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地元の講習会で習ってきました(*^_^*)季節はずれだけど、初心者向けだからと「コスモス」♪本を見て難しそうだった土台作り、地割りの仕方も教えて頂いてちょっと手まりと仲良しになれたかも(^-^)v図書館で本を借りて「麻の葉」にもチャレンジ☆今は「薔薇」を頑張っています。完成したらupします(^^ゞ
2009年02月17日
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樹脂粘土のパーツ福袋を買ったらうさくま熱が再燃しちゃって、2年ぶり位にうさくま作りました白いパーカーとリボン付きスカートを着た垂れ耳ウサギスキのビーズを顔に使ったので、写真にしたらやたら目が目立ちますね~実物の方が可愛いです新しくレシピを買ったりもしたので、これからまた作りたいと思います全然話が変わりますが、お雛様も飾りました大石美正さんの作品。黒い装束のお殿様にパパがひとめぼれして決めたものです。イータン(次女)にはどんなお雛様を用意してあげようかなぁ…悩んだままひな祭りの日が来そうぶ~さーーーんめちゃくちゃ画像悪いけれど、こんな感じですどうかしら~
2009年02月09日
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四角いチューブのネックレス(グレー)7フラワーネックレス(黒)淡水パールのチューブネックレス(ピンク)小花のネックレス(白)ネッティングスクエアネックレス(グリーン)ツイスト・ヘリンボーンのネックレス(ブルー×ブラウン)ドロップネックレス(グレー)オニキスのネックレス(黒)←選んだキット☆母とお金を出し合って買いました(*^_^*)オニキスのネックレスは私の♪ツイスト・ヘリンボーンのネックレスは母の。あとは出来上がり次第母と決めようと思っています。ベネチアンの使われたキットとかフェザーのキット欲しかったな…(。・_・。)5千円のを2個買えば良かったかも~(つд`)まぁ、またの機会に…。これはこれでとってもお得な福袋でした('-^*)okこつこつ頑張って作ろ。子供達よ~、早く寝るのだ~~~(´д`)
2009年01月08日
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The Beaded Garden: Creating Flowers with Beads and Threadやらを参考にしてブリックステッチでブローチを作りました。明日着るつもりの新しい緑のチュニックに合わせる予定使った糸は釣り糸普段使っているファイアーラインがなくなりそうだったので、糸持参で釣具屋さんへ行って相談に乗ってもらって似たタイプの糸を購入しました。使いやすいし安いし今のところ何の問題もありませんはさみも同じ釣具屋さんでゲット切りにくいなぁと思っていたファイアーラインもスパッと切れます。釣具屋さんで私かなーり浮いてたけど、良い買い物が出来ました。ペヨーテで作った飾りもつけて
2008年04月08日
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ミィはまだ卵と乳製品のアレルギーがあるので、そんなミィでも食べられるドーナツを作ってみた。ミィも張り切ってお手伝いしてくれた混ぜ混ぜはいつもミィのお仕事。仕上げはお母~さん覚え書きレシピ・木綿豆腐 半丁・おやつイン(ホットケーキミックス) 適量・白ゴマ 適量木綿豆腐にゴマを混ぜつぶす。耳たぶ位のかたさになるまでおやつインを足しながら練る。スプーンで油に落とし揚げる。しあげにきなこ(砂糖、塩 適量入り)をまぶす。おやつイン 500g外はサクッ、中はフワッとしてとっても美味しかった 3時のおやつには揚げたてを食べたので、冷めた時の食感が気になる…。晩にパパとまた食べよ~
2008年03月06日
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自然派スーパーで無農薬の金柑を買ったのでジャムを作ってみた。覚え書きレシピ・金柑 30個弱・てんさい糖 100cc・水 100cc金柑の種を除いて刻んで、全ての材料を火にかけ30分程煮ただけ。ビンはこの間おめざフェアで買ったプリン(で紹介。濃厚でとっても美味しかった!初めての味わい)の入れ物。これに2個とちょっとの量が出来た。美味しい簡単だし安全だし、ジャムの手作りにはまりそうTVや雑誌で今話題のプリン♪[きのとや]酪農チーズプリン 4個入
2008年03月05日
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今日は母と寺井千佳さんの作品展に行ってきました。作品はどれも繊細ですごーーーくすごーーーく素敵でしたいやー、もう言葉では言い表せない位の素晴らしさ!岡山県民で良かった!と思えた一日でした。そして、先生の作品のほかにもお目当てがそれは、ミニ教室。キット代金のみで先生が教えて下さいます。沢山買ったキットの中から、先生ならではのプレイテッドヘリンボーンというステッチを使ったボールを教えてもらいました。美しく仕上げていくコツなどを教えて頂き、とても充実した時間を過ごせました。あまりの楽しさに教室の申し込みまでしてきましたよ4月開講なので楽しみっそれまでに購入したキットで自主練しておきたいと思います。作品展は明後日まで、ミニ教室は明日までされています。御都合のつく方は是非行かれてみて下さいお土産に購入した壷。キットの壷とは少し形が違います。実家の家族(女性陣)で色違いで揃えました。私は青。あとはベージュ、ピンク、ターコイズ。可愛い~
2008年01月26日
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初ビーズクロッシェもまぁいい感じに出来上がり、次はYgreque(イグレック)さんのキット!と思っていたのですがちょっと寄り道…。マイ・ビーズ・スタイル(10)に載っていた「ブリリアント・ブレスレット」。でも、予算の関係でスワロではなくチェコ・FP(キャル)カッパー・FPハーフメタル ペリドット・マミー 丸大 col.31(優しいピンクベージュで可愛い丸小も欲しい…)・マミー 丸大 col.123何日か前に出来上がっていたのだけど、仕上げたすぐ後からのどの調子が悪くなり、あれよあれよと風邪ひきさんに頭痛までしだしてずーーーっと横になってました。今日は大分回復!薬は飲みたくないのでホメオパシーのレメディや梅醤番茶やキパワーソルトを飲んでました。もうちょっと元気になったら余ったビーズでペンダントトップも作りたいな~参考にした本マイ・ビーズ・スタイル(10)
2008年01月24日
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ビーズクロッシェやってみたいなぁと思って、Ygreque(イグレック)さんのブレスレットのキットを購入してみましたで、初めてでいきなり本番に向かうのも無謀かと思い、手持ちのビーズでミィに試作品(爆)。なんか写真ぼけてますね…もう一回ミィが貸してくれたら撮り直します。例のごとく出来上がるとすぐに持ち去られました…丸小で編んでチェリークオーツをポイントに。普段レース編みをするので全然簡単でしたお義母さんがやたら気に入ってくれたので、マンツーマンでレッスンする事になり…。人に教えるの苦手なんだよな~でも、お世話になってるし頑張るぞ
2008年01月19日
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安くて色んな色を豊富に扱っているお店をご存知ないですか?こちらのカテで刺激されて、デリカビーズを使ったペヨーテステッチにのめり込んでみたいと思っています(^^;今度東京方面(東京・横浜)へ行く予定があるので、良いお店をご存知の方がおられたら教えて頂きたいですm(__)m浅草橋とかですかね~???よろしくお願い致します
2008年01月17日
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デリカビーズを使ってミニトートバッグを作ってみました手持ちを探したら黒のモノコードしかなかったので、黒いマットのビーズをメインにグレーのライン。ラベンダーとピンクの持ち手。可愛いリカちゃんのバッグみたいな感じ。でも、何にしよう?参考にした本ではバッグチャームにしてたけど、携帯に付けようかなぁ。それとも、中に羊毛ボールいれてピンクッションにしようかな。参考にしたのはペヨーテステッチ
2008年01月13日
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福袋つながり…?百貨店の初売りで購入したBeads Art Satoさんの福袋。6~9,000円分のキット(3点以上)が入って3,150円との事だったけれど、実際は4点入りの10,000円超えいや~、早起きして並んだ甲斐があったまぁ、寒い中並んでくれてたのは夫なんだけど…で、折角並んでもらってまで買ってもらったものを放置してたら怒られそうなので、その中の「スワロフスキーのピンブローチ」というのを作ってみました。やたら手仕事したがるミィにも手伝ってもらって(手垢つきまくり!)、30分もかからず完成しました。いや~、スワロパーツが綺麗!キラッキラッすっごい好きな感じ割と色んな服に合いそうだからお気に入りになりましたミィと取り合いですが…
2008年01月11日
