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今日は夜勤明けで、人様のうちで飲んだり食ったりして疲れを癒した。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2010年01月11日
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このブログの存在を忘れていた。また書くことにしよう。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2009年12月09日
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最近やたらと、疲れたと思う。皆思うのは同じ、年のせいかなあと、やっぱり私も思う。しかし、年のせいにしても、やたら疲れる。 仕事から帰ってくると、足腰が立たないくらいである。これはいかん、まだ年金まではかなりある。働かなくては生きていけない身の上であるのに、これじゃいかん。 よし、今夜から、一時間早く寝るぞ。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年11月19日
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公休日なれど、予定はなし。 朝から、老眼に鞭打ち、放送大学の勉強をしていたら、なんだか目がかすんできて、もう限界といった感じになったので、勉強は打ち切りにした。 午後、Fの仕事についていく。 出雲町や田上など、山の上の都会を軽トラックで回るのである。ドライブがてらに助手席に乗る。 上に上に軽トラは進む。途中、耳がキンとした。がけに張り付いたように家々が密集して建っており、このへんに住む人たちはまるで山岳民族だ、と感じずにはいられない。ふと見ると、家がかすんでいる。下の方で雲が流れているのだ。 長崎は名所が多い街だが、こんな風景がほんとの長崎の生活なのだ。公園や原爆資料館だけでなく、こんな住宅風景も、平地ばかりに住んでいる人に見せてあげたいものだと思う。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年11月05日
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ダイアナ王妃の最後の言葉がOh!my God!であったということをヤフーで読み、ダイアナさんが亡くなった日の事を思い出したりしている。 もう10年も前になるが、昨日の事にように覚えている。 私は北ロンドンに住んでいたが、突然大家の奥さんのアニーが私の部屋のドアを激しく叩き、何事が叫んだのだった。彼女は<ダイアナが死んだ、ダイアナが死んだ>と興奮して繰り返していた。急いで、あまり映りの良くないテレビをつけると、ダイアナさんが交通事故で亡くなったと報道があっていた。イギリスだけではなく 、世界中が衝撃を受けているのがニュースでわかった。 その事故からほどなくして、王室による暗殺説も囁かれ始め、我々はそれを信じたが、イギリス人の一部には<ぜーったい、暗殺なんかされてない、事故だ、ダイアナは愛人と事故にあっただけだ>と言い張る人もたくさんいた。アニーの夫のウイリアムは大のダイアナ嫌いで、<ダイアナは罰が当たったのさ>と言い、アニーか ら怒鳴られていた。アニーはダイアナ大好き人間だったのだ、とその時知った。 ダイアナ死亡の次の日から、私は韓国人の友達3人とスコットランドに旅行を計画しており、大ニュースに揺れる中、エディンバラへキングスクロス駅から出発した。 行く先々のチャーチには、ダイアナに捧げる花束が山盛りであり、その花を盗んだ女性が逮捕されたりした。私は心の中で<花くらいやってよかろうもん>と思ったもんだった。 スコットランドでは、我々4人も交通事故に遭うわ、汽車は予定より早く出発するわ、若い男性の友達が道に立っていたポールで急所を打つわ、なんだかダイアナのたたりでも来てるのかと思わずにはいられない程のアクシデント続きであったが、1週間後、何とか無事にロンドンに帰りついた。 その後、日本の知人から手紙が来たが、ダイアナの切手は発売されているはずだから1シート送ってくれというものだった。 ダイアナという名前を聞くたびに、私は10年前のロンドンでの生活を思い出すのである。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年10月26日
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夜勤明けで福岡へ。明日の出張の為の移動である。 かもめの中でビールと竹輪、流れる景色を眺めながらグビグビとやると、出張ではなく、これから天神あたりに繰り出して遊びに行っているような錯覚に陥った。 夜勤の疲れが、福岡につくころピークに達し、ビジネスホテルに着いたら、自然と体がだらだら、目はトロンとなり、近所のコンビニで購入したビールをもう1本飲み、アンカケ中華そばを食べ、9時には就眠。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年10月19日
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夕べは夜勤して良かった、儲かった。明け方巡回していた時、窓から朝日が、映画か何かのように上がってきたのが見えた。オレンジのでかい太陽だった。 窓は大きく、ワイドスクリーンである。 周囲の山々や住宅などが首を回す必要があるくらいに一面に見える。 正面の山のてっぺんが、あらあら言う間に光り出し、周囲も、廊下も我々の顔も皆オレンジ色に染まった。 早起きして廊下でぼんやりしている患者さんに<あらー、朝日のきれかよー、早よ見らんですかー、ほらほらー>と声掛け、半ば強制的に一緒に見させたら、患者さんも、<あらー、ほんなこて、きれか、朝日のほんになー>と感動していた。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年10月04日
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朝から帰る寸前まであの忙しさは一体何だったんだろうか。竜巻か、稲妻か、悪夢か・・・昼休みに殺人的状況を嘆きながら弁当食べた。起きてすぐ、空腹時に作った弁当はいつもにも増して量が多かったが気がついたら全部食べてしまっていた。忙しくてもきつくても、体重1キロ増していた。 --------------------------------- Easy + Joy + Powerful = Yahoo! Bookmarks x Toolbar
