昨日、実家のおふくろがなくなった。昨年に 7 回目のお祝いで 99 歳の白寿といい、家族で簡単な食事をしたのだがそれが最後の食事会となってしまった。白寿は百という漢字から一を消すと白になることが由来で、白色が祝賀カラーとなっているという。あと2か月で 8 回目は 100 歳の紀寿(百寿)になり、私の住む松山市からのお祝いをもらうことを楽しみにしていたのだがそれもかなわなかった。 1 世紀が 100 年であることから紀寿、単純に 100 歳のお祝いなので、百寿ともいいます。白が祝賀色です。私の住む松山市からの長寿祝いの依頼書を見ていたのだが、それも返送することなく机の上に置いてある。日本には 60 歳~ 120 歳までのあいだに全部で 11 回、長命を祝する習慣があるそうなのだ。
葬儀の様式にはそれを行う人たちの死生観や宗教観が深く反映されるといわれるが、その意味で葬儀は宗教が文明に発生する以前の旧石器時代から行われてきていた宗教的行為であるといえるそうなのだ。葬儀は故人のためだけでなく残された人のために行われるという意味合いもあって、残された人々が人の死を心の中で受け止めるのを援助する儀式でもあるという。発見されている歴史上初めての葬儀跡と言われている物が、イラク北部にあるシャニダール洞窟で見つかっているそうで、この洞窟の中には約 6 万年前と推定されるネアンデルタール人の骨が見つかっており、その周辺にはこの洞窟から見つかるはずの無い花粉が見つかっていることからこれは死者を弔うために花を死体の周りに添えたと解釈されているそうなのだ。
昨晩がお通夜で私が番をしていたのだが、お通夜は古代のもがり)に発しているそうで、葬儀の前夜祭の形態をとるとされている。誰かが寝ずの番をして魔よけの意味があることから夜明けまで燈明や線香の火を絶やさないようにしなければならないという。近年では消防署などにより式場では夜間の火は焚かないよう指導が入ることもあり、都市部の式場では夜通しではなく半通夜と呼ばれる形態で夜は遺族が帰ってしまう場合も多いそうなのだ。通夜式の翌日に葬儀・告別式そして火葬を行うことが一般的で、私のうちは真言宗で真言宗は高野山真言宗・真言宗智山派・真言宗豊山派などいくつかに分派しており、基本的な考えは同じでも、派先によって儀式の流れや作法が違うこともあるそうなのだ。
亡くなったおふくろの遺体は葬儀社に安置されているが、遺体を安置する場合には遺体の胸の上に魔除けとして刃物が置かれており、これを守り刀と呼ぶ由来は武士の社会で刀によって魔を斬るといった意味や魔物の使いとされていた猫が光り物を嫌がるので刀を置くことが魔よけとされたことから始まったそうなのだ。遺体を安置するとそこに添え物として枕飯・枕団子を供えられているが、枕団子は米の粉などを丸めて作ったもので数は地域によって差があり、私の住む松山市は六地蔵・六道から六個となっていた。今日が葬儀になるのだが、私の家は真言宗なので導師と呼ばれる僧侶などによる葬儀が終わると出棺が行われ、多くの参列者とは別れるのが一般的だとされているそうなのだ。
引導は故人に自己の死を認識させ、この世からあの世へ送り出すための区切りとして行われる重要な儀式です。特に真言宗では、このときに「灌頂」と呼ばれる特徴的な儀式があって、真言宗の葬儀の特徴は「灌頂」だとも言われ、故人の頭に水をそそぎかける作法で空海が中国にて密教を授かった際に行なわれたことに由来するもので、この作法により故人は大日如来と一体化するものとされているそうあのだ。私の住む松山市では出棺の際に故人が使っていたご飯茶碗を割っておくりだすのだが、火葬場に向かう道と帰り道は同じ道を通らないことにするようで、埋葬した死霊が付いて来ない様にするためであるそうだが、ある地方では逆に同じ道を通らなければならないとする風習もあるそうなのだ。
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