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こんばんは。昨晩の続きで作品の役割について書こうと思ったのですが、順番からすると作る方が先なので・・・^^;タイトルが決まったらそれに沿った作品作りをしますが、私の阿波踊り写真展を例に書きます。8月12~15日の阿波踊り本番の4日間、36枚撮りフィルム換算で毎年30本近く、約1000カット撮影します。その中から300枚程度をL版にプリントし、さらにそこから気に入ったのを10~15枚程度選び2L版にプリントします。この2L版がプロ野球の選手と言ったトコでしょうか。そして最後にこれを1軍(写真展用作品)と2軍に選別しそれぞれの専用ファイルに保管します。この1軍に昇格?できる作品は平均5~7点、この15年の間にはゼロだった年もあります。写真展の審査応募には30点程度の作品が必要ですから、作品を貯めるのに大体4~5年かかりますね。ちなみにこの1軍作品は審査応募まで人前に出す事はありません。人にプレゼントしたりするのは基本的に2軍以下の写真です。さて、作品が20点程度溜まってくると、チームの全体像=写真展の骨格が見えて来ますが、ここで作品の役割分担が必要になってきます。続きは次回に。
2013.02.18
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こんばんは。さっきの侍ジャパン完敗のニュースは笑いました。広島って去年何位だっけ?って言うツッコミは無しにしましょう^^;チーム作りと写真展については、私の写真の取組み方の基本姿勢ですので、何回かに分けて書きます。まずは写真展の「タイトル」=「どんなチームにしたいか」から。私の過去三回及び四回目予定?の写真展タイトルは以下のとおり。1999年「静かの海」2003年「阿波踊り“徳島の熱い夏”」2008年「阿波踊り“天水たちの熱い夏”」20??年「阿波踊り“おどる阿呆の熱い夏”」意外と思われるかも知れませんが、写真展のタイトルは作品を作る前から決めてます。どんな写真展をしたいかを決めてから作品を作る=どんなチームにしたいかを決めてから選手を育成する、ですね。ちなみに「阿波踊り“おどる阿呆の熱い夏”」は「“天水たちの熱い夏”」を終えた帰りの新幹線の中で考えました。私が思うに、良い作品=良い選手だけを集めただけでは絶対良い写真展=強いチームは作れませんから。セパの精鋭を集めた日本最強のチームのはずが、セリーグ下位に負けてます。写真展で言えば、富士フイルムフォトコンテスト展以上は存在いないってトコですが、実際そうではありません。次回は作品の役割について書きます。
2013.02.17
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おはようございます。久しぶりに自分のサイトをじっくり覗いてみました。「静かの海」の初期作品なんて25年前だもんな~なんて、妙に懐かしかったです。覗いてみたい方は、下記からぜひどうぞ。にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2013.02.09
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こんばんは。昨日のブログに関する続きを書きます。私はサイトを常時写真公開の場、ブログをリアルタイム情報公開の場として開設しました。具体的には将来4度目の写真展する時、審査から合格、会場の様子などをライブ?で実況するのが目的です。2008年富士フイルムフォトサロンでの写真展当時、私は何も情報発信の手段を持っておらず、関係者の掲示板をお借りしてカキコミさせて頂きました。他人のフンドシで相撲をとる・・・みたいなマネをして恥ずかしい反面、次回までには何とかすると思ったモンです。え?当時から次の写真展を意識してたかだって?話が長くなりそうなので、続きは連休中に書きます^^;
2013.02.07
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こんばんは。激動の1年だった今年の最後のキーワードは「指原莉乃」です。このブログは会社関係者も見てるので、私の推しメンを公表するのは正直恥かしいのですが・・・私の今年を語るには?どうしても外せないので^^;嘘偽りなく書きますが、AKBにも彼女にも全く興味はありませんでした。今年の6月までは。たまたま見た第4回選抜総選挙で、彼女は4位となり「へえ、こんな娘が4位なんだ」と思った程度です。私がうつ病と診断されたのは6月18日ですが、会社は14日から休んでました。そのハートブレイク(笑・・・でも当時は大マジ)な状態でネットを見てたら「ん・・・変なニュースがあるぞ・・・え~~~!!!」その時は大きく報道されたので知ってる人も多いと思いますが、彼女はスキャンダルにより博多の姉妹グループに移籍となりました。総選挙で4位となった歓喜から10日も経たない内の出来事です。元々彼女はその言動からアンチも多かった様ですが、当時ネット上での叩かれ方は凄まじかったです。でも彼女はそれに耐え、移籍先での頑張りや良き先輩ぶりから徐々に認められ、騒動も沈静化していきました。その頃私は自宅療養してましたが、彼女の頑張りに随分励まされたのも事実です。「私も何時までも凹んでられない」と。そして彼女を知るに付け、心の強さも人望も私は足元にも及ばないなと痛感しました。今では彼女を応援する事で、ちょっぴりでも当時の恩返しが出来たらなと思ってます^^;
