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岡田監督は想像もつかなかったことを考えてるようだ。2年前に15勝を挙げた小松を抑えに転向させようと構想を練っているのだ。 小松が守護神!岡田流配置転換!!(30日、デイリースポーツ) 小松が守護神にキターッ!!いうことよ-。オリックス・岡田彰布監督(52)が29日、キャンプ地の沖縄・宮古島入りし、オカダ野球の代名詞といえる終盤の継投リレーに、昨季開幕投手の小松聖投手(28)を投入する構想を明かした。08年に15勝を挙げながら、昨年1勝に終わったエースの不安を、視界を変えて“チャラ”にするという、岡田流の配置転換だ。 岡田オリックスは“KK”で守護神争いよ。オリックス指揮官として初のキャンプを前に、なつかしの宮古島に入った岡田監督が、最大の強化ポイントとする救援リレーで、サプライズ人事を敢行することを明かした。 「先に言うとくわ。小松を後ろにやろと思とるんよ」 小松は08年に15勝を挙げ新人王を獲得し、昨春にはWBC出場。だが開幕投手も務めた昨季は、わずか1勝に終わっていた。岡田監督も「あんまり見たことない例や」と、小松をいかに復活させるかに知恵を絞ってきた結論がこれだ。 「15勝した後に1勝に終わったピッチャーやからな。本人も不安やろ。どないして勝たしたろと思うよ。けど、目標を変えて、景色変えたったら、キャンプから“1勝”の話は吹っ飛ばせるやん。球の力はあるからな」 この小松を、同じく昨季不振からの復活に燃える加藤と守護神争いをさせる。また香月、大久保、菊地原、レスターら中継ぎ陣も競争させる。「最低3人必要や。七回以降は1イニング完了よ」。鉄壁のオリックス版・JFKを作り上げる。 「なんか本人がイベントで開幕投手目指すとか言うとるから、こら呼ばなアカンと思てな」。すでに21日にスカイマークの監督室に小松を呼び、配置転換と投げ込み指令を伝えたという。「頑張ります言うとったわ」。 白星を挙げ、お立ち台で「キターッ!!」の絶叫がおなじみとなった小松だが、今年はゲームを締めての絶叫パフォーマンスとなりそうだ。 (引用終わり) オリックス版JFKというと2005年のKKO(菊地原、加藤大輔、大久保)を連想させるのだが、阪神で成功したことをオリックスでもやろうとしているらしい。小松の潜在的能力が高いことを期待しての配置転換だろう。 いよいよ明日からは12球団一斉にキャンプが始まる。宮古島と高知がキャンプ地となるのだが、様々な選手の調整がどうなっていくのか楽しみである。
Jan 31, 2010
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今年12月頃の開業予定となっている東北新幹線・八戸~新青森間の工事は着々と進んでおり、4月には初めての試運転列車が走るそうである。また、はやてに代わる新しい愛称も検討されており、来年の今頃には全く新しい東北新幹線が見えてくるのだと思う。 一方、九州新幹線・博多~新八代間も開業に向けた準備が進んでおり、新駅の正式駅名が発表された。 九州新幹線 全線開業は来年3月 新設の3駅名も決定(26日、毎日新聞) JR九州は26日、九州新幹線鹿児島ルートを来年3月に全線開業すると発表した。全線開業に伴って新設される博多-新八代間の3駅の名称も正式に決定した。今年中にダイヤや運賃なども発表する見通し。 これまでは全線開業を「11年春」としてきた。新しい3駅は「新鳥栖」(佐賀県鳥栖市)、「新大牟田」(福岡県大牟田市)、「新玉名」(熊本県玉名市)で、いずれも従来つけていた「仮称」を外した。福岡県筑後市内の駅「船小屋」は「筑後船小屋」に改名する。JR鹿児島線と併設する「久留米」(福岡県久留米市)と「熊本」(熊本市)の駅名は従来どおり。 九州新幹線の全線開業後の所要時間は、博多-鹿児島中央間が約1時間20分(現行2時間12分)。新大阪-鹿児島中央間を直通運転する「さくら」は約4時間。 (引用終わり) 九州新幹線が全通したことによる効果はやはり大きい。第一に、何といっても博多~鹿児島間の所要時間の大幅短縮である。第二に、大阪から鹿児島まで乗り換えなしで鉄道で行けることである(車両はN700系7000番台が用いられる)。楽しみが広がる。 しかし新幹線が開業する一方で、切り捨てられるものもある。