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先週、チョコレートの摘み食いが多かったせいか、ウエストが広がり気味である。しかし、チョコレートの魅力には勝てない、目の前にあれば、つい伸びる手、、、チョコレートをなめていて、ふと思い出した。ロンドンで、チューブを待っていると、ホームで3人の2m近くもあるブラックの若者が、何やら話している。英語ではない。私の知らない言語だったので、<あなた方が話しているのはどこの国の言葉?>と聞いてみたら、ガーナ語だと言う。日本には、ガーナチョコレートという名のチョコレートがあると話すと、<Really?Great!>と大喜び。調子にのった私は、<チョッコレート、チョッコレート>と歌ってみせたが、歌の最後は<明治!!>だった。確か、ガーナチョコはロッテだったはず、歌い終わった頃気付いたが、ま、いいか、どうせ彼らに日本語もわからんし、ロッテだろうと明治だろうと、わかりゃしない、と思ったのであった。
2005年09月25日
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窓から見えるは、すいかを半分に切ったような半月。中秋の名月も素晴しかったが、今日も半月も負けていない。あれがスイカなら、さぞ美味しかろう。ああ、窓の外を見て良かった、儲かった。
2005年09月24日
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先々週行われた事例検討発表会で、私の事例発表が選ばれ、11月に仙台で開かれる全国大会に出される事になって、天にも昇る気持ちだったが、中身を手直しして、もっと練り直して、全国大会にふさわしいものにするように、との施設長よりのお達し。なのに、2週間たった今も手がついていない。私の事例ではあるが、実際は、私が原作者、構成、脚本がもう1人のケアマネ、パワーポイントを作ってくれるのは若き新人ケアマネ、それに、主任も加わっての共同研究である。原作の手直しが済まないとその先に進まないのであるが、喜びの後の苦しみ、、、全然文が出て来ない。毎日、紙を前に考え込み、いつの間にか目はうつろ、脳みそは眠っている状態。ああ、明日にしよう、っとペンを置き、次の日は後悔、、、の2週間であった。いよいよ取り掛からないと間に合わない。よその事業所は1年も掛けて作り上げるという事例研究、なのに、我々が主任から発表事例を打診されたのは、予選の10日前だった。実際には1週間しかなかった。もともと付け焼刃だったこの事例発表、今、またお尻に火がついている。2週間前の喜びはこの苦しみの始まりだったわけである。のんきに楽天なんか見ている暇はないぞ、今日こそは作り始めなければ、、、その前に、景気づけにビールなんか呑みたいが、、、
2005年09月18日
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福岡より友人3人来たりて、4人で長崎市内のホテルに宿泊。昼頃ホテルにて集合、昼食は名物ちゃんぽんとの希望強く、新地まで100円電車で行く。ちゃんぽんと餃子とデザートの杏仁豆腐を食し、ぶらぶら歩けば、目に映ったのは千円ショップ。女4人の目は輝き、店の中にみなぎる熱気。特に一人が狂喜乱舞して、<可愛い、これも千円、あ~、これもいい、千円よ~>と、まるで、店のサクラのような台詞の連発。ネックレスと指輪を購入してルンルンしている。ルイヴィトンのバッグや1万円のTシャツを身につけてても、やっぱり千円ショップは欲しいのか。<このギャップがいいのよ~>との解説。私も買った、ルビーのピアス。私の場合は他の持ち物とこれの値段のギャップはそれ程ないが。今日はチェックアウトの後グラバー園、大浦天主堂。55年間の人生で、長崎は2回目だという、昨日の千円狂喜乱舞女は、何てロマンティック、素敵な長崎、、、と又喜んでくれた。そして、又別の千円ショップでいっぱい買い物、今度はグラバー園の中の喫茶店で海を見ながら水出しコーヒーを飲みたいそうな。後の2人も、彼女につられた行動はあったものの、比較的冷静、そのうちの1人は食い物のみに目が行って、おみやげは全て口に入るもので占められていた。一番冷静さを保っていたのが、一番若いMちゃんだった。無駄な買い物はしなかった。最後までバタバタして、何とか指定の列車に間に合い、彼らは福岡に帰って行った。楽しい時間はすぐ終わる。明日からは又仕事。又楽しい事をするために働こうっと。
2005年09月12日
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あらー、又夏に戻ったか知らん。車の中は爆発するんじゃないかと思う位焼けてるし、やっとクーラーが聞き始めた頃降りなきゃならないし、顔の右半分は心なしか左半分より焦げている、、、この暑さのせいで、もしかしたら私は残酷な事をしでかしたかもしれない。昨日の1時ごろ、一日の中で一番暑いころである、車でくねくねした農道を、担当のおばあちゃんのおうちを訪問するべく走っていたら、道に何だか黒くて長いのが撒いたようなものがあった。私はその、得たいの知れないものを避けてそっと走り抜けたつもりであったが、ちょっとだけ何か感じたのであった。そして、目の端に、それがヴァサヴァサーと動くのが見えたので車をとめて後ろをミラーで見たが、そこにはもはや何もない。暑さで茹だって、だらーっと道で昼ねでもしていた蛇君の尻尾のはしーっこを、我がタイヤでぶちーっと踏んだのは明らか。痛かったろうなあ。私達だって、小指を踏まれたり何かにぶち当てたりすると、凄く痛い思いするもんなあ。きっと、昼ねを邪魔され、しっぽは潰され、とんだ事だわィ、と怒ってるんだろうなあ。ごめんなさい、蛇君、以後注意します。
2005年09月02日
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嫌だ、腹が立つ、許せない、どうせ、もういい、きつい、苦しい、、、、どれも使うと運が逃げて行くマイナスの言葉ばかりだ。今日はこの全てを使ったかもしれない。明日はその結果が出るかも、、、。
2005年08月30日
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住環境コーディネーターの3級に合格した、ムフフ、ランランラン。別のケアマネも2級の合格だ。2級はとても難しくて3級の比ではないが、3級でも初挑戦で合格となればやっぱり嬉しいものだ。職場の皆からお祝いの拍手なぞもらって、2人で事務長に報告に行った。<良かったね、ウン、良かった。>その後<ところで、3級と2級、どっちが上かね?>と聞かれた。主任も昨日の大喧嘩も忘れてニコニコだった。忘れてはいないだろうが、どうでも良くなった様子だった。きっとハッピーが移ったのだろう。
2005年08月26日