2012.12.06
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こんばんは。昨夜に続いて、激動の1年だった今年のキーワードを書きます。2つ目は「転職」です。20年以上務めた会社を辞めこそしませんでしたが、職種は大幅に変わりました。それからすれば「転職=職を転ずる」は間違いではありません。ドラクエ3に例えるなら、賢者から盗賊に転職するくらいに(笑)余談ですが、呪文を極めた賢者を盗賊に転職させ、はやぶさの剣を装備させて戦闘中に上位の武道家をモシャスすれば、最大級の攻撃力を持ちつつ2度攻撃し、さらに会心の1撃を連発する最強キャラになります。ラスボスに凍てつく波動を食らったら元に戻りますが・・・^^:冗談はさておき?私は11月に転職してレベル1に戻りましたので、修行し直したいと思います。
2012.12.05
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こんばんは。2012年もあと4週間余りとなりました。今年は私にとって激動の1年でしたが、3つのキーワードで振り返りたいと思います。1つ目はやっぱり「うつ病」これでしょう。今まで入院すらした事なかったのに、いきなり精神科の先生から「3ヶ月は会社を休んで自宅療養して下さい」と言われたのですから。手や足が折れたのと違い、心が折れたのは他人には見えないので、ある意味やっかいでした。自宅療養している間色々調べましたが、何年も自宅に引きこもった挙句、退職や離婚,自殺なんてザラにある病気です。私が1ヶ月と短期間の自宅療養で社会復帰できたのは、阿波踊りの撮影までには何とかしたいと言う思いと、明後日に書く3つ目のキーワードのおかげでした。今は小康状態であるものの、これは完治と言う言葉のない病気なので、これからも上手に付き合って行きたいと思います。
2012.12.04
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おはようございます。今朝も御前崎周辺の遠州灘で撮影した静かの海シリーズの作品を紹介します。これは今話題の浜岡原発のすぐ近くで撮影しました。今から20年以上前に撮影した作品で、当時はバブルの絶頂期と言うこともあり原発神話が大いに幅を利かせてましたけどね・・・今にして思えば、この頃から日本は足を踏み外してたのでしょうか?当時就職したばかりの私からすれば、今の就職すらできない超氷河期や、世界史に残る大惨事は想像すらできませんでした。この作品のタイトル「ブルー」はそんな時代を予感していたのかもしれません。にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2011.05.18
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おはようございます。今朝も御前崎周辺の遠州灘で撮影した静かの海シリーズの作品を紹介します。これは愛知県伊良湖岬で撮影しましたが、最近暗いニュースが多いのでたまには生命力に溢れる作品はどうでしょうか。にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2011.05.16
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おはようございます。今朝も御前崎で撮影した静かの海シリーズの回想日記を書きます。これは長時間露光の静かの海シリーズでよく使う技法で撮影した作品ですが、傾いた水平線が不安感を助長していると思います。ちなみに今の愛車「ステップワゴン」になってからここには行ってません。以前の「パジェロ」や「スペ-スギア」の頃は飽きる程この水平線を見てたのですが・・・にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2011.05.12
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おはようございます。今朝も静岡県御前崎周辺の遠州灘で撮影した静かの海シリーズの回想日記を書きます。この付近の海はサーフィンのメッカでもあり年中賑わってますが、こんな大波に挑戦する無謀(勇敢)なサーファーも少なからずいます。私も当時はサーファーに混じって車で寝泊りしていましたが、若い頃(?)が懐かしいです。にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2011.05.10
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おはようございます。浜岡原発の停止要請で揺れている静岡県御前崎は私の好きな撮影地であり、静かの海シリーズの作品を多く生み出しました。御前崎灯台付近の撮影地に行くためには原発の直ぐ前を通る必要があったのですが、今となっては懐かしい思い出です。静かの海シリーズの回想日記は以前書きましたが、御前崎を含めた遠州灘と呼ばれる地域の思い出を違った見方から書きたいと思います。最初にご紹介するのは御前崎の沖合いにある灯台をアクセントに使用した作品ですが、今にして思えば御前崎で撮った作品は暗い,荒れると言ったイメージのが多かったように思います。今の状況を予測していたのでしょうか。にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2011.05.09