九州新幹線の場合だと、鹿児島本線である。第3セクター鉄道である肥薩おれんじ鉄道が担当する区間が拡大してしまうのではないかという懸念である。経営が苦しいとされる肥薩おれんじ鉄道。JR九州にとっておいしくないところだけ引き受けられるのはあまりにも不公平ではなかろうか(鹿児島県でも鹿児島都市圏だけはJR九州の担当)。行政やJR九州による支援が待たれるところである。東北のIGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道に対しても同様である。 整備新幹線開業に伴う負の側面をフォローしていくための準備も必要ではなかろうか。
Jan 28, 2010
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その9の続きで、仙台駅から仙山線の列車に乗り込む。これから山寺まで向かうのだ。 これから乗る仙山線は文字通り、仙台駅と山形駅とを直結する路線である。正確には羽前千歳までが仙山線で、そこから先は奥羽本線に乗り入れている形である。現に仙山線の列車に羽前千歳止まりの列車はなく、全て山形まで乗り入れる。 また、仙山線は県庁所在地同士を直結する路線でもある。奥新川~面白山高原間で県境を越えるのだが、直接仙台市→山形市となる。このようなケースは全国のJRでは唯一のケースだそうだ。 本題に戻ろう。8:48発の快速・山形行き(3833M列車、719系4両)に乗車する。 仙台を出発した列車はしばらく東北本線と並走する。その後、東北本線をオーバークロスし(この際、仙山線の車窓の盛岡側に仙台車両センターが見える)、山形方面に向かう。地下鉄南北線との乗換駅である北仙台から西は、住宅街というよりむしろ山の中(森の中)を走る路線という印象を受けた。「こんなところでも仙台市なのか!?」という驚きでいっぱいだった。その点で神戸と何となく共通点を感じてしまう。 私の乗車した快速列車(3833M)は、愛子(あやし)まで各駅に停車する。愛子駅というのは仙台のベッドタウンの西端のような駅であり、折り返し列車が多数ある駅だ。このような快速列車って意味があるのだろうか。疑問に思う。私の提案になるが、高速バスに対抗するのならば、もっと停車駅を絞った速達列車を新設し、それを30分間隔で走らせてみてはどうだろうか・・・。 作並温泉の最寄り駅である作並を過ぎると沿線に雪が目立ち始める。いよいよ山岳地帯に入ったのだ。宮城県と山形県の県境である面白山トンネルを抜ければ、あたり一面雪化粧だった。感激!目的地である山寺に到着したが、そこは完全に雪が積もっていた。 9:47、山寺駅に到着。ここから山寺(立石寺)に向けて出発である。 この赤い橋を渡って山寺(立石寺)に向かう。随分田舎に感じられるが(地元の皆さん、ごめんなさい)、これでも山形市内である。1950年代半ばの昭和の大合併により、山形市に編入された地域である。 登山口の前にあった松尾芭蕉像。この像の右隣には、付き人の河合曽良の像もある。 次回は、山寺の頂上からの絶景を紹介します。
Jan 25, 2010
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12月29日(火)。この朝の仙台は晴れ。良い旅行日和だ。 6:30起床。シャワーを浴びた後、着替えて食堂に向かう。東横インおなじみの、おにぎり・味噌汁というラインアップの朝食だ。量的には小さいおにぎり4個ほどで十分だ。腹を満たせた後、出発の準備。7:30にカギをフロントに返し、チェックアウト。 山形へ行くにはまだ時間があったので、早朝の仙台を散歩することにした。宮城野区の宮城野大通りを東に歩く。年末の早朝であるせいか、歩いている人は少なかった。それにしても肌寒い。 榴ヶ岡公園を通り過ぎてさらに東に歩くと、宮城野大通の東の終点に着いた。ホテルを出発してからここまで15分ほどだったろうか。その突き当たりにあるのが、クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城、または宮城球場)である。宮城野原公園総合運動場の中にあるこの球場は、いわずと知れた楽天イーグルスのホームスタジアムである。楽天の新規参入が決まった当初はかなり老朽化していた状態だったが、その後の改築により快適な球場に生まれ変わった。 