2007年09月28日
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謝っても帰らないぞ。男の大声は大嫌いだ。私は1人でも生きられる。いつも自由で誰からも指図されないでいられるなら、1人の方が良い。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年09月19日
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夜勤明け。同僚2人に拉致され、山の中のレストランにてバイキングランチ。 体にいい やさいばかり使った料理、味は薄目。 ビールはなしにて、さっさとおなかいっぱいになる。しかし元は取れているはず。 もともと同僚のうちの1人が最近元気がないので、彼女を慰める会のはずだったが、食べ始めたら彼女が一番元気でよく喰ってた。 食べながらハハハと笑い、<ほんとに奢ってくれるとー?>と確認していた。 ああ、なんて元気なんだ、、、慰めているはずの自分が夜勤明けで一番やつれていた。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年09月18日
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夜勤。平和であるように祈るばかり。 熱出すなよ、幻聴相手に怒鳴るなよ、手上げるなよ、首括るなよ、、、、 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年09月17日
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夜間の大雨、雷続く。 夕方五島町に化粧品を届ける。届けたら服がほしくなって又その店でボレロ購入。 黒と白、どっちにしようと迷っていたら、若くて可愛い店長さんが、<白の方がエロっぽくないですよ>と言う。<黒を着たらエロっぽかった?>と問えば、<はい、エロかったです>と。そうか、エロかったか、、、じゃ、と思い白を購入。 wrote: <楽天ブログの日記更新メールです>
2007年07月07日
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つまらんことにふと気付く、、、50代ともなると、自分で男性との噂を作っても、誰も広めん。昔は、ちょっと男の人を傘に入れてあげただけでも噂になって困っていたものなのに、、、さすがの私も、もうだめね、、、噂多き女卒業か、、、
2007年05月20日
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実に久しぶりに友人と温泉としゃれ込んだ。場所は嬉野、エステに3食付である。顔のエステを受けるのは私の憧れであった。細くて柔らかい指が私の顔を、スイスイ、すべすべと撫でていく間、シューシューとスチームが顔に当てられ、毛穴全開、顔ダニだってあまりの気持ちよさに出てきて、その優しい指で潰され除去されてしまっただろうと思われるのだった。エステが終わった後は、ほんとにもっちり肌に変わっていて、これなら、ひょっとしたら男の人もあと一誘惑できるのではないかと、ひそかによからぬ事も頭を過った。友人もその丸い顔をすべすべとマッサージされ、もともと白い肌が、まるで白餅のようになっている。温泉にエステ、待ち受けるご馳走、、、ああ、ステキ!この世の贅沢を一挙に成し遂げたような満足が心を満たしたが、メニューを見て、ホテル内のビールの値段にぶっ飛び、雨の中、近くのコンビニにビールや酎ハイを買いに出た。ビール、酎ハイ、ピーナッツに饅頭モロモロ、両手にぶら下げ、ホテルに戻る。雨が振り出し、エステ後の顔も温泉で磨いた体もずぶぬれとなった。部屋で待っていた友人は、<あら~、きつかったやろう~、何ば買うて来たと~?>と、ゆったりと心配していた。
2007年05月18日
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最近、オン・デマンドばかり観ている。古いのから新しいのまで取り揃えてあり、無料のビデオだけでも見こなせない程である。一ヶ月3000円でこれだけ観ることができるのだから安いもんである。次の日が休みという夜は2本くらい観る。片手にビール、片手にリモコン、ああ、ステキ!そうそう、番組の中にはダンスもあり、今習っているラテンダンスもあるのだ。使いこなすぞ、オン・デマンドを!
2007年04月30日
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玄関の前に置いている数個の植木鉢の花が、どれも今真っ盛りである。ひとつは寄せ植えで、なかなか枯れない。ミニバラが少ししょげてきたが、まだまだいける。梅と桜の盆栽、桜はちびのくせにこれまたピンクがアスファルトの道に映えて、これはきっと道行く人の目をひいているに違いない。玄関の前が花で賑やかなのは、なんだか縁起がいいような気分にさせてくれるなあ、と仕事に出る時思ったりする。それはそうと、4月から習い始めて昨日で2回目だったラテンダンスが、この腰に痛みをもたらせているようである。ダンスは楽しいが、腰痛は恐い。何とかならないか、私は歌ったり踊ったりが大好きな人間である。ラテンダンスなので腰をくねくねと回す必要があるが、初心者の私は腰に余分な力が入り、先生のようにセクシーには回らず、腰痛のみを呼んでいるらしい。これじゃあ、ダンスが上達する前に整形外科かも、、、
2007年04月21日