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おはようございます。たまたま見ていたテレビでタイトルのアンケートがありました。私生活では「晴れ時々曇り」と言ったところですが、仕事では「雨、ところによって雷と突風を伴い一時激しく降る。河川の増水などに厳重な警戒が 必要。」と言う感じでしょうか。実際あちこちで被害が出ましたが・・・(大泣)今日は仕事収めですが、来年こそは平穏な天気になってほしいです。にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2010.12.29
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こんばんは。今日は本当に寒かったです。夏の酷暑は何だったのでしょう。なんて言っているうちに、今年もあと2週間になりました。そんな訳で(?)今年も徳島県民手帳を書店で買ってきました。会社でタダで貰える手帳はあるのですが、この県民手帳はメモ帳としての他に徳島県の色々な情報が載っていて、忘れた頃に(?)役に立ちます。何よりカレンダー機能が使い慣れていて他の手帳ではどうもしっくりこない上に、これには特別の思い入れがあります。普通の年は大したことを書いていませんが、写真展を開催した1999年、2003年、2008年の手帳は使ったお金、スケジュール等がびっしり書き込まれていて、私の宝物になっています。これを見れば写真展開催のための予算、どの時期に何をすればいいか等がすぐに分かります。もう一度この手帳にそんな内容を書き込みしたいですね。にほんブログ村 にほんブログ村と人気ブログランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2010.12.16
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こんばんは。最近私の日常ばっかりカキコミしていて、ほとんど作品をUPしていませんね。まあ、撮影に行っていないので新たに公開する作品が無いのは当然ですが・・・^^;一応(?)カメラマンのブログとしてこれを書いているので、年内は時々過去を思い出しながら作品を紹介したいと思います。
2010.12.07
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こんばんは。今夜は先日大阪で見た写真展と、改めて自分の作品と見比べた感想を率直に書きます。多少不快に思われる表現があると思いますが何卒ご容赦下さい。大阪で見た個展はそれぞれ有名な自然被写体を長きに渡ってとらえた作品群でしたが、正直私には物足りなく思えました。写真展の作品として見せるのであれば、同じ被写体でも四季の変化を加えたり、朝昼夜の光の変化を効果的に加えたら良いのにと思ったのが率直な感想です。改めて私の写真展作品を見ると、見事なまでに(?)四季の変化を表現することができません。海の写真には四季はありませんし・・・阿波踊りは夏写真以外の何者でもありませんし・・・正直、私が作品を写真展として見せる時一番気を使っているのが「如何に他人に飽きさせずに最後まで見てもらえるか」と言う事です。阿波踊りの写真展なんて、見方によっては同じ写真の羅列に見えるでしょうから。
2010.04.01
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こんばんは。今日も色々あって考え事をしながら風呂に入ったのですが、ふと少年時代見たマンガ本の設定を思い出しました。A誌では「主人公は年を取るが寿命までは死んでも生き返る」のと、B誌では「主人公は永遠に年を取らないが死んだらそれまで」が暗黙のルールでした。これはある意味究極の選択ですね。皆さん選べるのだったらどちらにしますか?私は絶対B誌の設定で生きたいですね。
2010.02.25
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こんばんは。久しぶりに回想日記関連を書きます。地元タウン誌の協力により徳島市の阿波踊り撮影許可証を入手した私は、初めてと言って良いくらいノビノビと撮影が出来ました。実はこの年以前にも一度だけ他社の協力により許可証を入手できた事があったのですが、その当時はまだ私の腕の方が着いて行けず、大した作品は出来ませんでした。この年は私がノリにノって撮影できたおかげで、一気に作品候補が10点近く増えて、“徳島の熱い夏”の原型がほぼ完成来ました。その後、審査に出す前に一度キヤノンサロンの方に見て頂こうと再度東京出張を考えたのですが、続きは次回に・・・
2009.11.18