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明けましておめでとうございます。久しぶりの日記です…今年もよろしくお願いします。で、いきなりですがネタバレです。買う予定はなかったんですが、買えちゃったんで思わず…ビーズマニアさんの2,100円ベーシックコース。これで元はとれるなぁと思ったキットはクリスマスもの…可愛いけど、なぜ今…。存在を忘れないうちにサクッと作ってしまって、クリスマスのオーナメント類と一緒にしまっておきます。限定パーツは左上の青いネコちゃん。想定外の体無し頭だけタイプだけど、可愛い何作ろうかなぁ限定パーツの隣はおまけのビーズ。なんかカボチャっぽい。それから、下の段へ左から右へ紹介していくと「フラワーキャップ トパーズピンクラスター」137円「ガラスチェリークオーツ バタフライ」231円紺色 星空柄 価格不明ベージュ チェコ ドロップ(?) 価格不明「ロードナイト なでしこ」315円「珊瑚(染) ラウンドカット 4mm」価格不明上段左から「スクエアクロス CZ入り」価格不明 ペンダントトップっぽいストラップ金具 価格不明黒っぽいセンターシェイプのチェーン 価格不明ジルコニアはいずれも価格不明で、6mm 角 ピンク 2個6mm 丸 ラベンダー 2個5mm 丸 オリーブ 2個3mm 丸 シャンパン 3個上から(いずれも価格不明)ファイアポリッシュ オペーク赤 4mmファイアポリッシュ ラスター 4mmスワロそろばん トパーズ(?) 3mmスワロそろばん ライラック(?) 5mmスワロそろばん ジョンキル 6mmスワロそろばん スモークトパーズ(?) 4mmスワロシャンデリアパーツ 紫とピンク以上です!2,100円なら安いし、使えないものはなかったただ、今の気分はステッチなの…在庫増やしただけにならないように、頑張って色々活用してみよ~
2008年01月09日
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ポジティブに生きるかネガティブに生きるか、と考える機会を頂いた。悩んでた私が言うのも変だけど、私はネガティブに生きたくない。私は私らしさを活かして輝いて生きていきたい。「子沢山」という夢は諦めない。そして、子供と関わる人間として相応しい人になりたい。どう生きていきたいかが決まったら、どう生きていくのかが見えた。気付かせてもらえて心から感謝しています。
2007年05月22日
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大村先生が言われる様に、その子がその運命を受け入れ生まれて来るのならば、私がその生のきっかけを摘み取ってはいけないのかもしれない。命は純粋で、美しくて、尊いなぁ…。追記※出生前診断→中絶の事を言っているのではありません。その事については、私の感覚では強い抵抗があります。でも、妊娠する前から子供の病気の事を心配し、出生の可能性を自らがコントロールしようとしている事も似たり寄ったりの行為ではないのかというジレンマもあります。一つ前の記事内での気持ちと、↑の様な気持ちとの間で心が揺れています。繰り返しになって、しかも上手く説明出来ていないかもしれないですが、私はゆらを含め病気を抱える子供の生を否定しているわけではありません。ゆらが生まれ、腕には抱けずとも一緒に過ごせた日々は私達家族にとって本当に幸福でした。ただ、ゆらの頑張りは壮絶過ぎて、同じ思いを子供にまた味あわせるかもしれないと思うと妊娠に躊躇します。けれど、現在病気と頑張っているお子さんや親御さん、これから妊娠出産される方を否定する気持ちは全くありません。
2007年05月20日
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以前ブログでも書いたように、ゆらは帝王切開で産みました。次の子は自然分娩を考えている為、「一年間体を休めるように」との主治医の先生からのアドバイスがあり今に至ります。もうすぐ次の子の事を具体的に考え始められる時期がきます。でも、色々考えてしまっています。今日は「子供を亡くし49日経っていないのに次の子が欲しい。不謹慎か。また、欲しいという自分のエゴで産んでも良いのか」というトピを見かけ、私はひと事でもなく感じ「新しい命を授かり幸せに暮らしていく事は不謹慎ではないと思う。産む理由より、その子を<個>として尊重し責任を持って育てていく決意があるかないかが重要だ」というような、まぁ偉そうな意見を述べさせてもらいました←甚だ迷惑ですよね(><)。その方の事は心から応援させてもらいたいです。望まれる様に是非次の子を授かれる様願います。でも、その方の気持ちをくじきかねないのでその時には書かなかったのですが、自分の事に関しては次の様に思っています。というか、悩み始めました。私は、もうすぐ次の赤ちゃんの事を考え始められるというのに、嬉しい気持ちというより複雑な気持ちでいます。夫はただただ待ち望んでいるようで嬉しそうです。私はもうゆらと同じように子供が病気で苦しむ姿は見たくないです。ゆらと同じように子供に短い人生を送らせたくないです。それは、自分が辛かったり苦しかったり、そういう思いをしたくないからではなくて、やっぱり子供に辛い経験をさせたくないからです。次の子が病気で生まれるかもしれないと考えるなんて、心配性といえば心配性かもしれません。でも、ゆらの時には何度も「ちょっとの確立」が重なり、結局ゆらを亡くしてしまいました。確立が低いからといって軽く見て済ます事が難しいです。「もしかしたら次の子も…」という考えが頭から離れる事はありません。例え次の子が病気でも短命でも、もちろんその時には全力で向き合い前向きに努力していきます。でも、「辛い思いをさせてしまうかもしれないのに産む」という決断が出来ないでいます。「辛い思いをさせてしまうかもしれないのに産む」という事がものすごいエゴだと感じています。ミィを産もうとした時も、出産してミィの無事な姿をみるまでは安心出来ませんでした。ミィの時からそんな風だったから、ゆらの病気が分かった時にもわりとすぐに腹をくくれたのかもしれません。「五体満足な子ばかりが生まれてくるわけではない」という覚悟はミィの時からありました。今はその覚悟が実感を伴って迫ってきます。ものすごく重大な選択権を自分が握っている気がします。すごく難しくてすごく苦しい問題です。今は、すんなり妊娠にむけて踏み切れません。ちなみに、病気のお子さんのおられる親御さんや、その他の誰かを責めたり異議を唱えているわけではありません。病気を抱えているお子さんを不幸だと思っているわけでもありません。もちろん「病気があるから生まれない方がいい」なんて考えた事もありません。決してそのようなつもりはないので誤解しないで下さい。親として子供の健康を願う、私の心の折り合いの問題です。上に書いた気持ち(悩み)の対象は私だけです。夫も含まれません。私だけです。上手く説明出来ていないかもしれませんが、それでももし気分を害される方がおられたら本当に申し訳ありません。【4月30日の日記を公開しました。よろしければ読んで下さい】
2007年05月19日
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の浴衣にひとめぼれして、同じもののセット売りを大喜賑(おおきに)さんで買いました。彫りの下駄も可愛いし、安く買えて良かったそれから、気分が浴衣モードになって色々買ってしまいました。は、涼しい色の浴衣が欲しいなと思っていたので、見つけて即買い大人な雰囲気や個性的な柄がとっても素敵。それに、麻も入っているので、見た目だけでなく着用感も涼しいはず…は夫の好み。大人の渋カワって感じ???兵児帯初挑戦です。浴衣を着物風にも着てみたいなぁ。の本見てみたい…。早く夏が来ないかな
2007年05月14日
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以下の内容は非公開でした。が、思う所があり公開します。生々しい表現があります。いつまでも過去の出来事を引きずっている様で、読まれて気分を害される方もおられるかもしれません。ごめんなさい。--------------------GWにさおり織りを体験しに行こうと思っていて、ネットでさおり織りについて検索したら、さおり織りを趣味にされていたお嬢さんが亡くなられた事を書かれているHPに出会った。リンクで飛んでいる間に、また別の死産された方のHPにも…。思い出が多いのも、少ないのも、それぞれの辛さがあるのだと思う。それぞれの悲しみがあり、誰がどの位辛いのかなんて、判断は出来ないし比較も出来ない。私がゆらと過ごした時間は長かったのかな…短かったのかな…。もっともっと一緒にいたかったし、いてあげたかった。ゆらは手術をすれば助かるとばかり思っていたし、先生の「ダウン症の方の寿命は最近は延びていますよ。40歳でお元気な方もおられますよ」という言葉を信じていて、まさか、まさかゆらが亡くなるとは思っていなかった。ゆらが鼻からも口からも血を吹き出して保育器が真っ赤になって、先生が「ゆら君頑張ってるから手を握ってあげてください」と言っても、ゆらと私達の周りをついたてが取り囲んでも、それでも私はゆらは死んだりしない、先生が絶対助けてくれると信じていた位、ゆらが生まれてから亡くなるその時までずっと、私はゆらは生き続けてくれるものだと信じていた。信じていれば奇跡が起こるのだ、とも信じていた。けれど、それは怖さの裏返しでもあった…。信じ続けなければ、今すぐでもゆらが遠くに行ってしまいそうで怖かったから、私は頑ななまでにゆらの生を信じていた。でも、でも、ゆらがいずれいなくなってしまう事を知っていたら…知らずとも、もっと危機感を持っていたら、もっともっとゆらと一緒に過ごせたかもしれない。もっともっと一分一秒を惜しむようにゆらのそばにいたかった。もうゆらとの時間は返ってこない。いくら、またあの辛い時を繰り返してもいいから追体験したいと願っても、そんな事は絶対に不可能だ。時々、私は自分の取った行動を後悔する。やり直しは出来ない。何の為にゆらは苦しみ、何の為に私は悲しみ続ける事になったのだろうか…。以前、北海道でシュタイナーの思想を実践されている大村先生にお会いした時、もう何年も考えていた「人は目的を持って生まれるというが、幼くして早くに亡くなってしまう子供達は一体どういった目的を持って生まれてくるのか。目的を果たす途中で亡くなってしまうのか」といった疑問を聞いて頂いた。先生は、「肉体で使わなかったエネルギーを持ったまま魂となるので、そのエネルギーを社会を良くする為のエネルギーとして活かそうとしてその様な人生を選んで生まれてくる」と話して下さった。まさに先生が教えて下さった「他者への帰依」だ。納得出来る答えだったし、ゆらはすごいなぁと思い、救われた思いもした。ゆらがこの世界を良くしていこうと願ったのなら、私もその意思を継ぎたいと思う。気持ちが落ち込んだ時は、ミィがいるから生きていられるのだと思う時もある。でも、例えミィがいなかったとしても、私は生きて頑張らなければいけないんだ。ゆらも頑張ったんだから、私もこの命に感謝して自分に出来る事を精一杯して頑張っていかなければいけないんだ。
2007年04月30日