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9ヶ月ぶりにこの日記を開いた。この9ヶ月の間に、実にいろいろな事が起こり、私はこの年になって、何で又こんな目に?と言いたくなるような出来事にも遭遇、のんびりパソコンで日記などつけとく暇はないばい、と言った雰囲気であった。何という事はない、自分にこの数ヶ月間余裕がなかったのである。今余裕しゃくしゃくかと云うと、そうでもない。ちょっと生活が落ち着いたのではあるが、、、。昨年の11月末にケアマネを辞めた。不実な雇用主と戦い、一応ケリはつけたものの、口惜しい思いを胸に持ったまま辞職した。今ではよくやったと思う。しかし、告発していいくらいの扱いを受けた口惜しさは一生忘れないだろう。今年から又ナースに戻り、バタバタと時間は過ぎていくが、やはりこれでよかったと、しみじみ思う。自分の時間と仕事の時間の区別をはっきりつけ、仕事が終われば趣味にも時間を使える、当たり前の生活に戻っている。24時間、仕事の事で頭が一杯、休みの日も仕事場に行く、帰りは8時、9時が当たり前、という生活はどうかしていたと思う。そして浮かばれないことばかり、、、だった。思い出話も愚痴になりそうな気配、もう思い出すのは止めよう。これからは又明るい日記が書けそうである。時には愚痴も悲しみもここに吐き出すかもしれない。でも、できるだけ明るい自分でいられるためにも、楽しい事探しの日記にしたい。
2007年04月20日
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2年あまりもキープし、家賃を払い続け、迷った挙句とうとう福岡の公団を引き払うに至ったのだが、果たしてこれで良かったのかどうか、、、今でもあの部屋に未練タラタラである。大体、福岡の便利な場所、学校も病院もスーパーもバス停、電停も皆近くて、静かで天神にバス1本で行けて、その上家賃3万円ばかし、、というアパートが他にあるだろうか。しかも南向きのベランダありである。あ~あの部屋は良かった。福岡に帰るより、今の仕事を選んだ自分が不思議である。海外に住んでいた3年間ですら、一生懸命キープしていた部屋なのに、なぜ私はこういう結果を出してしまったのだろう、、、そうさ、自分じゃわかっている、私を動かしたものは、仕事である。5月から与えられている、施設ケアマネージャーという仕事は、一般的には、報われない孤独な職種とされているが、どうも私に合っているような気がしているのである。ちっとも孤独とは感じないし、マイペースでやれるので目と肩以外にはストレスは掛からない。私は他の人と感じ方も違うらしい。そんなこんなで、とうとう長崎の田舎町に住みつく事になってしまった。あ、ま、いいか、1ヶ月3~4万円の出費がなくなれば、その分旅行にも行けるし、酒呑み代にも廻せるし、、、こう考えると俄然遊びたくなったなあ。
2006年07月15日
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5月から、特養ホームの施設ケアマネに異動を命じられ、またまた慣れない所でおっかなビックリ働くことになり、早や1ヶ月たった。想像はしていたけれど、右も左も、恍惚の方ばかり。お早うと言おうが何しようが、興味も示さず、無欲な顔でじっとしておられる。以前、居宅支援事業所にいた頃のお付き合いの高齢者は、やっぱり元気な人が多かったなあ。しかし、施設に異動になり、気付いた事がある。皆サン肌と髪がきれい、つやつや、しみもなく、白髪も輝いている。そうだ、髪は染めもせず、食欲がないとなれば高カロリー補助食品を召し上がり、栄養バランスもしっかり保たれている。おまけに日に直接当たる事もないので、肌は真っ白、しみもなし。濃厚介護にて清潔も保たれている上に、恍惚にてストレスもあまりないのかもしれない。う~ん、素晴しい、素晴しいぞ。50名のお年寄りのケアプラン作成に勤しむ毎日故、目はパソコンでしょぼしょぼ、肌は深酒で荒れ、髪はカーリーにて上品さにチト欠けるこの私より、ホントに、皆サン美しい。きっと赤ん坊に戻って心も無垢なんだ。こう思い、遠い目を常にしているお婆ちゃんの耳に口を寄せ、<美しいですね、男性にもてたでしょう?>と聞いたら、はっきりと<昔はね>と言われた。
2006年06月05日
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ある人から、私のHPは言いたいこと、勝手な事ばかり書いてあってむかつくと言われた。あ、そう、むかつくなら読まなきゃいいじゃないの?だって日記だもん、好きな事書くさ。むかつくなら第一、開かなきゃいいじゃないの?変った奴だよ、彼は。人がむかつこうが吐こうが、あたしゃ言いたい事言うよ、じゃなくて書くよ、だって日記だも~ん。どうだ、わかったか、むかつき野郎。
2006年06月02日
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最近、妙にいやらしい書き込みやトラックバックなんかが我がHPにおいでになる。う~ん、何で来るの?恐いなあすという名前が、いやらし仲間に感じさせるのかも、ハハハ。今度は思い切りごつくて、汗臭いようなネームつけて、別のHP立ち上げようかな。誰も来なかったりして、、、
2006年05月26日
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忘れてた、長い間、このHPを持っている事を。居宅のケアマネージャーから、人事異動で、特養のケアマネ兼看護師に移動になり、これまでとは又違う意味で、仕事の中身が複雑である。しかし、これまで家で生活しているお爺さんやお婆さんを見てきて、年取る事に対する焦りや悲しみも理解してきたつもりであったが、特養に来たら恍惚の人ばかり、皆、焦り悲しみなど乗り越え、赤ちゃんのように無垢である。認知症はきっと、ここまで到達する途中が苦しいのだ。ここまで来たら、回りはともかく、本人はいつも天国かもしれない。この文を打っていて、自分で自分にホーと思った。嫌に真面目じゃないか。スーダラはどうした、スーダラしとこうと思っていてもなかなか出来ない昨今、苦しいなあ。でも、今の自分にできる事、しなくてはいけない事を遂行してから、又スーダラしようっかな。それでも遅くはないか。だって、真面目で固い職業の私、自分の意志でスーダラに戻る自由があるのだから。そう思ったら、何だか又楽しくなってきたぞー、よしよし。
2006年05月17日
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最近この日記に書き込む内容が大人しくなってきて、あまり面白くないと、ある人から言われた。そういえばそうかもしれない。妙に分別臭くなった自分を感じる事がある。年のせいか、職業のせいか、それとも、2年近くになるこの田舎町での生活のせいか。思えば、福岡では、親が傍にいるわけじゃなし、自由気ままだったなあ。今じゃどうだ、ちょっと居酒屋に行くと、カウンターで隣にいた人が親の知り合い、病院に行く、親と趣味の仲間のドクター、利用者の家族に名刺を渡せば、親の名を言い、<まさか、娘さんでは?>と聞かれる。そりゃ、親に恥をかかせまいとすれば分別臭くもなりますなあ。そうだ、ロンドンにいるころはもっともっと自由だった。自分の事にだけ責任を負えばいい生活、自分のためにだけある時間、ほんとに素敵な日々だった。元々夏は露出狂の私には、ロンドンの夏は、私らしいファッションを楽しむ事ができた場所でもあった。今はきちーんとしたもんだ。一体、今の私は本当の私だろうか。今の私を見て、好もしく思う人がいたとしても、それは本当の私を知らないからなのだはないだろうか。環境によって、自分を変える事ができる自分を発見したのはいいが、ある意味、今の自分は仮の姿だとも言えるし、それを自覚しながら、人と付き合っている自分は、その人達を騙している事にはならないだろうか。