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こんばんは。久しぶりに回想日記関係の事を書きます。2001年当時、私はタウン誌のカメラマンになる事で徳島市の阿波踊り撮影許可証を入手する事ができました。しかし、今にして思えば当時はまだ入手規制は緩かったと思います。マスコミ関係者以外でもプロカメラマンである事を自己申告すれば、ある程度申請を受け付けてもらえた様ですし、実際演舞場内でサンダル履きにコンパクトカメラで撮影している様な人が許可証を持っていた事もありましたから。まあ実際の現場を知っていたので、正面から撮影許可申請に行って玉砕したんですけど・・・しかし、2004年から運営方法が大幅に変わって、完全にマスコミ関係者しか許可証を入手出来なくなりました。何せ許可証に会社名と撮影者の顔写真を入れる様になりましたから。さらに近年では許可する側が撮影者の過去の申請履歴を調べている様で、そのせいかここ数年撮影許可証を持っているのは本当にお互い知った顔の人間だけになりました。大きなお世話と思いますが、ここまで厳しく規制すると私の様に下から這い上がってくる人間が育ち難くなっていると思うのですけど・・・
2009.11.11
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銀座での写真展が終わりほっとしたのもつかの間、地元徳島のタウン誌に取材して頂いた。記者の方に自宅まで来て頂いたのだが、まだ東京の余韻(?)が残っていたので、私は結構テンションが高かったと思う。その内容は12月発売の貴誌に掲載して頂いた。この記事はこちら→asa私の写真展は来年3月まで続くが、本当にいい思い出になった。もし可能であれば、また挑戦したいと思う。 ※これは1999年の写真展「静かの海」の最後の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。以前Iに書いたとおり、この取材が後に私の写真人生を左右する大きな事に発展します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.11.01
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今日で銀座キヤノンサロンの写真展は終了した。何も知らずに審査に応募してから約8ヶ月経ったが、時間の過ぎるのがもの凄く早かった様に思う。来場者数は6日間で2000人を超えたが、キヤノンサロンとしては標準より少ない方だと思う。まあ、私は東京に身内が1人もいない状態での開催だったから、こんなものかな。15時に写真展が終了し、作品は元どおり箱詰めされた。これから「静かの海」の作品たちは私の手を離れて仙台、札幌、福岡、大阪のキヤノンサロンを巡る事になる。「頑張ってこいよ!」と思わず手を振って搬出される姿を見送った。私は殆ど行く事は出来ないが、来年2月の大阪展の時は少し顔を出したいと思う。キヤノン担当者に最後の挨拶をして会場を出ると、夕暮れの銀座は歩行者天国になっていて、人で溢れ返っていた。銀座の街とも当分お別れだ。名残惜しいが帰りの飛行機の時間が迫っているので、銀座を後にして羽田に向かった。8日ぶりに徳島に帰ってきたが、懐かしいと思う反面、やっぱりもの凄い田舎だと感じた・・・今日の来場者数:247名今日の出費は付けていませんでした。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.30
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私の写真展も今日が最終日だ。ホテルの部屋も綺麗に整理した。忘れ物はないと思う。今日は搬出で作品の入れ替えがあるため15時までだ。少し早めに出て銀座を散歩しよう。あと、最後の昼食くらい少し贅沢しようかな。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.30
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今日も大勢の方に来場頂いた。この5日間様々な職業、年齢、立場の方と話をさせて頂いたが、これは私の写真活動だけでなく、生きていく上での大きな財産になると思う。今にして思えば、私が受け付け席に座らず立って接客していたのも、ひょっとしたら声を掛けて頂き易かったのかもしれない。キヤノンサロンのある銀座5丁目から有楽町駅まで歩いて10分ほどの距離だが、今日の帰りは金曜日のせいか何時もより人が多い様に思う。今夜は東京で過ごす最後の夜だ。少し遠回りしてホテルに帰ろう。今日の出費食費 :3460交通費: 320来場者数:366名※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.29
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写真展も残りあと2日となった。明日飛行機で徳島に帰るので、ホテルに泊まるのも今夜が最後だ。いつもの様に、朝食の買い物がてら散歩して風呂に入った。一週間のホテル住まいで少し太ったかな。まあ、東京銀座で個展をするなんて一生に何度もない事だから、まあいいか。今日も一日頑張ろう。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.29
