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Kさん帰る。あいにくの天気で、海が最高とまではいかなくて残念だった。私の運転する車に、よく乗ってくれたね、その勇気を讃えなくては、、、
2004年05月02日
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友人のKさん福岡より来る。これ以上書きたくないな。口にすると自分が自分で卑しく感じる。
2004年05月01日
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仕事な内容を覚えたり理解することの他に、私には、クリアしなくてはならない大切なことがある、それは運転である。海外で免許を取ったきり、日本では必要ないと考え、全くペーパードライバーだった。就職が決まってから、数回は教習所の外免コースに通ったが、あまりの下手さに、教官も驚いたに違いない。息子も呆れる程のハンドルさばきだったのだ。長崎は坂の街。車でないと動けない。ああ、恐い、怖い、こわーい!!
2004年04月22日
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今日は職場初日、緊張のあまり仕事中6回もトイレに行った。仕事も1年生、仕事に必須の運転も、ペーパードライバーからの脱却、そして土地勘のない場所、と3拍子そろった50の手習いだ。さ、どうなる事やら。この年になると、もうあまり自分に期待はしないものだが、ネを挙げて逃げるのは嫌である。うーん、あまり頑張りたくない自分と、チャレンジしようとしている自分がいる。恐いなあすというネームは返上しようかな。そんなどころじゃないもんなあ。
2004年04月21日
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今日はぶらぶら歩きの一日になりそうだ。メコン川クルーズに行くにはお金が不足。1人旅とは違い、あまり従姉が心配するようなところにもいけない。こちらに着いて3日目で、私は洪水のようなバイクや車の流れの中を向こうの端まで渡れるようになった。すいすいである。いい気持ちでいたら、何と、おみやげの入っている袋を紛失、もしくは置き引きされた。どっちなのか自分でもわからない。従姉に預けてトイレに行ったら、従姉の手からなくなっていた。彼女も覚えがない、私もない。ショックだったが、あきらめることにした。過ぎたことは忘れて昼ご飯を食べた。今日の夜は明日の準備である。
2004年04月15日
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朝9時から、4時間の半日コースで、市内見物である。ベトナム戦争証博物館がコースに入っていた。目をそむけたくなる記録が展示されている。むごいの一言である。しかし、目をそむけてはいけないのだ、これはつい最近まで行われていた事実である。人間はなんと愚かなものであろう。なぜ、アメリカは憎しみを産む事に終始するのだろう。人間でありながら鬼よりもひどいことを平気ですることができる。この場所にいる人々は一様に沈痛な面持ちで写真を眺めていた。しかし、そこを1歩出て、入り口ではピースサインでにこにこして写真を写している.彼らはもう忘れたのかもしれない、5分前に中で感じた、永遠に忘れるべきではない痛みを。
2004年04月14日
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仕事を始めたら、絶対と言って良いほど、取れない休暇。だから今のうちに遊んどこうっと。という訳で、今日からベトナム、ホーチミンへ小旅行である。従姉と一緒なので、あまり自由奔放とはいかない。いい男がいても、さっさと話し掛けるわけにもいくまいだろうよ。しかし、やっぱり楽しい海外旅行、私の生きがいである。着いた、ホーチミンに。暑いなー、わかってはいたけど。タクシー?、タクシー?と人が寄って来る。メーターかどうかをよくよく念入れて確認して乗り込む。目指すはサイゴン川のほとりにあるホテル。5つ☆ホテルである。いつもは安宿だが、今回は取れず、ずいぶん贅沢な旅となった。しかし、日本のホテルの相場からすると、5つ星でも安いと感じる。通りはバイク、自転車が沸くように走っている。ぶつかるかと思えば、ヒラヒラ、すいすいと車をかわし、うまいもんである。やっと着いたが、タクシー代は350円ほどだった。40分も走ったのに。安いなあ。今日から3日間、初めての国にいると思うとわくわくする。従姉は怖がっている。何が怖いことあるものですか、楽しいよ、きっと。