2006年03月06日
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長い間パソコンも開かず過ごした。携帯電話を使用するようになってからこっち、パソコンと疎遠になったようだ。そもそも携帯電話が大嫌いで持とうという気がなかったのだが、最近は公衆電話が少なく、必要に迫られて使用するはめになった。電話機は1円だった。しかし、1円だからいいってもんじゃない。大体、公衆電話をあんなに撤去していいものだろうか。高齢者や、携帯の字が小さすぎて見えない人などには、まだまだ必要なものではないのだろうか。以前のように道を見渡せば、公衆電話ボックスが見えるという時代は終わったが、どうも、弱者のことは考えていない世の中のような気がする。
2006年03月01日
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マレーシアへ小旅行としゃれ込んだが、2泊でも、2日目の真夜中に向こうを出発するという、実質1泊分しかない、忙し旅行である。思い出しながら記載することとする。朝6時半の高速バスにて福岡空港まで。父が早起きしてバスターミナルまで送ってくれた。空港で友人と待ち合わせ、チェックインしてほっとしていたが、出国口からの長蛇の列を見てぶったまげてしまった。卒業旅行シーズンのせいだ。若者がわんさと並んでいる。おばさんもおじさんも並んでいるが、断然若者の数が多い。いいなあ、卒業記念に海外かあ、、、お金もあるんだなあ、、、やっと出国すればもう時間ぎりぎり、ビールでも呑みながら出発時刻を待とうなどという事は許されず、トイレだけすませ、ぱたぱたと飛行機に乗る。機内はがらがら、座席は贅沢に4席使用、足を伸ばして座る。ビールを呑んだらほろ酔いして2時間ほどぐっすり眠る。人懐っこいスリランカ人と話も弾み、あらあら言う間にクワラルンプールに着陸。空港には、若くてハンサムなガイド君が出迎えてくれ一安心。我々2人の他、下関から来た女性、広島からの男性それぞれ1人参加、合計4名の少人数ツアーであった。楽しみのマレーシア料理は鍋だった。タイ料理とは違ってあまり辛くなく、日本人の舌にはあうようだ。それにしても、広島の男性、よくしゃべる。内容は堅苦しく、あまり面白くないが、ぶすっとしている男よりまし。ガイド君は日本には言った事がないと言うが、ガイドが出来るほど日本語がうまい。ロンドンから帰って来てから、英語をしゃべるチャンスがないなどと言い訳して英語力をたちまち落とした自分が恥ずかしかった。明日は強行軍で回る予定。ツアーの常だ、体力勝負。
2006年02月16日
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来月3日程の短い旅行を友人と計画している。行く先はマレーシアである。たった3日だし、近場なので職場の上司にも他のスタッフにもナイショにしていたが、今日主任にばらす事となってしまった。来月の勤務希望を眺めながら、主任が、<この、べラーッと休み希望は何ねえ?どっか行くとね?どこ行くとね?誰と行くとね?>と聞いた。<いや、うんにゃ、あの、どこにも、、、>と言っていたが、<どこ?イギリスやろう?><たった3日4日でイギリスやら行かれません><韓国ね?><韓国じゃありません><インドばいね?><何がインドですか><どこね?><マレーシアです、あら、言うてしもうた>という具合であった。誘導尋問とはこういうのをいうのであろうか。そして、<私ば誘いもせんで>と文句言われた。誘っても行かないとわかっている人物ほど、そういう文句を言う傾向があると、私は分析している。
2006年01月16日
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父が新車を購入するというのを反対してから、どうも父の機嫌が悪いようだ。自分の年金から買うのだから、出戻り娘の私がいろいろ言わなくてもいいのだが、やっぱり80にもなって新車はチトもったいないと思うのである。それより、家の中をもっと使いやすくリフォームした方がベターだと思うが、、、父は一緒に新車購入を喜んで欲しかったのだろうが、老後を過ごすのに莫大なお金がかかる事をよく知っている、ケアマネージャーの私としては、父のお金の遣い方に不安を感じるのである。
2006年01月15日
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ずっと持っている事を職場には言うまいとおもっていた、携帯電話、しかしついに、主任に白状した。持っているものを持っていないと言うのも、心が重たかったのである。正直に、持っているが使いたくない、使う気もあまりない、だから持ってないのと状況的には変らない、と言った。使いたくない理由の1つは、目が薄くなって見えないからである。父には字の大きな機種の携帯を1円で買ったのだが、デザインのカワイさに惹かれた私の分は、ちっとも字が見えない。それでも何回か使ってはみたが、いつも頭に来て、もう2度と使わんと言いたくなっていたのだ。しかし、主任は、<あらー、カワイかやかね、使わんね、どらどら>と、私の携帯であるにもかかわらず、使い方も私よりその場でさっさとわかり、パッパッと指を動かす。ナイショ事がなくなって気が楽になったが、この携帯、やっぱり不携帯電話で終わりそうである。
2006年01月13日
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コンタクトレンズが合わなくなって購入に行く。最近遠近両用のコンタクトがあるというので、奮発して買うつもりだったが、どうにも視力が出ず、あきらめる。遠くに合わせ、近くはレンズの上から老眼鏡使用である。金がかかるもんだなあ。しかし、遠近両用のレンズの半分の金額ですみ、ああ良かった。あまり目を酷使しないように日常生活も気をつけよう。こうやってHPやインターネットにうつつを抜かしているのはよくないのである。健康を考え、あまりパソコンを開かないようにしなければ、、、