なお、この宮城野原総合運動場の中には、他に宮城県が運営・管理する自転車競技場、テニスコートなどがある。 さて、球場を外から眺めた後は、宮城野原駅から仙石線に乗車して仙台駅まで行くことにする。Kスタ宮城の最寄り駅である宮城野原駅の出入口は楽天イーグルスに合わせてクリムゾンレッドで染められており、出入口から地下に通じる階段では、クラッチとクラッチーナのイラストが張られていた。 8:05発の普通・あおば通行に乗って移動する。なお、ここではせっかくなのであおば通駅まで一旦乗車してみた。実際に乗車してみると、終点・あおば通駅で降りる人は多かった。この駅は青葉通の真下に位置しており、銀行の支店やヤマダ電機、ダイエー、ロフトといった大型店舗、様々なオフィスが立ち並んでいる地区だ。いわば、仙台の丸の内である。 私は乗っていた列車に折り返し乗車し、仙台駅へ戻った。仙石線に乗っての濃密な観光は終わりである。 ここから連絡通路を通って、仙山線に乗り継ぐ。だが、乗るべき列車の発車まで時間があるので、その間、列車を眺めていた。 普通・小牛田行き(8:30発)の719系。仙台地区の東北本線の列車はだいたい、小牛田行きか、遠くても一ノ関行きが一般的だ。 両方とも回送列車で並んだ。719系と701系。 次回は、いよいよ山形市に移動します。
Jan 24, 2010
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前々から交渉が続いていたオリックスと田口壮の入団交渉。先日、ついに入団に大筋で合意し、今日には入団記者会見が行われた。実に9年ぶりの日本球界復帰である。 田口は2001年オフにオリックス・ブルーウェーブからFA宣言し、メジャーに挑戦。セントルイス・カージナルスなどで活躍した。特に2005年には143試合に出場し、スーパーサブとしての活躍が目立った。 田口壮選手・入団記者会見(オリックス・バファローズ公式HP) ちなみに背番号は33。今年、巨人に移籍した高木がつけていた背番号である。 かつて近鉄ファンだった私は、「田口=ブルーウェーブ出身」という印象しか持っていない。私にとっては、田口は他球団から移籍してきた選手という感覚しかない。その点については早く慣れていきたい(すぐ慣れると思うが)。 先日、ローズとの残留交渉が決裂し、ローズ退団がほぼ確定してしまった。これについては大変残念だ。穴埋めと言ってしまっては語弊があるが、チームに良い影響を与えるという意味で、ブルーウェーブの優勝を知るベテランの再入団は、大きな意味を持つだろう。 田口は記者会見で語った。 「不安はなにもないです。期待する部分は・・・“優勝”しますから!」 「9年ぶりに帰ってきましたので、また関西を盛上げられるように、チーム全員で頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします」 岡田監督と同じように、自信過剰なところを私は心配しているのだが・・・。オリックス球団は、名将・岡田監督の下ならばすぐプレーオフに行けると思っているのだろうか。プレーオフに行くのはそんな簡単なことではないのだ!
Jan 23, 2010
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今日は暖かったです。世田谷区の最高気温は18℃だったそうです。ジャケット要らないほどの暖かさでした。一気に春が近づいたような感じがしました。 さて、またもや何日間にも渡ってブログ未更新の状態が続いてしまっておりました。それは大学院・憲法ゼミでの報告を再提出するための準備をしていたからです。憲法ゼミについては昨年12月9日の日記でも紹介しました。 テーマは昨年6月30日の日記でお伝えした、「外国人と人権」。昨今では外国人参政権法案のために大きな関心を呼んでいます。外国人参政権については、与党・民主党内でも意見の一致が見られません。さて、最初の報告は昨年7月上旬にあったのですが、不評でした。 「学説がまとまっていない」 「外国人に保障されない人権は紹介されたんですね。じゃあ、保障される人権って何ですか」 このようなツッコミが入り、苦い思いをしました。 昨年には読まなかった本や論文を手に取り、学説の由来や現在の動向、その学説を主張している学者は誰なのかを確認。学説を充実させ、判例研究にも新たなリーディングケースを加えた結果、9ページにわたる大作の報告書となりました。昨日、書き直した報告書を提出したところ「学説は大体まとめられているね」と教授からお褒めの言葉をいただきました。 これからも精進していきたいと思います。