2004年04月13日
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やっと仕事が見つかった。親のうちの近くで仕事することになったが、これからが大変。これまでとは違った職種である。すべてなれないことばかり。でも、いつも<これがいいのだ>と思って進んでいこう。
2004年04月10日
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イヤー、夕べはよく呑んだ!息子のうちで缶ビール2本引っ掛けた後、2人で近くの焼き鳥屋に繰り出し、またビールを呑んだ。それも、息子払いの幸せな夜だった。話題は専ら、私の運転がいかになってないかに終始したが。それにしても、仕事って、なかなか、ないなあ、、、そもそも、施設内だけでの、ケアマネの仕事探すほうが無理かなあ。運転が恐いケアマネなんて、恐いなあすよりまだ需要がないんだなあ。最近は怒る気力もないなあ。
2004年03月28日
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何だかあやしかったパソコンが遂にいかれてしまった。これは息子のパソコンからである。そもそも、これを購入した時の私は、嘘つき女であった。店頭に、3台だけあった、中古の見るからに古いパソコン、<60歳以上のかたは29800円>とあった。財布の中にはあるのは3万円。店の若いお兄ちゃんに<私、60歳です>と言い張った。まじまじと私を見る若き店員君、、、そして、<はい、よろしいですよ>と言ったのである。パソコンは手に入った。あの時、60歳と言ったのを本気にしたのかどうか、彼に聞いてみたい気もするけど、騙されてくれたんだと信じていたい気もする。そして、嘘つき坊主の私はバチが当たって、もうパソコンを買い換えなくてはならないみたい。
2004年03月27日
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連日送っていたにもかかわらず、掲載されずに消えていた日記、私は正直、楽天に腹を立てていた。しかし、3分前に、試しに送ってみたら今回はちゃんと届いていた。摩訶不思議な現象、、、これからもちゃんと届くなら、前の事はもういいや、すんだ事さ!2週間前に面接していたある会社から、採用という連絡を受けた。万歳!しかし、大きな不安が頭をもたげる、、今度の仕事には運転が必須との事、しかし、免許は持っていても運転は全くのペーパーだった私、仕事を思い切ってし始めて、3時間後に事故で死んだりしたらどうしよう。なんと臆病な私、でも、私にとっては事は深刻。どうしても運転を福岡市内でできるようにならなくては。教習所に連日行く事にした。きのうは2時間の練習。交差点の真ん中で赤になり止まったら、教官から<行く!>と怒鳴られた。左折したら、ゴトンと左タイヤが歩道に乗り上げた。緊張の路上練習の後、構内で狭いS字の道を走る練習したら、又ガッタンとタイヤが落ちる。<崖なら死んでます>と言われる。ああ、どうしよう。この仕事断わろうか、嫌、せっかくゲットしたんだから、にげるのは嫌だ。今は怒るどころではない、戦々恐々、おびえるなあすである。24日の日記 (PM 02:22)> 息子の嫁が沖縄の女性のせいで、これまで興味のなかった沖縄音楽をよく聴くようになった。歌謡曲はたまに聴く事はあったが、節回しが独特で、歌うなんてとてもできないと思っていたが、嫁のふるさとの歌を、私も歌えるようになりたいと思い、最近はカラオケで歌ったりしている。沖縄音楽の真髄は素人の私には判る由もないが、陽気な中にもしみじみとした曲が多く、こういう音楽の土地から御嫁に来てくれたんだなあ、と思いをはせたりしてみる。子供のころから大の音楽好きの私は、44歳でイギリスに留学していた時、語学学校で友達になった人達に、彼らの国の民謡を日本語で歌ってみせ、驚かれたものだった。勿論彼らは大喜び、合唱したりした。若い人達と楽しく過ごせたのも、音楽が一役買ってくれたと思っている。タイトルは恐いなあすだが、最近は新しい仕事の事で頭がいっぱいで怒るどころではない。こんな時はやっぱり音楽、今は<花のカジヤマ>という元気で陽気な沖縄の曲をよく聴いて一緒に歌っている。さ、この後ハイサイおじさんを歌おうっと。
