優雅な生活。
1
昨日の帰り道、真夜中にタクシーに乗っていて、天六(大阪の古い商店街がある街)のあたりに差し掛かった時、運転手さんが突然ポツリと言った。「お客さん、この映画館入ったことあります?」残業の後で天六に食事に寄ることも多いので映画館のことは知ってたが、入ったことはなかった。そう答えると、「いや、実はね。ここ、女の人の痴漢、つまり○○が出るらしいんですよ」なんでいきなりそんな話をしたのかは分からない。私が好きそうな話題だとでも思われたんでしょか(--; ま、それはさておき、街の古い映画館っていうのはその手の怪しげなウワサがとかく付きまとう気はする。そして考えてみれば、そんな「街の映画館」を最近見かけることが少なくなった。今から考えると、そういった古い映画館には、何やら「劇場性」の様なものがあった気がする。映画と共に、その映画館のことが同時に記憶の中に鮮明に残るような、とでも言ったらいいだろうか。笑われるのをカクゴで書くけど、確か中学生の頃、「丹波哲郎の『死んだらどうなる』」という映画があって、それを友達2人と観に行った(恥)。その時の映画館があまりにボロくて、今でも映画の筋と一緒に良く覚えている。ボロいのが売りになってもいけないんだろうけど、映画館という場所に何か強烈に記憶に残る何かを付加すること、それと集客を繋げることはできないだろうか。今あちこちに出来ている「シネコン」は、清潔さ、座席指定、スペースの明確な区分といったような、従来型の映画館の不便な部分をクリアすることで人気が出ている。古い映画館はお金も無く、いきなりこの様な設備投資をするのは不可能だろう。けれど、シネコンに無いニッチの要素「記憶」へのアピールはお金と関係なしに出来ると思う。自然発生的なボロさや痴○といった特徴だけでなしに、確信犯的に個性を作り上げて街の映画館を復権させる動きが出てくれたらいいのにと、タクシー代のお釣りを受け取りながら考えていた。
2004.04.29
閲覧総数 2