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私よりずーっと若い主任が、私を怒鳴ったので私も怒鳴り返してやった。他のケアマネが、火の粉が降りかかるのを怖れたのか急いで帰った。その後もワリワリ怒鳴りあって、にらみ合って、私は壁のポスターを指差してやったのさ。それには、<人生の先輩に、なぜ、命令?>という、問いかけのポスターがはってある。特養やグループホームを併設する我が職場が、介護の姿勢を自分達自身に問いかけるためのポスターである。<人生の先輩をなぜ、罵倒?>ってアレンジしてやったら、<罵倒なんかしとらん>と云うから、<それは罵倒って云うったい>と私も罵倒した。<私を人生の先輩とも思うとらんやろうが、でも、わたしはあなたより20年近くもご飯を長く食べてるんだからね>って怒鳴ったら、<知っとるさ>と相手も怒鳴った。怒鳴っているうちに、喧嘩の原因が分からなくなってきたので、怒鳴るのはお互いに止めたのである。私も最近短期記憶が怪しくなってきたようだ。でも、それが便利な時もあるなあ。主任は私のHPを大体毎日読むのである。これを読んだら、自分の悪口を書いたな、と口惜しく思うだろう、へへーだ。いや、きっと、書いてるかどうか確かめるために、この<恐いなあす>を開いて、やっぱり書いてるな、と安心するのだろうよ。
2005年08月25日
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膝と腰のためにプールに行く事にした。と云っても、水中で歩行するだけ、後はお風呂とサウナが目的である。今日は2回目、10年前に来た時はスーッとしていた水着を思い切りひっぱり上げながら着用。あの頃のはやりだったハイレグ、抵抗あるがしょうがない。何やかにやがはみ出てないかチェックしてプールサイドを歩く。コロコロと太ったおばさんばかりがプール内を、横に広がって歩いている。どけてはくれない。聞くとはなしに入る会話の内容。<11時から初恋っていうとば見よるばってん、ヨン様はあの頃は脇役ばい。><ヨン様は冬のソナタの前はたいしたことはなかったらしかばい。><ヨン様の若か頃やろうね><そうやろうね>ヨン様ヨン様と連発しておられたが、いきなり<うちんたァ、買い物に一緒に行ったっちゃー、いっちょん面白うもなかばい><うちのともばい>と、いきなりうちんと、うちんと、と対象が変った。様などつけてはいない、自分の所有物だからなのだろうなあ。やっとプールから上がってくれた。その後はサウナでもしゃべっておられた。うちんととビヤガーデンにやら行かんばい、面白うもなか、との由だった。
2005年08月19日
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先週の日曜日、岡本知高のコンサートに行ってきた。本当は両親が行くつもりでいたのだが、父の知り合いの法事が重なったとかで、<お前、代わりに行けよ>という事で、棚ボタでチケットが手に入ったのである。母を車に乗せて会場に向かう。途中声を掛けても返答はなし。よくお眠りである。会場には駐車場がないので、近くにある厚生年金会館の駐車場におじゃまする。昼食をそこのレストランで食べるから大いばりで停めるのである。目が覚めた母は、<ビールば頼んどってね>と言ってトイレに行ってしまった。昼間っからである。私は運転手だから当然ダメ、母は中ジョッキを空けながら、<運転のあるけん、我慢せんばたい>と私に言い聞かせる。何も、そのビールをくれ、とも、自分も呑みたい、などと私は一言も言ってないし、思ってもいないのに。きっと、私にちょっと気の毒だったのだろう、いくら親でも。岡本知高の歌声は当然の如く素晴しかった。しかし、始まって30分くらいするとトイレをもよおして来た。私の席は真ん中に近い、こらえていよう、あと30分もすればきっと休憩だろう。しかし、尿意は遠慮会釈なしに強くなってくる、ああ、下腹が張る、膀胱はパンパンだ。いかん、膀胱炎を再発しては大変、、、意を決して、隣の席の中年男性に<ちょっと気分が悪くなって、、出たいんですけど>とささやいた。幾らなんでも、おしっこしたくなったとは言えなかった。歌が終わった、それ、失礼、とダッと席を立つ。廊下に出ると、若い係員の男性が驚いて駆け寄ってきた。駆け寄ってこなくてもいいのに、、トイレにまっしぐら、すっとして出たら、さっきの若い男性が心配そうにトイレの入り口付近でこっちを見て、又駆け寄ってきた。ああ、何て仕事熱心、、でも、幾ら中年の私でもちょっと恥ずかしいではないか。でも、彼のおかげで、又会場に忍び込み、今度は幾分後ろの、ドアに近い席に座る事ができた。おかげであとの2時間は快適であった。何しろ、回りの席には誰もおらず、右も左も私は荷物を置き放題だった。男のくせによくあんな黄色い声がでるもんだと感心しながらうっとりと聞き惚れ、後の2時間は安泰にゆっくりとコンサートを楽しむ事ができた。きっと母は又いねむりしていただろう。席が離れたから、これは想像であるが。ちょっとしたハプニングはあってもやっぱり生の声を聞けるコンサートはいい。岡本君は息が荒いのがわかったが、これも生だからこそ感じる事ができるのだろう。あれから1週間、今日は両親は博多座に歌舞伎観劇である。あさっても又宝塚の観劇に行くのだそうだ。来月はミュージカルだそうだ。合間では父は剣道と居合いで忙しい。何と元気で文化と教養に満ちた老後であることか。羨ましい。私は留守番、洗濯と掃除をしとこう。
2005年08月07日
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私が勤めている職場のパンフレットが出来上がったが、よく見れば居宅支援事業所の紹介コーナーは、まるで私が主役のような出来上がり。他のケアマネの顔写真はそれぞれ1枚づつなのに比べ、私はあちこちに登場して、にっこりと笑ったりしている。素晴しい出来上がりといえるだろう。うちの回りは高齢者の宝庫なので、このパンフレットは見合い写真代わりにばら撒く事にしようと思う。
2005年08月01日
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昨日はうちの職場である、特養ホームの夏祭りだった。うちの夏祭りは盛大で有名だ。敷地が広いから、庭に屋台は出る、やぐらは立つ、近所の人達や、入所者の家族が来る、8時には花火大会。バンバン上がる本格的な花火である。朝は豪雨だったのに、夏祭りの開催を待ったように空は晴れ渡り、職員は汗だくだく。膝がまだ本調子でないので、じっとしていられるように受付を受け持ってくださいとの、上司のはからいで、浴衣を着て受付嬢に徹したが、途中で座る事もできず、お客さんにピョコピョコ頭を下げ続け、足は悲鳴を上げていた。去年はそういえば、外でチケット売りで汗はかいたが、暗闇に紛れてビールを呑み呑み、途中でちょいと座ったりして、あー、去年の方が良かったわ~。まさか受け付け嬢がビール引っ掛けるわけにもいかないし、、、つまみ食いもできず、ニコニコに徹して数時間が過ぎた。ひょいと外を見ると、花火を見ながら知り合いがビールを呑んでいる。ニッコニコと声を掛けたが、向こうもニコニコして、お疲れさんと言うだけで、<ビールば、やろうか>とは言わない。ち、全く気の利かない男だぜ。浴衣褒める気があるならにビール呑ませろよ。打ち上げでも350cc1缶しか呑めずやっと家にたどり着けば、母が急に思い出して、<去年の浴衣のクリーニング代立替とったままやけんね。今年の分と一緒にもらおうかね>と言った。きつくて足が痛いときに聞くと、ガクッと辛かった。