2004年03月23日
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試しに又送ってみる。さあ、掲載されるかね。おかしいもんね、楽天君。
2004年03月22日
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両親とカラオケ、3時間。母が、テープレコーダーを持って行く。<これに吹き込んで、後で聞くと、どこが悪いかわかるからね>と、あくまでも前進的な母、素晴らしい!父と母、知床旅情5回、琵琶湖周航の歌5回、坊がつる賛歌5回歌う、その他も、北帰行、ゴンドラの唄、、、、何回も歌う、全てテープに吹き込む。私が、イギリスで歌い覚えた英語の歌を歌ったら、<何の参考にもならんやろ、どうせ私達そんな歌歌わんし>と言って、ぱちっと消されていた。
2004年03月19日
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今日は仕事の面接だった。運転が必須の仕事なのに、運転に自信がないのがネック。断わられる予感を抱えて帰ってきた。運転免許を海外で取り、こっちに帰ってからは(車を持たないし)全く運転していない。便利のいい所に住んでいる為、又、これまで仕事に車は不必要だったため、とうとうペーパードライバーで過ごしてしまっていた。今 運転が必要となり、教習所にも通っているが、何というか、ハンドルを持つと恐怖ばかりが先に発ち、肩に力が入ってしまい、回りに気を配ることも出来ない状態なのである。なんというぶきっちょ!しかしこれからは怖がってばかりはいられない。何とかして運転をものにして仕事をゲットしなくては、、、11日の日記 (PM 11:12)長い事止めていたピアノを又習うことにした。50歳過ぎの再挑戦であるが、自己流で好きな様に適当に弾いていたせいか、すっかり指も崩れて、基礎からのやり直しが必要です、それでもいいですか?と先生が気の毒そうに尋ねられた。勿論、基礎からのやり直し、私の方からお願いしたいです、という訳で、子供の頃やっていた教本からのおさらいから始める事となった。気分まで、子供の頃に戻ったようにわくわくして楽しみである。指が時々こわばったりするので、指を動かすのにピアノは最適だと考えている。今日は怒る材料もない、楽しい一日だった。近くにあるスパに友人と行き、お肌はつるつる、後はビールといきたい所だったが、彼女の車で行ったため、今回は2人共ビールなしの風呂上がり。代りにブタ汁定食なんか食べてお腹いっぱい、ああ幸せ、、、後は、私の部屋にて、開設したばかりのホームページを彼女に見せびらかした。パソコンの扱えない友人は<凄いねえ、若い人みたいだねえ>と感心してくれた。そうよ、ピアノといい、ホームページと言い、私の周辺から見ると、<若い人がすること>なのねえ。
2004年03月10日
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今日、これまで腹がたってもぐっとこらえていた事がどんな事だったかなあ、と思い出していた。大体、腹の立つ事は忘れるに限るという主義で、記憶の底に封じこめている事が多かったのであるが、中には、怒るべきだった、我慢しちゃいけない、怒っていますと相手に言わなければならない事もいっぱいあったのだ。腹を立てて怒鳴るのではなく、相手に、自分はそんな事は許せない人間であると、伝えるべきだったのだ。その場の雰囲気を壊さないため、相手が気分を害するであろう事を恐れるあまり、自分を押さえていた。これまでに涙が出るほど腹がたった事、その筆頭は、なんといっても、イギリスで受けた人種差別である。アメリカ程ではないとしても、やっぱり人種の差別は存在する。目の前で、<最近有色人種がロンドンに増えて嫌だねえ>と言われた時の怒りは数年たった今でも忘れることはできない。なぜあの時、<あなたは間違っています>と言えなかったのだろうか。私は只、悔しさに口もきけず、身体を震わせていただけだった。それを言った人は去年亡くなってしまった。今でも、天国に訪ねて行って、彼にそう言いたいと思うのである。3年間の海外暮らしの中では、騙された事もある。その時は日本語で怒りをあらわにした結果、お金が戻ってきた。怒った時、へたくそ英語でふにゃふにゃ文句言っても馬鹿にされるだけ。母国語で思いっきり怒鳴り、怒っている事を伝える方が効果があるのを知った。今現在1番腹が立つのはイラクの戦争のこと。毎日毎日人が死ぬ。子供も死ぬ。そして、日本はその戦争に加担していると言われても仕方がない道を歩んでいる。一生懸命育てた子が戦争で死ぬ日が又来るような気がする。そんな私は、テレビで小泉さんを見ると腹が立ってしょうがない。
