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2009.11.16
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妖怪変化

~ちくま新書、1999年~

 日本民俗学会50周年記念事業出版「民俗学の冒険」シリーズの第3巻です。
 本書は以下に掲げるとおり二部構成になっていて、本書をタイトルを踏まえるならば、第1部が「妖怪」、第二部が「変化」に重点を置いています。全6章に加えて6つのコラム、どれも興味深く読みました。
 本書の構成は以下のとおりです。

ーーー
はじめに

プロローグ 化ける民俗の諸相(常光徹)

第一部 妖怪と現代の怪異

 コラム1 仮面と来訪神(赤嶺政信)
 第二章 妖怪と怪獣(斎藤純)
 コラム2 化粧と美人(高橋典子)
 第三章 現代都市の怪異―恐怖の増殖(宮田登)
 コラム3 女装と男装(性的倒錯)(野沢謙治)
第二部 「化ける」という幻想と現実
 第四章 町が化ける―まちづくりのなかの民俗文化(川森博司)
 コラム4 「日本人種改良論」(小熊英二)
 第五章 名前と変化(植野弘子)
 コラム5 外国人と異人(原尻英樹)
 第六章 人の一生(岩田重則)


執筆者一覧
ーーー

 第一章は、タイトルとおり、股のぞき(天橋立で有名ですね)や指を組んでその隙間から見るといった方法で、妖怪(怪異)の正体を見ることができる、という民俗がテーマになっています。異界、あるいはタブーといった領域については、「境界」がひとつのキーワードになると思うのですが、股のぞきにせよ狐の窓にせよ、それらは境界をあいまいにする(あるいは境界に立った)見方、ということになります。たとえば股のぞきは、背中を向けているのに、上半身は背中側を見ている、前と後ろの境界があいまいな姿勢ということになります。
 本章で興味深かったのは、狐に化かされたら眉につばをぬればよい、という俗信です。恥ずかしながら、「眉唾」の起源はこれか!とあらためて勉強になりました。

 第二章は、近世からの「妖怪」と、大正・昭和以降の「怪獣」の性格の変化、あるいはそれらの共通点を、広い時間的スパンで論じた興味深い論考です。妖怪について言及のある史料の紹介なども、とても面白く読むことができました。



 第四章は、副題にもあるとおり「まちづくり」を民俗学の観点から分析する、興味深い論考です。
 柳田国男『遠野物語』(私は未読ですが…)で有名な遠野では、現在(少なくとも本書刊行当時)、信号機の上にザシキワラシがいたりと、公共物(施設)にいろんな妖怪が飾られているそうです。しかしそれは、本来の民俗(伝承)から解離した、キャラクター的な妖怪たちです。そしてこのことは、違和感を生じさせます。「河童やザシキワラシの世界を期待しているにしても、駅前のロータリーや交番は、それがあるべき場所ではない。交番が河童の顔の形であったり、ザシキワラシが信号機の上にあらねばならぬ必然性がいささかも感じられない点に、おそらくわれわれは違和感を感じるのであろう」と著者は述べています。
 著者は、このようなふるさとイメージのあり方を、地方と中央の関係の分析を通して説明します。一方、地方がその地方の民俗を守っていく試みにも重点をおいて、いくつかを紹介しています。
 以下はちょっと雑談ですが、岡山は桃太郎ときびだんごの土地ということで、岡山市のマンホールには桃太郎が描かれています(そしてそのマンホールを踏めるかどうかで岡山県民度が測られるという、踏み絵の性格があるとかないとか…)。これなどもまさに、マンホールに桃太郎が描かれる必然性がないという、上に書いたような事例ですね。

 第五章も、名前をテーマにした興味深い論考です。はじめに、以前物議をかもした「悪魔ちゃん」の話題にふれて、名前のもつ性格・意味を論じていきます。日本に限らず、満族やイヌイットにも言及があり、民俗学にして民族学ともいえる論考となっています。
 また、名前が一人につき姓(名字)と名の二つのみ、というのはあくまで明治になって制定された慣行です。国が国民を管理しやすいようにと…。なのではじめて名字をもてることになった人々は、最初はぴんとこなかったでしょうし、実際そんな事例も紹介されています。ところが今では、名字+名というこの名前が当たり前になっている…。心性の歴史の面白いテーマかもしれませんね。
 ちょっと思ったのですが、いわゆる「イエ」の意識は、一般の人々まで名字をもつことができるようになった以前と、その後とでは、その性格に変化があるのでしょうか?

 第六章は、若者たちが、男性は若者組織、女性は娘組織に属する…という、従来の民俗学の図式に当てはまる人々は、実際にはそう多くなかったのではないか、ということを明らかにします。こういった組織には長男・長女が一般に入りますが、その前提として、次男・次女以降は、その共同体の外に出て行く場合が多かった、というのですね。 若者たちの出稼ぎ(場合によっては身売り)から、ムラ(共同体)がもつ排除の論理を指摘し、民俗のレベルでは多様な生き方があったことを示すとともに、単線的な生き方を保証された国民にもまた、「排除の論理」(おちこぼれなど…)が生まれていることを指摘する、興味深い論考となっています。

 6つのコラムも面白いです。

 初読のときは、妖怪話に関心を強くおいたように思うのですが、今回は、むしろ第二部の方を興味深く読みました。

(2009/11/11読了)





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Last updated  2009.11.16 06:53:02
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のぽねこ @ Re:銀色夏生『流星の人』(05/16) スパイシーチューリップさんへ コメント…
スパイシーチューリップ @ Re:銀色夏生『流星の人』(05/16) 流行りましたね!キラキラ系、あまり知ら…
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