2005年07月31日
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昨日は誕生日だった。朝、母が<今日はお祝いにレストランに行こうかね>と言ったが、<もう53回も誕生日やってるから、そがん贅沢する必要なか>と答えた。我ながら、堅実且つ親孝行な女になったものだ。メールを開くと、友人から誕生日おめでとうのメールが数件入っていた。昔のようにカードを貰う事は殆どない。勿論、イギリスにいた頃は何かにつけカードを貰っていたが、日本ではないに等しい。イギリスでの仁義は殆どカードを贈ればすんでいた。どこかに出かけたら、その土地の絵葉書を送るのが何よりも喜ばれたし、お土産の習慣はなし。気楽だし、何よりもお金がかからない。不幸があったら、不幸用のカードに寄せ書きして渡していた。だから、カード屋さんは街のいたるところにあり、売られているカードの数たるや、日本の比ではない。今は電話でおめでとうと言わず、メールでパッと来る。早い。勿論嬉しい。しかし、イギリスでもらった、ごちゃごちゃしたバースデーカードがなつかしく、たまに開いてみたりする、そんな時間はメールは与えてくれない。だが、そうさ、53回も誕生日迎えてて、カードがいいだのヘッタクレだの言う沙汰じゃなかろうさ。あと何年したら年金か、とそっちの計算する方が大切だ。何か先の方が短くなっているせいか、現実的過ぎていけない。お隣の女性は52歳で見初められて再再婚したと言っていたではないか。私もまだショボショボとなるには間があるはずだ。ますます女を磨かなければ、、、
2005年07月25日
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随分長いこと日記をさぼっていたなあ。昨日から研修である。一日目に昨日、諫早の文化会館まで車で行ったら、手術後の足にはちっと酷だったのか、夜には膝に熱持ち、腫れてきた。いかんいかん、もう少しで治りそうなのに。それで今日は父に送ってもらった。頼む時のことばは丁重だが、おかげで父は楽しみにしている朝の居合いの稽古の後のビールが呑めなかった。申し訳ないと思う。帰りはラッキーな事にこっち方面の人が車に乗せてくれ、家の前まで送ってくれた。ああ、良かった、人の親切は本当に有難い。明日もあさっても研修である。かっこつけずに杖ついて行こうかね。昨日はちょっと柄にもなく、恥ずかしいと思って杖も突かずに行ったのも悪かったかもしれない。そうよ、顔みれば若いと分かるしね。昨日は、杖のせいで年寄りが介護の研修に来てると思われるのが嫌だという、ちょっとした見栄が働いたもんな。そんな見栄張る必要ないか。
2005年07月16日
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ロンドンが酷い事になっている。8年前に渡英し、3年間すむうちに、その不便さに驚きながらも大好きになった街だった。最近は、イギリスでも何が起こってもおかしくないのでは?という漠然とした予感があったのは否めない。常にアメリカと仲良しだからである。次は日本かもしれないと、誰もが思っているのではないだろうか。爆発があった場所の近くには私が通っていた語学学校があったはずだ。学生達は大丈夫だろうか。ロンドンで助け合っていた友人からも、<ロンドンの友達は大丈夫かしら>というメールが来た。とてもよその国の出来事、人事とは思えない。アメリカは一刻も早くイラクから撤退するべきではないのか。人々の憎しみを煽っているのはブッシュさんじゃないのだろうか。トニーも小泉さんもアメリカの追従はやめとけ。テロリストだけが悪いんじゃないだろうが。
2005年07月08日
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7月1日金曜日退院。まだ杖がいる。6月22日に内視鏡を入れるまでは、半月板損傷の疑いであったが、カメラで覗いてみると、半月板は何の損傷もなく、代わりに鼠がウヨウヨいた。関節鼠と言うやつである。腰痛麻酔をかけられて下半身は全く感覚なかったが意識はしっかりしていたので、ドクターが画面を見ながら説明をしてくれた。自分の膝関節の中を見られる機会はめったにない。めったにあってたまるもんかとも思うが、やっぱり面白い。看護婦さんが、手術中の私の鼻の上にめがねをかけさせてくれた。めがねが少し斜めになっている。乱視なので、斜めになっためがねは、より目になりそうで調子が悪い。お願いして掛けさせ直してもらったら、今度はめがねのつるが鼻の穴に引っ掛かった。看護婦さんは、<あら>と言いながら、動かないめがねをひっぱたので、私の鼻の穴は、つるの端っこに引っ掛かって広がった。手術の途中で突然画面が真っ黒になった。<光源が入ってないよ、光源、光源>とドクターが叫ぶ、<どれがスイッチかなー>と看護婦さんが呟きながらスイッチを探している。オイッ、大丈夫か、この手術、内視鏡なのに画面は真っ黒、光源わからん、スイッチ知らん。で、私の膝に入ったカメラはどうなっとるのかい。あーだこーだと言いながら看護婦さんがいろいろやってたらパッと画面が映り、<アー良かった>とドクターが言った。良かったと思ったのは私の方である。最初3日の入院と聞いていたのに、実際は12日間だった。3日目なんて、まだやっとトイレに行っている状態、とても退院の沙汰ではなかった。ちょっと贅沢して個室で過ごしたのでゆっくりする事ができたが、5日目あたりから死ぬほど退屈だった。大腿四頭筋を鍛える為、椅子に座っているときはいつも足をまっすぐ上げて伸ばすように心がけでいたせいか、2キロくらい痩せた。儲かった。但し、支払いの時は財布をあける手が震えた。本日職場復帰。又以前と同じ、忙しい日々の始まりである。疲れた頃又どこかが故障するかもしれない。
2005年07月04日
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昨日用事で散々動き回ったが、夜も膝は痛くならなかった。治ったんだろうか。曲げても、伸ばしても、捻っても上に上げてブラブラしても痛くないぞ。よし、これから病院に行って、<痛くなくなったので内視鏡はしません>と云ってみよう。麻酔掛けて内視鏡して、あと後遺症が出たらどうする。やめよう、やめよう、きっと治ったのだ。でも迷いがある。インターネットで調べたら、半月板損傷の所に、<治ったように感じることがあるが、必ず医者の診断が必要>とあった。ウッ、そうよね、わかってはいたのだ、私もナースの端くれだったのだから。でも、何とか嫌なことはせずにすみたいと言う、逃げの根性が頭をもたげているのである。こんなのは悪あがきの典型であろう。今日のは内視鏡の検査、何も恐い事はないだろう。これまでさんざん大きくて痛い手術を受けてきたのだ。これくらいの事では逃げないぞ。そのために昨日ビールも昼間から呑んで、美味しいものもいっぱい食べたのだった,忘れてた。
2005年06月21日