2006年01月11日
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仕事始め。特に何という事なし。松の内から何かあったら困るが、、、
2006年01月04日
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息子夫婦と孫と自分の4人で近くの公園で遊ぶ。長い螺旋の滑り台、大人でもちょっと恐いが、孫の奴、1人ですべると言ってきかず、とうとう1人で滑ってしまった。面白くて、又滑る。又滑る。何回も滑る。大人も滑る。気がつけば、日は暮れ始め、明日から仕事の、4日の宵である。
2006年01月03日
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ああ、初売りに行きたい、しかし、孫から目が離せず。仕方ない、孫が寝ている間に嫁と、近くの超安値で知られる衣料品店へ。所狭しと店中にぶら下がっている超安値衣類。ここも一応、初売りと銘打ってあるが、いつでも超安いので、そんなに感動もなし。靴下と孫のズボンだけ買って帰る。ズボンも安すぎて、嫁の感動も期待できず。自分のブラでも買おうかと見るが、外人サイズのデブ女用のブラはなし、やっぱり初売りで買うようなものでもなかったか。
2006年01月02日
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元旦も、マメ台風到来にててんてこ舞い。いたずらの合間に発する言葉に、知能指数が高いに違いない雰囲気があるが、これは身内のみの会話でしかいえないことである。まさか、人に、<あんたんとこの子供よりうちの孫の方がIQの高かごたるね、ハハハ>とは口が裂けても言えまい。私が、こういう事を声高らかに豪語していると、父が<お前のこまか時も、たいがい、気の利いとるけん、さぞかし凄かもんになるやろうと思うとったら、二十歳になればただの人やったしなあ、期待ばっかりしちゃいかんやろう>と、お酒を呑みながら言った。ちぇ、そうか。
2006年01月01日
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長いこと日記をさぼっていたので、この日あたりから、思い出しながら記録する事にする。年の終わりと言う事で、上司との面談があった。今年はどういう年だったかという質問があり、一応自分の個人目標を達成でき、充実を感じていると答えた。これは、まあ、実感である。それは良かった、とうなづく上司、、、その後、<実は、、>と来たので、何か私はやらかしていたのか、とドキッとしたら、<実は貴方がこんなに真面目な人とは、最初は思っていませんでした>と言われた。<け、真面目と思ってなかったんですかー?><いや、少しは思っていたけど、こんなに真面目とは、、、>と、褒められたのやら何やらわからないお返事。<私しゃ、最初から真面目ですよ、でも、そうは見えなかったんですね> どうやら、私は第一印象、遊び好きそうらしい。本当はそっちが本当であるが、、、
2005年12月31日
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我が職場は女が多い。従って、様々なタイプの女が集まっているので、考え方も様々、皆個性的である。女が集まると、大体、体重の話、旦那、子供の話。旦那のいない私には縁のない話も多いが、旦那のいる人に限って、<私はもう女捨てとるもん>と自慢気に言う傾向があるような気がするのは、気のせいかなあ。そういえば、女捨てているような感じがするよね、やっぱりそうだったのね、ってうなづくわけにゃいかないか。いくら女っぽくしてても旦那のいないあんたはその価値なしよっ、って心の中で言われてるかもしれないしなあ。そんな時って何て返事したらいいんだろう。捨てなさんな、なんて余計なお世話だろうし、そんな風に見えるよね、なんて言ったら、自分が言い出しといて、ま、失礼ね、ってプンプンされそうだし。要するに、変な女もいるのである。
2005年12月23日
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雪、風ひどし。昨日勉強、書くに書けない今日の事。別に悪い事はしちゃいないが、、私が誰だかよーく知っている人にゃ、ばれて調子の悪い事もたまにはあるよなあ。
2005年12月12日
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北九州での市民フォーラム参加。昨日の忘年会のアルコールが少し残っているようだが、体調に影響はないようす。詳しく記載する元気なし。後日に回そう。
2005年12月11日
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職場の忘年会。どこも変らぬ光景。馬鹿騒ぎも面白いが、その中にちょっと知性も欲しいもんだ。
2005年12月10日
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酷いニュースばかりである。何で子供を殺すのかねえ。自分より弱いと分かっているものに刃を向けるなんて、狂っている。マンションだって、何で平気で人騙すかねえ。一生の大買い物なのに、あんな嘘八百やられて、何を信じていいのやら、わからないのが今の日本だろうか。今、世界中が殺伐としているから、個人個人も、人を大事にしなくなっているのかもしれない。先日、デパートで母と買い物していたら、2歳くらいの女の子が、1人で<おかーしゃーん>と呼びながら半泣きしていた。あら、迷子、この頃は変な人が多いから、早く店員さんに連絡した方が、、、、と思っていたら、母親らしい若い女性が来た。<ああ、よかったね、ママが来たよ>と言ったら、じろっと睨み、敵意丸出しの表情。その態度にむかっと来て、<知らない人間が自分の子供の傍にいたら不安ですものね、何かされそうですよね>って言ってやった。本当は、<ちゃんと手を握っていないとダメですよ>って言うべきだった。あんな皮肉なんか何の役にも立たなかったに違いない。不愉快である事を伝えただけに過ぎない結果だった。人を見たら殺人鬼と思わなきゃならない世の中である。あの母親には罪はない。しかし、こんな世の中で幼少期を過ごし、大人になった時、人はどうなるのだろう。考えると恐くないか?