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道でばったり会うと和菓子をくれる、お饅頭屋さんのおばあちゃんにプレゼント。100均で買ったかごがぴったりサイズだった(b^-゜)この本に作り方が載っています☆
2007年03月21日
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昨年末から元気がありません。楽しく暮らしてるし、ミィをつれてシュタイナー関連の集まりに行ったり、人形教室や刺繍教室へも通っています。でも、なにかいまひとつ気力が足りないっていうか…。芯が抜けてふにゃっとしてるっていうか…。燃え尽きたって感じ…?時々大きな喪失感に襲われる。ミィまで失ってしまわないかと恐怖感さえ感じる。ミィだけでなく、夫も、自分も、両親も…と考え始めると気持ちは沈む一方です。でも、燃え尽きるわけにはいかないや。まだまだこれからだなぁ。元気出さなきゃ。近いうちにウォルドルフ人形や刺繍の作品やトランスパレントについてUP出来たらなぁ。いいなぁ。
2007年01月23日
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久しぶりの日記です。かなり密にミィと毎日過ごしていて、最近あまりネットしていません。しても携帯からちょこちょこと…。あとは、「子を亡くした親の会」という会合に参加したり、刺繍教室に通い始めたり、ミィと一緒にシュタイナー系の幼児サロンに参加したり…と元気に充実した日々を過ごしています。それぞれの日記を書きたい思いはあるのですが、なかなか出来ないでいます。気長に待っていて下さい(^^;今日は雪boloさんのパンを買いに行きました。以前新聞の投稿欄に、パン屋さんのご近所の方が「近くに若い方が越して来られて、自然の中でパン作りをされている。活気があふれ地域の一員として嬉しい」という様な投稿をされていて、それを目にして以来気になっていたのです。素朴に、丁寧に、想いを込められて作られたパン。(しかも安い!!)卵や乳製品を使っていないので、ミィも安心して食べられます。数種類のパンをミィの要望通り買いこんで、今日はバゲットとあんパンを食べてみたのですがと~~~っても美味しかったです(^^)明日は夫も一緒に行ってみる予定です♪今日は良いお天気で暖かく、持参した野菜ジュースと焼き芋と買ったパンでミィと一緒に公園で楽しくお昼を食べました。のどかだ~~~。そして、帰りに大好きなお豆腐屋さんへ。こちらのお豆腐も、大豆の力とお豆腐屋のおじさんの想いとがギュッと凝縮されたとても質の高いもの。めちゃくちゃ美味しいのです。なので、我が家の食卓には玄米ご飯、具沢山のお味噌汁、そしておじさんのお豆腐があれば言う事無し…最高のごちそうなのです(笑)。で、行く度にいつも健康の事や子供の事、夫婦の事や畑仕事の事等1時間以上は色々と話をするのですが、今日はふとしたきっかけでシュタイナー教育の話題を私は出しました。すると、おじさんが「シュタイナーだったら沢山本があるよ」と本棚の置かれた部屋に案内してくれました。本棚いっぱいのシュタイナー関係の本。おじさんは自分が子育てをする時に参考にされたそうです。どうりで話をする度に勉強になるはずです。大事に思う事がおじさんとかなり近かったのです。私がミィに願う事は、「のびのびと育ち、自分の意思や感性で物事を判断でき、それに沿って行動し、またその行動の責任が取れる様な生きる力を持った人になって欲しい」という事です。そして、ミィに限らず全ての人がそうあり幸せに生きて欲しいと願っています。今日はいつも以上に深く話をしたのですが、おじさんの願いもその様でした。そして、おじさんにスカウトされました。お豆腐屋さんは、今の主な活動はお豆腐を作り売る事です。ですが、おじさんの希望はお豆腐屋さんとして生計を立てていく事だけではない様です。お豆腐屋さんの建物は、それはそれは個性的で素敵な建物です。その場所を幸せに生きられる為の交流が出来る場所として、サロンとして活用したいそうです。いずれフリースクールの様な事も出来たら…と話されていました。おじさんの愛はとても温かく大きいのです。私への願いは、空いた部屋が1つ2つあり、そこで活動して欲しいとの事でした。ミィを連れて遊びに行って本を読んだりおじさんや来られるお客さんとおしゃべりして過ごすだけでもいいし、他のママを誘って交流してもいいし、材料は出すので厨房を使ってお菓子を作って欲しいとも言われました。夫は木のおもちゃを作りたいと常々言っているのですが、それも出来ればお豆腐屋さんに置いて売らせて欲しいと。「場所」というハード面は整ったけれど、「人材」というソフト面がまだ足りていない。交流の広がりの一因として共に活動して欲しいと…。なんて事!こんなに素晴らしい話。夫や下の妹だけでなく、こんなに身近に想いを同じにする仲間がいました。しかも、人生の先輩でとてもパワフルな方(*^^*)私もいずれサロンを開きたいと思っていました。子供と一緒に手仕事や料理、畑仕事をし、親も子も楽しく学び成長出来る様な場所。まだまだまだまだ先の話だと思っていました。でも、こんなに素敵なきっかけを頂いて、是非おじさんと一緒に、今自分に出来る事をやっていきたいと思っています。手仕事読み聞かせ手遊び歌楽しい事はいっぱいです。そして、アトピーの子も食べられるお菓子をミィと一緒に作るのです。おじさんは「すぐには金銭という形でお礼は出来ないと思うけれど」と言われたのですが、OKです☆売れ残ったお豆腐を頂けるだけで、私も夫もミィも幸せなのです(*^^*)今日はポイント。ワクワクするきっかけを頂いた日。活かそう。私は幸せを広げていきたいのだから。必ず、幸せを広げていこう(*^^*)頑張ります☆
2006年11月10日
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先日ゆらの担当看護師さんだったKさんが、ゆらのお墓参りに来て下さった。ゆら、久しぶりにKさんに会えて嬉しかっただろうなぁ。私もとっても嬉しかった。Kさんは、経験豊富そうな頼もしい方。そして、すごーくすごーく優しい方。きっとNICUのお母さん的存在なんだと思う。ゆらが亡くなる前日に、「1つだけお願いがあるの。絶対に無理をしないでね。頑張り過ぎないでね。約束してね」と言って下さった。そうは言われても頑張りまくって無理をしまくるつもりでいたけれど、そう言って頂いた気持ちが嬉しかった。私を支え続けてくれる恩人だ…。そして、訪ねて下さった時に一冊の本をプレゼントして頂いた。「誕生死」ママのお腹の中で、また生後まもなく亡くなった赤ちゃんに関する手記が集められている。ゆらの闘病生活を思い出し、読みながら沢山涙した。「あぁ、私はこうしてこの先何度もゆらを思って涙を流すのだなぁ」と思った…。でも、それは自分にとって苦痛ではなくて、ゆらと愛おしさと涙はセットなのだ。そうやって生きていく事は別に不幸な事ではない。ただ、私の人生の中の大切な1つの事実だ。読んで感じた事は、お腹から産まれて来なくても、お腹に宿った時点で戸籍を設ける事が出来たらなぁという事だった。親としてみれば、それが自然な認識だと思う。流産・死産した赤ちゃんにだって、「生」はあったと私は思う。そして、不思議な事に、私はこの本を以前手にしようと思った事がある。ゆらを妊娠中、つわりで自宅で安静にしていた時だ。父が図書館で本を借りてきてくれるというので、この本やダウン症に関する本を読みたいと私は頼んだ。父は心配して「元気な赤ちゃんが産まれてくるから、悪い事は考えるな」と言い、結局それらの本は借りてきてくれなかった。私は、予感があったのかなぁ。義母にも「どんな赤ちゃんが産まれて来てくれても、精一杯可愛がる」と話したりもしていた。それから、Kさんとは「天使のブティック」についても話をさせてもらった。天使のブティックとは、小さく産まれて亡くなった赤ちゃんへ産着を贈るというボランティアをされている団体だ。この活動をさせてもらえないか、と。すると、逆にお願いして頂けた。私が「本当はこの産着を着ずに済むように、どの赤ちゃんも無事に産まれて元気に育ってもらいたいのだけれど…」と話すと、Kさんは「それでも残念だけれど赤ちゃんの死はなくならないから、是非。大きな産着を着て帰ってもらう事をいつも心苦しく思っていたの」と。実際に利用して下さる方にどうとらえて頂けるのかは正直分からない。絶対に必要な物というわけではなく、むしろご迷惑にならないだろうかと自信もあまりない。それでも、少しずつでも自分に出来る事をしていきたいと思う。よろしければご意見を寄せて下さい。
2006年10月18日
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明日は2回目のワークを受けに京都へ行きます。何を得るのか楽しみ。前回得た知識は沢山あった。石についても、リーディングについても。でも、心に残るのは物事の本質について。「自分という個体に対しての誇りが一番大事」私は、幼い頃からやたらプライドが高かった。大人になった今でもやっぱり根っこにはしっかりとある。でも、プライドに現実がともなっていないと感じては自分を卑下したり、興味を持つに足らないと思うと人を見下したり(最低だ)、気持ちの歪んだ人付き合いをしがちだった。前回のワークの時も、正直居心地の悪さを感じた。でも、それはもちろん他のみんなに原因があるのではなく、自分の意識の持ち様によるものだった。自分自身への誇りをしっかりと持っていれば、楽に解消出来る。明日はもう大丈夫。私は、自分を誇り、愛しているから。
2006年10月08日