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来週の火曜日から入院し、膝の内視鏡オペを受ける事になったが、これからもしばらくは杖のお世話になる事は明らかである。今使っている杖は、本物の木につるが巻いてあって、ニスが塗ってある。仙人様か魔女の杖のようである。別に嫌いではないのだが、うーん、やっぱり私には渋すぎる。どうせこれからも使うのならちょいとファッショナブルなのがいいな、と思い、出入りの福祉用具業者さんに頼んで購入する事にした。仕事中、何本かの杖を持って来てくれたが、いくら可愛くても杖は杖、持ってて若々しくなるわけはない。わかっている、わかってはいるが、つい、<若く見える杖がいい>と口から出てしまい、業者の若い兄ちゃんはモゴモゴと何か答えたが、よく聞こえなかった。自分でなかなか選べないので、デイサービスのスタッフに聞いたら、<絶対花柄の雰囲気ですよ、Sさんは>と言う。手に握って立って鏡で眺め、何だか私に良く似合いそうなブルーに黒の小さな花柄に決めた。<これにするね、半額にしてね> 値段も決まった。トイレに行く時はもったいないので、これまでの魔女杖を使い、これは利用者訪問とよそいき用にする、と主任に言ったら、<杖によそいきもトイレもあるもんねー>と言う。そして、<私はこの自然の木の杖が好き、そがんアルミの杖なんか買わんでよかったっちゃん>と、私の買い物に不満の意向を示す。しかし、退勤時、杖を2本も持てないので、1本持ってください、とお願いすれば、さっさと可愛いほうの杖を握って行ってしまったのである。
2005年06月18日
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半月板があやしいとの診断で、来週入院して内視鏡手術を受ける事になった。ゲッ、又か。これまで手術と名のつくものは5回もしている。12年前の大手術が最後だと思っていたが甘かった。大体、あまり気張って働かなくていいような体にできているらしい。数年に1回は大きな病気したり、手術したりしてきた。そのくせ、旅行や留学中は元気一杯だった。自分の好きな事している時は体が強い。仕事にかまけると病気する。2年半前、腰を仕事でコテンパンに痛め、退職したが、そのおかげで勉強する時間がたっぷりあってケアマネージャーに合格する事ができた。1年あまりせっせと仕事したら、今度は膝の損傷である。ま、いいか、来月住環境コーディネーターの試験があるし、入院中はゆっくり勉強できる。ただ、もしも、もしもであるが、万が一、麻酔が体に合わずに、手術から生きて帰ってこられなかったらいけないので、悔いが残らないように、入院の前日はご馳走を食べに行く事にした。何を食べようかと今思案中である。それに、若くてハンサムなドクターかもしれないので、顔パックしとこう。腹の肉を見られる恐れもあるのでちょっと腹筋してダイエットもしなくては、、、術前は何かと忙しい。
2005年06月15日
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両親が最近とみに耳が遠くなってきた。特に父は難聴の域に達しているが、面倒くさがって補聴器を使わないので、テレビの音が大きい。2部屋離れた所にいて電話をしても、父のテレビの音でよく聞こえなくくらいである。2人で会話している時は怒鳴りあっているように見える。本人同士は楽しく会話しているのだが、まるで喧嘩しているようだ。私が父に話す時も必然的に大声になるので、端から見ると、親に横着な物言いをしている娘のようだろう。又、年を取ると、食事中に昔の思い出話も多くなり、大声で、<なつかしかねー、こがんこともあったねー>等と言い合っている。父が<俺達がしゃべるときは唾の、よう飛びよるばい>と言った。母は、<よか、どうせ自分達で食べるとやもん>と言っている。私もその食卓に一応いるのだが、、、
2005年06月11日
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職場仲間でバーベキュー大会。ケアマネの1人が産休に入るので、彼女の壮行会である。朝は晴天、皆今夜の事で心ウキウキ。仕事さっさと終わろうや。私の参加が天に聞こえ、空はにわかに掻き曇る。仕事終了のその頃に、ぽつぽつ落ちる太い雨。あらー、降ってきたよ、今まであんなに晴れてたのに。そうさ、私が行くからさ。火がカンカン起こるころ、風まで勢い増して肉と共に食す砂。皆やけくそ、グイグイあおりゃ、雌トラの集団雄トラ制す。肉焼き軍団、的屋風情、片手にビール、片手に菜ばし。主役の妊婦はウーロンティー、<いいないいな、呑みたいな。>忍の一文字、主役は辛し。
2005年06月10日
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やっぱりあの日、動きすぎたのだ。今、又、杖の生活である。大体、足がこんなじゃなかったら、呼子に烏賊の活き造りを食べに行くはずだったのだ。それも、従姉の友人がご馳走してくれる予定だったのに、楽しい計画はオジャンである。おととい、その従姉の友人に電話して、今は動けない事を伝え、<来週受診で、ドクターに、呼子に烏賊食べに行ってもいいかどうか聞いてみます>と言ったら、<あらー、先生が烏賊は足に悪かけん行ったらいかんって云うかもしれんたーい>と言われた。いや、私はドクターに、遠出が大丈夫かと尋ねようと思っているのであって問題は烏賊ではないのだが、、、膝を悪くしてからこっち、今日も含めて空は抜けるように青い。仕事だけは休まずに杖をついてエッチラホッチラ行っているが、もともと行楽好きの私にはこの空の青さが恨めしい。足が治って遊びに行ける頃はきっと梅雨入りだ。烏賊の活き造りだって食べに行けるかどうかわからんさ。
2005年06月05日
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大変な事であった膝の内出血もどうやら治まった様子。一体何でこういう事になったやら。打った覚えもないのが恐いが、別に悪いものでもなかったのだろう。後は中にまだ少し溜まっている血液が吸収されてくればいいだろうとのドクターのコメントであった。もう安心である。10日程、杖を突いての通勤、遊びにも行けず、まことに大人しいものであったなあ。朝早く病院に行ったので、さっさと終わったらまだ10時半、家に帰っても、きっと暇である。この病院のある界隈には小型のバスが運行している。団地内や周辺を回る、ロンドンのチューブで云えばサークルラインである。可愛い絵のついたそのバスに乗りたかったのもあって、商店街にそのまま出かけていく事にした。バスは文字通り団地内をぐるぐると回るが、成程、こんな小さなバスじゃないと通らないはずだ。長崎ならではの曲がりくねった迷路の様な細い道が延々と続き、心の中でその風景にエキサイトしている間に、バスは大通りに出て、目指す商店街のある街に着いた。杖を突いてエッチラホッチラ商店街を歩けばバーゲンに当たる。おかしくてHPにゃ書けないような安い服を買って、又ぶらぶら行けば、何と、テレビの撮影があっていた。ありゃ、うっかりテレビに映りでもすれば、杖突いて遊んで回っているのがバレてしまう、さっとそこにあった小さな洋服屋に入ったら、又安くて実用的な服が下がっており、思わず購入。ああ、安くて気にいったのが買えてよかったわー。ふと、窓ガラスに映った自分の姿、髪が肩甲骨の下あたりまで伸び、前髪はデコにぴたんと張り付いて顔がでかく見えている。そのまま、また、杖歩行で行きつけの美容室に行った。<あのー、髪が伸びて老けてきたから、杖突いてても若く見えるようにして>と、自分勝手な要求して切ってもらい、トリートメントもしてもらった。すんだらスカッとして、やっぱりおしゃれは楽しいナ、ルンルンと心は軽い。同時に空腹を感じ、入ったレストラン、本日はビールが安い。中ジョッキ350円、小は250円である。昼定食と中ジョッキを頼んだら、ビールだけ先に来た。定食が来たころは、もうジョッキにあんまり入っていない、仕方ないので小を頼んだ。きっとこのレストランの思う壺だったろう。夜になったら、もう治癒したかのように思えていたこの膝がズーンズーンと痛んできた。やっぱり少し遊びすぎたか。反省。