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写真展も4日目だが、実に多くの方に来場頂ける。プロカメラマンを始めとする業界関係者、熱心な写真愛好家の方、仕事帰りのサラリーマン、銀座のマダム風(?)の方など様々だ。頂く質問としては「どうやって撮ったのですか?」が一番多いと思う。私は「夕方から夜、夜から朝へのギリギリの時間帯で、1~5分の長時間露光で大半を撮っています」と答えている。長時間露光で海を撮るのはそれ程珍しい技法ではないが、それのみで写真展を構成したのと、独特の露出や画面構成に興味をもって頂いているのだと思う。頂く感想で「感動しました」,「写真集は出さないのですか」の声は、社交辞令でも本当に嬉しい。18時に閉館しキヤノンサロンからホテルに帰る頃、外は暗くなっていて銀座の街のネオンがとても綺麗だ。これから夕食だが、たまにはスーパーの惣菜でなく銀座で食べようかな。今日の出費食費 :3660交通費: 320その他:1750来場者数:345名※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.28
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写真展も半分が終了した。ここまで来ると、接客や東京暮しも少しは慣れた気がする。昨日の雨も何とか上がった。今日も一日頑張ろう。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.28
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結局今日は1日中雨だった。会社の出張から16時過ぎに何とかキヤノンサロンに帰ってきたが、さすがにこの雨では来場者カウンターも伸びていない。取り合えずこのまま写真展会場で閉館まで居る事にした。後で聞いた話では、徳島から来た上司と同僚はその日に羽田から徳島に帰ろうとしたが、天候不順で飛行機が離陸できず、羽田空港は人で溢れ返っていたそうである。数時間遅れで何とか徳島に帰れたらしいが・・・まあ、6日間の展示期間があればこんな日もあると思う。今日の出費食費 :2310交通費: 840宿代 :16500(最終日までの前金です)来場者数:225名※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.27
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昨夜は浅草のホテルに泊まった。この後取り合えずキヤノンサロンに出勤(?)して、11時頃会社の仕事で千葉に出張だ。朝から雨が降っているので来客は少ないと思うが、あまり気持ちの良い物ではない。夕方には戻れると思うが、その前に1人で千葉まで行けるのだろうか。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.27
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今日も大勢の方にご来場頂いた。客層は昨日とほぼ同じで年配の男性が多いと思う。もちろん女性の方にも来場頂いているが、人数は男性より圧倒的に少ない。ただ、女性の写真ファンの方がじっくりと作品を見て頂いている様に思う。作品の内容的に女性の方が共感して頂けるのだろうか。15時過ぎに会社の上司と同僚に来場頂いた。もっとも、明日の出張のため前泊と打ち合わせに徳島から出て来られたのだが・・・しばらく話した後、閉館後に会社の東京支社の方と食事をする事になった。これで今夜の食事代と酒代が浮いたかな・・・ちなみに東京支社は都営浅草線の宝町駅近くにあり、キヤノンサロンのある東銀座駅から1駅なのですが、当時は土地感がまったくなかったため、そこに行くのに一旦JR有楽町駅に戻り、東京駅まで出てから目的地まで歩きました。判って頂ける方には、これがどれだけ無駄な行動だったかご理解頂けると思います。今日の出費食費 :1460交通費: 470宿代 :6500(この日の宿は徳島から出てきた人に合わせました)来場者数:423名※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.26
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写真展2日目の朝だ。昨夜は飲んだ後のシメにラーメンを食べたので、あまりお腹は空いていない。ホテルの周りを散歩した後、朝風呂に入った。書き忘れていたが、ホテルの部屋に洗面とトイレは付いているが、風呂は最上階の大浴場である。空気の澄んでいる日は富士山が見えて気持ちが良いのだが、田舎育ちなもので都会の風呂の塩素臭には慣れるのに時間がかかった。9時にはホテルを出発する。2日目も頑張ろう。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.26