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年の離れた妹と、もう1人年の近い妹がいます。10年程前大きな手術を受けたのはこの妹です。彼女は、病気の再発の不安から鬱病になりました。もう何年もその病に翻弄されていて、でも、その間に結婚もし子供にも恵まれています。彼女の夫である義弟と共に、四苦八苦しながら状態が悪くなったり改善したりしながら今まで何とかやってきていました。「離婚するかもしれない」と相談された事もあり、夫婦の危機も何度かあったようです。今日は「離婚する事に決めた」と聞きました。義弟いわく「嫌いではないけれど、病気の妹とこの先どのように接していけば良いのか分からなくなった」との事です。妹も「嫌いではない。でも、別れてもいい。それだけの人だったんだろうから。元気な人と再婚して幸せになってくれたらいい」と…。私は妹と四六時中一緒なわけではないし、夫婦ではないから、義弟の苦労を本当の意味では共感しきれていない。それでも容易に、彼はきっと相当悩みつつ妹と今まで過ごしてきたのだろうと察する事が出来る。妹の状態に応じて住居を替え職を替えてくれた。それは、住み慣れた地元で暮らしたい彼にとっては不本意な流れだったと思う。でも、疲れ果てたからといって、妹を捨て甥を捨て、他の人と幸せになる事などあり得るのだろうか。お互いに嫌いではないのだから、なんとか心の持ちようでこの局面を乗り越えて欲しいと思う。将来が不安で仕方がない義弟…でも、親子3人揃って過ごせる「今、この時」に感謝し、前向きに楽しく明るく毎日を焦らず積み重ねていって欲しいと思う。簡単に義弟を切り捨てようとしている妹…彼を失って出来る心の穴は、他のなにものでも埋められないよ。ゆらを失ったからこそ実感を込めて伝える事が出来る。私達は他になすすべがなくてゆらを失ってしまったけれど、もし可能であるなら簡単に義弟への気持ちを諦めないで欲しい。上手く考えられないし上手く伝えられない。妹や義弟の大事な人生だから、私のエゴなんて出しては駄目だ。私には何が出来るの?どんなメッセージが送れるの?夫とも話をした。私達は彼らが好きなのだ。普段はあまり意識しないけれど、心からそう思った。義弟にもう会えないのかと思うと涙が出てくる。妹夫婦にとって、彼らが最良の選択が出来ますように…。天は越えられない試練は人に与えないのだとおねえちゃんは信じているよ。
2006年10月03日
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ゆらが産まれて3ヶ月が経つ。元気な赤ちゃんだったらもう首がすわる頃なんだなぁ。がむしゃらしゃかりき育児もホッとひと息つける頃なのかな。笑顔も出てくる頃なのかしら。想像してみると、なんだかくすぐったくて、切なくて涙が出てくる…。首すわらなくても、寝たまんまでも、元気じゃなくてもいいから生きてて欲しかったなぁと思うのはただのエゴなのかな。今はもうゆらはとっても気持ちのいい素晴らしい世界にいるのだから、それはそれで良かったんだよね。だんだんとゆらの肉体ではなく魂に寄り添って過ごす事にも慣れてきた。そのうち妊婦さんを見ても心がチクリと痛まない時も来るのだろうな。赤ちゃんはどの子も皆可愛らしい。妊婦さんもどの方も皆無事に元気な赤ちゃんをその胸に抱けますようにと祝福の気持ちでいっぱいになる。なのに、赤ちゃんを見るのは平気なのに、なぜか妊婦さんを見るのは辛い。何かがトラウマになってるんだろうな。それに、時々「自分って何してるの?」ととっても空虚な気持ちになる時がある。こんな嫌な気持ちに支配されない様に気を付けなければ。私は、人から見れば「子供を亡くしたかわいそうな人」なのかもしれない。でも、自分ではそう思わない様に気を付けなければ。自分が選び与えられた環境の中で、一番楽しく一番愛にあふれた生活を送りたいと思う。木曜日、香典返しの代わりに、町内の知的障害者の方達が集団生活を送られている施設へ寄付をさせて頂きに行って来た。ゆらも元気で大きくなっていたならお世話になっていたのかな。独身の頃から、青年団の行事等ではご縁のあった施設。でも、私は夫とのデートを優先してばかりいたので、訪問は今回初めてとなった。訪れてみて、もっと前からお邪魔させて頂いていれば良かったなと思った。運営されている方も良い方ばかりの様だった。せっかくのご縁を頂いたので、これからは機会がある度に足を運ばせてもらいたいと思う。ゆらを育てる事のなかった私には知らない事ばかりの世界だ。「どうか色々学ばせて下さい」と心の中で頭を下げ願う。※↑で「障害」と書きましたが、「障碍」が今は一般的なのですか?誰にも嫌な思いをして欲しくないので、よろしければアドバイスを下さい。よろしくお願い致します。こんな意見やhttp://kan-chan.stbbs.net/word/pc/shogai.htmlこんな意見もhttp://plaza.rakuten.co.jp/peterpanfan/diary/200601260000/見つけました。言葉一つとっても考えさせられる事があります。勉強不足でごめんなさい…。
2006年10月01日
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自分のしたい事の一つに、クリスタルとお話したいという望みがあります最近濱田葉子さんのクリスタルリーディングクラスの事を知ったのですが既に満席で、キャンセル待ちのメールをさせて頂いていました。そしたら今日、「空きが出ました」とのメールを頂きました!「もうすぐ開催だから、もう無理かなぁ」なんて思ったりもしていたので、ビックリして、すっごくすっごく嬉しかったです新しい学びが沢山ありそうです。まずはとことん自分と向き合ってきます最近私には猛烈に「学びたい!未知の事を知りたい!」という欲求があります。夫には「時計欲しい!バイク欲しい!車欲しい!家欲しい!」という猛烈な物欲が発生しています物質的な面からいうと、私達夫婦はゆらという大切な存在を失いました。そこで出来た大きな心の穴を、お互いに必死で別のもので埋めようとしているのでしょうか…。でも、無駄な事では決してないと思う。「ゆらが後押しをしてくれている」と思って、良い方向へ頑張っていきます☆
2006年09月17日
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派遣のヒロさんの日記をコピペ↓岡山発信のチャリティー企画です。どうぞよろしくお願い致します。どんな音楽なんだろう…聞いてみたいなしかもジャケットはウィスット・ポンニミット(愛称タム)さん!?部屋に飾ろうこれは買いだぁ※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※一昨日、アーティストの鐘ヶ江カオルさんのブログに、とても興味深い音楽プロジェクトが掲載されていました。http://blog.livedoor.jp/utahimekaoru/archives/50977511.htmlそのプロジェクトは、私の住んでいる岡山が発信する、Singing Angel Project(SAP)というチャリティーイベントです。今年、カオルさんが所属しているメジャーレコードのAtoNO Records(エートゥーナンバーレコード)さんが、今まで県内チャリティーだけだったものを、全国レベルのチャリティーにするべく、活動を開始されたそうです。今年の出演者は昨年に引き続き、岡山県倉敷市出身の中西圭三さんをはじめ、Yaeさん、原田真二さん。昨年は岡山県内限定発売だった、「LIGHTHOUSE OF LOVE」という素晴らしい曲を今年は11月22日より全国発売されるそうです。試聴はこちらから(^^)http://www.sa-p.jp/friends/※「ソングブックプロジェクト」より今回発売される「LIGHTHOUSE OF LOVE」が視聴できます!そのCDを発売される、AtoNO Records の社長、田中直人さんのメッセージを下記に引用いたします。このプロジェクトにご関心を持たれた方は、ぜひ下記文をコピペするなどして、ブログ記事に使っていただければうれしいです。この音楽プロジェクトをたくさんの方に知っていただけるようこのブログをご覧になった皆様にぜひご協力いただきたいと切に願ってやみません。(文の引用に関しては田中社長のご希望ですので、全く問題ありません)~田中社長のメッセージはここからです~私は、ある人をとおして、「Singing Angel Project」と出会いました。このプロジェクトは、19年前、岡山在住の医師が、フィリピン・マニラを訪れた時、ストリート・チルドレンの救済施設をつくることに、個人的に協力を申し出たのが始まりです。フィリピンには、現在も20万人以上のストリート・チルドレンが存在し、今も増え続けていると言われています。8年前、支援活動の日本人メンバーが、フィリピンで1つの歌に出会いました。彼がこのメロディと内容に感銘し、日本の人々にも紹介することが、音楽プロジェクト発足のきっかけとなりました。そして2001年秋ストリート・チルドレン支援活動「Singing Angel Project」が動き出しました。2002年、庄野真代さんによる「天使達のララバイ:MAY ISANG BATA」のCDをリリースし、岡山シンフォニーホールにて、庄野真代さん、加藤登紀子さん、カンルンガン(マニラのストリートチルドレン養護施設)の子どもたちがコンサートをし、その収益を施設の修繕費としました。2003年、岡山とマニラをインターネットでつなぐ2会場同時コンサートを実施し、加藤登紀子さんが岡山、庄野真代さんがマニラから想いを伝えました。国境を越え、3000人の来場者が心を1つにしました。2005年12月22日、岡山市民会館にて、中西圭三さん、Yaeさん、原田真二さんと、日本とフィリピンの子どもたちが心触れ合うステージをしました。そして、2006年11月22日「Singing Angel Project」を全国に広めるために、CDの全国発売が決定しました。このプロジェクトには、みなさんの協力が必要です。ぜひ、ご賛同頂けるのであれば、同じ仲間として、活動を共にして下さい。1、自分のブログにて、このプロジェクトをより多くの人に伝えて下さい。2、10月1日にチラシとポスターをつくります。このチラシを置いて頂けるお店及びポスターを貼って頂ける場所を募集しています。みなさんのお知り合いのお店にぜひお声がけ下さい。3、CDを置いて頂けるお店を募集しています。規模はどのようなものでも構いません。3枚以上CDを置いて頂けるお店を募集します。4、10月1日以降週末に、ターミナル駅にてチラシ配りをしたいと考えています。ボランティアにてご協力して頂ける方がおりましたら、info@atono.co.jpまで、お名前、電話番号をメール下さい。5、口コミでたくさんの人たちに伝えて下さい。「ストリートチルドレンを救うためのCDが発売されます。私もこのプロジェクトに協力しています。1枚買って頂くと100円の寄付になります。どうかご協力下さい」10月からは、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌でも取り上げて頂けるように、色々と試行錯誤しております。もしみなさんの中で、取り上げて頂けそうなメディアがありましたらぜひ教えて下さい。~以上、AtoNO Records 田中直人社長のブログからの引用でした~☆関連リンク☆上記の文が掲載されているブログ記事http://blog.livedoor.jp/atonorec/archives/50586257.htmlこのプロジェクトの詳細記事はこちらhttp://blog.livedoor.jp/atonorec/archives/50585906.htmlAtoNO Records HPhttp://www.atono.co.jp/Singing Angel Project(SAP)公式HP今回のプロジェクトの公式HPです!「ソングブックプロジェクト」より今回発売される「LIGHTHOUSE OF LOVE」が試聴できます!http://www.sa-p.jp/friends/鐘ヶ江カオルさんのブログhttp://blog.livedoor.jp/utahimekaoru/中西圭三さんオフィシャルサイトhttp://www.keizo.jp/Yaeさんオフィシャルサイトhttp://www.yaenet.com/原田真二さんオフィシャルサイトhttp://www.shinji-harada.com/ ~以上です~※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
