転管理部に属していた男性社員2人が行方不明になったと発表しており、その後に東京電力福島第1原発4号機のタービン建屋地下を捜索したが放射線量の高い水がたまっていたため難航し、放射線量の高い水が引いた3月30日に警察が遺体を確認したことを受けて、4月3日に多発性外傷による出血性ショック死であったと発表したのだが、その時の東京電力広報の会見では2人が地下にいた経緯を「調査中」とし、点検を指示していたことを明らかにしなかったのだ。
そのうえ東京電力が6月18日に公表した「福島第1原発における対応状況について」と題する事故対応の調査結果でも、「当直員の安否確認を行い、地震発生と津波について、一斉通報できる通信機の一種で周知を行う」と当時の対応を記しているが、現場責任者だった当直長から点検に行くよう指示され、津波に飲み込まれ殉職した2人の男性職員への点検指示には一切触れておらず、あらためて東京電力の安全管理体制の不備が問われているのだ。
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