Jan 21, 2010
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その7で定禅寺通りでのライトアップを眺めた後は、勾当台公園駅から地下鉄に乗ることにする。できれば宮城県庁、仙台市役所にも寄りたかったのだが・・・。夜なので断念した。 ここで仙台市営地下鉄について紹介しよう。 仙台市営地下鉄南北線は1987年に開通した、東北初の地下鉄である。1976年に仙台市電が廃止された後、郊外から中心部への大量高速輸送機関として1970年代に地下鉄整備計画が策定された。1981年に現在の南北線にあたる路線の工事が始まり、'87年に開通したわけである。 現在の路線は南北線(泉中央~富沢)の一路線のみだが、二番目の路線として東西線の工事も進んでいる(2015年開業予定)。 しかし地元の人には失礼かもしれないが、私が旅行後にみやげ話をした際に友人から言われた言葉が・・・。 「へえ、仙台にも地下鉄あったんだ」 存在感が薄いような気がする・・・。 勾当台公園から乗車し、台原で折り返して仙台駅に戻るというコースで乗車した。 泉中央行き電車に乗車する。 車両は1000系の1種類のみ。開通当時から使用されているが、現在はリニューアル車が多数派となった。ちなみにこの車両の先頭車は全長が長いことで有名で、21.75メートルもある。新幹線の次に全長が長い車両らしい。 列車は4両編成で運行されている。6両に増強する構想もあったが、当分凍結となったそうだ。 乗車した時間はちょうど夜ラッシュ時と重なった。そのため、多くの乗客で賑わった。混雑率は120%くらいだろうか。ラッシュ時に通勤・通学の足として重宝されているのは鉄道ファンとしてうれしい限りだ。 台原駅。ここにはまだホームドアが設置されていない(勾当台公園駅は設置済み)。2010年度には全ての駅にホームドアが設置される予定だという。 列車接近掲示板や路線図を見て分かるとおり、1番線は赤、2番線は青という風に区別されている。南北線の一路線しかないのでこのようなことが可能である。実に観光客にも分かりやすい案内図だと思う。しかし2015年に東西線が開通したらこのような案内図等はどうなるのだろうか・・・。 しばらくして富沢行きが来たので乗車する。北仙台、北四番丁、勾当台公園、広瀬通、仙台と停まり、仙台で下車した。 地下鉄の仙台駅は新幹線などの仙台駅とはもちろん接続しているが、それより近いのはJR仙石線のあおば通駅である。あおば通駅の方が仙台市の方でも企業密集地の方に近いのである。 さて、簡単ながら仙台市営地下鉄について紹介した。私としても簡単な乗車になってしまったのだが、また機会があれば乗車してみたい。 その後、私は仙台駅を横切り、東口のホテルに戻ったのだった。 明日(12月29日)は山形市に移動する。
Jan 18, 2010
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先月28日の仙台での夕食の様子を中心に書きたい。 この旅での宿である東横イン(仙台東口2号館)にチェックインした後、従業員さんに紹介された店で夕食となった。 利久・東口分店である。ホテルから徒歩5分ほど。榴ヶ岡2丁目付近で宮城野大通りを横断し、しばらく歩いたところにある。 せっかく仙台に来たのならば牛タンを食べなければ意味がないので、牛タンのコース料理(2625円)を注文した。 料理の写真をご覧いただきたい。 コース料理を注文し、まず出されたのがこの2品。 牛タンの炭火焼(左)、牛タンを合わせたポテトサラダ(右)である。 うん、味は確かなもの!本場で食べるのが一番美味しい! 他にもご覧のように様々な料理が運ばれてきた。新鮮な魚の刺身や白子、枝豆ほか、牛タンとともに必ず出される麦飯、テールスープも出てきた。 全部美味しくいただきました。 食べ終わった後は、夜の仙台駅周辺を散歩した。さすが東北最大の都市・仙台。仙台駅周辺(特に西口)は東京・新宿と同じくらい賑わっている。