2006年09月15日
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ネット上で同級生に再会した☆優しいお友達だったからとっても嬉しかった日記を読ませて頂いていたら、子供さんの成長の様子が可愛くって、どんどんさかのぼって読んでいたら私も赤ちゃん欲しくなった(私も赤ちゃんのママだけど)。赤ちゃん、抱きしめたりお世話したりしたいなぁ…。来年にはまた授かれるといいな。先日、ある方に「赤ちゃんはまたすぐ戻ってくる」と言って頂いた。嬉しいけれど、でも、戻ってきてくれたとしても、もちろんゆらとしてではない…。それは寂しく残念な気もするけれど、また来てくれるのなら新しい命に精一杯の愛を注ぎたいと思う。その日がとっても楽しみになった。でも、少しだけ気がかりな事…。チャレンジャーなゆらの魂だから、また過酷な人生を選んでくるのかもしれない。ママはたくましいからきっと何回でも真剣勝負で付き合えるけど、どうなるのかなぁ。覚悟だけはしておこう
2006年09月14日
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県の幼児向けのイベントに家族で行ってきました。ステージでの催しもあり、ちくわ笛で有名な住宅正人さんも来られていました。客観的に見たらかなり笑えるんだろうけど…ちくわ笛、感動しました。意外な程澄んだ綺麗な音色…。そして、微妙な音の調節の為、ちくわをクネクネと曲げながら吹かれていました。住宅さんは「ちくわプロ(謎)」です!合間合間の話もとても面白く、楽しい時を過ごさせて頂きました。家族の中で誰よりも夢中になり、最前列で観てましたよ、私…(^^;歌も歌って下さって、とってもお上手だったので民謡家の方なのかなぁと思っていたら、夫に聞いてみたところ県の職員さんなんだそうです(@@)今月の27日には「うたばん」にも出られるそうです。9日には地元の幼児クラブの遠足で牧場へ行ってきました。ミィはカンガルーや犬やうさぎをなで、ヤギにえさをあげ、とっても楽しそうにすごしていました。一匹だけ風格漂うヤギがいたので、ミィに「長老がいるよ~」と話していたら、そばにいた飼育係りの方が素で「そのヤギの名前は『やぎたに君』です」と教えて下さいました(汗)。なので、ミィには「長老の名前は『やぎたに君』っていうんだって~」と教えてあげました。みなさん、「やぎたに君」です。ヤギの目って黒目が横ですね。
2006年09月10日
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※一つ前の日記にお礼を載せています。本当にありがとうございました。以前購入していたレシピをアレンジして妖精さんを作りました。色違いで作っていくととっても楽しい!クリスタルクラック持ってますスワロフスキーの羽もついてます横から見たらこんな感じ。ストラップにしようかな~(*^^*)
2006年09月07日
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一つ前の日記での私のお願いに協力して下さり、本当にありがとうございました。最新のたけひとさんの日記を読ませて頂いたら、「愛美ちゃんは現実の中で私に会ってくれると言ってくれました」と書かれてあったので安心しました。命って本当にありがたいな。大切に、丁寧に生きたいなと思いました。今生は一度限りだし、今を生きなければ「この時」はすぐに去ってしまうから。
2006年09月07日
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sora☆mimiさんの所で知りました。そして少しでも多くの方に、と思い紹介させて頂きます。これは竹ちゃんさんの所からのコピペです。今晩は、突然ですが、皆さんにおねがいがあります。先ほど緊急にお願いの電話がありました。私はすぐにQTなど、できる限りの手法で遠隔に入ります。明日で 1歳2ヶ月になる 女の子です。明日ゆっくり説明しますが、 半年前に入院していた時以上の 悪い状態になっています。生まれた時から脳に障害があります。女の子の寿命を延ばさなければ、とか、症状が良くならなければならない、とは意図しませんが 女の子にとって最適な結果がもたらせますよう祈りたいのです。 特にご両親のお気持ちが伝わり、今出来うる限りの事をしたいと思いお願いさせていただきます。エネルギーワークできる方はエネルギーワークをお願いしたいです。祈ってくださる方は祈ってくださるとより強く届くと思います。今晩、明日朝7時 お昼12時 夕方6時 夜9時 に私は送ります。もし、その時間に合わせて送ってくださる方がいらしたらお願いしたいです。また、時間は特定しなくても送ってくださる方がいらしたら、お願いいたします。名前 堀 愛美 (ホリ アイミ)ちゃん。住所 兵庫県丹波柏原(タンバシ カイハラ)現在 兵庫県立子供病院入院中ボランティアになりますが 私の愛を増幅させてください。お願いの日記をお読みくださってありがとうございます。たけひと私はレイキは習いたてで遠隔が出来ない…。愛美ちゃんが光に包まれ守られている事をイメージしてそれにレイキするのは無理なのだろうか。ただ祈るだけしか出来ないのだろうか。それでも、愛美ちゃんの為に祈りたい。よろしくお願い致します。
2006年09月05日
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昨日日記に書いていたブレスレットです。「私らしい」とみんなに言ってもらえました余計な事は考えず、好きな石を選び好きな様に並べました。「最近気になる石」というのは今自分に必要な石なのかもしれません。とっても楽しかったです♪このクリスタルグリッドを見てもらったれい子さんから、「『涙』というキーワードが見える」と言われました。「もう涙の時期は過ぎました」と答えると、「涙を超えて慈愛に満ちた道を進んでいけます。サポートは万全です」といった感じの事を言ってもらえました。☆しずかさん、たえさんへ☆プチお茶会の中で、「自分で思い込んでいる自分像より、他人からの第一印象の方が自分の本質に近いのかもしれませんね」と私は話しましたが、そういう事もあるのかもしれないけれど、しっくりとお似合いのブレスレットを身につけたみなさんそれぞれが輝いていたのは、その人自身に今必要なブレスレットを得られて天使ちゃんが喜んでいたからでしょうか。そして、なにより一番天使ちゃんにとって嬉しい事は、その人自身が自分を見つめ自分の意思を見つけ前進していこうとする事なのでしょうね
2006年09月04日
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昨日、帰りは家族が迎えにきてくれました。帰ろうとするとちかさんがみんなに「のあちゃん、お迎えがきたよ~」と声をかけて下さいました。そして、みんなが笑顔で送って下さり、ちかさんはハグをしてくれましたそれで、今朝思った事は、自分が死ぬ時もこんな風に見送られたいなという事。仲間に「今生でするべき事を果たし、素晴らしい時を送ったね」と褒められながら…。そして、ゆらもそんな風に見送られ、迎えてもらったのかな。
2006年09月04日
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今日はれい子さんの「チャネリングアクセサリーワーク」を受けさせて頂きに出かけた。本当に素晴らしい人達に出会い、とても楽しい時を過ごした。パワーストーン、かなり好き☆「自分の望む道に進んでいってOK。助けも得られる」という内容の事をれい子さんに言って頂けてとっても嬉しかった。今の自分の事、ちゃんと掴めているみたいで良かった。ドンドン行こう→♪ワーク後のしずかさん&たえさんとのプチお茶会、そして、ちかさん宅でのお茶会もとってもとっても楽しかった。仲間というより家族に近いあたたかさで、「来るべき所へ来た。戻るべき所へ戻った」というようなほんわりとした安心感や心の底からの楽しさを感じた。「そんなにはっきりと妖精を連れてくる人も珍しいね」と言われたけれど、珍しくても私は私。人と違っても大丈夫。みんなとは異なる存在だったとしても、私が楽しく居心地良く過ごせるココは私がいても良い場所なのだろう。ゆら、沢山の素敵な人に出会わせてくれてありがとう。そして、ママから不要なものを持っていってくれてありがとう。私をより良く生かしてくれる全てのものに感謝します。「制限を全てはずし 悩む事も迷う事もなく 自分がこれと信じた道を 光に向かって 自信を持って楽しく歩んでいけば良い」
2006年09月03日
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一つ前の日記にコメントを頂いたべぇ子さんへのお返事の中で、「星空に癒されます」と書きました。優しく小さな無数の星の光に癒されます。夜空に大きく抱きしめられている様な安心感を感じ、そして、ゆらへの想いがあふれます。逆に、昼の空は高く澄んでいて気持ちが良い位だけれど、その青空の広さが、ゆらを失って心に開いた穴の大きさと重なって切なくなります。☆☆☆☆☆明日からプチ旅行。明日は水族館へ。お泊りして、明後日はサファリパークへ。ミィに約束していた動物園へやっと連れて行ってあげられるよ!