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10時の開場と同時に2人来場された。いずれも年配の男性である。それはそうだろう。定年退職された方でなければ平日の昼間に自由な時間は作れない。「どうやって撮ったのですか?」等の質問や感想を頂き、じっくり観覧され帰られた。その後も常に数人は会場に来客が入る状態が続き、質問等を頂く度に対応した。11時を過ぎた頃からサラリーマン風の人も増え始め、12時ごろ最初のピークがやってきた。多い時には会場に20人近く入っていただろうか。もっとも私は接客に追われていて人数を数える余裕などなかったが。書き忘れていたが、写真展の作品配置で壁面を目一杯使おうと思い、欲張って受付の後ろまで作品を展示したため、私は受付に座る事ができず会場に居る時はずっと立っていた。これは失敗だった。13時半ごろ来客が少なくなってきたので、急いでマックを買ってきて控室で食べた。控室にはモニターがあり、会場の様子を見る事ができる。少し疲れたので「5人以上客が入ったら出て行こう・・・」と思い少し休憩した。14時以降も常に数人は来客の入る状態が続いた。学生時代にサークルの写真展の経験はあるが、正直これ程来客があるとは思わなかった。これがメーカー系ギャラリーの力なのだろうか。写真業界関係では、大御所の秋山庄太郎先生(1人でフラッと来場されたのには本当に驚きました)とか、プロカメラマン、写真誌関係の方も多数来場頂いた。プロの方からも多数質問して頂いたので、多少なりとも興味を持って頂けた様だ。そんな訳で心地よい(実際は相当な)疲れを感じつつ、18時に初日が終了した。今日の出費食費 :3600交通費: 320来場者数:436名(控室に来場者カウンターがあり、関係者は見る事ができます)※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.25
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写真展初日。いよいよ本番である。宿泊している大井町から有楽町まで京浜東北線で通勤(?)したが、時間帯が9時近かったせいか思ったほど混んでなかった。有楽町駅前の定食屋で朝食を取り、銀座5丁目のキヤノンサロンへ向かった。着いたのは9時半頃で「まだ少し早いな」と思っていたら、出勤してきたキヤノンサロンの人に会い、そのまま2階に上がった。注:当時のキヤノンサロンは1階にギャラリーと一般ユーザー向けの窓口があり、2階は プロカメラマン向けの窓口と事務所がある。土曜日搬入に来た時事務所は休みだったので(ギャラリー担当者のみ交代で出勤)、この時初めて所長さんに挨拶と名刺交換をした。お茶を入れて頂いた女性と徳島ラーメンの話などしばらく雑談した後、10時の開館前に作品の確認に1階に下りた。心配していた作品表面のシワは、乾燥して湿気が飛んだせいか土曜日より目立たなくなっていた。そろそろ10時だ。入口のシャッターが開き私の写真展が始まる。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.25
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初めて新宿の街を歩いた。どこに行っても人・人・人で、田舎者には凄いの一言である。日曜日でこれだから、朝の通勤時間帯は凄まじい事になるんだろうな。しかし、新宿の街は入り組んでして分かり難い。キヤノンサロンでギャラリー巡りの本をもらっていて、それに載っている地図を頼りに探したのだが、目的のギャラリーに辿り着くのに随分迷子になった。私は方向音痴でないつもりだが、新宿は土地勘をつかむのに時間がかかりそうだ。他人の写真展を見るのは楽しいが、いよいよ明日からは私が見られる番である。どうなるか楽しみだ。(A型人間で細かいくせに、けっこう楽天的)今日の出費食費 :1890交通費: 570その他:1370(夕食の肉を焼くためのフライパン代・・・^^;)※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.24
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昨日作品の搬入が終わり、今日は休みだ。どうせホテルは10時から14時まで清掃で入れないので、新宿のギャラリー巡りをする事にした。ちなみにメーカー系ギャラリーは銀座と新宿に集中していて、ニコンサロンの様に両方にギャラリーを持っている場合もある。銀座は富士フォトサロンを除き殆ど日曜休みだが、新宿はミノルタ以外すべて開館している。新宿は初めてなので楽しみだ。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.24