2005年05月31日
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杖をついての出勤。杖は、20年ほど前に亡くなった祖母の形見のそれであるが、これが実にごつごつしたものである。どうやら本当の木を杖に作ってあるらしく、これを突いて歩く姿は、まるで漫画の中のゴウツクババアである。最近は髪が伸びてなびかせているので、これに黒い服を着てこの杖を突く姿は、これから貸した金を取り立てに向かう高利貸しの婆さんの如きであったろう。あと一回くらい嫁に行こうかなどと考える事もあるが、この姿ではとても貰い手が付きそうにないなあ。大丸に売ってあった、上から下まで一面花模様の、紫の杖を買おうかなあ。
2005年05月23日
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昨夜、お風呂に入ろうと、いつものように自室から階段をトントンと降りていこうとして、ふと右膝が曲がりにくいと感じた。降りてしまうと、いよいよ突っ張ってくるのが感じられた。おまけに腫れてきた。ナンダナンダ、この膝は。急いでシャワーを浴びたが、終わる頃には右足が着けないくらいに痛んできた。進行形で膝がおかしくなっている。どうしようか、救急で病院に行こうか、しかし、命に別状がある様子でもなさそう、時間外で高くつく、いろいろ考えて明日の受診を決めた。膝に湿布を張って横になったが、どうにも痛くて眠られもせず一夜苦しんだ。今朝は夕べにも増してパンパン膝である。主任に電話かけて、<仕事に行っきりませ~ん、かくかくしかじか>と訴えた。主任、絶句。なぜならば今日は我々ケアマネが1人たりとも欠ける訳にはいかない大事な会議のある日なのだ。ともかく受診せんね、はよ病院に行かんですか~!と主任に言われ、母からも、はよはよ行かんね、とせかされて、父の運転する車で近所の病院に向かった。父も他の病院受診の日だったので丁度良かったのである。車から降りるとき、父が<ついていこうか>と言ったが、この年になって老父についてきて貰うのは嫌なので、<大丈夫>と言い、かかりつけの病院に向かう父を見送って病院に入るが、バッグは肩からずり落ちるし、杖代わりの金剛棒は長すぎるし、よたよたしながら受付にどうやらたどり着いた。先生は私の膝のレントゲンを見て、<骨はいいですね>と言い、膝を見て、<ありゃ>と言った。<水が溜まってますね、抜きましょう>と言われ、チクンと刺されたが、先生は又、<ありゃ>と言った。<水じゃないねえ、血だよ>と言われる。でかい注射器2本分も血液が溜まっていたのを抜いてもらった。原因は何でしょうか、と問えば、<さー、わかりませんね、女の人は突然出血したりしますもんねー>という返事。そ、そんな、婦人科でもあるまいし、、、女とは、突然膝に出血するのもんかなあ。とにかく、火曜日にもう一度いらっしゃい、と言われ、又ヨタヨタと病院を後にしてタクシーで帰宅。タクシーの運転手さんは話好きで、いろいろと聞いてくる。膝に血がいっぱいだった、と答えると、<格好は若くても、若くない事もあるから気をつけて>と言われた。私が何歳なのか知ってもないのに、ご忠告ありがとうよ。帰宅後、結果を伝えるべく主任に電話すれば、迎えに行くから午後の会議には出てきて、と言う。無理です~と言えば、<あらー、ピースご飯ばあなたが好きやけんと思うて、持って来たとに。おかずも何やかやと持ってきとるとばーい>と、痛みに耐える私に、食い物をもって誘惑攻勢である。ピースご飯の誘惑に一瞬、心が緩んだ隙に話は決まり、主任が車椅子で迎えに来て、松葉杖を突いて会議出席という運びになった。会議室のドアを体で体当たりして開け、松葉杖を足に引っ掛けそうになりながら部屋に入れば、施設長やボスが、会議の椅子に座り、目を丸くしてこちらを見た。<あらー、大丈夫ですかー?>と施設長。大丈夫じゃないのを拉致されて来たのであります。約束どうり、ピースご飯は丼一杯あった。食欲と膝の痛みは関係ないらしかった。会議も無事終わり、ピースご飯も美味しかった。只、この膝だけが不気味である。
2005年05月20日
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オイ!そこの息子!お前だよ、お前!!お前さんがブロックしてるから、せっかく爺ちゃんが元気になるために、訪問看護だのリハビリだのって計画しようとしてるのに、一歩も進まないじゃないか。ガミガミ年寄りに言うだけじゃ駄目なのっ!こっちが、いくら若くてきれいなケアマネじゃなくても、そんな態度はなかろう。わからずやの、いらつき息子におべんちゃら言って機嫌を取るのは私の仕事のうちに入ってないんだからね。ケアマネじゃなかったら殴っとるばい。
2005年05月06日
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JRの今回の事故は酷かった。しかし、このニュースを知ったとき、私は、心の中で、<やっぱりこういう事が起こった>と呟いてしまった。2年ほど前、1週間、弟一家の住む西宮に出かけた事がある。この旅行の間に、私に降りかかったJRのミスが4回!予約していた新幹線に予約が入っていなかったのを皮切りに、悪夢としか言いようのない事が次々と起こったのだった。予約していた列車に予約はありませんと言い放たれ、急遽窓口で新幹線のチケットを往復で購入したが、帰りの日付が次の日になっていた。時間がなくてその場で確認しなかった私も悪いが、まさかこんな事が再度起ころうとは夢にも思わずその場を離れた私はプラットホームに付いて、ほっとしてチケットを見て青くなった。ホームにいた駅員さんにその旨を話すと、<新神戸駅で交換できますから>と言われたのでほっとして、新神戸でそのようにしたら、何と、<管轄がJR九州とは違うからできません>と言うではないか。2度あることは3度であった。それから私は高い電話料を遣って博多駅に電話、どうにかこうにか、帰りの予約を正しく取り直す事ができた。その後も、西宮から乗った列車の乗り換えの事で、駅員さん2人が全く逆の事を説明したり、福岡に帰った次の週の旅行の時も購入したチケットが違っていたりした。あまりにも酷かったので、私はその時、朝日新聞に投書したのだが、掲載はされなかった。速さの追求に追われて、大事な部分を見落としてはいないか、JR.今回の事故は、あの、ミスの連続を見ると、当然起こるべくして起こったと言いたい。亡くなった方々は、JRのいい加減さの犠牲であろう。
2005年05月04日