2006年08月24日
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ゆらの担当看護師さんだったKさんに「寄せ書きをお願い出来たら…」と相談させてもらったら、快く受けて下さったので病院まで色紙やペンを持って行った。待ち合わせは病棟奥のNICU前の廊下。全然平気だと思ってたのに…むしろ、ゆらとの思い出の場所だから行きたいとさえ思っていたのに、たどり着けなかった。病棟のある階でエレベーターを降りた時から妙な違和感があった。途中、NICUを卒業出来た大きな子達の病室の様子が目に入って、前と変わらない日常の様子に自分だけが置いていかれて取り残されている様な感じがした。ゆらが亡くなってすぐの時にはまだゆらはNICUで頑張ってくれている様な気さえしていたのに、「もうNICUに行ったってゆらはいないのだ」と嫌でも分かり足に力が入らず頭は段々痛くなってきた。そして、そこからNICUまでの間にある家族控え室の前を通りかかると中で赤ちゃんのポラを見ているママの様子が目に入り…もう駄目だった。その場で体のどこにも力が入らなくなり泣き崩れてしまった。「ゆらはいない!!!悲しい!悲しい!辛い!」そんな思いで心はいっぱいだった。こんな姿、NICUで頑張っている赤ちゃんの家族を不安にさせるだけだから見せたくなかったのに…。ゆら、最悪にかっこ悪いママでごめんね。ゆらを愛しているからどうにも諦めがつかず、自分を責めたりまでしてしまうママ。こんなのかっこ悪すぎて駄目だよね…。その後、仕事がお休みなのに会いに来て下さったKさんやお忙しい中顔を見に来て下さったM先生と話をしていると大分落ち着けた。ありがたい事に、KさんM先生を含め今回ゆらをお世話して頂いた多くの方が寄せ書きをしたいと言ってくれているそうだ。受け取って見られる時が楽しみ。とりあえず2週間の期間という事で色紙をお預けする事になった。次はちゃんとNICU前の廊下まで行って、しっかりと現実と向き合えたらいいな…。今回Kさんには本当によく支えてもらっている。これも、ゆらが私に授けてくれた縁だ。Kさん以外にも転院する前の産院の院長先生の奥様からも連絡を頂いた。私は何が出来るわけでもないし、出来た人間でもないのに、親身に考えて下さる方が大勢いる。心配して頂ける上に更に心配をかける事は相手の気持ちに応える行為ではない。ママ、これから先ゆらの事を考えたり人と話したりする時は笑顔でいる様に頑張るよ。涙が出たって笑顔でいられる様に。だから、ゆら、そうしたらもっとママの事好きになってくれるかな…。ゆらを好きだからこそ頑張るね。
2006年08月12日
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一人ボーっとしていると、「どうすればゆらは助かったのだろう?」と考える時があります。「大きく、体力のある状態で産んであげれば大丈夫だったのだろうか…」と。そして、「なぜ臨月で産んであげられなかったのだろう…」と。そうして、今更だけれど自分を責めたりしてしまいます。実際問題無理だけれど、妊娠時からやり直す事が出来たら…今とは違う結果になっていたのでしょうか…。それから、ゆらとの日々が夢の様な感覚がする時もあります。そうしたら、どこからどこまでが夢だったのか…と、現実感がなくなり今の自分の存在までがあやふやな感じがしてきます。ミィといる時にはしっかりとした時間が過ごせるので安心します。一人でいると色々と考えて苦しくなり、頭も痛くなってくるので、妹と一緒に過ごしたりもします。彼女は今回病院までの送り迎えをしてくれたり、面会も沢山してくれて、私の話し相手にもよくなってくれました。10歳年下で、結婚も妊娠出産もまだ未経験の妹。前々から私達家族に憧れてくれていました。今回は彼女に伝えたい気持ちもあり頑張ってきました。姉として、見せてあげられる姿があると思ったから。小さく病気のある子供を産んでも、大変だけれど辛い事ではない事。そして、結局は辛く悲しい結果になってしまったけれど、決して不幸ではない事。NICUには日々早産や病気のある新生児が運ばれてくるけれど、妊娠出産は怖がる様な事ではなく、それでもなお喜びに満ちたものだと…。私以上に思いやりのある優しい子だから、きっとこの気持ちを受け取ってくれたはず。ゆらは生まれてきてくれてあっという間に私達の元から旅立ったけれど、全然無意味な出来事ではなかった…。
2006年08月11日
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ゆらが亡くなり3日経ち、空気の様な存在になったゆらがそばにいてくれる様に感じてふんわりと優しい気持ちになれる事がある反面、大きな喪失感を感じる時も増えてきました。走る車を見る度に「轢かれて死んでしまえばゆらに会えるかな」と考えたり…。その度に「そんな事をしたってゆらは喜んではくれないだろうし、夫もミィも今以上に辛くなる」「こんな私だってきっと何人かの人にとっては生きているだけでもありがたい存在なのだろう」と、馬鹿な考えを打ち消したり…。今もきっと夫には私以上に辛い思いをさせてしまっている…。私がぼんやりしたり泣いたりしているといつも気遣って優しく励ましてくれる。いつでも気に留めてくれる、という事はいつもそんな私の姿が彼の目に映っているという事だ。それは、目にする側も辛いと思う。大好きな彼に、私が辛い思いをさせてしまっている…。これ以上彼に辛い思いをさせない様にしっかりしなくては。甘えて頼っているばかりではゆらに心配をかけてしまう。それに、夫は唯一私と同じ悲しみや寂しさを共有する大切な人なのだ。もっともっと私も彼を支えてあげなくては。でも、逆に、「ゆらが生きている間は不安に思う気持ちも打ち消して、涙も極力流さずに頑張ってきた。今くらい好きなだけ思い切り泣かせてもらってもいいんじゃないか」と思ったりもしてしまう。私は基本的に、物事において「起こりうる色々なパターンを想定して、どんな事が起こってもベストな対応が出来るように」心がけてきた。でも、今回は全く違った。望む結果しか考えなかった。他に起こりうる恐ろしい未来像からは目をそらしまくった。自分の物事への考え方を変えてでも、良いイメージから良い結果を生み出そうと努力した。ゆらが助かる事だけを信じて、だから泣くなんておかしいんだと自分に言い聞かせた。普段、マイナス思考ではないけれど↑の「」内の様な考え方をする私は、常にない頭を働かせて色々と考えて今まで過ごしてきた。多分これからもまた同じ様な考え方で過ごしていくんだろうけど、今回やたらプラス思考で過ごしてきてとっても楽だった。とにかく前向きな良い事ばかりを考えるだけで、小難しい事はほとんど考える必要がなかった。プラス思考で今回乗り切れたのも、ブログの皆さんからのコメントのおかげだった。今日は仏壇を見に出かけたりした為、ゆらの所には夜会いに行った。そうしたらミィが「ゆらがいる」と空を指差した。夫が「ほんとだ。星がいっぱい出てるね。一番明るいのがゆらだね」と答えていた。ゆら、ちゃんと魂が元いた場所に戻れたんだね。ゆっくり休んで帰っておいでね。ママは今回帝王切開での出産だったから、一年間は妊娠出来ないんだよ。だから、一年はゆっくり休めるよ。ゆらの入院時に、ゆらの回復を祈って千羽鶴を折りかけていた。最近思いついて、看護師さんの申し送り等でゆらに面会出来ない少しの合間にしか出来なかったからまだ50羽位しか折れていないけれど、それを仕上げる事にした。今度は、ゆらが戻って来てくれる事を願って…。
2006年08月09日
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ゆらを天に昇らせてあげるためお山に送ってからは、ゆらの体自体がそばにいない事で少し妙な感じで現実感がなくなり、大きな感情の揺れが減り涙も減りました。泣く事が減るのはゆらへの想いが薄れていくようで嫌ですが、その代わりボーっとゆらの事を考える時間が増えました。お山にいるゆらの事を考えると、「掘り返してもう一度会えたってどうにもならないんだよなぁ…」などと思ったりもしますが、ダライラマが「死」について語っていたように【死とは古くなった服を脱ぐようなもの】だとも思えます。ゆら、新しいピカピカの服を着てまた早く会いにきてね。今、心残りはゆらの顔を見ながら絵を描いてあげられなかった事。これはゆらにしてあげたかった事というより、私自身がしたかった事。見つめながら絵を描く事で、ゆらの姿を心に刻みたかった…。昨日ゆらを見つめて夜更かししていると、夫に「休んでおかないと明日ちゃんと送ってあげられなくなるよ」と言われて、そんな事になっても嫌だったので、多分「朝起きたら描いてあげよう」とでも思って横になった気がします。疲れの為思っていた時間より遅くに目が覚め、結局は葬儀に向けてバタバタした為絵を描いてあげる事が出来ませんでした。そして、疲れやショックの為食欲が全くなかったのですが、夜からは路線変更しました。しっかり食べてしっかり休む。出続けるか分からないけれど、出来れば6ヶ月位まではおっぱいを搾ってゆらに供えて飲ませてあげたい。お供えといえば、埋葬の時にとりあえずの墓石を乗せその上に果物・パン・赤ちゃん用お菓子を供えたのですが、夕方おっぱいを持って行ってあげたらおみかんだけが残ってあとは綺麗になくなっていました。ゆら、お腹空いてペコペコだったんだね。そして、おみかんは嫌いなんだね。ゆらの事がまた1つ分かって嬉しかった。
2006年08月09日
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辛い内容なので、読むのが嫌な方はどうぞスルーして下さい。自分の気持ち、出来事を残す為に日記をUPしていっています。ごめんなさい。お昼前にゆらの葬儀を行い、ちゃんと送ってあげる事が出来ました。昨日NICUの担当看護師さんだったKさんが冷凍母乳を持ってきて下さって、それをお弁当に持たせてあげました。それに、沢山のおもちゃと絵本。綺麗なお花もいっぱいいっぱい入れてあげました。自宅の庭の花も。お布団はミィのおさがりのバスタオル。おうちの匂いが少しはするかな?安心出来るといいな。お棺はゆらの体の大きさに合わせて、大工である私の祖父が作ってくれました。そして、お棺の上に保育器カバーをかけてあげて、お墓まで行く車の中では私が抱っこしてあげました。お寺さんから火葬でも土葬でも良いと言われ、小さなゆらの体を焼いてしまって骨がちゃんと残るのか不安だったし、熱い思いをさせるのも可哀相なので、土に返っていけるように土葬にしてあげました。お墓は家の裏山にある墓地にあります。夫の実家も私の実家も近いので、お互いの家のお墓も同じ墓地にあります。夫の家の墓地に埋めさせてもらいました。お地蔵さんを用意してあげないと…。お位牌や、ゆらにぴったりな可愛いお仏壇もいるね。そして、自宅もすぐそばである事がすごくすごく嬉しい。いつでも、毎日でもゆらに会いに行ってあげられる。それにしても、子供の頃から先祖のお墓参りに何度も上ったこの道。まさかこんな悲しい想いで上がる事になろうとは夢にも思いませんでした。ゆらが亡くなった時、泣いていた夫に向かって「ゆらはもうしんどい思いをする事はない。それに、私達もこれ以上辛い思いをする事はないよね」と励ましたけれど…もうゆらの頭をなでてあげられない事、手を握ってあげたり足をさすってあげたり出来ない事、ゆらが亡くなった以上とも言える位にとても辛い…。寂しくてしょうがなくて、お棺を閉じる前にいつまでも何回もゆらの頭をなで続けた。「寂しい」と言っては泣いてばかりいる私に、夫が「ゆらは病気の体で生まれて一生懸命毎日辛い思いをして頑張ったんだから、神様が『もう頑張らなくてもいいんだよ。短い一生だった分次はまたすぐに元気に生まれさせてあげるから』と言ってくれたんだよ」となぐさめてくれました。夫のその想いを信じて、「ゆら、お空でゆっくり休んで、またすぐにパパとママの所に生まれてきてね。またゆらに『パパとママの所に生まれていきたいな』と思ってもらえる様に、パパやママこれからも頑張るからね。生きて会いに来てくれてありがとう」と頭や顔をなでながら声をかけた後お棺のふたを閉めてもらいました。でも、もう、今すぐにゆらに会いたい。もうどうしようも出来ないけれど、この想いだってどうしようもない…。可愛いゆら…。大好きなゆら…。せめて夢に毎日出てきてくれたら、と思う。ママは、ゆらが大好きです。
2006年08月09日
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ゆらは「諭教孩児(ゆきょうがいじ)」になりました。「この子から学びましょう」というような意味合いだそうです。まさにゆらにピッタリです。頑張って、頑張って、頑張り尽くしてくれました。みなさんの応援、とても心強かったです。落ち着いたら、またゆらの頑張りを聞いてあげてください。ありがとうございました。
2006年08月07日
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ご心配をおかけしたままでごめんなさい。まだまだ状態が落ち着かず、病棟内にあるファミリールームというソファーがあり休憩出来るお部屋をお借りして、あれからずっと泊まり込んでいます。この先どうなっていくかまだまだ油断は出来ませんが、30日に面していたかなりやばい命の危機からは脱しました。が、8月1日の朝には小腸も破れ、念願だったうんちはお腹の傷口から出てきました。レントゲンを撮るための造影剤も、腸液もどんどん傷口から出てきます。腸液に含まれるカリウムも一緒に失われるせいなのか先程から心拍数が下がり気味で(100台)、禁断のカリウム点滴が始められました。そんなこんなですが、なんとか無事に1ヶ月の誕生日(1日)を迎える事が出来ました。ゆら、頑張ってくれてありがとう。今日(2日)は私の産婦人科の1ヶ月健診ですが、ゆらを取り上げてくれた先生に悲しい報告をせずに済みそうです。良かった…。さぁ、ゆらを励ましに行ってきますね!