私は仙台駅構内の連絡通路を通り、西口に出る。ここから広瀬通を通り、勾当台公園まで歩くことにした。 仙台市営バス。仙台駅西口バスターミナルにて撮影。 夜なので見づらいことをお詫びします。 仙台市は支店経済都市である。東京や大阪に本社を置く大企業の支店が多く集まる大都市として仙台市は発展してきた。夜の仙台市を地下鉄のルートに沿って散歩する。やはり散歩というのはその町の姿をじっくりと見ることができるので飽きない。 広瀬通から国道4号線に入り、北へ歩く。しばらく歩くと見えてくるのが定禅寺通りだった。 定禅寺通りのライトアップはきれいだった。 (続く)
Jan 17, 2010
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前回、その5にて松島のクルージングを楽しんだことを伝えたが、今回はこのスイーツを食したい。 ずんだ餅である。枝豆をゆでてすり潰したものに砂糖を加えたずんだを餅にまぶしたものだ。「宮城県(正確には山形県も)といえばずんだ餅だろう。」スイーツに関してはこのようなイメージがあったので、どうしても食べてみたい!という気持ちを抑えられなかった。早速、松島海岸駅前の喫茶店に寄り道し、これを頼む。味はもちろん美味しかった。 私が立ち寄った喫茶店はおじさんが一人で経営しているようだったが、接客態度が感じ悪かった。 ニシケン「ずんだ餅おいしいです」 おじさん「おいしいのは当たり前だよ」 おじさんは笑みを浮かべずにこう答えた。私はこれ以上コメントしないことにしたが、今考えてみると、頑固オヤジっぽいところがあったと思う。 ずんだ餅を食べた後、すぐに松島海岸駅へ。 松島海岸を16:33に出る、快速・あおば通行きに乗車。 この快速の松島海岸以降の停車駅は、東塩釜、本塩釜、多賀城以遠各駅である。中途半端な快速列車である。都心側で各駅停車になる快速列車とは、首都圏では聞いたことないのだが。しかし仙台市内には退避設備を持った駅がないことを考えると、仕方のないことだろう。 仙台駅で下車し、今回の宿に向かう。今回の宿は「東横イン・仙台東口2号館」。少し休んだ後、夕食のために夜の仙台に出かける。
Jan 16, 2010
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オリックスはカブレラ、ラロッカ、レスターの3人の契約を更新した。一方で自由契約の状態であるローズの契約更新については、当初の期限は今日までだったが、いつの間にか延長されたそうである。 オリックス、3外国人と契約更改 ローズは返答待ち(15日、朝日新聞) オリックス球団は15日、ラロッカ、レスター、カブレラと今季の契約を結んだと発表した。ラロッカ、レスターはともに1年契約。カブレラは2年契約の2年目。ローズについては、契約更新の申し出の返答を今月末ごろまで待つ方針。また、1軍の春季キャンプは2月1日から沖縄・宮古島市で行い、19日からは高知市で練習し、3月4日に打ち上げる。今季のキャッチフレーズは、「Watch! ~気になるチームへ~」に決まった。 (引用終わり) カブレラらと契約更改=プロ野球・オリックス(15日、時事通信) オリックスは15日、アレックス・カブレラ内野手(38)、グレッグ・ラロッカ内野手(37)、ジョン・レスター投手(30)との契約を更改したと発表した。いずれも1年契約。 カブレラは現状維持の年俸300万ドル(約2億7700万円)で合意。昨季FA(フリーエージェント)権を取得し、2年契約の最終年となる今季は日本選手扱いとなる。 ラロッカは40万ドル(約3700万円)、レスターは35万ドル(約3200万円)で契約した。(金額は推定)。 (引用終わり) カブレラがFA権獲得により、今年から日本人扱いとなるというのは本当に心強いことである。ローズ残留を前提に考えた場合、日本人扱いの外国人選手が2人も在籍しているということで、ある意味で球界の歴史に残るチームになるかもしれない。 ラロッカはオリックス在籍4年目となる。昨年は8月上旬に離脱するまで12本塁打、43打点という結果だった。その結果、30万ドルから若干アップの40万ドルでのサインとなった。 レスターは昨年20試合に登板したが防御率は5.04だった。経験を積んだ結果を信頼して、2年目である今年に期待したい!