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仲良しの元同僚と、嬉野温泉に繰り出して楽しんだのは先週の日曜だったから、もう10日たった訳だ。ぬるぬるした湯に浸ったおかげで、この週はお肌ツルツルだった。今日は花粉でカイカイだ。温泉に入って、ビールを呑んで、あまりにも気持ちが良くて、頭がボーっとしていた。布団に早くから入ってゴロゴロ。テレビを観ていたが、あまり面白くなかったので、チャンネルを変えようと思ったが、リモコンに手が届かず。布団から出るのは面倒くさかった。テレビに一番近いところに寝ようとしているMちゃんに、NHKにチャンネルを変えてもらおうと、声を掛けたが、私の頭がぐらぐらなのに従って、舌も、さっと反応しなかったのだ。代名詞しか出てこない状況って誰にでもあることはあるが、<Mちゃん、あそこ見せて>と言ったら、その代名詞はあまり適切ではなかったようだ。2人は、信じられない事を聞いたような顔で私を見た。言葉に気をつけなければ、とは私はよく感じるが、やっぱり代名詞にも気をつけなければ、、、
2005年04月26日
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いろんなHP読んでたら、街で見かけた変なものというテーマに行き当たった。その中に、Tシャツか何かの背中に、仏という字をプリントしてあるのがあったが、それを見て私はある物を思い出した。ロンドンの繁華街を歩いていたら、向こうから日本語が胸にでかでかと書かれているシャツを来た男性が歩いてきた。目が悪い私が、近くに来たその文字をよく見ると、<原子爆弾で世界中の人を殺そう>と書いてあったのだ。何も知らずに、日本語はビューティフルだと言いながら買ったのだろうな。ブラックユーモアのつもりなのだろうか、これをデザインした人は、、、一体どこの国の人間がデザインしたのだろうか。幾らなんでも笑えない。追いかけて行って、<その意味知ってる?>って聞きたい衝動に駈られた思い出がある。
2005年04月24日
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昨日は昼休みも取らず仕事した。今日も頭が痛かったが休まなかった。私にしては何と真面目、生真面目、糞真面目ではないか。それ程やっているのに、何だか自分のしている事が気にいらない。自分の仕事に満足が持てない。いつも追われている感じがする。明日から、また元の、自分に甘くて人にも甘い私に戻ろうっと。仕事中に饅頭買って食べようっと、仕事中に海眺めてアフリカに行く夢見ようっと、以前のように、<ま、いいか>と呟こうっと。
2005年04月21日
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どうかいな、また、中国っちゃどういう横着っか国やろうか。たまがってしまう。そういえばロンドンで一度中国人の若夫婦の家のベビーシッターしたが、あきれる程がめつかったなー。でも、私の中国人の友人はもの凄くいい人、人格者である。今の状況で、日本じゃ暮らしにくかろう、同情に値する。3日ほど前職場の人達と行った居酒屋では、中国人の女の子がバイトしている。誰一人として彼女に石など投げる人はいない。日本だからこそ、この情勢の最中でも、留学生の中国人も安心して勉強できるのだ。これが逆ならどうなるか、想像にかたくない。どんな事されても、日本人は野蛮にはなれない国民だし、(そりゃ、一部には違う人もいるだろうけど)それを誇りとしていいと思う。好きなだけ暴れたら?愛国無罪なんてほざいていたら、いずれ自分達自身に、その破壊的精神が向けられるよ。
2005年04月19日
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入院中の、担当利用者さんのお見舞いと、ドクターのお話を聞くべく、長崎市内にある病院へ出向いた。10時きっかりに車をスタートさせ、すぐの信号で停止したら、ありゃ、なんとガソリンが殆ど入っていない。すぐ職場にUターンし、今度は満タンの車に乗り換え、再出発した。早めに出ておいて良かった。こんな事もあるのだ。一年前は、車で走るのなんかとんでもなかった市内の道だが、今は電車や他の車、バイクに挟まれながら、どうにかこうにか運転して行く事ができる。これも、ロンドンで運転を怒鳴り散らかしながら教えてくれた彼のおかげである。口惜しくて、<この、禿げめが>と日本語で悪態をついたこと、今は反省している。ただただ感謝の一念である。無事にお見舞いもムンテラも終われば、鳴るお腹。入院者をお見舞いして、その病院の売店を覗くのは私の趣味の一つ、特に、昼前となると手がパンやジュースに伸び、職場に帰ればお弁当はあるのに、つい、購入。帰り道、隣の車線のバスが、線を越えてこっちに出っ張ってきたくせに、私に対してクラクションを鳴らしやがった。サングラスの中から睨んではみたが、心に中では、<あー、恐ろしかー、何ばしよっとねー>と、戦々恐々であった。運転は恐い、運転は嫌いである。ケアマネも空を飛んでいきたいものだ。
2005年04月13日
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東京から大の親友がやってというので、船で長崎空港まで会いに行ってきた。家を出た途端大嵐になった。彼女は飛行機で無事着くかしらん、、、しかし、船もたいして揺れもせねば飛行機も無事着いて、我々は旧交を温めることができたのであった。しかし、彼女は素敵である。美人の上に知的で、スリムときている。私達は45年間の付き合い、親友である。めったに会えないので、前回あった時は50歳になる寸前だった、その前は30代の終わりだった。その度に、<今の私達の年代が女として一番素晴しい時よねー>とお互いに頷き合う、ある意味でおめでたーい女同士である。今年は夏にもう一度会う、と2人して決めた。<今年の目標よ、あなたが東京に私に会いに来る事、>と半ば命令的に言い、彼女はバスに乗ったのである。
2005年04月10日
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あー、桜が満開、山がピンク、川の傍もピンク、職場の庭にちっさな桜の一人前に開いている、腐っても鯛、小さくてショボショボしてても桜、仕事したくない気分にさせる桜。酒呑みたいぞー、と言ってもおかしくない雰囲気の桜の景色、浮かれケアマネ、ぐっとこらえて利用者訪問。
2005年04月09日
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住環境コーディネーターの検定を受けようと思い立ったのはいいが、夜、テキストを開く、あらー、字がよく見えない、百均の老眼鏡を、近視眼鏡の上にかけて、目をテキストに近づけたり遠ざけたり、いろいろやりながら必死で活字を追う。3べん読めば覚えたかしらん、と、ためしに問題を解いてみると、ちっともおぼえていないのが 判明。ああ口惜しい、子供の頃はそーんなに覚えが悪くはなかったのになあ。3べんで駄目なら5へん、10ペん、読むぞ、読むぞ、読めばいいんでしょう。ああ、私の脳みそも限界なのかも、、、脳みそも、疲れたり、使い物にならなくなった時のために2,3こ、体のどこかにあればいいのに、、、、