2006年08月01日
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一つ前の日記をUPした後保育器カバーを作っていたら、先に病院へ行っている夫から電話があり「先生から夫婦揃って話を聞いてもらいたいと言われたので早めに来て」との事。良くない話…??怖い…。病院へ着くとすぐに主治医の先生方に呼ばれて、「血圧も不安定で呼吸も落ち着かない。腹膜炎になっていて炎症反応も強く出ている。先の事を考えたらその場しのぎの手術はしたくない。かといって、血圧が安定しないので交換輸血という手も使えない。望みは捨てていないけれど、ゆら君を元気にしてあげるいい方法が見つからない状態です」と言われました。「手術中に知らないおじさん達に囲まれて最後を迎えるのか、パパとママと一緒に過ごせるのがいいのか、ゆら君の立場に立って、ゆら君自身の尊厳を守ってあげながら、あとどの位辛い思いをさせるのか等考えていきましょう」と…。望みは捨てていない…でも、覚悟を求められている??先生の言われた話の内容は把握出来ても、この話し合いが意図する所が理解出来ない私…。物事を察する能力がニブイのか…。先生いわく、経過&今のゆらの状態の説明をしておく、という形らしいけれど内容的にはかなり厳しい…。「今日は何時まででもいてもらっても構いませんよ」と言われた私達。帰るのが怖くてゆらの側を離れられない私達。もうこんな時間。本当にいつまででもいていいのだろうか。そんな事言うとずっといますよ。
2006年07月30日
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家で手を洗う時、ついついひじの辺りまで洗ってしまいそうになります。すっかりNICU仕様の私になっています昨日のゆら、肺の調子が悪く(レントゲン上では左肺が真っ白だそうです)呼吸が苦しそうでした。呼吸器の、回数や酸素濃度の数値を変えながらやっと落ち着ける、という感じ。そして、更に良くない知らせ。ゆらは十二指腸の手術箇所を刺激しない様に(胃から十二指腸へ物が流れない様に)、胃から内容物を出す為のドレーン(管)を入れてもらっていました。が、それがどうも胃から抜けてしまっているようです。「胃に穴は開きっぱなしになるけれど、今また手術をしても回復はあまり良くないだろうから…」と、そのまま様子をみるとの事。胃の内容物は、口からも胃に管が入っているので、引き続きそちらからのみ出していくようです。炎症反応の数値(CRP)も上がってきているようです…。うんちも出ず。良くない事ばかりを聞き、何をどう前向きにとらえていったらいいのか全く頭が働かないけれど、そうするしか私達に出来る事がないのなら、絶対治ると信じてゆらを励ましていってあげたいと思います。それにしても、ゆら、過酷な人生を選んで生まれてきたな~…。私に何が出来るのか分からないけれど、しっかりサポートしていってあげたいな。私は、人は大体みんな生まれる前に自分の人生のプランを立ててからこの世界にやってくる、という考え方を信じています。今日のゆらの様子はどうかな?気になるけれど、いつもの様にお昼から面会に行けません。パパがお仕事お休みの日なのでお昼から行ってくれます。で、私は看護師さんから頼まれた<保育器カバー>作り。頑張って作って、それ持ってゆらに会いに行くぞーーー!
2006年07月30日
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お昼過ぎに面会に行った際に「再々手術を行うかどうか検討していたけれど、血液検査の結果が良く(輸血をしつつですが血小板等の数値が上がってきました)体調的に上向きなので、輸血も一旦止めてみてしばらく様子を見ようと思います。傷の付き自体はやはり良くなく、うんちも出ていないという事から見ても腸の動きも良くはないのですが…(←炎症の影響らしいです)」との報告を受けました。血液検査の結果が段々良くなってきたとの事でちょっと安心。傷が付いてくれてうんちもちゃんと出てくれたらおっぱい始められるのにな~と思います。今は十二指腸を刺激しない様に胃の内容物を管で口からとお腹からとで出しています。だから腸への刺激があまりなくうんちも出にくいのかな?先生に尋ねてみると、「おっぱいをあげてみて腸に刺激を与えるという手もあるにはあるけれど、もし手術箇所から漏れたら大変な事になってしまうので、賭けに出るような方法は避けたいと思っています」と言われました。それはそうだ。夕方には院長先生&小児外科の先生方の回診がありました。そして、長い話し合いの結果とりあえずの方針(↓)が決まったそうです。その話し合いの間先生方に囲まれたゆらは泣きっぱなし…。NICUの外の廊下から見ていると、呼吸の異常を知らせる赤いランプが光り続けていました。回診後にゆらに会いに行くとうるうると涙目。怖くて沢山泣いて疲れたのか、少し頭をなでてあげるとすぐにグッタリと寝ていきました。<主治医N先生からの説明>院長先生いわく「今手術をするのは得策ではない」という事で、手術は見合わせ。圧倒的に栄養が足りていないという事で、今までの糖とアミノ酸にプラスして脂肪も足していくという事(栄養が足りてくれば傷の付きも良くなるだろう、と)。炎症が起こっている時に脂肪を入れると炎症がひどくなる事があるので一般的には行わない処置だが、今回は危険をおかしてでも栄養重視でいきますとの事。炎症反応がきつくなれば抗生剤を入れていきます、と。炎症は、やはりどうも十二指腸から空気が漏れているからのようです。でも、手術はしない方がいいからどうにか傷を治す方向でいくようです。先生方もゆらの頑張りに賭けています。ママも信じています。皆さんの励ましのおかげもあり、強い気持ちで前向きに信じる事が出来ています。ゆら、こんなにも頑張れるんだってところを先生方みんなに見せてあげて!晩には脂肪の点滴が始められていました。N先生からの説明を聞く前に新しい点滴が増えた事に気が付いたのですが、何の詳細も記されておらず色も白っぽく濁っている。全然黄色っぽくはないけれど「これ何?おっぱい!?」と少し期待してみて、説明を聞きぬか喜びだった事を知る…orzあぁぁぁ、おっぱいをあげられたらもっと安全に栄養を与えてあげられるのに!早く傷治ってくれないかなぁ…。
2006年07月27日
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いまだに全く母乳の進んでいないゆら。栄養状態が悪いせいで縫合箇所の付きが良くありません。「レントゲンで確認した所空気の漏れはないけれど、ぴったりと傷がふさがっている様な状態ではなく少し穴が開いていると思われます。再手術も検討していて、様子を見ている所です」…と、今日先生から報告を聞きました。今以上にゆらの体のどこをどういじるというのでしょうか…。ゆら、生まれてから毎日ずっと頑張っています。「ママは生まれてこのかたこんなに頑張った事はない」と思う位に。手術をして頂いて以降のゆらの頑張りを目にして、「頑張るのが辛かったらもう頑張らなくてもいいよ」と思う事が最近あります。もう何が起こっても全てを受け入れられそうな自分がいます。ひどい親なのでしょうか…。それでも、頑張ってくれるゆらがいる。それでも、ゆらに会いたい。明日ゆらに会えるのがすごくすごく待ち遠しい。
2006年07月26日
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久しぶりにPCからの更新。携帯からの更新にすでに慣れてしまって、なんだか違和感があります。が、タイピングは変わらず出来る事にホッ…。前回気がかりな書き込みをしたまま次がなかなか更新出来なくてごめんなさい。ゆら、毎日頑張ってくれています。手術した箇所からの空気の漏れはみられません。ですが、血圧や脈は安定していておしっこも良い感じに出ているものの、輸血をしても血小板や白血球の数値は上がりにくく(傷の治りが遅い)、黄疸の治療をしてもあまり改善がみられない、そしてCPRという炎症反応も上がりつつありバイキンに押され気味…という事を考慮されて、昨日は交換輸血が行われました。小さい体からゆらの全身の血が抜かれつつ、どなたかの元気な血がゆらの体の中へ…。元気になる為の処置だと分かっているけれど、産んだ身としてはなんだか複雑な思いがしました。けれど、この処置だってゆらの血圧が安定している状態でないと行えないとの事。処置して頂けて本当に良かった。どうかこの元気な血のおかげでゆらの体調が上向きになっていってくれますように…。今、私の気持ちは大きな悲しみと大きな喜びでほぼ満たされています。ゆらが小さな体で痛い事、苦しい事、家に一緒に帰れない寂しい事…一人頑張ってくれている事を考えるととても辛いです。それは、私達親が現実を受け止める事が出来ている出来ていないという事とは別に、親として、人として、ただただ辛いです。