2005年12月04日
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スッタモンダした父の足はやはり痛みと腫れがひかず、今度は病院から、入院してくれと言われ、昨日入院。先日の病院の応対にちっと臍を曲げていた父は、<入院せんぞ>と言っていたが、やはりこの際は入院して徹底的に直したほうがよいとの、私と母の強力な勧めで昨日の午後入院の運びとなった。半ドンで帰って、昼も食べず、病院に車で連れて行き、個室に入ってほっとすれば、あら、忘れ物、、、と母が言い、又取りに行く。近いようでも、急ぐ時は遠い道のり、おまけに信号全部赤。忘れ物は車に積んだ、そうだ、父の好きな甘いものでも買っておこう、と途中のコンビニでどら焼きや、饅頭を購入、ついでに自分のシュークリームも。よく考えると昼食ろくに食べてない。だから目につく甘いもの。病院に再度着いて、買ってきたものを出せば、<こがん食べきるもんか>と父は嬉しい悲鳴。<ヨカサ、糖尿はなかけん>と言えば、もう1個口に入れている。あら、剣道8段、居合い7段の武道の先生もこうしてみれば好々爺。入院となって母も私も、ほっとしたのも事実。毎日心配ばかりしていたのが、やはり入院してもらうと安心する。私の一日はこれで終わりではなかった。夜は、文楽鑑賞。女性が蛇になって坊さんを追いかける、あれである。面白かったが、蛇が短かったような気がする。いろいろと忙しかった昨日。でも、午前中は仕事、午後は親の為に動き、夜は自分の趣味いっぱい、なかなか面白い一日だった。
2005年12月01日
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父の左足が異常に腫れている。痛くて眠れないらしい。一大事、出戻り娘の私としては、こんな時くらいは親の受診のために仕事を休むくらいの事はするべきであろう。その病院は割りと大きい。待っている人も多い。それでも院長先生が診てくれ、有難いと思っていた。しかし、父の足はどうなっているのか、院長先生もわからないらしい。あまりの足の腫れ具合と痛みに、父は入院するしかないだろうと、私も母も判断し、入院をお願いしたら、その院長先生、<厄介払いですか?>と我々に問うではないか。ブッタマゲーションとはこの事だ。父親を厄介者ですと?何と何と、生まれて一度も考えた事もない事を、大きな病院の院長の口から聞くとは。しかし、考えた。そう、そうに違いない。きっとこの院長先生は、自分の両親がまだお元気で、息子の彼は密かに、自分の親の事を厄介だと感じているのだ、いや、そうじゃなくて、自分が家庭の中で厄介者だと思われていると感じているのかもしれない、う~ん、どっちだろう。ご本人に聞きたいものだ。待合室で、父を待ちながらそんな事を考えていたら、1人の看護師が、その院長に話しかけていた。又ぶったまげた。敬語なし、今で言う、タメ語である。自分の耳がおかしくなったのかと思った。ひょっとしたら、この院長、看護師からまで、こんなに軽く扱われて、自分が職場で厄介者なのじゃないかい?それにしてもこんなんじゃー、病院の評価は下がるよなあ、、、父は結局入院せずに自宅で様子を見ることになった。何だかほっとした。あんな病院に入院させたくないものだ。
2005年11月25日
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事例発表、あちこちの会場であっているが、私は国際ホテルに振り分けられている。午後からの発表、喉は異常なし、頭も痛くない。よしよし。名前を呼ばれ、壇に上がろうとしたら、あら、壇が小さい。足2本分しかない。よその人は1人でパワーポイントを操作しながら発表していたが、うちは私が発表、もう1人がパワーポイントの操作をすることになっている。2人で壇に上ったら、お尻が押し合いへし合い、それぞれが片足は宙にぶらぶらしての発表となった。颯爽と、タイトルを読んだら、彼女が肘を私を突く。パソコンが動かない、と言う。あら、どうしよう、動揺する我々2人、係員が来て、何とかパソコンが動き出して、<失礼しました>と、初めから読み直し。声の調子は上々、すいすいと発表する。一番前の席の男性は、深くうなづきながら聴いてくれていた。うん、共感も得たかな、もう少しで終わり、時間内に終了できる。遂に終わり、<ご清聴有難うございました>と言い、頭を下げた途端、片足で支えていた体が後ろにふらつき、どたんと下に落ちてしまった。何という失態、、、せっかく、せっかく上手くいったのに。最後の最後になって壇上から落ちるなんて、、、隣でパソコンを動かしていた彼女は、<あー>っと言い、私の腰を支えようとしたが、間に合わなかったとの由。差し伸べた手を引っ張らず、一緒に落ちなかったのが不幸中の幸いであった。晴れ舞台でもやっぱりずっこけたか、、、その夜は、他のメンバーと呑めや歌えの大騒ぎ、ずっこけなんか忘れてしまおう、すんだ事だ、、でもなあ、、、
2005年11月17日