2005年04月06日
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ストレス解消、旅行が一番、でも金と時間なし。行ったつもりでハウステンボスに行く。着けば大雨、オランダ人楽隊による自転車バンドも中止。ずぶ濡れで入る美術館、偽物ながら素晴しき絵画を見てると出るあくび。チューリップは雨の中嬉しそう。ハウステンボスはオランダのコピー、しかしオランダより美しい。ロンドンからとても近いオランダ、だから2度行ったが、ハウステンボスはアムステルダムのように街の中にトイレの臭いなし。こっちの方がよっぽどいいかも。飾り窓の女はいない、お客さんは子供が中心。ほんとのオランダはもっとおどろおどろしい場所もあるよな~。
2005年04月03日
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あらー、あんた何わけわからん事、のたまいよるとね。誰に言よるとかいな、口ひねきらるるばい、あんまりのぼせなさんな。でも、私はケアマネージャー、利用者にもその家族にもお上品さを忘れずに、私の雇い主と私自身に泥塗らぬよう、内股で、顎を立てず、知性的な雰囲気を醸し出して、、、、う、苦しいよ~しいきらん、そんな事、でも1年した、限界かも、、、明日、あの爺ちゃんの息子に金蹴り食らわして職場を辞めようか。
2005年03月31日
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今日は職場の総会だと。5時半に仕事が終わって7時半から総会が始まる予定。6時15分くらいまで仕事が終わらないのが普通だから、要するに、家に帰る時間はないって事だな。それじゃ、しょうがない、と思っていたら、自分の担当の100歳近いおじいちゃんが発熱しただの何だので、結局総会が始まるまでの間、パタパタケアマネであった。退屈な総会を居眠りもせずクリアして、くたくたに疲れたからだでやっとこさ家に帰れば玄関は鍵が詰まっている。最近凶悪事件が多いので、常に鍵をかけておくように両親にやかましく言っていたのは、ほかならぬ自分ではあるが、今夜、それを実行されていたのがちょっとムカッと来た。総会では皆テンションが高く、<頑張ります>1色であった。それを聴いていて私はちょっと疲れたのだなあ。<遊んで暮らしたい>と心から思った。
2005年03月30日
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電子辞書を息子の家に忘れて来たため、息子が小包で送ってくれた。ああ良かった、この辞書は私の命の次に大事なもの。老眼で辞書を引くのが大儀になった今、電子辞書だけが頼りである。早速、<人間万事塞翁が馬>という意味を調べるためにスイッチをいれたら、いきなり、<鼻毛>ということばが出た。え、はなげ?いつの間に、、、この辞書はスイッチを入れたら、切る前に見ていたページがパッと出るようになっている。だから、前回何を調べていたかがいやおうなしにわかるという訳だ。いたずら好きの息子のしわざに違いない。私に送る前に鼻毛を検索してページに残しておいたという訳だろう。私にはお見通しである。
2005年03月24日
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きのうは大事だった、福岡の人達はきっとご飯も喉を通らなかったろう。息子達も恐ろしかったに違いない。それを思うと心が痛む。その話を主任としていた。主任のお母さんも、<あらー恐ろしかばい、又地震の大きかとの来たらいかんけん、早よ呑んで早よ寝らんば>と言って、昨日は4時からバンバン呑まれたそうだ。かなわない、、、
2005年03月21日
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掃除をはじめようとしていたら、突然ガタガタときた。あら、トラックが通ったかな、と思いきや、何もかもか揺れている。げー、地震だー。ここにいたら、天井近くまである本棚に押しつぶされるかもしれない、恐怖に慄いて外に飛び出したら、シーンとしている。何の音も聞こえない。なんだ、やっぱりトラックだったのかもね、とほっとして又家の中に戻ったが、ちょっと気になってテレビをつけたら、あらー、福岡が大変である。息子一家が福岡にいるほかに、今日に限って両親まで博多に出かけているのだ。電話は全然通じない。さっきのはその地震だったわけだ。掃除なんか意味がないではないか。やめて、何がともあれご飯を食べとく事にした。後で大変な事になって食べられなくなるかもしれないから、胃にギューギュー詰め込んだ。リュックに一応貴重品と下着や靴下を2日分づつくらい入れた。家の中にあるパンもありったけ入れた。ついでにビールも5缶くらい入れた。ネット配信の韓国ドラマも観ておかねば、、、と思い、パソコンとニュースの両方をかわるがわる見た。落ち着かない思いでいたら、やっと父から電話があり、皆無事だったという事がわかり、ほっとした。携帯が全然通じず、家の電話も駄目らしい。通じたのは公衆電話だけだったとの由。最近、携帯の普及であちこちの公衆電話が撤去され、数が少なくなっているが、こういう時の為にも、公衆電話はあまり減らすべきではないと思う。NTT、ちょっと考え変えてみて。
2005年03月20日
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仕事を終えて、ポルトガルギターとマンドリンのコンサートを聴きに行った。連れは母である。舞台にはポルトガルの写真のスライドが写り、ポルトガルムード満点だった。こんなちいさな町で演奏してくれた2人の奏者は、意外にも、映画やテレビドラマで使われた、耳なじみのある曲をたくさん作った人達だった。当然演奏もぴか一で、聞き惚れてしまった。ポルトガルには、数年前、ロンドンから3泊4日で一人旅行をした事がある。首都のリスボンですら、あまり派手な街ではなかった。でも、コトコト走る路面電車や、坂道の上から眺める、ビルとビルの合間の光景などが、長崎の光景とよく似ていたような記憶があり、初めての国という気がしなかった。おまけに、あそこは焼き魚の国、いわしの焼いたの等を食べたら、まるで日本の食堂で食べているような錯覚を覚えたのだった。夜はファドを聴きにレストランに繰り出せば、その音楽は胃が重くなるようなオドロオドロシイ演歌そのものだった。道では、サッカー選手という日本人男性に会ったが、サッカーに興味のない私は彼の名前も知らなかった。<女の人は、、、知らないかもしれないですね、、、>と、彼はちょっと寂しげに言ったが、私は、今ですら、彼が有名なのかどうか知らない。予約していたホテルの部屋がなかったり、ツーリストインフォメーションの女性の感じが凄く悪かったりと、いいことばかりではなかったが、今日のコンサートは、ロカ岬から見た、アフリカに続く群青色の海を思い出させてくれたのだった。演奏が終わり、それまでいねむりしていた母が、<素晴しかったね>と言った。
2005年03月18日