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結局10時までは駅の構内や日比谷公園で時間をつぶした。大きな荷物を引っ張ってウロウロしている様はまるで○ー○レスか○出人である。これから東京銀座で個展をする人間の行動とは思えない。やっと10時になったのでキヤノンサロンのN田さんに挨拶した後、荷物を預けて銀座の写真ギャラリー巡りをする事にした。銀座にはメーカー系ギャラリーが分かり易い場所に集まっていてとても便利だ。各ギャラリーには来週から始まる私の写真展DMが掲示してあって嬉し恥かし気分・・・その後、マックでコーヒーを飲みながら軽めの食事をした。15時前にキヤノンサロンに戻ると、前の人の搬出作業の準備が始まっていた。いよいよ私の写真展が始まる。緊張しながら前の人の作業が終るのを待つ事にした。実際に作業を行っているのは搬入,出を専門に行う業者である。40分程で前の人の搬出作業は終了し、私の作品の搬入作業が始まった。しかし、ここで大問題発生!梱包から出した作品の表面に、大きなシワが出来ていたのである。これは写真を半切以上の大伸ばした時に起こる現象であるが、写真の印画紙が湿気を吸って裏打ち紙がら剥れて発生したのである。今回の作品はアルミパネルを使用していて、木製パネルの様に完全に接着固定しておらず、裏打ちは簡単な厚紙張りのみだったのが災いした。幸い大きく撓んでいるのは数点で、後はよく見ないと判らないレベルだし、何より今更どうしようもないので、このまま展示する事にした。後から聞いた話では、土曜日夕方の搬入時に問題が発生して、月曜日の朝までに徹夜作業で作品を作り直した人もいるそうである。展示作業そのものは、予め作品の配置を決めていたし、何よりプロの仕事なので1時間少々で終了した。まあ、ここまで来たらなるようにしかならない。今日の出費食費 :4405交通費:420(夜行バス代を除く)宿代 :16500(3日分前金)※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.23
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やっぱり昨夜はよく眠れなかった。2時半ごろ目が覚めて、そのままボーッと考え事をしていた。6時過ぎに東京の浜松町に着いたが、10時にならないとキヤノンサロンは開かない。更に私の出番(作品の搬入)は16時ごろからだ。それまでどうやって時間をつぶそう・・・※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。現在進行形ではありません。あしからず。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.23
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続けて「静かの海」の作品をUPします。※この日記は10年前の回想です。現在進行形ではありません。曜日も1日ズレています。10年前の今頃はほろ酔い気分で東京行きのバスを待っている頃でしょうか。ちなみに作品を次々UPしているのは、この回想日記が終了する(写真展の終る)10月31日までに少しでも多くの作品をご紹介したいからです。
2009.10.22
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いよいよ今日夜行バスで東京に出発する。一週間分の着替えや生活用品を持参するので大荷物になってしまった。キャスター付きのバックに入れているが、持ち運びが大変そう。徳島市の行き付けの居酒屋で飲んだら21時30分頃出発するが、期待と不安が入り混じっている。今夜は眠れるだろうか。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.22
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「静かの海」作品のUPを続けます。
2009.10.21
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写真展期間中の10月27日に「せっかく東京にいるから」と会社の出張を入れられてしまった。これで堂々と会社に東京までの旅費請求ができるが、何かイヤだな。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.21
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さらに作品をUPします。
2009.10.20
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写真展作品のUPを続けます。
2009.10.20
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今日は写真誌の発売日。「フォトコンテスト」と「四季の写真」は掲載誌を頂いていたが、そのほか「アサヒカメラ」と「日本カメラ」の写真展案内にも写真入りで紹介頂いた。私が本屋で立ち読みしていたら、たまたま知り合いが通りかかったので掲載誌を見せたらひどく驚いていた。もちろん掲載誌は購入した。ただ、各誌にサンプルで送った写真はバラバラだったため、掲載頂いた写真も各誌違っていた。これでは同じ写真展と分かり難いと思う。次回の反省材料にしたい。あさってはいよいよ東京に出発する。気合が入ってきた。※これは1999年の写真展「静かの海」の回想日記です。写真展の作品は以前ブログでも紹介しましたが、改めて掲載します。にほんブログ村 にほんブログ村ランキング参加中!よかったらクリックして下さい。私のサイトはこちら 原井裕夫Web写真館
2009.10.20
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