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7:45、職場に集まり、総勢7人で仙台に向けて出発。福岡空港まで職場の車、飛行機に乗って仙台空港へ。飛行機はJAL、飲み物以外何一つサービスなし。飴玉もない、ケチな会社だなあ。到着仙台はやっぱり寒い。会場の何とか言う体育館、広いばかり、1万人くらい来ているらしい。中村博彦氏が、声張り上げて演説、男のくせに黄色い声出す奴だ。イーウーマンとかいう所の、何だかよくわからないが、佐々木かをりさんという、いかにもやり手の女性の講演もあった。中身には賛同する。しかし、<人は自分がこうしたいと思っていた事が実現した時だけ、幸福だと感じる>と言われた事については、まあ、それもそうだが、思いがけない事で幸せを感じる事もあるだろうになあ、、と感じた。別に彼女の言う事、反対はしないが。あと、<自分の背中を押してくれる人と、意識的に仲間として交流しましょう>とも言われた。これは、本当だと感じる。結局、烏合の衆では、発展はないと言う事だ。夜は勿論食事会、牛タンだの、笹かまだのと名物もたくさん出た。明日は事例発表という大役が待っている。喉を傷めないようにチーフを首に巻きつけ頭は毛糸の帽子である。あ~、久しぶりに緊張するなあ。
2005年11月16日
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明日から仙台、今日はプールも行かず明日の準備なり。
2005年11月15日
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食事を一緒にと言うから、ほいほいと仲間に加われば、いくら真面目人間の集まりと云っても、ありゃなかろう。食事は美味しく楽しく、というのがモットーの私にゃ、あんな、食事という名の会議はちょいと胃も喉も詰まる。議論吹っかけるなら職場の会議でやってくれ。グラタンもぐもぐやりながら、答えを探せば、相手はスパゲティフォークに巻きつけながら更に<ケアマネとして、今後の法改正に伴う介護予防をどうするつもり?>とさらに問い詰める。知るか、そんなモン、私のほうが聞きたいワイ。食事時間も頭をいっぱいにして議論してストレスが倍増の土曜の夜であった。
2005年11月13日
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同僚と話をしていたら、動物の事に話題が集中。そういえば、10年以上前、鳥栖の山の中にあるロッジみたいな所で友人達と忘年会をしていた時、野生のサルがやって来た事があった。あら、猿なんて珍しいわーと、外に出たら、いきなり私に飛びつき、しっかり抱きつくものがいる、ビックリ仰天してよく見たら、何と、それは野生の子猿だったのである。親猿はキーキー言いながら私の周りをまわっている。人間にダッコされた子供が心配なのに違いない。逆上した親猿に襲われたらどうしよう、と恐怖に慄いたが、子猿は私の首根っこにしがみついて離れない。そのうち、親は私が子供に害を与えないとわかったのか、のんびりと餌か何か拾い始めた。子猿は抱かれ心地がいいのか、リラックスしている。可愛いが、子猿を抱いては、中に入れない。窓から覗くと、皆呑や歌え、宴はクライマックスに達している様子。私だけ寒い夜、外で子猿の子守である。忘年会も終わりの頃、いよいよ私も中に戻らなくてはならない、子猿よ、私から離れてくれ、、、思い切ってパッとその腕を振りほどくと、キーキーギギギーっとすさまじい声を立てて親と子は山に向かって走って行ってしまった。ああ、一体何だったのだろう、こんな事は初めてだった。しかし、事態はこれで終わらず、ロッジに宿泊して、翌朝、外で顔を洗っていた私に、またしても夕べの子猿(らしきものが)飛びついてきたのである。よっぽど私が気に入ったのだろう。他に人間はうようよしていたのに、まっすぐ私に向かって飛んでくる、ぱっと飛びつく、後は振りほどこうにも、夕べと同じ状態であった。何とか猿君とお別れして、無事に福岡に帰ったのだが、あんな経験も珍しかった。その話をしたら、同僚は、<こんな経験、きっとムツゴローさんもしてないですよ>と言う。そうかもねえ、、、そういえば、こんな事もあんな事もあった、と話し出すときりがないくらい、動物にまつわる珍経験がある。死にかけた小鳥が迷い込んできたのを、毎日餌を耳かきで与え、元気になったころ親鳥が迎えにきて、無事に空に帰したこともあった。実話である。私は決して特に動物が好きなわけではない。犬なんて傍に来ると恐いくらいだ。そう言うと、彼女は、<Aさんはきっと動物の社会で有名なんですよ、あそこに行けば命を助けてもらえるって、動物同士の連絡網があって、名が知られているんですよ、そういう人は珍しいですよね>と言う。有名、、ってあんた、そんな、、そんな発想ができるあなたの方が珍しかろう。
2005年11月03日
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プールに行き始めて3ヶ月目に入った。心なしか膝の調子が良いような気がする。先週、若い男性職員が、<最近、少し痩せませんでしたか?>と私に問うた。え、?そう思う?プールでせっせと歩いているのが効いてきたのかしらん、若き男性の目にもわたしのシェイプアップは明らかなのね、ちょっと嬉しいわあ、と顔をほころばせていると、うちの若き且つ呑気新米ケアマネが、横で、<締まったんですねえ->と語尾をゆーっくり伸ばして言う。私をせっかく褒めた男性は<あー、締まったんですかー>とこれ又つられてゆーっくり確認する。二人して締まった、締まった、と喜んでくれるが、私はそんなにぶよぶよだったのかい?