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久しぶりに仲良しの友人と会って食事。約束の場所に行ったらまだきていない。ぶらぶらと回りのショーウィンドを眺めながら待つ。何だか腰が痛くなってきたので、待ち合わせ場所のすぐ傍にある喫茶店に入っていたら、突然真っ赤な丸いものが視野に入ってきた。丸いものは、丸い者であった。コロコロと転がるように店に入ってきたのは、真っ赤なジャンパー着用者の彼女であった。コロコロして<ははは~>と笑いながら私の方に向かって来た。相変わらず良く笑うやっちゃ、、、彼女はのんきそうなその風貌とはうらはらに、向学心にあふれる頑張り屋である。ピアノを習い、英会話と中国語会話は独学している。会話の相手は家の猫だそうだ。猫は当然返事をしないから、猫の分まで自分が返事するのだそうだ。ご主人がいつもそれを聞いていて、<いっちょん会話の進みよらんやっか。おんなじ事ばっかり猫に聞きよるたい>と言われるそうな。<ね、うちの主人、こがん事言うてけなすとよ、歯がいかって思わん?><ピアノを聞かせてやって褒めてもらえば?><それがさ、ピアノ弾きよったら、滑らかに弾け、才能のある者はそがん引っかからんぞって言うとよ、歯がいかって思わん?>そ、そう、、、仲がいいねえ、、、私なんか、ピアノちょこちょこ弾いても誰も聞いてないしなあ、、、咳をしても一人、、、っていう句が思い出されたよ、あまりにも羨ましくて、、、
2005年03月11日
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インターネットのニュースを見て、あらー、あたまに来た。NHKの奴、あれだけの不祥事、金の無駄遣いをしたくせに、不払いには罰則ですと。盗人猛々しいとはこのことかい。払うもんか、ふざけんじゃねーぞ。テレビはNHKの職員さんにでもくれて上げますわよ。
2005年03月09日
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長崎の山間に立つ我が家の周りは忘れ雪で真っ白だった。にもかかわらず、母が5時から起きてばたばたしている。バスツアーで萩と津和野に行くとの由。<高速道路は無理やろうもん、バスは走らんよ>と言う私に、<よかよか、たぶん大丈夫やろう>と、何の根拠もなく、事を楽観している様子。テレビでは、福岡~下関高速道路不通、と云ってるのにポジティブであらせられる事よ、、、7時、真っ白な景色の中、ムクムク着込み、ピンクの春用の帽子を被って母は集合場所に向かうべく、チェーンを巻いたタクシーに乗り込んだ。どうせ、取りやめになるだろうと思っていたら、電話がなり、<バスは出るげなよー、行って来るねー>と母の声。へー、良かったね、信ずる者は救われる、でもないか、この場合の言葉は。晴れ女の実力勝ちだろう、もう晴れてきた。
2005年03月06日
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介護保険による高齢者の住宅の改修、払いは1割、、、家族にとっては蜜の味か、、、勘違いしているのは明らか。自分達の体格に合わせた大きなお風呂は、小さなばあちゃんが死んでから自分達で造ってくれ~。
2005年03月05日
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あら、今日はひな祭りばい、さっさとお雛様出して、すんだらさっさと押入れになおさんば嫁に行き遅れるげな、気をつけんばねえ、と、仕事中先輩が独り言を言った。<そうよねー、気をつけんばねー、でも、もう手遅れやろう>と、いらぬ事を口走ってしまった。この口が悪いのだ。これこそ気をつけなければ、、、、事務所に遊びに来たおじいさんに、お菓子をあげようとしたら、入れ歯を外していたので、フガフガとなり、ぼろぼろと口からそのお菓子の屑をこぼした。おじいさんが事務所に入ってくるなり座った場所は、ちょいとうるさい一年先輩の机の前だった。彼女の机はおじいさんのよだれがかすかに沁みたお菓子でざらざらになった。ちょうど彼女がいなくて、おじいさんはその場所にドカッと座ったのだった。私は親しみをこめてお菓子を口に入れてあげたが、何だか何もかもアダだった。今度から、人の口の中にお菓子を入れるときは、入れ歯がはまっている事の確認が必要である事を痛感した。気をつけなければ、、、
2005年03月03日
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人は自分の最期をどう迎えたいか。勿論、死の恐怖を感じる事なく、安らかに死に臨みたい、ときっと誰もが言うだろう。しかし、昨日の研修の中身にはチト疑問を感じた。安らかで、寂しさと恐怖を感じさせず死を迎えさせる事が出来る場所は、特養ホームに他ならない、といった内容に終始している研修だったが、ある意味、医療否定の危険性を孕んでいる内容でもあるような気がした。人にはそれぞれの哲学がある。死生論を論じるならば、他人の哲学も理解しようとする心の深さが何よりも必要ではないのだろうか。
2005年02月20日
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職場でトイレをもよおし、ドアを開ければ、そこに見えたのは人のケツ、、、キャーと叫んだのは、ケツを見られた人ではなく私である。ロックしてない人が悪い、それは明らかなのに、私の口からは<アーッごめーん>。何で私が謝る?しかも同じ人が、今日一日で2回も私からドアを開けられた。2回目は便座にお座りになっていた。今度は私も<ごめん>などとは口走らず、<パンツば脱いで座る前に鍵ばかけんねー>と、ドアの外から抗議した。本人はアラー、ハハハーと笑って中から出て来た。つい、自分の家の気分で鍵かけるのを忘れたとの由。女を捨ててるなあ、、、
2005年02月17日
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ああ、又風邪が移った。家ではまたまた父がガンガンと咳をしている。職場に行ったら、目の前の机のケアマネが鼻チュンチュンしている。そして彼女は妊婦だから、効き目のいい風邪薬はのめないと来ている。朝は平気だった。さっさと仕事できた。午後、日当たりの悪い、底冷えのする家へ訪問業務、おいとました時、私の体は冷え切っていた。完全に風邪ひいた。ティッシュの箱を、2人の机の真ん中に置いて、2人してひっきりなしに鼻をかむ。そうだ、こんな時はマスクしとかなくては、、、マスクは手に入ったが、中に挟むガーゼがなかったのでハンカチを折りたたんで使用していたら、廊下ですれ違った職場仲間が、驚いた顔で、<歯を抜いたとね~?>と聞く。鏡で見たら、中のハンカチが真っ赤な色だったので、ちょうど人でも食ってきたようにマスクが血みどろに見えたのが判明した。夕食時、母に<今日は風邪気味だからアルコールは抜いとこうかな>と言ったが、いつの間にか私に手には冷の日本酒が、、、父としゃべりながら呑んでいたらメートルが上がって、話題は小泉さんの悪口から世界のトイレ事情へと、上がったり下がったり、きりがない。<風邪ひいとるけんアルコールは控えとこうって言うとは誰ね!>と母から怒られた。
2005年02月10日
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