Jan 15, 2010
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今年の7月には第22回参議院選挙がある。政権交代が実現して以来、鳩山内閣として初めての大型国政選挙である。民主党政権が進めている「政治主導」「コンクリートから人への政治」への審判が問われる選挙である。 そんな中、メディアでなかなかこの選挙で争点にならない問題がある。憲法改正の発議の問題である。 憲法改正のための国民投票法(日本国憲法の改正手続に関する法律)は2007年5月18日に安倍内閣の下で公布された。施行は今年5月18日の予定である。この法律が施行されて以降初めての大型国政選挙が今年の参院選である。憲法改正を明確な論点とすることができる初めての国政選挙と言っていい。 本来、公布から施行までの3年間の間に、選挙権の18歳への引下げなど、国民投票法に合わせての各種法律の改定が「宿題」として行われるはずだった。しかし2007年の参院選で安倍内閣を支える自民党が惨敗。また、民主党は日本国憲法に関しては、前原国土交通大臣に代表される改憲派から旧社会党グループに代表される護憲派まで、意見の大きな相違が党内に存在する。現在のところ、改憲に向けた議論における党内の一致はおそらく無理だろう。他にも紛れもなく護憲派の社民党と連立を組んでいるので、改憲発議はことさら無理である。 憲法というのはこの国の形を定義づける、最高法規である。しかし日本国憲法は施行から60年以上経って、各所に歪みが生じつつある。 例えば、自衛隊を憲法に編入すべきか?私は侵略戦争及び国際紛争解決の手段としての戦争は永久に放棄すべきと考える立場だが、自衛隊を憲法に明確に位置づけることで、むしろ自衛隊の暴走を防止するというメリットもあるのではなかろうか。 他にも統治機構においては、政党の憲法的位置づけであったり、参議院のあり方など、問題は山積している。 各党よ、日本国憲法に関する各自の将来像をマニフェストに大きく掲げて、参議院選挙の争点にしていただきたい。
Jan 13, 2010
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松島の遊覧船(今回は約40分コース)に乗り、様々な風景を観賞した。 実にきれいな風景ばかりだったので、ここに紹介する。 私の高速遊覧船「マリンイーグル」。観光桟橋にて。 出発前に撮影したカルガモ。可愛かった。家族だろうか。 いよいよ岸を離れて、海に向かう。 出発して左手に見えた島と赤い橋。福浦島と福浦橋(出会い橋)だ。 遊覧船に寄ってきたカモメ。船内ではカモメ用のエサが売られており、鳥にエサを投げて食べさせることができる。エサを求めるカモメがしつこい! ここは養殖カキ用の網がある地区である。ここで松島名物のカキが取れるのだ。 夕日がまぶしい。 仁王島。形にかなり特徴があり、思わずずっと見てしまった。 だいぶ暗くなってきたところで、遊覧船は陸に戻る。 遊覧船から撮影した月。 岸に戻ってきて思ったこと。 非常に素敵なところだった。松島というのは一つの顔だけではない。様々な顔がある島々というのが改めて分かった。 それと、宮城県の自然の豊かさを実感した。まるで神戸と同じように感じた。神戸は大都市を海と山に囲まれており、海の幸にも山の幸にも恵まれている。しかし仙台市にも(松島はやや離れているとはいえ)同じことが言えるかもしれない。そんな意味で、仙台に親しみを感じることができて良かった。 おまけ。 津波発生時の避難案内。ここは港なので必須の看板だろう。 私はこれから松島海岸駅前に戻ることにする。
Jan 12, 2010
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今回はその3の続きである。仙石線に乗車して、松島海岸に到着するところまでを報告する。 仙石線はあおば通(仙台市青葉区)~石巻間を結ぶ路線である。元々は宮城電気鉄道という私鉄であったが、1944年に国鉄に編入された。そのため他の東北のJR線とは性格が大きく異なっている。 第一に、東北地方では唯一直流電化された路線である。そのため現在は205系が仙石線の主となる車両である。103系も活躍していたがついに2009年10月をもって完全に引退した。 第二に、平均の駅間距離が短いことである。特にあおば通~東塩釜間では、最長でも2.3キロ。首都圏のJR線とあまり変わらない。 仙台駅で14:21発の普通・石巻行に乗車する。 青い帯をまとった205系が4両でやってきた。仙石線の列車は全て半自動ドア。ドアのそばにあるボタンを押して乗り降りする。 陸前原ノ町までは2000年に地下化された区間を走る。陸前原ノ町を出発すると列車は地上に出て、東に進む。途中、東塩釜までは複線である。ここまでは首都圏のJRと全く変わらない趣がある。