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November 14, 2018
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カテゴリ: カテゴリ未分類
コスモスの武蔵野支部歌会に参加。
年に一度か二度参加して、もう三十年近く。
行けば、みなさんが普通に接してくださるのが、とてもうれしい。

本日の高点歌は、
執するは何もなしなどうそぶけどサプリメントを数へつつ飲む(平山洋子)

ご本人は、「質問しようと思って出した歌だから、高点歌になんかなったら困る」と異議をとなえていらしたが、高点だったものはしかたがない。
それに、覚悟ができているつもりでも、やっぱりサプリメントを飲む人間の正直さ、非条理さがうまく出ていてよいうただと思い、私も点を入れていた。

そういえば、私も、母が「もう、長く生きたくない。生きていても寂しいだけ」と言いながら、高血圧の薬だの、骨粗しょう症の薬だのを飲んでいるのを見て、おかしくなって歌を作ったことがあった。
歌会に出たら、私の崇拝していた牛島さん(故人)が、「おかあさまは、長生きしたくて薬を飲んでいるわけじゃないのよ。いまに、その年齢になればわかるわよ」とおっしゃったのを思い出す。


当面のつらさから逃げたいだけで、必ずしも長生きをしたいと思っているわけではない・・と言い張ってみても、やはりどこかで、「もっと生きていたい」と思っているらしくて、自分で自分の行動に突っ込みをいれたりしている。

ところで、私の歌は、
他界せし父の齢まであと二年そのふるさとの海岸に立つ

上の句と下の句の取り合わせがよい とか、二年という期間設定がちょうどよい。三年では立ちすぎているし、一年ではまだこういう心境にはなれないし・・。

とほめてくださった方もあるが、

「他界せし」という歌いだしは、強すぎる。
「そのふるさと」の「その」に工夫が必要。父と作者のふるさとが違えば、父のふるさと、 もし、父と自分のふるさとが同じなら、われらがふるさと、わがふるさと などと言い方があるだろう。

という指摘もあった。

「他界せし」の代案には「今はなき」などが出されていたが、うちの父は文体でいえば、漢文調の人だったから、「他界せし」については、自分ではこれでよいと思っている。

「その」については、「父のふるさと」と「自分のふるさと」が同じ人がいるとは想定していなかったので、言われてみれば、そういう人もいるはず。たしかにまぎらわしい。 


もう一か所、指摘はされなかったが、考えているうちに、おかしいのではないかと思ったのが、「他界せし父の齢」というフレーズ。死んだ父が、もし、生きていたときとおなじようにトシをかさねると考え宇のであれば、今は、もう113歳くらにになるであろう父の年齢まであと二年・・ということになると、私は、113歳ということになる。 でも私の言いたかったのは、他界した父は、その段階で齢をとらなくなって、今も、八十であるという前提なので、私があと数日で、七十八になるという感慨もある。

そこのまぎらわしさを取り去るには、「父の享年」という言葉を使えばよいのだろうと思いついたし、享年とすれば、父が他界していることもわかるので、「他界せし」のかわりに「三河生まれの」としたら、ふるさとのイメージがはっきりするかもしれない・・・・

などと考えつつ、まだ結論がでない。
これはまだ、完成していないな・・・。 

・・・という風に、自分では気がつかなかったことを指摘していただけるから、歌会はありがたい。



あと二年で父の享年 初に来て父の遊びし海岸に立つ   

八十で逝きたる父のふるさとに初めて来たり七十八で 

などなど、まだまだ別案が沸いてくるが・・・どれも 一長一短。






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最終更新日  November 18, 2018 09:32:52 PM
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noriko5858 @ Re[1]:桜に雪(03/21) てぃーさんへ そうですねえ・・・。あれ…

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