2005年10月30日
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うちのある上司は、以前私から、セクハラで訴えますよ、と怒られた事があり、どうもそれを根にもっていると思われる。飲み会の席で必ず、セクハラの話題を事のほか目立たせようとする。この前は、聞こえよがしに、<セクハラも受けんような女はダメさ>などと言っていた。よっぽど、<お宅の娘さんはセクハラ受けてよかったよかった、素晴しいなあ、ってお父さんの貴方は喜ぶんですか>と切り返してやろうかと思ったが、仕事がやりにくくなるのは困るのでぐっとこらえた。今日も何か、そんな事を言いながら、私の顔をじろっと見たが、一体何なんだろう。セクハラの正当化か?口で言っただけだから良かろうもん、とでも言いたいのか。言葉のセクハラ、言葉の暴力、職場でまかり通って、誰も何も言わないのが現状。どの女も言われて喜んでる等と思うんじゃないぞ、奥さんと一緒にするな。
2005年10月21日
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一所懸命今日の日記を書いていたら、突然文章が消えた。以前にもこんな事があった。嫌になったぞ。あれやこれやいーっぱい書いた挙句の、文章の蒸発、あー頭に来た。もう書かん。
2005年10月07日
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私の母親は、バザーで物を買うのがとても好きだ。そりゃ、新品の服が100円とかで売ってあれば、普通の値段で買うのは馬鹿らしいと思うのが人情だろうが、いくらバザーだからって、あんなに物買っちゃ、安くても何にもならないだろうと考えてしまう。3ヶ月くらい前、パンを温めておく器械を買い大喜び。朝、それにパンを早くから入れておいたら、食べる頃には、どうした訳か、パンがコチコチになっていた。2回くらい使ったが、こちこちにしてパン粉を作るのが目的じゃあるまいし、すぐ使わなくなった。<便利って思うたけどねえ。>と言うが、バザーにそれを出した人も、きっと、コチコチパンを何度か作った挙句、お払い箱にするべく、バザーに出したのだろうと私は思う。又、服も、50円だった、新品よ、と云って先日ニコニコして帰ってきたが、首の後ろのラベルを見たら、それも疑わしい。第一、ボールペンで名前が書いてあるじゃないか。名前が書いてある服のどこが新品よ、と私が言えば、<あらー、見えんやった>と言う。バザー会場に、悪質業者(目の薄くなった年寄りを騙す)が紛れ込んでるに違いない、と私は睨んでいる。バザーと言えば、話は飛ぶが、思い出すのは、ヨーロッパの蚤の市。旅行中、ウイーンの広場で、蚤の市が開かれいるのに出くわした。売ってあるのは果たして使い物になるのか疑わしい物ばかりか、死んだばあちゃんの写真なんかも並んでいる。ジプシーらしき親子もいて、兄妹喧嘩していたら、ネッカチーフ被ったオッカサンらしき女性が、男の子の方をいきなりビンタした。あらー、珍しい、楽しい、と歩き回っていたら、後ろから、若い男の子がついて来る。話そうとしたら、英語が通じない、ドイツ語である。ニコニコしているがどんな奴かわからない、と用心はしたが、お金は腹巻に入れていて、幾らなんでも取られる心配はない。こっちもニコニコしてジェスチャーで何だかんだと表現し、青空を指差して、<ドイツは日本晴れ>と日本語で繰り返し教えたら、<ドイチはにっふぉんばーれ>と言えるようになった。最後は地下鉄の駅まで送ってくれて、<アウフビタゼーン>とお別れした。リスボンでは、ものすごく太ったおばさんが早口でパンツなんかをひらひらさせて売っていた。きっと<安いよ、安いよ>と連呼していたのだろう。イギリスでも、広場にある市場が大好きだった。そこで買った安ーいビスケットが異常に美味しかった思い出がある。そういえば、私は旅行中、あちこちのバザールや蚤の市みたいなごちゃごちゃした所をブラブラして、スーパーマーケットや地元の食堂などを覗くのが私流なのであった。北のレイキャビックでも、北極圏の何とかという町でも、スーパーをぶらぶらして回った。最近旅行してないせいか、その感覚を忘れていたようだ。とすれば、バザー好きは遺伝なのかもしれない。母の事を笑えないだろう。こういう事を書いていたら、旅行に行きたくなった。来月には有休が取れるから、ちょっと行こうかな、青空市場の立つ町にでも。
2005年09月26日
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