東塩釜から先は単線であり、線路も海岸沿いを走る。また、一部区間では東北本線と並走するところもある。 松島海岸には15:00に到着。仙台駅からは39分かかった。 松島海岸駅に降り立ったらこの広告を発見した。 「ベルギーオルゴールミュージアム」 そこにはどんなオルゴールがあるのか気になったが、残念ながら今回は時間の都合上(そもそも予定外なので)寄らない。 松島海岸駅付近の観光案内所でお薦めスポットを案内される。そのお薦めスポットとは、山の上だった。山の上から松島の風光明媚な景色を眺めるというものだった。しかし宮城県に到着して早々足を疲れさせるのもどうだろうか、あるいはホテルのチェックインの時間に追われると考えたため、やめる。 駅を出て海岸沿いに歩く。 港にて撮影。遊覧船がメインのようだ。 これからこの遊覧船に乗って、海から松島を楽しむことにする。
Jan 10, 2010
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小田急ロマンスカー7000系の7002Fが廃車となった。あまりに突然のことなので驚いた。 Odakyu Fan Networkに大野工場での写真があった。愛称幕が取り外された写真を見たとき、「ああ、廃車になったんだなあ・・・」と実感した。 廃車になるような原因が分からない。あるとすれば、60000系・MSEの増備だろう。60253Fが新造されたのと引き換えに廃車になったのかもしれない。そして7000系にとって2010年は、デビュー30周年を迎える節目の年である。しかし30年というのは鉄道車両を新車に置き換える目安のタイミングと重なる。7000系は古臭さが全く感じない車両デザインなだけに、廃車は予想外だった。
Jan 9, 2010
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今回はその2の続きで、東北本線の福島~仙台間の移動を報告する。 福島駅に到着した。福島駅も交通の要衝である。東北新幹線、山形新幹線(奥羽本線)の分岐駅である。他に阿武隈急行線、福島交通飯坂線とも乗換えができる。郡山市が福島県経済の中心都市なら、福島市は県庁所在地。福島県の政治・行政の中心都市である。 手前に停まってる電車は、奥羽本線の電車。719系5000番台の米沢行きである。山形新幹線に合わせた標準軌用の車両である。 これから私が乗る東北本線、第5走者はこちら! 第5走者:13:00発、快速仙台シティラビット5号・仙台行き(3575M、E721系・4両) その2で伝えた1139M列車と同じ車両が使用される。黒磯から走ってきたE721系だが、福島で列車番号を変更して仙台まで行くのである。 この快速仙台シティラビットは東北本線仙台地区の快速列車だが、平日は1日3往復しかない。私がこの列車に乗れたのはラッキーだったといえよう。停車駅は福島~藤田間の各駅と、白石、大河原、船岡、槻木、岩沼、名取である。 13:00、定刻に福島駅を出発。福島・宮城の県境辺りから天気が好転してきた。また、山地だとはいえ残っている雪も見られた(なお、平地になると雪はなかった)。列車は4両で仙台に向けて快走していく。 越河~白石間で301キロポストを発見。東北本線の起点・東京駅から301キロの意味であるが、遠くに来たんだと実感した。 進行方向西側の車窓には雄大な山々が連なっていた。山地にあった雪は白石以北には残っていなかった。東北本線は槻木で阿武隈急行と、岩沼で常磐線と、そして名取で仙台空港アクセス線とそれぞれ合流。停車駅でこまめに乗客を拾い、仙台市内の高架橋に入ると、杜の都の中心駅・仙台駅に向けてラストスパートである。 14:13。上野駅を出発して6時間あまりで終点・仙台駅に到着である!そして私にとっては初めての宮城県来訪である。ここから宮城県を思いっきり楽しみたいと思う。 ここでE721系とはお別れである。回送列車となり、仙台車両センターに送られる。 しかし仙台駅での列車見学は翌朝の楽しみとして、仙石線への乗換えである。仙石線ホームはやや離れており、間に合うかどうかは微妙だった。 仙石線の乗り場案内。伊達政宗像、宮城球場、クラッチとクラッチーナが描かれていることから、仙台にいることを実感させられる。仙石線は楽天イーグルスの本拠地であるKスタ宮城(宮城球場)へのアクセス路線である。 次回は仙石線に乗って松島海岸に向かう。
Jan 7, 2010