でも、喜びもあります。家族から、お友達から励まされ支えられている事が実感出来、本当にありがたく思います。先生、看護師さん達からも心配して頂いたり、励まして頂いたりと良くして頂ける事に頭が下がる思いです。そして、一番の大きな喜びはゆらに会える事。生きたゆらに会える事。今、一番幸せな時です。人から「毎日病院に通わなくてはいけなくて大変ね」と言われる時もあるけれど、通えるという事が本当に嬉しいです。それから、今思う事は「体が2つ欲しい…」です。面会時間の間中ゆらのそばにいてあげたい。でも、そうするとミィのそばにいてあげられない。退院後の今、夫の実家にお世話になっていて、ミィのお世話も義両親にお願いしています。夫から詳しいゆらの状態を聞かされていない為、義父はいつも「もっとミィのそばにいてあげたらいいのに」的なニュアンスの事を出掛けようとする私に毎回こぼしてきます。そして、ミィに同情して辛そうにしている姿を私に見せ、ミィに対しては「ママがそばにいなくて可哀相だから」と甘やかし放題です。ミィを置いていく事、一番辛いのは私です。連れて行けるなら連れて行きます。甘やかされ放題で、人を叩いても叱られていないミィの事もとても気がかりです。私が入院している間に「ミィ様」に変貌していました…orzそんなこんなで諸々気になる事があったので、事情をきちんと話しておくべきだろうと思い、昨夜私達夫婦と義両親とで話をしました。話を聞いて泣く義両親。泣きたいのは私達だよ…。今朝も今にも泣きそうな状態でいる義父。私を見るのも辛いのかあからさまに避けている様子。つ、辛い…。優しいのは嬉しいけれど、こんな状態は今の私には辛すぎる。ここにいると気持ちが駄目になりそうです。家事をしてもらえてミィの面倒も見てもらえているけれど、それでもここにいたくない気持ちがどんどん強くなっていきます。ただのわがままでしょうか…。でも、ミィのしつけに関しても妥協したくない。きっとこれから先のミィの為に良くないと思うから。一日二日の事ではなく、長くお世話になるからこそ考えてしまいます。どちらかというと、私の両親に力になってもらいたいというのが本心。私達夫婦で頑張って、それでも手が届かない所をフォローしていってもらえたらと思っています。が、今ですら病院への送り迎えをしてくれている母、再々面会に来てくれる父。これ以上負担をかけてしまっていいものか…と悩む所もあります。でも、優しいだけではなく、強く前向きな両親には夫婦共々いつも励まされています。私の妹は過去に命に関わる大きな手術を受けました。それを乗り越えてきている両親。きっと今の私達の気持ちに一番近く寄り添ってくれているのだと思います。「みんなゆら君の応援団なんだから!」と言ってくれ、毎回ゆらに力強くエールを送ってくれる事が本当にありがたく、私達の気持ちまで前を向かせてもらえます。昨夜義両親と話をした後、夫と二人で話をしました。自宅へ戻ってみよう、と。義父がミィに対する態度を変えてくれないのならば、ミィを預けるのもやめてみよう、と。どうなんだろう…。ミィを預ける事が出来なければ、病院へミィを一緒に連れて行けばNICUへ入れないミィと一緒に部屋の外から、廊下からの面会になってしまう。一緒に病院へ行ってくれる母にミィをいくらか見ておいてもらえる様に頼んでも、多少なりとも面会時間は減ってしまうのだろう。ゆらは、それを許してくれるのだろうか…。それとも、今のゆらの状態を考えてゆらの事を一番に考えてあげるべきならば、ミィの事を含めその他の事にはこだわらない様にして今の状態を続ける方がいいのか…。どうしたいのかは決まっている。でも、どうすればいいのか…難しい。とにかく、「自宅に戻るなら食器洗浄機が欲しい!」と強く思う(><;
2006年07月24日
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前の日記をUP後すぐに、18時から始まった手術が終わったとの事で術後の説明&面会に呼ばれました。前回胃に穴が開いたと思われふさがれた箇所が実はギリギリ十二指腸側だった事。弱っていた部位だった為、同じ箇所からまた少しずつ空気が漏れていた事。十二指腸の壁が弱ったのは潰瘍が考えられる事。弱っていた部位は切除したものの場所が場所なので縫った箇所自体あまり強くなく十分ではないが、今回出来うる限りの処置をして頂いたとの事。上記の事を話して頂きました。説明を受ける前に考えていた「穴が開いたりふさいだり…いたちごっこの様な事がいつまで続くのだろうか…」という疑問の答えが聞かずとも得られました…。先生から「何か質問がありますか?」と聞かれた時、私は「気になる事はあるけれど返答を聞くのが怖い」と思い何も言わずにいました。すると、夫の口から「今回手術して頂いた箇所がうまく閉じずに今度漏れたらどうなりますか」と…。先生からは「外科的処置はこれ以上施せません。空気等が漏れる事で腹膜炎が考えられますが薬で対応していくしかありません。それでも、原因の穴がふさがらない限り改善のしようがありません」との答えが…。聞いていて涙が止まりませんでした。だから聞きたくなかったのに…。夫を見ると、彼も涙を流していました。自分が泣く以上に切なくなってしまって、思わず彼の手を握り「大丈夫!ゆらは頑張ってくれるから大丈夫!」と励ましました。これ以上もう、どうか誰も辛い思いをしませんように!…そういう想いでいっぱいでした…。ゆら、頑張って!頑張って!絶対もう空気が漏れない様に頑張ろうね。十二指腸の穴がふさがる様に頑張ろうね。主治医の先生からも「強い子だから頑張ってくれると思います」と言ってもらえたゆら。どうか、どうか頑張って!!ママを置いていかないで!!ママのそばからいなくならないで!!可愛いゆら…大好きなゆら…ママもう一生お小遣いなくていいから、そんなのなんでも我慢するから、どうか乗り切ってゆらは生きていて…。看護士さんからは「ゆら君も頑張ってくれているし私達も頑張るので、ママも一緒に頑張りましょう」と言って頂いた。私は…何を頑張ればいいんだろう…。ゆらの辛さは何も引き受けてあげられない…。夫が言う様に、信じて応援してあげる事が私達親の出来る精一杯の頑張りなのだろう。出来るだけゆらのそばに付いていて、ゆらの頑張りを信じて見守っていてあげよう。皆さんに心配して頂いた私の体だけれど、ミィのもとに戻れる余力さえ残るならもうどうなってもいい。だから、ゆら………お願い…お願い…!!
2006年07月18日
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※頂いたコメントにお返事も出来ていないまま新しい日記をUPしてしまって申し訳ないです…。本当にゴメンナサイ!!私の話→今日、採血&内診をしてもらった結果明日の退院が決定!ばんざ~~~い!これで大分ミィと一緒にいてあげられる様になる…。診察の際先生に気になっていた事を相談。羊水検査の確定の結果が出たそうで、ゆらは21トリソミーでした。何日か前に仮の結果をたまたま知ってしまっていたし、産む前の所見説明の時にも「可能性がある」と言われていたので、特に驚きもなく。で、気になっていた事…。染色体異常はまれに遺伝だったりするそうで、ゆらはどうなのかな、と。もしも遺伝だったら次の子の事は慎重に考えないといけないなぁと思っていました。もう子供に辛い苦しい思いをさせてしまうのは嫌なので…。でも、羊水検査ではどのタイプの21トリソミーかまでは調べられないとの事。そして、ミィには異常がないので多分心配しなくても大丈夫だと言われました。「気になるなら妊娠後にまた羊水検査をされてみては…」と言われたけれど、いやいや、授かった命をどうこうするつもりは全くないんですよ、先生。そして、先生からやんわりと「次の子の事はしばらく考えなくても…」みたいな話が↓。「お子さんの余命もまだまだあるだろうし、育てるのも大変だろうから」、と…。余命…?絶対大丈夫だと信じているのに、余命…!?考えたくなかった事なのに、考えない様にしていた事なのに…。部屋に戻ってから涙が出ましたよ…。その後、ゆらの面会に行くと小児外科の先生が来られていて「今から手術をさせて下さい」と。またどこかに穴が開いてお腹の中に少しずつ空気が溜まってきているらしいです。多分そのせいで炎症反応が出始め、血小板や白血球の数値も下がってきているのだとか。今以上に容態が悪くなると手術すら出来なくなるので…と言われたので、夫が病院に到着するのを待たずに手術を始めもらう事に。説明を聞いている間に既にゆるんでいた涙腺から涙が…。壊れそうな程奥歯を噛みしめてもこらえられませんでした。ゆら、ごめん。でも、大丈夫!絶対大丈夫!!ママすぐに泣きやんだよ。絶対大丈夫だって信じられてるよ。大丈夫…大丈夫…ゆら、頑張って!!
2006年07月18日
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