「上級国民」というネットスラングの拡散が止まらないそうなのだが、もとは 4 月 19 日に東京の東池袋で自家用車が暴走させ歩行者 10 人をはね、母子 2 人を死亡させた事故の運転者を指した言葉だが、いまやその範囲を大きく超えて使い続けられているという。この事件では車を運転していた男性に対し「現行犯逮捕されなかったのは、上級国民だからだ」という憶測が出回っているそうで、それにしても「上級国民」はすでにもう普通名詞のような使われ方をされているというのだ。日本には一部の「上流国民」とその他大勢の「一般国民」や「下流国民」しかいないみたいな構図がいつの間にかできあがっているようであり、この言葉を使用する人々には基本的に「疲れていて」・「嘆いていて」・「捨て鉢になっている」印象があるというのだ。
文筆家の御田寺圭氏 は「この社会には不公平感というマグマが蓄積しているのではないか」と分析しているが、この問題は事故で多くの死傷者を出しておきながら運転手が逮捕されず、マスコミからは「さん」づけで呼ばれるのはおかしいではないか、それは元高級官僚という「上級国民」だからじゃないかという疑問と怒りの文脈で使われていたのだ。さらに事故の 2 日後に神戸の JR 三ノ宮駅前で市営バスが歩行者 2 人はね死亡させるあらたな事故がおきた。そのバスの運転手は駆けつけた警察官により現行犯逮捕されマスコミ「容疑者」という呼び方で事件を報じたため、バス運転者のような「一般国民」はすぐさま罪人扱いで「上級国民」のほうは忖度されてお咎めなしなのか、と怒りにさらなる火がついたということのようなのだ。
実際のところ東池袋のほうが逮捕されなかったのは運転手が 87 歳と高齢かつ事故で怪我を負って入院したからであり、「さん」づけだったのは逮捕されず容疑者でもない個人名に関してはそのように表記するというマスコミルールが存在するからなのだ。ところがそういうことを客観的に説明する記事などが出回っても聞く耳を持たない人々が大勢いて、ただひたすらに「上級国民」の言葉が独り歩きしていったというのだ。これから東池袋の事故の捜査が進み運転者が任意出頭し書類送検となり、犯罪者として処罰される可能性は大いにあるだろが、そうなったとしても「上級国民だから逮捕されなかったんだ」とか、「二人も殺しておきながら罪が軽いのは上級国民だからだ」などの「疑惑」がつきまとうというのだ。
文筆家の御田寺圭氏の分析によると、この「上級国民」が「エリート」や「セレブ」だったらこれほど広まったとはイメージしにくいとされているのだが、「エリート」「セレブ」には勉強なり仕事なりで努力した結果手にいれた地位といった語感があるそうで、「庶民」や「一般人」でも努力の上にラッキーが重なればそうなれる可能性が僅かながら残っているのに対して、「上級国民」は手の届かない存在だというのだ。他の言葉では「上流階級」や「特権階級」に近いが「階級」もまた努力や運によって上に行くことが不可能ではないことを考えると、「上級国民」という言葉はより固定的で生まれ育ちで決定されている感があるという。「上流国民」・「一般国民」・「下流国民」などの階級が固まっている身分制度がこの世にあるかのごとき印象を抱かせるというのだ。
そこないは日本一国だけが世界から取り残されて貧しくひもじくなっていくイメージがあり、国民のみながみなそう思っているとはいわないが頑張れば頑張っただけ報われる時代はとうの昔に終わってしまったという認識は、大半の人々の間で共有されているというのだ。これからの時代経済的に恵まれるの、もともと育ちの良かった人や、たまたま優秀な遺伝子を受けついだ人ばかりで、「そんな身も蓋もない階級社会は冗談じゃない、ふざけるな」との怒りはどんどん溜まっているという。一方でどうせ変わらないよという諦めや絶望も広がっており、庶民の怒りを変革のエネルギーとして現状のけしからん政治に大ナタを振るってくれる人物が登場する期待も感じられないことに深い不信感や絶望を感じているのだというのだ。
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