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今回はその1の続きとして、黒磯~福島間の移動を報告する。 「その1」でも書いたが、黒磯駅は関東と東北の境目となる駅である。黒磯駅の南側にはEF65、EF66、EF210といった直流電気機関車が待機している。これに対し北側には、ED75、EH500といった交流・交直流電気機関車が待機している。 私も連絡階段を渡って4番線に向かう。直流専用の211系から交流専用のE721系へと乗り換えである。これから乗るのは東北の電車となる。 第3走者:10:33発、普通・郡山行き(2133M、E721系・4両) もちろん私がE721系に乗るのは初めてである。2007年にデビューしたばかりのE721系。仙台地区に残っていた旧型車(455系など)を置き換えるために製造された。車内は立派なセミクロスシート。東北の電車でありながら首都圏と同じロングシートであり、不評だった701系の反省が生きているのだろうか。 車内は4両で充分と感じるほどの乗車率だった。黒磯駅・4番線から白河の関越えを目指す。黒磯駅の構内は寒かった。気温が東京にいる時と比べて低くなっており、吐く息も白くなっていた。 黒磯~郡山間は列車の運行頻度がかなり低い区間の一つである。1時間に1本が標準なのである。列車は黒磯を出た後、高久、黒田原、豊原、白坂、新白河の順に停車していく。車内の様子を見ている限り、途中駅で降りる人はほとんどいなかった。ただし、福島県に入ってからは乗降客がぽつぽつといた。 1時間1本しか列車の通らない区間だが、それでも複線である。東北本線を通しで運行する貨物列車、寝台列車のためである。 天気の方は、黒田原に着いた頃から小雨が降り始めた。 泉崎駅にて撮影。福島県泉崎村にある典型的な田舎の駅である・・・。 列車の車内では、終点・郡山に近づくにつれて乗客が増えていった。安積永盛ではまとまった利用者がいた。安積永盛を過ぎると郡山総合車両センターがあるのだが、こんな車両を発見した。 京浜東北線用の209系である。廃車になった209系が郡山で回送され、解体処分を待っているのだろうか。後ろには415系1500番台の姿も見える。車内では新幹線、磐越西線などの乗り換え案内がアナウンスされている。まもなく、郡山に到着である。 11:37、交通の要衝・郡山に到着した。郡山市は福島県内で第2位の人口を誇る市である(県庁所在地・福島氏よりも人口が多い、福島県経済の中心都市でもある)。 左に見えるのは磐越西線用の719系(磐越西線の電化区間は会津若松まで)。赤と黒のあかべえ塗装である。 もうすぐ昼時なので駅弁を買うことにした。一旦改札外に出た上で駅弁を買う。ふるさと行きの乗車券(宮城・山形エリア)では本来ならば途中下車できないのだが、駅員さんに事情を説明したら特別に通してくれた。ありがとうございます。 買ったのは福島まるごと弁当。1000円也。 中身はこんな感じ。味はなかなか良かった。 さて、福島方面行きの列車に乗り継ぐことになる。 第4走者:11:55発、普通・福島行き(1139M、E721系・4両) 但し、福島で列車番号を変更。福島から快速・仙台シティラビット5号・仙台行き(3575M)となる。 こちらの列車も乗車率は高めだった。セミクロスシートのほとんどの席が埋まっていた。ただし年末のお昼時という時間帯を考慮して、普段もこのくらいの乗車率だとは限らない。 郡山を定刻に出発した列車は東北新幹線と別れ、東北本線を北上する。田園風景の中を快走し、本宮市、二本松市を経由して福島を目指す。なお、車窓を見てて面白かったのが、下り線の線路と上り線の線路との距離である。特に松川~金谷川間では下り線と上り線とがかなり離れている。昔、無理に複線化しようとしたらこのようになってしまったのだろうか。興味深いところである。 12:43、終点・福島に到着である。 続きはその3で。
Jan 4, 2010
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明けましておめでとうございます!本年も「Nishikenのホームページ」をよろしくお願いします! 元日、そして今日は定番のお雑煮、おせちを食べました。いつもの通り、おいしかったですね。しかしこれを除くと、普通の休日みたいでした。昨年の元日の日記でも同じことを書いたと思います。 さて2000年代が終わり、2010年代に突入しました。私にとっての2000年代とは、不安定な10年間だったと思います。2000年、私は当時中学2年生でした。中学・高校のときは学校でクラスメイトとのトラブルが多かったと記憶しています。また、大学では人生の目標を見つけることができず、フラフラしていたことも事実です。母からは「潜在能力はあるのに」と言われたことがありました。就職活動でもそうでした。「なぜ就職するのか」という答えを見つけるのに苦しんだ。そのような意味で、2000年代は総じて不安定な10年間だったと思います。 思春期としての私はもう終わりました。私はもう成人ですので、安定した職業に就くことが要求されています。私にとっての2010年代を、安定の10年間としたいと思います。
Jan 2, 2010
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