2004年03月09日
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ハローワークに行ったら、あまりの人の多さにびっくり!こんなに職を探している人がいるんだ、、、感心ばかりしておられない、自分の仕事探しはどうなる事やら、、2箇所の紹介状をもらったが、対応してくれた女性、なかなかの美人なのに、笑顔もない、声も小さくて暗い、いわゆるブスーっとした人だった。隣りの男性職員は声が大きくて、あんなに大きい声で話されるのも、人に聞かれたくない人は嫌だろうな、と思った。なかなか難しいなあ。 怒り日記のはずだが、今日は体調悪くて怒る気力がなかったなあ。そうそう、干しあがった池の跡に咲いていた水仙が凛としていて、それを見て何だか感動した。だから心に潤いがあったのかなあ。
2004年03月08日
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これは今日聞いた話し。3月1日のこと。隣人のIさん、75歳女性は、知人に貸したお金がなかなか返ってこないため、悩んだ末、無料弁護士相談を利用してみようと考え、福岡南区役所に問い合わせの電話をした。電話に出た若い男性に、又事情を話したIさんは、耳を疑うような返事を聞いた。<10万円貸して返ってこないなら、あなた10万円分働けばいいじゃないですか。>あまりの言葉に、相手の課と名前を聞くが、それには答えようとしなかった、と言う。電話の男性には自分の年も言ったと言う。老人が困って助けを求めているとわかっているのに、そんな正気とは思えない返事を返す区役所の職員がいるのだ。あまりの事に、隣人の私まで怒り心頭に達し、南区役所に電話してやったのだが、口だけで謝っていたとしか思えなかった。政治は老人に冷酷、だから行政で働く人々も冷たいんだろうか。彼女は解らないから電話して尋ねたのである。親切にしてあげて!特に老人には!ああ、腹が立つ!!
2004年03月05日
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あー!JRのいい加減さにはあいそがつくわい!。先月もそうだった、先先月もいろいろあった。12月、指定席の予約が、電話で申し込んでいたにもかかわらず、入っていない。でも、たいして怒りもせず、窓口で発券してもらったら、今度は日にちが違う。1月、指定券を受け取れるという某駅に行ったら、<ここでは発券できません>と言われた。もう中心地の駅に行く時間はない、駅の寒い所で40分ほど粘り、何気なく、その駅の駅長とは実家が近いと言ったら、急いで手書きで発券された。どうなってるの?言いつけられたら困るから急いで書いたっていう感じだった。そんならさっさと始めから指定券渡せー!そして今日!同じ駅に、指定席券が受け取れるのか、もう1度聞いてみた。だって、前回何だか胡散臭かったもの。今回は、<その駅に行ってみて下さい、受け取れると思います>と極めて曖昧な返事。<受け取れるんですね、間違いないですね?>と確認の意味で質問すると、<ちょっと待って下さい、、、あー、できないそうですー>ほら、やっぱり適当に返事してたんだ。このいい加減さにはまいったよ。私が切れても無理なかろう。それにしても、JRの予約センターってどこでもこんなにいい加減なのだろうか。それともう1つ。その某駅の窓口には<全線のJRチケット、指定席券予約、、、、>と何でもできるように書いてあるのに、何故指定席券が受け取れないのか。JR九州にメールで尋ねてみたけど、きちんとした返事は貰ってないし、この問題は今だ私の中では解決してないし、腹立たしい。
2004年02月17日
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